2008年7月 3日 (木)

京都LRT構想について

京都市内にLRT(ライトレール。次世代型路面電車)の導入が検討されています。

かつては京都市内に張り巡らされていた路面電車網(京都市電)は京都名物の一つでしたが、「これからはモータリゼーションの時代」という言葉のもと廃止が進み、1978年に全廃となりました。

代わって市バス網が発達しましたが、それと同時に、京都市内の交通量が増え、モータリゼーションの負の面である自動車の排出ガス増加の問題も浮上します。

自動車の排出ガスには二酸化炭素が多量に含まれており、京都のような盆地にある街で、道幅が狭く、しかも碁盤目状という特殊な町割りのなされているところでは、排出ガスが貯まりやすいというこことになります。碁盤目状の町割りは、建物が低ければ問題ないのですが、ビルなどが建ち並ぶようになると、風が吹き抜けにくくなるため、空気の循環が悪くなり、温室効果ガスが溜まって、ただでさえ暑い京都の夏の気温を一層上げます。

二酸化炭素排出量の少ないLRTを導入し、同時に自動車の京都市中心街への乗り入れ量を減らすことが出来れば(ここが重要。LRTを導入しても、京都市中心部への自動車乗り入れに規制が行われなければ渋滞が更に酷くなって排出ガスも却って増える)、温室効果ガス削減を定めた京都議定書が採択された街・京都がCO2削減に大きく舵を取ったことをアピール出来ます。また暑すぎる京都の夏の気温を幾分かでも下げる効果も合わせて期待できるように思うのです。

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2008年7月 2日 (水)

チャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団 ヘンデル 組曲「水上の音楽」

「音楽の母」という称号でも知られるゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(英語名 ジョージ・フレデリック・ハンデル)。
現在のドイツに生まれ、ハノーファーの宮廷で楽長を務めながら、イギリスに渡り、のちには英国に帰化したヘンデル。当時、音楽後進国であった英国において、音楽先進国ドイツ出身のヘンデルは厚遇を受けて気を良くし、ハノーファー選帝候の帰国命令を無視していました。
ところがそのハノーファー選帝候があろうことかイギリス王家の後継者として、ロンドンにてイギリス王ジョージ1世として即位するという展開に。命令を無視し続けたことで、ヘンデルは王に不愉快な思いをさせているため、王のご機嫌取りをする必要がありました。
そこで、テムズ川での王の船遊びの際に流れる音楽をヘンデルが作曲。これが3つの組曲にまとめられたのが、現在伝わっている「水上の音楽」です。

チャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団 ヘンデル「水上の音楽」組曲 ユネスコ・クラシックス盤ジャケット 「水上の音楽」のCDには古楽器によるものもありますが、私が気に入っているのは、現代楽器の室内オーケストラであるプラハ室内管弦楽団をチャールズ・マッケラスが指揮したCD。1978年にEMIが録音した音源を、ディスキーがユネスコへの協力のために「ユネスコ・クラシックス」として再リリースしたもの。

マッケラスとプラハ室内管弦楽団は、その後、モーツァルトの「交響曲全集」を録音して高い評価を得ましたが、ヘンデルの「水上の音楽」においても抜群の相性を示しています。

溌剌とした音楽を作る指揮者であると同時に、音楽学者としての顔を持つマッケラスの知情意のバランスの良さも印象的な一枚です。

ヘンデル/Water Music Suites.1-3: Mackerras / Prague.co  Etc

チャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団 ヘンデル「水上の音楽」組曲第1番~第3番 現行ジャケット

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2008年7月 1日 (火)

観劇公演パンフレット(29) 松本幸四郎&市川染五郎主演 松竹百年記念公演『アマデウス』(1995)

1995年10月に、東京・池袋のサンシャイン劇場で購入した、『アマデウス』のパンフレットを紹介します。

作:ピーター・シェファー、テキスト日本語訳:倉橋健&甲斐萬里江、演出:ジャイルス・ブロック、主演:松本幸四郎(サリエーリ)、市川染五郎(モーツァルト)、出演は渡辺梓(コンスタンツェ)ほか。制作:松竹株式会社。

松竹百年記念公演『アマデウス』 公演パンフレット

F・マリー・エイブラハム主演によって映画化されたことでもおなじみの、ピーター・シェファーの『アマデウス』。日本でもたびたび舞台に掛けられており、1995年の公演は7度目、幸四郎のサリエーリ、染五郎のモーツァルトによる親子共演としては2度目の公演でした。1995年は松竹の創業100周年にあたり、この『アマデウス』は松竹百年記念公演と銘打たれていました。

江守徹翻訳による戯曲が劇書房から出ており、私も事前に何度か読んでいたので知っていたのですが、『アマデウス』では、劇場が開場した時点ですでにサリエーリが舞台上にいることになっています。ただし、背もたれの高い椅子に腰掛け、客席とは反対の方向を向いて。

その日、私は開演30分前の開場と同時に劇場内に入ったのですが、舞台上にはもうすでにサリエーリを演じる松本幸四郎がいました。しかし、背もたれの高い椅子の陰になっているので、頭にかぶったナイトキャップと白髪のカツラ以外は見えません。そして、驚くべきことですが30分以上もの間、幸四郎さんはピクリとも動きません。ということで、『アマデウス』の戯曲を読んだことのない観客は、まさか舞台上にすでに幸四郎さんがいるとは知らず、思い思いに雑談をしていたりします。

さて、『アマデウス』は、風と呼ばれるサリエーリの従者の登場に続き、スピーカーから、「サリエーリ! サリエーリ!」と呼ぶ声がし、それが段々大きくなって頂点に達したところで、サリエーリを演じる幸四郎がサッと手を挙げて、「モーツァルト!」と叫ぶのですが、戯曲を読んだことのない人はそこで初めて幸四郎が舞台上にずっといたことに気づき、驚いて、ハッと息を呑む音と空気が会場に拡がります。
この時点ですでに演者のペースに観客を巻き込むことに成功しており、ピーター・シェファーの作劇方の巧さと、幸四郎の忍耐強さに感心させられることになりました。

パンフレットには、作品の概要、演出家の言葉のほかに、蜷川幸雄が松本幸四郎にあてた、毬谷友子が市川染五郎にあてた、仲代達也が渡辺梓にあてた賛辞が載っています。

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2008年6月30日 (月)

スピードガンと勝負しなかった男

投手の世界では、「スピードは麻薬」という言葉が使われることがあります。ここで使われているスピードとは覚醒剤の隠語では勿論なく、球速のことです。

スピードガン表示で良い数字が出るとそれが快感となり、やみつきになって、「もっと速い球を投げてやろう」と思うようになり、それが高じると、バッターよりもスピードガンと勝負するようになってしまいます。「快速球投手」と呼ばれながら、出れば打たれるで活躍出来なかった投手の中にはスピードガンと勝負してしまった人が少なからずいます(1球ごとにスピード表示を確認する投手は要注意です。かつて、西武のU投手は、勝ち星を満足に挙げられないという状態だったのに、ストレートを投げるたびにスコアボードを振り返って球速確認を行ったため、首脳陣から「スピードガンと勝負する奴はいらない」と言われてトレードに出されています)。

かつて、中日のリリーフエースとして活躍した牛島和彦氏が千葉ロッテの選手時代にテレビ出演した際に、自身の球速(前の記事で紹介した「データルーム」によると牛島の最速は中日時代にマークした143km)のことを訊かれて、「どこ行こうと関係ないというならもっと速い球は投げられますけれど、コントロールを重視しなければいけないので」というようなことを語っていました。

余興としてのスピードガンコンテストでなら、スピードガンと勝負してもいいのでしょうが、野球の場合は、投手の相手はあくまでバッター。いくら速くてもストライクが入らなかったり、打たれてしまうような球なら意味がないということです。

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2008年6月29日 (日)

野球の速球王データが充実 「データルーム」

野球に関する様々なデータ(歴代の速球王、年度別速球王、本塁打距離記録、選手年俸など)を集めたホームページ「データルーム」を紹介したいと思います。

「データルーム」 http://speed.s41.xrea.com/index.html

一個人のホームページですが、その充実ぶりは驚くばかり。特に速球王のページは更新も頻繁に行われていて、データも豊富。日本のプロ野球、高校野球、メジャーリーグ・ベースボールの歴代、年度別。四国・九州アイランドリーグ、社会人野球、大学野球、高校野球甲子園大会、韓国プロ野球、台湾職業棒球、世界最強といわれるキューバチームの通算。日本国内主要球場での最高記球速記録までも載っています。

しかし、速球王のデータを見て思うのは、スピードガンで上位に入る記録を出しながら、ほとんど活躍出来ないままプロ野球生活にピリオドを打った選手が多い一方で、「遅球王」というスピードガンがマークした最高記録速度が遅い投手の中に名投手とされるピッチャーが多く含まれており(山田久志のように、スピードガンが導入された時代には軟投派に転じていたピッチャーもいるが、全盛期でもMAX計時の低いピッチャーも多い)、改めて投手はスピードではないのだということがわかります。

また、速球派のイメージが強いのに、スピードガンが計時した最高速度がそれほどでもない投手や、軟投派とみなされながら、最高速度の記録においては速球派投手よりも上の投手がいたりするのも興味深いところ。

高校野球の通算本塁打記録のページもありますが、興味深いのは、高校時代の本塁打数で上位30名に入った選手で、プロ入り後もホームランバッターとして本当に活躍したのは清原和博(西武→巨人→オリックス)、江藤智(広島→巨人→埼玉西武)、城島健司(福岡ダイエー→福岡ソフトバンク→シアトル・マリナーズ)の三人(しかもシーズン本塁打王になったことがあるのは江藤智ただ一人)。ホームランバッターとしてそれなりに活躍したのも鈴木健(西武→ヤクルト)ぐらいしかいないということ。上位50名までを見ても、ホームランバッターとして活躍しているのは松井秀喜(巨人→ニューヨーク・ヤンキース)、山崎武司(中日→オリックス→東北楽天)の二人が加わるだけで、高校時代のスラッガーがプロに入っても活躍出来るという保証はどこにもないということになります。

ちなみに現在、日本プロ野球屈指のパワーヒッターとして知られる小笠原道大選手は「データルーム」の高校野球本塁打記録には登場しません。なぜかといえば小笠原選手は高校時代は非力で、本塁打を1本も記録していないためです。やはり高校時代の記録というのは当てにならないようです。

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2008年6月28日 (土)

「山田一雄の芸術」 山田一雄指揮京都市交響楽団ほか マーラー交響曲第2番「復活」

「ヤマカズ」の愛称で親しまれた指揮者、山田一雄(1912-1991 山田一雄のほか、山田和雄〈これが本名である〉、山田和男、山田夏精などの名で活躍していた時期もある)の演奏を紹介します。マーラーの交響曲第2番「復活」。1981年5月29日、京都市交響楽団の創立25周年記念特別演奏会でのライヴ録音。京都会館第1ホールでの演奏、収録。
演奏は京都市交響楽団のほか、京都市立芸術大学音楽部合唱団、ベリョースカ合唱団、ソプラノ独唱:中沢桂、アルト独唱:志村年子。
なお、山田一雄は、マーラーの交響曲第2番「復活」の日本初演を指揮した人物でもあります。

同じ日に演奏された、広瀬量平の「管弦楽のための迦陵頻伽(カラヴィンカ)」を併録。ビクターの音源をタワーレコードが「山田一雄の芸術」シリーズとしてCD化したものの一枚。

「山田一雄の芸術」 山田一雄指揮京都市交響楽団ほか マーラー交響曲第2番「復活」ほか フルトヴェングラーを尊敬し、情熱的な音楽作りを持ち味とした山田一雄。
フルトヴェングラーは指揮棒のテクニックがなく、日本では「振ると面食らう」という冗談が生まれましたが、山田も棒は下手で、フルトヴェングラーに入れあげていたこともあり、やはり「振ると面食らう」と呼ばれることもありました。

情熱の発露においては他のどの日本人指揮者よりも上で、曲に没頭しすぎて我を忘れた結果、指揮台から転げ落ち、それでも音楽を止めることなく振り続けたり、音楽関係のクイズ番組に出演し、流される音楽が誰の指揮したものか当てるというコーナーで、自分自身が指揮したベートーヴェンの交響曲第5番冒頭の録音を聴いて、何の迷いもなく大声で「フルトヴェングラー!」と即答してしまったなど、愛すべきエピソードにも事欠かない人でした。

京都市交響楽団(京響)を指揮した「復活」でも、情熱の迸りが目に見えるような熱い演奏を繰り広げています。当時の京響は音が今に比べると薄手であり、合奏の精度も万全ではなく、金管の輝きにも不満を覚えますが、それでも山田の情熱的な棒に真剣に食らい付いていて、虚仮威しでない迫力を生み出しており、単に技術が優秀な団体によるマーラーよりもはるかに感動的なマーラー演奏を展開。独唱も合唱も充実しています。

これほどまでに情熱をあらわにした演奏は、現今では珍しく、そうした意味でも貴重な記録といえます。

山田一雄の芸術 - マーラー:交響曲第2番「復活」、広瀬量平:管弦楽のための迦陵頻伽(カラヴィンカ)

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観劇感想精選(39) 「身毒丸 復活」

2008年2月28日 大阪の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時より、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「身毒丸 復活」を観る。寺山修司&岸田理生:脚本、蜷川幸雄:演出。藤原竜也、白石加代子:主演。出演は他に、品川徹、石井愃一、蘭妖子など。

寺山修司の代表作の一つである「身毒丸」。「身毒丸」はもともとは中世より伝わる日本の民話(説教節)「しんとく丸」をモチーフにした戯曲で、継母と継子の物語である。

舞台上方に渡された橋状のセットの鉄パイプで出来た欄干を男達がチェーンソーで刻み、火花の飛び散る中を異形の者達が次々に現れる。そうした、いかにもアンダーグラウンド演劇のテイストで蜷川版「身毒丸」は始まる。

身毒丸(藤原竜也)には母がいない。母を恋い慕う身毒丸は、母の写真を持って街行く人々に母の俤を知っている人がいないかどうか訪ねて回っている。
そんな中、身毒丸の父親(品川徹)は、新たな母を探そうとする。旅の一座の女の中から母を選ぼうというのだ。選ばれたのは撫子という名の女(白石加代子)。撫子には「せんさく」という名の連れ子がいる。せんさくは身毒丸にも身毒丸の父親にもよくなつき、身毒丸の父親と撫子の仲も良いのだが、身毒丸は撫子を母と認めることが出来ない……。

身毒丸の父親が再婚する理由は、「家があり、家には父があり、母があって子があるもの。我が家には母だけがいない」というものである。家族のあるべき姿があり、それをなぞって生きるのが人間という、封建的ともいえる考えと、家父長的意識がそこにある。これは寺山と岸田理生が作り出した設定で、そこに寺山版「身毒丸」の重要なテーマの一つがあるのは間違いない。蜷川の演出もそれに沿い、家父長的なものから抜け出た世界の継母と継子の物語として「身毒丸」を描いている。

ただ、おそらく寺山も岸田も蜷川も意識していないであろうことが私には見えた。別に私が彼らより演劇に通暁しているからではなく、私が彼らより若いからというだけの話なのだが、ある意味、家族さえも社会生活上の最小限の単位ではなくなった現在においては、本当に「個」として放浪する人間の姿を「身毒丸」に見出しても決して間違いではないと思うのだ。

人間は、この世界に理不尽に生まれてくる。「個」まで単位を絞れば、人間は世界の継子なのだ。世界は世界であり続けるためにあるのであり、「個」を受けいれるために出来ているわけではいない。受けいれることを条件にしていないというところに実の母ではなく継母的要素がある。理不尽に突きつけられた世界を受けいれられない身毒丸の姿は、「個」に固執するあまり世界を受けいれられない若者の姿に繋がる。

そして世界を受けいれられない若者は、変わりゆく世界に伴って増えてくる条件をもまた受けいれられないことが多い。しかし、これをある程度受けいれられる状態の者は、それを「選択した」ことにより、世界にある程度参加した継母的状況へと移る。

現代の視点から見ると、「身毒丸」は(寺山や蜷川の意図とは別に)、そして身毒丸が撫子と抱き合い、「もう一度、僕を妊娠して下さい」と語るセリフは、「世界の調和」への意志と受け取ることが可能なように思うのだ。

異形の者達の出演、出演者は多いがセリフのある役は少ない、幕がバンバン下りては上がることで切り替わるシーン、次々に鳴る音楽など、アングラ演劇的要素が随所に施された蜷川演出は懐かしくも新鮮であった。
藤原竜也も白石加代子も流石の名演技を見せ、一度は「ファイナル」と名打たれた「身毒丸」の復活も当然と思わせるだけの水準に達していた。

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2008年6月27日 (金)

広上淳一指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 マーラー交響曲第4番ほか

広上淳一がロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、1995年に録音した、マーラーの交響曲第4番(ソプラノ独唱:インガー・ダム=イェンセン)とヴェーベルンの「夏風の中で」を収録したCDを紹介します。DENONレーベル。

広上淳一指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 インガー・ダム=イェンセン(ソプラノ独唱) マーラー交響曲第4番ほか マーラーの交響曲というと、分厚い響きが特徴で、時に暑苦しいことがあり、それはマーラーが書いた交響曲の中で最も規模の小さい交響曲第4番においても当てはまるのですが、広上はロイヤル・フィルから「室内楽的」といってもいいほど緻密な合奏能力を引き出すことで、実に涼しく爽快な響きによるマーラー演奏を生み出しています。ソプラノ独唱のインガー・ダム=イェンセンの声もリリカルであり、暑苦しい要素を極力排した清々しいマーラー演奏となっています。

とはいえ、第3楽章における濃厚なロマンティシズムの表出も印象的であり、綺麗事には全く陥っていません。

カップリングされたヴェーベルンの「夏風の中で」(大オーケストラのための牧歌)も精緻な名演であり、全世界から注目を浴びつつあった広上の出世盤の一つとして高く評価したい一枚です。

マーラー/Sym.4: 広上淳一 / Rpo +weber: Imsommerwind

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「みかんのたいきょく」

1982年、私が11月には8歳になるその年に、テレビで「みかんのたいきょく」というタイトルの映画のCMが流れていました。7歳か8歳だったので、「みかん」というと「蜜柑」しか思い浮かべることが出来ず、CMの中に蜜柑が出てこないことを不思議に思ったのを憶えています。

小学校も高学年になると、「未完」という言葉を知るようになりますので、「みかん」とは「未完」のことだと察しがつきました。シューベルトの未完成交響曲のことも知るようになったので、あのとき見た「みかんのたいきょく」とは「未完の大曲」のことなんだと思い、そのまま数年が経ちました。

19歳のある日、ぴあから出た日本映画に関するデータ集を読んでいて、そこで初めて私は、「みかんのたいきょく」の正体が「未完の対局」であったことを知ることになります。まさか碁と将棋の映画であったとは、その時まで思いつきもしませんでした。

「未完の対局」は日中合作映画で、ロードショー時の評価はかなり高かったそうですが、日中合作ということで利権の問題もあるのか、DVDもまだ出ていないという状態です。今すぐに観てみたいとは思いませんが、いずれ観てみたい映画の一本です。

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2008年6月26日 (木)

遊佐未森 『スヰート檸檬』

大正時代と昭和初期の歌謡曲をカバーしたアルバム『檸檬』(EMI)に続く、遊佐未森のカバーアルバム第2弾『スヰート檸檬』(ヤマハ・ミュージック)。

『スヰート檸檬』は『檸檬』の続編というべきアルバムで、昭和時代の流行歌を遊佐がカバーしています。

遊佐未森 『スヰート檸檬』 収録曲は、「モン・パリ」、「銀座カンカン娘」、「港の見える丘」、「ゆらりろの唄」、「青春サイクリング」、「憧れは馬車に乗って」、「アルプスの牧場」、「上総」、「花言葉の唄」、「憧れのハワイ航路」の全10曲。

昔懐かしい、といっても私がリアルタイムで聴いたことのある流行歌は入っていないのですが、名曲の数々を未森さんの涼しげな声で楽しめるのが最大のポイント。アレンジも往時のものを追求しており、却って新鮮に聞こえます。その中にあって、未森さん自身に声によるバックコーラスアレンジは21世紀的で、古くさい要素を一掃しています。
『檸檬』に比べると収録曲の全体的な知名度が低め(それでも有名曲揃いですが)なのが弱点ではありますが、日本の歌謡曲を語るには、まず必聴のアルバムでしょう。

遊佐未森/スヰート檸檬

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