2018年12月15日 (土)

笑いの林(107) 「タナからイケダから学天即」2018年12月9日

2018年12月9日 よしもと祇園花月にて

午後7時から、よしもと祇園花月で「タナからイケダから学天即」を観る。

まず、2組4人が揃ってのトーク。年齢順に並びが変わったり、誕生日の発表を行ったりする。
タナからイケダ・池田の誕生日が9月22日で今井絵理子と一緒。タナからイケダ・田邊が今井絵理子のファンだったということで、SPEEDでは誰が好きだったかという話になったりする。なぜか新垣……、まあこれはいいか。


タナからイケダの漫才。
田邊が、「ディベートの番組に漫才コンビから1人ずつ出られる」というので出ようとするも、池田は、「ディベートは俺の方が得意」と言い張る。田邊に、「お前、語彙少ないやんか」言われて否定するが、「語彙って何?」。そもそも「ディベートって何?」の状態である。
そして、二人で論争することになるのだが、「好きな動物は?」→二人同時に「犬」、「好きな色は?」→「黒」といつも重なってしまい、コンビ仲良し度測定ゲームのようになってしまう。
「好きな野菜は?」→「キャベツ」、「好きな肉は?」→「豚」、「好きな料理は?」→「中華」、「好きな食べ物は?」→「回鍋肉! そら、キャベツに豚肉に中華じゃそうなるよ!」という風に回る。
しかし、どちらがタナからイケダのリーダーかということになると互いに相手を推薦して褒め合い、「これディベートちゃう! キショい!」と自分から言う状態になってしまう。


学天即の漫才。
四条が、「俺、なりたい、宇宙飛行士」のように倒置法を使った言い方で夢を語るのだが、宇宙飛行士になれるだけの資質は全くないという展開である。四条は虚弱体質なのでそもそも無理らしい。


今日は、若手の女漫才師が3組登場する。花鳥風月、エルフ、ねこ屋敷の3組である。
皆、芸歴が浅いので(ねこ屋敷は1年目だという)どこで笑っていいのかわからない。やはりキャリアはものをいう。


タナからイケダの漫才、2周目。
高校卒業を控えた二人がキャッチボールをしながら卒業後の予定を語るのだが(池田は右利きなのに左手でボールを捕って左手で投げ返す)、池田が「取りあえずフリーター。でもアルバイトの初日、めっちゃ緊張する」と言ったところから、池田が突然、新人アルバイトに扮し始めたため、田邊も勢いで先輩店員として付き合うことになる。池田がたびたび設定を変えるために田邊もそのたびに振り回され、強盗に入られたコンビニの店員と犯人と警官の一人三役をやる羽目になったりする。
コロコロ状況と設定が変わるという芸はありそうで余りないので、新鮮である。


学天即の漫才、2周目。
自分が薦めた歯医者に奥田が行っていないというので、四条が怒るのだが、そもそも必要もないのに四条が勝手に薦めてきたそうで、奥田には子どもの頃から通ってある歯科医がすでにある。それでも四条が執拗に薦めるので、奥田は、「楽天カードか?」と訝る。
四条は、「診察券が印鑑なし、即日発行ですぐ作れる」というも奥田は「当たり前やん!」
それでも薦めるので、「ポイントが貯まるのか?」と奥田は聞き、四条は否定するも、更に追求すると「楽天やん!」という謎のポイント制度があったりする。


女芸人達も参加する。コーナー「クリスマスパーティー」。なのだが、小道具がちゃち。上手に置かれたクリスマスツリーはよく見ると笹に飾りを巻いただけで、前回の七夕の会の使い回しらしい。

まず、ジェンガを使ったゲーム。司会は奥田が務める。ここで特別ゲストが登場。といってもこのところよく出演しているらしい、たわたである
ジェンガを男性芸人が口にくわえた箸でつつき、女性芸人がそのまま口でくわえて引き出すというもので、奥田曰く「ハラスメントぎりぎり」を狙ったものらしい。
崩した人が罰ゲームということで、エルフ・荒川が顔面パンストの罰ゲームを受けた。

風船割りゲームではねこ屋敷・山﨑が、ロシアン辛子シュークリームでもやはり山﨑がアウトとなり、ケツバットやタライ落しの罰ゲームを受ける。ケツバットの際に、四条は右利きだが実は左打ちであることが判明、相方の奥田もそのことは初めて知ったそうだ。田邊が、「右投げ左打ちって、監督めっちゃ欲しがるやん」という。
ちなみに、たわたはケツバットの際に、受ける側を希望し、2回打たれて喜んでいた。

ティッシュペーパーを使ったゲームも行われるのだが、たわたの番になる前に、「エロ過ぎる」という理由で打ち切りになり、たわたが怒る。

最後は、洗面器に顔を着けて、7人合計で4分以上になればクリアというゲームを行う。女芸人6人にたわたが加わったメンバー。猫屋敷・山﨑は潔癖症であるため、他の人が顔を着けた洗面器が嫌だということでトップバッターとなる。
7人目は、たわただったが、すぐに顔を上げてしまい、「中途半端なボケをしました。飲んだ」という。今日は最前列に座っていたため、後ろを振り返ってみたのだが、女性客が本気で顔をしかめているのが目に入った。


おまけとして、クリスマスプレゼント椅子取りゲームが行われる。男性芸人が選んだプレゼントを椅子の上に置き、椅子取りゲームの要領で女性芸人がその周りを回ってプレゼントを取るというもの。プレゼントが6つ、たわたも参加した7人が挑戦するので、1人余ってしまうことになるが、たわたは座るも譲ってあげる。
6つのプレゼントの内、1つはダミーで、それを手にした人は罰ゲームを受ける。花鳥風月のナスエとたわたも頭に巻いた風船を破裂させられるという罰を受けていた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月14日 (金)

観劇感想精選(274) KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」2018伊丹

2018年12月7日 伊丹市立演劇ホール・AIHALLにて観劇

午後7時30分から、伊丹AIHALLで、KUDAN Projectの「真夜中の弥次さん喜多さん」を観る。原作:しりあがり寿、作・演出:天野天街。出演は、小熊ヒデジ(てんぷくプロ)と寺十吾(tsumazuki no ishi)の二人。

天野天街の「真夜中の弥次さん喜多さん」は、2005年に大阪公演が行われ、私も観に行ったのだが、関西で上演が行われるのはそれ以来、13年ぶりとなる。出演者とスタッフもほとんど変わっておらず、タイムマシンに乗ったような感覚を味わうことになった。
そうしたノスタルジアも天野演劇の特徴でもある。

「真夜中の弥次さん喜多さん」は、宮藤官九郎の脚本・監督によって映画化されているが、それとは全く異なる話が展開される。

何しろ13年ぶりである。いくつかの印象深い場面を除いてほぼ内容は忘れてしまっている。タイムマシンに乗ったような感覚とはいえ、俳優二人も13年分年を取っており、頬や体の線は緩んで、頭髪も以前より薄くなった。
2005年の大阪公演は、精華小劇場のオープニングシリーズとして上演されたものだったのだが、その精華小劇場は今はもう存在しない。


天野天街の舞台を観ること自体が久しぶり。天野は「演劇界の魔術師」と呼ぶべき鬼才だが、作品は基本的には若者向けであり、40過ぎの男はもう卒業が迫っているようにも思う。


喜多八が、「リアルじゃねえ。江戸はエセばかり」と掛詞で言い、「エセじゃなくて伊勢」というだけの理由で伊勢参拝を目論むのだが、色々あってなかなか出発しないし、旅先の宿屋でも雨に降られて足止めを食らってばかりである。

待ち続けたり、夢の中で語り合ったり、不思議なことが起こったり、歌ったり、自殺しようとしたり、薬に溺れそうになったりと色々あるのだが、基本的にはそこにいるだけに前には進めない二人である。幸いなのはすぐそばに友達(よりも深い仲なのだが)がいるということだ。

ということで、この作品は、正統的な「ゴドーは待ちながら」の後継作品の一つである。
リアリズムを求める二人なのだが、そもそもが天野天街自体がリアリズムから最も離れた作風を持つ人である。彼が描くのは幻想や非日常、物語の中の世界であることが多い。
そしてミニマル的要素をふんだんに取り入れた、終わりのない世界が提示されるのである。
そもそも、「リアルじゃねえ」に続くセリフが弥次郎兵衛による喜多八の描写台詞からの支離滅裂な展開であり、リアルなど最初から求めていない。そもそも舞台芸術自体がリアルとはほど遠いものである。そこはフィクションの世界が最も豊穣になり得る場なのではないか。そもそもドラマ=Dreamなので、混沌としている方が正統ともいえる。世の東西を問わず、古典や民話といったものはかなりの確率で展開がカオスである。

ゴドー同様、ラストに至ってもほとんど何も解決していないし、江戸から旅先の旅籠の一室に移っているが、そこから全然動けない。リアリズムを得たわけでもないどころか、リアリズムはリアリズムでもマジック・リアリズム的手法で紡がれており、リアルから更に隔たったようにすら感じられる。。
弥次喜多は、五十三次の旅には出ているが、人生の旅の中では迷っている。そしてたびたび振り出しに戻る。生きることそのもののように。

そもそも人生って、リアルか? 自分が関わらないところで勝手に進んでいることも多いのだけれど。

てめえのリアルがあっちのリアルだと思ったら大間違いだ。


初演の時には、「層の演劇」という言葉が浮かんだが、13年ぶりに観ると、「そうはソウでも躁の演劇」と名付けたくなる。そもそも薬で躁状態になって起こった幻影の世界が舞台となっているということもある。「層」だと縦に積み上げられている感じだが、「躁」だと横の広がりが出る。これは個人的な感覚によるものなので、どうでもいいといえばどうでもいいことなのだが、そうして視点を違えても成り立つ大きな作品であるということでもある。


歌のシーンでは、北京語の歌詞が登場。ラストの字幕も「END」ではなく、中華圏の映画で見られる「劇終」表示である。天野天街が主宰する少年王者舘には中華系の俳優やスタッフもいるので、これも自然といえば自然である。多分であるが、エヴァンゲリオンは関係ない。


二人は、伊勢に辿り着ける気配すらないのだが、生きるということ自体がそう簡単なものではない。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月12日 (水)

コンサートの記(466) 川瀬賢太郎指揮 日本センチュリー交響楽団第231回定期演奏会

2018年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで日本センチュリー交響楽団の第231回定期演奏会を聴く。今日の指揮は若手の川瀬賢太郎。

今日はオール米英プログラムで、アイヴスの「答えのない質問」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロ独奏:マハン・エスファニハ。日本初演)、アイヴスの交響曲第2番が並ぶ。


アメリカを代表する作曲家の一人であるチャールズ・アイヴス。ただ彼は日曜作曲家であった。イエール大学で作曲を学び、大作を書き上げたりしているのだが、卒業後は保険会社に勤務し、作曲はその傍らで行っていた。これについては、「自身の作風を認められるのは難しいと悟り、生活を優先させた」といわれている。売れることを考えなかったために個性的な音楽を作曲することが出来たと考えることも出来るだろう。その後、自身で保険会社を興し、副社長になるなど、ビジネスマンとして有能だったようだ。
アイヴスもまた、レナード・バースタインによるアメリカ音楽の積極的な紹介によって知名度を上げた作曲家の一人である。ただその時にはアイヴスは心臓病を患って作曲からは引退状態であり、複雑な感情を抱いていたようだ。「今更」という思いもあっただろう。アイヴスリバイバルはバーンスタインの弟子に受け継がれ、マイケル・ティルソン=トーマスはアイヴスの交響曲全集を制作している。


今日のコンサートマスターは荒井英治、フォアシュピーラーに松浦奈々。


今日、タクトを振る川瀬賢太郎は、東京音楽大学で指揮を広上淳一らに師事。東京音大における広上の一番弟子的存在である。広上はバーンスタインの弟子であるため川瀬は孫弟子ということになり、師である広上同様、アメリカ音楽にも積極的に取り組んでいる。


アイヴスの「答えのない質問」。バーンスタインが行ったレクチャーのタイトルにも転用されていることで有名である。
神秘的な弦の流れの上を、管が公案的な問いを発していくという展開。舞台裏でのトランペット独奏は水無瀬一成が務め、「弦楽のためのアダージョ」演奏終了後にステージに登場して拍手を受けた。
センチュリーの響きは輪郭がクッキリとしており、合奏能力が高いことがわかる。


バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。川瀬は「答えのない質問」とこの曲をアタッカで繋ぎ、単一楽曲の裏表のような表現を行う。

サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された時にバーンスタインが追悼曲の1曲として演奏したことで知名度が増したが、それ以前からラジオの追悼番組のBGMとして流れており、この1曲だけが飛び抜けて有名になってしまったため、バーバー本人は「僕は葬送曲の作曲家じゃないんだけどね」と不満を述べることもあったという。
私自身がこの曲を初めて知ったのは、実はクラシックにおいてではない。坂本龍一が「Beauty」というアルバムで、ピアノと二胡、エレキギターのための編曲で「Adagio」として発表したものを聴いたのが初である(エレキギター演奏は、アート・リンゼイ。二胡は姜建華)。その後、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団の来日演奏会の模様がNHKで流れ、第1曲として「弦楽のためのアダージョ」が演奏されたのを視聴している。

川瀬は少し速めのテンポで歌い上げる。クライマックスでのゲネラルパウゼを長めに取ったのも印象的であった。


マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロと弦楽オーケストラのための)。チェンバロ独奏のマハン・エスファニハはイラン出身のチェンバロ奏者、指揮者。スタンフォード大学に学び、アメリカとイタリアでチェンバロの修行を続けた後で渡英。オックスフォード大学ニュー・カレッジのレジデンス・アーティストに就任している。2015年に30歳でギルドホール音楽演劇学校の教授に就任しているというから、川瀬とは同年代ということになる。

ミニマル・ミュージックの提唱者として知られるマイケル・ナイマン。ピーター・グリーナウェイの映画音楽では自身がチェンバロを弾いて参加しているということもあり、チェンバロを自身の楽器としている(学生時代はバロック音楽の研究も行っていた)。ちなみに、私がザ・シンフォニーホールで初めて聞いた聴いたコンサートはマイケル・ナイマン・バンドの来日公演であった。

単調によるミステリアスな響きによってスタート。その後、長調に転じ、変拍子による音楽が繰り広げられる。繰り返しの快感と開放された時の開放感というナイマンの良さが出ている。面白いのはチェンバロによるカデンツァ。左手のエイトビートのリズムと右手の煌めくような響きは、コンピューターゲームのBGMを連想させる。そうした音楽が多いためだ。リズムもチェンバロ曲としては異例だが、響きがコンピューター音にように聞こえるというのが興味深い。チェンバロの表現の幅が明らかに拡がっている。


アンコール演奏。エスファニハは、”This piece composed by English composer Henry PURCELL.”と英語で紹介。「グラウンド」という曲が演奏される。左手で奏でられる下段の鍵盤の音がギターのように響くのが面白い。ハンマーで弦を叩いて音を出すピアノと違い、ハンマーに付いた爪で弦を弾くというチェンバロならではの音色だ。


メインであるアイヴスの交響曲第2番。初演の指揮を担ったのはレナード・バーンスタインであった。アメリカ民謡やフォスターのメロディーなどが随所に鏤められた曲である。

イギリスの楽曲のようなジェントルな響きで始まるが、アメリカの旋律が加わることによってアメリカ的なローカリズムとユーモラスな味わいが生まれる。更にリヒャルト・シュトラウスにような燦々たる音色の金管が登場して壮大なアマルガム形成、かと思いきや、ラストは「なーんてね」といった感じの不協和音で締めくくられる。一種の冗談への転化である。初演の際に作曲者自身によって改訂されたということだが、大真面目な感じにしたくなかったのだろう。

川瀬指揮のセンチュリー響は中編成ということもあって響きが拡がらない部分もあったが、第5楽章における狂騒感の表出は優れていた。まだ三十代前半の指揮者ということもあって指揮棒も振りすぎで、却ってオーケストラコントロールが行き届かない場面があったりもしたのだが、この年齢でアメリカ音楽をこの出来まで持って行けるのなら大したものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月11日 (火)

観劇感想精選(273) 「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2018年12月4日 京都四條南座にて観劇

午後4時50分から、京都四條南座で、「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。

演目は、「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”、「面かぶり」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ」“浜松屋見世先”より“稲瀬川勢揃い”まで、「三社祭」


「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”は、「いがみの権太」として知られる作品である。“すし屋”が最も有名で且つ上演時間も長いため単独で上演されることも多いが、今回は3つの場が上演される。

まず“木の実”。壇ノ浦で討死したと思われていた三位中将維盛が生きており、吉野山に潜んでいるという設定である。
維盛の御台所である若葉の内侍(片岡孝太郎)と維盛の家来である主馬(しゅめの)小金吾(片岡千之助)が維盛の幼い子を連れて大和国下市村にやって来る。維盛の行方を尋ねに来たのだ。
峠の茶屋の女房・小せん(片岡秀太郎)が出掛ける間、若葉の内侍一行は木の実拾いに興じている。
そこに通りかかった権太(片岡仁左衛門)は、石を投げて木の実を次々に落としていく。そうして立ち去る権太だったが、実は小金吾の荷物と自分の荷物をわざと入れ替える。
荷物が自分のものではないと気づいた小金吾は、権太が盗人だと思うが、そこに権太が戻ってくる。荷物を間違えたと言って取り替える権太であったが、自分が行李に入れておいた20両がなくなったと騒ぎ始め、小金吾に金を返せと詰め寄る。

いがみの権太には、江戸の演出法と上方の演出法とがあるそうだが、今回は片岡仁左衛門の権太ということで、上方の演出となる。語り口調も上方言葉であり、江戸の粋(いき)よりも上方の粋(すい)が強く感じられる。ちなみに上方では権太の悪党ぶりを強調するようだ。

“小金吾討死”は、その名の通り小金吾の討死がだんまりを交えて演じられ、ラストで弥左衛門(市川左團次)が登場する。

“すし屋”は、吉野の釣瓶鮓屋の一杯飾りで演じられる。鮓屋の看板娘であるお里(中村扇雀)は、下男の弥助(市川時蔵)と祝言を挙げることが決まっている。弥助はお里を目上として扱うが、実はその正体は平維盛。お里の父親である弥左衛門は維盛の父親である小松内府平重盛に恩があり、維盛を下男と偽って匿っていたのだ。お里はそのことを知らない。
やがて、お里に兄である権太が帰ってくるのだが……。

寿司桶の取り違えが見せ場となり、前半は喜劇路線なのだが、ラストで心を入れ替えた権太の忠義話となる。
お里を演じる扇雀が実に可愛らしい。リアリズムで考えるとおかしなところが多々あるのだが、作品の魅力の前にはリアリズムなどはただのでくの坊である。


「面かぶり」。中村鴈治郎による長唄舞踊である。初演は明和4年(1767) に江戸の市村座で行われている。名刀鬼切丸の精霊が踊る様を描いたもの。
衣装や仕掛けが鮮やかであり、強靱な足腰を感じさせる鴈治郎の舞も一つ一つが決まっている。


「弁天娘女男白浪」。「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(「白浪五人男」)の“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”のみを上演する場合はこの名になるという。

“浜松屋見世先”。鎌倉雪の下にある呉服屋・浜松屋の見世先が舞台。二階堂家家臣・早瀬主水の娘(片岡愛之助)が四十八(市川右團次)に連れられて浜松屋にやって来る。娘と四十八が去ろうとした時に浜松屋の番頭である与九郎(中村梅蔵)が娘の万引きを見とがめる。番頭は娘の額を算盤でしたたかに打ち付けて傷を負わせるのだが、娘が万引きしたと思われた布は実は山形屋という店で買ったものだった。結局、弁償ということになる。だが実は娘の正体は白浪・弁天小僧菊之助、四十八は同じく南郷力丸であった。そこへ店の奥から二階堂家家臣を名乗る玉島逸当なる人物(中村芝翫)が現れ、二人を白浪と見抜くのだが……。

歌舞伎の演目の中で最も有名なセリフの一つである「知らざあ言って聞かせやしょう」が出てくるのがこの“浜松屋見世先”である。元々は尾上菊之助のために書かれたセリフであり、弁天小僧菊之助の名は尾上菊之助に掛けたもの。その他にも、「寺島」(尾上菊之助の本名)、「音羽屋」(尾上菊之助の屋号)がセリフに登場する。愛之助の「知らざあ言って聞かせやしょう」は義太夫節の影響の薄い、自然なもの。やはり江戸と上方の俳優とでは異なるのであろう。
ちなみに、中村梅蔵が、「南座の顔見世が初日から満員御礼続き」というネタをやる時に愛之助の屋号を何故か「高嶋屋」と言い間違えていた(最初は自身の屋号である「高砂屋」と言おうとして嶋だけ戻したのだが間に合わず)。本職でも屋号を言い間違えることはあるようだ。

“稲瀬川勢揃い”はその名の通り、白浪五人男(中村芝翫演じる日本駄右衛門、片岡愛之助演じる弁天小僧菊之助、中村鴈治郎演じる忠信利平、片岡孝太郎演じる赤星十三郎、市川右團次演じる南郷力丸)が「志ら浪」と書かれた傘を持ったいなせな格好で勢揃いし、捕り方の前で掛詞を使った名乗りを上げるというものである。それだけで歌舞伎として実に絵になる演目である。


「三社祭」は、若手の中村鷹之資(たかのすけ)と片岡千之助による歌舞伎舞踊。
若い二人の持つエネルギーがはち切れんばかりに躍動する。一方で、若さが余って軸がぶれることもあるが、今日最後の演目としては二人の持つ力強さは好ましく思われた。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月10日 (月)

これまでに観た映画より(113) 「フラガール」

DVDで日本映画「フラガール」を観る。李相日監督作品。出演:松雪泰子、豊川悦司、蒼井優、山崎静代、池津祥子、徳永えり、三宅弘城、寺島進、高橋克実、富司純子ほか。

常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)創設に至るまでのストーリーを描く映画である。

昭和40年、福島県いわき市。炭坑の街であるいわきであるが、石炭産業は斜陽に向かっていた。常磐炭坑で人員整理が行われる中、常磐ハワイアンセンターの構想が持ち上がる。フラダンスを踊るダンサーを炭坑の娘の中から生み出そうという計画も同時に出来る。ダンサーを教えるためにやって来た元SKDのダンサー、平山まどか(松雪泰子)は、炭坑の街の余りの貧しさに仰天。炭坑の少女達もダンスの経験はなく、計画はいきなり難局にぶち当たることになる……。

ダンス未経験の少女達が上達してプロのダンサーになるまでの、一種のスポ根ものの要素もはらみ、友情と別れ、親族の死なども描かれて、感動の秀作となっている。

豊川悦司が普段の知的なイメージとは180度異なる役に挑んでいるのも面白い(それでも知的な部分が残っているのがいいのだが)。

それにしても役者というのは凄い。作品の良さもさることながら役者の凄さを感じる映画であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(465) 岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演

2018年12月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後6時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は吹奏楽ではお馴染みの保科洋。

旧制第六高等学校や旧制岡山医科大学などを前身とする岡山大学。旧制第三高等学校である京都大学とは同じナンバースクールで、更に岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)は元々は第三高等学校の医学部だったということで、京都大学と交流があり、5年ごとに京都大学交響楽団とのジョイントコンサートを行うのが恒例だそうで、今回も第1曲目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲は岡山大学交響楽団と京都大学交響楽団の合同演奏となる。


曲目は、前記ワーグナー作品の他に、保科洋の「饗宴 Deux Paysanges Sonores Ⅰ,Ⅱ」とブルックナーの交響曲第7番。


岡山大学交響楽団(通称:岡大オーケストラ、岡大オケ)はその名の通り岡山大学の交響楽団なのだが、オフィシャルホームページの「岡大オケ概要」にもある通り「岡山大学の学生、及び周辺の大学の学生で構成されるオーケストラ」であり、岡山理科大学、ノートルダム清心女子大学、川崎医療福祉大学、就実大学の大学生、更に岡山理科大学専門学校と岡山科学技術専門学校の専門学校生も入っている。今回の公演だけなのかどうかはわからないが、岡山大学のOBやOGも参加してことがわかる。
京都大学交響楽団も俗にいうインカレは多いようで、メンバー表を見ると、同志社大学、京都工芸繊維大学、京都産業大学、京都薬科大学、京都女子大学、京都府立大学、龍谷大学、立命館大学、滋賀大学の学生が加入していることがわかる。

大学オーケストラと一口に言っても、早稲田大学交響楽団のようにカラヤン・コンクールで何度も優勝している本格志向の楽団から単なるオーケストラサークルに至るまで幅広いが、岡山大学交響楽団の場合は約半数が入団時初心者であるものの、個別指導やプロの指導、保科洋による「岡大オケ・システム」という独自の養成方法の確立などもあり、かなり本格的に取り組んでいることがうかがえる。


岡山大学交響楽団常任指揮者の保科洋は、1936年生まれ。小澤征爾の1つ下、シャルル・デュトワやズービン・メータ、エリアフ・インバルと同い年ということになる。東京芸術大学作曲科出身。卒業作品で第29回毎日音楽コンクール作曲部門(管弦楽)で1位を受章。その後、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭を執ると同時に作曲活動を続け、特に吹奏楽曲では日本の第一人者と目されるまでになっており、「風紋」は最も有名な吹奏楽曲の一つとなっている。
保科は、昨年の4月に脳出血で入院。6月に退院したが、健康上の不安はあるようで、今日は杖をついて登場。ブルックナーの交響曲第7番では指揮台上に椅子が置かれ、楽章間にそれほど長い間ではないが腰を下ろして休憩を取っていた。

ワーグナーとブルックナーは保科が指揮するが、保科作曲の「饗宴」は秋山隆がタクトを執る。
秋山隆は保科洋の弟子で、現在は川崎医科大学病理学教室に勤務する現役の病理専門医である。中学時代に吹奏楽を始め、岡山一宮高校時代には学生指揮者として賞を得ている。岡山大学医学部入学と同時に岡山大学交響楽団にトランペット奏者として入部し、保科の指導の下で演奏。学生指揮者としても活動を始め、岡大オケを第2回全日本大学オーケストラコンクール1位獲得に導いている。卒部後は、岡山大学交響楽団サブコンダクターとして保科を支えている。


ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。京都大学交響楽団との合同演奏で、コンサートマスターは京都大学農学部4年のM君が務める。
弦楽の輪郭がクッキリとせず、主旋律がどこに行ったのかわからなくなるなど、混沌とした演奏であるが、臨時特別編成の学生オーケストラということもあり、こんなものだろうとも思う。


保科の「饗宴」以降は岡山大学交響楽団の単独演奏で、コンサートミストレスは教育学部4年のNさんが担う。無料パンフレットを読むとNさんのニックネームが「ラムエル」らしいことがわかるのだが、何の説明もないため由来は不明。執筆者は新日本フィルハーモニー交響楽団のヴァイオリン奏者で岡大オケ第1ヴァイオリントレーナーの篠原英和であるが、聴きに来るのは全員身内という前提で書かれていると思われ、端折ったのであろう。

「饗宴」は、下野竜也指揮広島ウインド・オーケストラによる吹奏楽版のCDは出ているが、管弦楽曲版の音源はないようで、貴重な体験となる。岡大オケのメンバーも保科の作品ということもあってか全身全霊での演奏。繊細な味わいのある見事な仕上がりとなった。下手側の席で聴いていた保科は演奏終了後に秋山に促されて立ち上がり、喝采を受けた。


ブルックナーの交響曲第7番。ワーグナーと保科作品はチェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置での演奏であったが、ブルックナーはドイツ式の現代配置で演奏される。

パート別では木管楽器が最も安定しており、冴え冴えとした音を響かせる。弦楽器はやはり輪郭がやや曖昧であり、金管もずれが目立つ場面があるが、アマチュアオーケストラとしてはまずまずの水準に達しているように思われる。ブルックナーの交響曲はそのまま演奏してもブルックナーの音楽にならないところがあり、難度は高いのだが、交響曲第7番はメロディー主体ということもあり、ブルックナーを得手としていない指揮者やオーケストラでも聴かせる演奏を行うことは可能である。音楽を聴く喜びを感じることが出来た。

こうしてブルックナーの交響曲を聴いてみると、ブルックナーが誰よりもキリスト教的な音楽を書いているということがわかり、その点で最もヨーロッパ的な作曲家だということが確認出来る。

思い出されるのは、朝比奈隆と大阪フィルハーモニー交響楽団が、ブルックナーの眠る聖フローリアン教会で交響曲第7番を演奏しようとした際、本番前に現地の老人が朝比奈の楽屋を訪れて、「キリスト教徒でない者にブルックナーが演奏出来るはずがない」と抗議のようなものを行ったという、比較的よく知られた話である。ブルックナーがキリスト教の精神そのものを音楽に昇華したというわけではないため、キリスト教徒でもない日本人でもブルックナーの交響曲を見事に再現することは可能であるように思われるのだが、楽曲から受け取るものはヨーロッパ人とは大きく異なるのも事実であるように思われる。ブルックナーは日本人にとって奥の院の音楽だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 9日 (日)

観劇感想精選(272) ブロードウェイ・ミュージカル「SPELLING BEE(スペリング・ビー)」

2009年8月5日 西梅田のサンケイホール・ブリーゼにて観劇

午後7時から大阪・西梅田のサンケイホール・ブリーゼで、ブロードウェイ・ミュージカル「SPELLING BEE(スペリング・ビー)」を観る。翻訳・訳詞・演出:寺崎秀臣、翻訳:佐々木真美、出演:藤井隆、新妻聖子、梶原善、高田聖子、坂元健児、風花舞、安寿ミラ、村井国夫、今井清隆。

アメリカで毎年行われている、スペリングを競う小学生のための競技「スペリング・ビー」を題材にした、というかそのまま舞台に乗せてしまった作品。それだけといえばそれだけなのだが、役者が良いからだろう、観ていて楽しかった。安寿ミラ、村井国夫、今井清隆の3人を除くキャストは子どもを演じるのだが、それぞれに個性を生かして達者な演技を見せる。本当に子どもに見えるのだから大したものだ。

問題があるといえば、英語のスペリングについて、私は何の知識もないので(平均的な日本人もそう大した知識はないだろうが)そちらの方面の楽しみが持てないことである。何かよくわからないことをやっているなあ、と醒めた感情を持ってしまう。それでも別に構わないのだけれど。

ミュージカルを本職とする新妻聖子の歌唱がやはり印象的。他の役者の歌とダンスの水準も高い。坂元健児が客と交流したり、高田聖子がWikipediaをネタにしたりして場を盛り上げるのも楽しい。

開演前にロビーでスペリング・ビーのエントリー希望者を募っており、応募した人は名前を呼ばれて客席から舞台に上がり、スペリングのクイズに答えていた。易しい問題もあれば(問い「USJのスペルを言いなさい。意味、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」、答え「USJ」。問い「次の単語のスペルを言いなさい。『EXILE』。意味、追放者、亡命者」など)、難しい問題もある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(112) 北野武監督作品「アキレスと亀」

DVDで日本映画「アキレスと亀」を観る。北野武監督作品。出演、ビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、徳永えり、大杉漣、筒井真理子、大森南朋ほか。

芸術を志した倉持真知寿という男の悲喜こもごもの人生を描く。

群馬県の富豪の家に生まれた真知寿は、絵画好きの父親(中尾彬)の影響もあって幼い頃から絵を描き始める。やがて真知寿の父親の会社は倒産。父親は自殺し、父親の弟(大杉漣)の家に預けられた真知寿は冷たい仕打ちを受け、やがて養護施設に引き取られる。

成人した真知寿(柳憂怜)は印刷会社で働きながら絵の学校に通うが、志を同じくする仲間が一人また一人と減っていく。そんな中で真知寿は幸子(麻生久美子)という伴侶を得た。

中年になった真知寿(ビートたけし)は幸子(樋口可南子)とともに制作を続けるのだが、絵はやはり売れない……。

少年時代の真知寿は哀しく、青年時代の真知寿は寂しげだが、中年になって幸子と共に制作を続ける真知寿の姿はまるでコントのよう。ここのペーソスとユーモアの対比とバランスは見事である。

そして、ほっとさせられるラストシーン。真知寿は芸術を必死で追い続けていたが、それよりも大切なものをすでに見つけていたのだ。

見終わって少し温かい気持ちにさせられる作品である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

美術回廊(20) 生誕100年「いわさきちひろ、絵描きです。」@美術館えきKYOTO

2018年12月6日 美術館えきKYOTOにて

美術館えきKYOTOで、「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」展を観る。

童話などの愛らしい挿絵などでもお馴染みの、いわさきちひろ(1918-1974)。55歳と若くして亡くなっている。

福井県武生市(現・越前市)に生まれ、東京で育つ。東京府立第六高等女学校(現・都立三田高校)卒業後は東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)に進学したいという意志を持っていたが、両親に反対されて断念している。その後、意に染まぬ結婚したが、これは夫の自殺によって幕を下ろした。戦時中は満州などで過ごし、敗戦の衝撃から共産主義へと傾倒。日本共産党の党員となり、共産党宣伝部の芸術学校でも学んでいる。ソ連に渡った経験もあり、同地で描かれたスケッチなども展示されていた。二人目の夫は日本共産党の幹部。

「愛らしい、わかりやすい、色彩豊か」として愛されているちひろの絵だが、こうしたものが共産主義の理想とする芸術に近しいことは確かである。「共産党員なのになんでこんなに可愛らしい絵が描けるんですか?」と聞かれたちひろが「共産党員だから描けるんです」と答えたというエピソードがあるが、ある意味、的確な答えになっている。

絵画の他に書道にも親しんだちひろ。ちひろは左利きだが字は右に矯正している。一方で、絵筆は左手で握ったため、左手で絵を描きながら書を記すということも行っていたそうだ。

和服を着た少女の顔の横に百人一首の歌(「あまつかぜ雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ」と「あいみての後の心に比ぶれば昔はものも思わざりけり」)を書いた絵や、東歌の「多摩川にさらす手作りさらさらになんぞこの子のここだかなしき」より多摩川に布をさらす少女の絵なども展示されている。気に入ったのだが、絵葉書などにはなっておらず。残念。

高畑勲が、この展覧会の監修を務める予定だったそうだが、実現する前に逝去している。ただ高畑の発案により、ちひろの絵である「子犬と雨の日の子どもたち」を大きく引き延ばしたものが展示されている。淡い色彩のちひろの絵は、水滴から拡がる波紋のように無限の拡張を続けているかのように見える。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 8日 (土)

コンサートの記(464) 「情熱大陸スペシャルライブ SUMMER TIME BONANZA2009」

2009年8月1日 大阪府吹田市の万博記念公園もみじ川芝生広場にて

午後1時開演の「情熱大陸スペシャルライブ SUMMER TIME BONANZA2009」に接する。葉加瀬太郎プロデュースのライブ。出演は、葉加瀬太郎、秦基博、柴田淳、SOLT&SUGAR(塩谷哲、佐藤竹善)、クリスタル・ケイ、西村由紀江、中孝介、CHEMISTRY、押尾コータロー、一青窈、藤井フミヤ、森山直太朗、小田和正、一十三十一。オープニングアクト、カサリンチュ。
会場は大阪府吹田市の万博記念公園もみじ川芝生広場。野外公演である。天気は曇り。時折太陽が顔を覗かせる。幸い、雨は降らなかった。

豪華な出演陣による6時間ぶっ通しのライブである。数万単位の人が万博記念公園もみじ川芝生広場を埋め尽くす。私は遅く行ったために余り良い席が取れず、ステージよりもスクリーンに映された映像を眺める時間が多かった。聴ければいいやというわけである。
オーディエンスも集中している人もいれば、音楽そっちのけで仲間同士で喋っている人まで様々である。
その様々な聴衆が小田和正の出番では一斉に音楽に集中する。ネームバリューと実力がものをいうようだ。小田和正は、「ラブストーリーは突然に」を歌いながら、ステージを降り、ステージと客席の間を右に左に走り、時には聴衆にマイクを向けて歌わせる。さすが大御所のパフォーマンスである。

蝉が鳴き、風が吹き、人の熱気がする広場に座りながら時を過ごしている間に様々な思念が浮かぶ。気分が高揚したり内省的になったりする。

柴田淳、佐藤竹善、藤井フミヤは今日発表するのが初めてという新曲を披露する。そういう場に立ち会えるのも嬉しい(注・柴田淳の新曲は、2018年現在、彼女最後のシングルリリースとなっている代表曲「Love Letter」である)。

最後は葉加瀬太郎の「情熱大陸」の音楽で締めくくられ、出演者全員が「情熱大陸」の青いTシャツを着て登場し、お開きとなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

観劇感想精選(271) 椎名桔平主演「異人たちとの夏」

2009年7月28日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで行われる「異人たちとの夏」を観るためである。

「異人たちとの夏」は午後7時開演。原作:山田太一、脚本・演出:鈴木勝秀。主演:椎名桔平。出演は、内田有紀、甲本雅裕、池脇千鶴、羽場裕一ほか。ほかといっても他には女優が一人出ているだけなのだが、パンフレットを買わなかったので名前はわからない。

映画「異人たちとの夏」は結構好きな作品で、これまで何度も観ている。

ライターの原田(椎名桔平)は都心のマンションで一人暮らし。離婚したばかりで、家を引き払い、仕事場だったマンションの一室に今は住んでいるのだ。原田が住んでいるマンションには企業が多く入っており、深夜になると静寂に支配される。ある夜、同じマンションに住む藤野桂(内田有紀)という女性が原田の部屋を訪ねてくる。シャンパンがあるのだが、一人では飲みきれないので一緒にどうかと桂はいうのだった……。

場面が移動するために、暗転が多くなるのが舞台版の欠点ではある。でもそれは舞台用に作られた作品ではないので仕方のないことだ。脚本、演出ともに良く工夫されており、物語を楽しむ上では何の問題もなかった。

主演の椎名桔平は出ずっぱり。ということもあってか、上演時間約2時間の作品であったが途中に休憩が入った。

役者陣は全員、熱演。前の方の席だったが、椎名桔平と池脇千鶴は細やかな表情の演技をする。内田有紀は大変な熱演だったが、セリフの間をもう少し開けるとより自然だったように思うのだが。彼女もブランクをまだ埋め切れていないのかも知れない。

特に新しい発見はなかったが、安定感のある舞台だったと思う。

ちなみにすき焼きを囲むシーンだが、その場で本当に煮て作っており、芳香が漂っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「告白」より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«コンサートの記(463) 京響プレミアム「岸田繁 交響曲第二番初演」@京都コンサートホール