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2006年7月14日 (金)

無邪気な残酷さ

何も知らなければ無邪気でいられる。無邪気なままなら残酷さへの感受性も育たない。
それが残酷なことだとわからないまま、あるいはさほど残酷でないと思い込んで発揮される残酷さほど質の悪いものはない。

小学生の頃、同級生が教室で飼っていた金魚を竹で作った矢で射て、問題になったことがある。彼らはそれがいかに残酷なことか理解していなかったのだろう。北原白秋の童謡に「金魚を一匹突き殺す」という下りを持つものがあるが、子供というのは無知であるが故に残酷だ。

そして、大人が大人にならなくなった今、無邪気な大人達が無邪気な残酷さを示しつつある。奴隷とライオンを闘わせ、というよりライオンが奴隷を喰い殺すという処刑の様を見て熱狂したというローマ帝国市民の感覚が蘇りつつあるのか。

歴史を見てもわかるが、人間とは残酷な生き物である。だが、残酷であるということを意識しつつ行うというサディスティックなそれとは全く異なる、「無知とは悪なり」の残酷さが万延しつつあるようだ。

人の不幸を願うような発言を平気でしたり、知識も思考力も足りないのに何故か自分一人が世界をわかっているように振る舞ったり(知識も思考力もないから世界がわかっているように振る舞えるのだが)、非常識なことを言っても平然としていたり(これも非常識というものをわかっていないからなのだが)。
もちろんそうした種類の人間は昔から多かったのだが、ここまで大人が子供子供した残酷さを見せる時代は余り例がない。情けや手加減というものを一切知らないようにも見える。そもそも世界唯一の大国の元首からして、あれほどのお子様…。
「村八分」という言葉があるが、現代人は「村十分」も平気でやりそうで実に怖ろしい。

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