2018年4月24日 (火)

コンサートの記(375) ローム ミュージック フェスティバル 2018 二日目(楽日)

2018年4月22日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

今日も、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴くためにロームシアター京都に出向く。昨日も今日もロームシアターのある左京区岡崎までは歩いて往復した。

 

今日最初に行われるコンサートは林美智子らメゾ・ソプラノ歌手達の共演であるリレーコンサートCであるが、これはチケットを買わずにパスして、午後3時30分開演のリレーコンサートDから聴く。

ロームシアターに着いたのはローム・スクエアで行われる立命館高校吹奏楽部の演奏が準備に入っているところで、何の音もしていないという時間帯であった。サウスホールからはリレーコンサートCを聴き終えた人々が続々と出てくるのが見える。

 

午後3時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、リレーコンサートD 朗読劇「兵士の物語」~彼の運命や如何に!?を聴く。

曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番(ヴァイオリン独奏:玉井菜採)、ブーレーズの「ドメーヌ」(クラリネット独奏:亀井良信)、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(朗読:西村まさ彦、ヴァイオリン:玉井菜採、コントラバス:佐野央子、クラリネット:亀井良信、ファゴット:佐藤由起、トランペット:三澤慶、トロンボーン:今込治、打楽器:西久保友広)。西村まさ彦(本名である西村雅彦から改名)が登場するという、ある意味、今回のローム ミュージック フェスティバル最大の目玉ともいうべき公演である。

まずは、玉井菜採(たまい・なつみ)の独奏によるJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番。
関西では聴く機会も多い玉井菜採。京都市生まれ、大津市育ちのヴァイオリニストである。母親は京都市交響楽団のヴァイオリン奏者であった。桐朋学園大学在学中にプラハの春国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。桐朋学園大学卒業後にアムステルダム・スヴェーリンク音楽院、ミュンヘン音楽大学に学ぶ。ミュンヘン音楽大学在学中にローム・ミュージック・ファウンデーションの奨学生となっている。J・S・バッハ国際コンクール最高位獲得、エリザベート王妃国際コンクールやシベリウス国際コンクールで入賞と、コンクール歴も華麗である。

玉井のヴァイオリンは艶があり、歌も淀みがない。演奏スタイルやスケールもバッハに合っており、上質の演奏を繰り広げた。

ピエール・ブーレーズが書いたクラリネット独奏のための作品である「ドメーヌ」。6片の楽譜からなるが演奏する順番は決まっておらず、楽譜は縦から読んでも横から読んでもOKという、ブーレーズらしい尖った作品である。縦からも横からも読める楽譜がどういうものを指すのかはわからないが、五線譜に書かれたものではないであろう。

クラリネットの亀井良信は、桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後に渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院とオーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも1位で卒業。ブーレーズに認められて、騎馬オペラ団ZINGAROのソリストに起用されたこともある。現在はソリストとしての活動の他、桐朋学園大学准教授も務める。

暗闇の中、亀井が忍び足で登場。6つある譜面台の内、上手奥の譜面から演奏を始める。6つとも当然ながら現代的曲調だが個性は様々。「怒りのブーレーズ」と呼ばれ、様々な権威に挑戦して先鋭的な作品を生み出して来たブーレーズだが、今聴くと案外わかりやすい音楽であることがわかる。思いのほかメロディアスであり、少なくともブーレーズよりも後に登場した現代音楽作曲家の作品に比べると把握のしやすい内容である。思えば現在では「傑作」として誰もが認める作品が初演時に「メロディーがない」と批評されたという事実がある。

様々な特殊奏法が駆使されるが、亀井は余裕を持ってこなしていく。

10分間の休憩を挟んで、メインであるストラヴィンスキーの「兵士の物語」。ロシア革命の翌年である1918年に書かれた作品だが、ストラヴィンスキーもご多分に漏れずロシア革命に巻き込まれて財産を失い、人が雇えないので小編成で演奏可能な舞台上演用作品を、ということで書かれたのがこの曲である。
テキスト日本語訳は新井鷗子。

物語は、許嫁のいる故郷に帰る途中の兵士・ジョセフが悪魔と出会い、愛用しているヴァイオリンを手放す代わりに未来が読める本を得たということから始まる。ジョセフは文盲であったが、悪魔から渡された本は読むことが出来た。悪魔のお屋敷で2日を過ごしたジョセフだが、実際の世の中では3年が過ぎていた。故郷に帰ったジョセフであるが、人々はジョセフはもう死んだものだと思い込んでおり、「幽霊が出た」と思って門扉を堅く閉ざしてしまう。許嫁ももう他の男と結婚しており、子どもまでいた。失意の内に隣国にやって来たジョセフは未来が読める本のお陰で巨万の富を得るが友達はゼロになり、女にももてず、食欲も減退して心は全く満たされない。そんな時、その国の王様がお触れを出す。お姫様がどんな名医でも治すことの出来ない病気に罹患しており、治すことが出来る者が現れたらその者に姫をやろうというものであった。どう治療すればいいか知っていたジョセフは王宮へと向かうのだが、再び悪魔が現れ……、というもの。人間の幸福と芸術の問題が語られる寓話である。

朗読担当の西村まさ彦は、テレビや映画、舞台でお馴染みの俳優。出世作はエキセントリックな指揮者を演じた「MAESTRO(マエストロ)」である。富山商業高校卒業後、東洋大学に進学するが高校時代の失恋を引きずったままであり、ほとんどキャンパスに通うことなく中退。出身地である富山市の写真専門学校に入り、この時に文化祭のようなもので演劇(専門学校のM先生が書いた坂本龍馬を主役にしたオリジナル作品だったという)に初めて触れている。一時、カメラマンの助手になるが、地元のアマチュア劇団で演劇の面白さに触れ、俳優を目指して再び上京。劇団文化座に所属しつつ、様々な劇団に客演を重ねていた(文化座は無断外部出演がばれたら首だったらしい)。知り合いを通じて三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団し、看板俳優となる。1990年代前半にはすでに、佐々木蔵之介、堺雅人、升毅、古田新太らと並んで小劇場のエース的存在として注目を浴びていた。彼らの中で一番最初にお茶の間での人気を得たのが西村である。
現在では俳優業の他に、出身地である富山市などでの演劇ワークショップ講師を務めるほか、大正大学表現学部の特任客員教授として後進の育成にも当たっている。
舞台俳優としては演劇の新たなる可能性を探究しており、劇作家ではなく構成作家など演劇畑以外の作家を起用した公演を行っている。

玉井と亀井以外の演奏メンバーを紹介していく。
佐野央子(さの・なかこ)は東京藝術大学および同大学院出身のコントラバス奏者。小澤征爾音楽塾塾生などを経験し、現在は東京都交響楽団のコントラバス奏者である。
佐藤由起(さとう・ゆき)は桐朋学園大学卒業後、シドニー大学大学院修士課程を修了したファゴット奏者。シドニー大学大学院時代にシドニー交響楽団契約奏者として活動している。小澤征爾音楽塾などを経て現在はNHK交響楽団のファゴット奏者を務めている。
三澤慶は東京音楽大学卒業後にフリートランペッターとして活躍。現在は東京室内管弦楽団トランペット奏者でもある。東京音楽大学在学中に京都・学生フェスティバルに参加。
今込治(いまごめ・おさむ)は大友良英ビッグバンドなどで活躍するトロンボーン奏者。東京藝術大学卒業後、ロストック音楽演劇大学も卒業。横浜シンフォニエッタのシーズンメンバーでもある。東京藝大在学中に京都・学生フェスティバルに参加している。
打楽器の西久保友広は東京音楽大学卒業同大学院修了。在学中にKOBE国際学生音楽コンクール打楽器部門の最優秀賞および兵庫県教育委員会賞を受賞。JILA音楽コンクール打楽器部門1位、神戸新聞文化財団松方ホール音楽賞大賞などを受賞している。小澤征爾音楽塾に参加。現在は読売日本交響楽団打楽器奏者を務める。

西村は全身黒の衣装で登場。朗読を始める前に何度も咳き込んで、客席のみならず演奏者からも笑いが起こる。
語りであるが、いかにも西村まさ彦らしい味のあるものである。ジョセフという兵士の朴訥な感じもよく伝わってくる。

ストラヴィンスキーの音楽であるが、ファゴットが「春の祭典」を想起させる旋律を吹いたりはする。ただ、後年、「カメレオン作曲家」と呼ばれる傾向は見えており、多彩な音楽語法が使用されている。

 

午後6時から、ローム ミュージック フェスティバル 2018の最終公演であるオーケストラ コンサート Ⅱ 天才と英雄の肖像を聴く。メインホールでの上演である。演奏は下野竜也指揮の京都市交響楽団。

曲目は、天才・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小林愛実)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

昨日に引き続き、朝岡聡がナビゲーターを務めて、前半後半とも演奏開始前に一人で現れて楽曲の紹介と解説を行った。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平という布陣は昨日と同様である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。ソリストの小林愛実(こばやし・あいみ)は1995年、山口県宇部市生まれの若手。5歳でピアノ全国大会の決勝に進出、9歳で国際デビューを果たし、14歳でEMIからCDデビュー、サントリーホールでのリサイタル日本人および女性演奏家最年少記録保持者という神童系ピアニストである。桐朋女子高校音楽科に全額奨学金特待生として入学。現在はローム奨学生としてフィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる。

下野と京響はピリオドスタイルを採用。音色も旋律の歌い方もモダンスタイルとは明らかに異なる。今日は昨日とは違って3階席正面5列目で聴いたのだが、メインホールの3階席でピリオドスタイルの演奏を聴くのはやはり厳しいように思う。音が小さすぎる。

小林のピアノは冒頭から仄暗さと輝きという相反する要素を止揚した極めて優れたものである。孤独の告白の部分は勿論だが、第2楽章のような一見典雅な曲調であっても常に涙を滲ませている。第1楽章と第3楽章のカデンツァは聴き慣れないものだったが、誰のものを使用したのかは不明である。

今の日本人若手ピアニストはまさに多士済々。技術面で優れているだけでなく極めて個性的な逸材が顔を揃えている。ピアニストが書いた本を読むと、今はもうバリバリ弾けるのは前提条件で、和音を作る際にどの指に最も力を入れるかなど、かなり細かい解釈と計算を行っていることがわかる。技巧面で完璧なら問題なしという時代はとっくに終わったようだ。20世紀スタイルのピアノを弾いている人は段々仕事が減っていくかも知れない。

小林のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第20番(遺作)。冒頭は遅めのテンポで痛切な感じを出し、主部は立体感を出しと孤独と悲しみを歌う。そのままのスタイルでいくのかと思ったが、舞曲風の場面では快活さを前面に出すなど一筋縄ではいかないピアノであった。相当な実力者と見て間違いないだろう。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。リヒャルト・シュトラウスは下野の得意レパートリーの一つである。京響の機能面での充実が感じられる好演となった。
ステージ上をびっしりと埋めるオーケストラ。メインホールの音響は残響こそ1秒もないほどだが音の通りは良く、個々の楽器の音がクッキリと聞こえる。これにより、下野の肺腑を衝く高い音楽性が明らかになっていく。ヴァイオリン群と低弦群、管楽器群の対話の明確さなど、リヒャルト・シュトラウスの意図が手に取るようにわかる。
惜しむらくは終盤が一本調子になってしまったことだが、日本を代表する存在とはいえまだ50歳にもならない指揮者による演奏であるため、完璧を望むのは酷だろう。音の充実だけを取ればヨーロッパの第一級のオーケストラに匹敵する水準に達していたように思う。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月23日 (月)

コンサートの記(374) ローム ミュージック フェスティバル 2018 初日

2018年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

左京区岡崎にあるロームシアター京都で開催される、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴きに行く。今日はホール内で行われる全ての公演、サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」、リレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」、オーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べに接する。ローム・スクエア(中庭)では中学高校の吹奏楽部の演奏が合間合間に行われており、今日は、京都市立桂中学校吹奏楽部、龍谷大平安高校吹奏楽部、大阪桐蔭高校吹奏楽部の演奏が行われていた。桂中学校や龍谷大平安の吹奏楽部はオーソドックスな演奏だったのだが、大阪桐蔭高校はとにかく個性的。まず吹奏楽部員が歌う。更にダンスが始まり、今度はミュージカル、ラストでは女子生徒が空箱に入って串刺しにするというマジックまで披露。もはや吹奏楽部ではなくエンターテインメント部である。やはり大舞台である甲子園の常連校(今春も選抜制覇)はやることが違う。無料パンフレットに記載された部の紹介も他の学校は挨拶程度だが、大阪桐蔭高校吹奏楽部だけは全国大会や海外コンクールでの華々しい成績が並んでいる。


サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」は、午後1時開演。曲目は、アルベニスの「タンゴ」、ファリア作曲(フリッツ・クライスラー編曲)「スペイン舞曲」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、ラヴェルの「ツィガーヌ」、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、クロールの「バンジョーとフィドル」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」、サラサーテの「カルメン幻想曲」

たびたびデュオ・コンサートを行っている成田達輝と萩原麻未。萩原の方がYouTubeに載っていた成田の演奏を見て共演を申し込んだそうである。萩原は最近ではソロよりも室内楽の方に興味があるようだ。ただ、今年の7月には奈良県の大和高田市や出身地である広島市などでソロ・リサイタルを開く予定がある。萩原は昨年の10月にピアノ・リサイタルツアーを行っており、私もいずみホールでの公演のチケットを取ったのだが、風邪のために行けなかった。

技巧派の成田と個性派の萩原の組み合わせ。スペインものとフランスものを軸にしたプログラムだが、ラヴェルやドビュッシーを弾いた時の萩原麻未が生み出す浮遊感が印象的。重力に逆らうような音であり、やはりセンスがないとこうした音を奏でることは出来ないと思う。

成田のヴァイオリンは情熱的で骨太。男性的なヴァイオリンである。伸び上がるように弾いたり、床の上を少しずつ滑るように体を動かすのも個性的だ。構築感にも長けた萩原のピアノをバックに成田が滑らかな歌を奏でていく。理想的なデュオの形の一つである。

今日は、例えはかなり悪いが発狂した後のオフィーリアのようなドレスで登場した萩原麻未。純白のドレスであるが、ロングスカートや腕にスリットが入っている。演奏を始める時に、成田の方を振り返って上目遣いで確認を行うのも魅力的だったりする。

開演前に背後の方で、「萩原さんのお母さんにご挨拶して、似てらっしゃいますよねえ」と語っている男性がいたので、誰かと思ったら作曲家の酒井健治氏だった。その萩原麻未のお母さんは結構有名人のようで、色々な人に挨拶を受けていた。


間の時間に平安神宮に参拝する。


午後4時からは、サウスホールで行われるリレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」。ローム ミュージック フェスティバルの参加者は、ほぼ全員ローム ミュージック ファンデーションの奨学生や在外研究生、ロームが主催する京都・国際音楽学生フェスティバル出演者や小澤征爾音楽塾塾生なのだが、「ザ・スピリット・オブ・ブラス」は、ロームに援助を受けた12人の金管奏者と打楽器奏者1名による団体である。メンバーは、菊本和昭(NHK交響楽団首席トランペット奏者、元京都市交響楽団トランペット奏者。元ローム奨学生)、伊藤駿(新日本フィルハーモニー首席トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、杉木淳一郎(元新星日本交響楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、新穂優子(にいぼ・ゆうこ。Osaka Shion Wind Orchestraトランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、堀田実亜(ほった・みつぐ。ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、日橋辰朗(にっぱし・たつろう。読売日本交響楽団首席ホルン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、太田涼平(山形交響楽団首席トロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、風早宏隆(かぜはや・ひろたか。関西フィルハーモニー管弦楽団トップトロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、古賀光(NHK交響楽団契約トロンボーン奏者。次期首席トロンボーン奏者就任見込み。元小澤征爾音楽塾塾生)、辻姫子(東京フィルハーモニー交響楽団副首席トロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、藤井良太(東京交響楽団バストロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、宮西淳(元台湾国家交響楽団首席テューバ奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、黒田英実(くろだ・ひでみ。女性。NHK交響楽団打楽器奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)

曲目は、J・S・バッハの「小フーガト短調」(竹島悟史編曲)、パーセルの「トランペットチューン&エア」(ハワース編曲)、クラークの「トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための『カズンズ』」(井澗昌樹編曲)、ドビュッシーの「月の光」(井澗昌樹編曲)、ハチャトゥリアンの「剣の舞」(井澗昌樹編曲)、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍楽隊の行進”(竹島悟史編曲)、ガーデの「ジェラシー」(アイヴソン編曲)、「ロンドンデリーの歌」(アイヴソン編曲)、リチャーズの「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりⅣ.ホック、カーマイケルの「スターダスト」(アイヴソン編曲)、マンシーニの「酒とバラの日々」(アイヴソン編曲)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(井澗昌樹編曲)

菊本和昭がマイク片手に進行役を務める。それぞれの奏者が入れ替わりでソロを取るスタイルだが、皆、楽団の首席級の奏者だけに腕は達者である。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」では、打楽器奏者の黒田英実が木琴の他に、小太鼓、スネア、シンバルなどを一人で担当。リハーサルで他のメンバー全員が圧倒されたという超絶技巧を繰り広げた。

ちなみに、多くの曲の編曲を手掛けた井澗昌樹(いたに・まさき)は客席に来ており、菊本に呼ばれて立ち上げって拍手を受けていた。

「ラプソディ・イン・ブルー」は短めの編曲かなと思っていたが、かなり本格的なアレンジが施されており、聴き応えがあった。

アンコールは、バリー・グレイ作曲・竹島悟史編曲による「サンダーバード」。格好いい編曲であり、演奏であった。


午後7時からは、メインホールでオーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べを聴く。下野竜也指揮京都市交響楽団の演奏。
昨年のローム ミュージック フェスティバルの京都市交響楽団演奏会の指揮を務めたのは三ツ橋敬子、一昨年は阪哲朗であったが、いずれも出来は今ひとつ、ということもあったのか、今年は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である実力者、下野竜也が起用された。下野もまたウィーン国立音楽大学在学中にローム奨学生となっている。

曲目は、前半に、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、武満徹の「3つの映画音楽」、酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」(オーケストラ版世界初演)という日本の音楽が並び、後半は日本が舞台となるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャルハイライト版が上演される。
ナビゲーターとして、昨年のローム ミュージック フェスティバルにも参加した朝岡聡が起用されており、前半では楽曲の解説を、後半の「蝶々夫人」ではストーリーテラーを務める。

コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。

外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。
今日は1階席22列22番での鑑賞。残響は短いが直接音は良く聞こえる。良い席だと思える。下野の指揮は立体感の表出が見事。各楽器のメロディーの彫刻が丁寧であり、だからこそ優れた音響をオーケストラから引き出すことが出来るのであろう。音に宿る生命感も平凡な指揮者とは桁違いだ。

武満徹の「3つの映画音楽」。「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」の3つの映画の音楽を作曲者である武満本人がコンサート用に纏めたもの。「他人の顔」における苦み走ったワルツはショスタコーヴィチにも繋がる深さを持っている。下野の各曲の描き分けは流石の一言である。音の輪郭がクッキリとしていて迷いがない。

酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」。酒井がローム奨学生でもあった京都市立芸術大学在学中の1999年に、京都・国際音楽学生フェスティバル委嘱作品として発表したチェロとピアノのための曲を新たにオーケストラ用に編曲したものである。「箱根八里」や「さくらさくら」という民謡・童謡が用いられている。叙情的な楽曲であるが、酒井作品の本来の味わいはもっと先鋭的であり、酒井が終演後に「ああいう曲を書く人だと思われると困るな」と話しているのが耳に入った。

このコンサートは客席に有名人が多い。開演5分前に、「えー? 席どこ?」という感じで席を探している可愛らしい顔のお嬢さんがいるなと思ったら、萩原麻未さんであった。萩原さんはやはりというかなんというか成田君の隣の席だったようだ。なお、二人とも新幹線で今日中に帰る必要があるようで、前半が終わると帰って行った。
休憩時間にロビーに出ていると、井上道義がふらふら歩いているのが目に入る。その後、オペラ歌手と思われる女性を相手になにやら熱く語っていた。

後半、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャル・ハイライト版。演出:田尾下哲(たおした・てつ)、構成:新井鷗子、衣装:半田悦子、映像:田村吾郎、絵画:牛嶋直子、照明:西田俊郎。出演:木下美穂子(蝶々夫人)、坂本朱(さかもと・あけみ。スズキ)、宮里直樹(ピンカートン)、大山大輔(シャープレス)

オーケストラスペースの背後に段を置いて二重舞台とし、背景にスクリーン幕が下がる。ここに牛嶋直子の絵が投影される。日本語字幕は使用されず、朝岡聡がストーリーを説明してから場面が演じられる。ただ字幕がないので、詳しいセリフはわからない。「蝶々夫人」は何度も観ているオペラだが、セリフをすぐに思い出せるわけではない。
1時間以内に纏める必要があるということで、ピンカートンが現地妻を持とうという時の傲慢な態度、蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱、「ある晴れた日に」、花びらを撒く蝶々さんとスズキ、蝶々さんの自決と終幕など、駆け足での展開である。
歌手がステージ上のオーケストラより後ろにいるためか、声の通りが今ひとつに思えたところもあったが、全体的に歌唱は安定している。ただ女声歌手はともに声が細めのため、出番の短い男声歌手二人の方が存在感があるように感じた。上演上の制約の結果でもあるだろう。

下野の指揮はドラマティックにして色彩豊かで雄弁。遺漏のない出来であった。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月22日 (日)

観劇感想精選(239) 白井晃演出 「三文オペラ」

2007年11月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇

午後7時より兵庫県立芸術文化センター中ホールで、「三文オペラ」を観る。ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ワイル音楽。酒寄進一による新訳テキストによる公演。演出は白井晃。音楽監督:三宅純。出演は、吉田栄作、ROLLY、篠原ともえ、銀粉蝶、佐藤正宏、大谷亮一、細見大輔、猫背椿、六角慎司、内田紳一郎ほか。

ブレヒトは演劇に「異化効果」を持ち込んだことで知られるが、現代の観客は安易に登場人物に同化せず、冷静に眺めていることが多いので、「異化効果」について特に気にする必要はない。
ただ、演出の白井晃がわかりやすい「異化効果」を用いているのでそれは参考になる。白井晃は主人公の悪党ミッキ・メッサーに恋する女性ポリーに篠原ともえをキャスティングしている(白井本人の希望によるキャスティング)。ポリーはセクシーで挑発的な歌や仕草をするのだが、篠原ともえがそれをやると予想されるとおりセクシーにも挑発的にもならない。むしろ可笑しい。これが「異化効果」の一例である。

ブレヒトの芝居は何本か観ているが「三文オペラ」を観るのは初めて。ただ戯曲は二十歳の頃に読んでいるし、同時期にジョン・モーセリ(ジョン・マウチュリー)指揮ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)、ウテ・レンパーほかによるクルト・ワイルの「三文オペラ」全曲盤を聴いているので、内容も歌も一応はわかっている。


通常はオーケストラピットとして使われる部分を平土間にし、そこに三階建てのセットを組み上げている。電光掲示の文字が浮かび上がり、いくつかのト書きが随時示される。

モーセリ盤などではチープなオーケストレーションによる演奏が行われているが、白井晃の音楽好きは有名なだけに、三宅純を招いてゴージャスなサウンドを築いた。


ジョン・ゲイの「ベガーズ・オペラ」を下敷きにした作品(なお、「ベガーズ・オペラ」も来年2月に大阪の梅田芸術劇場メインホールで上演された)。舞台はヴィクトリア女王即位直前のロンドンのソーホー。大英帝国時代初期よりソーホーには移民が多く移り住み、風俗店や貧民窟などが立つ雑多な街となっていた。
ジョナサン・ジェルマイヤ・ピーチャム(大谷亮一)は、ソーホーで乞食衣装屋を営んでいる。汚らしい衣装に身を包み、車いすに乗って身障者に見せかけたホームレスの男達に乞食をさせて金儲けをするという一種の詐欺商法である。ヴィクトリア朝のロンドンの乞食というと、サー・アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一作「唇のねじれた男」が有名だが、当時のロンドンの乞食について研究したシャーロキアン(熱狂的なシャーロック・ホームズ信奉者)によると、実際、大英帝国では乞食は結構な稼ぎになったらしい。

ソーホーを根城にした盗賊団のキャプテン(リーダー)メッキ・メッサー(吉田栄作)。メッサーは、ピーチャムの娘であるポリー(篠原ともえ)と結婚式を挙げる。しかし、盗賊団のリーダーで殺人、強盗、放火、強姦などの常習犯であるメッサーとの結婚にピーチャム夫妻はポリーとメッサーの仲を裂こうとする。

実はメッキ・メッサーは、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)のタイガー・ジャッキー・ブラウン総督とかっての戦友であり、またブラウンに盗んだ金の何割かを与えており、捕まる心配はまずないのだった。ところがピーチャムは、娘とメッサーの仲を裂くために、メッサーを逮捕させようと画策する……。

お洒落な演出で知られる白井晃だけに、「三文オペラ」であっても決して汚くはならない。そして悪党どもが次々出てくるシーンでも粗暴な感じは表にでない。だからこちらも安心して笑っていられる。

ブレヒトの劇作は敢えてギクシャクした方法を選択しているのだが、それは余り気にならなかった。


休憩時間に、演出ノートを手にした白井晃がロビーを一人で歩いていた。それを目ざとく見つけた女の子が白井晃に握手を求める。白井さんは快く応じていた。


2007年に「三文オペラ」を上演するに当たり、白井晃は現代社会の諸問題とのオーバーラップを狙っており、成功している。思い切って現代風の訳を施した酒寄進一のテキストの力も大きい。


一つ一つを書くほど野暮ではないが、ブレヒトの時代と現代とでは共通の点も多い。社会構造の根っこや人間の本質は当時と今とでもそれほど変わっていないのだから当然といえば当然なのだが、21世紀に入り、一時期の日本では忘れられていた(あるいは忘れるよう仕向けられていた)構造がより明確にわかるようになってきている。問題の直接の出発点はイギリスで起こった産業革命にあるのだからこれまた当然といえば当然なのだが、それを可視的にする演劇の力は今なお有効である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月21日 (土)

都をどり特別展 「祇園・花の宴」「草間彌生・花の間展」2018年4月3日

2018年4月3日 祇園甲部歌舞練場・フォーエバー現代美術館にて

祇園甲部歌舞練場に行く。耐震対策着手のため閉鎖されている祇園甲部歌舞練場。ただ、南側にある八坂倶楽部はフォーエバー現代美術館・祇園として開いていて草間彌生の作品を展示しており、祇園甲部歌舞練場の一部がカフェとしてオープン中、2階の座敷では4月の間、芸妓と舞妓による10分ほどの舞のステージがある。今回は春秋座で行われている都をどりの半券を見せると無料で入場出来る。

統合失調症を発症しながら、その独特の世界観で高く評価される草間彌生。松本に生まれ、京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高校)を卒業。その後、渡米しニューヨークで活躍。在米時代の作品も展示されている。ただ当時のアメリカでは自国とヨーロッパ系のアーティスト以外は論じるに値しないという風潮があり、体調を崩したということもあって1973年に帰国。一時期活動が低迷するが、その後も現在に至るまで芸術活動を行っている。

ドットを無数に敷き詰めたような作風が特徴。ドット状のものが外へ外へと拡がっていくような生命感が感じられる。

午後2時30分から芸妓と舞妓によるステージがある。今日の出演者は、芸妓が槇子、舞妓がまめ衣。二人で「六段くずし」と「祇園小唄」を舞う。観客は白人の観光客が圧倒的に多い。二人とも繊細、丁寧且つ魅力的な舞を披露した。欧米などでは舞というとパワフルなものが多いが、日本の舞はそれとは正反対。だからこそ外連を武器とした歌舞伎舞踊などもアンチテーゼとして生まれ得たのかも知れない。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月20日 (金)

これまでに観た映画より(101) 「アカルイミライ」

DVDで日本映画「アカルイミライ」を観る。脚本・監督:黒沢清、オダギリジョー:主演、出演は、浅野忠信、笹野高史、りょう、はなわ、加瀬亮、藤竜也ほか。一様にチェゲバラ顔のマークのTシャツを着た不良高校生グループの一人として松山ケンイチが出ている。

黒沢清の作品には、「CURE」、「回路」、「叫」などのホラー路線と、「ニンゲン合格」のようなヒューマンドラマ路線があるが、「アカルイミライ」は、「ニンゲン合格」の路線に近い。
「アカルイミライ」は基本的にはヒューマンドラマ。基本的にはとしたのは社会派ドラマなど様々な要素が入っているからである。
現代を漂流するように生きる若者の姿を描いた作品。猛毒を持つ赤クラゲが分かり易いメタファーとして登場する。

仁村雄二(オダギリジョー)と有田守(浅野忠信)は、工場で働くフリーター。未来に何の展望もない日々を送っている。守は自宅で赤クラゲを飼っている。あることがもとで守は工場を辞め、仁村も工場をクビになる。上司の藤原(笹野高史)にCDを貸したままだったことに気付いた仁村は、藤原の家にCDを取りに行く途中、抑えがたい殺意を覚える。しかし、藤原に家に着いた仁村が見たものは惨殺された藤原一家の死体だった……。


文句なしに面白い映画。「アカルイミライ」というタイトルだが、脳天気な作品では全くない。むしろ来るべき不安と希望を描いたメッセージ性豊かな作品だ。
知的に精神的に、またフィジカル面にも訴えかけてくる。さすがは黒沢清。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(100) 「まあだだよ」

DVDで日本映画「まあだだよ」を観る。黒澤明監督作品。黒澤明の遺作である。「冥途」、「阿房列車」などで知られる作家、内田百閒とその教え子達の友情を描く。出演:松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、日下武史、小林亜星、平田満、渡辺哲、吉岡秀隆ほか。

法政大学でドイツ語教師として働きながら作家として活躍していた内田百閒だが、本が売れ、専業作家になることに決める。昭和18年のことである。2年後、米軍占領下の日本で内田は還暦を迎える。教え子達は内田の誕生日に「摩阿陀(まあだ)会」を開くことを決める。

黒澤明最後の作品であるが、評判は芳しくない。作家を主人公にしながら特にそれとは関係ない展開が続く。黒澤が何を思ってこの映画を撮ったのかはわからないが、少なくとも「面白いものを撮ろう」とはもう思っていなかったように思われる。弟子達の歌には黒澤が若かった頃の思い出が込められているだろうし、最初は男だけだった摩阿陀会に百閒の妻が参加するようになり、弟子達の娘が入り、孫まで現れというところに時の流れが感じられる。黒澤が自身のために撮ったプライベートフィルムのような映画だったのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

観劇感想精選(238) 「憑神」

2007年10月2日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分より、大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、浅田次郎の小説を原作とした舞台「憑神」を観る。脚本・演出:G2。出演は、中村橋之助(現・八代目中村芝翫)、鈴木杏、葛山信吾、升毅、藤谷美紀、、陰山泰、コング桑田、デビット伊東、秋本奈緒美、螢雪次郎、笠原浩夫、初嶺麿代、福田転球、野川由美子ほか。


「憑神」開演。3階席の一番前の列で観たのだが、視界に、3階席の柵の上の高さ15cmほどのガラス板が入る。私自身は特に邪魔とは思わず、ガラス越しに見ると役者の顔の輪郭が逆にクッキリしたりして良かったのだが、気になる人は気になるだろう。

頃は幕末。御徒士(将軍の出立の際に、徒歩で護衛を務める下級御家人)である別所家の次男・彦四郎(中村橋之助)は、お堅すぎる性格が玉に瑕だが武芸に秀でた侍。しかし家督も何も継げない次男ということで(江戸時代は長子単独相続である)、小十人組頭である井上家の養子に入っていたのだが、陰謀によって井上家を追われ、実家の別所家に出戻っている。別所家は、大坂夏の陣の際に先祖が徳川家康の影武者となって、真田幸村相手に名誉の討ち死にを遂げたという家柄で、代々江戸城西の丸紅葉山の具足番を務めている。とはいっても、具足の手入れが主な仕事であり、毎日のように仕事があるわけでもない。太平の世が続き、具足の出番はなくなり、具足番の仕事も名前だけのものになりつつあった。現在の別所家の当主は、彦四郎の兄・左兵衛(デビット伊東)であるが、この左兵衛というのがものぐさで、具足の管理をろくにしていない。

ある日、彦四郎は、草むらに隠れていた小さな祠を見つける。三巡と書かれたその祠に手を合わせた彦四郎。ところがその祠が、貧乏神と疫病神と死神を祀る祠だったからたまらない。早速、両替商・伊勢屋を名乗る貧乏神(升毅)が現れる。名ばかりの仕事しかない別所家の台所事情は当然苦しい。貧乏神から逃れようとする彦四郎に、貧乏神こと伊勢屋は、“宿替え”なるものを提案する。何でも貧乏神が取り憑く先を替えることを“宿替え”というのだそうで、取り憑く先は彦四郎が決められるという。彦四郎は、自らを罠にはめ、井上家から追い出した、義父の井上軍兵衛(螢雪次郎)を宿替え先にしてみた。すると井上家は火事を出し、お取りつぶしに。しかし、貧乏神の次には疫病神が巡ってくることになり、最後は死神までやってくるという。彦四郎はまたもや宿替えをすることになるのだが……。

江戸幕府の崩壊を背景に、混乱の世をいかに生きるかを問うた作品。

原作も脚本も演出も良いのだが、何といっても役者、それも中村橋之助を見せる芝居である。橋之助も観衆のためのサービス精神に満ちた魅せる芝居をする。それが、舞台の上だけで世界が完結しているリアリズムの芝居とは違うところである。もちろん橋之助の芝居が悪かろうはずがない。他の出演者の演技も充実していたが、何といっても橋之助がいなくては成立しない舞台ある。

音楽はスカやロックを使用した現代的なもの(作曲は佐藤史朗)。出演者が、舞台上でパーカッションを演奏する場面もあり、エンターテインメントの精神に満ちている。
メッセージも分かり易く、難しいことを考えなくとも、単純に「芝居って良いなあ」と思える舞台であった(内容が単純なわけではない。念のため)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月19日 (木)

コンサートの記(373) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第505回定期演奏会

2007年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団(京響)の第505回定期演奏会に接する。今日の指揮者は下野竜也。ソリストとして、若手ピアニストの小菅優(こすげ・ゆう)が登場する。
曲目は、J・S・バッハ作曲、レスピーギ編曲の「パッカサリアとフーガハ短調」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、フランクの交響曲ニ短調。

前にも何度か書いたが、下野竜也は1969年生まれの若手指揮者。鹿児島に生まれ、県下有数の進学校である甲南高校を卒業。ここで普通なら大都市にある音大を目指すところだが、下野は地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入っている。鹿児島大学の音楽科にも指揮専攻はあるが、有名指揮者が教えているわけではない。あるいは下野はこの時点ではプロの音楽家を目指していなかったのかも知れない。鹿児島大学卒業後、桐朋学園大学音楽学部付属指揮教室で本格的に指揮の勉強を始め、イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事している。ちなみに、先日、名古屋フィルを指揮してシベリウスの名演を聴かせたハンヌ・リントゥもキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事しており、二人は同門ということになる。
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の指揮研究員となり、1999年に大フィルを指揮してデビュー。2001年のブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して脚光を浴びる。昨年、読売日本交響楽団の正指揮者に就任している。

西郷さんのような体格で、ニコニコと笑みを浮かべながら棒を振る様は、クマのぬいぐるみが指揮しているようで可愛らしいが、実力は確かである。


指揮者はみな、自分自身の音色を持っているが、下野の音は若手にしては渋め。「パッカサリアとフーガハ短調」は、弦の渋い音色と、管の華やかな色彩をともに生かした演奏だった。
ポディウム席で聴いていたのだが、パイプオルガンを使う曲だったので、ポディウム席の真後ろにあるパイプオルガンの低音が床を小刻みに揺らす。音楽とは振動であり、振動で音を感じるというのも私自身は好きである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソリストの小菅優は1983年生まれ。9歳の時に渡欧し、以後、ずっとヨーロッパで音楽教育を受け、活動を続けている。日本人の若手女流ピアニスト(といってもヨーロッパでの生活の方が長いので、正真正銘の日本人ではないのかも知れないが)の中で最も脚光を浴びている一人である。

小菅は立体的な音を奏でる。一音一音が美しく、また音に風景が宿っているような、想像を喚起する力がある。
下野の指揮も小菅に合わせて非常に爽やか。ベートーヴェンではなく、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いているのではないか、と錯覚するほどであった。
渋い第2楽章では、小菅、下野ともに落ち着いた音色で演奏。曲想の描き分けが鮮やかだ。

ソリストにも様々なタイプがあって、完全に自分の世界に入ってしまう人もいるが、小菅はそれとは正反対。下野の指揮棒を常に意識し、オーケストラだけが演奏する場面では、京響の団員とアイコンタクトを図っていた。オーケストラにも好まれるタイプのピアニストである。

アンコールは2曲。いずれもショパンの「24の前奏曲」より第3番と第7番。なお、京都コンサートホールの、今日のアンコール曲目を知らせるホワイトボードには、なぜか「ショパン 前奏曲第3番、第5番」と書かれていた。
ちなみにショパンの前奏曲第7番は、世間では太田胃散のCM曲として認知されているあの曲である。

小菅優が出演する割には客の入りは少なかったが、若い人が多く聴きに来ており、休憩時間や終演後に、「(小菅優と)同世代だし応援したいよね」という話がそこかしこで聞こえたのが心強い。


フランクの交響曲ニ短調。尻上がりの演奏であった。京響は、金管が極めて優秀。輝かしい音色で鳴り渡る。下野の指揮は全般的には良かったが、切迫感が欲しい場面での迫力が今一つ。下野も、コンサートマスターのグレブ・ニキティンも顔を真っ赤にしての力演なのだが、その割には出る音に緊張感が足りない。
一方、優雅な曲想のところでは、丁寧な演奏で魅せる。どちらかというと淡彩の演奏で、もっと濃い音を出しても良いと思うのだが、あっさりしている方が日本人には合っているのかも知れない。

第2楽章演奏終了後、誰かの時計のアラームが鳴り始める。しかも長い間止まない。下野はアラーム音が消えるのを待っている。ようやくアラーム音が消え、下野はニコリと微笑んで指揮棒を振り始める。第3楽章(最終楽章)は金管の大活躍もあって素晴らしい演奏となった。


指揮者としてのポストは東京で得た下野だが、大阪フィルとの繋がりも強く、来年4月から京響の常任指揮者となる広上淳一に師事したこともあるようなので、今後も関西で指揮活動を行っていくことだろう。というより絶対に行って欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月18日 (水)

美術回廊(15) 京都文化博物館 「ターナー 風景の詩」展

2018年4月14日 京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「ターナー 風景の詩(うた)」展を観る。明日までの開催ということで、結構な人出である。
イギリスを代表する風景画家として知られるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。今回はターナーの山岳と海洋を絵を中心とした展覧会である。ターナーはロンドンのコヴェント・ガーデンの生まれだそうで、貧しい理髪師の息子ではあり、母が病気がちであったということもあって基礎教育も満足に受けられなかったそうだが、周囲は文化的な環境ということもあって幼い頃から絵画に取り組んで才能を示し、父親は息子が描いた絵を店先に飾っていたそうである。画家としては早くに認められており、20代でロイヤル・アカデミーの会員となり、パトロンもついて順調な画家人生を送った。
当時は絵画といえば肖像画や宗教画が一般的で、風景画は名所図会や挿絵がある程度で評価の対象ですらなかったという時代であったが、ターナーは風景画の価値を上げることに貢献する。

初期の作品は、黄色や茶色を多用した淡い色彩と奥行きのある作風が特徴であるが、手前側を緻密に描き、遠景を朧にすることで奥行きを生み出すという技巧を用いていることがわかる。後年には全景を朧にすることで全てが溶け合ったような作風へと変化していく。個人的には後年の霧の中の光景のような朧な作風の方が好きなのだが、この手の絵は大画面だから見栄えがするということで、絵葉書などには採用されていなかった。

山岳の絵は峻険な場面が描かれ、海洋を題材とした絵画では嵐に翻弄される船が好んで取り上げられている。ターナーは自然への畏敬の念を抱いていたようで、その感情は「崇高」という言葉で語られている。
ターナーが生きたのはナポレオン戦争があった時代ということで、対フランス軍海戦の絵も展示されている(トラファルガーの戦いを描いた作品は今回は展示されていない)。海の日没を描いた作品、「海辺の日没とホウボウ」は、クロード・モネの「印象・日の出」を彷彿とさせる作品であるが、実際はターナーの絵の方が30年以上前に描かれたものであり、モネはターナーを尊敬していたそうで、ターナーが「印象派の父」と呼ばれる由縁となっている。

ターナーは版画や挿絵の作家としても活躍しており、こちらは緻密な描写力が駆使されている。ちなみにターナーは極度の完璧主義者だったそうで、版画の版元とは技術面での問題を巡ってしばしば諍いを起こしていたそうである。

映像コーナーではターナーの生涯を10分の映像でたどることが出来るようになっている。40代で訪れたイタリア旅行が一大転機となったようで、写実的だった作風から対象がもつイメージや光度を重視したものに転換しているそうだ。
当時としては長命な76年の生涯であったが、晩年に至るまで精力的な活動を行い、ターナーが残した絵は3万点以上に上るという。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月16日 (月)

コンサートの記(372) 「漆原朝子のウィーン紀行」2007

2007年6月7日 大阪・淀屋橋の大阪倶楽部4階ホールにて

大阪へ。午後7時より、大阪倶楽部4階ホールにて、漆原朝子のヴァイオリン、三輪郁のピアノによる室内楽コンサート「漆原朝子のウィーン紀行」を鑑賞。
ヴァイオリンの漆原姉妹の妹である漆原朝子は1966年生まれ。東京藝術大学附属高校、東京藝術大学に学び、ジュリアード音楽院に留学。1988年に東京でデビュー。同年秋にはニューヨークでリサイタルを行い、絶賛されている。
年を取ってもなお……、いやいや、長いキャリアを誇りながらもチャーミングな容姿で人気の漆原朝子だが、得意レパートリーは、シューマン、ブラームス、シューベルトなど渋めである。高音の煌めきよりも、低音の豊かさが魅力のヴァイオリニストである。

「漆原朝子のウィーン紀行」というタイトル通り、ウィーンで活躍した作曲家の作品を並べたプログラム。モーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」K.376(モーツァルトの時代には、ヴァイオリン・ソナタの主役はまだピアノだったのである)、シューベルトのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第2番、ウェーベルンのヴァイオリンとピアノのための4つの小品、クライスラーの「愛の悲しみ」、シューベルトの「幻想曲」D.934が演奏される。ウェーベルンが入っているというのが渋い。

会場となった大阪倶楽部は、大正13年(1924)竣工の名建築(国登録有形文化財)。大阪倶楽部は、大正時代に英国風の本格的社交クラブとして創設されている。会員制であり、普段は非会員は建物に中に入ることは出来ないのだが、今回は特別に入ることが出来る。ただし2階、3階は立ち入り不可。
4階のホールは、京都芸術センター(旧・明倫小学校)の講堂内によく似た作りである。

漆原のヴァイオリンはモーツァルトには余り向いていないようで、煌びやかなモーツァルトは味わえない。逆に三輪郁のピアノはモーツァルトが演奏が最も良かった。
モーツァルト以外の曲はいずれも優れた演奏。特にシューベルトの2曲は漆原の解釈の深さが感じられる秀演であった。
漆原朝子は可愛らしい顔をしているが、ひとたびヴァイオリンを構えると芸術家の顔に変貌する。それが印象的であった。

アンコールは2曲。いずれもクライスラーの作品で、「ウィーン風小行進曲」と「愛の喜び」が演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月15日 (日)

コンサートの記(371) ダミアン・イオリオ指揮 京都市交響楽団第622回定期演奏会

2018年4月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第622回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は初来日となるダミアン・イオリオ。

イタリア人とイギリス人の間に生まれたダミアン・イオリオ。曲目は、彼が生まれ育ったイタリアを代表する作曲家であるレスピーギのローマ三部作。ローマ三部作を一度に演奏する場合は、最もドラマティックな「ローマの松」をトリに置くことが多いのだが、今回は、作曲されたのと同じ「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭」の順で演奏される。

イオリオはイギリスのロイヤル・ノーザン・カレッジ・オブ・ミュージックとアメリカのインディアナ大学で音楽を学び、ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタート。デンマーク国立放送交響楽団のヴァイオリン奏者を務めた後、サンクトペテルブルク国立音楽院で指揮を学び、欧米各地のオーケストラに客演、オペラでも活躍。オペラ指揮者としては出自をたどるようにイギリス、イタリア、ロシアの作品を得意としているようである。ロシアのムルマンスク・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者を経て、現在は英国のナショナル・ユース・ストリング・オーケストラの音楽監督とミルトン・キーンズ・シティ・オーケストラの音楽監督を務めている。ポストから見ると特筆すべきことはないようである。今後は、パリ・オペラ座でムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」を指揮する予定があるようだ。

プレトークに登場したイオリオは、自分がローマで育ち、現在はイタリア北部に住んでいること、ローマ三部作で描かれた場所によく行ったことなどを話す。更にレスピーギの特徴として若い頃にサンクトペテルブルクの劇場(現在のマリインスキー劇場の前身)でヴィオラ奏者として働いており、ロシアの音楽に影響を受けたということを挙げる。そのためレスピーギの音楽にはロシア音楽の影響が感じられるという。「どこかは明かしませんが」とイオリオは言ったが、例えば「ローマの祭」の主顕祭にストラヴィンスキーからの影響を聴き取るのは簡単である。
イオリオは独特の編成についても語り、マンドリンやラチェット(ガラガラと鳴る楽器)、特殊な打楽器、ピアノしかも連弾であることなどを紹介する。

レスピーギは1879年生まれであるが、1880年前後の生まれのイタリアの器楽作曲家はイタリア国内で特別視されているという。レスピーギの他にカゼッラやマリピエロなどがいるが、レスピーギ以外は忘れられた人が多いとイオリオは語る。イタリアではなんといってもオペラ作曲家が重視されるということも大きいが、政治的な問題もあり、ムッソリーニと対立したマリピエロなどは作品自体が抹消されたような状態になったそうである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今期の京都市交響楽団は、少なくとも今のところはコンサートマスターは泉原一人体制で行くようで、尾﨑もアシスタント・コンサートマスターから変更なしである。第2ヴァイオリンの首席も空位のままで今日は首席客演として白井篤が入る。
今日は編成が特別ということで客演奏者が多い。打楽器に7人が加わった他、ホルンには元京響奏者で現在は日本センチュリー交響楽団首席ホルン奏者の水無瀬一成が参加し、オルガンには関西ではお馴染みの桑山彩子が加わる。「ローマの祭」のマンドリン独奏は大西功造。

交響詩「ローマの噴水」。ローマ三部作は今年に2月にフェスティバルホールでアンドレア・バッティストーニ指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による演奏を聴いたばかりだが、レスピーギを演奏するには明るい音色を発する京響の方がずっと向いている。イオリオは明快なだけでなく洒落た音色を京響から引き出す。立体感も抜群であり、京都コンサートホールの音響も演奏にプラスに働く。

交響詩「ローマの松」。イオリオは輝きよりも浮遊感を重視。レスピーギが印象派の影響を受けていることがよくわかる。京響は音の輝き、迫力、バランス全てが上質。レスピーギを演奏するには理想的な響きを奏でていた。

「ローマの松」を聴いたらコンサートが終わりというイメージがあるので、続きがあるのが不思議だが、トリは交響詩「ローマの祭」。イオリオと京響は情感豊かな演奏を展開。ベルリオーズやリムスキー=コルサコフと並んで三大オーケストレーションの名手に数えられるレスピーギだが、本当に情景が目に見えるような巧みな描写が音によって繰り広げられた。

ローマ三部作は3曲通してもCD1枚に収まってしまうため、それだけで演奏会を行うと少し短い。ということでなのかどうか今回はアンコール演奏がある。同じくイタリアの作曲であるポンキエッリの「ジョコンダ」より“時の踊り”。愛らしさ、荘重さ、熱さを兼ね備えた演奏であった。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月14日 (土)

第69回京おどり 「天翔恋白鳥」全8景 2018年4月12日

2018年4月12日 宮川町歌舞練場にて

午後2時30分から、宮川町歌舞練場(東山女学園内)で、第69回京おどり「天翔恋白鳥(あまかけるこいのはくちょう)」全8景を観る。

宮川町の京おどりはかなり以前に一度観たことがある(調べてみたところ11年前である)。京都の五花街の中で京おどりだけ表記が異なるが(他は「をどり」表記)、何故なのかはわかっていないようである。

宮川町は、以前は祇園や先斗町よりも格が低いとされてきたが、芸舞妓を積極的に育てたり、映画などとのタイアップを図るなど、「舞妓さんにあえるまち」というキャッチフレーズを掲げて、舞妓シアターをプロデュースするなど、イメージアップ戦略に取り組んでいる。

「天翔恋白鳥」。第1景から第4景までは、「恋白鳥」が上演される。伊勢国で息絶えてから白鳥となって飛び立ったという伝説のある日本武尊と、「白鳥の湖」を掛け合わせた物語が展開される。黒鳥は夜烏という傾城とその手下として現れる。白と黒の視覚の対比が鮮やかである。

第5景は「ご維新百五十年」。今年が明治になってから100年に当たるということで幕末から維新に掛けての京が歌い踊られる。最初と最後の「おはようおかえりやす」は御所さん(天皇)に向けた言葉だと思われる。

芸妓3人が電車ごっこの要領で腕を回しながら登場する「京おどり 鉄道唱歌」。「鉄道唱歌」がメロディーを変えて歌われる。背景の幕が動き、富士や海、そして京都タワーが現れるのも楽しい。

舞妓さん達による「いろはにほへと」。京踊りの背景は全般的に淡い色のものが用いられており、耽美的で幻想的な味わいがあるが、「いろはにほへと」の登場する舞妓さん達の着物も淡い色のものが用いられており、柔らかで可憐な印象を受ける。

京おどりの名物であるラストの「宮川音頭」。「ヨーイ、ヨイヨイ」という声は「威勢が良い」と評されることもあるが、私の耳にはどこか哀しく響く。

儚げな、桜の精達の宴に迷い込んだような気分になった。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

«怠惰な魔物