2018年8月14日 (火)

転倒

主題は冒頭に来ることがあるが、結論は先には来ない。

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2018年8月13日 (月)

観劇感想精選(251) 「アンナ・クリスティ」

2018年8月4日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後5時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで「アンナ・クリスティ」を観る。近年、再び注目を浴びつつあるアメリカの劇作家、ユージン・オニールの初期作品の日本初演である。テキスト日本語訳:徐賀世子、演出:栗山民也。出演:篠原涼子、佐藤隆太、たかお鷹、立石涼子、原康義、福山康平、俵和也、吉田健悟。

「アンナ・クリスティ」は1921年にピューリッツァー賞を受賞している。1930年にグレタ・ガルボ主演で映画化されており、マリリン・モンローが自身の初主演舞台に選んだ作品でもあるそうだ。

ニューヨークの海岸近く、サウス通りの「坊さんジョニー」という酒場。スウェーデン系のクリス・クリストファーソン(たかお鷹)が、娘のアンナ・クリストファーソン(アンナ・クリスティの名で呼ばれる。演じるのは篠原涼子)との再会を待っている。クリスとアンナは、アンナが5歳の時に別れてから一度も会っておらず、15年ぶりの再会となる。

生まれてからずっと船乗りとして生活してきたクリスは家庭を顧みず、妻が亡くなってからもアンナをミネソタ州の親戚ところに預けっぱなしにしていた。アンナは数年前からミネソタ州のツインシティーの一つ、セントポールで暮らしていたという。子守をやって過ごしていると手紙には書いてあった。

クリスは家代わりにしているはしけ船に老いた商売女のマーシー(立石涼子)を住まわせていたが、娘に会う手前、出て行って貰いたいとお願いをする。

クリスが食事に出ている間にアンナがやって来る。マーシーは一目でアンナと気づくが、自身のことは「クリスとはたまに会う」間柄ということにする。共に酒を飲むうちに、アンナは自身の身の上話を始める。ミネソタの田舎では奴隷のように扱われ、親戚の男に犯されたこと、家を飛び出してセントポールに移ってからは子守の仕事に就くが、限界を感じ、売春婦へと身をやつしたこと。何もしてくれなかった父への愚痴。
やがて対面したクリスとアンナ。クリスはアンナのこれまでを全く知らず、想像しようともしない。二十歳になったアンナにクリスは「陸の男」と結婚するように言う。自分のような「海の男」は駄目だと。
だが10日後、ボストンの港に移った親子のところに、難破船が近づく。難破船に乗っていたアイルランド人のかま焚き係であるマット・バーグ(佐藤隆太)とアンナとは一目で恋に落ちるが、マットはクリスが嫌悪する「海の男」であり……。

「アンナ・クリスティ」というタイトルであり、クレジットにもタイトルロールである篠原涼子の名前が一番上に来るのだが、本当の主役というべき存在はアンナの父であるクリスであるように思われる。好き勝手に生きてきて娘のことを一度も顧みなかったが男の贖罪の物語ともいえる。もっとも自分に原因があることでもクリスは「海の運命」のせいにしてしまって正面から向き合おうとしないというダメ男の部分があるのだが。ユージン・オニールが自身と自身の父親を投影したのだろう。
今日はパンフレットを買ったのだが、実際、「アンナ・クリスティ」は初演時のタイトルは「クリス・クリストファーソン」だったそうで、2011年にはロンドン・ウエストエンドでジュード・ロウの出演で話題となったとあるから、イギリスでの上演はクリスが主役という解釈で行われたのだろう。

13年ぶりの舞台出演で、初の舞台単独主演となった篠原涼子。テレビドラマや映画ではヒット作をいくつも持っているが、今回はセリフが浮き気味であり、的を上手く射抜けないもどかしさがある。表情や佇まいは魅力的なのだが。やはり映像の人なのか。

日大芸術学部出身で、デビューが舞台だったという佐藤隆太。ワイルドで腕力だけが自慢のマットを飾り気のない演技で見せる。マットはクリスと相似形だけに噛み合った演技をする必要があるのだが、上手くはまっていたように思う。

真の主役ともいうべきクリスを演じた、たかお鷹。老いた放蕩児の悲哀をそこはかとなく感じさせる演技が良かった。

かつての自分や娘との和解を得たクリスだが、目の前に広がる霧に不鮮明な未来を見いだしたところで芝居は終わる。

今日はアフタートークがある。出演は、篠原涼子、佐藤隆太、たかお鷹の主要キャスト3人。司会は朝日放送の桂紗綾(かつら・さあや)アナウンサーが担当する。
「ほっとする時」、たかお鷹は「家で家内と二人で飲んでいる時」(「そう言えって言われてます」だそうだ)、篠原涼子は「台所」。水が流れる場所が好きだそうだ。阪神タイガースファンで日大櫻丘高校時代は野球部に所属しいた佐藤隆太は「甲子園」だそうで、明日から夏の全国高等学校野球選手権大会が甲子園で始まることから、「体調に気をつけて」と言うも、「ここで言うことじゃないですね」とも話していた。
子どもの頃の夢について、たかお鷹は「家具職人」と答え、「実は今でも夢を諦めていない」と語る。篠原涼子は「保母さんかメイクアップアーティスト」で、娘が生まれてから保育園やっていた「保母一日体験」のようなものに参加したことがあるそうだが、「無理だと思いました」とのこと。佐藤隆太は「先生」が子どもの頃の夢で、「英語教師になりたい」と本気で思ったことが一時期あったそうである。



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2018年8月11日 (土)

笑いの林(104) 「祇園ネタ」&祇園吉本新喜劇「歓迎されないお義兄さん!?」 2018年8月1日

2018年8月1日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で「祇園ネタ」と祇園吉本新喜劇「歓迎されないお義兄さん!?」を観る。よしもとのアプリであるラフピーで貯めたポイントを交換しての無料での観覧。

「祇園ネタ」の出演は、コロコロチキチキペッパーズ、ヒューマン中村、トレンディエンジェル、桂坊枝、宮川大助・花子(登場順)。


コロコロチキチキペッパーズ。ナダルが早口言葉に挑戦するも、「松尾芭蕉少々小食」や「年々ねんねんころり」といった聞いたこともない早口言葉を言い始めてしまい、よく知られた早口言葉は全く言えないという展開である。

ヒューマン中村。お得意のフリップ芸を披露。「だんだんしょぼくなる」。「夢」というお題で、少年時代「お父さん、僕、将来プロ野球選手になりたい」→中学生「修学旅行までには彼女が欲しい」→成人「ここにソファ置こう」と年を重ねるにつれてスケールダウンしていくというネタである。「不安」では、「明日受験だ、どうしよう」→「(駅前で)自転車盗まれたらどうしよう」→「あの、僕のウーロンハイ通ってます?」になる。そして「絶望」では、「会社をリストラされてしまった。明日からどうしよう」→「ドラマの最終回、録画するの忘れた」→「あー、やっぱり自転車盗まれてる!」で循環する。
続いて、「悪口しりとり」。悪口を言われたらしりとりで返すというもの。「あれ、おまえいたの?」→「のっけからいたよ」、「きも!」→「もっと言って!」、「あれ? その服昨日も着てなかった?」→「多分、明日も着るよ」、「お前、爆弾作ってない?」→「いくつ作ったと思う?」
地味な芸人ではあるが、かなり笑いを取っていた。


トレンディエンジェル。斉藤司が歌が得意ということで、今日誕生日の人と聞いて手を上げた10歳の少女のために「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」を歌う。思いっきりナルシストな態度で、客席から「怖い! 怖い!」という声が上がるが、確かに歌は上手い。次いで、ポケモンGOネタ。斉藤がピカチュウをやるのだが、やたらと渋い態度で煙草を吸ってはポイ捨てしたりする。ピカチュウはピカチュウでも正体はピカッとした中年だったりする。


桂坊枝。落語よりも、「10分しか仕事をしない」「15分、20分仕事をすると怒られる」という話の方が印象的である。「楽な仕事ではあるが、お金にはならない」とも言う。
「落語は漫才とは違いまして、すぐには面白くならない。物語がありまして落ちがある。もう面白くなるかな、もう面白くなるかなと思っているうちに私の落語は終わっております」と自虐ネタもやる。


宮川大助・花子。大助も年なので色々と病気をする。背中の病気で手術をしたそうだが、花子に「背開きで」と言われる。以前は脳内出血で倒れたこともあったのだが、花子に「びっくりしたわ、脳ないのに出血って」
大助は鳥取県境港市出身なのだが、境港は水木しげるの出身地で「妖怪ロード」があり、花子に大助の母親は砂かけ婆などと勝手に紹介されてしまう。
現在は二人は奈良県の生駒の山奥に住んでおり、大助は植物を育てていて毎朝、水をやるという。花子は「雨の日でも水をやる」と嘘をつく。イノシシが現れることもあるのだが、ある日、イノシシが家のチャイムを押して玄関のドア越しに中を覗いていたという。実はイノシシではなく大助の母親だったということに花子はしてしまっていた。


祇園吉本新喜劇「歓迎されないお義兄さん!?」。出演は、川畑泰史(座長)、諸見里大介、井上安世、小寺真理、中條健一、前園健太、たかおみゆき、山田花子、帯谷孝史、白原昇、今別府直之、親泊泰秀、音羽一憲、大塚澪、松元政唯、速見めぐみ。
花月うどんが舞台である。舞台下手の壁にお品書きが貼られており、上手にも一品ずつメニューが貼られているのだが、上手と下手のメニューが一致していないのが気になる。単なるイージーミスだと思うが。

花月うどんの店主は井上安世。だが、元々は兄の健一が店をやっていたのだが、5年前に多額の借金をこしらえて逃亡してしまったのである。安世は泰史と結婚し、今日アルバイトとして入ったばかりの諸見里大介と三人で店をやろうとしている。諸見里大介は滑舌が悪いのだが、失言したときも全て滑舌のせいにしようとする。
安世の妹の真理は、吉本物産の御曹司である前園健太と婚約している。しかし、健太の母親のみゆきと秘書の山田花子は真理の兄が借金を作って逃亡したことを知り、破談にしようとしていた。

やくざの子分役の白原昇が、相変わらず演技が出来ておらず、そもそも佇まいが不審ということで公開だめ出しされる。白原の存在のおかげで目立つことはなかったが、前園健太の演技もかなり素人くさいものであった。諸見里大介などは個性を生かして伸びているが、吉本新喜劇の若手男優陣は将来が不安である。
一方で若手女優陣は、演技力や笑いのセンスはともかくとして美形が揃い、マドンナの座を巡るバトルが今後繰り広げられそうな予感がある。 ちょい役での出演だったが、大塚澪は声楽が特技だそうで、今日もソプラノ歌手の発声を披露していた。

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YMO 「Behind the Mask」歌詞和訳付きバージョン

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2018年8月10日 (金)

加古隆 「パリは燃えているか」

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2018年8月 8日 (水)

コンサートの記(410) マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」金沢公演(ステージ・オペラ形式)

2018年7月30日 金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールにて

午後6時30分から、金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢の第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ 歌劇「ペレアスとメリザンド」を観る。ステージ・オペラ形式での上演。
原作:モーリス・メーテルリンク(メーテルランク)、作曲:クロード・ドビュッシー。演出:フィリップ・ベジア&フローレン・シオー(仏ボルドー国立歌劇場との共同制作で、2018年1月のボルドー公演に基づく上演)。マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏。ミンコフスキは今年の9月からオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任する予定で、そのための記念公演の一つである。出演は、スタニスラフ・ドゥ・バルベラック(テノール。ペレアス)、キアラ・スケラート(ソプラノ。メリザンド)、アレクサンドル・ドゥハメル(バリトン。ゴロー)、ジェローム・ヴァルニエ(バス。アルケル)、シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ(メゾ・ソプラノ。ジュヌヴィエーヴ)、マエリ・ケレ(アキテーヌ・ユース声楽アカデミー・メンバー。イニョルド)、ジャン=ヴァンサン・ブロ(医師・牧童)。合唱・助演:ドビュッシー特別合唱団。映像:トマス・イスラエル。

フランス語上演・日本語字幕付きである(日本語訳:増田恵子)。なお上演前にロビーコンサートが行われており、ドビュッシーの「シランクス」などが演奏された。

舞台は四段構え。通常のステージの中央のオーケストラ・アンサンブル金沢とミンコフスキが陣取り、ステージの前の客席部分が取り払われていて、ここも使用される。ステージ上手はやや高くなっており、舞台奥は更に高くなっていて、ここがメインの演技の舞台となる。その背後に紗幕があるが、メリザンドが髪を下ろすシーンなどではひときわ高いところにある舞台が光で透けて現れる。
オーケストラのいる舞台の前方にも紗幕が垂れており、ここにも映像が映る。ラストのシーンを除いて、映像は基本的にモノクロームであり、人物の顔や目のクローズアップが頻用される。

ドビュッシー唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」。メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」自体は劇付随音楽を複数の作曲家が手掛けており、フォーレ、シベリウス、シェーンベルクのものがよく知られている。1893年にパリで初演されたストレートプレーの「ペレアスとメリザンド」(メリザンド役はサラ・ベルナール)を観たドビュッシーはその魅力に取り憑かれ、すぐにオペラ化を計画。メーテルリンクの許可も得る。オペラが上演されるのはそれから8年後のことだが、メーテルリンクはメリザンド役に自分の愛人を起用するように迫った。ドビュッシーは音楽的素養のない人間をヒロインに抜擢することを拒絶。かくして裁判沙汰にまでなり、メーテルリンクの憎悪が極限に達した中で初演されるという、なんともドビュッシーらしい展開を見せた。独自のイディオムによる音楽が用いられたということもあり(そもそもアリアらしいアリアはほとんどない)、初演は不評に終わるが、その後10年で100回もパリで上演されるなどヒット作となっている。

メーテルリンクの戯曲では、ヒロインのメリザンドは実は水の精(オンディーヌ)であることが冒頭で示唆されているのだが、ドビュッシーは冒頭を全てカットしてしまったため、意味が通らなくなっているシーンもある。メリザンドが水の精(誤変換で「ミズノ製」と出た)だとすれば、ペレアスは水の世界へと導かれたことになり、水の精と人間の間に生まれた子供が未来を司るということになる。

いつかはわからない時代、アルケルが治めるアルモンド王国での物語。狩りの帰りに森の中で迷ってしまった王子のゴローは、泉のほとりで泣く少女を見つける。少女の名はメリザンド。泉の底にはメリザンドが落とした冠が輝いている。ゴローはメリザンドを連れて城に帰ることにする。ゴローはメリザンドとの結婚を望み、王のアルケルはこれを許す。
ゴローの弟であるペレアスは、船で旅立とうとしているのだが、その前にメリザンドと共に城内にある「盲人の泉」を訪れる。この泉にメリザンドはゴローから貰った指輪を落としてしまうのだが、これが悲劇を招くことになる。

物語造形からしておぼろな印象だが、噛み合わないセリフも多く、ミステリアスな戯曲である。
映像との相性も良く、お洒落だが仄暗い闇の中を進んでいくような感触の上演となっている。

マルク・ミンコフスキ指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢は極上の演奏を展開。音の輪郭がクッキリしており、密度も濃く、上品で上質のソノリティーを保ち続ける。
歌手達も大健闘であり、舞台装置も演出も見事だ。チケットを取るのが遅かったため3階席の券しか手に入らなかったが、石川県立音楽堂コンサートホールの響きは素晴らしく、少なくとも音に関してはステージから遠いこともハンデにはならなかった。
カーテンコールの最後でミンコフスキはスコアを掲げて作品への敬意を示す。極めてハイクオリティーの「ペレアスとメリザンド」と観て間違いないだろう。

音楽関係者も多数駆けつけたようで、終演後のホワイエには、野平一郎や池辺晋一郎といったオーケストラ・アンサンブル金沢ゆかりの作曲家の姿も見られた。



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2018年8月 7日 (火)

スタジアムにて(2) セ・パ交流戦 オリックス・バファローズ対ヤクルトスワローズ 2005.6.2

2005年6月2日 大阪ドームにて

大阪ドームへ。プロ野球セ・パ交流戦ヤクルトスワローズ×オリックス・バファローズの対戦を見る。
客が少ない。下手すると客席にはヤクルトファンの方が多いかも知れない。

ヤクルトスワローズ、今日は古田敦也選手が完全にオフであった。キャッチャーは米野。
ヤクルトは初回に岩村がオリックス先発・光原からセンターへソロホームランを放ち先制。その後も真中のツーランホームランで追加点を挙げる。

ヤクルトの先発は川島亮。安定感は抜群で今日もスコアボードに「0」を描き続ける。が、6回に平野にタイムリーを浴びて1失点。連続イニング無失点は29イニングスで途絶えた。しかし7回をこの1点だけに抑えるナイスピッチング。一方でオリックスはランナーの守備妨害が飛び出すなど、どうにも勝てそうな雰囲気がない。
オリックス2番手は加藤大輔。150キロを超えるストレートを連発するが、ラミレスが負けじとセンター前にタイムリーを放つ。

ヤクルトはゴンザレス、石井弘寿の継投でオリックス打線を封じ、4対1で勝利した。
しかしヤクルト打線の各打者の成績を見ても、とてもこれがセリーグ首位のチームであるとは思えない。投手力が安定していることが第一だろうが、野村監督以来のデータ野球が徹底されているのだろう。

ヒーローインタビューは川島。「コントロールが良くなかった」というがどうしてどうして。もし今日以上にコントロールが良かったらどうなってしまうのだろう?
川島はこのまま成長すれば往年の北別府学(広島カープ)のようなタイプの好投手になるかも知れない(後記:川島亮は右肩の故障に悩まされ、その後、大成することなく引退。2018年現在は、東京ヤクルトスワローズの1軍マネージャーを務めている)。

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観劇感想精選(250) 「触覚の宮殿」

2018年7月27日 京都・東九条のstudio seeboxにて観劇

午後7時30分から、南区にあるstudio seeboxで、あごうさとし作・演出による「触覚の宮殿」を観る。太田宏(青年団)、辻本佳、松本杏菜による三人芝居。

studio seeboxはマンションの3階にある小スペースである。

照明は抑えめであり、セリフの99%以上は太田宏が発し、松本杏菜のセリフは二つだけ。辻本佳は言葉を発しない役である。

太田宏の一人語りで話は進む。あごうさとし(石見国吾郷氏の家系)の先祖である三善氏にまつわる物語とあごうさとしが子どもの頃の思い出の二つが瞬時に入れ替わるというスタイルである。

吾郷氏の祖である三善氏は百済からの渡来人。三善氏は百済系の渡来人と漢人系渡来人の二つがあり、現在まで続いているのは漢系の渡来人の家系らしいのだが、百済系と漢系が混じったという説もあり、今回の芝居では百済系一つに纏められている。百済系三善氏の最重要人物は大学頭にまで出世し、菅原道真のライバルとして有名で、一条戻橋の名の由来となる蘇生伝説でも知られる三善清行であるが、今回は鎌倉幕府の初代問注所執事となった三善康信(一応、漢系渡来人の家系とされる)が主人公になっている。三善康信は算術を生業とする下級公家の家の生まれである。

三善康信の母は源頼朝の乳母の妹であり、三善康信も幼い頃から頼朝を知っていたのだが、頼朝には可愛らしさよりもタナトスのようなあるいはサディスティックな願望を抱いたことが語られる。
一方、あごうさとしの話は、5歳の時に入院した時の記憶に始まり、10歳の時に父親の仕事の都合で香港に渡ったときのこと、バブル期の日本人は香港で傍若無人だったこと、12歳で香港の浮浪者に襲われそうになった時のことなどが語られる。入院した時に隣のベッドにいたのは喘息持ちのリョウタという青年であったこと、香港はまだイギリス統治下であり、クイーンズイングリッシュ(イギリス英語)が優勢で、アメリカの英語の発音をするとイギリス人の家庭教師に怒られたこと、中国語も北京語は美しく広東語は汚いとされていたことなどが語られ、あごう少年は、「東京の言葉は綺麗で、関西の言葉は汚いということか」と反発を覚える。香港のイギリス政府は日本人である吾郷ファミリーにも指紋押印を求めたそうで、東洋人は生まれながらにして犯罪者のような扱いだったらしい。

三善康信は、治承・寿永の乱で一貫して頼朝・義経方を支持、兄弟が対立した折は頼朝に与して、武家社会の到来に貢献している。下級公家の出では一大出世は見込めず、新しい武家の世で出世することに懸けたのだ。
康信は、「玉葉」で知られる関白・九条兼実とも交流。九条兼実はseeboxにほど近い九条殿を本拠としていたが、三善康信は九条殿に立ち寄った帰り道、鴨川沿いで一人の賤民を見かける。その男は自らの歯を抜こうとしていた。康信は男の姿に天台座主(セリフには一切出てこないが、九条兼実の実弟で「愚管抄」を著したことで知られる慈円である)よりも遥かに「聖人」に近いものを感じる。
また康信は、法然とも出会う。当時、「知恵第一」と呼ばれ、都においては尊きも貧しきも知らない者はいないと言われた法然坊源空の弟子の一人に康信は欲情する。「男と男が交わってもいいものか」と考える康信に法然は「結縁せねばならないのなら結縁するがよろしい」と説いた。

昭和の終わりは、香港では特に大きくは扱われなかった。そして栄華を誇った公家社会にも終わりが来る。寿永の乱が終わった時に、元号は文治に変わった。武断ではなく文治政治を続けたいという後白河法皇の願望が込められていたのだが、頼朝は納得せず、大軍を率いて上洛。九条兼実や後白河法皇と会談し、諸国守護権が認められ、元号は建久に変わる。かくして新しい世の中が訪れる。

ラストは松本杏菜の、「天皇は象徴として寿ぐ」という意味のセリフで閉じられる。

あらすじを見るだけで、大体のことは把握できるという内容である。

東九条を中心とした京都演劇新時代への意気込みを語る作品であるのだが、テイストが1970年代風であるため、アクチュアルな感じがしないのが難点といえるだろう。
なお、狂言の台詞回しがあるのだが、大蔵流の茂山あきらに指導しても貰ったことが無料パンプレットに記されている。

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2018年8月 4日 (土)

隠しきれないこと

意識は随所に反映される。単一の問題であるはずがない。

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2018年8月 2日 (木)

観劇感想精選(249) 市村正親主演「キーン」

2008年10月23日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇

西宮の兵庫県立芸術文化センター中ホールまで、「キーン」を観に行く。午後6時30分開演。
ジャン・ポール・サルトルのテキストを小田島恒志が新たに訳したものを使用。演出は今年29歳の若手イギリス人演出家であるウィリアム・オルドロイド。タイトルロールを演じるのは市村正親。出演は他に、須藤理彩、高橋惠子、鈴木一真、西牟田恵ほか。
須藤理彩や西牟田恵の舞台を観るのは久しぶりである。

18世紀から19世紀にかけて活躍した、実在の英国人名俳優、エドマンド・キーンを主人公としたサルトルの代表的戯曲。
天下の名優でありながら、実生活では破綻者であったキーン。女ったらしで、派手好きで、金もないのに豪華なことを好み、巨額の借金を重ねていた。

狂気の名優、キーンの演技と実生活の境界線はぼやけており、それを出すために、テキストは幾層にも別れたリアルの間(意識的演技と無意識的演技と意識的日常と無意識的日常)を行き来し、役者と役の関係を引き離す演出が試みられていて、最後はセットが取り除かれ、役者達も衣装ではなく稽古着でカーテンコールに登場する。
私も、観客の役を観劇の間中続け、上演終了後に個人に戻るような感覚を味わった。

役者では市村正親と須藤理彩が良かった。市村正親の破滅的性格描写、須藤理彩の愛らしさ、ともに期待を裏切らない出来だった。

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都はるみ歌唱 「親子三代千葉おどり」(みんなで踊ろう編)


この曲のおかげで、千葉市の子供達は「千葉の名物は祭りと踊り」だと思い込んでいます。

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2018年8月 1日 (水)

コンサートの記(409) 京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団 フォーレ 「レクイエム」

2018年7月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団によるガブリエル・フォーレの「レクイエム」を聴く。

オール・フランス・プログラムで、サティの「ジムノペディ」第1番と第3番(ドビュッシー編曲。ピアノ版の第1番が第3番、第3番が第1番と入れ替わっている)、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:石橋栄実、バリトン独唱:大沼徹。合唱:京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018)。


今日もコンサートマスターは客演の須山暢大、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。

前半は今年没後100年を迎えたドビュッシーをフィーチャーしたものである。「ジムノペディ」において広上は、落ち着いて瀟洒で詩的な演奏を行う。フランスの都会の光景が目に見えるような洒脱な表現だ。

「小組曲」は広上が好んで取り上げる曲の一つ。細部まで神経の行き届いた軽やかで涼やかで儚げで快活で、とにかくありとあらゆる光景を指揮棒の先で描いてみせる。迫力、造形力、音捌き、全てが高い水準にある。


フォーレの「レクイエム」。合唱を担当する京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018は、今回の公演のために結成された市民団体。声楽経験者でない人も含まれているが、広上の指揮により、「リベラ・メ」での高揚感などは最高レベルのものを示している。プロや常設団体ではないので、声の粒立ちには問題があるが健闘したほうだろう。
広上の巧みな音運びにより、空間が一瞬にして清められるような印象を受ける。京響の発する音は色彩豊かで匂うように上品。管楽器も角の取れたまろやかさで、まさに天上の響きといった趣である。石橋栄実と大沼徹のソリストも優れた歌唱を聴かせ、技術的にはともかく音楽的には「完璧」の領域に達した「レクイエム」となった。

広上淳一は凄い。

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«コンサートの記(408) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演