2017年9月25日 (月)

コンサートの記(319) 広上淳一指揮京都市交響楽団 「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」2017

2017年9月17日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」を聴く。広上淳一指揮京都市交響楽団による演奏。
天候不良の場合は公演中止もあり得るということだったが、台風もまだ遠いということでGOサインが出た。なお、京都コンサートホールは今月の頭からTwitterとFacebookを始めており、公演決行はTwitterで確認することが出来た。

曲目は、すぎやまこういちの序奏MIYAKO、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ルーカス・ゲニューシャス)、ラフマニノフの交響曲第2番。
広上淳一と京都市交響楽団は2015年にサントリー音楽賞を受賞しており、明日はサントリーホールで受賞記念コンサートを行う予定である。


演奏開始前に門川大作京都市長による京都の秋音楽祭の開会宣言がある。門川市長は文化庁の京都移転に触れ、サントリー音楽賞については、「明日、京響は台風と共に東京・サントリーホールに向かいます」と冗談も言っていた。


客演コンサートミストレスとして会田莉凡(あいだ・りぼん)を起用。フォアシュピーラーは泉原隆志。


すぎやまこういちの序奏MIYAKOはいかにもすぎやまこういちらしい明快な調性音楽である。途中、スネアが雅楽のリズム(「越天楽」がモチーフのようだ)を奏でるのも楽しい。


ショパンのピアノ協奏曲第2番。ソリストのルーカス・ゲニューシャスは、1990年モスクワ生まれの若手ピアニスト。祖母はモスクワ音楽院の高名な教育者であったヴェーラ・ゴルノスターエワで、ゲニューシャスは幼少時から祖母についてピアノを習う。ジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝後、ショパン国際コンクールとチャイコフスキー国際コンクールで共に2位に入って頭角を表している。
ゲニューシャスはプロフィール写真とは違うひげもじゃ姿で登場。かなり大柄なピアニストである。

ゲニューシャスのピアノであるが、硬質にしてリリカル。美音家である。音の粒立ちを優先させた演奏で、若き日のショパンのメランコリーは余り感じられないが、甘美で冴えたピアノを奏でた。
ショパンのピアノ協奏曲の伴奏は、彼が管弦楽法を習熟していなかったということもあり、「響かない」というのが定評であるが、広上指揮の京響はそれでも立派な響きを生み出していた。

ゲニューシャスのアンコール演奏は、デジャトニコフの「エコーズ フロム ザ・シアター」より「Chase Rondo」。マジカルな曲であり演奏であった。


メインのラフマニノフの交響曲第2番。極めてハイレベルな演奏であった。
音の密度が濃く、渋さ、甘美さ、輝き、ボリュームどれをとっても最高レベルである。あたかも10年以上前に同じ京都コンサートホールで聴いたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を聴いているかのような気分にさせられる。
広上の神経は細部まで行き渡っており、あるべき場所にあるべき音が理想的な形でしっかりと填まっていく。見事というほかない。
推進力抜群で、京響の楽団員も乗りに乗っており、威力も十分。広上の音のデザイン力も卓越している。
広上と京響の9年の歴史の中で「ベスト」と呼べる出来となった。実演で聴いたラフマニノフの交響曲第2番の中でも間違いなくナンバーワンである。


拍手はなかなか鳴り止まず、最後は広上が客席に向かって、「アンコールありませんので」と言ってお開きとなった。

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2017年9月23日 (土)

NHK交響楽団学生定期会員時代のこと

 東京時代にNHK交響楽団の学生定期会員を2年ほどやっておりました(1997年-99年)。定期会員としての最初のコンサートの指揮者は、現在、京都市交響楽団の常任指揮者を務めている広上淳一でした。因縁を感じます。メインはグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番&第2番で、広上さんったら「アニトラの踊り」では指揮台の上でステップ踏んで踊ってました。

 定期会員の1年目は良かったのですが、2年目にはきつくなりました。渋谷のNHKホールまでは片道2時間。そして毎回聴きたい指揮者や曲目とは限らない。というわけで「今日は気が進まないなあ」と思いながら通うこともありました。「聴きたい」から「聴かなければならない」に変わってしまったのです。日本では評価が低いドミトリ・キタエンコが実は名指揮者だったという発見もありましたけれども。というわけで社会人になってからはN響の定期会員も辞め(N響のシーズンは9月ー6月なので、「なると同時に」ではありません)、以後もオーケストラの定期会員にはなっていません。

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2017年9月22日 (金)

コンサートの記(318) 大阪クラシック2017第81公演 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー 交響曲第5番

2017年9月16日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時15分から、大阪クラシック第81公演(最終公演)を聴く。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏。

午後7時頃から大植英次のプレトークがある。大植はぎっしり詰まった紙袋を手に登場。これまで大阪クラシックで貰った変わったプレゼントを紹介する。
まずは、「大植さん、もっと背高くしたらどうや」ということで貰った靴の上げ底。髪が乱れている時に貰ったブラシ。更に「大植さん、もって食べえや」ということで貰った551蓬莱の豚まん(の袋)、スタッフから「大植さん、話長い」ということで貰った(?)壁掛け時計。更に「大植さん言ってることがよくわからない(大植は滑舌に難がある)。日本語勉強して」ということで貰った日本語を学ぶおもちゃなどなど。


今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。いつも通りドイツ式の現代配置での演奏である。
今日は1階席の25列目、下手寄りの席に座ったのだが、この席だと音が全部上に行ってしまうのがわかり、音響的に良い席とはいえないようである。


大植英次の解釈であるが、驚いたことにメンゲルベルクやアーベントロートといった19世紀生まれの指揮者の音楽作りを彷彿とさせるものであった。テンポが大きくギアチェンジし、怖ろしく遅くなったかと思いきや極端な加速がある。特に第1楽章ではその傾向が極めて顕著である。どう来るか予想出来ない大植の指揮に大阪フィルも苦闘。今にもフォルムが崩壊しそうな場面が続き、聴いていてハラハラする。

第2楽章でのホルンソロは見事であった。ただ、その後に来る別のホルンの返しでは残念ながらキークスがあった。

チャイコフスキーの交響曲の演奏は、21世紀入ってからペシミスティックなものが流行っているが、大植は交響曲第5番に関してはそうした解釈を取っていないようで、疑似ラストの後の場面では晴れ晴れとした音楽を描く。それまで暴れまくっていたため、朗々と歌われる凱歌に安定感があり、効果的に聞こえる。
ラストを大植はヒロイックに決めた。


毎年恒例となったアンコール。コンサートマスターの田野倉雅秋が指揮を受け持ち、山本直純編曲の「日本の歌メドレー」(「夕焼け小焼け」~「七つの子」~「故郷」)が流れる中、大植が1階席、2階席、3階席を回る。

大ラストは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」より八木節。大植は背中に大阪市章の入った赤い法被を着てのノリノリの指揮であった。

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2017年9月17日 (日)

ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ) ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」(ホロヴィッツ編曲)

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2017年9月15日 (金)

観劇感想精選(220) 演劇集団マウス・オン・ファイア 「ゴドーを待ちながら」京都

2017年9月10日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「ゴドーを待ちながら」を観る。アイルランドのカンパニーである演劇集団マウス・オン・ファイアによる上演。英語上演、日本語字幕付き。作:サミュエル・ベケット、演出:カハル・クイン。出演:ドンチャ・クロウリー、デイビッド・オマーラ、マイケル・ジャッド、シャダーン・フェルフェリ、下宮真周(しもみや・ましゅう)。ラッキーを演じるシャダーン・フェルフェリはインド出身、下宮真周は中学校1年生の少年である。東京・両国のシアターX(カイ)と演劇集団マウス・オン・ファイアの共同製作。
今回は作者であるベケット本人の演出ノートを手がかりに、ベケット自身の演出を忠実に再現することを目指したプロジェクトである。


「ゴドーを待ちながら」を観るのは記憶が正しければ3回目である。最初は2002年に東京・渋谷のシアターコクーンで(正確に書くとシアターコクーン内特設劇場のTHE PUPAで)串田和美演出のもの(串田和美のエストラゴン、緒形拳のウラジーミル)を観ており、京都に移ってからは近畿大学舞台芸術専攻の卒業公演で上演されたものを観ている。


「ゴドーを待ちながら」は初演時に大スキャンダルを巻き起こしたことで有名で、特にアメリカ初演の際は、1幕目終了後に客が列をなして帰ってしまったという話が伝わっている。

セットらしいセットを用いず、出演者は5人だけ。特にドラマらしいことも起こらないまま作品は進んでいく。

舞台上で描かれるのは人生そのものであり、大半の人間の人生がそうであるように、起伏というものがほとんどない。ということで「つまらなければつまらないほど上演としては成功」と考えられる作品である。

今回の上演では、移民や難民の問題に直面する社会を描くということで、ラッキーにインド人のシャダーン・フェルフェリを配役し、木の形をロシア正教のシンボル(八端十字架)に似せ、ポォツォやラッキーの服装に帝国主義を表す「青、赤、白」の要素を取り入れているという(ロシア、イギリス、フランス、アメリカなど帝国主義の国は国旗にこの色を用いている)。エストラゴンとウラジーミルという二人の浮浪者を始めとする現代人を圧迫しているのが帝国主義という解釈である。


行き場のない浮浪者であるエストラゴンとウラジーミル。生きる意味をなくしてしまっているようにも見えるのだが、「ゴドーを待つんだ」というそのためだけに「ここ」で待ち続けている。「救世主」なのか(「ゴドー」とは「ゴッド」のことだという解釈がよく知られている)、あるいは「死神」なのか。それはわからないが、ともかく「最期」にやってくるのがゴドーである。ゴドーが来るまでは我々はどこにも行けず「ここ」にいるしかない。たまに自殺という手段で「ここ」から逃げ出してしまう人もいるが劇中ではそれも封じられている(エストラゴンとウラジーミルの二人が死を望んでいることはそれとなく示されてはいる。一方でウラジーミルがしきりに尿意を催すことは「生きている」ことの象徴でもある)。劇中で行われるのは「退屈極まりない」という人生の属性をいかにして埋めていくかという作業である。時には観客も題材にしたりする。
ポッツォとラッキーの乱入はあるが、その場を掻き乱したり、時間の経過やその厳格さを示すだけであり、生きるということの本質を揺るがしたりはしない。我々はどこにも行けず、ただ「ここ」で来るのかどうかもわからないゴドーを待ち続けているだけである。

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2017年9月14日 (木)

笑いの林(93) ヒューマン中村単独ライブ「全然全然^^」

2017年8月28日 大阪・なんばのよしもと漫才劇場にて

午後9時から、大阪・なんばのよしもと漫才劇場で、ヒューマン中村単独ライブ「全然全然^^」を観る。ヒューマン中村はこれまで道頓堀のZAZAで単独公演を行ってきたが、今回は初のよしもと漫才劇場での単独ライブとなる。
「30人の劇場を手配したつもりが間違えて300人の劇場を押さえてしまった」という設定。
午後9時開演の公演ということもあり、入りは100人ちょっと。健闘した方だと思う。
 
よしもと漫才劇場では様々な演出が出来るということで、照明や映像、提灯の灯りなども用いる。
最初の漫談は「シャッフルことわざ」という面白くなりそうにないもの(「二階から弘法」、「鬼の目にも弘法」、「のれんに釘」など)。そしてこの敢えて面白くないネタに大仰な演出を施すことで笑いを誘う。フリップをめくる前にドラムロールが鳴ったり、むやみやたらとヒューマンを持ち上げるメッセージがスクリーンに投影されたり、タイトルが「アキナ牛シュタイン」(アキナ、和牛、アインシュタインの3組による人気ライブ)になってしまったり、「おいでやす小田単独ライブ」と、ヒューマンが一番一緒にされたくない芸人のライブということになったりする。

続いてのフリップ漫談は「スピンオフ」。映画やドラマのスピンオフのように、脇役を主役にした作品を作ろうというもの。
「浦島太郎」。浦島太郎が竜宮城を訪れる前に竜宮城をこしらえた若者達を描いた「竜宮BOYS」、そして鯛やヒラメの舞い踊りを完成させるまでの一種のスポ根もの「舞魚Haaaaaaaan!!」(「舞魚はレディ」でもいいな)。「桃太郎」は「山へ柴刈りに行ったおじいさん」を描いた「山猿」、「鶴の恩返し」では鶴を捕まえる罠をこさえた男達の物語「君の罠」、罠の材料を運んできたのは「山猿」だそうである。ある程度邦画の知識がないと内容がわからないネタである。


映像では、ヒューマン中村が改名をしようと思い立ち、ヒューマン中村の名付け親である三浦マイルドに電話で連絡するというネタを行う。三浦マイルドは何を聞かれても「マイルドフラッシュ」しか言わない(ニュアンスは変える)。後でメイキングをやるが、三浦マイルドはヒューマン中村の「何を聞かれても『マイルドフラッシュ』でしか答えない」という提案に快諾。更にNG集も流れたが、ヒューマン中村のスマートフォンにトラブルがあって止まった間も三浦マイルドは「マイルドフラッシュ」を続けていたことがわかる。三浦マイルドはかなりいい人のようである。


コント。ヒューマン中村はセーラー服を着て登場。さっきそこでセーラー服を着たかなり怪しい男と入れ替わってしまった女子として校門のところで語るのだが、真っ赤な嘘。クラスメートに呼びかけるも名前は出鱈目(「まり」と「豊」で両親の名前だそうである)。すでに警察もやってきてしまっている。そこで校内に爆弾を仕掛けたと内容を変えるのだがこれも当然ながら通用せず、そしてラストである。


フリップネタ。「腕相撲」は「腕相撲」という言葉より「相撲」という言葉がよりポピュラーであったために「腕の相撲」として言葉が生まれたということで、「もし二番手と一番手が逆だったら」という本人も「これややこしいな」というネタをやる。もしも「まわしすら纏わない相撲」が今の相撲よりもポピュラーだったと仮定した場合、今の相撲は「着用相撲」になったそうである。「がらがら相撲」は、土俵の上がぎゅうぎゅうだった場合が普通だった場合は、土俵上があいている今の相撲は「がらがら相撲」になったそうである。また空中で行う「スカイダイビング相撲」がポピュラーになっていたとしたら今の相撲は「地上相撲」になっていたそうで、「まげ相撲」と呼ばれる場合は「テクノカット相撲」がポピュラーだった時である。ちなみに入りの音楽が落語の出囃子調にアレンジされた「千のナイフ」だったのだが、ヒューマン中村は坂本龍一やYMOが好きなのだろうか。
テーマが「餃子」に変わって、「陸上餃子」。「水陸両用餃子」が広まっていた場合は今の餃子は「陸上餃子」になるという。餃子は焼き餃子も水餃子もあるので、水陸両用餃子もありえる(かな?)


「ポエム」。ポエムの朗読。「一つだけ願い事が叶うなら富でも名誉でもなくあの空を飛ぶ鳥のような虫を食べる能力が欲しい」というフォークソングをなぞったもので、食べるものがいつでもそばにあるのがいいらしい。ゴキブリなどもごちそうになるそうだ。


ショートコントならぬショートコンボ。ピンのショートコントをいくつも繋げるというものである。
「闇のゲーム」。人々が館に集められているという設定。館の主であるヒューマン中村は仮面をかぶり、「この館に仕掛けられた謎が一つある。それを探し出して答えて欲しい。ただし、24時間以内に答えられなければ命は」というところで答えが出てしまう。正解者はクイズ選手権で3連覇している沢村さんだそうで、ヒューマン中村は沢村さんのファンだったそうである。
それはそれとして、まるまる24時間が余ってしまうことになった。暇らしい。

「温暖低気圧に茶々入れる人」。「ねえねえおまえ昔台風だったんだって?」で終わりである。

「シニアパソコンスクール」。ヒューマン中村はご老人のためのパソコン教室の講師という設定。しかし、このパソコンスクールに来ているのは警視庁のサイトをハッキングするお爺ちゃんや、「人間の善悪を科学的に完全に識別するソフト」をプログラミングしているお婆ちゃんなどとんでもない腕利きばかり。そこでヒューマン中村演じるパソコン講師はパソコン教室を閉め、皆で世界を乗っ取ろうと提案する。


コント「タイムトラベラー」。ヒューマン中村が170年後の未来からやってきた未来人と出会う。出会うと歴史が変わってしまうため、出会った人には記憶をなくす薬を飲んで貰っているという。
ヒューマン中村は「溶脈」という怖ろしげな名を持つ謎の病気の存在を知る。2017年の時点では存在しない病気である。170年後の未来には空間にディスプレイを生み出すことが可能になっている。「病気事典(?)」を読む上げるヒューマン中村は、「溶脈」とは「2018年に発見された病気で」というところで「来年? 何があったの?」となり、「え? 俺、1号者?」と気づく。ちなみにタイムトラベラーは過去と未来の感染経路についてはわかっておらず、「時空?交通局?もそんな人にタイムトラベラーの免許与えちゃダメだよ」とダメ出しされる。タイムトラベラーは溶脈の薬を持っていたのだが毒々しい赤の8錠で……。


「俯瞰」。日常なにげなく過ごしている空間だが、俯瞰でとらえると妙に思えるというネタである。
「小学校」。「小一時間ほど一人で話し続けている人(先生)がいる」「歩いて通う人より自動車に乗って通う人の方が上という序列」「裸足で地面の上を走らされる日がある(運動会)」「週に1回しかパンが食べられない(給食)」「おしっこを集めて回る謎の団体(検尿)」「たまに変な奴いる」
「初詣」。「行列して並んだのに中に入れてもらえない」「お金を出して買ったのに残念賞すらない(おみくじ)」「ゴミを縛り付けて帰る(やはりおみくじ)」
「結婚式」。「やたらと身内だけを集めているコンビ」「米を配られるが食べられない(ライスシャワー)」「ものを取り分ける様を見せられる(ケーキ入刀)」、「火をつけながらテーブルを回る(キャンドルサービス)」
「ドラえもん」。「多くの男子と仲良くしている女の子がいる」「いじめっ子をやっつけるためのAI機器の存在」「引き出しにとんでもないもの隠している奴がいる」


これで本編は終わったのだが、スクリーンのエンドロールに「特別出演 信濃岳夫(吉本新喜劇)」という文字が映り、舞台下手から警官に扮した信濃岳夫が登場。本番を終えたヒューマン中村(舞台上手から出てくる)に職務質問を行うというコントがある。ヒューマン中村は職業を聞かれて面倒になり「ポエムを朗読しています」と言ってしまう。鞄の中にフリップが入っているのだが、「スカイダイビング相撲」や「水陸両用餃子」と書かれた文字を読んだ信濃は「これのどこがポエムなんだ?」といぶかる。
更に鞄からセーラー服が出てきたため、信濃は「おまえやったな! これはやったな!」と叫ぶ。ヒューマン中村は「劇場から持ってきたんです」と言うが、「なんばグランド花月の向かいにある」と言ったため、「NMB(48)劇場じゃないか!」と言われる(よしもと漫才劇場はNMB48劇場のあるビルの5階にある)。
お笑い芸人だと打ち明けることにしたヒューマン中村だが、「(お笑い芸人)にしては華がないな」と言われる。ヒューマン中村も「それは昔から悩んでいるんですが」
更に、おいでやす小田に間違われる。
信濃扮する警官はお笑い好きでR-1ぐらんぷりも見ているのだが、今年も去年もヒューマン中村は決勝に残っていない。その前に見たのは2010年度で、ヒューマン中村が決勝に進んだ5年分だけ丸々抜け落ちていたのだった。

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2017年9月12日 (火)

コンサートの記(317) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第616回定期演奏会

2017年9月3日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第616回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はアメリカ出身のジョン・アクセルロッド。

京響の他にもNHK交響楽団などに客演しているジョン・アクセルロッド。ハーバード大学音楽学部で指揮をレナード・バーンスタインとイリヤ・ムーシンに師事し、現在はスペイン王立セビリア交響楽団音楽監督とミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。


曲目は、武満徹の「死と再生」(映画「黒い雨」より)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」、ベルリオーズの幻想交響曲。

プレトークでアクセルロッドは今日のプログラムが「死とその後」というテーマに基づくことを解説する。死を描いた作曲家としてアクセルロッドは他に、マーラー、ショスタコーヴィチ、サミュエル・バーバーを挙げる。3人ともアクセルロッドの師であるレナード・バーンスタインが得意としていた作曲家だ。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは渡邊穣で、久しぶりに京響のコンサートマスター二人が揃う。チェロの客演首席としてNHK交響楽団首席チェロ奏者の「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。


アクセルロッドは、武満とシュトラウスでは老眼鏡を掛けてスコアをめくりながらの指揮であったが、幻想交響曲では眼鏡なしで暗譜で指揮。譜面台も取り払われていた。


武満徹の「死と再生」(映画黒い雨」より)。京響の弦がいつもより洗練度が乏しく聞こえ、武満作品に十分な繊細がないようにも思えたが、今日も私はポディウム席で聴いており、弦楽群と距離があったためにそう感じられただけかも知れない。
アクセルロッドの指揮は細部を丁寧に重ねていくもので、構造をきちんと明らかにするものだったが、日本人演奏家による武満と比べるとタメの作り方に違いが見られた。スラスラ進みすぎてしまうように感じられた場面もあり。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」。京響は弦も管も輝かしい音を出し、ボリュームも十分で好演となる。
アクセルロッドの指揮棒も巧みであり、途中、「見通しが悪いな」「雑然としてるな」と感じさせるところもあったが、中盤からは彼岸を見つめるようなたおやかな音色による音楽で語りかけ、陶然とした雰囲気を作り出す。


ベルリオーズの幻想交響曲。第2楽章にコルネットを入れた版での演奏である(コルネット独奏:ハラルド・ナエス)。
アクセルロッドの息が多少気になるが、冒頭から色彩豊かな音色を京響から引き出す。アクセルロッドは京都コンサートホールの長い残響を意識しているようで、パウゼを長めに取る。
迫力、色彩感、パースペクティブ、どれを取っても及第点だが、第5楽章に下手で打ち鳴らされる鐘はいくらなんでも音が大きすぎる。またラストに向かってはおどろおどろしさを協調したためかテンポが重々しく、エスプリに関してはクルトワ、ゴーロワの両方で欠けていたように思う。

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2017年9月 9日 (土)

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団 ベートーヴェン 交響曲第5番

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2017年9月 8日 (金)

コンサートの記(316) 原田知世35周年アニバーサリー・ツアー「音楽と私」 in 京都

2017年9月1日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、原田知世35周年アニバーサリー・ツアー「音楽と私」 in 京都 2017を聴く。今年7月に発売になった原田知世のデビュー35周年記念リメイクアルバムによるツアー公演の今日が初日である。

原田知世のコンサートに行くのは2度目、前回は大阪のなんばHatchでの公演であった。

休憩時間15分を挟む二部制であり、曲目はアルバム「音楽と私」に含まれるものが中心で、公演時間はアンコールも含めて2時間弱とそれほど長くない。

ステージ後方のスクリーンに映像が投影される演出がなされていたが、休憩中に公演主催者からのお詫びの言葉があった。2階席後方からは映像がよく見えないとのことであった。私は今日は2階席の2列目で聴いていたが、2階席後方からの角度を軽く計算するとおそらく映像はほとんど見えないと思われる。

映画「時をかける少女」の映像が映り、「音楽と私」の第1曲でもある同名曲でスタート。知世ちゃんがステージ下手から現れた瞬間、「可愛い!!」と声を上げる女性客が数名。原田知世も今年の11月で50歳なのだが、複数の人から「可愛い!!」と言われるアラフィフ女性というのも凄い。


松たか子もそうだが、「本業が女優である歌手」はトークも含めて商品という感じがする。今日も原田知世はお客さんから笑いを引き出すなどトークが巧みである。

ツアー初日ということもあってか、歌詞が飛ぶなどのミスがいくつかある。
キャンディーズの「年下の男の子」を振り付きで歌い、チャーミングでとても良かったのだが、思いっきり失敗してしまい(Bメロを歌うべきところをAメロで歌おうとしてしまった)、その時は流石に「あー! やっちゃったー!」という仕草を見せた。
トークでは、「皆さんが凄く温かく、凍り付くような場面があったりしましたが、皆さんが溶かしてくれた」と上手くまとめていた。女優だなあ。
音楽番組に出演した時の話や近況報告などもある。来年の春から始まる朝の連続ドラマに出演が決まったのだが、朝ドラの出演は二度目で、前回の「おひさま」では始まってから1週間ぐらいで死んでしまい、後は遺影という役だったため、今度はなるべく生き延びたいと言って笑いを取っていた。この夏には映画を撮っていたそうだが、詳細はまだ明かせないそうである。
今日の赤を貴重としたドレスは「ミュージックステーション」に出演した際にも来ていたものだが、「ミュージックステーション」に久しぶりに出演した時に思ったのは、「テレビでしか見たことのない人の中にいる」という事で、「デビューした頃には、『夜のヒットスタジオ』、『ベストテン』。『トップテン』なんかに出てたんですけど、制服のままスタジオに向かって衣装に着替えて本番」ということで「浮いてるなあ」と感じていたのだが、それは今もほとんど変わっていないと言ってまた笑いを取っていた。

本編ラストとなる「くちなしの丘」の前半部分では、原田知世のソロギター弾き語りがある。歌い始めてからすぐに止まってしまい、再スタートして今度はなんとか上手くいった。

アンコールは3曲。今日から9月ということで、竹内まりやの「September」が歌われ、ラストは「時をかける少女」のボサノバ風編曲(2007年版。ギター伴奏:伊藤ゴロー)で締められた。

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2017年8月22日 (火)

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

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2017年8月18日 (金)

コンサートの記(315) 川瀬賢太郎指揮 京都市交響楽団第615回定期演奏会

2017年8月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第615回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は若手の川瀬賢太郎。京都市交響楽団とは何度か共演しているが、定期演奏会への登場は初めてである。

ヴェルディの「レクイエム」1曲勝負。京都市交響楽団は8月の定期演奏会は宗教曲を演奏するのが恒例である。合唱は京響コーラス。独唱は、小川里美(ソプラノ)、福原寿美枝(メゾソプラノ)、藤田卓也(テノール)、妻屋秀和(バス)

京響は昨年7月にもロームシアター京都メインホールで、西本智実指揮によるヴェルディの「レクイエム」を演奏しているが、残響豊かな京都コンサートホールでの演奏の方がやはり聴きやすい。


開演20分前から、指揮者の川瀬賢太郎によるプレトーク。川瀬は京響首席打楽器奏者である中山航介と共に登場。二人は私立八王子高校芸術コースの同級生だそうである。川瀬は常任指揮者を務めている神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会でもプレトークを行っているのだが、「一人では心細い」と思い、「京響の常任指揮者で私の師でもある広上淳一先生が複数でプレトークを行っていると小耳に挟みまして」ということで中山を連れてプレトークを行うことにしたと語る。
川瀬は、ヴェルディの「レクイエム」について、「弱音の指定が細かい。ピアニシモシモシモシモぐらいの指定がある」、「オペラの作曲家なので、音の響いていないところが雄弁」と述べる。
中山は川瀬について、「こいつ、こっち(ティンパニの方)見ないんですよ。信用してるからだと思うんですけど」、「目が合わないと思っていたら、リハーサルが終わってから『あそこのところだけどさあ』と言われて、『ああ、ちゃんと聴いてるんだ』とわかった」と語った。


今日はポディウム席の5列目の席で、「いつもよりステージから遠いなあ」と思ったが、今日はポディウムは1列目と2列目は販売しておらず、3列目からの使用であった。別にチケットが売れるのが早かったから後ろの席になったのではなかったことがわかった。


今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚(いしだ・やすなお)。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラは泉原隆志。第2ヴァイオリンの首席も客演の西尾恵子が入る。独唱者はステージ前方ではなく、オーケストラと合唱の間に立つ。


京響の弦は輝かしく、金管も力強い。川瀬はジャンプを立て続けに繰り出すなど若々しい指揮であり、「怒りの日」などは打楽器を強調して大迫力の演奏を行ったが、低弦を強調しないタイプであるためか、音の重心が高く聞こえ、好き嫌いが分かれるかも知れない。「怒りの日」のトランペットのバンダは3階席のステージから遠い場所で吹かれた。
京響コーラスは充実。厚みもあり、見事な合唱を聴かせていた。独唱者の歌唱も優れていた。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団 スッペ 「軽騎兵」序曲

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