2019年4月18日 (木)

コンサートの記(545) 井上道義指揮 京都市交響楽団第633回定期演奏会

2019年4月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第633回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は井上道義。

オール・プロコフィエフ・プログラムで、組曲「キージェ中尉」、ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:イリヤ・ラシュコフスキー)、「ロメオとジュリエット」組曲から(井上道義セレクション)が演奏される。

ショスタコーヴィチのライバルだったプロコフィエフ。二人は犬猿の仲であったと伝わるが、基本的にショスタコーヴィチ作品を得意としている演奏家はプロコフィエフ作品でも優れた出来を示すことが多い。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーは泉原隆志。今日はチェロ客演首席にNHK交響楽団の首席チェロ奏者である「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。第ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。武貞茂夫が定年で抜けたテューバには北畠真司が客演で入る。
独自の配置が採用されており、ヴァイオリン両翼だが位置は現代配置のヴィオラと入れ替わり。コントラバスはヴィオラの背後の位置。通常は下手に陣取るホルンは今日は上手に回る。


午後6時30分から井上道義によりプレトークの予定だったが、6時40分からに変更になる。井上が癌の後遺症で唾液が余り出ないので、長い時間喋れないらしい(更にインフルエンザが治ったばかりだったようだ)。
井上はまず、「桜の咲く季節は大嫌いです」。「寒いから」ということなのだが、花見に行くにはということのようで、夜桜を見に行っても井上は「寒いから帰る」という方なので花見がそもそも嫌いらしい。
バレエ「ロメオとジュリエット」のラストをプロコフィエフが「死んだら踊れない」ということでハッピーエンドにしようとしたことを挙げて、「(プロコフィエフ)は希望を抱くロマンティストであったのだが変にリアリスト」であったと語る。
「アンティル諸島の娘たちの踊り」は、百合の花を持って踊られるのだが、百合の花は日本でいうところの菊の花に相当し、葬儀の意味があるのだそうである。


組曲「キージェ中尉」。元々は映画音楽として書かれたものを演奏会用にまとめたものである。映画そのものを観たことはないのだが、実在しないキージェ中尉を皇帝が気に入ってしまったため、周囲が振り回されるという筋書きはよく知られている。録音ではコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」とカップリングされることが多い曲である。

拍手が止んですぐに、舞台袖で西馬健史がコルネットを吹き始めてスタート。プロコフィエフは意欲的な表現に取り組んだことで知られるが、この曲でも相反する要素が同時進行するなど、前衛的な表現が聴かれる(特に目立つ場所に置かれたコントラバスは変わったことをしているのが確認出来る)。
京響自慢のブラスは輝かしく、弦も鋭さと温かさを兼ね備えた優れた表現を聴かせる。
井上は体をくねらせて踊るユーモラスな指揮を見せた。


ピアノ協奏曲第3番。ソリストのイリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリア・イルクーツク生まれの若手。5歳でピアノを始めて、8歳の時にはイルクーツク室内オーケストラと共演という神童系である。シベリア最大の都市であるノボシビルスクの音楽学校で学び、1995年にイタリアのマルサラ市で行われた国際コンクールで優勝。98年にはウラジミール・クライネフ国際コンクールでも優勝を飾り、2000年にハノーファー音楽学校(ハノーファー演劇音楽大学と同じ学校かどうかは不明)に入学して、そのウラジミール・クライネフに師事している。その後も多くのピアノコンクールで優勝や入賞を経験し、2012年に第8回浜松国際ピアノコンクールで優勝。この時から井上道義に評価されていたがなかなか共演の機会がなく、今日が初共演となるようである。

ラシュコフスキーは、渋みとリリシズムを兼ね備えたピアノを披露。高度な技術が印象的である。
京響はベストな響きではあったが、鋭さと音量共にこの曲の伴奏としては弱めである。それだけプロコフィエフの演奏が難しいということでもあり、プロコフィエフのピアノ協奏曲は演奏家泣かせであることでも知られている。

ラシュコフスキーのアンコール演奏は、ラフマニノフの「楽興の時」第4番。情熱と表現力を兼ね備えた秀演であった。


「ロメオとジュリエット」組曲より(井上道義セレクション)。演奏されるのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」「朝の踊り」「ロメオとジュリエット」「情景」「メヌエット」「朝のセレナーデ」「アンティル諸島の娘たちの踊り」「タイボルトの死」「ジュリエットの死」

管楽器の冴えがやはり印象的である。今日は木管の首席は「ロメオとジュリエット」のみの参加であったが、技巧面でも表現面でもハイレベルである。打楽器群の力強い響きも見事だ。
井上の表現も巧みで、強弱や緩急の切り替え、甘美さとシニシズムの対比などプロコフィエフの面白さを十全に表していた。

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2019年4月17日 (水)

スタジアムにて(14) 日本女子プロ野球 京都フローラ対愛知ディオーネ@わかさスタジアム京都 2019.4.9

2019年4月9日 西京極のわかさスタジアム京都にて

わかさスタジアム京都で行われる、日本女子プロ野球、京都フローラ対愛知ディオーネの試合を観に出かける。
昼間は気温が上がったが、日が落ちてからは風が冷たい。

京都フローラの先発は2年目の龍田美咲、愛知ディオーネの先発は全日本のエースである里綾実。

日本女子プロ野球はシーズンオフのトレードで、各チームの顔ぶれがかなり変わっている

フローラ先発の龍田はMAX118キロのストレートがよく走り、100キロ台のスライダーとカーブ、100キロを割るスローカーブなどのコンビネーションを生かした投球。100キロちょっとの球が縦スライダーなのかスプリットなのかチェンジアップなのかはっきりとはわからなかったが、かなり有効であることは確認出来る。

ディオーネ先発の里はMAX117キロながら、今日は途中で失速しているのか、余り速くは感じられない。ブレーキがかからずに縦に割れるカーブが今日は武器になっていたが、コントロールが悪く、3回には四球2つをヒットで満塁のピンチを招くと、ディオーネから移籍の厚ケ瀬美姫に押し出しのフォアボールを与えてしまい、先制を許す。

一方の龍田は好投で、完封も見えてきたが、6回裏に西山にツーベースを許し、岩見のショートゴロの間に西山は三塁に進出。ここで星川にライト戦へのタイムリーを許して同点に追いつかれる。

7回表、先頭の三浦のファーストゴロを星川がファンブルし、ランナーを許す。
厚ケ瀬の当たりはライト前に抜ける。村松を迎えた場面で二塁ランナーの三浦が誘い出されてタッチアウトになるが、厚ケ瀬が二塁に到達。村松はセンター前へのヒットで、一死三塁一塁となり、勝ち越しのチャンス。4番の岩谷を迎えるが、ここは浅めのセンターフライでランナー帰れず。
だが、続く中村茜にライト前へのタイムリーが飛び出して、フローラついに勝ち越し。村松は三塁を狙うが、残念ながらアウトとなる。

7回裏、フローラの川口知哉監督は、ディオーネから移籍の速球派、森若菜をマウンドに送る。速いだけでなく球威を感じさせるタイプだ。

森は、自身が持つ日本女子プロ野球最速タイとなる128キロをマーク。ただ、124キロのストレートを先頭の太田にレフトに弾き返されるなど、女子でも力だけでは通用しないようだ。
送りバントの後、三振を奪ってツーアウトとするも代打の新人・金城比呂(きんじょう・ひろ)にセンター前へのヒットを許す。センターが前進守備だったため、ランナーは三塁で止まったが、返球が緩めだったため、あるいはホームに突っ込んでいれば同点だった可能性も高いと思われる。
救われた形の森は、入れ替わる形でフローラからディオーネに移籍した浅野桜子をショートゴロに打ち取り、京都フローラが勝利。これでフローラは開幕から7勝1敗となった。

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2019年4月16日 (火)

コンサートの記(544) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第474回定期演奏会

2013年12月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第474回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は1982年生まれという超若手、ポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ。
プログラムは、ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」、ピアノ協奏曲第18番(ピアノ独奏:フセイン・セルメット)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ウルバンスキと大フィルの共演は3度目だそうだが、私はウルバンスキの指揮で聴くのは初めてである。ウルバンスキは毎回、祖国ポーランドの作曲家の作品を取り上げているそうだが、ポーランドの作曲家には、ショパン(フランス系であり、パリで活動はしたが)を始め、ペンデレツキにルトスワフスキ、グレツキなどがすぐに思いつく。ピアニストにクリスティアン・ツィマーマン、ラファウ・ブレハッチ、ワンダ・ランドフスカ、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エヴァ・ポヴウォツカなどがおり、指揮者もスタニスラフ・スクロヴァチェフスキや、NAXOSに看板指揮者を務めるアントニ・ヴィトなどがいて音楽大国である。
音楽のみならず、映画監督の分野でもアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキなど世界中の映画監督から尊敬されるほどの大物が輩出しており、芸術大国であるともいえる。
にしても、発音しにくい名前の人が多い。
ペンデレツキもファーストネームはクシシュトフであり、クシシュトフというファーストネームのポーランド人男性は多いことが察せられる。

ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」は、もともとは「8分37秒」という即物的なタイトルの作品であり、その後、「哀歌8分37分」となった。日本初演の際に「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」とされ、その後、そのタイトルは揺るがぬものとなった。純音楽作品であり、広島の原爆を描いた作品ではないが、原爆投下後の広島の惨状を音楽にするとまさにこのようになるのではないかと思えるほどしっくりくる曲である。元のタイトルの「8分37秒」であるが、ジョン・ケージの「4分33秒」とは違い、ラヴェルの「ボレロ」の「17分ほど」という記述と同様、目安として書かれた程度で厳密に守らなければならないものではない。タイトル改訂と同時にタイム指定も外されたはずであり、私はこの曲の音盤を何種か持っているが、即興的な要素も多いこともあって、元のタイトルのタイムジャストで演奏しているものは作曲者自身が指揮した演奏も含めて多くない。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏が当初のタイムに一番近いと思われる。詳しいサイトを調べたところ、平均演奏タイムは10分ほどだという。

クシシュトフ・ウルバンスキ登場。長身痩躯、男前、いかにも才子といった感じである。
指揮者と同じ、クシシュトフというファーストネームを持つペンデレツキの「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」。弦楽のための作品である。
トーンクラスターという、現代音楽ではよく使われる技法を特徴とする。近いが微妙に異なる音程の音を一斉に奏でることで、非常に力強く、衝撃的な響きを生むという手法である。ホラーやサスペンスの映画やドラマの、恐怖心を煽る場面での音楽でもトーンクラスターは多用される。というより、クラシック音楽よりも、映画音楽などで多用されている作曲法といった方が適当だろうか。
クラシック音楽の予備知識のない人がこの曲を聴いたら、「なんだこれは? 音楽か?」と思うかも知れない。
いつも通り、指揮者と対面する席に座ったので、弦楽奏者達の譜面を見ることが出来たのであるが、およそ楽譜らしくない譜面が並んでいる。隣接した音を弾くために五線譜が真っ黒になってしまい、あたかも塗り絵のようである。
指揮者の仕事は拍を刻むよりもどの音をどれだけ強調し、どれだけ延ばすか決定することにある。ウルバンスキはノンタクトで、強く響かせたい音に向かって手をかざす。曲が進むにつれて右手で拍を刻むこともあるが、基本的には、速度よりもバランスを取ることを心がけている。
大阪フィルの弦は思ったよりも力強くなかったが、納得のいく水準には達していた。

フセイン・セルメットを独奏者に迎えての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第18番。大フィルは典雅な響きを奏でるが、第1楽章では例によってモッサリした感じが出てしまう。大植英次や、優れたベテラン指揮者が振ると、このある種の野暮ったさは顔を潜めるのだが、やはり指揮者が若いということもあって地の部分が出てしまうのであろう。
ただ、ピリオドを意識したのかはわからないが、若干ビブラートを抑え気味にした弦の響きは透明感もあって美しい。
ウルバンスキはこの曲では指揮棒を用い、腕の動きは余り大きくないが、スナップを利かせることで指揮棒は大きく動くという効率的な指揮を行っていた。
セルメットのピアノであるが、落ち着いた男性的なモーツァルトを奏でていく。一音一音を指で丁寧に押さえることでこうしたモーツァルト演奏が可能なのだろう。「タン・タララン」と軽やかに弾くと華やかなモーツァルトにあるが、セルメットはこれを「タン・タラ・ラン」と微妙に変えることで安定感のある音楽を生み出していた。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
現在では屈指の人気曲であるが、初演時はバレエの内容と、斬新な音楽が一大スキャンダルになったことでも知られている。この曲はファゴットが通常では使わないような高い音を出して始まるのだが、これに関してサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と書き記しており、その他にも、「これは音楽ではない」などとする批評もあった。その意味で、「広島の犠牲者のための哀歌」と「春の祭典」を同じ演奏会の曲目に載せたのは上手いと思う。
ウルバンスキは速めのテンポを基調とするが、時折、急激に速度を落としたり、急激な加速をしたりと、即興的な味わいが加わる。大阪フィルの合奏力も高く、たまに技術的に不安定な時もあるが、パワフルな演奏が展開される。
ウルバンスキの指揮は、右手で変拍子を処理しつつ、左手を音を出すべき楽器を掴むような手つきで出したりする。こうしたところはダニエル・ハーディングの指揮姿に似ている。
激しい部分になると、体をくねらせながら、ちょっとナルシストっぽい動きをしたりする。ここはハーディングには似ておらず、なよなよした印象も受けて、見ていてちょっと気にはなったが、音楽的には良いものを生み出していた。

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2019年4月15日 (月)

楽興の時(28) 「テラの音 Vol.25 ~歌とピアノの贈り物~」

2019年4月5日 中京区の真宗大谷派小野山浄慶寺にて

午後7時から真宗大谷派小野山浄慶寺での「テラの音 Vol.25」を聴く。今回はソプラノとピアノによる演奏会である。
ソプラノは、京都市立芸術大学音楽学部音楽学科声楽専攻2回生の高田瑞希。私が接したことのある「テラの音」の出演者としてはおそらく最年少になると思われる。京都市少年合唱団修了とあるから、広上さんとも仕事をしたことがあるのだろう。
ピアノの片山梨子も京都市立芸術大学出身。第3回ジュラ・キシュ国際ピアノコンクールで第1位獲得。ポーランド国立放送交響楽団の本拠地としても知られるカトヴィツェで行われた第9回ポーランド国際ピアノマスタークラスにも出演して演奏している。現在はショパンの演奏をライフワークとしているそうである。

曲目は、まず片山梨子のピアノ独奏でショパンの「子犬のワルツ」。2曲目に高田瑞希が登場してのベッリーニの「優雅な月よ」。ここまでをプロローグとして、第1部が、中田章の「早春賦」、瀧廉太郎の「花」、「早春賦」のモチーフとされるモーツァルトの「春への憧れ」より1番、トスティの「四月(Aprile)」、トスティの「春(プリマヴェーラ)」、スカルラッティの「すみれ(Violette)」、菅野よう子の「花は咲く」、山崎朋子の「空高く」。浄慶寺の中島住職の法話を経ての第2部が、トスティの「Sogno(夢)」、ロイド=ウェバーのミュージカル「CATS」よりメモリー(日本語歌詞版)、ピアノ独奏でシューマンの『子供の情景』より「見知らぬ国々と人々」と「トロイメライ」、吉田千秋の「琵琶湖周航の歌」より1番から4番まで、木村弓の「いつも何度でも」、瀬戸内寂聴作詞の「寂庵の祈り」、久石譲の「Stand Alone」

ピアノはローランドのキーボードを使用する。

第1部は春や花を題材とした曲目、第2部には夢や希望をモチーフにした楽曲が並ぶ。

高田瑞希はお喋りな子のようで、片山に「今日は清楚なイメージで行きたい」と提案するも、「5分でばれる」と言われたそうである。

モーツァルトの「春への憧れ」は曲そのものも有名だが、モーツァルトが自身最後のピアノ協奏曲となる第27番の第3楽章に転用していることで知られている。童心に帰ったかのようなモーツァルトの憧れが感じ取れる曲だ。

菅野よう子の「花は咲く」は、高田が京都少年合唱団在団中に京都コンサートホールでの演奏会で初めてソロパートを取った思い出の曲だそうである。

「琵琶湖周航の歌」は、高田が子供の頃に子守歌として聞かされていた曲で、個人的に夢と繋がっているのだそうだ。歌詞は6番まであるが、全部やると長いので、加藤登紀子カバー版と同じ4番までが歌われた。

 

中島浩彰住職の法話は、現在の福島県の様子を伝えるもの。中島住職は東日本大震災発生直後から今に至るまで何度も福島を訪れているが、福島第1原発からかなり離れた二本松市や郡山市でも放射線濃度が高いため、福島を離れる人と生活があるので残る人に分かれ、残った人の中でも意見が異なり、年を経るにしたがって乖離の度合いも甚だしくなってきているそうである。政府も当初は「年間1ミリシーベルトあれば避難」という見解だったのだが徐々に甘くなり、「年間20ミリシーベルトまでは大丈夫」とするも根拠がないのでみな不安だそうだ。ただ、「もう考えるのが面倒だ」「生活が優先」ということで集会に参加しなくなった人も増えているそうである。
政府は福島であっても地産地消を勧めてくるのだが、検査が年々甘くなっており「信じきれない」ということで、ミネラルウォーターを買い、被災地以外の場所で採れた野菜を食べるようにしている家も多いそうだが、子供が幼稚園に入ると、幼稚園では政府の地産地消政策に従って福島県産の作物を使った給食が出てくる。幼稚園では給食ではなく弁当を選ぶことも可能なのだが、小学校に上がると福島県産の食物を使った給食を食べなければならなくなる。ということで子供が幼稚園に入る年齢に達したり、小学生になるタイミングで福島を離れる人もおり、残った人も父親と母親の間で意見が分かれて喧嘩になったりもしているそうである。

 

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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2019年4月13日 (土)

これまでに観た映画より(124) 「翔んで埼玉」

2019年4月4日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、関東人必見といわれるバカ映画「翔んで埼玉」を観る。東京人から蔑まれ、通行手形がないと都内に入ることすら出来ないという20世紀の架空の埼玉を題材とする、とんでも作品である。
原作は魔夜峰央の未完成の漫画作品。監督:武内英樹(千葉県出身)。出演:二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介、中尾彬(千葉県出身)、ブラザートム(埼玉県育ち)、麻生久美子(千葉県出身)、島崎遥香(埼玉県出身)、麿赤児、益若つばさ(埼玉県出身)、竹中直人(神奈川県出身)、加藤諒、武田久美子、小沢真珠、成田凌(埼玉県出身)、京本政樹ほか。埼玉県出身の有名人が多数カメオ出演している。

 

夏暑いことで知られる埼玉県熊谷市に住む菅原夫妻(ブラザートムと麻生久美子が演じている)とその娘の愛海(島崎遥香)が、都内で行われる結納に参加するため車で向かっている。愛海の結婚相手は浦和に住んでいるのだが、都内に務める埼玉都民であり、都内に家を建てるつもりということで都内を会場に選んだのだ。愛海は埼玉暮らしにうんざりしており、都内に引っ越せるということでウキウキである。埼玉のFMであるNACK5からは、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」が流れているが、その後、埼玉の都市伝説ラジオドラマが始まる。物語は、ラジオドラマ内と熊谷市に住む一家の間を行きつ戻りつしながら進む。

ラジオドラマ内では、都内の超一流私立高校の白鵬堂学院高校(旧東京府立第一高等女学校である都立白鴎高校に由来するのかどうかは不明)に、美男子である麻実麗(GACKT)が転校してくるところから始まる。麗はアメリカ帰り、英語だけでなくフランス語、スペイン語、北京語などを操る才子であり、宝塚の「ベルばら」さながらの白鵬堂学院高校の女子達は全員夢中になる。生徒会長で白鵬堂学院高校内唯一の男子である壇ノ浦百美(どう見ても女だが男という設定。二階堂ふみ)は、最初こそ麗に反発を覚えるが、その後、ボーイズラブへと発展していく。

ラジオドラマ内の埼玉県人は、縄文時代そのままの竪穴住居での生活を送っており、通行手形がないと都内に入ることは許されず、不法侵入が見つかった場合は即座に捕獲、追放が行われていた。ラジオドラマ内の東京都民は埼玉県人を毛嫌いしており、埼玉県人と関わったということがわかっただけで卒倒する有様である。
白鵬堂学院高校は、住所によって学級と待遇が変わり、都心がA組、周辺になるに従ってクラスが下になるというヒエラルキー構造で、最下級のZ組は埼玉県から引っ越してきた現都民が所属している。Z組の教室は離れの廃屋が割り当てられ、今もなお、ぽっとん便所の使用を強制されている。体調が悪くなっても医務室に入ることは許されず、百美からは「埼玉県人にはそこらへんの草でも喰わせておけ!」などと吐き捨てられる。
Z組の面々は埼玉県生まれであることを恥じており、差別されるのは当然として埼玉に恨みすら感じている。そんな埼玉県人に失望を感じる麗。実は麗は生まれは埼玉であり……。

 

埼玉あるある(浦和と大宮は仲が悪い、名産がない、出身地を聞かれて思わず「東京です」と答えてしまうなど)は勿論、千葉あるある(「東京」を冠するものがやたらと多い、茨城県と一緒の「チバラキ」扱いされると怒る、「とにかく海はあるぞ」など)、東京あるある(ブランドや箔付けが大好き。故郷と呼べるような場所を持たない)などの小ネタが満載であり、関東人ならクスリと笑える要素に溢れている。逆に他の地方の人達にとってはピンとこないことが多いかも知れない。ギャグなどは日本全国共通だと思われるが、東京都民と他の関東の県人の距離感などは上手く掴めないのではないだろうか。

役名からして非現実的だが、物語展開からは徹底してリアリズムが排除されている。映画の内容を考えれば当然で、ストーリー展開の面白さよりも、馬鹿馬鹿しさに徹底的に浸るべき映画となっている。埼玉、千葉(野田にはヌーが出るらしい)、神奈川(東京都の腰巾着。ヒーローは加山雄三)の南関東に隠れた形にはなっているが、群馬(謎の巨大生物が生息しているとしてニュースになる秘境)、茨城(名前を聞いただけで百美が卒倒)という北関東も登場する。栃木県だけ影が薄いが、クライマックスには那須塩原の栃木県民が参加していることが確認出来る。

余りにも馬鹿馬鹿しい差別を描いたおバカ映画であるが、世の中にはこれらと同等な差別が横行しており、差別の根っこがそもそも馬鹿なことであること考えると、「面白うてやがて哀しき」という言葉も浮かぶ。

 

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2019年4月10日 (水)

南座新開場記念 都をどり 「御代始歌舞伎彩」2019年4月5日

2019年4月5日 京都四條南座にて

午後4時30分から、京都四條南座で都をどりを観る。
祇園甲部歌舞練場が耐震対策工事中ということで閉鎖されており、昨年一昨年は北白川の京都芸術劇場春秋座で公演が行われた都をどり。今年は新開場記念も兼ねた南座での開催となる。南座はロビーが狭いということで、今年はお茶席はなく、お茶菓子の皿プレゼントもないが、その代わりパンフレットは無料で配布されている。

昨年の春秋座での公演では、CGを使ったり「アナと雪の女王」を題材にしたりといった新しい試みを行った都をどり。春秋座が京都造形芸術大学の劇場ということで、京都造形芸大の教授でもある井上八千代が若者の取り込みを図ったのかも知れないが、学生らしき人々の姿は客席には見えず、新演出は常連客から大不評ということもあり、今年は揺り戻しからか保守的な内容になっている。それが全体として平板な印象を生んでいたようにも感じられる。

チケットを取るのが遅かったため、今日は2階の上手サイドの席の2列目。前列はラテン系と思われる外国人の一家である。舞台はそれほど良くは見えないが、花道での踊りは楽しめるため、この席を選んだ。舞台下手端で、ジャケットを着たおじさんが鳴り物に指示を出していたり、鈴を鳴らして演奏しているのが見えるのがシュールで楽しかったりする。

演目は置歌に続き、「初恵美須福笹配」「法住寺殿今様合」「四条河原阿国舞」「藁稭長者出世寿」「桂離宮紅葉狩」「祇園茶屋雪景色」「大覚寺桜比」の計8景。今は会えぬ人を偲ぶ内容の曲がいくつかあり、それが「大覚寺桜比」での華やかさと表裏一体の儚さにも繋がっている。

「大覚寺桜比」は、舞台上に桜の樹が並ぶ、舞台上方からも桜の枝が垂れていて今の季節に相応しい飾りであるが、稽古を重ねることで上半身がぶれずに速足で移動することの出来る芸妓達を見ていると、人間というより桜の精に出会ったかのような不思議な感覚に陥った。

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2019年4月 8日 (月)

コンサートの記(542) 広上淳一指揮京都市交響楽団第574回定期演奏会

2013年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第574回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京響常任指揮者の広上淳一。
来シーズンから、京響は、常任指揮者の広上淳一に加えて、首席常任客演指揮者に高関健を、常任客演指揮者に下野竜也を迎えるのだが、偶然であるが、私は今日は広上、昨日は下野、一昨日は高関と来シーズンからの京響指揮者陣の演奏を3日連続で聴くことになった。

曲目は、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番(チェロ独奏:エンリコ・ディンド)、ロベルト・シューマンの交響曲第2番。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番とシューマンの交響曲第2番の、第2番コンビはいずれも暗い作風であり、楽しい音楽が好きな人からは避けられがちである。

唯一の明るい曲であるショスタコーヴィチの「祝典序曲」であるが、ショスタコーヴィチが無理して笑っているような印象を受ける曲である。薬で目一杯テンションを上げたような出だしであるが、次第に「祝典」というタイトルの割りには鋭い音楽となり、ベートーヴェンの俗に言う「運命動機」のようなものも聞こえる。
広上の指揮する京都市交響楽団だが、非常にクリアで、気品溢れる音を出す。

 

ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番。明るくなる場面がほとんどない曲である。ソリストのテクニックは極めて高度なものが求められる。初演が行われたのは1966年、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロ、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団によってである。ロストロポーヴィチもスヴェトラーノフも私はよく知っている音楽家であり、スヴェトラーノフは実演にも接している。初演者が知っている人だと不思議と親しみもわく。
3楽章全てがエレジーのような曲であり、ソリストであるディンゴも漆器の輝きのような渋い音を出す。広上の指揮する京響も沈痛な音を奏でる。

ディエゴはアンコールとして、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番より“アルマンド”を弾く。今度は明るく、滑らかな音による演奏であった。

 

メインであるシューマンの交響曲第2番。難解とされる曲である。私自身は難解だと思ったことはないのであるが、この曲はシューマンが梅毒が原因で精神を病んでいたときに作曲した作品であり、症状が重く、作業を途中で中断せざるを得ないなど深刻な状況で作曲された。そのため、そういう心理状態を無意識のうちに避けたい人もいるのかも知れない。

第1楽章。広上は通常の演奏よりも更に弱い音でスタート。そして徐々に音の大きさとスケールを膨らましていく。ヴァイオリンが普段より透明な音を出しているので確認すると、やはりビブラートを普段より抑えめにしているのがわかった。

広上の指揮であるが、実に多彩である。普通はある適度型は決まっているものなのだが、広上は同じ旋律がもう一度登場したときも違う振り方をしていることが多い。指揮棒でティンパニに指示を出していたかと思うと、主旋律が他の楽器に移ったために、今度は視線をティンパニに送って目で指揮したりする。指揮の意図が極めて明確な指揮者である。ただ今日はいつもよりオーバーアクション。これにはわけがあることが後にわかる。

第2楽章では、本来は楽譜にないはずのリタルダンドをかけたり、猛烈な加速を見せたりと、即興性溢れる仕上がりとなった。

悲しみと憧れの第3楽章であるが、広上は悲しみを強調する。旋律が憧れに行こうとすると、短調を奏でている楽器を強調して、再び涙色の響きへと戻してしまう。これもまた伏線である。

最終楽章。第3楽章では悲哀を奏でた旋律を長調に変えたものをヴィオラが弾くのだが、それがこれほどわかりやすく浮かび上がる演奏は聴いたことがない。ということで、第3楽章を悲しみ一色にしても良かったのである。広上はダイナミックな指揮で快活な演奏を展開する。シューマンの交響曲第2番が決して暗い曲ではないということを実証してみせたのだ。

 

定期演奏会は普通はアンコールがないのだが(そもそもアンコール曲を用意していない)、今日はヴェルディとワーグナーが今年で生誕200年を迎えるということもあり、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第3幕への前奏曲が演奏される。リリカルで哀感に溢れる音楽が時間を刻む。

発見の多い演奏会であった。

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2019年4月 7日 (日)

コンサートの記(541) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2013名古屋

2013年11月23日 名古屋の三井住友海上しらかわホールにて

三井住友海上しらかわホールへ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、歌劇「フィデリオ」序曲、交響曲第4番、交響曲第3番「英雄」が演奏される。

三井住友海上しらかわホールは前を通ったことはあるのだが、中に入るのは今日が初めてである。

ピリオド・アプローチによる演奏を得意とするドイツ・カンマーフィル。トランペットはピストンのないナチュラルトランペット。二階席下手の席に座っていたので、舞台下手側に座るホルン奏者の姿は見えないが、間違いなくナチュラルホルンであろうと思う。実際に音を聴くとやはりナチュラルホルンであることがわかる。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。

三井住友海上しらかわホールの内装は、壁が全て木目であり、とても美しい。天井はやや高めであるため、オーケストラが演奏するには残響がやや短い。室内楽やピアノのリサイタルなどでは残響は余り必要でないため、そういう風に音響設計されているのかも知れない。内装、音響共に、大阪の、いずみホールに似ている。


パーヴォ登場。今日は全曲暗譜で指揮をする。

歌劇「フィデリオ」序曲。出だしが実にリズミカルである。パーヴォのバトンテクニックは真に鮮やかで、あたかも指揮棒の先で音符を拾い上げて、オーケストラの方へすっと投げているかのような印象を受ける。本当に動いたとおりに音楽が生まれるのである。少なくとも実演に接したことのある指揮者の中でパーヴォほど高度なバトンテクニックを持っている人は他にいない。サー・サイモン・ラトルやマリス・ヤンソンス、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の先代音楽監督であるダニエル・ハーディングの指揮も見ているが、ここまで見事ではなかった。
ナチュラルホルンであるが、モダン楽器のホルンでも「ホルンといえばキークス(音外し)という言葉が思い浮かぶ」と言われるほど演奏が難しい楽器である。そのため、音程を外す場面があった。
交響曲第5番同様、ピッコロが1オクターブ上を吹いて浮き上がる場面があり、ベーレンライター版の楽譜を使っていることがわかる。これまでずっと使われてきたブライトコップ(ブライトコプフ)版の楽譜で演奏された歌劇「フィデリオ」序曲のCDを聴いてもピッコロが浮かび上がる場面に出会ったことはない。
躍動感あふれる演奏であった。


交響曲第4番。私はパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーの実演を横浜で聴いている。
今日も密度の濃い演奏である。楽章1つ演奏するだけで、並みの演奏の交響曲1曲分の聴き応えがある。
パーヴォは、CDにおいて、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番の演奏をカップリングでリリースし、アポロ芸術的と思われる交響曲第4番をディオニソス芸術的に、ディオニソス芸術の代表的存在であった交響曲第7番をアポロ芸術的に演奏するという真逆の解釈を示し、私は一聴して驚いたのであるが、パーヴォはそうした楽曲の光が当たらない一面を見つけるのが得意なようである。
緩急、強弱ともに自在な演奏であった。


後半、交響曲第3番「英雄」。同じ名古屋にある愛知県立芸術劇場コンサートホールで、パーヴォとドイツ・カンマーフィルによるこの曲の実演を聴いている。

ベートーヴェンのメトロノーム指示に近い速度を採用。そのためかなり速めの演奏である。ロマンティクな演奏になれている人は「速すぎる」と思うだろうが、20世紀後半の演奏から聴き始めた私などの世代にとっては、意気揚々と進軍する英雄の姿が目に見えるようなフレッシュな解釈である。
パーヴォは音のバランスを取るのが天才的に上手いため、クライマックスで、主旋律がトランペットから木管楽器に移る時にも、主旋律は行方不明にならず、木管が演奏しているのがきちんと聴き取れる。

第2楽章の葬送行進曲も白熱の演奏であり、哀感が強く胸に染み込む。

第3楽章。ティンパニの強奏が凄まじい。弦楽器であるが、各楽器の首席奏者だけが別の旋律を弾く場面が見られる。トリオにおけるナチュラルホルンの演奏も上手い。

最終楽章。序奏でパーヴォは歌い崩しをする。この楽章では、弦楽器の、コントラバスを除く各首席奏者のみが演奏し、弦楽四重奏になる場面がベーレンライター版の楽譜にはある。元々「solo」と書いてはあったようだが、「何かの間違いだろう」ということで採用されていなかったのだ。パーヴォの指揮するベートーヴェンは基本的にベーレンライター版の楽譜を用いているのだ、これが忠実に履行される。憩いの場ともいうべき印象を受ける。そして快速による凱旋行進。心躍る演奏であった。


アンコールは2曲。ブラームスの「ハンガリー舞曲」より第1番と、パーヴォのアンコールピースの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。

ハンガリー舞曲第1番は、ブラームスがハンガリーの民謡や舞曲を収集して、まずピアノ連弾のための曲として纏められたもので、ブラームス自身もブラームス編曲として出している。舞曲であるため、目まぐるしく緩急が変化するのであるが、パーヴォは魔法のようにテンポを操り、「寄せては返す波のように激し」い演奏になった。

シベリウスの「悲しきワルツ」。超絶ピアニシモが今日も聴かれる。この時は会場内にいる全員が耳を澄ませるため、独特の張り詰めた空気がホール内を占拠する。

全て秀演。名古屋まで聴きに来るだけの価値のある演奏会であった。名古屋の聴衆は非常にマナーが良く、それも嬉しかった。

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2019年4月 6日 (土)

楽興の時(27) みやこめっせ桜まつり2019 さくらコンサート第3部

2019年3月30日 左京区岡崎の京都市勧業館みやこめっせウェルカムホールにて

午後2時30分から、みやこめっせ「さくらコンサート」第3部を聴く。前半が二胡奏者の尾辻優衣子の演奏、後半が松井るみ(ソプラノ)、井上元気(テノール)、澤田奈央子(ピアノ)による歌曲コンサートである。

尾辻優衣子の二胡。自身のアルバムに収められた楽曲を中心としたプログラムで、伴奏は録音されたものを流すという、カラオケ版での演奏。二胡は単音しか出せないため、独奏に向いた楽器ではない。元々は京劇の伴奏楽器で、楽器としての地位も低かったが、劉天華によって中国を代表する楽器となっている。
単音の楽器ということもあり、聴かせられるものになるかどうかは別として演奏すること自体はさほど難しくはない。私も半年ほど二胡を習っていたことがあるが、「十九の春」などはすぐ弾けるようになっている。ただ弦が切れやすいため、切れないよう適度に抑えて力強く弾くということは難しく思えた。
尾辻は「二胡はヴァイオリンと原理は同じで遠い親戚」と紹介して、ヴァイオリン曲である「情熱大陸」も奏でていた。
中国人作曲家によるクラシカルな二胡の曲として最後の最後に「賽馬(競馬)」が演奏される。ヴァイオリンでいうピッチカートも繰り出され、万全の迫力に富む演奏に仕上がっていた。

 

歌曲コンサート。さくらコンサートということで、まず松井るみと井上元気のデュオで「さくらさくら」が歌われる。その後、イタリアの作曲家であるレスピーギ、フランスの作曲家であるグノー、プーランク、ロザンタールの歌曲が歌われる。

レスピーギは、ベルリオーズやリムスキー=コルサコフとともに三大オーケストレーションの名手に数えられており、ローマ三部作がとにかく有名だがそれ以外の曲が取り上げられる機会は少ない。歌曲を聴くのは私は初めてとなる。

グノーやプーランクは比較的有名だが、ロザンタールは作曲家としてよりも指揮者やオッフェンバックの楽曲を集めてコンサートピースとしてまとめた「パリの喜び」の編曲者として有名な人物である。1904年生まれでありながらかなりの長生きであり、「パリの喜び」の自作自演盤をデジタル録音で収めている。松井るみ独唱によるロザンタール作品として取り上げられたのは「英国のねずみ」という歌である。イギリスで生まれ育ったねずみが船に乗り、たどり着いたのはフランス。そこで英国ホテルというホテルを見つけ、屋根裏部屋でジンやウィスキーといったイギリス名物を発見したねずみは歓喜。毎夜、PARTYを開くが階下にすむフランス人達の不興を買い、というストーリーである。松井は自作の紙芝居を用意し、めくりながら歌う。エスプリのお手本のような楽曲であり、紙芝居もわかりやすかった。なお、珍しい楽曲が並んでいるが、タブレット端末にダウンロードした電子楽譜を使っているため、譜面を探し出すのにさほど苦労はしていないようである。

その後、オーストリア出身のレハールが作曲した喜歌劇「メリー・ウィドウ」より「とざした唇に」の日本語版とグノーの歌劇「ロメオとジュリエット」より出会いの場のデュオが歌われ、アンコールのヴェルディの歌劇「椿姫」から「乾杯の歌」で華やかに閉じられた。

 

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2019年4月 3日 (水)

美術回廊(27) 名古屋市美術館 ハイレッドセンター「直接行動の軌跡」展

2013年11月23日 名古屋市美術館にて

名古屋市美術館でハイレッドセンター「直接行動の軌跡」という美術展を観る。ハイレッドセンターは、高松次郎(高でHigh)、赤瀬川源平(赤=Red)、中西夏之(中はCenter)の三人の芸術家が組んだグループであり、直接行動という手法で芸術表現を行ったそうだ。この中では作家でもあり、メディアにも登場機会の多かった赤瀬川源平が飛び抜けて知名度が高い。

名古屋市美術館はバブルの時代に出来たまだ比較的歴史の浅い美術館である。そのため、外観からして現代アートしている。

ハイレッドセンターの行った直接行動であるが、ロープを担いで、山手線の駅でそれを並べてそれを撮影したり(縦に、上がフレームアウトした「えの」と書かれた駅名が見えるので上野駅だと思われる)、変なメイクをして山手線の電車に乗って、それを写真に収めたり、道路を勝手に掃除して写真を撮ったりと、かなりはた迷惑なことをしている。冊子に「犯罪者同盟演劇」など書かれているが、「犯罪者同盟」というのはやはり芸術グループだそうで、赤瀬川源平と懇意であり、当時はこうした、時代にはっきりと「ノー」を突きつける芸術が確信犯として行われていたのがわかる。演劇の上演が実際に行われたのかはわからない。時は1960年代の初頭。高度経済成長が始まる時代である。

千円札(私が知っている最も古い千円札は伊藤博文の肖像画が用いられたものであるが、更にその前、まだ聖徳太子が千円札の肖像画であった時代である)を使った美術作品がある。贋千円札や(これはやはり裁判沙汰になったそうで、製造自体が禁じられているため有罪が確定したとのこと。「千円札裁判」という事件のようだ)、千円札にたかるクリップなど使った作品があり、これは拝金主義や「芸術の敵」と彼らが考えた法律などを揶揄したものであろう。千円札の肖像が聖徳太子から伊藤博文に変わるのは1963年であるが、「千円札裁判」を基にした「千円札有罪裁判」などという伊藤博文肖像の千円札に血糊を垂らした裁判記録を作ったりしている。

不自由芸術などという文字が書かれた冊子があり、ハイレッドセンターは座椅子や扇風機などを梱包したものを作品として表した。梱包されているが、それが故に解き放たれる未来があると感じられる仕掛けになっている。

「カーテンの非実在性」なる作品があり、白いカーテンから、黒い縄が出ている。「実在」の反対は、「架空」または「不在」である。哲学用語で「非在」という言葉もある。ただ、作品として実在するので架空は論外であり、また不在でも非在でもない。「非実在」という言葉を調べると、どうも法律の用語らしいことがわかる。東京都の青少年条例のようだ。確かに今回の展覧会の最初に展示された赤瀬川源平の作品タイトルには放送禁止用語が使われており、作品自体もどぎつさを持つ。彼らはこうしたショッキングな手法を敢えて用いることで、「日常」に揺さぶりを掛けようとしたのである。ただ、「カーテンの非実在性」からは性的なものは感じられない。解釈しようと思えば解釈出来るという程度である。ということで、ここで使われている「非実在性」なるものは、「作品それ自体が非日常である」という意味の方が強いように思われる。実際、彼らは現実ではあり得ないことを直接行動で表した。ただ、「非実在」なる言葉とそれが法律のための特殊用語であることを知っていたのなら、あるいは別の解釈が出来たのかも知れないと後になって思う。

続いて、ハイレッドシアターのメンバーの直接行動ではないアート作品が展示されている。高松次郎は名古屋駅の地下鉄に向かう道にも同様のものが展示されていた、一見、影絵のように見える作品を創作しており、これは面白かった。

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コンサートの記(540) ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2013京都

2013年11月21日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ジャン=マルク・ルイサダのピアノ・リサイタルを聴く。

ジャン=マルク・ルイサダは、チュニジア生まれのフランスのピアニスト。自在なピアノ演奏で知られ、特にショパンの演奏には定評がある。今回は、後半にショパンのワルツ12曲が演奏される。


前半は、フォーレの夜想曲第11番(急遽プログラムに追加)とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番。後半は、モーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」に続き、ショパンのワルツ12曲が演奏される。前半、後半共に間を置かずに演奏する。つまり、前半はフォーレの夜想曲第11番とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番で1曲、後半はモーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」とショパンのワルツ12曲で1曲という解釈のようだ。珍しい解釈である。

演奏されるショパンのワルツの順番は、第1番「華麗なる大円舞曲」、第3番「華麗なる円舞曲」、第4番「華麗なる円舞曲」、第12番、第13番、第14番、第9番「別れのワルツ」、第6番「子犬のワルツ」、第7番、第8番、第11番、第2番「華麗なる円舞曲」

ピアニストは暗譜して弾くのが慣例だが、ルイサダの場合は全曲譜面を見ながらの演奏。譜めくり人(日本人女性)同伴である。ただ、曲を憶えていないわけではなく、ショパンのワルツを弾くときは、「ワルツ集」の楽譜を使っていたが、ワルツ第11番から第2番まで戻る時、譜めくり人がページを繰るのに時間が掛かったため、まだページを戻している最中に弾き始めてしまったりもした。
最近では、指揮者も暗譜を否定して譜面を見ながら指揮する人が多くなったが、ピアニストも同傾向なのかも知れない。必ず譜面を見ながら演奏するピアニストとして有名な人に、ロシア出身で、日本人男性と結婚し、日本在住となったイリーナ・メジューエワがいる。

前半のフォーレとシューベルトでは、ルイサダはウェットで哀感のこもった音をピアノから引き出す。これはフォルテシモであっても、明るい旋律であっても変わることはない。「顔で笑って心で泣いて」という感じである。
フォーレもシューベルトも抒情的な作風であり、間を置かず演奏されても特に違和感はない。
フォーレは高雅であり、シューベルトは右手の若々しい歌と左手で弾かれる低音の不吉な感じの対比が鮮やかだ。


後半の第1曲として弾かれたモーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」は初めて聴く曲だが、チャーミングな作品であり、ルイサダもそれに相応しいロココ風の演奏を展開する。
ショパンのワルツは、緩急、硬軟共に自在の演奏。まろやかな音が奏でられるが、譜面には記されていないはずの強弱を付けたり、リタルダンドにアッチェレランドと、次々に表情を変えていく。その他にも、左手を強く弾いてワルツのリズムを強調したり、「別れのワルツ」では敢えて縦の線を崩し、左手と右手のリズムを別個にすることで即興的な印象を与えるような工夫が施されていた。またこの曲では前半に聴かれた哀愁漂う音色がかなり色濃く出ていた。
極めて表現主義的なショパンであり、ルイサダでなくては弾くことの出来ない個性的な音楽が創造されていく。

アンコールは3曲。ショパンのマズルカ遺作Opus67-1と同Opus67-2。バッハの「フランス組曲」より第5番“サラバンド”である。
まずショパンのマズルカ遺作Op67-1を弾いたルイサダ。おそらく続けてOp67-2を弾く予定だったと思うのだが、ルイサダはいったん袖に引っ込んでしまい、残されてしまった譜めくり人の女性は「え? え? 私どうしたらいいの?」という風に戸惑っている様が聴衆の笑いを誘う。
アンコール2曲目のマズルカ遺作Op57-2を弾く前は、ピアノの譜面台に楽譜が沢山あるので、なかなか弾くべき曲が見つからない。ルイサダは、「ちょっと待って下さい」と日本語で言い、前列にいた聴衆が日本語を話したことに拍手を送る(私は3階席にいたが、ルイサダの言葉は聞こえた)。
3曲目の、J・S・バッハ、「フランス組曲」より第5番“サラバンド”であるが、やはり楽譜が見つからない。ルイサダは右手を上げて、「待って」という仕草をする。それでもまだ見つからないので、今度は手の平を上に上げて「どうなってるんでしょう?」と示して聴衆を笑わせる。

ショパンの2曲はクリアな、バッハの曲は聴いてすぐにバッハの作品だとわかる端正な演奏であった。


終演後にCD購入者限定のルイサダのサイン会がある。ルイサダは全員に「ありがとう」と日本語で言い、握手を求める。ピアニストは手が命なので、握手を求められると逆にヒヤヒヤする。CDの盤面の白く空いたスペースにサインを貰おうとしたのだが、ルイサダ氏はそれでは物足りないようで、盤面一杯に大きくサインを書く。勢い余って、プラスチックケースにもマジックインクが付いてしまうほど大きく書いてくれた。

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