2019年1月20日 (日)

笑いの林(108) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「妖怪村へようこそ!」2011年9月23日

2011年9月23日 よしもと祇園花月にて

午後4時から、よしもと祇園花月での公演を観る。二部構成で、前半が漫才とコントの「祇園ネタ」、後半が吉本新喜劇「妖怪村へようこそ!」である。一日二回公演で、内容は一緒。私が観たのは二回目の公演である。


「祇園ネタ」のトップバッターは、ソーセージ。以前もやったレストランネタ。出された料理に虫が入っていて、客が苦情を言うのだが、店員がぼけまくるという内容である。


桜 稲垣早希。「おねえさんといっしょ」をやる。今年の5月から6月にかけて行われた「桜 稲垣早希ネタイヴェント新劇場版:弐 ~YOU ARE(NOT)THE BEAST~」で披露されたネタである。

早希ちゃんはオーバーオールにツバの短い丸帽子という、Eテレの子供番組のおねえさんのような格好で登場。まず、フリップを出し、「太郎君は林檎を12個持っています。(フリップをめくり)これを二人にわけます。(またフリップをめくり)更に四人に分けます。でもみんな三十代や四十代だから林檎なんていらないよね」と言って、液体クリーナーを取り出し、「そこでこれ、一人が三人に売るとお金がどんどん入って来ます」とネズミ講の持ちかけである。早希ちゃんは「幸せなら手を叩こう」の替え歌(「幸せになりたいか、お金持ちになりたいかい」)を歌いながら、ステージを右へ左へ。

次いで葉書を読む。相談のお便りである「『人気アーティストのチケットが取れないんですけど、どうしたらいいですか?』 簡単だよ。とにかくチケットがなくても会場に行ってみよう。気さくなおじさんが『チケットあるよ』と言ってるからそこで買えばいいよ」とダフ屋の宣伝である(「新劇場版:弐」ではこれにYahoo!オークションも加わった)。
「ドレミの歌」の替え歌を歌い、次は紙芝居。「おばあさんは悲しみの余り泣き続けました。そして涙は岩になりました」「そのかけらがこれ、パワーストーン。今なら数珠も付いてくるよ」と今度は霊感商法である。「あなたにはこのネックレスがいいかな。このネックレスが(後ろを向き、声音を変え、声を小さくして)16万8000円」

次は声音を自由に操る早希ちゃんの特技を生かして、人形劇。右手にクマ、左手にウサギのぬいぐるみをはめ、台の後ろに姿を隠して手にはめた人形と声で演技。

クマ「僕、旅が趣味なんだけど、彼女がいないからいつも一人旅なんだよね」
ウサギ「そんな時はこのサイト」(ここでケータイを手にした早希ちゃんが出てきて)
早希「このサイトには女の子情報が沢山。北○景子、上○彩なども登録(○は伏せ字です一応。実際は実名を出してました)。2000万人の会員がいるよ。きっと彼女が見つかるよ」と出会い系サイトの紹介である。そして「アイアイ」の替え歌(アイアイ、アイアイ、愛はお金で買える)を歌う。

最後は「グーチョキパー」の替え歌で、歌詞にオレオレ詐欺や闇金などの内容を入れる。
最初から最後までブラックなネタであった。


次は京都出身のサバンナの二人。サバンナ高橋が、「これから八木がギャグをやります」と言い、八木がやりかけたところで、「『ブラジルの皆さん、元気ですか』とね」とネタばらし。それでも高橋は「ブラジルの皆さん、元気ですか」とやる。

サバンナ八木は、高橋がピンでの仕事を増やしていることに文句を言う(高橋はピンで、「アメトーク!」運動神経悪い芸人、お腹ピーピー芸人などに出演)。それに対して高橋は八木の失敗談を語る。八木が「胴上げしよう」と言ってみんなを集めるが、「せーの、万歳!」と八木が言ってしまい、みんなどうしたらいいかわからなかったとのこと。高橋は八木に「トミーズ雅さんですか」と聞き、八木は「顔が似てるだけじゃ!」と答える。

中学の卒様式の話に移り、中学では優等生と不良に二分されるという話になる。「不良になったら大変ですよ」。ということで、道で肩がぶつかった中学生の不良同士の喧嘩ネタ。肩がぶつかり、八木が「どこみて歩いてるんじゃ。どうなるかわかってるのか」と高橋にいちゃもんを付ける。「何だと」と高橋も八木の首根っこを掴むと八木が「37歳じゃ」と年齢を言う。「中学生の喧嘩じゃないのか、実年齢を言うのか」と高橋が突っ込む。高橋が再び、八木のシャツの首の部分を引っ張ると「37歳じゃ」と八木はまた答える。


Wヤングが登場。ヤングというが、平川は69歳である。佐藤が「若く見えるけど、69歳ですよ」と紹介する。平川は「そんなことあらへんがな」と言うが、「年金貰ってます」、「偶数月の15日に振り込まれます」と具体的なことを喋ってしまう。

平川が「アホちゃうか」というネタを紹介する。まず、左手を甲を上に向けて出す。それを右手の甲でピシッと叩いた後、右手をグルリと回して甲を上に向け、両手を内側に捻る。この動作をしながら「アホちゃうか」と言う。これを観客と一緒にやる。

次いで、平川が子供に扮し、父親役の佐藤におねだりする。
平川「パパ、UFJに行きたい」
佐藤「UFJいうたら銀行やがな」
平川「じゃなんていうの?」
佐藤「USJじゃ」
平川「じゃ、USJ行こう」
USJのお菓子売り場について、
佐藤「何が欲しい?」
平川「コンパニオン」
ここで佐藤が平川をはたくが、
平川「パパは何が欲しいの?」
佐藤「コンパニオン」
となる。

次は遊園地のジェットコースターネタ。横に並んで歩き、ジェットコースターに共に乗っているポーズをするが、途中でなぜが向かい合わせになってしまう。
最後は居酒屋ネタ。「乾杯!」と言って二人で酒を飲むが、平川が一息でいつまでも飲み続けたり、相手のコップで酒を飲んだりする。


「祇園ネタ」のトリは、オール阪神・巨人。24年前に京都花月が閉鎖された時の話をする。「京都花月は場所が悪かった。横がお寺で裏が墓地です。そりゃ人は集まりません」「京都花月の最後の公演、客が3人しかいませんでした。こちらも気を使うんですね。そしたら二人帰りましたわ。おばちゃんが一人だけ残りました」と語る。

次いで老人の話。巨人が「老人のお客さんは色々な匂いがしますね。樟脳とか、死臭とか」、ここで阪神が「死臭はせえへんがな」と突っ込む。

巨人「日本人の平均寿命が延びてます。今、85歳。2年に1歳増えてますから、ですから、50年後、今年が2011年ですから、2061年には110歳になるんですな」
阪神「そしたら、『あそこのおじいさん、85歳で若死にしはった』となりますな」
巨人「あそこのおじいさんは75歳で再婚しはったとなりますね」
阪神「仕事も変わってきますね」
二人で「80歳で受付嬢」

巨人が、「うちの母親は90歳になりました。ピンピンしてます。虫歯が一本もありません。総入れ歯です」とぼける。「若いイケメンの介護士さんにお世話して貰ってます」とも言う。

阪神「ポータブルって知ってますか? 今、おまるのことポータブルいいますねん」
巨人「母親も一句詠みます。『イケメンに抱かれて座るポータブル』」

巨人「老人ですから、おしっこのことも上品に言わないけませんね。お小水を放尿なされました」
この、「お小水を放尿なされました」を阪神が、デパートのアナウンス風、パチンコ屋の呼び込み風など様々にアレンジして披露する。

巨人が、「まだ暑いですから。お化け屋敷なんかいいですね」といい、阪神が下ネタ満載の妖怪を演じる。
最後は子供ネタ。二人で子供に「高い高い」とやるが、巨人は阪神に「お前がやると低い低いや」と言って終わる。


小休憩を挟み、次は吉本新喜劇の公演「妖怪村へようこそ!」。京都が舞台で、背景には大文字や八坂の塔などが描かれている。民宿「ふしみ屋」とその前にあるニシンそばの店のセットの前で演技が展開される小演劇。上演時間約40分。作・演出:三栗雅子。

吉本新喜劇を生で観るのは私は初めてである。

大学で民俗学、特に妖怪の研究をしている学生・清水けんじが民宿「ふしみ屋」を探している。清水けんじは「ふしみ屋」の看板に目をやるが、再び「ふしみ屋はどこやろ」と言って、ニシンそば屋の信濃に「今、看板、目に入ったやろ」と突っ込まれる。清水は「いや地図が大雑把でね」と地図を見せるが、日本地図の京都の場所を矢印が指して、「ここ」と書いてあるだけ。信濃は「大雑把過ぎるがな」と突っ込む。

「ふしみ屋」は今、女将もその娘も出ているという。そこへ「ふしみ屋」の娘、島田珠代が帰ってくる。珠代は清水に甘えるが、そこで客席から赤ん坊の泣き声が。島田珠代は「子供が泣いた」とアドリブを入れる。珠代は清水けんじを部屋に案内する。

珠代「(部屋は)10キロ先です」
清水「どんな宿や」
珠代「すぐそこです」

清水が妖怪の研究をしていると知って心配する珠代と信濃。実は彼らは妖怪の子孫なのだ。そこへ「ふしみ屋」の老女将である桑原和男(女装)が帰ってくる。三人で話した後、桑原は「こんな時、昔は救世主が現れたもんだ」と話し始める。そこへ雪女・井上安世(当初は酒井藍が出るはずだったが、代役である)が「大変、大変、吉本不動産の人達が」と駆け込んでくるが、珠代が、「あの、雪女さん、出るの早くありません?」と聞く。出を間違えたということで井上退場(終演後に話したが、井上が間違えたのではなく、信濃がきっかけ台詞を間違えたのだという)。島田珠代は客席に「なかったことにして下さい」と頼む。桑原は「なんかあったけど、こんな時、昔は救世主が現れたもんだ、胸に『HERO』の文字の刻まれた」と話したところで、清水けんじが、胸に「HERO」の青文字の入ったTシャツを着て「ふしみ屋」から出てくる。三人は自分達が妖怪の子孫であることを打ち明けるが、清水けんじは「祇園花月にソーセージを観に行ってくる」と出かけてしまう。

吉本不動産の宮崎と新名(にいな)が現れ、「この土地を買収して妖怪のテーマパークを作りたい」という。「その名も『水木しげるロード』」と言うが、信濃が「いや、もうそれあります」と突っ込む(終演後の話だと、ここでも信濃の突っ込みが遅れたという)。

吉本不動産の二人が帰ったところで、雪女がぐったりとした清水けんじを抱えながらやって来る。けんじは事故に遭ったという。ここで雪女・井上のかつらが取れてしまう。井上はいったん捌けて、かつらを直して再登場。

桑原が妖術を使い、舞台が暗くなってから明るくなるが、清水けんじの怪我は治っていない。「今のは暗くして明るくなる術です」と桑原。桑原は負傷した清水けんじの膝にメンタームを塗る。すると清水けんじの怪我は治る。桑原ら四人は改めて、自分達が妖怪の子孫であることを打ち明ける。珠代は猫娘、桑原は砂かけ婆、信濃は河童だという。清水けんじが珠代を見て、「いや、僕の知ってる猫娘とは違います。猫娘には耳があります」というと珠代はニシンそば屋の裏手に行って、猫耳の飾りを付けて出てくる。信濃は料理人の帽子を取ると頭頂部が皿になっている。

雪女・井上は「私は雪女、あらゆるものを凍らすことが出来ます」と言い、舞台前方に出てきて、「さっきはすみませんでした」と言って、しばらく立っている。客席が寒くなったので、「ほら寒くなりました」と雪女。「いや、寒くなるの意味が違うがな」と清水けんじ。

桑原は清水けんじに「吉本不動産をやっつけてくれたら、村一番の美女を君にあげよう」という。「人魚だ」という。だが、呼ばれて出てきたのは魚の着ぐるみを着た清水啓之。

清水けんじは、妖怪を使って、吉本不動産の人間を脅かそうと提案。珠代がシーツを被って妖怪になりすまし、雪女が「ここは妖怪の土地、出ていけ!」と叫ぶことにする。吉本不動産の新名が現れ、作戦はいったんは成功するが、仕掛けを知った新名は怒り出す。そこへ吉本不動産の宮崎がやってくる。宮崎は清水けんじに向かって「坊ちゃん」という。清水けんじは吉本不動産の社長の息子なのだった。ということで、清水けんじの話を受けて吉本不動産が引き下がって大団円となった。

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2019年1月19日 (土)

コンサートの記(509) 京都外国語大学・京都外国語短期大学 第52回教養講座 京都フィルハーモニー室内合奏団「新春コンサート」2019

2019年1月16日 右京区の京都外国語大学 森田記念講堂にて

午後6時半から、京都外国語大学森田記念講堂で、京都フィルハーモニー室内合奏団の「新春コンサート」を聴く。京都外国語大学・京都外国語短期大学の第52回教養講座として行われるもので、事前申し込み不要の無料公演である。中央列は招待客エリアとなっているが、その他は自由席である。


森田記念講堂に来るのは初めてだが、木の温もりが感じられる内装で響きも素直。好感の持てるホールである。京都フィルハーモニー室内合奏団は、森田記念講堂を練習場として使用しているそうだ。


曲目は、前半がクラシック作品で、シャンパンティエの「テ・デウム」より前奏曲、ヴィヴァルディのファゴット協奏曲ホ短調より第1楽章、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番「春」より第1楽章、モーツァルトのクラリネット五重奏曲より第2楽章、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「春の声」、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「山賊のギャロップ」、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より人形の歌、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。後半はポピュラーと映画音楽で、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」、ロッド・スチュワートの「セイリング」、ジェスロ・タルの「ブーレ」、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」、坂本龍一の「ラストエンペラー」、チャック・マンジョーネの「フィール・ソー・グッド」、ジャニス・ジョプリンの「ジャニスの祈り」、フレデリック・ロウのミュージカル「マイ・フェア・レディ」より踊り明かそう。

司会はソプラノ歌手の四方典子(よも・のりこ)が務める。四方はオッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より人形の歌とミュージカル「マイ・フェア・レディ」より踊り明かそうではソプラノ独唱も担う。司会には慣れていないようで、トークも得意とはしていないようである。


名前からもわかる通り、京都フィルハーモニー室内合奏団は編成が小さいので、音の足りないところをピアノで補ったり、小編成用のアレンジを用いたりして演奏を行う。室内楽の定期演奏も行っているが、常設の室外楽団体ではないので、カルテットでの演奏などは本職に比べると典雅さや緻密さで後れを取るのは致し方ない。

各々のメンバーがソロを務め、楽器紹介を行うなど、家庭的な楽しさに溢れる演奏会である。

四方典子は、「人形の歌」では機械仕掛けのオランピアの歌唱を巧みに歌い(ねじ巻き係はトランペットの西谷良彦が務める)、「踊り明かそう」では英語と日本語で伸び伸びとした歌声を聴かせる。ただ、「踊り明かそう」はクラシカルな歌唱よりもミュージカル風に歌った方が効果的であるように感じる。クラシックの歌唱法では声に感情が乗りにくいのである。

後半の楽曲では、坂本龍一の「ラストエンペラー」が演奏されたのが嬉しい。二胡を独奏とする曲だが、今回はヴィオラを独奏とする編曲を採用し、京フィルヴィオラ奏者の松田美奈子がソロを務めた。


アンコールは、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。勿論、聴衆も手拍子で参加した。


なお、開会の挨拶と終演後の挨拶は京都外国語大学の女子学生が行ったが、自身のこと「1年次生」と紹介し、終演後の花束贈呈で現れた男子学生を「2年次生」と紹介していたため、京都外大では関西で主流の○回生やその他の地域で一般的な○年生ではなく、○年次生という独自の表現を行うことがわかった。


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2019年1月18日 (金)

コンサートの記(508) 広上淳一指揮 広島交響楽団第312回定期演奏会

2011年9月22日 広島市文化交流会館にて

京都から広島に向かう。

午後6時45分に始まる、広島交響楽団の第312回定期演奏会に接する。会場は広島市文化交流会館。多目的ホールである。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。実は広上さんが広島交響楽団で魅力的なプログラムを演奏するので、広島までやってきたのだ。

その魅力的なプログラムとは、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」とマーラーの交響曲第1番「巨人」。
広島交響楽団のコンサートマスターは、以前、大阪フィルハーモニー交響楽団にコンサートマスターとして客演した田野倉雅秋である。

広島文化交流会館舞台の側面には、上手、下手ともに鳩のマークがライトアップされている。多目的ホールなので、残響はほとんどなかった。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。広響は京響に比べると音色が洗練されていないが、聴いているうちに気にならなくなる。広上の指揮は堂々とした冒頭から素晴らしい。テンポは中庸。音色は美しく、フォルテシモからピアニシモまで、自在にオーケストラを操る。第3楽章では広上は指揮棒を譜面台に置いて、ノンタクトで指揮。繊細で優美な仕上がりであった。第4楽章をノンタクトで開始した後、すぐに広上は指揮棒を手にして振る。広島交響楽団の洗練度不足は否めないが、それでも優秀な演奏。終わりが近くなり、広上はまた指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮する。こんなに素晴らしい音楽、終わって欲しくないが、須く終わってしまう。最高の「ジュピター」であった。


後半の、マーラー交響曲第1番「巨人」。マーラー没後100年周年記念演奏である。

冒頭の弱音が美しい。テンポはやはり中庸で、広響のアンサンブルもしっかりしている。第1楽章のラストでは広響のパワー不足で、音量が思ったほど上がらないが、広上はその代わりに猛烈なアッチェレランドをかけ、迫力を出していた。

第2楽章も迫力のある出来。広響は弦も管もアンサンブルは優秀だ。

第3楽章は葬送の曲であることを強調した仄暗い演奏。ただ時折見せるしなやかな表情が魅力的である。

「巨人」の最終楽章は冗長であることで有名だが、広上の手に掛かると、そんなことは感じさせられない。広上はトランペットが演奏するときに、左手を上に突き上げたり、ジャンプしたりと、今日もユニークな指揮だが、引き出される音楽は本物だ。時折、楽譜にないはずの間を取るのも個性的である。

最終楽章も終わりが近づく。やはり終わって欲しくない。終わって欲しくないが終わってしまう。
良かった。本当に良い演奏だった。ライバルでマーラー指揮者の大植英次指揮の「巨人」よりも数段上だった。広響も目立ったミスはなく、名演に貢献した。


モーツァルトもマーラーも「こういう演奏が聴きたい」と私が理想に描いていた演奏が、今、まさに目の前で繰り広げられたのだ。幸せである。広島まで聴きに来て心から良かったと思った。

広上は広響のメンバーを立たせようとするが、広響の団員は広上に敬意を表して立ち上がろうとしない。広上さんは、指揮台を足でドンと踏みつけて「立て!」と指示。広響の楽団員も立ち上がる。拍手は鳴り止まず、広上は何度も指揮台に呼び戻された。

最高の夜であった。

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2019年1月17日 (木)

2346月日(6) 龍谷ミュージアム 「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」

2019年1月9日 龍谷ミュージアムにて

龍谷ミュージアムで今日から始まった「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」を観る。
生き物を描いた仏画などを特集展示したものだが、それは3階展示スペースの半分ほどに留まり、ガンダーラ周辺の仏教美術が主となる。

2階展示室の、第1部「アジアの仏教」では、仏立像、仏坐像などの仏像、碑文やサンスクリット語の経典、仏画、中国仏教などの展示があり、3階展示室では第2部の「日本の仏教」と題した日本仏教関連の美術が並んでいる。面白いのは、室町時代や江戸時代に描かれた聖徳太子絵伝に出てくる人々の格好が平安時代風(国風)であることだ。まだ衣装の研究が進んでおらず、往時の装束がわかっていなかったのだと思われる。

龍谷ミュージアムは、浄土真宗本願寺派の龍谷大学の美術館。ということで、浄土宗や浄土真宗の展示が幅を占めている。中でもお家芸である浄土真宗の展示は充実していて、親鸞聖人の坐像(真如苑真澄寺像)や、蓮如筆による「南無阿弥陀仏」の六字名号が展示されていた。

午後3時から、映像スペースで、西本願寺の障壁画に関する約12分の映像が上映される。安土桃山時代に建てられた西本願寺。当初描かれた狩野派の障壁画を、江戸時代中期に円山派が修復した絵が映される。一方、修復されることなく、今ではほとんど判別が出来なくなってしまった「竹虎図」をコンピューター処理で解析し、往時の姿を復活させるプロジェクトも進んでいる。現在は「竹虎図」は修復中で、その姿はCGでしか見られないようだが、今後も作業は進んで、全てが復活する日も来るようである。

特集展示「仏教美術のいきものがかり」。桃山時代に描かれた涅槃図では多くの動物が釈迦の最期を看取っていることが確認出来る。



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コンサートの記(507) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏会

2011年7月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏に接する。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。全曲、ドイツ式現代配置での演奏であった。

曲目は、オットー・クレンペラーの「メリー・ワルツ」(日本初演)、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:長原幸太、チェロ:趙静、ピアノ:デニス・プロシャイエフ)、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:デニス・プロシャイエフ)、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲。

今日の大植は、燕尾服ではなく、スキー服というか人民服というか指揮者独特のいでたち。左胸のポケットに汗拭き用のハンカチーフを入れている(舞台上で汗を拭くことはなし。なお、前半は赤、後半はオレンジと色を変えていた)。


「メリー・ワルツ」。20世紀を代表する指揮者の一人、オットー・クレンペラーの作品である。

クレンペラーはマーラーの弟子の一人で、若い頃はベルリンを拠点に現代音楽のスペシャリストとして活躍。ユダヤ系ドイツ人だったため、ナチスの手から逃れるためにアメリカの亡命。その後、脳腫瘍を患い、それが元で演奏のテンポが遅くなり、巨匠風の演奏をするようになっていった。その後、EMIのプロデューサーであったウォルター・レッグがロンドンに創設したフィルハーモニア管弦楽団の指揮者となり、数々の名演を展開、録音にも残している。レッグが越権行為でEMIを去るのと同時にフィルハーモニア管弦楽団も解散されるところだったが、楽団員がクレンペラーを担ぎ上げ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を創設、自主運営を始める。レッグはフィルハーモニア管弦楽団の名称をよそのオーケストラに売ってしまったが、1970年代後半にニュー・フィルハーモニア管弦楽団はフィルハーモニア管弦楽団の名称を買い戻し、今もフィルハーモニア管弦楽団の名で活動を続けている。

クレンペラーは脳腫瘍の後遺症もあり、数々の奇行で知られたが、フィルハーモニア(ニュー・フィルハーモニア)の楽団員からは音楽の神様と尊敬され、ロンドン市民からも絶大な支持を受けた。
余技として作曲をする指揮者も多いがクレンペラーもその一人。6つの交響曲、9つの弦楽四重奏曲、ミサ曲など多数の曲を書いているが、自身を「指揮もする作曲家だ」と認識していたレナード・バーンスタインなどとは違い、作曲は余技と決めていたため、生前、自らの手で指揮することも、他者に演奏して貰うこともほとんどなかったという。

「メリー・ワルツ」は、クレンペラーが生前演奏した数少ない曲として知られる。演奏会での演奏ではなく、リヒャルト・シュトラウス作品のレコーディングの余白におまけのように挿入された。

今日は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席コンサートマスターである長原幸太がソリストを務めるため、コンサートマスターを外れ、客演首席コンサートマスターの崔文洙も他のオーケストラと兼任のため都合が付かなかったようで、特例として田野倉雅秋が客演コンサートマスターを務める。

「メリー・ワルツ」は20世紀を生きた、しかも若い頃に現代音楽の演奏で鳴らした人が作曲したとは思えないほどチャーミングで時代がかったメロディーを持つ。旋律はどこか素人くさい。和音は比較的鋭いものが使われていて、そこだけが20世紀の作品であることを感じさせる。美しいメロディーの第一部、ややせわしくなる第二部、最初のメロディーが戻ってくる第三部の三部構成からなる作品。

大植指揮の大阪フィルの演奏は安定したものだったが、曲自体が魅力的とは思えない。これまで日本で演奏されてこなかったのもわかる気がする。多分、今後もコンサートで聴くことはないだろう。それでも大植は「メリー・ワルツ」を高く評価しているようで、演奏終了後に楽譜を掲げて見せた(大植は全曲暗譜で譜面台も楽譜もないのでコンサートマスターの譜面を使った)。


ベートーヴェンの三重協奏曲。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの3人をソリストにするという珍しい作品である。ベートーヴェンがなぜこうした珍しい編成の協奏曲を書いたのかわかっていないが、ソリストの中ではチェロの比重が比較的大きく、チェロの名手を想定して書いた可能性が高い。

チェロの趙静は中国生まれで日本でも教育を受けたことのあるチェリスト。比較的人気も高い。ヴァイオリンの長原幸太は大阪フィルの首席コンサートマスター。ピアノのデニス・プロシャイエフは1978年にベラルーシで生まれ、ウクライナのキエフで音楽を習った後に、ドイツのハノーファー音楽大学でピアノを専攻するが、同時に同大学の終身教授である大植英次に指揮も習っているという。

余り演奏されない曲であるため、ソリスト3人は楽譜を見ながらの演奏であったが、大植は暗譜でノンタクトで指揮する。大植の音楽に関する驚異的な記憶力はよく知られており、これまで楽譜を見て指揮したことはほとんどなし。大阪フィルのリハーサルでは暗譜の上、リハーサル終了後には奏者が間違えた箇所に全て正確に付箋を貼った楽譜を持ってきて、大フィルのメンバーから驚嘆されたという。

大植が大フィルのチェロから暖かな音を引き出して演奏開始。上々のスタートである。チェロの趙静が安定した渋い音色を奏でる。ヴァイオリンの長原幸太は音は艶やかだが、やや線が細く、オーケストラのコンサートマスターがソリストを務める限界を感じさせる。プロシャイエフのピアノは音が丸味を帯びており、コロコロとした独特の響きが特徴的である。


後半、ラヴェルのピアノ協奏曲。もとから人気曲であるが、「のだめカンタービレ」において重要な役割を果たした曲として一層ポピュラーになった。

ピアノソロのプロシャイエフはベートーヴェンの時と同じスタイルで来るかと思いきや、渋くて深みのある音を奏で、芸風の広さを感じさせる。大フィルは冒頭でトランペットが引っかかりそうになるが、何とか上手くごまかす。

ラヴェルの第2楽章は、甘酸っぱい音楽であるが、プロシャイエフが弾くと哀愁たっぷりの音楽に聞こえる。大植指揮の大フィルもプロシャイエフに合わせた演奏を展開。新しい解釈だが、映画音楽そのものに聞こえてしまうのが難点である。

第3楽章はプロシャイエフのテクニックの冴えが印象的であった。


リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」組曲。大植はリヒャルト・シュトラウスを得意としているが、今日も冒頭から思い入れたっぷりの演奏をする。弦も管も音色が美しく、音の一つ一つに生命が宿っている。最近は余り大きな動きをしなくなってきていた大植であるが、今日は指揮台の上で大暴れ。腕が素早く、ダイナミックに動く。
日本人指揮者と日本のオーケストラの組み合わせとしては間違いなくトップクラスの名演であった。

演奏終了後の拍手もいつもよりも大きく、大植と大フィルを讃える。普段は大植が指揮台の上に立って客席をぐるりと見回すと演奏会終了の合図なのだが、それでも拍手は鳴り止まず、大植が再び登場し、コンサートマスターの腕を無理矢理引っ張って一緒に退場させて演奏会の終了を告げた。

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2019年1月16日 (水)

コンサートの記(506) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」2011

2011年4月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」を聴く。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」(ピアノ独奏:小曽根真)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

本業はジャズピアニストの小曽根真は先週の大植英次指揮大阪フィルの定期演奏会にも出ていたし、日曜には音楽劇にピアニストとして出演(セリフはないがちょっとした演技はあり)、そして今日は大阪フィルの京都演奏会に登場と忙しい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」。モーツァルトのピアノ協奏曲というと、アシュケナージのように鍵盤を舐めるような美音を奏でるピアニストも多いが、小曽根のピアノは芯のしっかりしたものだ。この協奏曲には3楽章ともにカデンツァ(オーケストラなしでピアニストが弾く部分。かつてはピアニストが即興演奏を行う部分だった)があり、第1楽章、第2楽章は格調の高いカデンツァだったが、第3楽章のカデンツァ(ここだけはモーツァルト自身が作曲している)は、ジャジーな弾き方に聞こえた。「ジュノム」に関しては数度しか聴いたことがないので、実際はどう弾かれることが多いのか私にはわからない。よって意図的にジャジーな演奏にしたのか結果的にそうなってしまったのかもわからない。

大植指揮の大阪フィルは典雅な演奏を繰り広げるが、京都コンサートホールの音響は、ザ・シンフォニーホールに比べると不利なことは明らかで、モヤモヤとした響きに聞こえてしまう。

演奏終了後、大植英次が、大阪(豊中市)の小曽根小学校の校歌の楽譜を持って登場。小曽根真に歌詞を読ませる。大植は、小曽根小学校のみんなが小曽根真を応援しているとして、小曽根真に小曽根小学校の校歌で即興による変奏曲を弾いて欲しいようで、自らピアノで小曽根小学校の校歌を弾いてみせる。小曽根真は校歌を変奏するのはやはり心情的に憚れるのか、それとも校歌の曲調が即興に合わないとみたのか、校歌を弾くことはせず、代わりにショパンの「子犬のワルツ」の編曲版を弾いた。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。

交響曲第6番「悲劇的」の演奏が忘れられない大植のマーラーだが、最近の大植のマーラーは交響曲第5番にしろ第9番にしろ、極端に遅いテンポを採って賛否両論を巻き起こしている。

第1楽章は総体としてテンポは平均的だが、遅いところはかなり遅く、速いところはオーケストラが付いていけないほど速いテンポを採用。かなりメリハリのはっきりした演奏で、やはり異色である。特に終結部の加速はこれまで私が聴いてきた同曲の演奏の中でも間違いなく最速であった。

第2楽章は立体感のある演奏で、情熱にも富み、大植の本領が発揮された演奏である。

第3楽章。大植は、棒を振らず、顔のみで指揮。テンポは真っ先に演奏するティンパニ奏者とコントラバス奏者に完全に任せているようで、主部に入って棒を振るようになってもそのテンポを守った。冒頭がかなり遅いテンポだったので、全体としてもゆっくりとした演奏になった。

最終楽章はなかなかの出来であったが、京都コンサートホールの音響によって、響きが抑制されて聞こえるのが残念である。


終演後、大植は、レナード・バーンスタイン作詞による「キャンディード」(原作はヴォルテール)より“メイク・アワ・ガーデン・グロウ(「自分の畑を耕そう」。出光のCMで流れている曲である)”を朗読した後、その“メイク・アワ・ガーデン・グロウ”(作曲もレナード・バーンスタイン)をアンコールとして演奏した。

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2019年1月15日 (火)

コンサートの記(505) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第447回定期演奏会

2011年4月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪まで出かける。大阪フィルハーモニー交響楽団の第447回定期演奏会があるのだ。午後7時開演。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。大阪フィルの音楽監督としてのラストシーズン、定期初登場である。

曲目はレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:小曽根真)とシベリウスの交響曲第2番。


演奏前に、大植英次がマイクを持って登場して東日本大震災に哀悼の意を示し、災害の時に音楽を奏で続けて亡くなった例があり、それがタイタニック号沈没の時の楽士達だったと述べる。大植はコンサートマスターの長原幸太に指示して、指揮者なしでタイタニック号沈没の際に楽士達が弾いていたという「讃美歌320 主よみもとに近づかん」を最初は弦楽四重奏で、次いで弦楽全員で奏でる。


レナード・バーンスタインは大植英次の師。佐渡裕が「レナード・バーンスタイン最後の弟子」を自認していて、実際、その通りなのだが、レナード・バーンスタインの最晩年にアシスタントをしていたのは実は佐渡ではなくて大植である。

最近、急速に再評価が進んでいるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の作品。レニーは交響曲を3曲残しているが、純粋な器楽交響曲はこの「不安の時代」のみ。ただ、「不安の時代」は交響曲でありながら、ピアノ協奏曲的な面も強い。

私自身は、「不安の時代」をCDで何度か聴いており、一部を佐渡裕指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているが、今日は体調が悪いということもあって音楽が自然に体に入ってこない。ただ演奏がいいというのはわかる。小曽根のピアノは技術も表現も見事だし、大植指揮の大フィルも熱演であった。ただやはりホルンは今日も問題ありだし、今日はファゴットも不調だった。

小曽根はアンコールに応えて1曲弾く。最初は何の曲かわからなかったが、次第にレニーの「ウェストサイド物語」より「トゥナイト」のメロディーが浮かび上がってくる。ラストは同じく「ウェストサイド物語」の「クール」をアレンジした旋律で締めくくる。


シベリウスの交響曲第2番。本質的にはマーラー指揮者である大植のシベリウスということで興味深い(ちなみにシベリウスとマーラーは仲が悪かった)。

第1楽章。自然な感じで入る指揮者が多いが、大植は大きめの音でスタート。続くオーボエの音も明るく朗々としている。シベリウス指揮者の演奏で聴くと自然に理解できるところでも大植の指揮だと難渋に聞こえるところがあり、やはり大植とシベリウスは余り相性が良くないようだ。

第2楽章は、シベリウスの音楽よりも、その悲劇性を際立たせたような演奏。

勢いのある第3楽章を経て、最終楽章では大植らしいヒロイズムが勝った演奏になる。朗々とした凱歌(大植が振ると凱歌以外の何ものにも聞こえない)と、それまでの忍従を思わせる旋律の対比も上手く、交響曲第2番だけにこうした演奏もありだと思う。

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2019年1月14日 (月)

コンサートの記(504) 遊佐未森 「cafe mimo ~桃節句茶会~ Vol.11」大阪

2011年4月10日 umeda AKASOにて

遊佐未森の「cafe mimo ~桃節句茶会~ Vol.11」を聴く。

「cafe mimo ~桃節句茶会~」は、遊佐未森がギターの西海孝とドラムス・パーカッションの楠均と3人で、毎年春に行っている公演で、今年で11回目になる。毎回ゲストを呼んでおり、今回の大阪公演のゲストは鈴木重子。東大法学部卒で、ニューヨークのブルーノートに日本人として初めてステージに立ったという異色の実力派ジャズシンガーである(勉強が出来たので何となく東大法学部に行ったが、法律の勉強に興味が持てず、そのため司法試験も何度も受けるが通ることが出来ず、ジャズシンガーに転向したとのことだ)。

元祖癒し系シンガーの未森さんの歌は、聴いているだけで気分が良くなってくる。

カバー曲である「プリーズ・ミスター・ポストマン」では、ドラムス&パーカッションでバンマスの楠均がポストマンとなり、客席に飴の袋を配って回るというパフォーマンスがあった。

ゲストの鈴木重子と未森さんとは、「レイン・フォール」、「蘇州夜曲」、「Kiss for the earth」をデュエット。それから鈴木重子が未森さんの「道標」を、未森さんのピアノを含めた3人のバックで披露する。鈴木重子の声質は落ち着いた渋いもので音域でいうとアルト。未森さんはソプラノなので、「蘇州夜曲」は音が五度も違うという異色のデュエットになった。

未森さんとのトークで、鈴木重子が花粉症で鼻水が止まらないという話をし、それを重症の花粉症患者である未森さんが受けるという形になる。未森さんは9年前に花粉症になってしまったそうで、公演前に目がお岩さんのように腫れて慌てて病院に行ったこともあるそうだ。今年の2月には花粉症のせいで声が出なくなってしまい、ラジオのレギュラー番組でも毎回、声が出なくなっていき、斎藤由貴とのデュエットコンサートではドクターストップで歌うことが出来なくなってしまい、急遽、ピアニストとしての参加に切り替え、筆談で斎藤由貴と会話したという(斎藤由貴のマネージャーが未森さんが書いたものを読み上げてくれたとのこと)。なお、その後、未森さんは復調し、斎藤由貴とは3月の公演で無事、デュエット出来たそうだ。

アンコールで未森さんが出てくる前に、西海孝と楠均が登場して、桃節句茶会11回目のTシャツを紹介する。背番号に「11」が入っており、キング・カズ(三浦知良)を意識したデザインだ。

更に、西海孝と楠均による「きゅうけいダンス」も行われる。

アンコールではまず、「いつでも夢を」の橋幸男のパートを未森さんが、吉永小百合のパートを楠均が担当するという男女逆転デュオが披露される。

最後は、鈴木重子が登場し、未森さんのシングル曲「I' m here with you」を未森さんと二人で歌う。

終演後、未森さんが一人で、自らの出身地である宮城県出身の芸能人で作る「みやぎびっきの会」が「みやぎびっきこども基金」を設立したこと、会場で義援金を募り、募金してくれた方にはお礼として、未森さんの友人で「クロ」のアニメーションも担当した、おーなり由子がデザインした「I'm here with you」のステッカーが配られた。

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コンサートの記(503) 広上淳一指揮京都市交響楽団第544回定期演奏会

2011年3月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第544回定期演奏会に接する。今回は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があったため、一時は演奏会を中止しようかと検討されたこともあったようだが、通常通り行うことで意見がまとまったようだ。

午後2時30分の開演に先立ち、今日の指揮者である広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)によるプレトークがある。まず、4月からのシーズンの出演者と曲目の紹介があり、それから今日の演奏曲目とソリストの話題に触れる。


今日のプログラムは、ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番、ブルッフのスコットランド幻想曲(ヴァイオリン独奏:シン・ヒョンス)、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。


ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番は、第二次大戦後に、ショスタコーヴィチの友人であるレヴォン・アトヴミヤンがショスタコーヴィチの「明るい小川」を題材に編んだものである。「明るい小川」はプラウダ批判(1936年)の標的となり、長い間演奏禁止になっていた曲で、それをアトヴミヤンが復活させたのだという。

引きつった笑顔のような美しさを持つ作品群で、時に哀感に満ち、時に耽美的で、時に前衛的だ。
広上と京響は、音響がお世辞にもいいとはいえない京都コンサート-ホール大ホールを響きすぎにならない程度に盛大に鳴らす。鳴らないホールだから大きな音を出すのではなく、ホールの特性を把握して逆に生かしているのである。これまでの経験が生かされていることが実感される。滑らかな弦、パワフルな管楽器、いずれも好調だ。


ブルッフのスコットランド幻想曲。幻想曲という名が付いているが実態はヴァイオリン協奏曲である。ソリストのシン・ヒョンスは1987年生まれの韓国の若手女流ヴァイオリニスト。プレトークで広上さんが紹介していたが、日本、韓国、中国問わず、東アジアの国々の演奏家は欧米に留学することが多いが、シン・ヒョンスは一貫して韓国で音楽教育を受けた珍しいヴァイオリニストとのこと。現在も韓国国立芸術大学大学院にて研鑽を積んでいるそうだ。2008年、ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門優勝。その他のコンクールではパガニーニ国際コンクールで第3位(2004年)、チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で5位入賞(2007年)などの成績を修めている。

そのシン・ヒョンスのヴァイオリンは、音に太さがあり。独特の艶を持つ。

広上指揮の伴奏も見事。音が沸いて出る瞬間が見えるかのようだ。


シン・ヒョンスはアンコールで、京響のヴァイオリン群にピッチカートの伴奏を頼んで、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭変奏曲」よりを披露。この時はスコットランド幻想曲とは違い、音の太さよりも軽やかさが目立つ。曲調によってスタイルを変える器用さも持ち合わせているようだ。


ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。マチスとは有名なアンリ・マチスではなく、16世紀に活躍したマティアス・グリューネヴァルトのこと。ドイツ農民運動にも参加したこの画家を題材に、ヒンデミットが台本と音楽を手掛けた歌劇「画家マチス」の紹介として編まれたのが今日演奏される交響曲「画家マチス」である。ヒンデミットはその作風およびユダヤ人との気兼ねのない交際(奥さんはユダヤ人である)をヒトラーに嫌われており、交響曲「画家マチス」も非難。これを受けて立ったのが、交響曲「画家マチス」の初演指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーで、新聞に論文「ヒンデミットの場合(ヒンデミット事件)」を寄稿。これが元でドイツ楽壇は騒然となり、危機を感じたヒンデミットは亡命した。フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督を辞任することになるが、その後もドイツ国内に留まり、数年後にはベルリン・フィルの指揮者に戻っている。しかし、それがフルトヴェングラーがナチス寄りだとの誤解を生むことにもなった(フルトヴェングラーは一貫してナチスには否定的であり、ベルリン陥落の2ヶ月前にスイスに亡命しているが、亡命するのが遅すぎるとみなされ、戦後にナチ加担者として尋問を受けることになる。処分は2年間の演奏活動禁止であった)。

それはともかくとして、今日演奏された交響曲「画家マチス」はとにかく音が美しかった。ステージ上で楽器が鳴らしているというよりも、地の底から浮かび上がってくるかのような豊潤な音色。弦も管も絶好調で、広上の棒の通りに音楽が彩られていく様は、まるで魔法を見ているかのようだった。そしてこの曲でも京都コンサートホール大ホール自体を楽器として鳴らせることに成功する。京都コンサートホール大ホールの音響を知らない方には上手く伝わらないだろうが、京都コンサートホール大ホールを楽器として鳴らすことは、楽器を手にしたばかりの三歳児がヴァイオリンをスラスラと奏でるほど難しいことなのだ(2011年時点での音響の感想)。


終演後に、卒団するトロンボーン奏者の間憲司と、異動によって京響から外れる山岸吉和に花束が渡される。

そして、被災地の祈りを込めた、J・S・バッハの「アリア(G線上のアリア)」が演奏された。

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2019年1月13日 (日)

観劇感想精選(283) 紺野美沙子の朗読座「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」@びわ湖ホール

2019年1月5日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時30分から、びわ湖ホール中ホールで、紺野美沙子の朗読座の公演「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」を観る。出演は、紺野美沙子(朗読とおはなし)、陣野英則(解説。早稲田大学文学学術院教授)、中井智弥(二十五絃箏、箏)、相川瞳(パーカッション)。演出は篠田伸二。

『源氏物語』から、第一ヒロイン的存在である紫の上(紫式部という通称の由来とされている)を中心とした恋物語のテキスト(早稲田大学名誉教授である中野幸一による現代語訳である『正訳 源氏物語』を使用)を用いた朗読公演である。


まずオープニング「新春を寿ぐ」と題した演奏がある。中野智弥作曲・演奏による箏曲「プライムナンバー」という曲が演奏され、その後、主役である紺野美沙子が現れて、中野とトークを行う。紺野美沙子は『源氏物語』ゆかりの帯を締めて登場。その写真が後方のスクリーンに映される。昨日、西宮の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで公演を行ったのだが、「もっと近くで帯の柄を見たい」という声があったため、今日は写真をスクリーンに投影することにしたそうである。前側が「浮舟」、後ろ側がおそらく葵祭の車争いの場面の絵柄である。着物の柄も平安時代を意識したもので、貝合の貝を入れる貝桶の絵が鏤められている。紺野は、『源治物語』の現代語訳を多くの人が行っているという話をするが、瀬戸内寂聴の紹介は物真似で行っていた。
中野が、「プライムナンバー」という曲名の解説を行う。「プライムナンバー」は「素数」という意味で(紺野美沙子はにこやかに、「素数。ありましたね」と語る)、4分の2拍子、4分の3拍子などの2や3が素数であると語り、素数の拍子を用いたこと、また箏は13弦で13は素数であることなどを語る。

ちなみに、『源氏物語』の主人公である光源氏は箏の名手であり、演奏を聴いた女性達が涙を流して感動したという話を中野がすると、紺野は、「あら? じゃあ、中野さんは、平成の光源氏?」と冗談を言い、中野も「そうだと嬉しいんですが。ローラースケートを履いてる方(光GENJI)じゃなく」と冗談で返す。紺野は、「次の時代もご活躍を」と更に畳みかけていた。

それから、二十五絃箏の紹介。邦楽は通常はペンタトニック(五音階)であるが、二十五絃箏は西洋のドレミの十二音階を奏でることが出来るそうである。

その後、パーカッショニストの相川瞳も登場。今日は25種類の打楽器を使うそうで、日本生まれの打楽器として木魚と鳥笛を紹介していた。

紺野美沙子は、有閑マダム層が使うような言葉遣いであったが、意識していたのかどうかはわからない。


その後、第1部のトークセッションに移る。ゲストは早稲田大学文学学術院教授の陣野英則。今日使用するテキストの現代語訳を行った中野幸一の弟子だそうである。
陣野は、『源氏物語』を長編大河小説と位置づける(紺野美沙子 「橋田壽賀子もびっくり」)。1000年前にこれほど大部の恋愛フィクションが書かれた例は海外にも存在せず、しかも作者が女性というのが凄いという話になる。海外ではこの時代、歴史書や叙事詩、戦争物や回顧録、エッセイ、日記文学などは書かれていたが、大部のフィクションの名作が現れるのはずっと後になってからである。

『源氏物語』がわかりにくいのは、古文ということもあるが、人間関係が入り組んでいるということを上げる。登場人物は450名ほどに上り、主人公の光源氏があちらと関係を持ち、こちらとも契りを結びということをやっているため、男女関係が滅茶苦茶になっている。ただ、陣野によると光源氏が素晴らしいのは、関係を持った全ての女性の面倒を見ることだそうで、ドン・ファンなど他の好色家には見られないことだとする。
スクリーンに人物関係図や男女関係図を投影しての説明。わかりやすい。
紺野美沙子は、「私、慶應義塾大学文学部国文科卒ということで、色々わからないといけないんですが、資料が多いもので、大和和紀先生の漫画『あさきゆめみし』で読んだ」と伝えると、陣野は、「今の学生は、ほぼ全員、『あさきゆめみし』から入っています」と答えていた。


第2部が今日のメインとなる「朗読と演奏」になる。

二十五絃箏の中井智弥は、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒。伝統的な箏や地歌三絃の演奏も行いつつ、二十五絃箏の演奏をメインに行っている。2016年には三重県文化奨励賞を受賞。

パーカッションの相川瞳も東京藝術大学音楽学部出身。2007年にブルガリアで開催されたプロヴディフ国際打楽器コンクールDuo部門で2位入賞(1位なし)。大友良英 with あまちゃんスペシャルビッグバンドのメンバーとして紅白歌合戦に出場したこともあり、2019年の大河ドラマ「いだてん」オープニングテーマの演奏にも加わっている。

「いづれのおんときか女御更衣あまたさぶらいける中に、いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもふありけり」の出だしからスタート。
光源氏と紫の上の出会い(といっていいのかな?)である「若紫」、光源氏と紫の上との初枕が出てくる「葵」、光源氏が須磨へと下り、紫の上と離ればなれになる「須磨」、源氏と結ばれた明石の君と、明石の姫君が大堰へと上る「松風」、光源氏と帝の娘である女三の宮が結婚することになるという「若菜上」、紫の上がみまかる「御法」と光源氏の死が暗示される「幻」の各帖から選ばれた文章が読まれ、和歌とその現代語訳が読み上げられる。映像も多用され、想像力の補完を行う。

紺野美沙子の朗読に凄みはないが、的確な読み上げは流石は一流女優の技である。テキストの背後にある心理をもさりげなく炙り出してみせる。

紫の上という女性の「女であることの哀感」と、光源氏の紫の上への愛と、愛するが故の切なさがありありと伝わってくる朗読であり、聞いていて一途に悲しくなったりもする。これが大和心の真髄の一つである「もののあはれ」だ。
哀しみと同時に、日本という国で生まれ育ったことの喜びが胸を打つ公演でもあった。


バラ色に彩られた雲が覆う琵琶湖の湖畔を歩いて帰途に就く。


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2019年1月12日 (土)

その日(1) 2011年3月11日~15日 東日本大震災発生当日からの5日間

2011年3月11日

午後2時46分頃、三陸海岸沖で、マグニチュード8・8という、観測史上最大の地震が発生(その後、マグニチュード9・0に修正)。宮城県栗原市では震度7を観測。

テレビで、津波により、仙台市名取川が氾濫し、民家や自動車が流されていくのを確認。悲劇をリアルタイムで確認し、呆然となる。

今日は、大阪・京橋のシアターBRAVA!で観劇の予定があるので、気になりつつもモニターを離れる。
京阪電車の車内でも、岩手沖、茨城沖で大規模な余震が発生したとのニュースが入る。

京橋のTWIN21の大型モニターで地震の模様を確認。仙台市では各地で火の手が上がっており、まるで地獄絵図のよう。

私の出身地の千葉市でもコスモ石油の製油所で火災が発生しているのを確認。午前2時現在、消火活動は行えていない状況。


午後10時過ぎになって、仙台市若林区で200人から300人の遺体(おそらく津波による水死体)が発見されたという情報が携帯電話に入り、唖然とする。

帰宅してテレビを確認。宮城県気仙沼市では広範囲に渡る火災が発生しており、闇を赤く染めている。震源地から離れた北海道函館市でも大規模な津波が発生している。

陸前高田市の津波の映像も流される。かなりの被害が予想されるが、確認は取れていないという。

岩手県釜石市では、津波が引く際に、自動車が次々と流されていくのが確認される。無人の車ということではないだろう。大変なことになった。

東北地方、関東地方の交通は完全に麻痺。都内では各・高校を開放することを決定。その他、明治大学リバティタワー、新宿高島屋タイムズスクエア、立教大学11号館と14号館、品川プリンスホテル、築地本願寺、新橋第一ホテルロビー、青山学院大学体育館が帰宅難民のために開放されている。
横浜市内では港北スポーツセンター、関内ホールが無料開放されているとのこと。

津波は計測出来る範囲を大幅に超える大規模なものが発生しており、実態が把握できない。また、海岸近くは大津波警報が発令されているため、誰も近づくことが出来ず、被害の実態はわかっていない。

京都も寒いが、東北はもっと寒い。最低気温は氷点下になるそうだ。午後1時現在の気仙沼からの中継映像では雪が降っているのが確認された。


午後10時半に東京メトロ銀座線と半蔵門線が運転を再開。しかし大変な混雑が予想されるため、無理な帰宅は避けるようにと政府は呼びかけている。

福島県南相馬市の約1800世帯が壊滅状態とのこと。ああ。

仙台港のコンビナートでも火災が発生、津波が続いているため消防車が近づけず、消火活動は不可能。隣の多賀城市でも火災が発生しているという。

長野県北部、新潟県中越地方でも大きな地震があった。




2011年3月12日

東北地方太平洋沖地震から一夜明け、悲惨な光景が明らかになる。陸前高田市などはほぼ壊滅状態。宮城県南三陸町では1万人の行方がわからなくなっているという。

釜石港での津波の映像も入ってくる。防波堤を超えて、見る間にビルの3階部分まで波が高くなる映像に言葉も出ない。

福島第一原発で、1号機で爆発がある。原子炉の崩壊という最悪のシナリオは避けられたが、放射能は漏れ、東京電力と協力会社の社員、そして一般人にも被曝者が出た。

午後10時過ぎに福島県浜通で震度5弱の地震がある。




2011年3月13日

東北地方太平洋沖地震が東北関東大震災と名が変わる(引き続き東北地方太平洋沖地震や、新たに東日本大震災の名称を用いているメディアもある)。

宮城県東松島市で200人を超える遺体が収容される。竹内直人宮城県警本部長は「犠牲者は万単位になることは間違いない」との見解を示した。

岩手県大槌町では町長を含む約1万人が行方不明になっている。

津波により取り残された仙台空港では体調不良者が相次ぎ、死者も出ている模様。

菅直人首相は、14日より東京電力の計画停電を実施することを発表した。


被災地にいるケータイサイトの仲間から電力、乾電池などが不足との情報を得て、乾電池を送ろうとするが、配送の手段がないということで断念する。




2011年3月14日

昨日はフジテレビで誤報があった上に、今日はNHKでも先走った情報が流れた。誤報を流すのが一番危険である。自分のやっていることが正しいのかわからなくなる。




2011年3月15日

福島第一原発では次々と炉が崩壊する。一方で福島第二原発は安全に停止した。

夜になって、静岡県東部と山梨県を中心に大規模な地震が発生。静岡県富士宮市では震度6強を観測した。直下型の地震で津波の心配はないという。

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これまでに観た映画より(123) 中島哲也監督作品 松たか子主演作 「告白」

ブルーレイで日本映画「告白」を観る。わが家初のブルーレイディスク。「告白」は映画館でも観ているが、気に入ったのでブルーレイディスクを購入したのだ。湊かなえ:原作、中島哲也:脚本・監督作品。出演は、松たか子、木村佳乃、岡田将生、新井浩文、山口馬木也ほか。

映画ファンから絶賛される一方で、映画の作り手側からは、「あんなの映画じゃない」「説明過多だ」(説明不足でわけがわからないという意見もあるのが面白い)「PVみたいだ」「途中で寝た」などと酷評された問題作。日本で最も権威があるとされるキネマ旬報の2010年度ベストテン邦画の第2位、最も華やかな(しかし大手映画会社の持ち回りとの悪評も高い)2010年度の日本アカデミー賞最優秀作品賞、脚本賞、監督賞、編集賞を受賞しているが、その一方で映画芸術誌ではワースト1に選ばれてもいる。

体育館や校舎など撮影は栃木県の廃校を利用して行われたという(教室はセット撮影)。松たか子は実は泳ぐことが出来ず、劇中でプールに飛ぶ込むシーンがあるので、脚本を読んで「どうしよう」と思い、中島監督に「私、泳げないんですけど」と告白。中島監督は落胆しつつも「大丈夫」と答えたそうである
いざ、本番になるとプールの水は腰の高さまでしかなく、水中を歩いていけるので問題なかったそうだ。

ある中学校が舞台。教師の森口悠子(松たか子)が、幼い娘の愛美(ドラマ「Mother」の演技で世間を驚かせた芦田愛菜が演じている)の死にまつわる告白を始める。愛美は事故死として処理されたが、実はクラスの生徒二人に殺されたのだという。ここから森口悠子の静かで冷酷な復讐劇が始まる。

ほぼ全編に渡って音楽が流れており、PVを多く手掛けた中島哲也監督らしい作品だ。セリフの量も膨大で、セリフに寄りかかりすぎと思う人がいてもおかしくないほどである。

「命」がテーマの重い作品であり、軽々しいところは一切ない。人間の重みの軽重を問う一方で、罪を犯した人間の命の重み、被害者の命の重みなどがケースとして扱われ、生きるとは、生きさせるとはどういうことなのかも問いかけてくる。そしてそうしたことを考えること自体が人間の傲慢さであり、病んだ部分なのではないかとさえ思えてくる。

キーを握る二人の女優、松たか子と木村佳乃(かつてライバルとして良く比較された二人だ)の演技にともに凄みがあり、特に松たか子の演技はこれまで出演した映画の中でも最高だろう。

独特の映像美も相まって、他では余り観たことのない世界が広がっている。あるいは賛否両論ということ自体がこの映画の成功を物語っているのかも知れない。


ブルーレイディスクは特別版で、DVDがもう一枚ついており、そこにはメイキング映像、中島監督と主演の松たか子へのインタビュー、重要な生徒を演じる橋本愛(北原美月役)、西井幸人(渡辺修哉役)、藤原薫(下村直樹役)の3人へのインタビュー、生徒37人からの一言メッセージ、劇団ひとりによる「告白」特別講義、各劇場による舞台挨拶や品川女学院(広末涼子の母校として知られる)における中島監督と松たか子による特別授業、TVスポットなどが収められている。TVスポットではパガニーニの「24の奇想曲」より第24番のピアノ編曲版とドヴォルザークの「新世界」交響曲が用いられているが、本編にはそれらは用いられておらず、主題歌はRadiohead、音楽は日本のインディーズバンド、エンディングはヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」のピアノ編曲版が使われている。



「スクリーンで観た時の感想」 2010年8月26日

TOHOシネマズ二条で日本映画「告白」を観る。湊かなえ原作、監督・脚本:中島哲也、主演:松たか子。

愛娘を殺害された中学校の女性教師が犯人である教え子に復讐を図るという物語である。

直接手を下さず、ジワジワと犯人を追い詰めていく女教師の復讐の姿が怖ろしい。

重たいがそれだけ見応えのある作品であった。

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