2016年12月 6日 (火)

これまでに観た映画より(83) 「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」

DVDで、アニメ映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を観る。総監督:庵野秀明。実写(声優達が登場)なども挿入した凝った造りである。

神の子・イエスを殺したことで罪を負い、「行き詰まった」人類の歴史を終わらせ、新たなる人類(ニーチェがいうところの超人であろうか)の再生に賭けるゼーレにより、人類は終焉に至ろうとする。

終焉はLCL溶液のような、集合的無意識の海へと帰って行くことであり、自我を溶解させて「居心地の良い」胎内のようなものへの回帰である。そこでは、自分と他人は融合しており、全ては溶け合っていて、他者を傷つけることも他者から傷つけられることもない。

ただ、そうした「死」にもに似た甘い心境は否定される。「真心」=「真の心」でもって、人間は現状であっても想像力を持っていれば自己を否定することなく世界を再生させることが出来る。現実は「居心地が悪い」=「気持ち悪い」ものだが、そう感じられるということもまた生きているということの証なのである。死者は「気持ち悪い」と感じることすら出来ないのであるから。

結果的に、人類は肯定されており、人生は賛美される。「生きる」勇気を奮い立たせてくれるような、優れた映画であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 3日 (土)

美術回廊(5) 「メアリー・カサット展」京都

2016年11月27日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて
 

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、「メアリー・カサット展」を観る。

メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカに生まれ、祖国とフランスで活躍した女流画家。学生時代は古典美術を描いていたが、渡仏後に印象派に作風を変え、その後、独自の画風を生み出してアメリカ画壇の先駆者となっている。
現在の米ペンシルバニア州ピッツバーグの生まれ。現在は斜陽都市として知られるピッツバーグだが当時はまだ景気が良く、父親は成功した株式仲買人、母親は銀行家の娘で、金銭的には恵まれた幼少期を過ごした。
フィラデルフィアの絵画アカデミーで絵を学んだメアリーは、プロの画家を目指すために渡仏。普仏戦争により一時帰国するも再びヨーロッパに渡り、パリでカミーユ・ピサロに師事した。その後、ドガの描いた絵に激しく惹かれ、ドガと対面。ドガの勧めもあって印象派の作品を発表するようになる。

まず「画家としての出発」という、学生時代の作品の展示から始まる。「フェルメール」という言葉が説明に用いられているが、影響は一目見ればわかる。顔を分厚く塗って立体感を持たせた油彩画であり、構図もいかにもフェルメール的である。

渡仏後には作風をガラリと変え、柔らかで淡い感触の絵が並ぶ。絵画なので当然ながら静止しているのだが、カンヴァスの向こうから光が差し込んでいるように感じられたり、描かれた対象が今にも「揺れ」そうなイメージ喚起力を持っている。
「浜辺で遊ぶ子どもたち」からは、潮騒が聞こえてきそうだ。

メアリーは観劇を好んだそうで、劇場に集う婦人達の絵画を発表している。好んで観劇をする女性は、当時、時代の先端を行く新たな女性像でもあった。女性達が家庭から自由になりつつあったのである。

印象派の画家であるため、「ジャポニズム」の影響も受けており、浮世絵にインスパイアされた「化粧台の前のデニス」など、合わせ鏡の絵を描いている。
個人的にはこの「化粧台の前のデニス」が最も気に入ったのだが、絵葉書などにはこの絵は採用されていなかった。

その後の絵画は、タッチよりも内容重視であり、何かを求める赤子の姿を通して、「新たなる生命を求める存在」を描くようになる(作品としては、「母の愛撫」、「果実をとろうとする子ども」など)。内容重視と行っても絵画の技術をなおざりにしたわけではなく、三角形を二つ合わせた構図(北条氏の家紋を思い浮かべるとわかりやすい)を用いて安定感を出している。ドライポイントで描かれた「地図」(「レッスン」とも呼ばれるそうである。二人で何かを熱心に読んでいる子供の姿である)という絵にも惹かれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 2日 (金)

不如意

我々は自分の心さえも思うようには動かすことが出来ない。考えたくないことを考え、思い出したくもないことを思い出してしまう。やる気をだそうとしても出ず、「つまらない」とわかっていることを続けてしまう。
だから人生や、他人を思うとおりにしたいというのは奢りだと心得るべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月29日 (火)

コンサートの記(261) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第472回定期演奏会

2013年9月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第471回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルの定期演奏会へは久しぶりの登場だという井上道義。ただ、井上は大フィルのマチネーコンサートは指揮しているし、またすぐに大阪フィルとバルトークの歌劇「青ひげ公の城」を演奏会形式で上演する予定があり、大フィルと疎遠だったわけではない。今年の大フィルの年末の第九も井上が指揮する予定である(その後、井上道義は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任した)。

メシアンの大作、トゥランガリラ交響曲1曲のみで勝負するというプログラムである。

フランスの現代音楽の大家、オリヴィエ・メシアンの代表作の一つであるトゥランガリラ交響曲。交響曲というが全10楽章からなり、ドイツの作曲家による交響曲とは質が異なる音楽ではある。ただ、フランス作曲家による交響曲というのは、そもそもドイツの作曲家によるものとは異なるものが多い。ベルリオーズ然り、フランク然り、ショーソン然りである。またドビュッシーの交響詩「海」は交響曲と呼んでも構わない構造をしているが、作曲家自身は交響曲と名付けず、三つの交響的素描と記している。トゥランガリラ交響曲が、交響曲であるのか、交響詩であるのか、単なる管弦楽曲であるのかと問われれば、フランクの交響曲やショーソンの交響曲同様、フランスの交響曲の特徴である循環形式を持っているため、交響曲であると応えるのが適当だと思われる。

トゥランガリラ交響曲の初演は、1949年。レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックによって行われている。バーンスタインの弟子となった小澤征爾は世界初演から10年ちょっとという時点で、NHK交響楽団を指揮してこの曲の日本初演を行っており、大反響を呼ぶも、N響の慣例を無視して若い指揮者が現代音楽をプログラムに取り上げたことがN響側の勘に障ったようで、直後の小澤・N響事件の伏線になった可能性が指摘されている。真相は今もわからない。

現在では、トゥランガリラ交響曲は現代音楽の古典的扱いであり、比較的良く演奏される現代音楽である。一時期、今はもう放送されていない「N響アワー」のオープニングの音楽としてトゥランガリラ交響曲の第5楽章が使われていた。

現代音楽の古典的扱いとはいえ、現代音楽であることには違いなく、今日の演奏会は、1階席と2階席はほぼ埋まったが、3階席には空席が目立った。日本人の現代音楽アレルギーが払拭されるにはまだ時間が掛かりそうである。ちなみに大阪フィルがトゥランガリラ交響曲を初めて演奏したのは1980年で、1983年にも演奏されているが、それから今まで20年もの間、一度もプログラムに載ることはなく、実に20年ぶりの演奏となるという。

この曲には、ピアノとオンド・マルトノの独奏者が加わるが、ピアノは児玉姉妹の妹である児玉桃が、オンド・マルトノは「オンド・マルトノといえばこの人」という存在である原田節(はらだ・たかし)が演奏する。

「トゥランガリラ」はサンスクリット語であり、「破壊と創造」、「愛」などといった複数の意味がある。

今日のオーケストラ配置は通常とは異なる。蓋を完全に開けたピアノと、オンド・マルトノが指揮者の左右に陣取り、弦はいつものドイツ風現代配置であるが、中央に寄せられており、チェロは第1列には並ばず、ヴィオラの後ろに第2列目から並ぶ。コントラバスは最後列に横一列という配置である。管楽器は木管、金管ともにステージ上手側、弦楽器の横と後ろに舞台奥から手前まで二列から三列で並び、舞台下手はピアノの背後にチェレスタ二台、その後ろはヴィブラフォンで、その他のパーカッションもステージ奥から手前までを占める。下手側壁沿いに大太鼓、シンバルなど。

井上道義は、言動はエキセントリックだが、指揮姿は極めてオーソドックスなもので、拍を刻んだり、音を出す楽器の方へ手を差し伸べたりする。今日は指揮棒を取って振り始めたが、エモーショナルな楽章ではノンタクトで、リズミカルな楽章では指揮棒を手にしてと、楽章によって指揮の仕方を分けていた。楽譜を譜面台に置いてめくりながらの指揮であったが、総譜は分厚く、この曲がいかに大曲かが実感出来る。
井上は大フィルから時に妖しげな、時に光彩陸離というのが最も相応しい音を引き出し、優れた演奏となった。スケールも大きく、パワフルである。金管に思い切り吹かせる場面もあるが、井上のバランス感覚が優れているため、決して「うるさい」とは感じない。

児玉桃のピアノも澄んだ音色が印象的で、メシアンの曲を演奏するのに相応しく、原田節のオンド・マルトノは最早文句の付けようがない水準にまで達している。

熱演を示した、井上と大フィル。3階席にはスタンディングオベーションを行っている聴衆も何人かおり、井上はそれを見つける度に手を振ったり、ポーズを決めたりしていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月28日 (月)

観劇感想精選(194) パルコ・プロデュース公演「星回帰線」

2016年11月17日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、パルコ・プロディース公演「星回帰線」を観る。作・演出:蓬莱竜太。出演:向井理、奥貫薫、野波真帆、高橋努、岩瀬亮、生越千晴(おごし・ちはる)、平田満。

向井理が、蓬莱竜太を口説き落として書き下ろさせたという新作公演である。


北海道苫小牧市にあるグループ施設、白樺ハウスとその周辺が舞台である。そのため、語尾が「~っしょ」になる北海道方言が用いられている。

紗幕が上がると、上手から向井理が、下手から平田満が台を持って現れて、台を降ろして、それに腰掛ける。舞台からはハンドルが伸びており、車の中が舞台だと分かる。

藤原克史(平田満)と三島雄一(向井理)が、苫小牧の由来について話している。藤原が苫小牧の最初の「ト」という音はアイヌ語で「沼」という意味だと教えるが、三島は苫小牧の漢字が変わらないことを不思議に思っている。苫小牧は元々は「苫細」で「とまこまい」と書くはずだったのが、測量者が小牧さんだったため、誤って書き慣れた小牧を書いてしまい、苫小牧になったのだという。

三島は産婦人科医。やはり産婦人科医である父親の後を継いで、群馬県にある産婦人科クリニックで共に働いている。三島が行っているのは診察だけで、分娩に立ち会うのは父の役目だ。
藤原は三島の中学校時代の恩師である。理科の教師で、三島に天体について教えたのも藤原だ。現在は教師を辞めて北海道に渡り、妻の久子(奥貫薫)と二人で白樺ハウスを経営し、元引きこもりの奥井(岩瀬亮)、飲み屋を経営していたが傷害事件を起こして行き場所をなくした木田(高橋努)、藤原の姪で、誰の子なのかもわからない子を宿している灯子(生越千晴)らと共に「スローライフ」を掲げて暮らしている。「生を感じて生きる」という目標を掲げ、農場を営み、ビールを醸造し、トランプや謎かけなどのグループワークをして過ごす日々だ。その白樺ハウスに三島はやって来た。

白樺ハウスを手伝ってくれる伊勢崎紗江(野波麻帆)は、やんちゃ系の女性であり、自分から積極的に三島にアプローチする。

皆から「イケメン!」と言われる三島。三島本人は否定するが、木田から、「それでイケメンじゃないっていうなら俺どうしたらいいの? 死ぬしかないの?」と言われる。モテるだろうということも否定するが、木田はから、「それでモテないっていうなら俺どうしたらいいの? 死ぬしかないの?」
と、いうわけで、自由なスタンスは取れない。三島は優れた観察力を生かして人々に寄り添おうとする。

三島は、男前で優しく、他人にも心配りの出来る人間なのだが、それが徐々に徒になっていく。紗江だけでなく、久子も灯子も三島に惹かれていき……。

もともと虚像であった白樺ハウスが軋み始める。


俳優にも様々なタイプがあるが、向井理は流れで演技を行うタイプであり、平田満はブロックを積み上げるような演技を行う。二人での演技である冒頭の部分などは、その対比がよくわかる。舞台経験豊富で構築タイプの平田満の方が安定感があるが、向井理の演技にもまた別の魅力がある。少なくとも今日の役にはピッタリだった。
「イケメン」というと今は絶対的な褒め言葉であるが、「実在感が希薄になるほど小綺麗」な印象を受けるため、向井理本人がイケメンキャラであることに満足しているのかどうかは不明である。

薄幸顔女優の一人として知られる、奥貫薫の繊細な演技も魅力的である。この舞台では、平田満と奥貫薫がデュエットで「居酒屋」を歌うシーンがある。奥貫薫は元々は歌手として芸能界に入ってきた人なのだが、最近では歌声を聴く機会はほとんどなかったので嬉しい。それにしても46歳であんなに可愛いって反則だな。
平田さんは意図的に下手に歌っていたが、それでも味わいがある。

どんな役でもそつなくこなす野波麻帆。今日のやんちゃ系女子も実にはまっている。本当に器用な女優さんである。


全ては、三島と藤原が出会った中学時代から始まっていた。三島も藤原も自分を偽って互いに接していた。師弟関係からして脆いものだったのだ。
藤原はその後、とある理由で北海道に渡り、悠々と過ごしていた。北海道に渡る前に藤原は性格が変わっていた。「分に過ぎたる報酬」を受け取ってしまったからである。
藤原と久子、そして白樺ハウスに集う面々は、自分達がバラバラのピースを持っていると知りながら、遠くから見ると綺麗な絵に見えるよう「歪んだジグソーパズル」をこしらえていたのだ。三島はそれを水面に浮かべたわけだが、波立たせたのは三島一人ではない。
「分に戻る」三島と藤原。最初から偽っていたため、本音の悪口を言い合って客席から笑いが起こる。

蓬莱竜太の本は、緻密にして味わい深い心理劇に仕上がっている。もっとも、藤原が受け取る「分に過ぎたる報酬」の内容はありきたりだし、若い頃の久子のキャラクターも案外浅い。どこかで何度も見たことがあるような設定なのは惜しい。
ともあれ、優れたアンサンブルによる良い芝居であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月27日 (日)

美術回廊(4) 「レオ・レオニ 絵本のしごと」

2013年6月26日 東京・渋谷のBunkamuraザ・ギャラリーにて

東急文化村地下1階にあるBunkamuraザ・ギャラリーに行く。小学校の教科書に載っている「スイミー」で有名な、レオ・レオニ(レオ・レオーニ)の「レオ・レオニ 絵本のしごと」という展覧会をやっている。

オランダのアムステルダムに生まれたレオ・レオニは、幼時より画才を発揮し、9歳で王立美術学校に入学するなど神童ぶりを発揮するが、その後は家族の都合で、ベルギーのブリュッセル、アメリカのフィラデルフィアなどに移り住む。大学は美術大学ではなく、スイスのチューリッヒ大学経済学部を卒業した。その後、結婚してイタリアのジェノヴァで暮らしていたが、ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握ると、人種差別活動が展開され、ユダヤ人であるレオ・レオニはアメリカへの亡命を余儀なくされた。アメリカでは新聞社や出版社のイラストレーターやグラフィックデザイナーとして働く。アメリカ時代の1959年に、これまた有名な「あおくんときいろちゃん」で絵本作家デビュー。この時すでに49歳であった。1962年にイタリアに戻り、1963年に、「スイミー」で現在のスロヴァキアの首都ブラティスラヴァで行われた世界絵本原画展で大賞(金のりんご賞)受賞。以後、1999年に亡くなるまでイタリアで絵本作家として活動を続けた。

レオ・レオニの画は深く読み込む必要はない。絵本は寓意に満ちており、芸術の大切さと芸術家であることの矜持、弱者への温かい眼差しと共に現実の厳しさをも教える、足を知ること、尊大ぶることの愚かしさ、自意識、アイデンティティ、レーゾンデートルといった抽象的な概念を分かりやすく教える、と、分かりやすいものを説明すると難しい言葉を使うことになるというパラドックスに陥るわけだが、大人は抽象概念として理解出来るものの、子供にはまだ無理なので、寓意を用いて分かりやすく伝えるわけである。簡単なものを難しくいうのは簡単だが、難しいものを簡単にするのは難しい。

驚いたのは、「スイミー」を始めとする数多くのレオ・レオニ作品の日本語翻訳の8割以上を詩人の谷川俊太郎が手掛けていたこと。谷川俊太郎が「マザーグース」の翻訳を行っていることは知っており、実際、谷川俊太郎が翻訳した「マザーグース」を楽しく読んで来たのだが、まさか「スイミー」の翻訳者が谷川俊太郎だったとは寡聞にして知らなかった。そして同時にいかにも谷川俊太郎らしい仕事だとも思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(260) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第278回定期演奏会

2016年10月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時からザ・シンフォニーホールで関西フィルハーモニー管弦楽団の第278回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。年1作、7年がかりで行われる「シベリウス交響曲チクルス」の第5回である。

曲目は、吉松隆の「夢色モビールⅡ」(1993/98)、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:オーギュスタン・デュメイ)、シベリウスの交響曲第2番。


開演20分前から藤岡幸夫によるプレトークがある。まず藤岡の慶應義塾高校・慶應義塾大学の先輩である吉松隆の「夢色モビールⅡ」について、「吉松さんの作品は関西フィルで沢山取り上げましたが、考えたら『夢色モビールⅡ』はまだやってないのでやることにしました」とのこと。
バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番については、「無調ではなく調性音楽ではありますがギリギリのところを突いている」と評価。「デュメイさんのヴァイオリンも含めて良い意味で悪魔的になっています」と語る。
シベリウスの交響曲第2番。「シベリウスというと北欧の自然を描いたというイメージがありますが、人間的なドラマも描いています。この交響曲第2番では人間的な葛藤が良く出ていまして、最愛の娘を亡くして、失意から妻子を残してイタリアへ慰安旅行に出掛けた時に書かれたわけですが、娘を亡くした絶望から這い上がろうとしているシベリウスの姿を聴き取ることが出来ます。第2楽章は特に深い絶望。第4楽章はよくフィンランドの民族的高揚と捉えられますがもっと私的なものだと思われます」という意味のトークを行う。

アメリカ式の現代配置での演奏。コンサートマスターは岩谷祐之(いわや・すけゆき)である。


吉松隆の「夢色モビールⅡ」(1993/98)。この曲は1993年にサキソフォン奏者・須川展也のために書かれた曲で、当時はサクソフォンとハープ、弦楽四重奏のための室内楽曲であった。その後、オーケストラコンサート用にアレンジされ、独奏楽器とハープ&弦楽オーケストラのための作品となり、98年に初演。今日はこの98年版をヴァイオリン独奏バージョンにて演奏を行う。ヴァイオリン独奏はコンサートマスターの岩谷祐之が務める。

吉松らしい繊細な美しさを持った曲。旋律が瑞々しく、美しい。ヴァイオリン独奏の岩谷、ハープの佐々木美香ともに達者な演奏を聴かせ、満足のいく出来となった。


バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏のオーギュスタン・デュメイは関西フィルの音楽監督でもあり、関西フィルのポストを持つ音楽家同士の共演となる。

バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は吉松作品とは対照的に美しい旋律は意図時に退けられており、断片的なメロディーが鳴る中で展開がなされているという難解な作品である。大作でもあり、今日は終演時間がいつもより遅れた。

第1楽章ではデュメイは豪快な演奏を展開。関フィルも負けじと野性味溢れる伴奏を展開する。
関西フィルは関西のオーケストラの中では非力な方だが、今日は威力ある音を聴かせる。ただ無理矢理出したという印象も否めず。音がひりついているように聞こえ美しさという点ではもう一歩。
第2楽章の痛切さ、第3楽章のスケールの拡がりなどを上手く表現した演奏であったが、曲自体が難しく、演奏は見事なものだとわかるのだが曲の内容を十全に把握することは現時点の私には困難である。この曲のCDは1種類しか持っていないはずだが今度じっくり聞き込んでみようか。


シベリウスの交響曲第2番。爽やかさ溢れる音色でこの曲をスタートさせた藤岡だったが、第1楽章の途中でテンポを落とし、神秘的な一面を演奏にくわえる。この第1楽章では金管が不調であり、音を外したり出だしが揃わなかったりした。その後持ち直しただけに残念。
第2楽章や第4楽章での悲壮感の表出は今一つだったが、第4楽章では暗さを強調しない分、楽曲の把握がしやすくなるというプラスの面がある(把握しやすければいいという訳ではないことは勿論であるが)。
第3楽章のオーボエの歌は牧歌的であり、素晴らしい雰囲気を生み出していたように思う(オーボエ:佛田亜希子)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月26日 (土)

笑いの林(76) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「すち子のヒーローがいつもかっこいいとはかぎらない」2016年11月16日

2016年11月16日 よしもと祇園花月にて

12時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「すち子のヒーローはいつもかっこいいとはかぎらない」を観る。

今日は12時30分からの開演ということで、お弁当付き券を買っている人も多いし(午後3時30分開演の公演でも、お弁当付き券は売っている)、団体客として見えている方も多いようだ。「祇園ネタ」のラインナップが比較的豪華で、吉本新喜劇の終わりに、すっちーが団体客の方の「どちらから?」と聞いて、「京都から」という答えだったので、お得意さんが呼ばれたのかも知れない。


「祇園ネタ」は出演は、タナからイケダ、桜 稲垣早希、アキナ、笑い飯、月亭八方(登場順)


タナからイケダ。京都府住みます芸人でもあり(厳密には今住んではいないようである。京都府住みます芸人は現在は実際に京都市内に住んでいる月亭太遊の方がメインのようである)、KBS京都テレビの「ポジたま」の司会をやっていたり、田邊さんは、「ロケみつ フライデー」の取材芸人の常連だったのだが、今日は会場にはタナからイケダのことを知っている人は余りいないようである。京都府内や京都市内からのお客さんが多いはずだが、そのそもお笑いを見たくて来たのかどうかはわからない。

今日も田邊孟德が高校時代に野球部だったということで、野球部の憧れの恋愛をやる。田邊は相方の池田周平に女子マネージャーをやって貰いたいというのだが、池田の演技力に疑問を抱く。だが、池田は、「(女子マネージャーを)やったことあるので」と謎の回答を行う。

まず、練習後、忘れ物をした先輩に忘れ物を届けに来た女子マネージャーというシチュエーション。池田は、「先輩! 忘れ物だぞ!」と言って、田邊に「そんな性格の子嫌やわ」と言われる。
田邊は、「『忘れ物です』。でええ」と言うのだが、池田は「忘れ物でーす」とやはり語尾がおかしくなる。更に、「渡り鳥です」という謎のボケを行う。
池田はようやく「先輩、忘れ物です」と言うのだが、忘れてきたのが「バックネット」で、田邊に、「俺のちゃう! 備品や! 持ってきたらあかん!」と突っ込まれる。

忘れ物はタオルということにするのだが、池田は汚いものをつまむような手つき。その後、普通にタオルを渡すのだが、「わざわざ持ってきてくれたんだ」という田邊に、「はい、わざわざ」と池田は答えてしまい、田邊に駄目だしされる。田邊は「『いえいえ』やろ」と言うも、池田が「Yeah!      Yeah!」とやったため、「だからそういう子、好きちゃう!」と駄目を出す。

一緒に帰ることにしたのだが、女子マネージャーを演じる池田がなぜかタクシーを呼ぼうとする。
更に、ボールをグラブに叩きつけながら帰る女子マネージャーを池田がやったため、「そんなことするマネージャーいる?」と田邊は聞くが、池田は、「皮を伸ばさないと」「道具を使いやすくするのもマネージャーの仕事」と、言っていることは一応正しいのだが、女子のものではない反応をする。
田邊は、「春の試合は残念だったけど、夏、また頑張るから」と言い、池田は、「そうですね先輩」ではなく「そうですね惨敗」とボケる。

自転車で二人乗りをすることになるのだが、なぜか池田が積極的に運転することに。田邊が運転することになるのだが、今度は二人漕ぎの自転車になってしまう。
最後は田邊が手を繋ごうと、左手を出すのだが(立ち位置は田邊が左である)、池田も左手を出してしまい、「同じ格好で歩く二人」をしようとしてしまう。
最後は手を繋ぐのだが(田邊は、「すみません、これでも32歳なんです」と言い訳する)、池田はまたも手を挙げて、タクシーを拾おうとしてしまう。

ちなみに以前にタナイケさんがやった、「北近畿タンゴ鉄道(現在は京都丹後鉄道に改称)は日本一やねんで!」「なにが?」「赤字が」というネタは某所でやったらかなり受けた。


桜 稲垣早希。今日もアスカのコスプレで登場。ちなみに、早希ちゃんは他の「なり切っているアニメ芸人」とは違い、「アスカのコスプレをしている稲垣早希」というスタイルである。
「私のことを知っている人?」と早希ちゃんが聞くと、ほとんどの人が手を挙げるが、「エヴァを知ってるという人」と聞くと、「約8人です」と言われるほど手を挙げる人が少ない。早希ちゃんは、「これからの10分間は地獄の時間です」と言う。
まず、シンクロ率を上げるために、「あんたバカぁ~?!」を客席全員で言うことになる。1階は大丈夫だが、2階席(背後の急傾斜になっている席)が今一つだというので、分かれてやることにする。早希ちゃんが、「2階席の人、なんかガサガサしてますが大丈夫ですか?」と聞くが、ガサガサしているのはお弁当を拡げているためだと分かり、納得する。
「坂田師匠と少しかぶるのですが、坂田師匠は、『あんばバカね、おほほ』で、私のは、『あんたバカ』で止まる」
1階席、2階席とやるのだが、桟敷席の人は、1.5階席で、別個にやる。今日は桟敷席の人はお爺ちゃんお婆ちゃんばっかりである。なんとかやったが、「もう二度と座りたくなくなったでしょう?」という早希ちゃんの言葉にうなずいていた。早希ちゃんは、「特に見やすい席という訳でもないんです」と続ける。

今日も、「関西弁でアニメ」をやるのだが、かなり受けていた。
「ケンシロウの、『お前はもう死んでいる』。何言っての? と思うでしょ? 『自分、もう死んでんで』。これなら死にやすい」という風に変えるのだが、「ドラえもん」のしずかちゃんの、「キャー、のび太さんのエッチ!」を「チカン! アカン!」に変えたり、同じくジャイアンの「お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」を「よそはよそ。うちはうち」に変更したりと、単に標準語を関西弁に置き換えるネタではない。
「ルパン三世」の銭形警部のセリフ、「奴は大変なものを盗んでいきました。あなたのハードです」を、「奴は大変なものを盗んでいきました。自転車のサドルです」に変え、「私もよく(自転車のサドルを)盗まれるんです。『どこに行ったのかな?』と思いきや、通天閣のある新世界で、きったない格好をしたおじいちゃんが1個20円で売ってました」
「エヴァンゲリオン」も、シンジの「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」が「逃げたらあきまへん。逃げたらあきまへん。逃げたらあきまへん」に変わり、レイのセリフも「あんさんは死なへんわ。うちが守るさかいに」に変更、アスカのセリフも「自分、アホぉ~?!」になる。
「残酷な天使のテーゼ」を、「残酷な天王寺のロース 刺してから揚げて串カツ 決められた秘伝ソースの 二度漬けを裏切るなら そのうずらを置いて出て行け 中年よ出禁になれ」に歌詞を変えて歌って終わりとなる(以前はフリップに脱字があったのだが、今は修正されている)。

大阪の新世界に行くと串カツやだらけだけれど、京都では実際のところ余り串カツ屋は見かけない。


アキナ。秋山と山名の二人でアキナである。以前、よしもと芸人コスプレライブで、ジュリエッタの藤本聖(ふじもと・たかし)が「アキナを応援してます!」と言って笑いを誘っていたが、意味が分かる人には分かる。

今日は新ネタを冒頭に持ってくる。秋山賢太が「離婚が増えた」と言い、秋山が離婚した父親を、山名文和がその息子をやるのだが、息子役の山名はいきなり、「さっきママが出て行ったけれど、どういうこと? なんか意味があるの?」「(愛情が)冷えたか」「温まるのが早いものは、冷えるのも早い」などとやたらと精神年齢の高い子供を演じる。秋山が、「お前何歳や?」と聞くと、山名は、「バブーというほど子供じゃない、公文に行くほど大人じゃない。五歳です」と謎のフレーズによる紹介をする。父親の気持ちもわかるし、母親の気持ちもわかるのだが、「片方の愛だけでスクスク育てるのか心配です」という山名に、秋山は「お前やったら大丈夫やろ!」と断言する。ちなみに、秋山のどちらに育てられたいかという問いに山名は、「個人的には母親に、経済的には父親に」と答える。
その後も山名は、「孤独を見つめたことがあるか? 温もりが掌を返すのを見たことがあるか?」と、必要以上に文学的なセリフを放って、秋山に、「もう一人暮らしせえ!」と言われる。
秋山が野球部のレギュラーになれないので退部しようとし、山名がそれを止めるといういつものネタもやる。
山名が秋山を止め、秋山の「そこで優しい言葉を」というセリフに山名は誘導されるのだが、「ソフラン」と使う意味の違う商品名を言ってしまう。山名は秋山の「目の覚めるような言葉を!」にも「おはよう」と言って駄目出しされる。


笑い飯。哲夫が、「僕らは第二次ベビーブーマーで、子供が多かった。小学校は12クラスありました。学校全体で」と、都会ではなかったので、そこまで子供だらけということはなかったようである。私も郊外の住宅地に住んでいたため、小学校の時は1年2クラスであった。
哲夫が、「受験も大変だった。駅の前に塾、沢山合ったよな。いくつあった?」と西田幸治に聞き、西田は「じゅーく」とつぶやくが、「12かな」と答えて、「じゅーくだけに19じゃないんかい!」と哲夫に突っ込まれる。

続いて割り込みネタ。ダブルボケによるネタである。人気のラーメン屋の行列に哲夫が並んだのだが、その前に西田が割り込む、すると哲夫は、西田の前の人に、「あの、後ろ、入られましたよ」と
言う演技をして、西田に「お前がいかんのかい!」と突っ込まれる。更に哲夫は、「ヤンキーの方(前)どうぞ。ドチンピラじゃないですか前どうぞ」と譲りまくり、最後は、「岸和田の方、前どうぞ」
哲夫が割り込むときは、足だけ割り込んだり、西田の方を向いて割り込んだりする。

西田は並んでいる哲夫に、「君、中学生?」と聞き、「なんで中学生やねん! 発達しすぎや、大学生や」と返されると、「チビだな」と言うが、西田の方を見た哲夫に、「そっちの方が小さいやないか!」と言われると、「君、それは学校で流行っているのか?」と聞く。
西田は、再度、「君、中学生?」と聞き、「大学生です」と言われると、「女か?」と聞く。「女子大なんか行ってません」と哲夫が返すと、「それは学校で流行っているのか?」とまた聞く。

ガムを吐き捨てると「ガムの妖精」が現れて注意するというネタ。バッサバッサと羽音を口ずさみ、両手を上下に動かしながら哲夫が西田に近づき、「あなたが吐き捨てたのは、この緑のガムですか? それとも差し歯ですか?」と、後半はガムに関係がなかったりする。西田が演じるガムの妖精は、ガムをさらにポイ捨てしてしまったりする。
月亭八方。時事ネタをということで、「博多駅前で陥没事故がありました。私、2日前のあの場所を歩いておりまして、明太子を落としたのですが、拾うのに2日掛かっていたら私も被害に」、「アメリカ大統領選。トランプが勝ちまして、トランプ会社は大もうけかも知れませんが、ヒラリーもアメリカ全土を越冬つばめのように遊説して回っておりまして、歌にもあります。『ヒラリーヒラリーララ。聞き分けのない女です』。そら負けるわ」とやる。

SMAPの解散については、「『世界に一つだけの花』って、一つじゃなくなった」

「ベッキーが可哀想といいますが、バッキーの方がもっと可哀想」ということで、往年の阪神タイガースのエース、ジーン・バッキーについて語り出してしまう。バッキーは最盛期には年間29勝を挙げて最多勝投手になり、外国人としては初となる沢村賞も受賞しているのだが、王貞治へのデッドボールとその後の打席での危険球を巡って、王の師でもある荒川博と乱闘。投げ手である右手の親指を骨折し、その後は勝ち星を挙げることなく終わった。「ベッキーよりバッキーの方が可哀想」だそうである。「鳥取県も可哀想ですね。今年、あっこ地震あったんですよ。結構な被害で。でも、みんな忘れてる。熊本地震は覚えてるのに」
「ボブ・ディランが、ノーベル賞を取りましたが、いらんと。ボブ・ディランでなくて僕いらん。さっきから大したことは言ってないんです。ただ、野球でアメリカの選手達はボール球を良く振りますが、ボール球でも振ってくれたらストライクだと。だから笑いが起こったら良いんです。ボール球でも振ってくれたらストライクで監督に褒められるんです。私もこの後、褒められます」

リオデジャネイロ・オリンピック。オリンピックの2年前に月亭八方師匠は、リオデジャネイロを訪れたことがあるそうだが、「日本から直行便はありません。まずサンパウロに向かう。ロスまで10時間掛かって、それから空港で、向こうではよくあることだそうですが7時間待って、ロスからサンパウロまで13時間。関空からロスまで行くより、ロスからサンパウロに行くまでの方が長いんです。着いたら着いたで、『危ないから』ということで車から出して貰えませんで、伏せてなきゃあかん。なので景色も見えないのでどんなところかもわかりませんでした。とにかく遠いということだけわかった。疲れたのでサンパウロで家内に、『サンパウロ着いたよ』とメールしたつもりが、よく見たら、『サロンパス貼ったよ』になっておりまして。えー、どんどん笑いが減っているようですが」「サバンナの八木君が、『ブラジルの人聞こえますかー!』とやっていますが、聞こえないそうです。もっと大きな声で言ってくれと。ブラジルは地球の裏側と言っていますが、向こうの人は日本が裏でこっちが表やと」

最後は韓国の朴槿恵大統領の不祥事ネタ。「支持率が5%。三十代以下に限っては0%だそうで、パクだけにパクパクするしかない開いた口がふさがらない」「取り巻きといいますか、チェという人(崔順実)、その他に、チャという人がいて、チュという人がいて、チェ・チャ・チュ。鳥が巻いてるようですな」


吉本新喜劇「すち子のヒーローがいつもかっこいいとはかぎらない」。出演は、すっちー(座長)、清水けんじ、内場勝則、吉岡友見、岡田直子、もりすけ、太田芳伸、松浦景子、瀧見信行、廉林優(かどばやし・ゆう。女性)、佐藤太一郎、鵜川耕一、吉田ヒロ。
ちなみに、影アナは、松浦景子が行ったのだが、何度も「佐藤太一郎」を連呼するおかしなものであった。松浦景子は、昨年、バレエのコンクールで日本チャンピオンに輝いたのだが、それにも関わらず吉本入りして、すっちーが9歳の娘にその話をしたら、「その子、あほちゃう?!」と言っていたそうである。松浦景子は今日は得意のバレエを披露するだけであった。

祇園旅館と、その前にあるうどん屋が舞台。最近、祇園界隈には正義の味方「祇園仮面」という、月光仮面の現代版のようなヒーローが登場しているという。

まず、瀧見信行と廉林優のカップルが現れるのだが、縁台の下から現れたすち子(すっちー)に、瀧見は「爆買いしにきた中国人」、廉林は「昏酔強盗の犯人の声優のアイ子」に間違えられる。

うどん屋の主である清水けんじが出てくるのだが、すち子は清水のことを「シケメン」と呼び、「シーケメンメン」と「バカボン」のメロディーで歌う。

ここで松浦景子が暴漢である太田芳伸に追われて出てくるのだが、そこにバイクの爆音がして祇園仮面が現れる。祇園仮面は強いのだが、実は頭の禿げた男(もりすけ)ということで、マスクを取られた祇園仮面は逃げてしまう。
祇園旅館は、暴力団・花月組の二人(鵜川耕一と吉田ヒロ)に地上げされそうになっている。しかし、主の内場勝則が頼りないというので、妻の友見も娘の直子も不満たらたら。しかし、すち子は友見に、「結婚出来ただけラッキー」と言い、「はなかっぱに似ている」と加える。
すち子は内場に、「自分が祇園仮面だということにすれば妻と娘の信頼が取り戻せる」と唆す……。

名前を連呼された佐藤太一郎は、NGK新聞の記者役なのだが、すち子に「顔も喋りも変」と言われる散々な役であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月25日 (金)

わかる努力

わかる努力もせずにわかろうだなんて虫が良すぎる、ということだけは言えます。ましてやわかった気になろうなぞとは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月23日 (水)

コンサートの記(259) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 「オーケストラ・ミステリー」第3回「名曲の秘密~とっておきの名曲ミステリー~」

2016年11月13日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団オーケストラ・ディスカバリー ~こどものためのオーケストラ入門~ オーケストラ・ミステリー」第3回「名曲の秘密      ~とっておきの名曲ミステリー~」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはロザンの二人。

「こどものためのオーケストラ入門」というサブタイトルが付いているが、「子供連れ歓迎」という風な意味であり、実際は大人だけで来ている人の方が多い。曲目自体がそもそも子供向けではない。


曲目は、前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、ムソルグスキー作曲(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」から「キエフの大きな門(キエフの大門)」、後半がドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」から第4楽章。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。木管楽器の首席奏者は今日は全編に出演。フルートのみは現在も首席不在である。トランペットは、前半が西馬健史と稲垣路子、後半がハラルド・ナエス(首席トランペット奏者)と早坂宏明であった。


まず、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」の演奏がある。広上は今日は老眼鏡を掛けて、総譜を見ながらの指揮である。
主部に入ってからはテンポを落として優雅さを強調する演奏。後半はテンポをしっかり刻んで更に雅やかになる。

演奏が終わってから、広上がマイクを手にしてトークとなる。広上は、「昨日は浜松で、この『オーケストラ・ディスカバリー』をやったのですが、私、色々話過ぎて自己紹介をするのを忘れていまして、ロザンの二人に紹介して頂きました。今日は忘れないうちに言います。指揮、広上淳一です」と自己紹介する。そしてロザンの二人が登場。宇治原史規は広上に、「今日、ちゃんと名前言えましたね」と言う。
広上は、「宇治原ちゃん、菅さん。この曲聴いたことある?」と聞き、宇治原は「あります」と返すが、菅広文は「昨日、聴きました」とボケる。広上は、「お正月の番組はどうしてるの?」と聞き、宇治原が「お正月の番組は事前に収録しているので、元日は普通にテレビ見てたりします」答える。広上は、「この曲は、ヨハン・シュトラウスのⅡ世、お父さんが同じ、ヨハン・シュトラウスという名前だったのでⅡ世、私の父親が広上淳一という名前だったら私は広上淳一Ⅱ世ということになるわけですが、ヨハン・シュトラウスの子供の方が作曲しまして、元日に衛星中継でやるニューイヤーコンサートのアンコールで必ず演奏されます。ただ、実は、この曲は最初はおじさん達の合唱団に書かれた曲だったんです」、宇治原「僕らはウィーン少年合唱団のメンバーが歌っているイメージがありますが」、広上「はい、ただ、依頼したのは平均年齢が50歳から70歳ぐらいのおじさん達でして、ヨハン・シュトラウスⅡ世も作曲に余り乗り気じゃなかったそうです。『若い女の子からじゃないのか。嫌だな』と思ったのかどうかはわかりませんが、おじさん合唱団のメンバーとメロディーを口ずさみながら嫌々作曲したそうです」、宇治原「あの曲が嫌々作曲されたわけですか」、広上「歌詞も、幕末に『ええじゃないか』というのがありましたが、あんな感じで、ステージではいえないような下品な歌詞だったそうです。オーストリアが戦争に負けたので、無理矢理盛り上げようというので」
広上は、出だしの歌詞を関西弁で、「どうでもええやん、どうでもええやん、わしらもうちょい頑張ろうやないか」とメロディーなしで口にする。
ちなみに、広上は自身の身長について、「164cmです」と語ったことがあるが、おそらくそれは若い頃の数字であって、最近は身長を測っていないのだと思われる。今日も、公称162cmの菅ちゃんよりも広上が小柄であることは見てわかった。


2曲目、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。ソリストの三浦文彰が現れると、ロザンの二人は口を揃えて、「イケメンですね」と言うが、菅ちゃんは、「僕と同じぐらい」とボケる。宇治原に突っ込まれるが、菅ちゃんは、「宇治原とは比較にならない」と続ける。
広上が、「今日、8時からの『真田丸』のソリスト」と紹介すると、菅ちゃんは、「皆さん、分かりますか? あの『パッパッパ』ってやつ」と言い、宇治原に、「このステージでよくそんないい加減な紹介できるな」と突っ込まれる。

三浦はまずパガニーニの曲を演奏する。メロディーを奏でながら左手でピッチカートの旋律を奏でるという見るからに難しそうな曲である。ラストではピッチカートの連続になるのだが、その間、広上はずっと頭を左右に振っておどけていた。

菅ちゃんが例によって、「楽器はおいくらぐらい?」と聞くので、三浦は乗り気ではなかったが、「億は行くと思います。自分のものではないので詳しくはわからないのですが」と答える。広上が、「名器は財団などが所有していて、『この楽器は三浦さんだったら貸すよ』というので、貸与されることが多いです」と補足する。
菅ちゃん「この楽器で煙草が何箱買えますか?」
三浦・広上「………」
宇治原「なんで煙草やねん!」

三浦は演奏の準備のためにいったん退場。広上がピアニカを取り出して、「ツィゴイネルワイゼン」の出だしは、ソドレミなのですが、ソドレミで始まる曲はヒット曲が多い」というので、宇治原に楽譜を渡して、「千の風になって」、「この道」、「ドラゴンクエスト」のテーマ(ロザンの二人は、「ドラクエ?」と驚いていた)、SMAPの曲(曲名はわからず)、中島みゆきの「地上の星」(二度ほど間違える)の出だしを演奏する。
菅ちゃんが、「ピアニカってそんなにいきなり吹き始めるものなんですか?」とボケるが、広上は「柔らかい音色だから、本番前に吹くのに良い」と語る。「手元が見えないので楽譜を見ながら吹くので良い」と続け、菅ちゃんが、「あ、手が見えないんだ。それでさっき間違えたんですね」返し、広上は「欠点は間違えやすい」と述べる。

「ツィゴイネルワイゼン」本番。三浦は高音は磨き抜かれた輝かしい音を出すが、全般としては年に似合わず、渋い音楽を奏でる。
広上は途中、体を左右に振るだけで指揮しづけるなど、相変わらずユーモラスである。

三浦君は、後半は客席でコンサート聴いていた。


ムソルグスキー作曲、ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」から「キエフの大門」。
広上は、「『展覧会の絵』というのは、実は元々はピアノ曲でして、ムソルグスキー先生本人も、オーケストラで華々しく演奏されるとは予想していませんでした」、「作曲から50年ほど経ってからラヴェル先生がオーケストラ用に編曲しまして、それでムソルグスキー先生のピアノ曲も有名になった」、「ムソルグスキー先生というのは、元々、陸軍士官学校を出まして、軍人をやっていました。音楽は趣味で勉強していました。その後、今でいう官吏、国家公務員になりまして、休みの日に作曲をしていました」、「『展覧会の絵』は友人の亡くなった画家を偲んで書かれたものです」と説明する。
宇治原「言ってみれば、官僚が休みの日に作曲したのが『展覧会の絵』だと」、広上「そういうことです。ムソルグスキー先生はオーケストラによる『展覧会の絵』は聴いたことがないんです」、菅「作曲者が聴いたことがない音楽を今から聴けると」、広上「はい。ムソルグスキー先生は、オペラも作曲していまして、『ボリス・ゴドノフ』、それから『ダッタン人の踊り』なども作曲しています」(おーい、広上さん、「ダッタン人の踊り」を作曲したのは、ムソルグスキーじゃなくてボロディンだぞ)

ということで、組曲「展覧会の絵」より「キエフの大門」の演奏。通常は前曲である「バーバー・ヤーガ」が盛り上がってからアタッカで入るのだが、前曲の部分は演奏せずに「キエフの大門」の冒頭から入る。ということで多少唐突な印象は受ける。
スケール雄大で、輝かしい演奏。今日もステージを擂り鉢状にしているが、チューブラーベルやグロッケンシュピールの音などは天井から降り注いでくるようで、理想的な音響である。


後半。広上とロザンの二人が揃って登場。宇治原が、「『キエフの大門』でしたね」と言い、広上は、「ごめんなさい、『展覧会の絵』の話ばかりして、肝心の曲名を言うのを忘れていました」と続ける。菅ちゃんが、「『展覧会の絵』は組曲ですね」と言い、広上は、「そうです。10曲ぐらいからなる組曲でして、『キエフの大門』は最後の曲です」と答える。
宇治原「でもお客さんも全曲やるとは思ってなかったでしょう?」
広上「いや、思っていた人もいたかも知れません。『《展覧会の絵》全曲やるの? 40分ぐらい掛かる』って。別にやってもいいのですが」
ということで(?)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章。
広上「宇治原ちゃん、この曲はご存じ?」
宇治原「学校から帰る時の音楽ですね」
広上「そう、『家路』という曲がありまして、私も最初は、この曲は『家路』というタイトルだと思っていたのですが、ドヴォルザーク、彼はチェコの作曲家なのですが、晩年に2年ほどアメリカで音楽大学の校長先生をしていた時に、祖国であるチェコのことを思って作曲したのがこの曲です」
宇治原「学校の音楽の教科書にも載ってますね」
広上「そう、『家路』というタイトルがピッタリの。故郷を思う気持ちは万国共通ということだと思います」
宇治原「この『新世界から』の新世界というのはアメリカのことですね。アメリカとチェコの旋律を取り入れつつ故郷を思うという」
広上「そうです。アメリカでもチェコでも日本でも同じイメージが浮かぶ。私などは夕方に、カレーライスの匂いがしたり、おでんの匂いがしたり、豆腐屋さんの、チャルメラ、じゃないか。プーと音のする。そういうイメージです。宇治原ちゃんは?」
宇治原「僕は、小学校が山の上にあったので、放課後、坂を下るイメージが」
広上「夕日が差して?」
宇治原「そうです」
広上「菅ちゃんは?」
菅「僕は、団地に住んでいたので、団地のエレベーターに乗っている時のイメージが」
広上「え? エレベーターあったの? 当時? じゃあマンションだ。私は団地族だったもので、団地というと4階建てぐらいで階段のみのイメージが」
菅「うちは7階建ての6階でした」
広上「6階? じゃあマンションだ」
宇治原「もうええわ! 団地・マンション論争いらん!」

広上は速めのテンポを採用。スッキリとした出来である。ノスタルジアよりも音の美しさが印象に残る。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」より第4楽想。
宇治原は、チャイコフスキーについて、「バレエ音楽を沢山書いているイメージがあります」と述べる。広上は、「『くるみ割り人形』、それから『白鳥の湖』などを作曲しています。『くるみ割り人形』は(クリスマスが舞台なので)、ヨーロッパでは毎年、12月に必ず上演されます。バレエ音楽が有名なので明るくて元気なイメージがあるかも知れませんが、これから演奏する曲は重いです。初演から9日後に作曲者が死去するという」、宇治原「それは本当にミステリーですね」

広上はチャイコフスキーの死因について、「色々な説があって、今、研究が進んでいることです。チャイコフスキーの日記には、『死を意識する』という意味深なことが書かれています。それから、『自分は同性愛者なので、王朝から追われているかも知れない』と書かれていたりします」と述べる。菅ちゃんが「追われている?」と聞くと、広上「宇治原ちゃん、(高校時代の)専攻は世界史?」、宇治原「僕は日本史です」、広上「私も余り詳しくないのですが」というやり取りがあった後で、「当時、同性愛は重い罪で、死に値するかも知れないということです」と説明する。

しかし、子供に、「どうせいあいってなあに?」と聞かれても返答に困るな。

広上は楽曲について、「最後にコントラバスが、宇治原ちゃんの心臓のように、トントンと鳴って止まる」、宇治原「広上さん、縁起悪いですよ」、「あ、間違えました。トントンじゃなくてトクトクでした」というどちらでもいいような会話があった後で演奏スタート。

清澄な弦が印象的な演奏である。この楽曲も過去を回想するような趣があるのだが、それはとても良く出ている。ゲネラル・パウゼのところで拍手をしたお客さんが2名ほどいたのが謎だったが。
盛り上げ方も上手く、全曲の演奏が聴きたくなる。
今日は、ドイツ式の現代配置での演奏だったので、冒頭の旋律を第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に弾くというステレオプレゼンツは分からなかった。

演奏終了後、菅ちゃんは自分が演奏の立役者のように右手を挙げて登場。宇治原に仕草で「お前ちゃう」と突っ込まれる。

宇治原が、「重かったのでアンコールを。ブラームスのハンガリー舞曲第5番だそうで」と言い、広上がブラームスの「ハンガリー舞曲」について説明する。「この曲は、ブラームスがお金を稼ぐために書いたの(文字だけだとお姉口調に感じられるが実際はそういう響きではない)。連弾のための曲として書いて、ドンドン売れたという」
宇治原「当時は、CDの代わりに楽譜が売れるのがベストセラーだったと」、広上「そういうこと」

ハンガリー舞曲第5番。広上は出だしは平均的なテンポで演奏するが、中間部ラストで速度をぐっと落とす。また弦楽は一音ごとに音を切って演奏する。
再現部は出だしはかなり遅く、その後、急速にテンポアップするということが繰り返される。舞曲ということが強調された面白い演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月17日 (木)

コンサートの記(258) 「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2013(年度)」 第4回「ポップス?クラシック!」

2014年3月23日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都府立植物園の東隣にある京都市コンサートホールで京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2013 第4回「ポップス?クラシック!」を聴く。2013-2014のシーズンに4回行われるオーケストラ・ディスカバリーの2013年度最後の公演である。

今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

オーケストラ・ディスカバリーは、子供から大人まで楽しめるコンサートを念頭に置いたプログラムで構成されており、ホワイエには今日は、「クラシック博士」という子供向けのクイズパネルが並んでいた。その中に「これは誰の手形でしょう?」というパネルがあり、「A.京都交響楽団指揮者の広上淳一さん、B.ピアノの詩人ショパン、C.京都市交響楽団のコンサートマスター渡邊穣さん」という選択肢があった。手の大きさを私のものと比べてみると私の手と大きさがさほど変わらない。私は身長に比べて手がかなり小さい方なので、手形が小柄な人物のものであることがわかる。それに紙に直接押した手形なのでショパンは絶対にあり得ない。終演後に張り出された正解にはやはり広上淳一の手形であると記されていた。ちなみに私も広上も、手を思いっ切り広げてもピアノの1オクターブがやっとという大きさである。
オーケストラ・ディスカバリーには、ナビゲーターとして吉本の芸人が呼ばれるのだが、今日は出演回数最多のロザンの二人が登場する。ちなみにオーケストラ・ディスカバリーは始まった当初は毎回ロザンがナビゲーター役を務めていたのだが、その後、ガレッジセールの二人も加わり、2014年度には、ぐっさんこと山口智充も参加することが決まっている。

曲目は、前半が、ハチャトゥリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」より“剣の舞”、モーツァルトのホルン協奏曲第1番から第1楽章&第2楽章(ホルン独奏:垣本昌芳)、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」より“モンタギュー家とキャピュレット家”、そして当初は後半に演奏される予定だったワーグナーの「ワルキューレの騎行」も前倒しで演奏される。

後半は、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ブラームスの交響曲第1番より第4楽章。

「剣の舞」は、やや遅めのテンポで堂々と演奏される。広上の踊るような指揮姿も特徴的だ。なお、「剣の舞」と「モンタギュー家とキャピュレット家」ではサックスが演奏されるので、岩田瑞和子が客演奏者として参加している。今日のコンサートマスターは渡邊穣であるが、泉原隆志は降り番で、アシスタント・コンサートマスターの尾崎平がフォアシュピーラーを務める。フルート首席奏者の清水信貴は前半、後半ともに出演。クラリネット首席奏者の小谷口直子は前半のみ参加。オーボエは、前半がフロラン・シャレール、後半は首席オーボエ奏者の高山郁子が吹いた。

「剣の舞」の演奏が終わり、広上がマイクを手に聴衆に挨拶した後で京響のTシャツの上にグレーのジャケットを羽織ったロザンの二人が登場。広上が「ちゃんと京響のTシャツを着て」と言うと、宇治原史規が、「ちゃんとってなんですか。好きで着てきてるんですから」と突っ込んだ。
広上が「運動会で聴いたことあるでしょ?」というと二人とも同意し、管広文が「玉入れの時に使ったような記憶がある」と述べた。

ハチャトゥリアンは1963年に来日し、同年2月に京都市交響楽団の第52回定期演奏会で指揮をしたことが無料パンフレットに書かれているのだが、広上もそのことを紹介する。

広上は、「AKBやSMAPも100年経てばクラシックになる」と語る。菅ちゃんが「『ヘビーローテーション』なんかも100年後にはオーケストラで演奏されてるんでしょうか?」と聞くと、「オーケストラの演奏スタイルも変わっているかも知れない」と広上は返す。菅ちゃんは「おじさん達が足を上げながら弾いてるんでしょうか」と語る。

次はモーツァルトのホルン協奏曲第1番より第1楽章&第2楽章。ホルン独奏は京都市交響楽団首席ホルン奏者の垣本昌芳。垣本はプロのソリストではなく京響の楽団員であることから、ロザンに「大丈夫ですか?」と心配される。

そのホルン協奏曲第1番からであるが、室内オーケストラ編成で演奏される。その他の曲は第1ヴァイオリン12名のフルサイズであったが、モーツァルトは第1ヴァイオリン6名で、約半分の人数である。

垣本は安定したソロを聴かせ、京響も雅やかな音色を奏でる。広上はピリオド・アプローチも得意としているが、今日はピリオドの影響は余り感じられなかった。なお、広上はこの曲だけはノンタクトで指揮した。

演奏が終わり、菅ちゃんが「良かったですね。AKBでいうとセンターですね。大島優子のような」というと広上さんは「(大島優子は)もうすぐ辞めるでしょ」と応える。広上さん、AKBに詳しすぎである。ちなみに2014年度のオーケストラ・ディスカバリーの案内パンフレットに広上さんは「オーケストラもAKBと同じように楽しいよ!」と書いている。

続いて、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」から“モンタギュー家とキャピュレット家”。
広上淳一は、「ソフトバンクのCMでお馴染みの曲」と紹介する。

広上「今は堺雅人が、『なんで犬が喋ってるんだ』というコマーシャルですが」
菅「今、(堺雅人の)物真似したでしょ!」
広上「いや、してません(実際はしていた)。以前に、みんなが集まって、犬のお父さんが『何をやってるんだ!』という場面で」
菅「今、(北大路欣也の)物真似したでしょ!」

というやり取りの後で、「モンタギュー家とキャピュレット家」が演奏される。広上の巧みなオーケストラドライブが発揮され、弦も管も威力十分で透明感もあり、ノリの良い演奏が展開された。
 

ワーグナーの楽劇「「ワルキューレ」から“ワルキューレの騎行”。
広上はワルキューレという「肉食女性」について語り、「大学で教えていても、元気のあるのはみんな女の子」だという。女性が活躍する時代と景気とは連動しているという説もあるそうですと広上は語る。
楽劇というのは、ワーグナーが独自に発展させたオペラのことである。同じ舞台でも演劇はあらすじが複雑で書き記すのに時間が掛かるが、オペラというのはあらすじが基本的に単純である。セリフを話すのではなく歌うので時間が掛かり、複雑な展開になると何時間かかっても終わらないという羽目になってしまう。「ワルキューレ」も上演時間約4時間の大作であるが、あらすじは簡単に書くことが出来る。「まず夫婦げんかをして、次に親子げんかをする」。これだけで大体合っている。
広上は、「ワルキューレの騎行」について、「車を運転している時に聴くと必ず事故を起こす曲」と紹介する。「興奮するので、カーブでも150キロ、160キロ出るほどアクセルを踏み込んでしまうらしい」とのこと。

その「ワルキューレの騎行」であるが、堂々として扇情的であり、広がり豊かな演奏となる。京響の金管群はやはり関西のプロオーケストラの中でナンバーワンであろう。

後半、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。
広上は、オペラについて「90%以上が悲劇」と述べ、「『白夜行』というのがあるでしょう。テレビでは綾瀬はるかが主演して、映画では堀北真希がやった」、宇治原「ああ、東野圭吾の」、広上「ああいったドロドロの劇がオペラには多いんです。今日は若いお子さんも多いので大きな声では言えませんが、不倫ですとか、三角関係ですとか」、菅「不倫。子ども達の中で不倫って知ってる人。不倫というのはね、お父さんとお母さんの他に」などというやり取りがある。なお、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の原作はかなり短い短編小説であり、岩波文庫から出ているので日本語で読むことも出来る。どってことない小説である。ロルカの戯曲「血の婚礼」も同じような事件を題材にしているが、ロルカはやはり天才。「血の婚礼」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」では比較にさえならない。

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲で広上は、速めのテンポによる、過度の甘さを避けたすっきりとした演奏を行う。
演奏終了後に、広上とロザンの二人が、この曲が様々な映画やドラマに使われているという話になる。故十八代目中村勘三郎が襲名披露公演でも行った歌舞伎「野田版・研辰の討たれ」では、ラストで邦楽器が「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を奏でていたりした。

ラストはブラームスの交響曲第1番より第4楽章。
広上はロザンの二人に「ブラームスという作曲家をご存じですか?」と聞くと、宇治原が「ドイツ三大Bの」と答えて、広上から「流石、クイズ王!」と誉められる。宇治原によると「ドイツ三大Bという問題が出たら、答えは絶対にブラームス。バッハやベートーヴェンが答えになることはない」と言う。確かにブラームスは有名作曲家であるが、大バッハやベートーヴェンほどではない。「バッハやベートーヴェンが書いたメロディーを口ずさんで下さい」と聞くと、バッハなら「トッカータとフーガニ短調」(「タラリー、鼻から牛乳!」というやつである)や「G線上のアリア」、「小フーガト短調」など、ベートーヴェンなら「運命」こと交響曲第5番の冒頭「ジャジャジャジャーン!」や第九の「歓喜の歌」などを歌える人は多いが、ブラームスの作品を口ずさめる人は少数派であると思われる。ただ、「ドイツ三大Bの中で交響曲を最も沢山書いたのは誰でしょう?」(答え:ベートーヴェン。バッハ0曲、ベートーヴェン9曲、ブラームス4曲)や、「ドイツ三大Bの中で唯一結婚したのは?」(答え:バッハ。バッハは子供20人という子だくさんでもある。ベートーヴェンは醜男であったがピアノの演奏技術が抜群だったため若い頃はモテモテで、女遊びも盛んだったらしいが、耳の疾患が進むにつれて人付き合いを避けるようになり、生涯独身であった。ブラームスは若い頃は美青年で、やはり女にもてたようだが、シューマンの妻・クララに恋をし、シューマンの没後も付かず離れずの関係を続けた結果、誰とも結婚することはなかった)などの変則問題が出題されることも十分に考えられる。
ブラームスが交響姉弟1番を書くのに20年以上掛けたと広上が話すとロザンの二人が驚く。

ブラームスの交響曲第1番第4楽章は、歓喜の主題がベートーヴェンの第九の「歓喜の歌」のメロディーに似ていることが指摘されている作品である。ブラームスも敢えて似せたようである。
広上と京都市交響楽団は重厚且つ推進力に富んだ演奏を展開する。今日は京都コンサートホールの3階席に座ったのだが、京都コンサートホールの3階席は音が良いということもあり、昨年、八幡市文化会館で同コンビが演奏したブラームスの交響曲第1番よりも味わい深かった。

アンコール演奏は、クラウス・バテルト&ハンス・ジマー作曲による映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のオープニングテーマ曲も指揮している広上だけに、映像のために書かれた音楽の指揮にも強い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月14日 (月)

コンサートの記(257) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団来日演奏会2016

2016年11月5日 京都コンサートホールにて

午後4時から京都コンサートホールで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団の来日演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、前半がヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、後半が交響曲第5番。


バンベルク交響楽団の来日公演を聴くのは二度目。前回は同じ京都コンサートホールでジョナサン・ノット指揮の演奏会を聴いている。今でこそ東京交響楽団音楽監督として日本でも知名度の高いジョナサン・ノットであるが、当時は日本では無名に近く、CDも輸入盤のみの発売という状態であったため、京都コンサートホールには空席が目立ったが、今回はNHK交響楽団の名誉指揮者として知名度抜群のブロムシュテットの指揮であり、人気ヴァイオリニストの諏訪内晶子も登場とあって、ほぼ満員となった。


人口僅か8万人弱の小都市、バンベルクを本拠地とするバンベルク交響楽団は小さな街のスーパーオーケストラとして有名。「最もドイツ的な音色を奏でる楽団」という評価もある。ヨーゼフ・カイルベルト、ホルスト・シュタインといったNHK交響楽団ゆかりの指揮者が音楽監督を務めていたということもあり、日本でも親しまれている。
ジョナサン・ノットの後任として、東京都交響楽団の首席客演指揮者として知られるヤクブ・フルシャが首席指揮者に就任したばかりだ。


ヘルベルト・ブロムシュテットは、1927年にアメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれたスウェーデンの指揮者。現在ではアメリカ国籍である。現役の主要指揮者の中ではスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923年生まれ)に次ぐ長老指揮者である。両親はスウェーデン人の宣教師であり、布教先のアメリカで生まれている。両親と共に2歳の時にスウェーデンに帰国。北欧最古の大学として知られるウプサラ大学で哲学を専攻すると同時にストックホルム音楽院で学ぶ。その後に渡米し、ジュリアード音楽院で指揮法を修める。タングルウッド音楽祭では9歳年上のレナード・バーンスタインに師事している。
2、3年でコロコロと指揮者を変えることで知られるシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場)の音楽監督を1975年から当時としては異例の10年間務めた後、1985年からサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。同楽団とは「ニールセン交響曲全集」と「シベリウス交響曲全集」を作成し、いずれも好評を受けている。特に「ニールセン交響曲全集」は史上屈指の名盤に数えられる。1995年にサンフランシスコ交響楽団音楽監督を辞任し、同年、北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督に就任。3年契約であったが、ブロムシュテットがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽団長。音楽監督兼首席指揮者を意味する)を受諾することを決めたため2年で契約は打ち切られた。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターは1998年から2005年まで務めている。
 
現在は、NHK交響楽団名誉指揮者、シュターツカペレ・ドレスデン名誉指揮者、サンフランシスコ交響楽団桂冠指揮者、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団名誉指揮者、スウェーデン放送交響楽団名誉指揮者、バンベルク交響楽団名誉指揮者、デンマーク国立放送交響楽団名誉指揮者の称号を得ている(紛らわしいがNHK交響楽団の名誉指揮者だけ現役ポスト、他の楽団の名誉指揮者は退官もしくは栄誉ポストである)。
端正な造形の内に情熱の奔流を注ぎ込むという音楽スタイルを持つ。
ベートーヴェンとブルックナーの演奏には定評があり、いずれも現役指揮者の中では屈指の実力と認められている名匠である。

NHK交響楽団の名誉指揮者であるため、私も何度も実演に接している。京都に移ってからも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の大阪公演(於:ザ・シンフォニーホール)やNHK交響楽団の大阪定期演奏会(於:NHK大阪ホール)で聴いているが、京都でブロムシュテット指揮の公演を聴くのは初めて。実は2度、聴く機会があったのだが、最初はインフルエンザのため、2度目も持病が思わしくなく諦めざるを得なかった。


ブロムシュテットは1990年代から基本的に古典配置での演奏を行っているが、今日も当然ながらそれを踏襲している。前半と後半でティンパニの位置が違い、前半は中央よりやや下手寄り、後半は指揮者の真正面にティンパニが配置される。前半のヴァイオリン協奏曲は室内オーケストラ編成、後半の交響曲第5番ではほぼフル編成での演奏。京都コンサートホールは今日もステージを擂り鉢状にしており、残響がかなり長い。

今日のブロムシュテットは全編ノンタクトによる指揮である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストの諏訪内晶子は赤と紫を基調にしたドレスで登場。以前はオーソドックスなスタイルで演奏していた諏訪内であるが、数年前から良い意味で日本人的な繊細な味わいを持つヴァイオリンを奏でるようになっている。
今日も磨き抜かれた音を披露。とにかく音が濁らない。濁った場面は第2楽章の1箇所だけで、それ以外は見事な美音を奏で続ける。音は泉が湧き出る瞬間のようなフレッシュさを持つ。ブロムシュテット指揮のバンベルク交響楽団は細部まで明晰な伴奏を奏でたが、諏訪内のヴァイオリンもバンベルク響と一体になり、互いが互いを高め合う演奏となった。高貴にして清々しいベートーヴェンである。
ブロムシュテットとバンベルク交響楽団はかなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏を採用。弦楽器がビブラートを掛ける部分はほとんどなかった。

諏訪内はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より「アンダンテ」を演奏する。諏訪内のバッハは「崇高」という言葉が最も似合うのだが、今日はそれとは少し違った典雅で聴き手の魂に直接染み通るようなバッハであった。違いを言葉で説明するのは難しい。


後半、交響曲第5番。ここでもピリオド・アプローチによる演奏が展開される。譜面台の上には総譜が閉じたまま置かれていたが、ブロムシュテットがそれを開くことはなかった。

冒頭の運命主題はブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンやライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と録音したものに比べてフェルマータが短めである。
テンポは特に速くはないがモダンスタイルとはやはり違う。
ブロムシュテットというと日本では何故か「穏健派」と目されることが多いが、実際はそれとは真逆の音楽性を持っている。今日も弦楽器を目一杯力強く演奏させる。特にヴィオラを強く奏でさせ、これによって全体が安定して聞こえるようになっていた。強奏させても全体のバランスが崩れないのは流石。オーボエをベルアップさせて吹かせることが多いのも特徴である。弦、管ともにクリアであるため、細部がよくわかる。
バンベルク交響楽団のクラリネット奏者は肺活量が日本人とは桁違いのようで長いパッセージも楽々吹いてしまうのに驚かされた。バンベルク交響楽団の首席クラリネットは二人体制のようで、今日のクラリネットがそのどちらなのかは残念ながらわからない。

ブロムシュテットの指揮は指先を少し動かすような細やかな動きがベースだが、ここぞという時には腕を大きく振る。90年代のブロムシュテットは指揮棒をビュンビュン振るという指揮スタイルであった。ここでもやはり「穏健派」とは無縁なのだ。ブロムシュテットが穏健派と見做されるのはジェントルな容貌に加えて、1970年代にブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの「ベートーヴェン交響曲全集」をドイツ・シャルプラッテンと共同制作したDENONのプロデューサーのブロムシュテットに対する姿勢に問題があったと思われる。私はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンによる「ベートーヴェン交響曲全集」の国内盤は一切薦めない。輸入盤を聴かないと真髄はわからないと思われるからである。

第4楽章に入ると、弦楽器がビブラートを加えるようになる。第4楽章突入の音型は何度が繰り返されるが、最後にその音型が現れる時にブロムシュテットが少しテンポを落としたのだが印象的であった。楽譜はおそらくベーレンライター版だったと思われるが、ピッコロが浮かび上がったのはラストだけだったため断言は出来ない。
明るめの第5。物語性よりも曲の堅固な構築を詳らかにしており、この曲に相応しい評価なのかどうかはわからないが、とにかく面白いベートーヴェンであった。


アンコールはベートーヴェンの「エグモント」序曲。冒頭の仄暗さから終盤の高揚感まで表出が巧みである。ティンパニの思い切った強打も効果的であった。

全ての演奏が終わった後でも拍手は鳴り止まず、楽団員の多くが退出した後でブロムシュテットが一人再登場し、喝采を浴びた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«笑いの林(75) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「茂造、愛の梅雨前線上昇中」2015年5月30日