2018年10月20日 (土)

コンサートの記(440) 「寺内タケシとブルージーンズ キャンパスコンサート」@京都芸術劇場春秋座2009

2009年4月19日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、「寺内タケシとブルージーンズ キャンパスコンサート」を聴く。

さて、寺内タケシとブルージーンズは、「ハイスクールコンサート」を積極的に行っており(間もなく1500校に達する)、私も高校2年生の時の芸術鑑賞会で、千葉県文化会館において演奏に接している。当時私は17歳、今から18年前のことである。
18年ぶりに聴く寺内タケシ、懐かしい。
18年前と同じく、「ツァラトゥストラはかく語りき」(「テリーのテーマ」ということになっている)に始まり、「涙のギター」、ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」、加山雄三の「夜空の星」と「君といつまでも」、映画音楽として、「追憶」、「ゴッドファーザー」愛のテーマ、「ひまわり」、「マイウェイ」などが演奏される。
寺内タケシのジョークを交えたMCも楽しい。

最近のヒット曲を奏でるコーナーがあり、寺内タケシとブルージーンズ最年少のバンドシンガー、岩澤あゆみが登場する。この岩澤あゆみ、話す声と歌声が極端に違うのがユニークだ。岩澤あゆみは、小学生の時に寺内タケシに弟子入りし、もう10年も寺内タケシとブルージーンズのメンバーとして活躍しているという。でも私が以前に寺内タケシとブルージーンズの演奏に接したのは18年まえだから、岩澤あゆみを見るのは初めてである。
「もらい泣き」「花」「さくらんぼ」の3曲が歌われる。
ハイスクールコンサートでは、ここ10年ほど、アンケートで演奏して貰いたい曲を調査しているとのことだが、そこで1位になった曲として、ゆずの「栄光の架橋」が岩澤あゆみのヴォーカル、寺内タケシとブルージーンズにより演奏される。
そして、ベートーヴェンの交響曲第5番の編曲、津軽じょんがら節の編曲が演奏された。

アンコールは、「慕情」、そして寺内タケシのヴォーカル曲「青春へのメッセージ」。楽しい2時間であった。

私が高校生の時のコンサートでは、寺内タケシは最後に、「学校の成績ほど当てにならないものはないぞ!」というメッセージを叫んだ。寺内タケシ自身は、中学の時は成績は最底辺。政治家だった父親が寺内タケシのためだけに高校を設立するという荒技を使って寺内を高校に入れる。高校時代はマンドリンに熱中し、マンドリンが盛んだった明治大学の古賀政男の推薦で明治大学に無試験入学するが、勉強のために明大に入ったのではないと知った父親に言われて1週間で退学、やはりマンドリンで誘われた関東学院大学に入り直して、そこではきちんと勉強をしたそうだ。ちなみに関東学院大学の入試では、名前と「へのへのもへじ」しか書かなかったが、推薦なのでそれで通ったという。その寺内が「エレキの神様」と呼ばれ、緑綬褒賞を受けた。説得力がある。

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2018年10月19日 (金)

コンサートの記(439) ヨエル・レヴィ指揮 京都市交響楽団第628回定期演奏会

2018年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第628回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はヨエル・レヴィ。

曲目は、モーツァルトの交響曲第32番、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏;ヴィヴィアン・ハーグナー)、バルトークの管弦楽のための協奏曲。

ヨエル・レヴィはルーマニア生まれ、イスラエル出身の指揮者。テル・アヴィヴ音楽院を経てエルサレム音楽院でも学ぶ。イタリアに留学し、シエナとローマでフランコ・フェッラーラに師事。その後、オランダでキリル・コンドラシンに師事し、ロンドンのギルドホール音楽院でも学んでいる。1978年にブザンソン国際指揮者コンクールで第1位を獲得し、クリーヴランド管弦楽団でロリン・マゼールのアシスタントと常任指揮者を務めている。

レヴィの名が一躍上がったのは、アトランタ交響楽団の音楽監督時代である。1988年に就任後、アメリカ国内外で評判となり、日本でも音楽誌に「アトランタの風」というタイトルの音楽エッセイが連載された。ただそれが良くなかったのか、その後は「風と共に去りぬ」状態となり、ヨエル・レヴィの名を聞くことすら日本ではなくなった。ところで今日のソリストのファーストネームがヴィヴィアンなのはわざとなのか? 冗談だけど。

21世紀に入ってからは、ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団と、イル・ド・フランス国立管弦楽団の首席指揮者を務め、2014年からは韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者となっている。韓国版NHK交響楽団ともいうべきKBS交響楽団は、かつてのN響のように「知名度は今ひとつだが実力派」の指揮者を見つけるのが上手いため、期待出来るのかも知れない。

プレトークでは、レヴィは自分のことを話すのではなく、聴衆から質問を受けてそれに答えるという形を取る。「ルーマニア生まれ」に関してだが、生まれてから1ヶ月でイスラエルに転居してしまい、それ以降は今に至るまでルーマニアを訪れたことはないので何も知らないそうだ。ただ生まれたのはルーマニアとハンガリーの国境付近で、母親はハンガリー系、イスラエル時代に師事したのもハンガリー系の音楽家ばかりだったそうで、音楽的ルーツには繋がっているかも知れないとのこと。
「なぜ指揮者の道に進もうと思ったのか?」という質問には、「これは自分で決めたのではないのです。両親とも音楽好きで私も幼い頃から音楽好き。私を見た両親が『才能あるんじゃないのか?』と気づいて」レールに載せてくれたようだ。才能に関しては、「上の方から降りてきた」ようだという。
「京響に日本的な要素を何か感じますか?」には、「ジャパニーズテイストが何かわからない」
今日のプログラムに関しては、京都市交響楽団の年間プログラムを見てバルトークの管弦楽のための協奏曲をレヴィが選び、ブラームスのヴァイオリン協奏曲はソリストのヴィヴィアン・ハーグナーが選んだそうだ。

今日はいつもと違い、チェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキーシフト)での演奏である。
コンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣。フォアシュピーラーに泉原隆志。チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。

モーツァルトの交響曲第32番は、3つの部分からなる8分程度の作品で、実際に交響曲として書かれたのかはわかっていない。モーツァルトの交響曲全集では録音されることが多いが、後期交響曲集になると省かれることが多い。舞台作品の序曲だったという説もある。
モダンスタイルによる演奏。鋭さこそないが、豊穣なモーツァルトを聴くことが出来る。

レヴィの指揮は拍を刻むことが多いオーソドックスなものだ。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
スカーレット(ん?)のドレスで登場したヴィヴィアン・ハーグナーは、ミュンヘン生まれのヴァイオリニスト。12歳で国際デビューしている。2013年からはマンハイム音楽・舞台芸術大学の教授職を務めている。

ハーグナーの音であるが、今まで聴いたことのない種類のものである。水も滴るような美音で、表現の幅も広い。どうやってこの音を出しているのかは見ていてもよくわからない。

レヴィ指揮の京都市交響楽団は、金管がばらつく場面があったが、全般的には充実した伴奏を奏でる。

ハーグナーのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番よりアダージョ。染みる系の演奏であった。

バルトークの管弦楽のための協奏曲。レヴィが摩天楼型のバランスを取ったこともあり、都会的な演奏となる。
構造表出に長けている、聴き手にも内容把握が容易となり聴きやすい。
民族楽器的な響き、民謡的な旋律と音楽理論の対比が鮮やかに表出され、力強くも華麗な音絵巻を描き上げた。



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2018年10月18日 (木)

観劇感想精選(260) アルテ・エ・サルーテ 「マラー/サド」@クリエート浜松

2018年10月11日 浜松市のクリート浜松 ホールにて観劇

午後5時30分から、クリエート浜松のホールで、アルテ・エ・サルーテの「マラー/サド(原題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院の患者たちによって演じられらジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」)」を観る。フランス革命時のジャコバン派首領であるジャン=ポール・マラーと、サディズムの語源として知られ、後世に多大な影響を与えたマルキ・ド・サド(サド侯爵)を軸にした芝居である。

アルテ・エ・サルーテは、浜松市の音楽文化交流都市であるイタリア・ボローニャに拠点を置く非営利協会。エミリア・ロマーニャ州立地域保健機構ボローニャ精神保険局の精神障害者80名以上が通っており、そのうち41名がプロの俳優として、散文劇団(コンパニィア・ディ・プローザ、児童向け劇団(コンパニィア・ディ・テアトロ・ラガッツィ)、人形劇団(テアトロ・ディ・フィーグラ)、精神を題材とした放送局であるサイコラジオに所属している。
今回来日したのは散文劇団のメンバーである。2000年の創設で、ボローニャに本拠を置く劇団としては最古参になるという。

イタリアからはエミリア・ロマーニャ州の州知事代理やアルテ・エ・サルーテの主治医が同行しており、上演前にスピーチを行う。イタリア語通訳の方が頼りなく、州知事代理の方が遠州方言である「やらまいか」を観客達とやりたいと申し出るも上手く通じる、バラバラになってしまう。スタッフも演劇上演には明らかに慣れていないが、地方都市であるだけにこれは仕方がない。

今回の浜松上演は、静岡文化芸術大学の名誉教授&理事で、イタリア語・イタリア演劇を専門とする高田和文の招聘によって実現したものであり、高田氏が真っ先にスピーチを行った。

舞台後方の白い壁には、「じゆう」「障害者だけど奴隷じゃない!」「革命しよう 拘束反対」「自由 平等 友愛」「マラー万歳!」といった言葉が赤と青の文字で記されている。

「マラー/サド」。作:ペーター・ヴァイス。脚色・演出:ナンニ・ガレッラ。オリジナル音楽:サヴェルオ・ヴィータ。制作はエミリア・ロマーニャ演劇財団、NPOアルテ・エ・サルーテ、エミリア・ロマーニャ州立ボローニャ地域保健連合機構精神保険局。
1964年に初演が行われたドイツ演劇作品で、1967年にはピーター・ブルックによって映画化されている。

イタリアには1978年まで精神科の閉鎖病棟があり、多くの人がそこに強制入院させられていたが、今ではそうした押し込め型の精神病院はなくなっているという。

シャラントン精神病院に収監されたマルキ・ド・サド(演出であるナンニ・ガレッラが演じている)が、患者達を使ってマラーの人生を描いた芝居を上演する模様を上演するいう劇中劇の入れ子構造になっている。

出演は、布告役(口上役。劇中劇では窃盗罪と境界例があるという設定):ミルコ・ナンニ、サド侯爵(ここには殺人の罪で入っている。偏執狂の持ち主):ナンニ・ガレッラ、ジャン=ポール・マラー(過激派、妄想型統合失調症):モリーノ・リモンディ、シャルロット・コルデー(嬰児殺人罪、躁鬱病、ナルコレプシー):ロベルタ・ディステファノ、シモンヌ・エヴラール(家庭虐待、ヒステリー):パメラ・ジャンナージ、デュペレ(強制性交等、錯乱性色情症):ロベルト・リジィ、ジャンヌ・ルー(破壊行為、誇大妄想症虚言癖):ルーチォ・パラッツィ、ロッシニュール(売春、強迫性窃盗症):イレーオ・マッツェティ、キュキュリュキュ(放火魔):増川ねてる 、ポルポック(麻薬密売、強迫症):デボラ・クインタバッレ、ココル(麻薬常用、境界例):ルカ・ファルミーカ、患者1(殺人により強制措置):ファビオ・モリナーリ、患者2:ニコラ・ベルティ、女医(医院長):マリア・ローザ・ラットーニ、看護士:ロレッタ・ベッキエッティ&カテリーナ・トロッタ、看守:ダビデ・カポンチェッリ。

まず、医院長からの挨拶で芝居が始まる。舞台は鉄格子の向こうであるが、医院長だけは客席側に出て、芝居を観る(これも演技の内)ことが出来る。クリエート浜松ではなく、シャラントン精神病院での院内上演という設定で、観に来ているのも同じ入院患者として劇の紹介を行う。

フランス革命直後のフランス。貴族階級が否定され、この世の春を謳歌していた貴族達は次々とギロチン送りにされている。庶民達は自分達の時代を築こうとしているが、そちらの方は順調には進んでいない。血気盛んな庶民達は自由を望み、決起を、というところで医院長からストップが掛かる。「熱くなりすぎる! もっと冷静に」との注文を受けて芝居再開。

多数の貴族をギロチン送りにしているマラー。だが重度の皮膚病に苦しみ、症状を和らげるために常に浴槽に水を張って浸かっていないと症状が悪化してしまう。身の回りのことは家政婦のシモンヌに全て任せていた。
理想に燃えるマラーであるが、浴槽に幽閉されたような状態である。

パリに出てきたばかりのカーン出身の少女がマラーの命を狙っている。シャルロット・コルデー。後に「暗殺の天使」として世界に知られることになる下級貴族出身のこの女性も閉鎖的な修道院から出たばかりで、自由と理想を追求していた。
ちなみにコルデー役の女優さんが一番症状が重いという設定であり、常に眠気に襲われている上に重篤な鬱状態ということで、自分の出番が来るまでは看護士の膝を枕にして眠っている。
シャルロットは1日に3度、マラーを訪問し、3度目に刺し殺すのであるが、気が昂ぶったシャルロッテは最初の訪問でいきなりマラーを殺そうとしてサドから注意を受ける。

反体制派のマラーと貴族階級出身のサドの意見は対立する。このマラーとサドのディベートが一つの軸になっている。
サドは自然を嫌う。自然は偉大なる傍観者、弱者が滅びるのを観察しているだけ。あたかも「沈黙の神」に対するかのような姿勢だ。一方のマラーは自然がもたらすことには意味があり、それを超克したいという希望がある(西洋においては自然の対語が芸術である)。

マラーは急速に革命を推し進めようとするが、サドに革命が起こっても何も変わっていないと指摘される。下層階級は革命の前も後も苦しみのただ中にいると。

マラーを支持する下層階級のグループは自分達の改革の邪魔になりそうな人物の名を挙げて、血祭りに上げようと騒ぐ。ラファイエットやビュゾー、ロベスピエールの名が挙がるが、そのうちに医院長や医師の名前が挙がったため医院長に芝居を止められる。そもそもカットされたはずの部分が上演されてしまっていたらしい。

マラーは貴族階級を憎み、下層階級に与えられた苦しみに比べれば、貴族階級の苦悩などまだまだ浅いと考えており……。

音楽が流れ、歌い、隊列を作って行進しと様々な要素を取り入れた芝居である。
イタリアでは閉鎖病棟の制度は廃止されたが、日本では精神障害者のうち重度の患者は何十年にも渡って精神病院に閉じ込められているという現実がある。そこに精神障害者の自由はない。
登場人物の多くも幽閉されている。現実の精神病院にだけではなく、あるいは病気に、あるいは階級に、あるいは年齢に、あるいは修道院に代表される宗教に。

芝居は、コルデーが意識の解放を遂げた後で、フランス国歌にしてフランス革命歌「ラ・マルセイエーズ」を全員で歌って終わる。「marchons,marchons(進め! 進め!)」の部分を「マラー、マラー」に変えられ、その後の歌詞もマラーへの応援歌となり、「障害者だけど奴隷じゃない!」と希望を望む言葉で締めくくられる。

最後は、「ラ・マルセイエーズ」をファンファーレとして使用したビートルズの「愛こそはすべて(All you need is love)」が流れる中を出演者が踊って大いに盛り上がる。
「自由」そして「解放」を訴える芝居だけあって、革命期の高揚を伴う展開に説得力があり、病気や環境によって真に抑圧されてきた経験のある俳優が演じているだけあってオーバーラップの効果は大変なものである。
ラストの選曲も実に上手かった。

芝居の上演の後に、ティーチインのようなものがあり、浜松市内のみならず日本全国から集まった当事者、医療関係者によって様々な質問がなされ、演出家のナンニ・ガレッラや劇団員達が答えていた。

精神障害者が精神障害から完全に抜け出る日は、あるいは来ないのかも知れない。来るとしてもまだまだ先なのかも知れない。ただ、演じることで苦しみのある現実から一瞬でも抜け出すことは可能であるように思われる。自分ではない他者として生きる経験を持つということ。この点において演劇は有効だ。



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2018年10月17日 (水)

コンサートの記(438) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第427回定期演奏会

2009年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第427回定期演奏会に接する。指揮は音楽監督の大植英次。

曲目は、ブラームスの交響曲第3番、レナード・バーンスタインの組曲「キャンディード」、ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)。
開演時間に、すっかり痩せた大植英次が登場する。痩せたとは元気そうではある。

ブラームスの交響曲第3番は、古典配置を基本に、コントラバスだけを最後列に並べたスタイルでの演奏。
第1楽章と第4楽章の熱気を帯びたドラマティックな演奏と、第2楽章、第3楽章のしっとりとした弦の音色を引き出した抒情的な部分との対比が素晴らしく、まずは名演といっていいだろう。第4楽章でホルンがこけたのが惜しいといえば惜しかった。
なお、大植は、第1楽章の後は休止を入れたが、第2、第3、第4楽章は間を置かずに演奏した。おそらく、スタイル的に第1楽章は独立したような形になっているとの解釈なのだろう。

後半の、組曲「キャンディード」と組曲「火の鳥」は、ドイツ式の現代配置での演奏であった。
レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の組曲「キャンディード」は、レニーが弟子である大植のためにオペラ(若しくはミュージカル)「キャンディード」の音楽を演奏会組曲に組み直すことを許可したものである。
師が自身のために編曲を許してくれた作品の指揮ということで、大植は思い入れタップリの演奏を聴かせる。特に“Make Our Garden Grow”の部分は、「神々しい」と形容したくなるような秀演。レニーの音楽に「神々しい」という言葉は合わないが、他に適当な表現が思いつかない。

ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」も、威力のある金管と立体感ある弦が素晴らしい。音符の一つ一つに翼が生えて飛び立っていくような、音楽の生命力も圧倒的。
ブラームスも名演だが、バーンスタインとストラヴィンスキーはそれを上回る文句なしの名演。大植はロマン派が得意だと思っていたが、近現代ものはそれ以上に得意としているようである。

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2018年10月16日 (火)

コンサートの記(437) フォーレ四重奏団来日演奏会2018大津

2018年10月7日 びわ湖ホール小ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール小ホールでフォーレ四重奏団の来日演奏会を弾く。

フォーレを名乗っているが、ドイツ・カールスルーエ音楽大学出身者のドイツ人達によって結成された団体であり、弦楽四重奏団ではなくピアノ四重奏団である。常設のピアノ四重奏団は世界的にもかなり珍しい。

マルタ・アルゲリッチを始めとする多くの音楽家から高く評価されており、2006年には名門ドイツ・グラモフォン・レーベルと契約し、リリースしたCDはいずれも好評を得ている。

メンバーは、エリカ・ゲルトゼッツアー(ヴァイオリン)、サーシャ・フレンブリング(ヴィオラ)、コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ)、ディルク・モメルツ(ピアノ)。

曲目は、フォーレのピアノ四重奏曲第1番、シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(グレゴリー・グルズマン&フォーレ四重奏団編曲)。

びわ湖ホールは大ホールにも中ホールにも何度も来ているが、小ホールに入る機会は余り多くない。幸田浩子のソプラノリサイタルと、平田オリザやペーター・コンヴィチュニーが参加したオペラに関するシンポジウムで訪れたことがある程度である。

フォーレのピアノ四重奏曲第1番。フォーレ四重奏団が自らの団体名に選んだ作曲家であり、思い入れも強いと思われる。
ディルク・モメルツのフォーレによくあったピアノの響きが印象的である。フォーレというと「ノーブル」という言葉が最も似合う作曲家の一人であるが、それ以外の影の濃さなども当然ながら持ち合わせている。フォーレ四重奏団は音の輪郭がシャープであり、音楽の核心を炙り出す怜悧さを持っているが、アルバン・ベルク・カルテットに4年間師事していたそうで、「道理で」と納得がいく。

シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調。ノスタルジックな曲調であり、フォーレ四重奏団の叙情味溢れる演奏を行う。ヴァイオリンとヴィオラがハーディ・ガーディを模したような音型を奏でるところがあるのだが、少年時代の憧れが蘇ったような、なんともいえない気持ちになる。

メインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。ピアノ奏者のディルク・モメルツが、師であるグレゴリー・グルズマンによる同曲のピアノ三重奏版を再編曲したものである。
ピアノのパートもムソルグスキーの原曲とは異なるが、かなり意欲的な編曲となっている。ピアノ独奏による「プロムナード」が雄々しく奏でられ、「こんなに意気揚々と美術館に向かう人などいるのだろか?」と思うが、ある意味、自身の編曲に対する自信の表れなのであろう。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどが一音ずつ奏でられたり、ピッチカートの多用、コルレーニョ奏法、ヴァイオリンをミュートにしてのノンビブラート演奏で奏でることで弦楽器らしからぬ響きを出させるなど、特異奏法やヴィルトゥオーゾ的要素、諧謔精神に富んだものとなっている。時代が変わったということもあり、クラシック界でも音楽だけでなくユーモアの精神などで楽しませることの出来る人が多くなった。良い傾向であると思う。頑固な職人タイプの音楽家には逆に生きにくい時代かも知れないけれど

アンコール演奏。まずはフーベルト作曲の「フォーレタンゴ」。弦を強く止めることでギロような音を出すという特殊奏法が用いられている。演奏もノリノリである。

最後は、N.E.R.Oの「ワンダフルプレイス」。チェロのコンスタンティン・ハイドリッヒが英語で客席に話しかけ、口笛で演奏に加わることを聴衆に求める。まずフォーレ四重奏団が4小節ほどの短いメロディーを奏で、聴衆に口笛で吹いて貰う。ハイドリッヒは「僕が左足を上げたら口笛スタートでもう一度左足を上げたらストップね」ということで演奏スタート。私も口笛は得意なので参加。吹けない人は当然ながら聴くことしか出来ない。ハイドリッヒが左足を上げて、聴衆の口笛スタート。良い感じである。ハイドリッヒがもう一度左足を上げて口笛ストップ。良い感じである、と思ったが、なぜか一人だけ吹き続ける人がいて、ハイドリッヒも苦笑いである。終盤になるとハイドリッヒがマイクを持ってボイスパーカッションも披露。ラストは聴衆達の口笛を何度もリピートさせて終わる。

とても楽しいコンサートであった。



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2018年10月15日 (月)

コンサートの記(436) 沼尻竜典オペラセレクション NISSAY OPERA 2018 モーツァルト 歌劇「魔笛」@びわ湖ホール

2018年10月6日 びわ湖ホール大ホールにて

午後3時から、びわ湖ホール大ホールでモーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。指揮はびわ湖ホール芸術監督の沼尻竜典。日本センチュリー交響楽団の演奏、佐藤美晴の上演台本と演出で、歌はドイツ語歌唱で日本語字幕付き。セリフは日本語で語られる。今年の6月に日生劇場で行われた公演のキャストを一部変更しての上演である。

元々高校生のためのオペラ作品として作成されたものであり、びわ湖ホールでもまず高校生限定公演が行われ、今日は一般向けの上演となる。

出演は、伊藤貴之(ザラストロ)、山本康寛(タミーノ)、砂川涼子(パミーナ)、角田祐子(夜の女王)、青山貴(パパゲーノ)、今野沙知惠(パパゲーナ)、小堀勇介(モノスタトス)、田崎尚美(侍女Ⅰ)、澤村翔子(侍女Ⅱ)、金子美香(侍女Ⅲ)、盛田麻央(童子Ⅰ)、守谷由香(童子Ⅱ)、森季子(童子Ⅲ)、山下浩司(弁者&僧侶Ⅰ)、清水徹太郎(僧侶Ⅱ)、二塚直紀(武士Ⅰ)、松森治(武士Ⅱ)。合唱はC.ヴィレッジシンガーズ。
ドラマトゥルク:長島確、衣装:武田久美子。

演出の佐藤美晴は、慶應義塾大学大学院修了後、ウィーン大学劇場学科に留学し、シュトゥットガルトオペラ、アン・デア・ウィーン劇場、イングリッシュ・ナショナル・オペラで研鑽を積んでいる。ハンブルク歌劇場で演出助手を務め、現在は東京藝術大学社会連携センター特任准教授と東京大学先端科学技術センター人間支援工学客員研究員を務めている。 第23回五島記念文化オペラ新人賞(演出)を受賞。最近は、東京芸術劇場と石川県立音楽堂の「こうもり」、NHK交響楽団の「ドン・ジョヴァンニ」の演出を担当した。

開演前にオーケストラピットを確認し、バロックティンパニが用いられることを知る。

ピリオド・アプローチを用いた演奏である。びわ湖ホール大ホールは空間が大きいので、ピリオドだと弦楽が弱く感じられ、序曲などは聞こえにくいという難点があったが、オペラの場合は声が主役であるため、全般的には問題なしである。バロックティンパニの強打はかなり効果的であった。

幕が上がる前、舞台の最前列にグランドピアノの小型模型が置かれている。序曲の途中で、三人の童女が次々に幕から顔を覗かせ、五線紙に羽根ペンで音符を書き込みながら戯れる。モーツァルトの化身のようであり、音楽そのものの擬人化のようでもある。

タミーノがスマートフォンを使って今いる場所を検索しようとしたり、「ヘイトやデマ」など、最近はやりのものが色々と登場する。

日本語でのセリフであるが、やはりオペラ歌手達は日本語の演技に慣れていないため、ストレートプレーやミュージカルの俳優に比べると言い回しに拙さは感じられてしまう。またセリフと歌の声のギャップがみな結構凄い。歌のレベルは日本人のみによるオペラとしては高く、満足のいく出来である。

ザラストロの館は、女人禁制のフリーメイソンを露骨に描写したものといわれるだけに、男性キャストしかいないのが普通だが、今回の演出では女性もかなり大勢いるという設定になっている。教団というよりは大企業という感じであり、そのために女性もいてタミーノと引き離されるパミーナにの肩に手を置いて同情的な仕草も見せるのであるが、朝の始業前の掃除をするのは女性だけ、第2幕冒頭に設けられた会議の場で机に座って参加しているのは男性だけで、女性は後ろの方に立ちっぱなしで雑用係(もしくは非正規社員)のようであり、発言権もないようだ。

男と女の対比は、「魔笛」においては重要なので、ザラストロとその配下の男という強者とその他の弱者という対比で行くのかと思われたが、それほど徹底してはいないようであった。音楽そのものが主役という解釈を取っているようなところがあるのだが、「音楽」という言葉は基本的に西洋の言語では女性名詞であることが多く、そこをザラストロと対比させるのも面白いとも思ったが、観念的なことは敢えて避けたのかも知れない。

ただ、倒された夜の女王と三人の侍女の亡骸が幕が下りるまで打ち捨てられたままだったり、やはり倒されたモノスタトスが後方へと去って行くザラストロににじり寄ろうとして力尽きるところなどは、女性や有色人種が置かれている状況を冷徹に描いているともいえる

沼尻の作り出す音楽はいつもながらややタイトであり、モーツァルトだけにもっと膨らみのある音が欲しくなるが、日本センチュリー響のアンサンブルの精度も高く、歌手達の魅力も十分に引き出していた。


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楽興の時(25) 京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュ KYOTO 2018「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」

2018年10月5日 京都コンサートホール1階エントランスホールにて

京都コンサートホール1階エントランスホールで行われる、京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュ KYOTO 2018「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」という公演が午後9時半からあるので参加する。1階エントランスホールはそう広くはないし、西川貴教の出演するコンサート帰りの客が参加したら入りきらないのではないかと懸念されたが、西川貴教ファンでガムランにも興味があるという人はほとんどいないようで、一杯にはなかったが移動にも苦労するというほどではない。ただカーペット席や椅子席は満員で、多くの人が立ち見ということになった。私も立ち見である。

パリ市が毎年秋に行う現代アートのイベント、ニュイ・ブランジェ(白夜祭)。今年は京都・パリ友情盟約締結60周年ということで、今日10月5日に京都市内各所でもニュイ・ブランジェの催しが行われ、京都コンサートホールではフランスを代表する作曲家であるドビュッシーの没後100年を記念して、ドビュッシーに多大な影響を与えたガムランの演奏が行われることになった。

ガムラン演奏と影絵芝居(ワヤン)の上演を行うのは、インドネシア伝統芸能団ハナジョスのローフィット・イブラヒム(男性)と佐々木宏美の二人。
インドネシア伝統芸能団ハナジョスは、2002年11月にジャワ島ジョグジャカルタで結成されたジャワ芸能ユニット。ガムランの演奏、影絵芝居ワヤンの上演、ワークショップ、作曲、演奏指導などを行っている。2005年に京都に拠点を移し、2009年からは大阪を中心とした活動を行っている。

ローフィット・イブラヒムは、1979年ジョグジャカルタ生まれ。インドネシア芸術高校を経てインドネシア芸術大学伝統音楽科を卒業。同大学の芸術団のメンバーとなる。2005年から日本在住。
佐々木宏美も1979年の生まれで、イブラヒムと同い年である。神戸大学発達科学部人間行動表現学科音楽コース在学中にガムランと出会い、2002年からインドネシア政府国費留学生としてインドネシア芸術大学パフォーミングアーツ学部伝統音楽学科に2年留学。帰国後にインドネシア伝統芸能団ハナジョスに参加している。

鐘を叩き、歌いながら二人が登場。まずは打楽器演奏を行った後で、金属製の楽器や胡弓のような楽器を演奏し、歌う。

その後、影絵芝居ワヤンの上演がある。佐々木宏美が「インドネシアの影絵は表からも裏からも見ることが出来る」と語ったので、まずはスクリーンの背後から見ることにする。影絵に使う人形に彩色が施してあり、裏からは人形劇として見ることが出来ることがわかる。ただ、影絵の効果はこれでは十分にわからないので表の方へと回り、結局エントランスホールを一周する。

「ワヤン・クリ 太陽神の子カルノ」
ストーリー自体はフォークロアに良く出てくる類いのもので、太陽神スルヨの子どもを宿したマンドゥロ国王女のクンティが、王様の怒りを買い、生まれたカルノという男の子を川に流すことから始まる。優しい老夫婦(多少、ボケが始まっているようだが)に拾われたカルノは大事に育てられ、17歳になる頃には特別な若者へと成長していた。太陽神スルヨはカルノを見て自身の子どもと確信し、超能力を持つ弓矢を与える。弓矢の名人として武芸の大会で活躍するカルノ。そのカルノを見て、アスティノ国の王子であるドゥルユドノはカルノをアスティノ国の将軍に迎え入れることに決める。
ラストは影絵の上演を離れ、イブラヒムが紙の馬にまたがっての馬術を見せる。表現が多彩である。


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2018年10月14日 (日)

コンサートの記(435) 「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」

2018年10月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」を聴く。
指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

日本を代表するシンガーの一人である西川貴教と作曲家・編曲家・ピアニストの大島こうすけが、ラジオDJのようにクラシックとポップスをミクスチャーさせるという趣向のコンサート。
一番高いところまで上げた舞台下手奥の段の上にラジオブースに見立てたものを置き、西川と大島がそこでトークを行う。

曲目は前半が、ラジオタイムスのオープニングテーマである「Timeless Journey」(大島こうすけ作曲)、ホルストの組曲「惑星」より“木星”、西川貴教が歌う「awakening」と「Roll The Dice」のオーケストラ伴奏版。後半が、菰口雄矢のギターソロとオーケストラによる「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)、そして西川貴教がヴォーカルと務める「Prisoner」、「さよならのあとで」(原曲はヘンデルの「私を泣かせてください」)、「インスタント・アンサー」(モーツァルトの交響曲第25番第1楽章による)の3曲である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はクラリネット首席の小谷口直子が降り番だったようだが、その他の管楽器首席奏者の多くは前後半ともに出演していた。
なお、ニコニコ動画での生配信があるようで、舞台上に本格的なマイクセッティングが施され、テレビカメラも何台も回っている。ポディウムは発売されておらず、2階ステージサイド席の後ろ半分もスピーカーを設置するために空けられている。スピーカーはステージ両脇にも本格的なものが置かれている。

まず「timeless Journey」。余り京響が演奏しないタイプの楽曲であるが、それだけに新鮮ともいえる。

ホルストの組曲「惑星」より“木星”。大島こうすけのリクエスト曲だそうである。宇宙を描いた曲ということで大島は興味を持ったそうだ。中間の部分は平原綾香が「Jupiter」という曲として歌っていることでも有名だが、「ご存じない方のために」とまず西川貴教が「Jupiter」のカバーを歌い。それから「木星」の演奏が行われる。
井上道義の指揮で「木星」を演奏したばかりの京響だが、曲全体の美しさ見通しの良さ、そしてバランスと典雅な雰囲気全て広上の方が上である。
ホルストの組曲「惑星」について広上は、「『土星』という曲があるのですが、暗くて重くて後で鬱になる」と語る。

「awakening」と「Roll The Dice」。「awakening」は西川が以前に出したシングルのカップリング曲だそうだが、「Roll The Dice」は今年の11月に発売される予定の曲だそうで、

西川 「オリジナル発表の前にオーケストラ版を歌う」
大島 「豪華ですね」
ということだそうだ。

「awakening」(作詞:神前暁、作曲:毛蟹)は、三拍子を基調にした楽曲で、広上は例によって指揮台の上でステップを踏んでいた。この曲では、ギタリストの菰口雄矢が参加したのだが、緊張のため、現れてすぐに着座してしまい、西川貴教から「ソリストなので普通は指揮者の方と握手したりするものなんですが」と突っ込まれる。更に広上の方から指揮台を降りて握手することになったため、「馬鹿ですね」と西川に言われていた。演奏終了後もすぐに下手にはけてしまったため、客席から笑いが起こる。
「Roll The Dice」は、ロックナンバーということで、打楽器群が大活躍する編曲となっている。

後半。リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」は、西川がリクエストした曲である。ちなみに、今日の客層は西川貴教が出ると言うことで、いつもの京都コンサートホールとは異なり、30歳前後の女性がメイン。西川が「熊蜂の飛行を知ってる人」と聞いても反応がなく、クラシックファンはほとんど来ていないことがわかる。
「熊蜂の飛行」の早弾きを菰口雄矢のギターソロと京響とで競うことになるのだが、西川は菰口について、「出来ますかね? 前半の段取り、全て忘れた男ですよ?」
ちなみに、菰口には一度間違うことに千円の罰金が科せられるという。
大島による独特の編曲で演奏が行われる。広上が下手から登場し、指揮台に上がる前に自分から菰口と握手をして笑いが起こる。
西川と大島は舞台袖のモニターで確認していたそうだが、菰口は4回間違えたということで四千円の罰金となるそうである。演奏を終えた菰口に西川が感想を聞くと、「緊張で口の中がパサパサになりました」と返ってきた。

「Prisoner」は大島こうすけが今回の演奏会のために書き下ろした新作。歌詞は山崎あおいが担当しているが、大島は、「悪い女を描いている」と紹介する。作曲に当たっては楽曲の再構築という手法を取ったそうだ。

ヘンデルのアリア「私を泣かせてください」を日本語歌詞にした「さよならのあとで」。山崎あおいの歌詞は、ヘンデルのアリアとは全く違ったものになっている。通常はソプラノによって歌われる曲であり、西川は男性としては声が高い方だがソプラノ同様に歌うには無理なため、メロディーも少しいじっているようだ。

プログラム最後の曲である「インスタント・アンサー」。モーツァルトの交響曲第25番第1楽章をモチーフにしたものである。まずはモーツァルトの交響曲第25番第1楽章を広上と京響が演奏する。カットありの演奏だったが、水準としては見事なもの。ただ、演奏終了後に広上が語ったところでは、全曲を演奏したことは1回しかないそうで、この曲を演奏することも生まれて2度目。モーツァルトの交響曲第25番について広上は「暗い」とだけ語ったが、「モーツァルトという人は、人を楽しませることが大好きな人だったと思うんです。西川さんのように(西川は「???」という顔)。ただとても繊細だった。短調の交響曲は2曲しかないんですが、人を楽しませる心遣いの出来る人が書いた本音のような部分。といっても会ったことないんですけどね」というようなことを言う。
「インスタント・アンサー」は、交響曲第25番第1楽章とは調が違うようである。ト短調という調性は歌いにくいだろう。メロディーも特にモーツァルトをなぞっているわけではない大島独自のものである。昔、シルヴィ・ヴァルタンがモーツァルトの交響曲第40番ト短調を伴奏にした曲を歌っており、それを参考にしたのかと思っていたが、この曲はモーツァルト作曲の部分もかなり変えているため、そういうわけではなさそうである。

西川は、「皆様、本日はこの曲をもって終わり、というわけには参りません」と言って、このコンサートのために作った「Hikari」という曲をアンコールとして歌うことを客席に伝える。西川は広上にも「Hikari」のリハーサルを行った時の感想を聞き、広上は「とても良い曲。美しい。曲だけじゃなくて歌詞も良い。ヒットしそう」というが西川に「ヒットもなにも発売するかどうかも決まってないんですが」と突っ込まれていた。
広上によると、このコンサートのリハーサル中に自身の弟子がとんでもない粗相をしたそうで激怒し、「もうクビだ!」宣言をしたのだが、この曲を聴いている内に気分が落ち着いて許すことにしたそうである。ただ、そのお弟子さんは会場に残ることは出来なかったようで、「今、動画を見てると思います」とのことだった。
歌詞がいいのかどうかは一度聴いただけではわからなかったが、メロディーは優しくて良い感じだったと思う。
拍手は鳴り止まず、最後はオールスタンディングとなる。もっともオールとは書いたが私自身は最後まで立たなかったのだけれど。


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2018年10月13日 (土)

楽興の時(24) 真宗大谷派岡崎別院「落語とJAZZの夕べ」2018

2018年10月3日 左京区岡崎の真宗大谷派岡崎別院にて

午後7時から、真宗大谷派岡崎別院本堂で、「落語とJAZZの夕べ」を聴く。いつもは空いている催しのようだのだが、今日はどうしたわけか超満員。本堂に入りきれないほどの人が集まった。

司会を務めるのは仏教イベントでは余り見かけないような可愛らしい女性であったが、フリーアナウンサーやタレント、女優などをしていて、現在放送中の朝の連続テレビテレビ小説「まんぷく」にも、主人公の今井福子(安藤サクラ)が務めるホテルのフロント係役として出演しているという。「まんぷく」は録画しているので見直したところ、確かにそれとわかる女性が出演していた。

第1部がJAZZの演奏会。ヴォーカルの麻生優佳、アルトサックスの本並ともみ、キーボードの須田敏夫、ダブルベースのマキアキラ、ドラムスの辻川郷という編成。
全10曲が演奏され、そのうち6曲にヴォーカルの麻生が参加する。

曲目は、「It's only a paper moon」、「Autumn leaves(枯葉)」、「星に願いを」、「Caravan」、「ムーンリヴァー」、「Smile」、「Fly me to the moon」、「中国行きのスロウボウト」、「ムーンライトセレナーデ」、「Moanin'」という超王道レパートである。

「It's only a paper moon」が本並ともみを中心としたサックスカルテットで演奏されてスタート。2曲目の「枯葉」から「Fly me to the moon」までは麻生優佳のヴォーカルが入る。伴奏が合ってるのか合ってないのかよくわからないところがあったりしたが、楽しむには十分な水準である。客席は白髪の人中心で、音楽にうるさい人も余りいないようであるし。
反応が本当にNHKの公開収録のそれそのままであり、お年の方は本当にああした反応を見せるようである。

第2部が落語、四代目桂塩鯛(しおだい)が登場する。岡崎別院本堂内には高座がないため、ビールケースを三つ重ねたものを7つほど置き、上に板を敷いて特設の高座とした。

桂塩鯛は、昭和33年、京都市生まれ。立命館大学中退後に桂朝丸(現・桂ざこば)に入門し、現在はざこばの筆頭弟子である。若い頃にABC落語・漫才新人コンクールで最優秀賞を受賞したことがあり、平成10年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞している。

塩鯛は、まず一目でその筋とわかる人が最近いなくなったという話をし、新幹線で組の人(3年1組と冗談を言っていた)と出会った時のことを話す。東京から大阪に帰る新幹線の3人掛けシート、窓側に塩鯛は座っていたのだが、京都から組の人らしき人物が乗ってきた。3人掛けシートの通路側の席には、サラリーマンと思われる人が疲れて寝ていたのだが、組風の男はサラリーマンの足を思いっ切り踏んだため、「お前、なにすんねん! 足踏みよってからに」と怒る。起きていたら、組風の姿を見て遠慮したと思われるのだが、目を開けてすぐに怒鳴ったため、相手の風体に気づく暇がなかったようだ。組風の男はのうのうと「足踏んだからなんやねん?」と返答し、サラリーマンも「なんやねん」と言い返すが、組風の男も「なんやねん」と言い返し、サラリーマンも「なんやねん」と返し続けるが、そのたびの顔色が悪くなっていく。塩鯛が止めに入ろうとしたが、前の席に座っていたおっさんが、「お前、関係ないのになんやねん?」と苦情を言ってきたため、塩鯛も組風の男と前のおっさん二人に延々と「なんやねん」を返して、そのしているうちに新大阪に着いてしまったという話である。
これを枕に、チンピラの「らくだ」を巡る話である古典落語「らくだ」全編上演に入っていく。長屋に住む「らくだ」(役立たずという意味がある)というあだ名の男、卯之助。この男がどうしようもないろくでなしで、3年もの間、長屋の家賃を一度も払ったことがなく、長屋で祝儀を出すことになっても「立て替えておいてくだせえ」と言ったきり、結局、今に至るまで金を払ったことがない。
らくだの親分である脳天の熊五郎がらくだの長屋を訪ねてくる。らくだが寝坊をしていると思ってしばらく話しかけていた熊五郎だが、らくだの体が冷たくなっていることに気づく。どうもフグを食って毒に当たり、死んでしまったらしい。
やはりやくざ者である熊五郎は、長屋の前を通りかかったくず屋を呼び止め、らくだの死を利用して、ただで酒と肴を楽しもうと企てて……。

噺家なので、登場人物の演じ分けが巧みなのは当然なのだが、クシャミやしゃっくりを入れるタイミングが絶妙であり、自然に出てしまったかのように聞こえる。人間の生理現象は意識して出るものではないので、真似るのは難しいのだが、そこは十全のようである。



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2018年10月11日 (木)

観劇感想精選(259) 「チルドレン」

2018年10月3日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「チルドレン」を観る。1984年生まれのイギリスの若手劇作家、ルーシー・カークウッドが2016年に手掛けた戯曲の翻訳上演。イギリスを舞台にした作品であるが、モチーフとなっているのは2011年3月11日に日本の福島で起こった原発事故である。
演出:栗山民也、テキスト日本語訳:小田島恒志、出演:高畑淳子、鶴見辰吾、若村麻由美。

イギリスの東沿岸沿いの田舎町。地震と津波を原因とする原子力発電所の事故があり、一帯は立ち入り禁止区域となっている。そこから少し離れた家にヘイゼル(高畑淳子)とロビン(鶴見辰吾)の夫妻が移り住んでいる。二人は以前は原子力発電所に勤める科学者で原発の近くに住んでいたのだが、放射能の影響で家を離れ、ロビンの持ち物だったこの家に今は住んでいる。

幕が上がると、ローズ(若村麻由美)が鼻から血を流して立っている。ローズはヘイゼルとロビンの元同僚であり、3人とも原子力発電所の建設に一から携わってきたのだが、ローズはその後、アメリカのマサチューセッツ州に移り住んでいた。ヘイゼルの耳には「ローズが自殺した」という噂が届いており、それを信じていたため、突然、目の前に現れたローズを幽霊か死神かと勘違いして咄嗟に手が出てしまったのだ。
実は最初はローズがロビンの恋人だったのだが、二人が別れてすぐにヘイゼルがロビンといい仲になり、ヘイゼルが妊娠したことで敗北を悟ったローズがアメリカへと逃げていたことがわかる。ヘイゼルは完璧主義者であり、つい避妊を忘れたなどということはあり得ない。妊娠したということは、計画通りだったということである。

科学者であったヘイゼルとロビンは、今ではパソコンも使わず、計画停電があるため電気にも頼らず、オーガニックの野菜を育て、牛を飼いというアーミッシュさながらの生活を送っている。あたかも科学者だった時代の反動でもあるかのように。
ヘイゼルはヨガに凝り、若さを保つことにもこだわっている。
ロビンが牛を飼っている牧場は、今では立ち入り禁止区域内にある。だが、ロビンは牛たちのために、毎日朝から晩まで牧場で過ごしていた。

ローズが突然この家にやって来たのには、当然ながら訳があった。原発の廃炉作業に携わることに決めた彼女は、行動を共にしてくれる60歳以上の科学者をスカウトしていたのだ。計画では20人以上を集める予定だが、現時点で集まっているのは18人である。つまりそういうことだった。ヘイゼルがローズを見た時に感じた不吉さは実は正しかったということになる。
ローズは言う。「原発で働いているのは私たちの子どもの世代」。未来ある若者達に代わり、自分達、原発を生んだ科学者が責任を取るのは当然だという思いがローズにはあった。ローズは乳がんを患っており、もう先は長くない。
だが、ローズと違い、ヘイゼルとロビンには実の子どもがいる。特に長女は障害を抱えており、38歳で今も独身。ヘイゼルは自分がいなくなった時のことを考えてためらう。

原発で働く自分達の子ども世代の若者達、実の子ども達、そして自分達が生み出した原発、それら全てが「みんな我が子」であり、等しく責任を取らなくてはいけない。あちらが立てばこちらが立たぬ状態であるが、それが冷酷ではあるが現実であり、人としてなすべきこと。

はっきりとは口に出さないが、皆、自罰の意識を持っており、贖罪の思いを常に抱いていたことがうかがわれる。ロビンは牛たちのために立ち入り禁止区域に入って作業をしているということになっているが、実際は緩慢な自殺の手段として放射線を大量に浴びるために敢えて立ち入っているのではないかと思える節もある。ロビンとヘイゼルが元科学者でありながら科学に背を向けた生活を送っているのもある種の贖罪なのではないか。

福島第一原発事故から7年が経過したが、今なお誰も責任を取ろうとはしていない。いや、原発事故だけではない。あらゆる事柄について「なかったことにしたい」という空気が蔓延し、この国は自家中毒に陥っているとしか思えないような状況が続いている。「気に入らないことはないことにしてしまっても構わない」という幼稚なナルシシズムが服を着て大手を振って歩いているかのような。
だが自己愛だけではどこにも行けないのである。とにかく受け入れ、呑み込むこと。「敢然と」。それは幸福なことではないかも知れないが、生きるということの実相でもある。

若村麻由美も鶴見辰吾も大好きな俳優で、実力も文句なしなのだが、やはり高畑淳子の凄さは目立つ。空間に溶け込める俳優は何人もいるけれど、存在するだけで空間を作り出せる俳優はそう多くはない。息子さんのことで色々あったけれど、やはり彼女は女優であり続けるべきだと強く思う。


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2018年10月10日 (水)

YMO 「Be A Superman」

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2018年10月 9日 (火)

観劇感想精選(258) ミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」

2018年9月29日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後5時30分から、大阪・上本町の新歌舞伎座で、ミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」を観る。1940年代のロサンゼルスとハリウッドを舞台としたサスペンス・コメディ。トニー賞6部門に輝き、ローレンス・オリビエ賞なども受賞した評価の高い作品である。
脚本:ラリー・ゲルバート、上演台本・演出:福田雄一。出演:山田孝之、柿澤勇人(かきざわ・はやと)、渡辺麻友、瀬奈じゅん、木南晴夏、勝矢、山田優、佐藤二朗ほか。作曲は「スウィート・チャリティ」(大阪でも玉置成実主演で上演されたことがある)のサイ・コールマン。

スタイン(柿澤勇人)は、ハリウッドの駆け出し脚本家。自身の分身ともいうべき存在のストーン(山田孝之。スタインもストーンも共に「石」という意味である)を主役にしたハードボイルドサスペンス「シティ・オブ・エンジェルズ」が映画化されることが決まり、希望に燃えている。しかし、プロデューサーで映画監督のバディ・フィドラー(佐藤二朗)から再三にわたる脚本へのダメ出しを受け、書き直しを余儀なくされる。駆け出し脚本家だけにスタインの本は拙いところも多いが、バディからの指示を受けるごとに更に酷いものへと変わっていく。

本の中ではロサンゼルスの私立探偵ストーンが、アローラ・キングズリー(瀬奈じゅん)という富豪夫人から、家出した義理の娘のマロリー(渡辺麻友)を探して欲しいという依頼を受けている。その後、元警官だったストーンの回想シーンになるのだが、警察時代の同僚であったムニョス(勝矢)との間で白人対有色人種を巡る諍いとなった場面がアーヴィングからダメ出しを受け、イケメン対非モテの対立に変えざるを得なくなってしまう。
納得がいかないスタインだが立場が弱いため、ハリウッドの大物であるバディに逆らうことは出来ず、作品中にバディをモデルにしたプロデューサーのアーウィン・S・アーヴィングを登場させて抵抗するのが精一杯で……。

比較的制作されることの多いハリウッドものである。新歌舞伎座でもフランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドを主役にしたミュージカル「スコット&ゼルダ」が上演されたことがあり、それ以前にも筒井道隆と長塚京三が主演した「グッドラック、ハリウッド」という同傾向の作品を観たことがある。

ラストで「フィクションとリアルの合体」が語られるのだが、「フィクションの力」が全面に押し出されており、爽快な仕上がりとなっている。

山田孝之と柿澤勇人以外は、基本的に一人の俳優が現実世界での役とフィクション内での役の二役を演じる。

山田孝之は本当に器用な役者で、パントマイム、アクション、歌にダンスと何でもこなす。チョイ抜けイケメンのストーンの存在にリアリティーを持たせることが出来ているのは彼の実力の高さ故だろう。

大阪府出身の木南晴夏。デビューから数年はヒロイン役を射止めることが出来ずにいた苦労人である。美人タイプではないが、深夜の連続ドラマ「家族八景」で主役の火田七瀬を務めて以降は順調で、今年の6月には玉木宏と結婚している。
この芝居では時事ネタ(ZOZOTOWNの前澤社長と剛力彩芽、「万引き家族」など)がアドリブやオリジナルのセリフとして語られるのだが、木南が演じるウーリーが恋人について語る場面では、「カンタービレを奏でるのが上手いイケメンの指揮者」と玉木のことを示唆するセリフを言って客席から拍手を貰っていた。

佐藤二朗はとにかくアドリブを飛ばしまくる。おそらく演出家から「佐藤が笑わせるようなことを言い、他の出演者は絶対笑わないようにする」と指定された場面では、徹底して他の出演者を笑わせにかかっていた。

一線級の俳優を揃えているため、演技の水準は高いのだが、やはり本職のミュージカル俳優である柿澤勇人の歌とダンスの実力は図抜けており、彼という柱がいたからこそ、他の俳優も生きるという結果になっていたように思う。

最後は、出演者全員が1階席客席通路を通ってのハイタッチ会となり、私も通路に近い席にいたため、全員とハイタッチを交わすことが出来た。



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