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2006年9月 7日 (木)

重層 文学解釈の楽しみ

「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとやうまれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」(『梁塵秘抄』より)

後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』(「今様」という当時の流行歌を集めたもの)に収録されている有名な歌です。天真爛漫に遊ぶ子供を歌った歌ですが、「遊び」や「戯れ」という言葉から、「これは遊女の嘆きを歌ったものではないか」という解釈があります。「遊ぶ子供」と直後に同じ言葉が出てくるので、「遊び=遊女の生業」とするには個人的には無理があるように思うのですが、遊女の嘆きという解釈で読み直すと、独特の感慨と深みが出るのも確かです。

遊女が出て生きたので、蕉門十哲の一人、榎本其角(宝井其角)が江戸・吉原の繁栄を歌った俳句を見てみましょう。

「暗(やみ)の世は、吉原ばかり月夜かな」

浮き世の中で、吉原だけが月顔負けの明るさを見せて華やかであると詠んでいます。
しかし、切る場所を変えると全く別の趣を持つ歌に変じてしまいます。

「暗の世は吉原ばかり。月夜かな」

こうすると、貧しさ故に遊女に身を落とした女性に対するシンパシーを歌ったものになります。吉原は遊郭という名の通り、周囲を堀で囲まれ、遊女は外に出ることが出来ませんでした。望んで遊女をやっている人はともかく、他に行き場をなくして吉原に来た女性の中には郭での生活に嫌気が差して、放火をして逃げ出そう企てた人が何人もいます。そういう背景を知ると、さらに深い味わいが出ます。
実際は吉原通いが好きだった其角は、単に吉原の繁栄を歌ったのであり、他に意味はなかったようですが、他の人が新しい解釈を発見し、二つの味わいが出た俳句となりました。

更にもう一句、俳句を採り上げます。与謝蕪村の歌です。

「月天心貧しき町を通りけり」

「月天心」とは月が真上にあることです。当然ながら季節は冬です。
通常の解釈ですと、蕪村が冬の夜に貧しい町を通り、月明かりに照らされた町の荒れた様と、月の明るさとは対照的に貧しさ故に灯の消えた暗い家に住む人々の心を思って哀れを感じた、となります。「月天心」という字余りになる漢語を敢えて用いたことで凛とした趣を出すことに成功しています。

しかし、貧しき町を通ったのが蕪村ではないとなると全く違った表情が現れます。では貧しき町を通ったのは誰なのか、というと月なのです。
この俳句は見ての通り、主語が省略されています。だから通ったのが蕪村であるという断定は出来ませんし、主語が月であるはずがないという否定も出来ないのです。貧しき町を通ったのが月だとすると、月があたかも慈悲の心を持って町を照らしているかのよう、という温かな光景が浮かびます。

文学は多様な解釈が出来、重層であるところに魅力があります。もちろん「正しさ」も判断基準の一つで、突拍子もない解釈やリテラシーの低さは混乱を招くだけですが、数学的正しさとは違い、「唯一無二」の正解がないことが、人間とこの社会の奥深さを教えてくれることになり、そこに面白さと難しさがあるのです。

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