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2006年7月 3日 (月)

岩城宏之の思い出

音楽好きの私であるが、育った家族の中で音楽好きは私だけである。特にクラシック音楽を好んで聴くのは私一人しかいない。
そんな私の家であったが、日曜日の朝9時から放送されている「題名のない音楽会」は毎週欠かさず見ていた。黛敏郎が司会を務めるクラシック音楽番組で、指揮者として最も数多く出演したのが岩城宏之であったと思う。私が岩城宏之を知ったのも「題名のない音楽会」においてであったはずだ(子供の頃なので断言は出来ないのだが)。

なにぶん昔のことなので、「題名のない音楽会」のほとんどの回は記憶から抜け落ちてしまっているのだが、岩城がフランス音楽を採り上げた回は何故かよく憶えている。岩城は、「最もフランス的な作曲家は誰か?」という黛の問いに、「やはりドビュッシーである」と断言し、更にドビュッシーの作品中で最高にフランス的な音楽として挙げた『夜想曲』から「祭り」を演奏した。出来は…、オーケストラの力もあって余り良くなかったような…。
黛敏郎は岩城のことを、「日本人指揮者としては最もフランス音楽に詳しい指揮者」と紹介していて、それが意外に思えたことも憶えている。

大学に入り、東京のクラッシックコンサートに足繁く通うようになった90年代。しかし、私は岩城の実演に接することは出来なかった。岩城は東京よりも地方での活動を重視するようになっており、いくつかあった岩城指揮のコンサートも都合がつかず、見送らざるを得なかった。

そういうわけで、岩城の演奏は、やはりCDやテレビで楽しむことになった。NHK交響楽団を指揮した若き日の演奏である、黛敏郎の「舞楽」&「曼荼羅交響曲」や、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(いずれも日本コロムビアの製作、発売)、メルボルン交響楽団を指揮した「武満徹管弦楽曲集」(RCA。現在はオーストラリアのABCレーベルより発売されている)、黛敏郎のオペラ「金閣寺」(フォンテック)などは私の愛聴盤であった。

岩城はエッセイの達人でもあり、独特の語り口と、少々妙なエピソードの数々は何度も私の顔をほころばせた。
「指揮者の血液型を調べたらほとんどがO型で、B型は私(岩城)ぐらいのものだった。エッセイやら小説やら色々なことに手を出したがるのはそのためなのか」という主旨の文章が印象に残っている。

2002年に私は京都に移り住む。京都市交響楽団の首席客演指揮者は岩城宏之であった。ということで、ようやく私は岩城の実演に接することになる。ブラームスの交響曲第4番をメインとする演奏会。しかし、岩城の音楽から往年の勢いは失せていた。終演後、定年退職する楽団員を紹介し、自ら花束を手渡したのだが、岩城の声には力がなかった。

アジア・オーケストラウィーク2004での大阪フィルの演奏会が、私が接した最後の岩城の実演となった(2004年10月8日)。シベリウスの交響曲第2番がメインであったが、そちらは残念ながら不出来で、前半に演奏された、伊福部昭作曲「管弦楽のための日本組曲」と武満徹の「夢の時」、そしてアンコールで演奏された外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」といった曲の方が遥かに優れていた。
「管弦楽のためのラプソディ」の活きの良い演奏に接して、「岩城もまだまだ大丈夫だ」と思ったのだが。

岩城が指揮台に立った今年2月の京都市交響楽団の定期演奏会は都合で行くことが叶わず、結局、岩城の実演には2度しか接することが出来なかった。子供の頃から知っている指揮者だっただけに、我ながら2回しか実演を聴けなかったことは寂しく思う。

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先週は、日本のクラシック音楽界にとって、悲しいニュースが続きました。 [続きを読む]

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