2018年1月20日 (土)

これまでに観た映画より(96) 「DESTINY 鎌倉ものがたり」

2018年1月15日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観る。「ALWAYS 三丁目の夕日」の西岸良平の漫画を、「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴の監督で映画化。出演:堺雅人、高畑充希、安藤サクラ、堤真一、吉行和子、田中民(民はさんずいに「民」)、要潤、大倉孝二、神戸浩、國村隼、鶴田真由、三浦友和、市川実日子、ムロツヨシ、瀬戸たかの、木下ほうか、薬師丸ひろ子、橋爪功、中村玉緒ほか。声の出演:古田新太。音楽:佐藤正紀。主題歌:宇多田ヒカル「あなた」

妖怪や幽霊の出る架空の鎌倉(パトカーにも神奈川県警ではなく鎌倉警察と書かれている)が舞台。
三文ミステリー小説家の一色正和(堺雅人)と出版社のアルバイトをしていた亜紀子(高畑充希)は新婚。代々、民俗学の学者をしていた一色家で新が婚生活を送ることになるのだが、鎌倉には妖怪や幽霊が出る。初めて河童を見た亜紀子は震え上がってしまい、トイレにも一人でいけなくなってしまう。
ある日、正和と亜紀子は化け物が繰り広げる夜市で、優子(吉行和子)に出会う。実は優子はすでに他界しているのだが、死神(安藤サクラ)との話し合いで、旦那(橋爪功)が他界するまでこの世に居させて貰っているという。
そして、一色家には貧乏神(田中民)忍び込んでいて……。

基本的にはファンタジー映画だが、黄泉国に向かうところなど、アドベンチャーの要素も盛り込んでいる。黄泉国ではその人の心象によって風景がガラリと変わるそうだなのだが、これはエマニュエル・スウェーデンボルグの発想であり、そうしたポイントもちゃんと押さえているの好印象である。

高畑充希演じる亜紀子の人物造形が実にチャーミングに出来ており、もはや「ずるい」領域である。あんな子ともう会えなくなるなんて考えたら、自然に涙が出ちゃうよね。三十歳を越えたら涙腺が弱くなってるんだから、無闇に泣かせたりしないで欲しい。ちなみにファーストカットは亜紀子の顔のアップからなのだが、亜紀子の魅力は一貫してぶれることがない。

堺雅人はお得意の飄々とした男を演じており、今回もはまっている。死神を演じる安藤サクラは若い頃はそうでもなかったが、今ではとても魅力的な女優になった。

「龍馬伝」などの佐藤正紀の音楽もやや大仰ながらゴージャス感に溢れ、スケール雄大。明らかにハリウッド映画を意識した音楽作りである。

また観に行きたくなる映画であった。私は映画のパンフレットはまず買わないのだが、今日は購入。帰りに河原町OPAのタワーレコードでサウンドトラックも購入した。

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コンサートの記(338) 「渾身!!ラフマニノフ 長富彩 ピアノ・リサイタル vol.2」

2018年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「渾身!!ラフマニノフ 長富彩 ピアノ・リサイタル vol.2」を聴く。埼玉県出身で、結婚後は神戸市在住のピアニスト、長富彩のザ・シンフォニーホールでの2度目のリサイタルである。タイトル通りオール・ラフマニノフ・プログラム。当初は聴く予定がなかったのだが、全曲ラフマニノフのピアノリサイタルを聴く機会はそうそうないだろうし、長富彩の新譜も出たのでサインでも貰うか、ということで出掛けてみる。前回の、ベートーヴェン&リストのリサイタルで、細部をしっかり描いていたというのも好印象であった。

今回もザ・シンフォニーホールの1階席のみの利用で、2階席は開放していない(録画スタッフがカメラを構えているのが確認出来る)が、入りは上々である。

曲目は、絵画的練習曲「音の絵」Op.33-1よりヘ短調とOp.39-1ハ短調、6つの歌より「ひなぎく」、楽興の時Op.16、パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏、幻想的小品集より第1曲「エレジー」、第2曲「鐘」、ピアノ・ソナタ第2番。


長富は、上が金色のラメ、下が深紅というドレスで登場。弾き始める前にちょっと神経質な仕草を見せる。

演奏であるが、音を一切流すことなく、一音一音を丁寧に積み上げて堅固なフォルムを作り上げていく。この方法はラフマニノフだけに極めて有効である。また音楽を横の流れでとらえるのではなく、音像の縦の線を編みだし続けているという印象を受けた。流れの人、例えば指揮者でいうと広上淳一とは真逆の音楽性である。
こうしたことをどこまで自覚的にやっているのか気になったので、終演後のサイン会の時にそれとなく探りを入れてみたのだが、「この人はどうやら自分のピアノスタイルをよく把握していないようだ」ということがわかったため、自覚していなくても才能で出来てしまうということであるらしい。YouTubeやサイン会での話し方を見ると、長富彩はけっこうな不思議ちゃんである。同い年の萩原麻未もインタビューで「何言ってんのかわからない」ことがあるため、女性ピアニストとして珍しいことではないのかも知れない。

パガニーニの主題による狂詩曲より18変奏でのリリシズムの表出も上手いし、有名曲となった「鐘」(ラフマニノフの生前は有名で、20世紀最高のピアニストでもあったラフマニノフのリサイタルでは、聴衆がアンコールで「鐘」を弾くまで帰ろうとしなかったらしい)の哀感の描き方も巧みである。

ラフマニノフというと甘美だの映画音楽的だのと言われるが、彼の音楽の本質は「苦悩の果てでギリギリ踏みとどまっている」もののように思える。


アンコールは、リムスキー=コルサコフの「くまんばちの飛行」(ラフマニノフ編曲)。高度なメカニックを味わうことが出来た。

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2018年1月19日 (金)

これまでに観た映画より(95) 「火花」

2018年1月16日 MOVIX京都にて

MOVIX京都のレイトショー上映で、日本映画「火花」を観る。吉本興業の制作。板尾創路監督作品。原作は又吉直樹の芥川賞受賞作。
出演:菅田将暉、桐谷健太、木村文乃、川野修士、三浦誠己、加藤諒、高橋努、日野陽仁、山崎樹範ほか。

テレビのお笑い番組に出たりはするものの、うだつの上がらない芸人・スパークスの徳永(菅田将暉)と、先輩芸人・あほんだらの神谷(桐谷健太)の物語。徳永はサッカーの大阪選抜に選ばれたことがあるという設定であり、又吉直樹自身が投影されている。

日曜日(2018年1月14日)に見た「新生紀ドラゴゲリオンZ」でR藤本が映画「火花」を紹介しており、「芸人の又吉の原作を芸人の板尾が監督しているため、芸人が見るとリアルすぎて痛い」と語っていた。興味を持った。
お笑いの話であるが、終始一貫して悲しみに包まれている。お笑いは感情を動かすことだが、悲しみはより普遍的に感情を突き動かしていく。その関係を例えるなら二卵性双生児のようなものだ。

自分に素直であろうとして壁に当たり、尊敬していた先輩の醜態を知る。そしてこれまで同格であった芸人の出世を見せつけられる辛さ。表現に生きる男達のひりつくような痛みが、そこには確かにある。
ただこれは悲劇ではない。お笑いの世界に生きた意味が強く肯定されているポジティブな映画だ。


私は常々、世界というのは一つの山脈のようなものであり、個々の人間はその一つの峰のようなものであると考えてきた。ユングの影響もあるのかも知れないが、そうした考えをある意味、肯定してくれているような映画だった。

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西郷どんの顔

※ この記事は、2017年12月18日にかかれたものです。

 

Saigo

1898年12月18日、上野公園で西郷隆盛銅像除幕式がありました。作は高村光雲(高村光太郎の実父としても有名です)。西南戦争での西郷の自刃から21年後のことです。ただこの時、西郷未亡人の糸さんが除幕式に立ち合い、「宿んし(主人)はこげんなお人じゃなかった」と語ったというエピソードは有名です。また西郷を高く評価していた板垣退助は、上野の銅像の出来に不満であり、自らが動いて西郷の顔によく似た肖像画を作らせています(現在は行方不明)。

2018年の大河ドラマ「西郷(せご)どん」の主役である西郷隆盛。木戸孝允、大久保利通と共に「維新三傑」の一人に数えられ、知名度も抜群の人なのですが、本当はどんな顔をしていたのか、今になってはわからないという人でもあります。西郷は写真嫌いであり、俗に「幽霊と西郷には写真がない」といわれている通り、あの時代にありながら写真を一枚も残しませんでした。戊辰戦争時に東征大総統府下参謀などを務めた西郷ですが、文字通り参謀的な役割を担うことが多く、自身の顔が広まるのを嫌ったという話もあります。

西郷隆盛の顔としてよく知られているものは、上半分が西郷の実弟である西郷従道(じゅうどう)、下半分が西郷の従兄弟の大山巌の顔を参考に、明治天皇の肖像画などで知られるイタリア人画家のキヨッソーネの手がけた銅版画で、あくまでも肖像画であり、写真ではありません。キヨッソーネは西郷と面識はなかったそうで、あの顔は想像の産物です。西郷隆盛の軍服などが残っているのですが、それから推察すると従来のイメージほどには肥満体型の人ではなかったことがわかります。

一方で、生前の西郷に会ったことがある人が描いた肖像画がいくつか残っていますが、西郷隆盛の顔のイメージから大きく離れたものという印象を受けないのも確かです。意志の強そうな大きな目、角張った顔立ち、大きな耳が共通した特徴です。ともあれ、肖像画も西郷本人を目の前にして描いたものはないようで、決定版といえるものは存在せず、今後も現れることはないでしょう。

ただ、西郷隆盛の実際の顔がわからないということは、同時代の偉人達の多くが写真を残しており、本当はどんな顔をしていたのかわかっているからこそ問題になるわけで、それ以前の肖像画しか残っていない歴史上の人物と同列だと考えれば、特に問題ではありません。考えてみれば政治家の場合、顔が違ったら成したことも変わっていただろうと思われるケースは、ジョン・F・ケネディなど少数にとどまるはずで、顔の影響を重要視するのは、マスメディアが発達した時代の考え方なのかも知れません。

「それでも西郷の本当の顔が知れたいんだ!」という方(果たして何人いることやら)には、西郷の曾孫である西郷隆文氏の写真をご覧になることをお薦めします。肖像権侵害の可能性があるのでここには載せませんが、こちらのサイトなどで見ることが出来ます。「ああ西郷の顔だ」と納得される方が多いと想像します。

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月と文化

※ この記事は2017年12月4日に書かれたものです。

 

「でっかい月だな」

「月見れば千々にものこと悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど」(大江千里。おおえのちさと)

「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」(西行)

 

昨夜、12月3日の満月は、スーパームーンといって特別に大きな月でした。

私は深草にある京セラ美術館に行った帰りにスーパームーンを見ましたが、東山の山の端に鎮座まします満月は威厳があるというか、主張が強いというか、とにかく独特の風情がありました。

月は、人類の歴史において、常に特別な存在であり続けました。

日本においての月の神様は、月読神です。物静かな神様なので、姉の天照大神(太陽神)、弟の素戔嗚命(元々は海の神)に比べると地味な印象ですが、伊勢の月読宮は立派な社ですし、京都・松尾の月読神社(松尾大社摂社)は、安産の神様として、厚い信仰を集めています。

月は満ちてはかけるため、気まぐれな性質の象徴となっており、ギリシャ神話のヘカテーは、後世、魔女として扱われることになりました。

月にまつわる話として日本で有名なのは、なんといっても「竹取物語」。月に帰っていくかぐや姫の物語です。

さて、このかぐや姫の性格を「満ちては欠ける月のように気まぐれで、どうしようもなくわがままな箱入り娘」とする解釈がありますが、それにはどうしても承服できかねる部分があるので、独自の解釈を示してみたいと思います。

かぐや姫を月の国からのスパイだと仮定してみましょう。彼女は日ノ本の国での情報収集のために遣わされました。さて、見目麗しい赤子としておじいさんに拾われ、この国で生活するための基盤を築きますが、その美貌が災いして、多くの美男子より求婚されることになります。結婚してしまったら任務を遂行することも月に帰ることも叶わなくなってしまう。そこでかぐや姫は求婚者たちに絶対に実現不可能な要求を突きつけます。達成されることはないので結婚に漕ぎつけられることはないだろうし、相手を傷つけず、無理なく結婚の申し込みを断ることが出来る。それでも向う見ずにも宝を探すための危険を冒して命を落としてしまう者や、嘘をついて宝物を獲得できたなどの吹聴する輩が出てきてしまうわけですが、これはかぐや姫側の問題というよりも求婚者の浅ましさと見るべきでしょう。かぐや姫は放恣な性格のとんでも女ではなく、思慮深く相手思いな女性だったように思われます。

かぐや姫が月に帰る場面でも、多くの人が「月には返すまじ」と戦っているので、彼女は人々からあたかも月そのもののように愛されていたことがうかがえます。

最後に、月に対する大和心を表していると思われる、吉田兼好の『徒然草』からの一説を紹介して締めたいと思います。

 

「長月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。

その人、ほどなく失うせにけりと聞き侍りし」

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A rolling stone gathers no moss

※ この記事は2017年12月2日に書かれたものです。

 

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

12月2日の誕生花は苔です。京都の西芳寺の苔の美しさは有名ですし(拝観には事前申し込みが必要)、国歌「君が代」においても苔は年を経ためでたさの象徴として称えられています。

さて、イギリスのことわざに“A rolling stone gathers no moss.”というものがあります。ロックバンド、ザ・ローリングストーンズの由来となったことわざですね。日本語訳は「転石苔を生ぜず」

比較的よく知られたことわざですが、イギリスとアメリカでは受け取り方が違うことでも有名です。

イギリスでの“A rolling stone gathers no moss.”は、「転んでばかりの石、つまりあちこち転々をしたり落ち着きがないものは、苔むすような貫禄や安定とは縁がない」という意味です。ザ・ローリングストーンズは一種の皮肉として自分達のバンド名にこのことわざを使っています。

一方のアメリカでの“A rolling stone gathers no moss.”は、「フットワークが軽ければ、苔がむすようなことはない」といった意味にとられることが多いようです。苔がマイナスイメージで、苔むすことは「機敏さがなくなる」という受け取り方のようです。

さて、日本ですが、国歌で苔は「よきもの」ととらえられていますので、イギリス寄りの解釈がなされることが多いようですが、私が若い頃(約数十年前)から「今の若者は『転石苔を生ぜず』の意味を逆にとらえている」と嘆かれていました。解釈がアメリカ寄りになっているのですね。アメリカナイズされたからなのか、学校の事情なのか(お察しください)単に苔のイメージが変わったのかはわかりませんが、苔にマイナスと解釈されるようになってきているようです。

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2018年1月18日 (木)

筒井筒

「筒井筒井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」(在原業平)

この歌は、現在の奈良県天理市の在原神社境内にある井戸(筒井筒)について詠まれたものと言われています。昔、当地には在原氏の屋敷がありました。

一組の男女の歌です。子供の頃、男女はいつも仲良く遊んでいました。そしてこの筒井筒で背比べをし、背の高さをこっそりと刻んでいたりもしました。

しかし、やがて思春期が訪れ、男女は互いを意識し始めてなかなか会わないようになってしまいます。

そうこうするうちに、結婚適齢期となった(といっても当時は十代半ばですが)女のもとに結婚話が舞い込みます。男女は今も相思相愛なのですが、横槍が入りそうになったわけですね。

男は女に筒井筒の歌を送ります。「昔は筒井筒の横に立って背の高さを測ったものでしが、あなたと会わないでいる間に、筒井筒の井桁よりも背が高くなってしまいました」

これに対して女は、「くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれか上ぐべき(あなたと比べてきた振り分けの髪も肩を過ぎる長さになりました。この髪をあなた以外の誰のために結い上げるべきでしょう)」と返し、二人は親の反対を振り切って結ばれることになりました。

 

これだけなら物語として特に珍しい展開にはならないのですが、この男というのが稀代のプレイボーイである在原業平であるため、当然、浮気に走ってしまうということになるのです。しかし、妻の夫思いの様子に気づいた男が浮気をやめるという展開が続きます(浮気をする業平に妻は「風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ 」と詠んで夫の身の上を心配した)。

 

さて、能の大成者として知られる世阿弥(観世元清)が、「筒井筒」を題材にした「井筒」という能の演目を作っています。世阿弥の自信作の一つです。

ここでは歌が、「筒井筒井筒にかけしまろが丈 生いにけらしな妹見ざるまに」に変わっています。「生い」は「老い」に掛かっています。

設定は、「筒井筒井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹見ざるまに」という歌が詠まれてから100年ほど経った時代。亡き在原業平の邸宅の後は在原寺という寺院になっていたのですが、すっかり荒廃しています。夜、旅の僧が、筒井筒のところにやってきて、業平とその妻を弔います。

そこへ在原業平の妻である紀有常の女(むすめ)の幽霊が現れて、自身と業平との往時の逢瀬を語ります。「筒井筒井筒にかけしまろが丈 生いにけらしな妹見ざるまに」という恋の歌を思い出した女は、自身がもう老いてしまったことに気づき、浮き立つような恋を重ねた若い頃には戻れないのを嘆くのでした。

能「井筒」では、業平と紀常有の女のその後がどうなったのかについての直接的な説明はありません。幽霊になって出るくらいですから、何らかの妄念はあるのでしょうが、僧に回向を頼むという能のお決まりのパターンはありません。女はただ業平との在りし日を偲び、業平の格好をして舞うだけです。

あるいは、女と業平との最上の日々を、疑問の余地もなく愛し合っていた二人のことを伝えたかったのかも知れません。ただ正確な答えは用意されないまま、能は夢幻のうちに終わっていきます。

何年か前に、夜の筒井筒を訪れたことがあります。在原神社があるのは天理市の外れ。とても寂しいところでした。闇の中に浮かぶ筒井筒は不気味でもありましたが、同時に歴史の証人としての貫禄が備わっていました。

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笑いの林(99) タナからイケダ単独ライブ「神方MANZAI~白虎~」

2018年1月12日 道頓堀ZAZA POCKET'Sにて

午後8時45分から、道頓堀ZAZA POCKET'Sで、タナからイケダ単独ライブ「神方MANZAI~白虎~」を観る。
京都府住みます芸人のタナからイケダ。といっても田邊猛德が3児(うち双子一組)の父ということもあり、現在は大阪に戻っているのだが、京都府内のイベントに参加しているほか、祇園花月でのレギュラー公演、KBS京都への番組出演などを継続している。ということで京都府在住者が応援したくなる漫才コンビである。といっても私は京都人ではなくバリバリの関東人なんだけどね。

京都でも単独ライブを行って欲しいのだが、京都でやっても集客が見込めないということもあり、単独ライブは比較的小さなZAZA POCKET'Sを常打ち小屋のようにしている。

隣のZAZA HOUSEには何度も入ったことがあるが、ZAZA POCKET'Sは初めて。いかにもライブハウス然としているZAZA HOUSEに比べてZAZA POCKET'Sはブラックボックスタイプの小劇場のような感じである(実際にそう使われている)。

登場の挨拶に続き、まずは1本目の漫才。
イケダの方の池田周平が、ミュージシャンに憧れているということで、2週間前に音楽家を志したばかりのノセタカシというミュージシャンに扮してサンメゾン502という場所でライブを行う。田邊は観客役である。
サンメゾン502という場所はマンションの一室。しかもノセタカシの自宅だそうである。ノセは「2階席のみんな!」と呼びかける。ロフトにオーディエンスがいるらしい。更に「寝室のみんな!」と言うが返事がない。田邊が「寝てるんじゃないですかね」と言う。ちなみにお隣の501の住民は壁を叩くことで騒音苦情を言ってくる。
ノセは、「いくぞ! いくぞ!」と連呼するが、それが1曲目の「いくぞ」であったという謎の展開。バンドメンバーの紹介になるが、紹介されるのはノセの父と母で単なる家族紹介に終わる。
ノセの小学校、中学校、高校と一緒だった同級生が昨年、ガンで亡くなったという話をするのだが、「47歳の若さで」と語り、田邊に「え?! お前、今、48なん?! そんで2週間前にミュージシャンになったん? きっしょ!」と言われる。

フリップでで8人漕ぎの自転車と、なぜかおじさんが乗っかっている9人乗りの自転車の写真が紹介され、田邊と池田が音声で語る場面の挟み、2つめの漫才。
池田が、「若い女の子の話す日本語が乱れている」という話をするのだが、スターバックスコーヒーのことを「スタコ」と略したり、激怒(「げきど」ではなく「激おこ」)のことを「げきいか」と読んだり、無理に若者言葉を使おうとして変になるというネタである。スターバックスにまんじゅうを持ち込んでいるおじいさんがいたそうで、「まじまんじゅう(まじ卍を間違えて覚えていた)」と言ったかと思えば、「まんじゅう持ち込んだらあきまへん」と急に古くさい言い方になったりする。実はそのおじいさんが親戚だったというオチなのだが、田邊に「なにその謎のオチ」と言われていた。


心霊写真ネタのフリップ&音声ネタは挟んで3つめの漫才。
田邊と池田と後輩芸人2人と計4人で、来週、日帰り旅行に出掛けるそうだが、後輩芸人は二人とも運転免許を持っていないそうで、田邊と池田の二人が運転しなければならないのだが、池田が、「行きしなは俺が運転してやるよ」と言い、田邊に「なに? してやるよ。って俺も行きしなの方が良い。帰り疲れるやん」と言う。池田は「行きしなーいと(息しないと)疲れるよ」とだじゃれで返す。
池田のプランではスキー場に行って6時間スキーをするそうなのだが、その後、温泉に行き(田邊「粋やん!」)、その後、4時間ほど蟹パーティーをしながら酒を飲むのだが、田邊が「俺、飲めへんやん?!」となる。池田は、「俺も飲みたくないねん。でも先輩の俺が飲まんと後輩の二人が飲めへんから」ということで飲むそうで、やはり飲みたいがために田邊を帰りのドライバーにしたいようだ。更にバーに行く予定も入っているようで、田邊に「最初から飲む気満々やん!」と突っ込まれる。


池田がエジプトの滞在2時間の旅行に行ったという設定の写真が出て、音声が流れる。ギザの三大ピラミッドを背景に池田が記念写真に収まっているのだが、ピラミッドを先ほどのおじさんが乗っかった9人乗り自転車が昇ろうとしているという意味不明の絵が出てくる。


最後の漫才。「新幹線のワゴン販売」。田邊がワゴン販売員、池田が客に扮するのだが、池田はワゴンのところまでズンズン歩いてきて注文するというあまりいないタイプの客を演じる。すぐそばにいるひげもじゃのお客さんを池田は、「海賊だ、海賊だ」といじる。田邊は「海賊じゃないですから! 海賊は陸路を通らない!」
で、注文するのだが、「キャベツある? 豚肉ある? 小麦粉ある?」で新幹線の中でお好み焼きを作ろうとする変な客になってしまう。「大阪に住んでて東京に行くのに2時間半掛かるっていうからその間に」お好み焼きを作ろうと考えたそうだ。池田は、大阪銘菓「りくろーおじさん」の焼きたてチーズケーキをお土産として10人分持っているのだが、それだけでは足りないようで、「コーヒー容れて、ホットで10人分」と社内販売のコーヒーをお土産にしようとする。更に先ほどのおじさんを「海賊が陸路を取ってるから、りくろーおじさんだ」と茶化して、田邊はつい「あの人は、りくろーおじさんじゃありません! 海賊です!」と言ってしまう。
田邊はポテトチップスを勧める。関西限定の関西だし醤油味である。やはり10個買おうとする池田だが、田邊に「4000円です」と言われて、「高!」と普通の反応。田邊に突っ込まれていた。


ラストはコーナー。池田軍団格付けランキング。池田の子分のようなものであるTHIS IS パンのTHIS IS 岡下、絶対アイシテルズのラブおじさん、マユリカ・中谷、ニメートルズの欅が参加する。
まずは、池田の良いとこしりとり。池田の良いところをしりとりで挙げていくのだが、池田が指定した「池田の『だ』」に岡下は、「大事な子供を三人抱えて頑張っている」と言って、田邊に「それ俺や!」と突っ込まれていた。その後、語尾が「る」になる言葉が続くのだが、岡下が「ルーマニア人……だっけか」と言って、「ん」でアウトになりそうだったが、結局タイムアウトまで続いた。

次は、「池田が最近、一番驚いたこと早押しクイズ」。タイトル通り、池田が最近、一番驚いたことを当てるのだが、池田自身が答えを忘れているというハプニングがある。答えは、「ニメートルズ・欅の結婚披露宴に行ったところ、客が芸人しかおらず、昔なじみは一人も呼ばれていなかったこと」。欅は余り売れていない芸人だといういうのが恥ずかしくて、昔なじみを一切呼ばなかったらしい。

最後は、様々な飲み物を池田軍団のメンバーが飲んで、飲み残しを池田がちゃんぽんにして一人で飲むというもの。飲み物の中には、コーラ、オレンジジュース、栄養ドリンク、コーヒーなどの他に、だし汁、青汁、タバスコドリンク、センブリ茶などがある。THIS IS 岡下がタバスコドリンクをトマトジュースだと勘違いして一気飲みするというハプニングがあったが、飲み残されたのはコーヒー、青汁、センブリ茶。混ぜて飲むのだが、「ザリガニがいる池みたいな色」と中谷が言い、田邊も「深泥池(京都市の北部に太古からある池。心霊名所としても有名である。読みは「みぞろがいけ」と「みどろがいけ」の2種類があるが、田邊は「みぞろがいけ」を採用していた)の水みたい」と例える。
池田の感想は、「苦いけど、後からコーヒーが鼻に抜けてくるから」案外美味しいらしい。センブリの苦さはコーヒーの苦みによって中和されるようだ。

ランキング1位は、なぜかこの場にいないマルセイユ・津田に決定。池田が津田に向けて書いた「風邪を引いてないですか、私は風邪を引かないよう気をつけていたら、めばちこ(ものもらい)が出来てしまいました」という変な内容の感謝状が朗読された。


タナイケさんも、3年後ぐらいにはM-1チャンピオンを狙えるだけの力はあるように思う。

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「将軍頼家」 頼朝の死、もう一つの説を描く

※ この記事は2017年12月27日に書かれたものです。

1198年12月27日、相模川で行われた供養から鎌倉に戻る途中の源頼朝が落馬し、これが元で翌1月13日に死去したとされます。武家の棟梁たる頼朝が落馬することは考えられず、「平家の呪いか」と噂されました。

しかし、この落馬は創作されたものとする話があります。源頼朝の死には異説が存在するのです。

それは女のもとに通う途中の頼朝が変質者に間違えられて斬られたというものです。

「英雄色を好む」とはよくいわれる言葉ですが、源頼朝も相当な色好みでした。正妻(北条政子)や側室もいましたが、それでも他の女性と逢瀬を重ねたい、ただ正妻の北条政子はご存知の通り怖い人でしたので、頼朝はいわゆる夜這いを重ねていたとされています。夜にこっそりと、しかも顔を隠すように歩いていたらそれは怪しまれても仕方ありません。というわけで斬殺されてしまったというのです。

この説を基に書かれた歌舞伎の演目が「将軍頼家」です。昭和7年初演の新作歌舞伎で、作者は真山青果(まやま せいか)。劇中では頼朝が北条政子お付きの女性に懸想して、女装して会いに生き、重臣の畠山重保に怪しまれて斬られたということになっています。将軍が変態に間違われて殺されたとあっては源氏末代までの恥。

次期将軍になる源頼家は、父の死の真相を知りたがりますが、誰も教えてくれません。息子であり、生まれながらの将軍でありながら父の死の模様を誰も語ってはくれない。そのことで頼家はやけになっています。

結局、源氏の誇りを守るために、北条政子も畠山重保も秘密を押し通し、将軍に対する扱いではないと嘆く頼家を政子(尼御台)は、「人は一代、家は末代」と切り捨てるのでした。

 

実はこの「将軍頼家」、私が初めて観た歌舞伎の演目です。1996年12月、東京・築地の歌舞伎座での上演でした(「将軍頼家」、「積恋雪関戸」、「新皿屋敷月雨暈」の3演目の上演)。頼家を演じたのは5代目坂東八十助(のちの10代目坂東三津五郎)。花のある八十助の容姿が、育ちの良い将軍である頼家の雰囲気をよく表していました。

三津五郎の演技は、京都に来てからも2011年暮れの四條南座での顔見世や現代劇などでも楽しみましたが、その三津五郎も2015年に他界しました。

三津五郎がまだ八十助で頼家の格好をしていたのが昨日のことのように思えるのに、時の流れは速いものです。

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富岡八幡宮案内

残念な事件で有名になってしまった東京都江東区の富岡八幡宮。ただここは東京屈指の名門神社であり、見どころがたくさんあります。今日はそれをご紹介していきたいと思います。

まずは本殿。二階建ての立派なものです。

八幡宮であるため、祭神は当然、八幡神(誉田別命=応仁天皇を合祀)です。

 

境内の花本社には松尾芭蕉が神として祀られています。その名も松尾芭蕉命(まつおばしょうのみこと)。そのまんまですね。

ちなみに私は松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭は暗記していますので、案内のお姉ちゃん相手に暗唱して、ポカーンとさせました。

 

富岡八幡宮は、伊能忠敬が測量の旅に出掛ける前に参拝した神社です。ということで伊能忠敬の銅像もあります。

 

富岡八幡宮の最大の特徴は、大相撲関係の碑が充実していること。まずは横綱力士碑。

 

最近話題の人の名前も勿論あります(左下に注目)。

 

最強の力士といわれながら素行等が問題で横綱になれなかった雷電為右衛門の名前も番外に「無類力士」として刻まれています。

 

富岡八幡宮の一番人気は、横綱でも大関でもなく、強豪関脇碑に刻まれたこの人なんです。

皆が触るので変色してます。

 

そして富岡八幡宮の遺産というべきものが、昭和天皇御製のこの歌です。

「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」

昭和20年3月18日に富岡八幡宮を視察された時の思いがこのお歌に込められたとされています

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2018年1月17日 (水)

伏見の明治天皇

※ この記事は2018年1月9日に書かれたものです。

慶応2年12月25日、京都御所(禁裏)において孝明天皇が崩御。翌慶応3年1月9日(西暦1867年2月13日)、のちに明治天皇となる睦仁天皇が践祚されました。当時14歳でした。京都最後の天皇(即位の礼を京都で執り行った最後の天皇は昭和天皇です)にして東京最初の天皇となった明治天皇。御一新を推し進め、大国との二度の戦争で勝利を収めた時代の天皇として明治大帝と呼ばれることもあります。東京を始め、広島、名古屋、千葉県習志野市などにその足跡を残している明治天皇ですが、この京都市伏見区にも明治天皇ゆかりの場所が存在します。いや、ここ伏見にこそ明治天皇は眠っているのです。

実は京都の人もあまり知らなかったりするのですが、明治天皇の陵墓は伏見に存在します。伏見城本丸跡にある伏見桃山陵がそれです。

「明治天皇に感謝を」

明治天皇の時代から一世一元の制が施行されていますので、明治天皇が崩御されたのは明治45年だとすぐにわかるわけですが、当時の東京市民は明治天皇は東京にお眠り下さるものだと思っていました。しかし明治天皇陵は伏見に築くということが発表され、それも明治天皇が早くからお決めになっていたことだと知った東京市民は動揺。「体は京都に眠るとしても御魂は東京に御止まり頂きたい」ということで、明治神宮の創設計画が立案されるということになります。

明治神宮の話はいずれどこかで書くとして、明治天皇伏見桃山陵の存在こそが伏見という街の価値を一層高めていることは疑いの余地がないでしょう。

伏見桃山陵があるのは先にも書いた通り豊臣秀吉が築城し、徳川家康も居城とした伏見の城跡。伏見城は二度築城されていますが、第一期の指月伏見城ではなく、第二期の木幡山伏見城の方です。徳川家光によって伏見城が廃城になった後、木幡山には桃の木が植えられ、桃山の別名が生まれます。「安土桃山時代」の桃山です。またかつて城があったということも庶民には知られていたようで、幕末の京・伏見の地図を見ると「城山」との記述があります。

その伏見城の本丸に明治天皇は自らの墓陵を築く計画を立てました。

(木幡山)伏見城は築城の名手である豊臣秀吉の最高傑作ともいうべき堅城です。今でも周囲の状況を検分すると、難攻不落ぶりを確認することができます。そして天下人の城だけあって眺望も抜群です。一国の主が眠るには最適の場所と申せましょう。やはり明治天皇は慧眼の持ち主だったと見てよいと思います。

明治天皇伏見桃山陵前からの眺めがこちら。

写真でも眺めの良さは確認できると思いますが、肉眼で見るとまさに絶景。遠く大阪まで眺めることが出来ます。

ちなみに伏見城二の丸跡から本丸跡にある御陵に向かう途中にあるのが、

ご覧の巨大急階段。伏見城本丸がいかに急峻な場所にあったかがわかります。伏見城に籠城する鳥居元忠を攻めた石田三成勢は本丸を落とすのに四苦八苦するわけですが、それもむべなるかなです。

伏見桃山御陵へのアクセスは、近鉄に桃山御陵前駅というそのままずばりの駅があるほか、JR桃山駅、京阪本線の丹波橋駅と伏見桃山駅、京阪宇治線桃山南口駅などから徒歩で向かうこと出来ます。いずれも15分~30分ぐらい掛かるので、アクセス良好というわけではありませんが、人が押し寄せるような観光地でもありませんし、明治帝が心安らかに眠るためには騒がしくない方が良いため、こうした環境は適切だと思われます。京阪丹波橋駅で降りて伏見桃山陵に向かうと、途中で最初の京都天皇である桓武天皇の陵墓(柏原陵)にも立ち寄ることができるのでお薦めです。

少し北に上がったところに近鉄が建てた伏見桃山城天守閣が伏見のシンボルとして聳えている(耐震の問題で、現在は中には入れません)他、その周辺の、以前に伏見桃山城キャッスルランドという近鉄の遊園地があった場所は、現在は京都市によって整備され、伏見桃山城運動公園となっています。ここの野球場では日本女子プロ野球の試合などが行われています。模擬とはいえ天守の見える野球場なので、お城と野球の両方が好きな方にはもってこいです。

明治天皇伏見桃山陵の周辺には他にも乃木希典を祀る(京都)乃木神社が鎮座し、伏見城大名屋敷の名残が地名に残っているなど、日本の歴史を感じられる場所が数多く存在しています。

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悲運の天才指揮者 クラウス・テンシュテット

※この記事は2018年1月11日に書かれたものです。

クラウス・テンシュテット
                    ©NAXOS JAPAN

1998年1月11日、旧東ドイツ出身で、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督として一時代を築いた名指揮者、クラウス・テンシュテットが死去した。71歳と、指揮者としては若くしての死であった。

1926年、ドイツのメルゼブルクに生まれたクラウス・テンシュテット。最初はヴァイオリンを学び、ドイツのハレ歌劇場のコンサートマスターとして活躍したが、指の病気に罹患し、ヴァイオリニストとしての道を諦め、指揮者に転身する。ハレ歌劇場の指揮者を経て、東ドイツ国内の歌劇場の音楽監督を歴任。東ドイツでの活動は順調であったが、旧東側の常として様々な制約があり、不満を抱いたテンシュテットは1971年に西側に亡命。西側諸国で確かな表現力による演奏を行い、間もなく「50代の大型新人指揮者」と呼ばれるようになり、一気に注目を集める。時を追うごとにその強烈な音楽性は評価を高めていき、「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンの眼鏡にかない、「カラヤンが直々にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の次期芸術監督に指名するのではないか」という噂が絶えないようになる。

1983年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。ロンドンでのテンシュテットの評価は極めて高く、「オットー・クレンペラーの再来」という最大級の賛辞を受ける。「ロンドン・フィルの演奏会はテンシュテットの指揮以外では客が入らない」とまでいわれるようになっていら。ちょうど、80年代にロンドンで暮らしていた友人が、ロジャー・ノリントン指揮のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴きに行こうとしたところ、ホールの近くにいたイギリス人に、「You Know? You Know?」となんども聞かれたそうである。「テンシュテットの指揮じゃないんだぜ、お前、本当にわかってるのか?」という意味である。テンシュテットがいかにロンドン市民から敬愛されていたかがわかる。

そんなテンシュテットであるが、アルコール中毒だったようで、リハーサルも常にウィスキーの小瓶を忍ばせており、リハーサルが上手くいかなくなると指揮台の上でウィスキーをラッパ飲みしていたという話が伝わっており、それが悪影響をもたらしたのか、喉頭がんに侵されるようになる。

1987年にテンシュテットはロンドン・フィルの音楽監督を辞任。ロンドン楽壇は火が消えたようになり、「テンシュテットのいないロンドン・フィルは、ミック・ジャガーのいないローリングストーンズのようだ」という言葉が新聞紙上に踊った。

その後、癌の状態が好転して指揮台に復帰しては悪化して静養に戻るという細切れの演奏活動が続くも、癌の転移によって動くことすら制限されるようになり、1998年1月11日に他界。十二分な実力に恵まれ、「これから」というときに病魔に倒れたテンシュテットは「悲劇の天才指揮者」として今も音楽ファンの脳裏にその雄姿が焼き付けられている。

 

テンシュテットの代名詞ともいうべき得意レパートリーはマーラー。レナード・バーンスタインらと共に、現代を代表するマーラーのスペシャリストとして著名であり、ロンドン・フィルと「マーラー交響曲全集」をEMIに録音。その後、ライブ録音による全集も出たほか、シカゴ交響楽団との「巨人」なども激賞されている。

生前は、ベートーヴェンの演奏などは必ずしも高くは評価されていなかったが、死後にBBCレーベルとLPOレーベル(ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団自主製作盤)から出た2種の第九はいずれもデモーニッシュな名演であり、録音史上に冠絶する第九としてベストセラーを記録。テンシュテットの名声は死後においてより高まった趣すらある。

 

テンシュテットの名盤としてまず挙げたいのは、バイエルン放送交響楽団を指揮したブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」(Profile)。ワーグナーに捧げられたためこうしたニックネームをもつこの曲の歴代の演奏の中でトップをうかがう出来である。

そのワーグナーでもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した管弦楽曲集をリリースしており、録音に多少問題があるものの好演を示している。ロンドン・フィルハーモニーとの演奏では、LPOレーベルから放送用音源を基にしたワーグナー演奏も21世紀に入ってからリリースされ、その完成度は多くの音楽ファンを驚かせることになった。

そしてベートーヴェンの第九。先に書いた通り放送音源からCD化されたものが2種類出ているが、いずれも音像の背後に、得体のしれぬエネルギーが満ち満ちたもので、フルトヴェングラーやトスカニーニなど、大巨匠の時代の第九に繋がるものが感じられる凄絶な演奏となっており、必聴である。

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