2018年2月19日 (月)

悪は悪を隠蔽するために

悪は悪を隠蔽するために悪を重ねる。そして原初の形を遥かに凌ぐ巨悪となるのだ。悪は自己防衛の仮面をかぶり、善良なる人達を取り込み、あるいはなぎ倒していく。悪はぱっと見には美人だが、その裏に蛇の顔を秘めている。毒牙を笑顔の奥に潜めて。

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2018年2月17日 (土)

コンサートの記(345) 山本祐ノ介指揮 京都市交響楽団 京都新聞トマト倶楽部コンサート「懐かしの映画音楽」2017

2017年4月28日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで京都新聞トマト倶楽部コンサート「懐かしの映画音楽」2017を聴く。演奏は山本祐ノ介指揮の京都市交響楽団。

山本祐ノ介は山本直純の息子である。1963年東京生まれ、東京芸術大学附属音楽高校を経て東京芸術大学卒、同大学院修了。本業はチェリストで、東京交響楽団の首席チェロ奏者などをしていたが、やはり山本直純の息子というと求められるものがある。ということで、指揮者、作曲家、編曲家としても活躍している。指揮者としてはミャンマー国立ヤンゴン交響楽団の指揮者を務めている。
山本直純はひげがトレードマークだったが、山本祐ノ介はひげは生やしていない。

「懐かしの映画音楽」というタイトルだが、最も新しい映画でも1972年制作の「ゴッドファーザー」。私が生まれる前の作品である。勿論、映像で観たことのある作品も多いが、ロードショーで観ているわけではない。私の場合リアルタイムで観た懐かしい映画というと1980年代の「E.T.」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、邦画でいうと「南極物語」辺りからとなる。

曲目は前半が、20世紀FOXのファンファーレ、「007は殺しの番号」~ジェームズ・ボンドのテーマ~、「避暑地の出来事」~夏の日の恋~、「個人授業」~愛のレッスン~、「ゴッドファーザー」~愛のテーマ~、「南太平洋」~魅惑の宵~、「アラビアのロレンス」~序曲~、「ドクトル・ジバゴ」~ラーラのテーマ~、「ベン・ハー」~序曲~。後半が、「80日間世界一周」~アラウンド・ザ・ワールド~、「悲しみの天使」~哀愁のアダージョ~、「誰(た)が為に鐘は鳴る」~メインテーマ~、「栄光への脱出」~メインテーマ~、「白い恋人たち」~白い恋人たち~、「ひまわり」~愛のテーマ~、「エデンの東」~メインテーマ~、「風と共に去りぬ」~タラのテーマ~。
「ゴッドファーザー」の愛のテーマと「ドクトル・ジバゴ」よりラーラのテーマの編曲は山本祐ノ介、「悲しみの天使」より哀愁のアダージョが佐野秀典の編曲で、残る曲は全て南康雄の編曲である。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。

山本祐ノ介は前半が銀地に黒の模様入りのジャケット、後半は父親の山本直純譲りであると思われる真っ赤なジャケットで登場する。マイクを手にトークを入れながらの指揮。
ジェームズ・ボンドを演じていたショーン・コネリーは今は髪が薄くてひげが濃いだの、アラビアのロレンスを演じていたピーター・オトゥールの格好が忍者に見えただのというユーモアを交えながらのトークである。山本はミャンマー国立ヤンゴン交響楽団の演奏会ではベートーヴェンの交響曲なども指揮しているそうだが、ミャンマーではクラシック音楽が普及しておらず、ミャンマー人は「ベートーヴェン」と聞いても名前は浮かんでも曲は全く知らないという状態であるため、クラシックだけのコンサートを開いてもお客が入らない。ということで映画音楽なども取り上げるのだが、映画音楽も知名度にムラがある。「誰でも知っている映画音楽は何か?」とリサーチしたところ、「どうやら『ゴッドファーザー』の音楽はみんな知っているらしい」ということで自ら編曲して取り上げたそうである。日本でも「ゴッドファーザー」のメインテーマは暴走族の兄ちゃんでも知ってるからね。

京都市交響楽団は今日も好調。弦は滑らかで管は輝かしい。ピアノとして入った佐竹裕介の達者な演奏を聴かせる。

アンコール演奏は、「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”。
「マイ・フェア・レディ」は、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画だが、オードリー・ヘップバーンは歌が余り上手でなかったため、オードリーが演じているイライザのナンバーは全てマーニ・ニクソンが吹き替えを行っている。マーニ・ニクソンは吹き替え専門の歌手だったが、長年の功績が讃えられ、「サウンド・オブ・ミュージック」には修道女の一人として出演している。

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2018年2月15日 (木)

観劇感想精選(229) 「アンチゴーヌ」

2018年2月10日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「アンチゴーヌ」を観る。「ひばり」のジャン・アヌイがソフォクレスの悲劇「アンティゴイネ」を翻案したものである。
テキスト日本語訳:岩切正一郎、演出:栗山民也、出演は、蒼井優、梅沢昌代、伊勢佳代、佐藤誓(さとう・ちかう)、渋谷謙人(しぶや・けんと)、富岡晃一郎、高橋紀恵(たかはし・のりえ)、塚瀬香名子、生瀬勝久。

サウスホールの舞台上に特設ステージと客席を設けての上演。2階席はそのままに生かすが、1階席は演者を目の前で観るような格好になる(私はDエリアの1列2番の席)。中央から十字架状に細長いステージが伸び、1階席の観客は四隅に座る。セットは椅子が2脚だけという簡素なものである。

アンチゴーヌはオイディプス王の娘である。オイディプスが実の父を殺し、実の母と交わって子をなし、ギリシャ・テーバイの王となってから、事実を知って自らの目を突いて放浪したその後の話。オイディプスの長男であるエテオークルと次男のポリニスが1年ごとに交代で王位に就くことが決まっていた。だが1年後、エテオークルが王座から降りることを拒否したことで、ポリニスとの全面戦争に突入。エテオークルとポリニスは刺し違えて死んだ。

プロローグで高橋紀恵演じるストーリーテラーがこのことを告げる。そして蒼井優が扮している女がアンチゴーヌの役割を受け持って芝居が進んでいくことになる。役というのはこの芝居においては重要だ。

現在、テーバイの王にはアンチゴーヌ達の親戚に当たるクレオン(生瀬勝久)が就いていた。アンチゴーヌはクレオンの息子であるエモン(渋谷謙人)と恋に落ちている。だが、エモンは以前はアンチゴーヌの姉であるイスメーヌ(伊勢佳代)と恋仲だったのだ。アンチゴーヌは死への思いを秘め、エモンもアンチゴーヌに導かれての死を覚悟しようとしていた。

アンチゴーヌが早朝に家を出てどこかに出掛けたことを乳母(梅沢昌代)が咎める。実はアンチゴーヌは次兄のポリニスに同情的であり、野ざらしにされているポリニスの遺体に弔いの砂をかけに行ったのだ。だが、クレオン王は、エテオークルを英雄としてその死を讃える一方で、ポリニスは反逆者として埋葬を禁じ、遺骸は風葬に任せるままだった。更にポリニスの亡骸に弔いの行為をすれば死罪に処すと厳命していたのだ。
アンチゴーヌ(二十歳とされている)は幼い頃からお転婆であり、聞き分けのない子だったが、それは訳知り顔で大人に従うことが嫌だったからだ。分からないことに対して分かった振りをしたくない(しらない」というセリフで表される)、したくないことは決してやらないという個の強いアンチゴーヌは、素直な姉のイスメーヌと対照的であった。二度目にポリニスの弔いに出たとき、アンチゴーヌは「想像力のない」衛兵(佐藤誓)に捕らえられる。アンチゴーヌは元より死は覚悟の上だったが、クレオンは「まだ若すぎる」としてアンチゴーヌを赦免しようとする。そこにはアンチゴーヌは義理の娘になるはずの存在であり、且つ死罪にすら値しないという考えの他に、政治のためにアンチゴーヌを死なせるわかにはいかないという事情もあった……。

堅牢な国家体制に対して「NO」を突きつけるアンチゴーヌの物語である。ライオスは「個」を主張するアンチゴーヌを国家としてのシステム脅かす者と感じていた。だが、その組織(システム)の頂上に君臨しているライオスでさえ組織は意のままにならない。

ライオスは王座に就くことを拒否することも出来たのだが、逃げるような真似はしたくないということで王の役割を引き受けることに決めたのだ。だが結局ライオスは国家体制の中に飲み込まれ、したくもないことをする羽目になっており、やむなく壮大な嘘もついていた。流れの中では個人がどうあがいても仕方がない。トルストイがナポレオン戦争について説いたように。ライオスは平凡な日常の中に生きる意味を見つけようとしていたが、アンチゴーヌはライオスに勧められた流される生き方を拒否し、「生」のために死を選ぶ。このあたりがジャン・アヌイらしい展開といえる。ライオスは小姓(塚瀬香名子)に「(組織の網に拘束された)大人になんてなるもんじゃない」「(システムを)知らないのが一番幸せだ」と語る。また3人の従者は何にも考えることなく「上が言ったからやる」を忠実に履行するだけの無知な歯車として描かれている。

人は組織(システム)に隷属するしかないのか? 自らが組織の成員であるにも関わらず、あるいは成員であるが故に。

時代に消されたアンチゴーヌだが、弔いの砂が天井から滝のように流れ続け、「アンチゴーヌを忘れない」という演出家のメッセージの中で劇は終わる。

蒼井優の演技は決められたパーツパーツにきちんと嵌まっていくような演技を見せる。間近でこういう演技を見ていると結構気持ちが良いものである。あたかもコントロール抜群のエースピッチャーの投球を見ているかのように。
芸達者である生瀬勝久の重みのある演技も良かった。生瀬勝久は何でも出来るタイプである。

すぐそばで見ていたということもあり、「みんな思ったより演技演技してるなあ」と思ったのも確かであるが、ギリシャ悲劇の翻案劇であり、ある程度の型にはまっていることはテーマから考えても納得のいくことのように思う。見応えがあった。

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2018年2月14日 (水)

幻の沢村栄治

※ この記事は2017年12月2日に書かれたものです。

戦前の日本を代表する名投手、沢村栄治が、1944年の12月2日、乗船していた軍隊輸送船が撃沈されて戦死しました。享年27。

京都商業(現・京都学園高校)時代に山口千万石とバッテリーを組み、甲子園に出場。慶應義塾大学に進むかと思われましたが、京都商を中退してベーブ・ルースやルー・ゲーリックが来日した際の第2回日米野球に参加。トータルではいい成績は残せませんでしたが、1934年11月20日に草薙球場で行われた第10戦での好投で一躍名を挙げます(ただこの時、西日が邪魔してバッターボックスからボールが見にくかったという証言あり。ベーブ・ルースは沢村がドロップを投げる時に口を真一文字に結ぶ癖を発見。自分は倒れましたが、続くルー・ゲーリックにこの癖を教え、ゲーリックが沢村のドロップをソロホームランにして決勝点を挙げたといわれています)。

その後、大日本東京野球倶楽部に参加。1935年2月14日に横浜港から出帆したアメリカ遠征(大日本東京野球倶楽部は東京ジャイアンツというニックネームを名乗る)ではマイナーリーグ相手に登板。好投を披露し、「スクールボーイ・サワムラ」としてアメリカでも人気になります。ファンがサインを求めたので応じたところ、相手は実はファンではなく、サインしたのはメジャー球団の入団契約書だったという騒ぎがあったりもしました。

東京巨人軍に入団後、数々の賞を獲得。現在でも沢村の名はその年最高の先発完投型投手に与えらえる沢村賞に残されています。

さて、全盛時の並外れた快速球は今も伝説となっており、「150キロか160キロか」と話題になりますが、本格的な投球時の映像が残されておらず、沢村の投球と球速は幻となっていました。
近年、沢村栄治のものとされる投球映像が発見されました。

足を高々を挙げるフォームがトレードマークとされ、西本聖のような後継者を生みましたが、実際のフォームはそれほど足を高くは挙げていなったとされ、発見された映像でも足を自然に踏み出す姿が確認できます。

映像を解析したところ、「160キロ近く出ていた可能性がある」という結果が出ました。ただ、古い映像なのでコマ送りの速度が一定しておらず、映像だけで速度を断定することはできないというのが本当のところのようです。
今のところ、沢村の球速が何キロだったのかは、可能性しか語ることはできませんが、もう目にすることの不可能な幻だからこそ、その快速球へのロマンが無限に広がるような気がします。

沢村栄治よ永遠なれ。

中京大学スポーツ科学部・湯浅景元教授による沢村栄治の球速分析


巨人軍の同僚、千葉茂と青田昇による検証

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コンサートの記(344) 大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」

2018年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」を聴く。指揮とお話は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

大阪フィルハーモニー交響楽団は、フェスティバルホールを本拠地としているが、定期演奏会はフェスティバルホールで行い、その他の企画はザ・シンフォニーホールを使う傾向がある。音響だけとればザ・シンフォニーホールは日本一だと思われるため、使用しないと勿体ない。今回は武満徹とジョン・ウィリアムズという二人の作曲家の作品を取り上げる。

曲目は、第1部が武満徹作曲による、3つの映画音楽(「ホゼ・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)、「夢千代日記」、「乱」、「波の盆」組曲。「夢千代日記」と「波の盆」はテレビドラマのための音楽である。 第2部がジョン・ウィリアムズ作曲の映画音楽で、「未知との遭遇」メインテーマ、「ハリー・ポッターと賢者の石」メインテーマ、「シンドラーのリスト」メインテーマ、「E.T.」よりフライングシーン、「ジョーズ」メインテーマ、「スター・ウォーズ」メインテーマ。

まず武満の3つの映画音楽。大フィルは元々音量は豊かだが音の洗練については不足気味の傾向がある。初代の音楽監督である朝比奈隆が「愚直」を好み、骨太の演奏を指向したということもある。2代目の音楽監督である大植英次は現代音楽も得意としたが外連を好む傾向にあり、首席指揮者を務めた井上道義に関しても同傾向であったことは言うまでもない。ということで、もっと緻密で繊細な音作りも望みたくなるのだが、洒脱さは出ていたし、まずまずの出来だろう。

演奏終了後、尾高はマイクを手に振り返り、トークを始める。「僕は桐朋学園に学びました。齋藤秀雄という怖い怖い先生に教わりましたが、『尾高! 良い指揮者になりたかったらあんまり喋るな!』」といういつもの枕で笑いを取る。「大阪フィルハーモニー交響楽団は人使いが荒くて、指揮だけでなく話もして欲しい」。ここから武満の思い出となり、「コンピューターゲームが大好きな人でした。うちによく遊びに来てくれて嬉しかったのですが、コンピューターゲームで自分がお勝ちになるまでお帰りにならない」「これは喜ばれると思うのですが阪神タイガースの大ファンでした。阪神が負けた日には話しかけない方が良さそうな」という話をする。雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、尾高はこの話を日本だけではなく海外でも行っており、海外のオーケストラ団員も「タケミツってどんな人?」と興味津々で、この話をすると喜ばれるそうである。

その後、次の「夢千代日記」の話になり、主演した吉永小百合が今でも「バレンタインデーにチョコレートを貰いたい有名人アンケート」で1位を取るという話もする。どちらかというと響きの作曲家である武満徹。世界で彼にしか書けないといわれたタケミツ・トーンは海外、特にフランスで高く評価され、フランス人の音楽評論家から「タケミツは日系フランス人作曲家である」と評されたこともある。ただ武満本人は、「ポール・マッカートニーのような作曲家になりたい」と望んでおり、メロディーメーカーに憧れていた。残念ながらメロディーメーカーとしてはそれほど評価されなかった武満であるが、「夢千代日記」や「波の盆」に登場する美しい旋律の数々は、武満の多彩な才能を物語っている。

「乱」に関しては、監督である黒澤明と武満徹の確執を尾高は話す。黒澤明は武満に作曲を依頼。レコーディングのためにロンドン交響楽団を押さえていた。「ロンドン交響楽団で駄目だったらハリウッドのオーケストラを使ってくれ。ゴージャスにやってくれ」と注文したのだが、武満は岩城宏之指揮の札幌交響楽団を推薦。黒澤は「冗談じゃない!」と突っぱね、ここから不穏な空気が漂うようになる。武満が想定した音楽は黒澤が想像していたものとは真逆だった。
よく知られていることだが、黒澤映画のラッシュフィルムにはクラシック音楽が付いており、黒澤は「これによく似た曲を書いてくれ」というのが常だった。「乱」に関してはマーラーの曲が付いていたことが想像される。黒澤はマーラーのようにど派手に鳴る音楽を求めていたようだ。武満も「強い人だったので」折れず、じゃあ一緒に札幌に行こうじゃないかということになり、札幌市の隣町である北広島市のスタジオで札幌交響楽団に演奏を聴く。黒澤は納得したようで、札幌交響楽団のメンバーに「よろしくお願いします」と頭を下げたそうである。実はこの後、武満と黒澤は更に揉めて、絶交にまで至るのだが、それについては尾高は話さなかった。ただ演奏終了後に、「この音楽はハリウッドのオーケストラには演奏は無理であります」と語った。

武満の映画音楽の最高峰である「乱」。色彩豊かなのだがどこか水墨画のような味わいのある音楽である。巨人が打ち倒されるかのような強烈な悲劇性と群れからはぐれて一人ヒラヒラと舞う紋白蝶のような哀感の対比が鮮やかである。タケミツ・トーンがこれほど有効な楽曲もそうはない。

「波の盆」。尾高は日系ハワイ移民を題材にしたストーリーについて語る。笠智衆、加藤治子、中井貴一が出演。日米戦争に巻き込まれていく姿が描かれている。「あんまり詳しく話すとDVDが売れなくなりますので」と尾高は冗談を言っていた。
叙情的なテーマはよく知られているが、いかにもアメリカのブラスバンドが奏でそうなマーチが加わっていたりと、バラエティ豊かな音楽になっている。武満自身がマニア級の映画愛好者であり、オーケストレーションなどは映画音楽の仕事を通して学んだものである。

ちなみに尾高は子供の頃は指揮者ではなく映画監督に憧れていたそうで、果たせずに指揮者となり「一生を棒に振る」と冗談で笑いを取っていた。


第2部。ジョン・ウィリアムズの世界。最初の「未知との遭遇」メインテーマでは、高校生以下の学生券購入者をステージ上にあげての演奏となった。演奏終了後に子供に話も聞いていたが、今の子供も「未知との遭遇」のテーマは「聴いたことがある」そうである。

尾高は、ジョン・ウイリアムズは武満を尊敬していたということを語る。

ジョン・ウィリアムズは、「ジュリアード音楽院、日本でいうと東京芸大のようなところ」で学び、カステルヌオーヴォ=テデスコに師事した本格派であり、スピルバーグもジョージ・ルーカスも「自分が成功出来たのはジョンの音楽があったから」と語っていることを尾高は紹介する。

「ハリー・ポッターと賢者の石」はスピルバーグ作品でもルーカスフィルムでもなく、クリス・コロンバス監督作品であるが、「ハリー・ポッター」シリーズは、イギリス人の魂そのものだと捉えられているそうである。ミステリアスな曲調を上手く現した演奏であった。そういえば、私が「ハリー・ポッターと賢者の石」を観たのはまだ千葉にいた頃で、富士見町にあるMOVIX千葉での上映を観たのだった。

「シンドラーのリスト」では、今日は客演コンサートマスターに入った須山暢大(すやま・のぶひろ)が独奏を担当。サウンドトラックでソロを受け持ったイツァーク・パールマンのような濃厚さはなかったが技術面ではしっかりした演奏を聴かせる。

「E.T.」よりフライングシーンの音楽。今日取り上げたジョン・ウィリアムズ作品の中で、この曲だけがメインテーマではない。CMでもよく使われる曲で、尾高はピザのCMに使われたものが印象的だったと述べた。大フィルの音楽性には武満よりもジョン・ウィリアムズ作品のようが合っているように思う。

「ジョーズ」メインテーマ。スピルバーグが「28歳ぐらいの時の映画だと思うのですが」「自分より1つか2つ上なだけの人間(尾高は1947年生まれ、スピルバーグは1946年生まれである)がこうした映画を撮るのか」と衝撃受けたそうである。演奏を見ているとかなり高度はオーケストレーションが用いられているのが確認出来る。

今日はチケット完売、補助席まで売り切れという盛況である。尾高によると満員というのが文化の高さの指標になるそうで、以前、新国立でベンジャミン・ブリテンの「ピーター・グライムズ」をやった時、二日とも満員御礼で初日は良かったのだが、二日目に1階席の真ん真ん中2列が空いてしまっていたという。そこはスポンサー関係者用の席で誰も聴きに来なかったようなのだが、2幕の始まりに、ビーター・グライムズ役のイギリス人歌手が尾高の所に飛んできて、「チュウ! チュウというのは僕のことです。『もう歌わない! あそこが空いてるじゃないか!』となりまして」と語った。

さらにチケット完売時の返券(キャンセル)の話になる。尾高がウィーン国立音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)でハンス・スワロフスキーに師事していた時代のこと。ヘルベルト・フォン・カラヤンが毎年夏に自身が主催するザルツブルク音楽祭を開いており、「カラヤン指揮のオペラが聴きたい」と思った尾高はザルツブルク祝祭劇場(カラヤンが大阪の旧フェスティバルホールをモデルに自らも設計に加わって建てさせたもの)まで出掛けた。
帝王カラヤン指揮のオペラなので前売り券は当然ながら完売、尾高は返券を求めて、開場の1時間半ほど前から並ぶことにしたという。午前8時半頃にザルツブルク祝祭劇場の前に着くと、すでに100人ほどが列を作っている。「こりゃ駄目かな」と思いつつ尾高が列に並んでしばらくすると、黒塗りの豪華な車が劇場の前で止まり、いかにも上流階級といった風の男性が降りてきた。男は尾高に、「おい、君は何やってるんだ?」と聞く。尾高が「オペラを聴くために並んでます」と答えると、「そんなことはわかっている。なにをやっていて、どうしてこのオペラを聴こうと思ったのかを聞いている」。尾高がウィーンで指揮を学んでいることを話すと、男性はチケットをくれたという。なんとS席の中でも特等の座席であったそうだ。
男性はカラヤンの知り合いで、毎年、ザルツブルク祝祭劇場でオペラを観ていたのだが、この年はどうしても抜けられない仕事が出来てしまい、「チケットを無駄にしたくないから、音楽を学んでいる奴にやろう」と決めて、目的地に向かう途中で高速道路を下りて、わざわざザルツブルク祝祭劇場に車を横付けしたのだった。

ラストの「スター・ウォーズ」メインテーマ。輝かしい演奏で掉尾を飾った。

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2018年2月13日 (火)

断絶

常識のすれ違い、別々の世界の人間
知力によって隔てられたもの、見える像の差異
通じない言葉、自信という名の自惚れ
実績という思い込み、それによって生まれる遮蔽
幸福が生む驕り、便乗しているだけの優位性
全てから遠く離れ、自己完結した意志
呪われた恣意、汚れた矜持
誰かから与えられた人生、終わった場所から始まる擬態

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2018年2月11日 (日)

無類力士 雷電為右衛門

文政8年2月11日、「無類力士」と呼ばれ、史上最強の呼び声も高い雷電為右衛門が死去。

信濃国小県郡に生まれた雷電為右衛門。実家の関家は農家である。小諸に出稼ぎに出た際に怪力を見込まれ、相撲の世界へ。一方で学問にも秀でるという文武両道の人物であった。

角界入りした雷電は出雲国(雲州)松江松平家のお抱え力士となり、雲州にちなんだ雷電の四股名を名乗るようになる。

通算254勝10敗という驚異的な成績からもその強さはわかるが、「余りに強すぎるので突っ張りや閂といった得意技を封印させられた」という伝説(史実ではないようである)の存在が力士としてのカリスマ性に拍車を掛けている。

にも関わらず横綱にはなっていないという事実が雷電のミステリーとして人々の興味を惹くのだが、これはただ単に当時の横綱は名誉職的なものであり、通常の最強の位が大関だったというだけのことのようである。横綱は大老のようなもの、大関が老中のようなものと考えれば良いだろうか。

晩年がこれまたよく分かっていないということが雷電という人物をより魅力的にさせてもいるのだが、一応、私の出身地に近い千葉県佐倉市には「晩年の雷電はここで過ごした」という伝説が残っている。

そんな雷電為右衛門の墓は実は都心にある。東京都港区赤坂の報土寺の境内にである。

これが報土寺にある雷電夫婦の墓石
報土寺 雷電為右衛門の墓

生前の雷電と付き合いのあった報土寺に特別に墓石が建てられたといわれている。


また、江東区の富岡八幡宮(残念が事件があったが)の横綱力士碑には雷電為右衛門が「無類力士」の称号と共に横綱相当の力士として顕彰されている。
雷電為右衛門の銘


これはおまけになるが、YMO(イエローマジックオーケストラ)の「雷電(RYDEEN)」は、雷電為右衛門をイメージして作られた楽曲とされている(本当かどうかはわからない。元は高橋幸宏の鼻歌から生まれた曲である)。
 

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2018年2月10日 (土)

観劇感想精選(228) 中谷美紀&井上芳雄 「黒蜥蜴」

2018年2月1日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、「黒蜥蜴」を観る。原作:江戸川乱歩、戯曲:三島由紀夫、演出:デヴィッド・ルヴォー。出演は、中谷美紀、井上芳雄、相良樹(さがら・いつき)、朝海(あさみ)ひかる。たかお鷹、成河(ソンハ)ほか。

明智小五郎シリーズの一つである「黒蜥蜴」。耽美的傾向の強い江戸川乱歩の小説を、これまた耽美的傾向の強い三島由紀夫が戯曲化した作品の上演である。
歌舞伎の影響を受けたというデヴィッド・ルヴォー。今回も冒頭で移動するドアを戸板のように用いたり、船のシーンでの波の描写をアンサンブルキャスト数人が棒を手にすることで表現したりと、歌舞伎の影響が見られる。

まずは大阪・中之島のKホテルのスイートルームを舞台とするシーンでスタート。日本一の宝石商・岩瀬庄兵衛(たかお鷹)の東京の自宅に、「娘を誘拐する」という脅迫状が毎日のように届く。そこで岩瀬の娘の早苗(相良樹)は、Kホテルに匿われていた。岩瀬家の昔なじみである緑川夫人(中谷美紀)もたまたまKホテルに泊まっている。更に岩瀬庄兵衛は娘の警護として日本一の名探偵である明智小五郎(井上芳雄)を雇っており、ガードは鉄壁に思えた。だが緑川夫人の正体は女賊・黒蜥蜴であり、黒蜥蜴は部下の雨宮潤一(成河)を用いて、まんまと早苗を誘拐することに成功。だが明智は緑川夫人の正体が黒蜥蜴であることを見破っており、早苗を奪還。だが、明智も黒蜥蜴も互いが互いに惹かれるものを感じていた。敵にして恋人という倒錯世界が始まる……。

まずは圧倒的な存在感を示した中谷美紀に賛辞を。例えば井上芳雄の演技については、「井上芳雄が明智小五郎を支えている」で間違いないのだが、中谷美紀は、「中谷美紀が黒蜥蜴を支えると同時に黒蜥蜴が中谷美紀を支えている」という状態であり、観る者の想像を絶する強靱な演技体が眼前に現れる。どこまでが役の力でどこまでが俳優の力なのかわからないという純然たる存在。それはあたかも「黒蜥蜴」という作品そのもののようであり、余にも稀なる舞台俳優としての才能を中谷美紀は発揮してみせた。

「黒蜥蜴」には三島由紀夫らしいアンビバレントな展開がある。共に犯罪にロマンティシズムを見いだし、憎しみ合いながら同時に愛し合う明智と黒蜥蜴。黒蜥蜴は明智への愛情を感じながら、人を愛した黒蜥蜴自身を憎み、黒蜥蜴を抹殺するべく明智を殺そうとする。明智は犯罪者としての黒蜥蜴は憎悪しているが、一人の女性としての黒蜥蜴の内面を「本物の宝石」と呼ぶほど高く評価していた。明智から見れば宝石で儲ける岩瀬は俗物であり、真の美を極めようとしている黒蜥蜴には聖性が宿っているのであろう。

長椅子の中に潜んだ明智(乱歩の小説「人間椅子」を彷彿とさせる)と、黒蜥蜴のやり取りの場面は秀逸であり、愛とエロスの淫靡で清らかな奔流が観る者を巻き込んでいく。

黒蜥蜴の、人間の心に対する不信感と外観に対する賛美、女性の外見は好きだが内面には興味がないという、倒錯的な愛着に由来する迷宮的世界が上手く描かれていたように思う。

飄々としていながら同時に理知的な明智小五郎像を生み出した井上芳雄は流石の好演。可憐な令嬢を演じた相良樹と、黒蜥蜴に対する愛情と憎悪を併せ持つ雨宮潤一役の成河の演技も光っていた。

こうした耽美派傾向の文学作品は慶應義塾大学文学部の「三田文学」を根城にしている。私が出た明治大学文学部は早稲田大学文学部同様、自然主義文学と親和性があり、慶大文学部とは対立関係にある、というほどではないかも知れないが、少なくとも明大文学部では耽美派の作家を卒業論文の題材に選ぶことは歓迎されていない。というわけで私も耽美的な作品は余り好まないのだが、この作品は高く評価出来る。

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美術回廊(13) 細見美術館開館20周年企画展Ⅰ「はじまりは、伊藤若冲」

2018年2月8日 左京区岡崎の細見美術館にて

2月8日は伊藤若冲の誕生日とされている(正徳6年2月8日生まれ。西暦だと1716年3月1日。戸籍のない時代なので正確な誕生日なのかどうかは不明)。
左京区岡崎にある細見美術館では、「はじまりは、伊藤若冲」という展覧会が開催されているので観てみることにする。細見美術館の開館20周年記念展の第1回である。

細見美術館は日本画のコレクターであった細見古香庵の蒐集品の展示を基礎としており、日本画方面には強い。

水墨画においては輪郭は豪快に、細部は緻密にという特徴が見られる伊藤若冲であるが、色彩を用いた絵画では学者のような観察眼が感じられる。特に「糸瓜群虫図」などは牧野富太郎やファーブル並みの植物学者・昆虫学者の目で描かれている。富岡鉄斎がこの絵を高く評価し、自身の手紙に模写して推薦状としていることがわかる。
伊藤若冲は、錦市場の青物問屋の息子として生まれており、子供の頃から植物の観察には長じていたものと思われる。

その他では、愛らしい筆致で描かれた「鼠婚礼図」が面白い。ディズニー映画をも上回るほどの躍動感とユーモアが感じられる絵だ。

伊藤若冲の他に俵屋宗達や土佐光吉の絵もあり、日本画の面白さを味わうことが出来た。

細見美術館 「はじまりは、伊藤若冲」

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2018年2月 9日 (金)

これまでに観た映画より(98) ケネス・ブラナー監督&主演「オリエント急行殺人事件」

2018年2月7日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、アメリカ映画「オリエント急行殺人事件」を観る。アガサ・クリスティの有名小説の映画化。監督&主演:ケネス・ブラナー。出演は他に、ペネロペ・クルス、ウィレム・デフォー、ジュディ・デンチ、ジョニー・デップ、ジョシュ・ギャッド、レスリー・オドム・ジュニア、ミシェル・ファイファー、デイジー・リドリーほか。オールスターキャストである。
製作:リドリー・スコット、マーク・ゴードン。脚本:マイケル・グリーン。音楽:パトリック・ドイル。

とにかく有名な作品であり、日本人キャストによる翻案も含めて何度も映像化されている。ということで犯人もトリックも分かっており、感心は「どう描くか」に向く。
すぐに気づく特徴は、真上からのアングル。ここまでのハイアングルを用いた映画というのもなかなかない。客室内のみならず、雪崩を山の山頂付近から俯瞰で捉えるなど、この手法は徹底されている。そもそもケネス・ブラナーは他の映画でも俯瞰の手法は用いていた。

エルキュール・ポワロというとどうしてもNHKで放送されていたデヴィッド・スーシェのイメージが強く、ケネス・ブラナー演じるポワロは怜悧に過ぎて「なんか違う」ように思えるのだが、慣れの問題だろう。声も熊倉一雄が念頭にあったため、「スマート過ぎやしないか」と感じるのだが、これも同様であると思われる。ともあれ全体的にソフィスティケートされた「オリエント急行殺人事件」に仕上がっており、ストーリーの収斂の仕方といい、映像といい、綺麗に過ぎる出来かも知れないが、エンターテインメインとしては上質と言っていいだろう。

最近は余り外国の映画を観ていないのだが、ミシェル・ファイファーの存在感やデイジー・リドリーの可憐さなどは印象に残った。

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美術回廊(12) ひろしま美術館「生誕220年 歌川広重の世界 保栄堂版東海道五十三次と江戸の四季」展

2018年1月28日 広島市のひろしま美術館にて

雪で寒いため、ひろしま美術館に入る。「生誕220年 歌川広重の世界 保栄堂版東海道五十三次と江戸の四季」展が行われていた。歌川広重こと安藤広重の代表作「東海道五十三次」の初摺版などの展示。版画であり、初めの頃に刷られたものと、増版されたものとでは色合いなどが異なっている。特に紅色に関してはその傾向が顕著で、後になればなるほど紅がくすんでいる。広重は遠近法も用いているほか、鷹や鶴などを額縁に見立てた構図にも個性と特徴が見られる。

本当ならゆっくり見たかったのだが、この後、用事があるため、ついつい早足になってしまう。個人的には東海道五十三次よりも上野や御茶ノ水などの見慣れた構図の出てくる江戸の四季の展示の方が興をひかれた。

特別展示の「根付展」を観た後で、常設展示も鑑賞する。フランスの絵画を中心とした展示。4つの展示室に、マネ、ルノワール、ドガ、クロード・モネ、ドラクロワ、ミレー、モディリアーニ、シャガール、レオナール・フジタ、ローランサン、ユトリロ、ピカソ、ラウル・デュフィ、マティス、ルドンなどの絵が並び、ロダンの彫刻「カレーの市民」なども置かれている。個人的にはやはりデュフィのエスプリ・クルトワに満ちた絵に惹かれるものがあった。

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2018年2月 8日 (木)

高関健指揮東京フィルハーモニー交響楽団 伊福部昭 「日本狂詩曲」


伊福部昭の忌日ということで、代表作の一つにして出世作の「日本狂詩曲」の映像を紹介します。高関健指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏。
 
「日本狂詩曲」は、チェレプニン賞の第1席を獲得していますが、チェレプニン賞の審査員に敬愛するモーリス・ラヴェルがいることを知った伊福部が時間規定に合わせるため全3楽章のうちの第1楽章をカットした2つの楽章からなる作品として応募したという経緯があります(ただラヴェルは体調不良で審査員を降りてしまいました)。なお、伊福部作曲の「ゴジラ」のテーマはラヴェルのピアノ協奏曲へのオマージュだという説があります。

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