2008年12月 2日 (火)

観劇感想精選(55) プロペラ犬 「マイルドにしぬ」

2007年12月8日 大阪・梅田のHEPホールにて観劇

午後6時30分より、大阪・梅田のHEPホールで、プロペラ犬の旗揚げ公演「マイルドにしぬ」を観る。
プロペラ犬は女優の水野美紀が放送作家の楠野一郎とともに立ち上げた演劇ユニット。楠野一郎の脚本と水野美紀の主演だけが固定で、その他は、公演ごとにゲストを招くというシステムで公演を続ける予定だという。今回は河原雅彦との二人芝居。演出は入江雅人。共演の河原も演出の入江も、ともに水野の人選だという。

「マイルドにしぬ」は事前の情報に乏しかったが、ナンセンスなショートコメディーのオムニバス公演であった。オムニバスとはいえ、それぞれの話には繋がりがある。

笑えた。水野美紀がナンセンス・コメディーをやっているというので笑える要素も多いし(つまり無名の俳優が同じことをやっても笑えない)、河原雅彦の受けの芝居が良いと言うこともある。しかし何といっても(こういうことを書くと二人には却って失礼に当たるかも知れないが)水野美紀と河原雅彦の役者としての抜群の上手さ、これに尽きる。二人が舞台に立っているだけで演劇空間が作れてしまうのである。この二人ならどんな本でも、あるいは本なしセットなしのエチュードだけでもかなり面白いものが出来てしまうはずだ。

水野美紀の舞台には最近立て続けに接しているし、河原雅彦の舞台を生で観るのは5年ぶりだが(前回は木野花が演出した、鴻上尚史の「トランス」。紅谷先生役を演じたのは、ともさかりえで、この共演がきっかけとなって河原はともさかと結婚することになる)舞台を収録したDVDはいくつか観ていた。だが、これほど良い俳優だとは今日の今日まで気がつかなかった。

水野と河原の場合、その演技は演じているというよりも、あるべきものがあるべきところに嵌るという感覚に近い(指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンが岩城宏之に語ったという「ドライブするのではなくキャリーするんだ」という言葉があるが、音楽ではなく演劇でその言葉の意味を実感できたのはこれが初めてである)。更に、間近で観ていたからわかったのであるが、並の舞台俳優なら10の手順を要して表現するところを二人は2つか3つの段取りで出来てしまう。「凄い役者というのは本当に凄いんだな」と感心してしまった。

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2008年12月 1日 (月)

音楽とはかくも怖ろしいもの ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 ビゼー「アルルの女」「子供の遊び」「カルメン」

「音楽とは素晴らしいものだが、それを職業にしようというのは怖ろしいことである」(ジョルジュ・ビゼー)

ビゼーのこの言葉は、彼が作曲家として生前に評価を得ることが出来なかったことに由来しています。ビゼーというのもまた不幸な人で、オペラ史上最高の有名作である「カルメン」の作曲家でありながら、その「カルメン」の初演は無残なまでの失敗。
その原因は、スペイン情緒を多く取り入れた音楽に聴衆が戸惑ったことと、主人公が貧しい労働者階級の女であることが不評を買ったとされています。「カルメン」の初演時の批評が残っており、中には「舞台上で殺人を繰り広げるなどなんて不謹慎だ」という、「お前はアホか」と言いたくなるような勘違い批評があることはかなり有名ですが、その他にも「旋律がない」「深みがない」「音楽的価値が皆無」という今から見ると首をかしげたくなるような批評に満ち溢れています。「カルメン」は再演では大成功しますが、その時にはビゼーは病気ですでに世を去っており、結局、彼自身が成功の美酒に酔うことはありませんでした。

そのビゼーの作品を指揮しているヘルベルト・ケーゲル。この人も不幸な人です。

ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 ビゼー「アルルの女」「子供の遊び」「カルメン」 声楽家としての才能をまず見出されたケーゲルですが、児童合唱団などに属するには年齢制限にひっかったため、ピアニストを目指し、それも第二次大戦に兵隊として参加した際に手を負傷したため叶わず、指揮者になりますが、指揮者として最も必要な資質である人心掌握術にケーゲルは長けてはいませんでした。このCDで演奏しているドレスデン・フィルハーモニーとも後に険悪な関係に陥ります。

そんな不幸な音楽家同士の組み合わせによる演奏。これが異様な演奏になっています。

ケーゲルの指揮するドレスデン・フィルは完璧なアンサンブルを聴かせますが、余りに完璧すぎるため、聴いているうちに怖くなってくるほどです。また音も非常に美しいのですが、楽器が鳴らしているのに人間の声に聞こえるような「この世ならぬ」と形容したくなるような美しさに満ちた表情を見せる瞬間が何度もあります。

「アルルの女」は劇付随音楽、「子供の遊び」はタイトルからもわかるとおり愛らしさを追求した作品、「カルメン」はオペラのための音楽で、いずれもエンターテインメント指向の音楽のはずですが、ケーゲルの指揮すると楽しさは余り感じられず、逆に「彼岸の響き」のようなゾッとする音楽に触れることになります。

拳銃で頭を撃ち抜いて自殺するという、壮絶な最期から、「狂気の名指揮者」として再評価が進むケーゲル。しかし、狂気を剥き出しにするタイプの指揮者ではなかったため、残された音盤の全てに狂気が刻印されているわけではありません。しかしながら、このビゼー作品集だけは誰もがその特殊性を聞き分けることの出来る得意な音盤です。

音楽とは実は怖ろしいものです。その怖ろしさを知りたくない人は、このCDは聴かないで下さい。

ビゼー/L’arlesienne Suites.1  2  Jeux D’enfants  Carmen Prelude: Kegel / Dresden.po

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2008年11月30日 (日)

穏健派? 誰が? ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン ドヴォルザーク交響曲第8番

1927年、アメリカでスウェーデン人の牧師夫妻のもとに生まれ、両親の祖国であるスウェーデンで音楽教育を受けた指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテット。NHK交響楽団の名誉指揮者として日本でもおなじみの存在です。
スウェーデン人ということで、北欧ものにも適性を見せるブロムシュテットですが、ドイツ正統派の曲目も得意としています。
ところで、日本人音楽評論家の間では、「ブロムシュテットは穏健派、無個性」という意見が幅を利かせています。N響の定期演奏会などで、情熱的で力強い音楽を聴かせるブロムシュテットなのですが、なぜか実演でのブロムシュテットは考慮に入れられていないようです。

そんなブロムシュテットのデビュー盤、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した、ドヴォルザークの交響曲第8番。1974年の録音。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン ドヴォルザーク交響曲第8番ほか 1548年創設という途轍もなく長い歴史を誇るオーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデン。ブロムシュテットは1975年から1985年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務めていますが、シェフをちょくちょく変える傾向のあるシュターツカペレ・ドレスデンのトップに君臨した指揮者としては10年は長い方です。

ブロムシュテットは、音の美しさで知られるシュターツカペレ・ドレスデンから、単に美しいだけではない熱気と若さに溢れた音楽を引きだしています。デビュー盤からしてブロムシュテットは穏健派でも無個性でもありません。ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンが残した録音を「輸入盤で聴くと」、いずれも美音と情熱と造形美との均衡の取れた優れた音楽を楽しむことが出来ます。

「輸入盤で聴くと」と、条件を入れたのは、実はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンの国内盤CDからは、ブロムシュテットの美質はほとんど聞き取れないからです。
ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンの録音のプロデューサーは実は日本人なのですが、彼は当初はブロムシュテットの名も知らず、シュターツカペレ・ドレスデンの美音を録りたいという理由で録音していました。その結果、ブロムシュテットの美質に全く気付かず、情熱的な部分を排除した単に美しいだけの音が国内盤には入ってしまうこととなりました。聞き比べてみれば違いは歴然。そして、国内盤CDだけを聴いた音楽評論家がブロムシュテットの音楽を「穏健派、無個性」と見なすようになったのだと思われます。

Dvorak / Schubert/Sym.8 / 6: Blomstedt / Skd

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あらゆること

あらゆること全てを良く取るのは不可能だが、あらゆること全てを悪く取るのは簡単である。

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2008年11月28日 (金)

観劇感想精選(54) 「狂言ござる乃座 in 京都」2008

2008年9月15日 京都市上京区の金剛能楽堂にて観劇

野村萬斎は雨男として知られる。

午後2時から、烏丸通一条下がるにある金剛能楽堂で、「狂言ござる乃座 in 京都」を観る。野村萬斎が続けている狂言のシリーズ。京都では今回で3回目の上演である。

午後1時30分の開場時間直前から雨が降り始める。やはり野村萬斎は雨男のようだ。

演目は、「舟渡聟(ふなわたしむこ)」と「弓矢太郎」。

「舟渡聟」は、京の男(野村萬斎)が、琵琶湖の向こうにある妻の実家に初めて挨拶に行く時の話である。
男が大津松本から舟に乗る。手土産に京酒を持っているのだが、船頭が大の酒好きで、「一口で良いから飲ませて欲しい」という。男は断るが、船頭はならばと、舟を揺らし、飲ませるように迫る。男は仕方なく一杯だけならと譲るが、船頭は一献酒は普通は飲まないということで、二口目を飲む。飲んだら飲んだで、「二回というのは回数が悪い」と言い始める。男はそれは断るのだが、船頭は梶を漕ぐのをやめてしまう。ということで三口目にありつくことになった。

さて、妻の実家に着いた男。姑(野村万之介)に「舅どのはいらっしゃるか?」と訊くと、「今、寄り合いに行っている」とのこと。そこで男は待つことにする。やがて舅(野村万作)が帰ってくる。が、実は先ほどの船頭の正体が舅で……。

「弓矢太郎」は、京都・北野の天満宮の森付近を舞台とした作品。天神講の集まり。太郎(野村萬斎)がやって来ない。太郎は常日頃から弓と矢を持ち歩いていて、「弓矢太郎」とあだ名されている。しかし、弓矢で獣を射たという話も、盗賊を捕らえたという話も聞かない。天神講の皆々は「太郎は実は臆病者で、それで弓と矢を持って空威張りをしているのでは」と話し合う。ならば怖い話をして太郎をからかってやろうと相談しているところへ、太郎が遅れてやって来る。
怖い話を始めると、果たして太郎は臆病者。鬼の話を間近でされると気絶してしまった。太郎のことをあざ笑う天神講の皆々。しかし、太郎は話がつまらないので「眠くなった」だけと言い訳をする。そこで皆は「丑の刻に、天神の森に行って、松の木に扇子を掛けてきてみろ」と提案する。天神の森は真っ暗。しかも鬼が出るという……。

私は、狂言を観るのはこれが5回目か6回目。野村萬斎の狂言を観るのは初めてである(そもそも人気者である野村萬斎の狂言はチケットを取るのが難しい)。

二作品とも、大笑いするというよりは、終始頬がゆるむという笑いを楽しむことが出来た。野村萬斎のキリリとした存在感はやはり際立っていて、公演を見終わったばかりだというのに、またすぐに萬斎の狂言を観たくなってしまった。

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これまでに観た映画より(38) 「アマンドラ!希望の歌」

DVDでドキュメンタリー映画「アマンドラ!希望の歌」を観る。2002年の映画、南アフリカ・アメリカ合作。リー・ハーシュ監督作品。
南アフリカのアパルトヘイトを題材にした作品である。

主題になっているのは、「人種差別」そして「音楽」と「革命」。

アパルトヘイトにより隔離された黒人達は、陽気なメロディーを持つ過激な歌詞で白人への対抗心を高めていく。

そして、世界史上初の「音楽による革命」が起こるのである。

深刻なテーマであるが、陽気な旋律を持つ歌が次々に出てくるためか陰気な感じはない。かつての悲劇を乗り越えたパワーが感じられ、観ている方も勇気づけられる。

そしてここに描かれていることは、決して他人事ではないため、私の心に切実に訴えてくるものがある。現状を覆すには暴力や権力よりも効果的な方法があるのだ。

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2008年11月25日 (火)

コンサートの記(28) 柴田淳コンサートツアー2008「月夜PARTY Vol.1 しばじゅん、アイスクリームからサニーへ」大阪公演

柴田淳コンサートツアー2008「月夜PARTY Vol.1 しばじゅん、アイスクリームからサニーへ」ツアーパンフレット

2008年11月9日 大阪・新町の大阪厚生年金会館大ホールにて

大阪・新町の大阪厚生年金会館大ホールにおいて午後6時開演の、柴田淳コンサートツアー2008「月夜party vol.1 しばじゅん、アイスクリームからサニーへ」大阪公演を聴きに行く。

柴田淳の誕生日である11月19日をまたいで行われるツアーであり、ツアータイトルは、しばじゅんさんの年齢に由来する。

ツアータイトルにしている割には、しばじゅんさんはトークで、「もう年齢不詳で行きたい」「プロフィールから(生まれた)西暦を削除しようかな」と言っていたけれど。

会場に詰めかけた大多数が、見るからに善男善女という人達。しばじゅんさんは、「大阪なのに(ツアー初日の)仙台より静かですね」「本当に大阪ですか?」と客席に問いかけていたが、大阪人と一口に言っても色々なタイプが当然ながらいるわけで、テレビで作り上げられたようなイメージの大阪人ばかりでもないわけである。

シングル曲でもある「カラフル」でスタート。最初のうちは、しばじゅんさんも緊張のためかうまく乗れなかったようだが、最初の衣装替えのために一度引っ込んで、ふたたび現れてからは好調。ライブで歌い慣れているためか、アルバム「ため息」に収録された曲の数々が一番安定した歌唱になっていたと思う。

歌われた曲は、全て憶えているわけではないが、「カラフル」、「夢」、「涙ごはん」、「メロディ」、「椿」、「愛をする人」、「月光浴」、「片想い」、「隣の部屋」、「それでも来た道」、「君へ」、「少女」、「ため息」、「泣いていい日まで」は歌われた。

アンコールの前にトークの時間があり、しばじゅんさんのdiaryを読んだ人は何のことかわかると思うが、先月生まれた甥っ子の名前がとうとうしばじゅんさんが嫌がっていたようなものに決まってしまったそうである。
それから、客席からのリクエストに答えて、「幻」「今夜、君の声が聞きたい」「缶ビール」を部分的にアカペラで歌ってくれる。しばじゅんさんが他の人のコンサートに行った時の話もしてくれたけれど、これは書かないでおきます。

トークの時間にではなかったが、しばじゅんさんが今、大阪弁にはまっているということで、プチ(?)大阪弁の披露もあり(「ボチボチでっか?」と言ってはったけど、そら違うで、しばじゅんさん)。

ちなみに、しばじゅんさんはボブカットのウィッグを付けていて、最初がゴシック風の白のドレス、次いで黒の大人っぽいドレス。最後が薄紫のワンピースにロングブーツという衣装でした(アンコール時は、お約束のツアーTシャツにジーンズ)。

アンコールは2曲。「夜の海に立ち…」と「ぼくの味方」という、いずれもファーストアルバム「オールトの雲」からの歌。

「ぼくの味方」は私も声は出さずに口だけ開けて一緒に歌ったが、私の意識と会場の空間とが溶けて、一体となるような感覚を味わった。「忘我の境地」や「無我の境地」などというと大袈裟だが、それに似た体験だと思う。

音楽を楽しむだけならCDを聴けば十分だ。だが、こうした特殊な感覚を味わうために私はコンサート会場に足を運び続けている。それにしても良い夜だった。体が内側から浄化されたような気分だ。

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2008年11月24日 (月)

これまでに観た映画より(37) 北野武監督「座頭市」

DVDで北野武監督の「座頭市」を観る。出演は、ビートたけし、浅野忠信、柄本明、岸部一徳、夏川結衣、大楠道代、ガダルカナル・タカほか。
音楽的リズムを随所に取り入れ、最後はタップダンスで終わるという異色の時代劇。これまで地上波でも2回ほど放送されている。

「口縄の親分」の正体が早くにわかってしまうが、それはサスペンスを盛り上げるためにあえてそうしているのだろう。顔は出ないが、声と雰囲気ですぐにわかる。
血が飛び散る残酷時代劇のため、R15指定となっている。

病身の妻(夏川結衣)のためにやむを得ずヤクザの用心棒となる服部源之助(浅野忠信)の悲哀が出ているが、例えば「SF サムライ・フィクション」に出てくる風祭蘭之介(布袋寅泰)などに比べると人物造形が浅いかな、とも思う。夏川結衣にももっと見せ場を与えて欲しかった。
とはいえ、エンターテイメントと割り切るなら十分にハイレベル。物語も面白い。

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コンサートの記(27) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2008「大植英次スペシャル」

2008年11月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会「大植英次スペシャル」を聴く。何がどうスペシャルなのかはよくわからなかったが。

曲目は、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、マーラーの「亡き子を偲ぶ歌」(独唱:ナタリー・シュトゥッツマン)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。

メインの交響詩「英雄の生涯」は大植の十八番で、CDも二種出ている。そのうちの一つ、大阪フィルハーモニー交響楽団とのザ・シンフォニーホールにおけるライブ録音は、私が接したコンサートで収録されたものだ。ということで、ザ・シンフォニーホールと京都コンサートホールでの印象の違いの聞き比べも出来る。

大植は減量したようで、顔つきが前回見たときより精悍になっている。髪も短くしていて、遠目に見るとトニー・レオンのようだ。あくまで遠目に見るとですよ。

ステージ左手サイド、やや後ろ側の席で聴く。

「弦楽のためのレクイエム」はこの曲をやるには京都コンサートホールは響きのプレゼンスが足りず音が小さく且つリアルに過ぎ、「亡き子を偲ぶ歌」も管楽器の音の輪郭がクッキリ聞こえたが、その分、ちょっとしたミスでもはっきりわかってしまう。

「亡き子を偲ぶ歌」の独唱、ナタリー・シュトゥッツマンは、フランス出身の世界的なメゾ・ソプラノ。芯のしっかりした良く通る声で、心理の表出は絶妙。名唱であった(「名唱」は一般的に使われるが、辞書には載っていないので俗語なのかな。伝わるから用いても良いか)。

メインの交響詩「英雄の生涯」。客演奏者を多く招き、ステージ上にびっしりと人が並ぶ巨大な編成である。大植の振る大阪フィルは透明感溢れる音を出し、あらゆる楽器の音が聞き取れる。過度な残響のない京都コンサートホールの特徴を最大限に生かした演奏が展開された。こうしたことが出来るのは、大フィルの演奏の精度が高いからで、大植のトレーニングの成果が現れている。

精度が高いといっても、ライブ故の傷はいくつかあり、京都コンサートホールは音の動きがはっきりわかるだけに、ちょっとしたずれでもわかってしまう。演奏する側からしてみれば怖い会場だろう。

以前聴いた、ザ・シンフォニーホールの響きを生かした厚みのある演奏も良かったが、音の全てが把握できる今日の演奏の方が好印象であった。どうも大植は京都コンサートホールの音響を計算に入れた上で適宜演奏を変えているようであり、相当な賢さと能力を持った音楽家であることがわかる。

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2008年11月23日 (日)

結局のところ

本当のことなんて誰もどうでも良いのかも知れない。

本当のことなんて誰も求めていないのかも知れない。

人はみな嘘が上手だ。

中でも自分自身を騙すのが一番得意だ。

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