2018年7月17日 (火)

「Theatre E9 Kyotoオープニングプロジェクト・シンポジウム 民間劇場の公共性~京阪神の劇場~」

2018年7月4日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後7時から、京阪なにわ橋駅アートエリアB1で「Theatre E9 Kyotoオープンリサーチプロジェクト・シンポジウム 民間劇場の公共性~京阪神の劇場~」に参加する。京都の東九条に来年オープン予定のTheatre(イギリス式表記を採用しているようである)E9 Kyotoの現状報告と将来に向けてのシンポジウム。theatre E9設営計画の中心にいる、あごうさとし、蔭山陽太(共にアーツシード京都)と、大谷懊(神戸アートビレッジセンター館長、ArtTheater dbエグゼクティブ・ディレクター)、橋本匡市(ウイングフィールド)、繁澤邦明(シアトリカル應典院)といった大阪、神戸の劇場関係者らが参加する。


まず、京都の下鴨にあった小劇場・アトリエ劇研の閉鎖の経緯について説明がなされる。仏文学者の波多野氏の篤志によって1984年にアートスペース無門館としてオープンしたアトリエ劇研。ただ家主である波多野氏の高齢化により、昨年8月に閉鎖となった。ただ、波多野氏の年齢は90歳を超えているそうで、なぜ今の今まで新しい小劇場の建設が計画されて来なかったのか、強い疑問を感じる。アトリエ劇研自体、下鴨の高級住宅が中にあり、アクセス的には不便な場所である。近所に演劇人の拠点となる場所があるわけでもないため、アトリエ劇研は地域の住民から特に愛されたというわけでもないそうだ。演劇的には陸の孤島とでもいうべき側面があった。

小演劇は、日常生活において必要かといわれれば、必ずしもそうとは言い切れない。小演劇に限らず、生涯一度も演劇というものを観ずに過ごす人はかなりのパーセンテージを締めるはずである。そうした演劇から遠い人達に自分たちのやっていることを分かって貰うためには演劇人の方から歩み寄る必要があるのだが、そうしたことを積極的に行っている人を私は残念ながら知らない。

演劇が力を持つとすれば、日常の閉鎖性、牢獄的感覚を抱いている人に向けての場合である。「デンマークは牢獄だ」ではないが、「どこにも行けない日常」に倦み飽きている人々には、演劇の非日常性は「救済」である。私自身、詳しくは語らないが19歳の時にそれを強く感じる出来事があった。
日常と非日常が連続したものであるとして、ではその境目にあるものが重要なのかどうかについては、あるいは「YES」であり時には「NO」である。このことについては後で語る。

シンポジウムのタイトルが「民間劇場の公共性」であるため、まず出演者全員が「劇場もしくは演劇の公共性」についての意見を述べる。そもそも「公共性」とは何かという話からは入らないといけないが、「あまねく、全ての人のために」と定義すると、演劇は公共性から遠いものである。特に小演劇はキャパも小さく、そもそも万人向けにやりたいと思っていたら演じ手側からも小劇場は選ばれない。そして万人向けを狙えば間違いなく演劇の質は低下する。

神戸のArtTheater db(ダンスボックス)のディレクターである大谷懊がダンスボックスのある長田区について、「在日の方が多く、雑多である」ために劇場が受け入れられやすい場所であることを述べる。Theatre E9が出来る予定の東九条は戦後すぐにバラックが並び、京都0番地と呼ばれた場所であり、その後、京都市内のインフラ建設のための朝鮮半島出身の労働者が移り住み、コリアンタウンとなっている。そのために再開発の対象から外れ続け、京都市内でも飛び抜けて治安悪い場所となっている。そうした場所に観客を呼び込める勝算があるのかどうかというと微妙と言わざるを得ない。演劇人や演劇好きは来るだろうが、それではアトリエ劇研の時と何も変わらないか、むしろ悪くなる。日本は少子高齢化に入っているということもあって、演劇好き以外の人にも劇場に来て貰わないと発展は望めない。自閉的であっても鎖国的であってもなんとかなるということは昔からもなかったが今後はもっと通用しにくくなる。

ただ、多くの人を呼ぶという意味では公共性は勿論必要だが、それらは主題であってはならないとも思う。表現が社会におもねるようになったら終わりだ。我々は演劇が日常と地続きであることを求めない。公共性はあってしかるべきなのは通奏低音としてだと思う。

関西の劇場の現状について、毎日新聞大阪本社学芸編集部で演劇欄を担当した畑律江から報告がある。やはり阪神・アワジ淡路大震災の発生をきっかけに大きく変わっていったそうである。公立の劇場が多い関東に比べて、関西では私営の劇場が力を持っており、大阪ガスのOMS(扇町ミュージアムスクエア)や近鉄小劇場などでの演劇が盛んだったが、震災を機に本社を東京に移転する企業が増え、関西の企業のパワーも衰退して小劇場が次々閉鎖されていった。その後、なんばに精華小劇場が生まれ、大阪城ホールの倉庫がウルトラマーケットという劇場になって、大いに期待したそうだが、いずれの劇場も今は存在しない。
公立の劇場に関してであるが、演劇欄を担当した当初は、「基盤がしっかりしているので公立の劇場の方がいい」と思ったそうだが、職員が公務員であるケースが多いため、発案がなされても当の本人が異同のため数年でどこかに行ってしまうため軸のしっかりしたプロジェクトが生まれないという難点があることも語られる。そういう意味では、志やビジョンのしっかりした私営の劇場の方がまだ期待は出来るそうである。

そして劇場を運営されるための補助金の話になる。補助金を申請する際には、まず公共性が問われるそうだが、この公共性がやはり厄介だそうである。「そのことに税金を使うだけの理由」が問われるのだが、税金を使う理由を突き詰めていくとどうしても「上の人が望むもの」と作る必要が出てくる。果たしてそれが演劇にとって良いことなのか。
是枝裕和監督の映画「万引き家族」がカンヌでグランプリ(パルムドール賞)を取り、話題になったが、「助成金を受け取っていながら日本を貶める話を作った」という、「今、何時代?」と首をかしげたくなるような批判が起こった。公的な金を使うなら日本賛美の作品を撮るべきだということなのだろうが、こうなると完全にナチスとレニ・リーフェンシュタールの関係になってしまい、表現者の自殺を意味することになる。

日本センチュリー交響楽団のコミュニティ/教育プログラム担当マネージャーであり、豊中市立文化芸術センターのプロデューサーでもある柿塚拓真は、クラシックの音楽を演奏することにどう公共性があるのかを問われた場合、単に演奏を行うことを評価するのではなく、演奏をブラッシュアップすることで公共性が高まるという趣旨の発言をする。
「公共性」の中でも、どれだけ良い影響が与えられたのかについての「波及性」が問題になるそうだが、演奏の質が高まれば波及性が増すのはこれまでの例から見て確実であるように思われる。
演劇に関しても、上演を行うことにどう公共性があるのかというよりも、上演を続けることで公共性を生んでいくという考えを提示した方がいいようにも思う。

演劇制作者の若旦那家康は、演芸祭を行う際に、「補助金が取れそうな団体」と「面白いけど、どう考えても補助金は出ない団体」を混ぜて上演を行うことにしているそうである。
分かりやすい演劇をやる団体には補助金は出やすいが、果たしてそれで演劇文化は発達するのかというとそうでもないように思う。一般市民から遠い内容の表現を行う人々を遠ざけてしまった場合、観客の人生の幅もまた狭まり、社会は窮屈になる。「日常」と繋がるものはわかりやすいが、安易に受け取ることの出来るものはその程度でしかないものでもある。
「日常」と「非日常」を考えた場合、その隣接点を攻めるのが第一だと人は思いがちである。互いの最前線での攻防に力を注ぐ人も多いのだろうが、実は日常から最も遠い濃密な非日常によってこそあっさりと塗り変わっていくものである。あたかもオセロのように黒だったものが白へ、白だったものが黒へと。
「異質さこそが実は最強である」。異質さが公共を「作っていく」

街と劇場の関係に関して書くなら、「街があって劇場がある」のは理想的であるが、「劇場が街を創る」になると更に素敵である。今のところ絵に描いた餅でしかないが、文化が公共性を創造出来るなら、劇場には最大級の存在価値が与えられるようになるだろう。


京都ではホームグラウンド的な映画館は持っていないが、東京に通っていた頃は、テアトル新宿や渋谷のル・シネマといったお気に入りの映画館があり、よく通っていた。「そこに行けば面白い映画がやっている」もしくは「面白くないかも知れないけれど、たまにはこういう映画もいい」と思わせてくれる映画館中心の日常があった。
同じように「劇場が中心にあること」が誇りになり、あるいは「劇場があることが日常に変わるような」街が設計出来たなら、これに勝ることはない。今はまだ全ては夢だが。

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2018年7月15日 (日)

アニメ「フランダースの犬」オープニングタイトル

舞台はベルギー・フランドル(フランダース)地方。ウィーダ(イギリス人)の原作。

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2018年7月13日 (金)

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川 カルチャートーク Creators@kamogawa 「新しい楽器の誕生」&「ドキュメンタリー演劇の力」

2018年7月7日 京都・荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ・鴨川にて

荒神橋の近くにあるゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で、カルチャートーク Creators@kamogawaという催しがあるので出掛けてみる。午後3時開演で、第1部が「新しい楽器の誕生」、第2部が「ドキュメンタリー演劇の力」

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川は日本に三つあるゲーテ・インスティトゥートの一つ(京都、東京、大阪というかつての三都にある)。以前は、京都ドイツ文化センターという名称であった。今から13年ほど前、朗読劇である「ラブ・レターズ」をやろうとしていた時に、劇場以外の良いホールを探していたのだが、京都ドイツ文化センターのホールは内装が木目でイメージが良かった(特別に見せて貰った)。ただ残念ながら貸し出しはしていなかった。90年代にNHK-BS2(今のBSプレミアム)で早朝に放送されていたクラシック音楽番組で、演奏本編に入る前に花組芝居の加納幸和が洋館で朗読を行っていたのだが、そのイメージに最も近い場所である。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川になってから行くのは初めてである。

ゲーテ・インスティトゥートに入ろうとした時に見覚えのある男性が視野に入る。作曲家の三輪眞弘氏である。三輪さんは第1部に出演するのである。ということで同時に館内に入ることになった。

ホールはまだ開いていなかったので、館内にあるカフェ・ミュラーに入り、今では歌われることのないドイツ国歌第2番に出てくるドイツのワイン(ただしアルコール抜き。つまりただの赤葡萄ジュース)を飲む。私の席の隣に音楽関係者らしい男性とドイツ人の女性が座っていたのだが、そこに見覚えのある女性が近寄って挨拶をし始める。アンサンブル九条山のメンバーでもあるソプラノ歌手の太田真紀さんであった。


第1部「新しい楽器の誕生」。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川に滞在している作曲家のジモン・ルンメルと三輪眞弘の対話。司会は小崎哲哉(おざき・てつや)。

ジモン・ルンメルは1978年生まれ。ケルンでピアノと作曲を学び、デュッセルドルフで美術を専攻する。自作の楽器のための作曲をしている他、生活のためにオルガン奏者やアマチュアコーラスの指揮者、劇伴の作曲などもしているという。ケルンではジャズピアノを専攻し、作曲は聴講という形で授業を受けたそうだ。

三輪眞弘は1958年生まれ。ベルリン国立芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、デュッセルドルフのロベルト・シューマン大学でも学ぶ。入野賞、芥川作曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞、ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクールで1位を獲得している。コンピューターを使った作曲を手掛ける他、独自の物語を持つ逆シミュレーション音楽の提唱者としても知られる。現在は岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の学長も務めている。

まず、ジモン・ルンメルが作成している新しい楽器の写真がスクリーンに投影される。片側の耳に掛けるタイプのイヤホンと繋がる小型の機械が椅子の上に置かれていて、それを通して同時通訳を聞くことが出来る。

まず上半身裸で紫の塗料を体に塗った男性ダンサーが手前にいて、その背後でルンメルが自転車に跨がり、その更に後ろに管のようなものが何本が飛び出ているという不思議な写真がスクリーンに映る。ダンサーの体に糸がついていて、糸の伸縮により音階が決まり、ルンメルが漕ぐ自転車の動力で音が出るという楽器らしい。
その後、女性の美術家とコラボレートした楽器の写真が映される。球体やその他のオブジェにピアノの弦が繋がれ、外枠と結ばれている。このオブジェは手動で一回転するそうで、その時に音楽が奏でられるらしい。ちなみにルンメルは7月14日にこのゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川のホールでコンサートを行うのだが、その宣伝写真に使われているのは、電源のようなものが貼られたジュースの紙パックから伸びる紙パックをくわえているルンメルの写真で、これも新しい笙のような楽器らしい。

司会の小崎が、「私が知っている楽器は三種類しかない。オーケストラで使われる西洋の楽器、高校生の頃に組んでいたバンドで使った電子楽器、そして三味線や尺八などの邦楽器」と言い、そのどれでもない楽器を作ろうとした意図をルンメルに聞く。ルンメルは美術を専攻したことで現代美術家との協働作業が増え、それが新しい楽器の興味へと向いたようである。新しい楽器は出来るしこれからも生まれるという考え方のようだ。
小崎や三輪は、ルンメルが比較的チープな素材(出町柳駅からゲーテ・インスティトゥートに向かう途中にあるケーヨーD2で買えるようなもの)で楽器を作っていることに注目して、「お金をいくらでも掛けられるとしたら豪華な楽器を作ろうと思うか」と聞き、ルンメルは「お金の問題ではないと思います」と否定する。

一方、三輪眞弘は、新しい楽器というものを信用していないそうで、IAMASの学生が「新しい楽器を作りました」と冗談で言ってくることもあるそうだが、そこはあくまでマテリアルも問題で、新しい楽器よりも世界中の民族楽器など、日本では余り用いられない楽器を使った方が音楽が豊かになるのではないかと考えているようである。三輪自身もビニールパイプに穴を開けて音階が出るようにしたり、カスタネットに工夫を凝らしたものを鳴らしたりはしているが、新しい楽器とは捉えていないようである。

三輪の逆シミュレーション音楽の解説。「またりさま」が取り上げられ、架空の信仰対象「またりさま」というものを創造し、それにまつわる過去からのエピソードが加わっているということが語られる。現実の別体験ではんく、別体験のようなものに肉付けしていくというものである。「またりさま」はコンピューターでプログラミングされたものが鈴などを鳴らし、音にしていくという音楽でもある。三輪の作品はコンピューターで作曲はするが、コンピューター音は出さず、演奏は実在する楽器で行われるという特徴がある。

ルンメルは数学者に分析をお願いして楽器を作ったことがあったり、3Dプリンターを使って楽器を作ったことがあるそうだが、アナログな楽器を作成しており、コンピューターや計算機などは手段に過ぎないと考えているようだが、三輪は「今の世界ではコンピューターは道具を超えたもの」であり「我々は機械世界の中にいる」と認識していて、「人間と機械の間の関わり方の変化」が起こったのだという考えを述べる。

ルンメルは、今後しばらくは新しい楽器を作るよりも作曲に時間を使いたいと思っているそうだ。14日に自らが演奏して発表される笙をモチーフにした微分音ハーモニカが現時点では最後の「新しい楽器」ということになる。

20世紀後半、ドイツはクラフトワーク、日本はYMOと喜多郎という電子音楽のアイコン的存在を生んだ。ただ音楽や新楽器の捉え方に関しては日独で少し差があるようにも思う。


休憩を挟まずに第2部「ドキュメンタリー演劇の力」が始まる。登壇者は演出家のハンス=ヴェルナー・クレージンガーと高山明。当初は女流映画監督で作家のレギーネ・ドゥーラも参加する予定だったのだが、大怪我をして入院中だそうで、「参加出来ないのがとても残念」というメッセージが読み上げられた。司会は引き続き小崎哲哉が受け持つ。
ハンス=ヴェルナー・クレージンガーは1962年生まれ。ギーセンで演劇を学び、ロバート・ウィルソンの演出助手やドラマトゥルクを務める。1993年からブレヒトが創設したベルリーナー・アンサンブルなどでの演出活動を開始している。
高山明は1969年生まれ。2002年にPortB(ポルト・ビー)を結成し、既存の演劇の枠組みを超えた活動を行っている。2016年より東京藝術大学大学院映像研究科准教授を務める。


クレージンガーは、「20世紀の暴力の歴史」に取材し、ドキュメンタリー演劇として発表を続けている。取材対象には様々なテロリズム、ドイツ赤軍派やルワンダでの虐殺、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などがあるそうだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こったときに、NATO軍が介入することを決めたのだが、その際、政治家がその正当性や根拠などを説明してたり、NATTO軍の兵士にボスニアでの振る舞い方などが説かれていたそうだが、それがクレージンガーの目には「とても演劇的」と映ったそうである。そこは「摩擦する場所」だった。
ただドキュメンタリー演劇だから全てが本当のことというわけではなく、解釈の仕方、切り取り方によってフィクションが加わるそうで、ドキュメンタリー=事実というわけではないことに注意して欲しいとも述べた。

高山明は、自身が創造しているものがドキュメンタリー演劇ではないと考えているそうである。はとバスでのツアーを演劇上演として行ったこともあるが、最近ではドイツにおける難民を巡るマクドナルド放送大学という活動を行っているそうである。ドイツのマクドナルドに行くと客はほとんどが難民、店員にも難民出身の人が多いそうである。ドイツでは難民向けの教育が充実しているそうで、ドイツ語を始め、人文科学、社会科学、理数学、スポーツ学に至るまで学ぶことが出来るそうだが、高山自身が難民向けの教育を行おうと考えた際、「マクドナルドには難民がいるし、そこで行えばいいのではないか」と思いついたそうである。実は日本でも24時間営業のマクドナルドに行くと、若い人が沢山いてほぼ満員だそうである。彼らの正体は住む家のない日雇い労働者で、隠れた難民的存在であるようだ。東京では家を追い出された女子高生達がマクドナルドに集い、売春の拠点としていたという事例もあったそうである。実は高山も右翼に追われて家に帰れないという状況が2ヶ月ほど続いたことがあったそうで、その間、マクドナルドを天天としており、そこでそうした事実を知ったのだという。
フランクフルトのマクドナルドで、マクドナルド放送大学は立ち上がったのだが、教員も難民である。ただ、正規の教授職にいた人は一人だけ。他にもマラソン選手として活躍するも紛争で足に怪我を負った人がスポーツの素晴らしさを語る講義などを行ったそうである。ただ、ドイツでは教養のある層はマクドナルドには行かないそうで、マクドナルドのイメージが非常に悪い。マクドナルドは多国籍企業で資本主義の牙城、むしろ難民を生み出す側で、そんなところで難民向けの講義を行うのは趣味が悪いと、高山もドイツ人の友人に言われたそうである。

クレージンガーも、「演劇を観るような人はマクドナルドには行かない。またマクドナルドにいるような人は演劇は観ない」というドイツの社会地位的分断を語る。

高山は、トゥキュディデスの「戦史」やアイスキュロスの「嘆願する女達」の話をして、「嘆願する女達」はおそらく世界初の難民を扱ったテキストだと紹介する。そして「嘆願する女達」を難民達に読ませることで、一種の「迂回路」のようなものが生まれると語る。

クレージンガーが、PTSDを煩う兵士達に接したときの話をする。彼らにホメロスを読ませようとしたのだが、「俺たちには難しい話はわからない」と最初のうちは拒絶されていた。だが、美しい文章を通すことで、兵士達は自己を相対化することが出来るようになり、現実とは違った物事への向き合い方で出来るようになっていったという。これもまた一週の「迂回路」だと述べる。
「迂回路」は一見、遠回りのようであるが、有効な手段ともいえるだろう。

高山は、難民のいるバルカンルート全てのマクドナルドでマクドナルド放送大学を開こうというプロジェクト構想を持っており、バルカンルートを「知の道」にしたいという希望を語った。

クレージンガーは劇場を物事と正面から向き合える、集中出来る場所だと語り、そのことが演劇を観ること夫重要性だと語る。曰く「観客は能動的な解釈者であるべきだ」
高山はテアトロンが元々は「客席」という意味であったことを述べ、自らも客席にいて感動したことが演劇に入る契機だったことから「観客から(演劇を)始めた」として劇を観ることの意義を語った。
クレージンガーは、フォークナーの「歴史は死んでいるわけではない」という言葉を挙げ、「迂回路」である痕跡も舞台に取り上げることの重要性に触れた。
クレージンガーは、昨夜はサッカーワールドカップをテレビで見ようとしていたそうだが、結局、別の放送を見ることになったと語る。オウム真理教事件で7人の死刑囚の刑が執行されたというニュースである。クレージンガーは、「あれ(地下鉄サリン事件)もテロだと思う」と述べ、テロは痕跡を残すから、それに集中して向き合う必要がある、それには演劇は有効と説いた。

小崎哲哉が、日本にも赤軍派はいて、昔は大いに話題になったが今は影も形もない。難民も日本は年に20人程度しか受け入れていないから存在が可視化出来ないというようなことを語り、見えないことにも向き合う必要があるとして纏めた。

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2018年7月12日 (木)

コンサートの記(402) 飯守泰次郎指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第206回定期演奏会 大澤壽人 交響曲第2番 復活初演

2008年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第206回定期演奏会に接する。指揮は、常任指揮者の飯守泰次郎。

曲目は、シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”、世界最高峰のヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイを迎えての、ショーソンの「詩曲」とラヴェルの「ツィガーヌ」、神戸生まれの大澤壽人(おおざわ ひさと)の交響曲第2番。

ピアノがソロを奏でる演目はないはずだが、ステージ上にはピアノ協奏曲を奏でる位置にピアノが置かれている。
午後5時40分頃に、例によって関西フィル理事の西濱秀樹さんが登場し、プレトークが始まる。ステージ上に置かれたピアノは、指揮者の飯守泰次郎がピアノを弾きながら大澤壽人の交響曲第2番の解説を行うためのものであることがわかる。飯守は、各楽章のさわりを弾きながら大澤の意図、作曲の時代背景などについて語った。
ピアノはセリを使ってはけさせられた。

バイロイトで音楽助手を務め、バイロイト音楽祭の総監督ヴォルフガング・ワーグナーから「本当のカペルマイスター」と賞賛された飯守泰次郎。評価も高いが、この人、どういうわけか知名度が今一つである。ギクシャクとした独特の動きと唸り声を上げながらの指揮が特徴。

シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”。
飯守の奏でる音楽を聴いていると、譜面を設計図に、オーケストラ団員の出す音を材料にして指揮棒という金槌で音楽という建物をトントンと建てている職人の姿が浮かぶ。まさに職人芸といった感じだ。
だが、飯守より若くて知名度のある指揮者には、その指揮者自身の力の限界を超えた地点まで音楽が達する瞬間がままあるのだが、飯守にはそうしたものは一切求められない。手堅くて良い指揮者だが、人気が上がらないのはそこに理由があるのだろうか。
とはいえ、飯守の指揮するシャブリエは優雅で洒落っ気がある。

オーギュスタン・デュメイを迎えての2曲。大男のデュメイだが、数年ぶりに見る彼は少し太ったようである。
デュメイは関西フィルの首席客演指揮者に就任し、お披露目となった先日の神戸での演奏会は大好評だったという。
デュメイのヴァイオリンは音に厚みがあり、ヴァイオリン一挺で、オーケストラに匹敵するほどのスケールを誇る。というと物理的には大袈裟だが、感覚的には決して大袈裟ではない。今日も至芸を聴かせてくれたが、普通のヴァイオリニストならともかく、デュメイとしてはこの程度の出来は日常的なレベルのものだったように思う。感心させられるがそこ止まりであった。並のヴァイオリニストなら今日のような演奏でも上出来なのだけれど。

大澤壽人は、1907年生まれ(自己申告によるもの。戸籍上は1906年生まれだという)。神戸の生まれ育ちで、関西学院に学び、ボストンに留学してボストン交響楽団を指揮して自作を演奏し、大成功(大澤はボストン交響楽団を指揮した初めての日本人である。なおボストン交響楽団初の日本人音楽監督となったのは大澤ではなく小澤>征爾だが、偶然とはいえ面白い)。その後、パリに渡って、当時の最先端の音楽を吸収。交響曲第2番はパリで初演され、絶賛を浴びた。大澤は凱旋帰国した際に交響曲第2番を演奏したが、当時の日本は音楽の後進国中の後進国、というわけで、大澤の音楽を理解できた聴衆はほとんど一人もいないという有様だったという。それでもヨーロッパに帰れば味方は沢山いると考えた大澤だが、折悪しく、第二次世界大戦が勃発。日本に留まらざるを得ない状態になった。その後、大澤は当時の日本人のレベルに合わせた作品を書いて発表したが、それでも理解は得られなかった。生活のために放送用の音楽を書いたり、映画音楽を作曲したりするが、1953年に過労が元で46歳で早世。本格的なクラシック音楽の分野からは遠ざかっていたため、その後長く忘れ去られた存在となっていた。
そんな大澤に光を当てたのは、今日の関西フィルのプログラムも執筆している片山杜秀氏で、氏が監修を務めたNAXOSレーベルの「日本作曲家選輯」に大澤壽人の作品を抜擢。このCDを通して大澤壽人の名は再び知られるようになった。

大澤の交響曲第2番が、戦後、プロオーケストラによって演奏されるのは今日が初めてで(日本人作曲家の作品を演奏するために結成されたアマチュアオーケストラであるオーケストラ・ニッポニカが先に演奏してはいる)、事実上の復活初演となる。

洗練を極めた音楽であり、大澤の生前に注目を浴びていたフランス六人組の作品集に大澤作品が混じっていたとしても気がつかないほどである。
大澤の交響曲第2番のCDは、ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏がNAXOSの「日本作曲家選輯」から出ており、私も聴いて感銘を受けたが、生で聴くとまた違った印象を受ける。
大澤の生前の聴衆と違い、私などが大澤作品を聴いても何とか着いていけるのは、大澤に影響を与えたラヴェルやフランス六人組や、より現代的な音楽も聴いているからだが、それでも十全に理解できたかというとそうでもない。十全な理解などどんな作品であっても不可能なのかも知れないが。
極度に洗練され、フランス音楽やジャズなど様々な音楽のイディオムが詰め込まれているが、時折、日本の民謡や田植え歌に似た旋律が入るのが、日本人作曲家としての個性と誇りを感じさせる。
関西フィルも、音にもっとパンチ力が欲しかったが、音は美しく、埋もれていた名作を見事復活させることに成功していたように思う。

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菅原洋一 「知りたくないの」

訳詞:なかにし礼

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2018年7月11日 (水)

コンサートの記(401) オリバー・ナッセン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第442回定期演奏会

2010年10月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の442回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は作曲家としても著名なオリバー・ナッセン。

曲目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、バルトークにピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ピーター・ゼルキン)、ナッセンの自作自演となる交響曲第3番とドビュッシーの交響詩「海」。
現代音楽がプログラムに入っているためか、空席が目立つ。特に1階席の前の方はガラガラだった。
ナッセンは極端に太っており、歩くのが難儀そうだった。
今日は普段と違い、アメリカ式の現代配置による演奏である。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ナッセンは細部まで目を配り、隅々まで良く彫刻された瑞々しい音を大フィルから引き出す。

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ピーター・ゼルキンは譜面と譜めくり人をおいての演奏である。ゼルキンのテクニックは一流だが超一流というほどではない。しかし、クッキリとした音で、味わい深い音を奏でる。ナッセン指揮の大フィルも好演である。

ナッセンの交響曲第3番。指揮台の前に、チェレスタとハープ、ギター奏者が並ぶという独特の配置。神秘的な雰囲気で始まり、途中で巨大な音の塊と化した後で、再び神秘的で静かな音楽に戻っていく。

ドビュッシーの「海」。やはり細部まで配慮の行き届いた演奏であった。弦も管も洗練され、テンポも中庸で聴きやすい。

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2018年7月 5日 (木)

コンサートの記(400) 京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサート

2018年6月24日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサートを聴く。

タンブッコ・パーカッション・アンサンブルは、1993年に結成されたメキシコの打楽器アンサンブル。アメリカのグラミー賞に4度ノミネートされるなど評価が高い。日本では2011年に国際文化交流基金賞を受賞しており、「題名のない音楽会」にも出演経験がある。

芸術監督のリカルド・ガヤルドが英語でのトークを行いながら演奏を進めていく。メンバーはリカルドと、アルフレッド・ブリンガス、ミゲル・ゴンザレス、ラウル・トゥドンの4人。

曲目は、グリフィンの「過去の化学作用の持続」、パーカーの「石の歌、石の踊り」、ラウル・トゥドンの「風のリズム構造」、ライヒの「マレット・クァルテット」、インファンソンの「エマトフォニア(あざのできる音楽)」、ブリンガスの「バランコ」
タイトルからわかる通り、現代音楽を中心とした演目である。

現代音楽といっても難解なものは少なく、ポップで心地よい作品が並ぶ。グリフィンの「過去の化学作用の持続」やライヒの「マレット・クァルテット」などは洗練されており、今日は演奏されなかったがグラハム・フィットキンなどが好きな人にも薦められる。

パーカーの「石の歌、石の踊り」は二つの石を打ち合わせたり、擦ったりして音を出す音楽。芸術監督のリカルド・ガヤルドが石を叩いて、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の冒頭を奏でたり、「石(ロック)を使ったから、これはロックコンサートだよ」と冗談を言うなど、ユーモアのセンスにも富んでいる。

メンバーの一人であるラウル・トゥドンの「風のリズム構造」には、先週、タンブッコ・パーカッション・アンサンブルのメンバーがワークショップを行った京都市立錦林小学校の児童が参加。録音された音楽が流れる中、様々な打楽器が空間を埋めるように打ち鳴らされる。偶然性の高い音楽であり、同じ演奏は二度と出来ないということで瞬間瞬間が貴重となる。

ライヒの「マレット・クァルテット」が演奏される前に、リカルドはマリンバでiPhoneの着信音を奏で、グロッケンシュピールでは新幹線の「間もなく」の時に流れるチャイムを再現する。

インファンソンはメキシコのジャズの作曲家だそうだが、彼が書いた「エマトフォニア(あざのできる音楽)」は、ボディーパーカッションによる音楽。体を叩くので、思わぬ所に痣が出来ることがあるという。各メンバーがソロを取るが、ラウル・トゥドンは頬を叩いて音を出し続けたため、顔が真っ赤になる。この曲では、聴衆も出演者に促されて手拍子をしたりタンギングを行ったりした。

ブリンガスの「バランコ」は、フラメンコなどで用いられるカホンをフィーチャーした作品。今日は東福寺の塔頭内にある遼天Cajon工房で作られたカホンを4人が用いるということで、遼天Cajon工房の石原守宏住職も客席に来ており、リカルドに紹介された立ち上がった。
この曲ではリカルド・ガヤルドが、「パーカッションではないんだけど」と前置きした上で導入部と中間部でギターを演奏していた。

アンコールとしてまず2台のマリンバでメキシコ民謡「泣き女」が演奏され、ラストにはライヒの「木片のための音楽」が演奏される。「泣き女」はメロディアス、「木片のための音楽」はノリノリで、客席も大いに盛り上がった。


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2018年7月 3日 (火)

サッカー日本代表へのオード

緑の波の上のサファイアとルビー
ルビーの方が大きいが、サファイアも煌めきでは負けない

こんなにも美しい負けは滅多になく
敗北がこんなにも胸を打つことも稀だ

二つの宝石の輝きは、永遠の我らの胸に刻まれることだろう
その一つが我々の国であることは
どれだけ誇っても過ぎたることにはなるまい

今月の誕生石を今は讃えよう
我々の宝石の季節は
まだ先だ

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「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”

サッカー日本代表とベルギー代表を讃えて

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2018年7月 2日 (月)

チャイコフスキー作曲 祝典序曲「1812年」

秋山和慶指揮洗足学園大学オーケストラによる演奏。

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2018年7月 1日 (日)

コンサートの記(399) 非破壊検査 Presents コルネリウス・マイスター指揮読売日本交響楽団第20回大阪定期演奏会

2018年6月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで読売日本交響楽団の第20回大阪定期演奏会を聴く。今日の指揮者は読響首席客演指揮者のコルネリウス・マイスター。マーラーの交響曲第2番「復活」1曲勝負である。

コルネリウス・マイスターは、1980年、ドイツ・ハノーファー生まれの若手指揮者。ハノーファー音楽演劇大学でピアノと指揮を学び、21歳でハンブルク国立歌劇場にデビュー。2005年には24歳の若さでハイデルベルク市立歌劇場の音楽総監督に就任し、2012年まで務める。2010年からはウィーン放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督の座にある。2014年に読響と初共演。今年9月からはシルヴァン・カンブルランの後任としてシュトゥットガルト市立歌劇場の音楽総監督に就任する予定である。

以前はザ・シンフォニーホールで大阪定期演奏会を行っていた読売日本交響楽団だが、よりキャパの大きなフェスティバルホールに会場を移している。来年の3月でシルヴァン・カンブルランが常任指揮者を退任することになり、次期常任指揮者にセバスティアン・ヴァイグレの就任が決まった読響。今年の4月に新練習場が神奈川県川崎市内に完成し、前練習場閉鎖以来の稽古場ジプシー状態が終わりを告げ、より充実した演奏活動が期待される。

今日のコンサートマスターは、長原幸太。ソプラノ独唱:ニコール・カベル、メゾ・ソプラノ独唱:アン・ハレンベリ。合唱は新国立劇場合唱団。

近年、セレモニアルな機会に演奏されることが増えたマーラーの交響曲第2番「復活」。大阪では大植英次が、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任時(ザ・シンフォニーホール)と現在のフェスティバルホールこけら落とし演奏で同曲を取り上げており(いずれも接していない)、東京ではパーヴォ・ヤルヴィがNHK交響楽団首席指揮者記念として渋谷のNHKホールで演奏している。ただ、大編成による複雑な交響曲であるため、しょっちゅう聴けるというわけではない。

今日は1階席最後列で聴く。1階席は前の方でしか聴いたことがないが、直接音が飛んでこないという印象を受けた。今日も2階席が頭上にせり出しているため、残響を感じにくい。オペラをやると響きすぎて壁がビリビリいうフェスティバルホールだが、今日も合唱が壁を振るわせ、軋むような音が混じる。

コルネリアス・マイスターであるが、北部ドイツの出身らしい端正な音楽を作る。パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の演奏では、パーヴォはオーケストラの威力を前面に出していたが、マイスターは音楽のフォルムを重視。だがそのため却ってマーラーの音楽の異質さがダイレクトに伝わってくるような印象を受ける。

マーラーの交響曲第2番「復活」は、交響詩「葬礼」を基とする第1楽章と第2楽章以降では性格が異なるとして、マーラー自身が第1楽章終了後に「最低5分の休憩」を挟むようスコアに書き込んでいるのだが、実演ではほとんど採用されていない。今日も少し間を開けだだけであった。

これまで、空間の広いフェスティバルホールを鳴らせていないように感じた読売日本交響楽団だが、今日は大編成による演奏ということで、納得のいく音響を作り出していたように思う。独唱、合唱ともに整っており、美しいマーラーが築かれていた。鳴らせたという点で、これまで接した読響大阪定期の中でも最上の部類に入ると思う。



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2018年6月30日 (土)

コンサートの記(398) 来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル

2018年6月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時からザ・シンフォニーホールで、来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルのコンサートを聴く。

個性派ピアニストのエリック・ハイドシェック。1936年、フランス・シャンパーニュ地方のランスの生まれ。フランスを代表するシャンパンメーカーであるシャルル・エドシークの御曹司である。苗字のHEIDSIECKはフランス語ではエドシークに近い発音となるが、先祖がドイツ系ということでドイツ風のハイトジークを名乗る(日本ではハイドシェック表記が一般的である)。
フランスを代表するピアニストであり教育者としても名高いアルフレッド・コルトーの高弟の一人。6歳から本格的な音楽教育を受け、9歳でリサイタルデビュー。パリ高等音楽院に入学して2年後に首席で卒業。エコール・ノルマルではコルトーに師事している。その後、イタリアでヴィルヘルム・ケンプにも師事した。
1950年代後半にモーツァルトのスペシャリストとしてEMIからデビュー。その後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、フォーレの夜想曲全集を録音している。ベートーヴェンとフォーレはその後、廉価盤CDとして再発された際に私も聴いているが、かなり充実した演奏であった。
1980年代は主にリヨン国立高等音楽院のピアノ科教授として過ごすが、音楽評論家の宇野功芳と宇和島在住の公務員にしてミステリー作家の宇神幸男の後押しで行われた宇和島での演奏会(なんか「宇」ばかり出てくるな)が評判となり、ライブCDがテイチクから発売されてベストセラーとなった。ベートーヴェンの三大ソナタ(「悲愴」、「月光」、「熱情」)を収めたCDは私も聴いたが、とにかく個性的な演奏であった。あたかも19世紀のピアニストが突然バブル期の日本に降り立ったかのような趣があった。その後、ハイドシェックは日本ビクターと契約し、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集や協奏曲集をリリースしている。1998年にリヨン国立高等音楽院での教職を辞し、コンサートと録音中心の活動を行うようになった。近年では作曲家としても活動している。

日本クラシック音楽界の名物評論家として名を馳せた宇野功芳のバックアップを受けたのだが、宇野功芳という人は歯に衣着せない人で、名演奏家でも不出来と見做すや一刀両断にするためアンチも多く、日本におけるハイドシェックの評価にも毀誉褒貶合わせて相当な影響を与えている。


曲目は、オール・モーツァルト・プログラムであるが、前半がピアノ協奏曲第14番第2楽章、ピアノ協奏曲第16番第2楽章、交響曲第29番第2楽章、後半が交響曲第41番「ジュピター」第2楽章、ピアノ協奏曲第21番「みじかくも美しく燃え」第2楽章という、第2楽章ばかりが並んだかなり珍しいものである。ここにもハイドシェックの独特のセンスが表れている。


伴奏は、田部井剛(たべい・つよし)指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル。
田部井剛は、早稲田大学商学部を卒業後、東京音楽大学指揮研究生修了(広上淳一に師事)、更に東京芸術大学指揮科を卒業している。芸大在学中の1999年に日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会でハイドシェックと初共演し、ハイドシェックから「ヤング・トスカニーニ」との賛辞を得たという経歴を持つ。その後、ハイドシェックとたびたび共演している。

ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルは、その名の通り、ザ・シンフォニーホールでの演奏を念頭において結成された団体である。関西のプロオーケストラ4団体のメンバーで構成されている弦楽アンサンブルであるが、今日は管楽器奏者も計7名参加している。
今日のコンサートミストレスは、日本センチュリー交響楽団のコンサートミストレスである松浦奈々。弦楽器はセンチュリー響のメンバー10名と関西フィルハーモニー管弦楽団の団員2名からなる。管楽器の参加は、フルートの杉山佳代子、オーボエの中根庸介と高橋幸子(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)、ファゴットの首藤元(京都市交響楽団)と日比野希美(大阪フィルハーモニー交響楽団)、ホルンの水無瀬一成(日本センチュリー交響楽団)と中川直子(関西フィルハーモニー管弦楽団)。


このハイドシェックはかなりボヘミアンなピアニストで、コンサートホールでの演奏なのにプライベートなサロンにいるかのように振る舞う。良家のボンボンであり、ピアノを弾いていれば幸せというタイプでもあったのだろう。ソロリサイタルならともかくとして共演するにはかなり難しい性格のようである。


ハイドシェックは登場すると、まずテキストを手に英語でのスピーチを行う。よくは分からなかったが、「インメモリアム」という言葉が聞き取れたため、大阪北部地震の犠牲者のための演奏を行うことがわかる。演奏されたピアノ曲はメシアンを甘口にしたような作風である。休憩時間に分かったが、ハイドシェックの自作曲で前奏曲「愛の痛みを愛せよ」というものであった。ハイドシェックは途中で間違えて止まってしまい、「Sorry!」と頭を抱えて続きから弾き直す。


さて、モーツァルトのピアノ協奏曲であるが全て第2楽章ということで、緩徐楽章の演奏となる。基本的には技術よりもリリシズムが重視される。
田部井とザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルが演奏を開始するが、ピアノのパートになるとハイドシェックは伴奏を無視するかのような独自のテンポで弾き始めてしまう。遅い上に歌い崩すため、オーケストラでの伴奏が四苦八苦するという状態。協奏曲なのにハイドシェックは端っから合わせるつもりはないようである。
メカニックは控えめにいって上質とはいえないもので、アマチュア的なピアニズムである。師であるアルフレッド・コルトーもヴィルヘルム・ケンプも共に技術的には十分に評価された人ではなかったからか、気にしていないようにも見える。
田部井剛も自身を持ち上げてくれた人だから伴奏指揮もするが、そうでなかったら付き合い切れないかも知れない。
指揮者でもあった宇野功芳がハイドシェックを共演した際、ハイドシェックが余りに自在なテンポで演奏するため、終演後に大喧嘩になったという噂があるが、本当だったとしても頷ける。

田部井剛指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルの演奏であるが、単独で演奏した交響曲第29番と「ジュピター」の表現では管のバランスが強いという難点が確認出来る。ハイドシェックは表現主義的だが、田部井はそうではない。

ピアノ協奏曲第21番の第2楽章は、同曲が全編で用いられたスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のタイトルが無料パンフレットに書き込まれている。俗っぽくなるのでタイトルを付けない場合が多いが、ハイドシェックの演奏は音が濃く、表現もロマンティックであり、映画の音楽としても相応しいものとなっていた。
フランスの映画監督にルイ・マルという人物がいた。「死刑台のエレベーター」などで有名な人だが、この人は富豪の息子で、道楽で映画を撮っていたら世界的な映画監督になってしまったという幸運児である。ハイドシェックもルイ・マルと同類であるように思われる。上流階級出身のディレッタントタイプだ。

後半のプログラムが短いが、これにはわけがある。ハイドシェックは好きなだけアンコール演奏を行うというピアニストであるため、意図的に後半が早く終わるよう設定してあるのだ。

アンコール演奏は、ヘンデルの組曲第3番、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ドビュッシーの前奏曲第1集より「雪の上の足跡」、ドビュッシーの前奏曲第2集より「ヒースの荒野」、ドビュッシーの「子供の領分」より“小さな羊飼い”、ヘンデルの組曲第2番より前奏曲。ハイドシェックは自分で曲紹介を行い、鼻歌まじりで楽しそうに弾いていく。

ヘンデルやバッハではミスしても気にせず弾き直すというシーンがあったが、音色は高貴であり、ハイドシェックが高度のエスプリ・クルトワの持ち主であることが感じられる。
そしてドビュッシーは最上級の演奏。和音の作り方がお洒落であり、音色は濃厚かつ色彩豊か。物語性にも優れている。流石はコルトーの愛弟子と実感させられる至芸であった。

ハイドシェックは、ザ・シンフォニーホールの花道に出たり、ピアノの前を横切ったりといったユーモアを見せる。真の自由人である。
最後は指揮の田部井に話しかけて首を大きく振られるというシーンがあったが、「今日やった協奏曲のどれかをもう一度演奏しようよ」といったか、「オーケストラもアンコールしてよ」といったかのどちらかだと思われる。他の人はハイドシェックほど自由人ではない。

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