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2006年11月の25件の記事

2006年11月30日 (木)

木下順二氏死去

劇作家の木下順二氏が今年10月30日に死去してしたことが明らかにされた。92歳。代表作に「夕鶴」、「子午線の祀り」など。

劇作家であった木下順二ですが、私にとってはシェイクスピアの「マクベス」の翻訳家として、より馴染み深い存在でした。1995年、明治大学の学生であり、シェイクスピアの戯曲研究の講義を受講していた私は、木下順二を始め、小田島雄志、福田恆存といった人達の翻訳した「マクベス」を立て続けに読んだことがありました。その中でも木下氏の翻訳が一番心に馴染みました。

戦後すぐに明治大学の講師を務めたこともある木下氏は私の敬愛する演劇人の一人でした。

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2006年11月29日 (水)

好きな短歌(9)

七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき(「みのひとつだになきぞ悲しき」とする場合もある) 兼明親王(後醍醐天皇皇子)

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2006年11月26日 (日)

鍋占い

検索ワードランキングの上位に「鍋占い」がランクされていたので私もやってみました。

「鍋占い」 http://www.town24.net/nabe/

結果は「ねぎ」。いや、男で癒し系といわれてもねえ。男の場合は安らぎ系という方が適当じゃないかな。

こちらの「鍋占い」 http://www.access-up.net/uranai/inabe/index2.html では「しいたけ」。当たっているのかどうかよくわからず。

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サンガJ2降格決定

京都パープルサンガはガンバ大阪と万博記念競技場で対戦。サンガはパウリーニョのゴールで先制するも、ガンバのマグノアウベスに2ゴールを決められ逆転される。
後半35分にパウリーニョが今日2点目となるゴールを決めて同点に追いつき、優勝争いをしてるガンバ相手に善戦したサンガだが、ロスタイムにガンバ・マグノアウベスにハットトリックとなる勝ち越し点を許し、結局2-3のスコアで敗れて今シーズのJ1最下位と来シーズンからJ2に降格することが決まった。

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診察時間

京都に来て意外に思ったのは、病院の診察時間が午前中と夕方からであったこと。午前中は午前8時頃に始まって12時頃に終わる。これは千葉でも一緒である。しかし千葉の場合は午後の診察があって、だいたい午後2時か3時、早いところは午後1時に始まり、6時には診察が終わってしまう。
一方、京都には、午後は4時か5時という比較的遅い時間に診察が始まって午後8時頃まで開いている病院が多い午後一で診察を行うところはほとんどないが、遅くまで病院が開いているということはサラリーマンには便利である。

私も東京で会社員をしていた(といっても短い期間だが)頃は、病院通いに苦労した。風邪の時は朝一で、地元である千葉の医院で診察して貰ってから会社に向かい、遅れた時間分だけ残業時間を長くした。会社にいる時間に軽い風邪の症状を感じても、その日の内に病院にかかることはほとんで出来ない。会社での勤務時間帯と病院の開いている時間帯が一緒なので通院しながら会社に通い続けるということも難しい。だから土曜日の病院は混雑するところが多かった。

しかし京都のサラリーマンは、多少残業があっても勤め帰りに診察を受けることが出来る。午後すぐの時間帯に何かあった時は困るが、持病があっても通院しながら会社員を続けることは難しくはない。

千葉市の方が人口におけるサラリーマンの割合が多いイメージがある(実際はどうなのだろうか? 人口そのものは京都市の方が千葉市より50万人ほど多い)が、診察時間がサラリーマン向けに設定されていないというのは不思議である。

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2006年11月23日 (木)

湯浅卓雄指揮大阪センチュリー交響楽団 「ブラームス交響曲全集」

湯浅卓雄指揮大阪センチュリー交響楽団 「ブラームス交響曲全集」 昨日の記事にも出て来た、湯浅卓雄指揮大阪センチュリー交響楽団による「ブラームス交響曲全集」(ナミ・レコード)を紹介します。

シューマン同様、神戸新聞松方ホールで行われた、ブラームス交響曲チクルスのCD化。
2005年11月3日と同20日の収録。

1949年、大阪に生まれた湯浅卓雄は高校卒業と同時に渡米し、シンシナティ大学で作曲を専攻。その後オーストリアに渡り、ウィーン国立音楽大学で名教師として知られるハンス・スワロフスキーや、NHK交響楽団の名誉指揮者として日本でもお馴染みだったロヴロ・フォン・マタチッチに師事して指揮を収めています。

大阪センチュリー交響楽団は1989年創設、1990年に第1回定期演奏会を行ったまだ若いオーケストラ。ドイツ的な黒光りする音色を特徴とする中編成の団体です。

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2006年11月22日 (水)

湯浅卓雄指揮大阪センチュリー交響楽団  ロベルト・シューマン交響曲全曲&主要管弦楽曲・協奏曲チクルス

湯浅卓雄指揮大阪センチュリー交響楽団 ロベルト・シューマン交響曲チクルス

神戸新聞松方ホールで、9月30日、10月29日、11月21日の3回に渡り、ロベルト・シューマンの交響曲全4曲を演奏するコンサートがありました。湯浅卓雄指揮大坂センチュリー交響楽団の演奏。ライヴ録音も行われており、今後CDとして発売の予定もあります。

ロマンティックではあるがメランコリックで時に陰鬱というイメージのあるロベルト・シューマンの交響曲ですが、湯浅と大阪センチュリー響の演奏はどんな感傷的なメロディーであってもその背後にシューマンの「希望へ憧れ」の心が宿っているということを示してくれる興味深いものでした。

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2006年11月21日 (火)

ジンマン指揮 スウィートビターなラフマニノフ交響曲第2番

ジンマン指揮ボルチモア交響楽団 ラフマニノフの交響曲第2番 デイヴィッド・ジンマンがボルチモア交響楽団の音楽監督を務めていた時代に録音したラフマニノフの交響曲第2番のCDを紹介します。

ジンマンは現在、スイスのチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のシェフとして高い評価を得ていますが、チューリッヒに来る前はアメリカのボルチモア交響楽団の音楽監督を10年以上の長きにわたって務めていました。当時のジンマンは、低迷していたボルチモア交響楽団の演奏能力を一気に高めたことでオーケストラビルダーとしての評価には高いものがありましたが、指揮者としての評価はさほどでもなく、良くて1流半、大抵は2流という扱いでした。しかしボルチモア時代のジンマンも決して凡庸な指揮者ではなかったことはいくつかのCDを聴けばわかります。

ラフマニノフの交響曲第2番のCDも、ボルチモア時代のジンマンの良さが刻まれたCDの一つです。TELARCレーベルの録音・発売。

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2006年11月20日 (月)

大阪に行って驚いたこと

大阪に行って驚いたのは、午後4時過ぎに門や柵を閉ざして入れなくしてしまう神社の多いこと。
関東や京都にも夕方になると入れなくなる神社はあるが、それらは大抵由緒正しい神社で、重要な建築があり、それらを守るために閉門している。そして閉門する時間は大体午後6時頃。日が高いうちに境内への立ち入りを禁じてしまうのは大阪の神社だけであり、ありふれた小さな神社に出入り制限があるのも私の知る限りでは大阪だけだ。

なぜ大阪の神社は早めに門を閉ざしてしまうのか。一つ思い当たるのは日本一多い浮浪者の存在。神社の境内は野宿に適している。野宿ぐらいさせてあげてもいいじゃないかとも思うが、夜の境内が浮浪者だらけになってしまったらそれは困るだろう。だから問題が起きないよう早めに門を閉ざすようになったのかも知れない。

あるいは放火を防ぐためだろうか。京都では夜間も出入り自由だった「須賀神社・交通神社」という神社が数年前、夜中に放火されて全焼している。明るい内に門を閉ざしてしまえば、放火される可能性は低くなる。

更に言えるのは大阪といういう街は何に関しても終了時間が早いということ。レストランのラストオーダーの時間も早いので最初は驚いた。京都なら「これからかき入れ時だろう」という時間でも大阪の飲食店は閉まってしまう。夜遅い時間帯は来る客が比較的少ないということで効率を優先しているのだろうか。それともずっと以前からの習慣で、それを今でも守っているのだろうか。さて、本当のところはどうなのだろう。

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2006年11月19日 (日)

サンガ、ピンチ

サッカーJ1の最下位に沈む京都パープルサンガ(来年からは京都サンガにチーム名を変更の予定)は昨日(11月18日)もサンフレッチェ広島に0-1で敗れ、J2降格へ片足を踏み入れた状態が続いている。
昨シーズン、J2の首位に輝き、今シーズンからJ1に返り咲いたが、十分な補強をしなかったということもあって苦戦が続いていた。成績不振により柱谷幸一監督が更迭されたりもした。

Jリーグはこれまでずっと東高西低で、西日本のチームでタイトルを取ったのは2つだけなのだが、京都パープルサンガ(天皇杯優勝)はその中の1チーム。J1残留は絶望的とも言われるが何とか踏みとどまって欲しいという気持ちはある。松井大輔がいればなあ…。

西京極には1回しか通えなかったが、京都テレビで多くの試合は見た。何と言っても問題は、走れる選手がパウリーニョしかいないということ。これでは相手チームは楽である。

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ショックだったこと

本当に本当にショックだったことはブログには書けません。よって書ける範囲内でということですが、32歳の誕生日を迎えてシューベルトより年上になってしまったことにはショックを受けました。シューベルトの音楽は小学生の頃から聴いていて、31歳で若くして亡くなったということも知っていたのですが、自分はもうシューベルトより若くはないのです。
そして来年には33歳で、中島敦に並んでしまいます。19歳の時に全作品を読んで敬愛の念を抱いた作家に。
業績らしい業績を残さないまま著名人の享年を通り越してしまうというのは怖ろしいことです。

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冬を感じる時

寒くなったら冬を感じる、というのはごく当たり前ですが、その他にも私はオリオン座が夜更け前に見えるようになると、気温はさほど厳しくなくても「ああ冬だなあ」と感じます。

私は11月12日生まれなので星座は蠍座。ギリシャ神話では蠍はオリオン殺害のために大地の女神ガイアによって放たれた刺客であり、そのためオリオンは星座になっても蠍を怖れていて、蠍座が東の空に現れると同時に西の空から逃げるようにして沈みます。
オリオン座と関係の深い蠍座生まれだからオリオン座を強く意識するということも私の場合はあると思います。冬というとシリウス(おおいぬ座アルファ。地球から見えるあらゆる恒星〔但し太陽は別格なので除く〕の中で最も明るく光る)の輝きも印象的ですが、シリウスを見ても、「ああ冬になった」とは感じないので、やはりオリオン座は特別です。

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2006年11月17日 (金)

好きな短歌(8)

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斎藤茂吉

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好きな短歌(7)

汝や知る都は野辺の夕雲雀揚がるを見ても落つる涙は 飯尾彦六左右衛門尉

好きな短歌というわけでは正確に言うとないのですが、今日、あることがきっかけでこの歌が頭に浮かんだので記しておきます。

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2006年11月15日 (水)

七五三

11月15日は「七五三」の日です。私も幼い頃、地元の千葉神社にお詣りに行った(行かされた)記憶があります。

七五三は、徳川3代将軍家光が、のちに5代将軍綱吉となる4男の徳松の病弱さを案じ、徳松が5歳の時の11月15日(何をやっても上手くいくという大吉日)に長寿祈願を兼ねた祝いを行ったことに由来するとされ、以後、関東を中心に徐々に拡がっていきました。

七五三が民間行事として定着したのは明治時代以降だそうで、七五三の時には子供は晴れ着を着るということに目をつけた呉服業界の人達が広めたそうです。業界の人が広めて定着したのは土用のウナギやバレンタインチョコや恵方寿司だけではないのですね。

ところで、しめ縄は、七本、五本、三本と順番にわらを垂らしていくことから七五三縄とも書き、「七五三」と書いて「しめ」と読む苗字もあります。七五三さんといういう苗字の方にお会いしたことは私自身はないのですが、千葉県の高校野球の有名な監督に「七五三木(しめき)」さんという方がいらっしゃいました。

ちなみに同志社大学の創設者である新島襄の幼名は「七五三太(しめた)」といいます。それまで女児の出産が4度続いたことで、「今度生まれるのも女子ではないか」と案じていた新島襄の祖父が、男児の誕生を聞いて思わず「しめた!」と言葉を発し、それをそのまま孫の名前にしてしまったという説があります。

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2006年11月13日 (月)

日立のシェーバーを買った

HITACHIの電気シェーバーを買った。これまではNationalの電気シェーバーを使っていたのだが、古くなったので買い換えたのだ。

しかし考えてみれば日立の電気製品を買うのは久しぶりである。
千葉の実家の家電はほとんどが日立の製品であった。というのも両親が日立の電気店のご主人と親しくしていたためである。テレビ、ビデオ、コンポ(当時は日立もLo-Dというブランドでオーディオ製品を作っていた)、洗濯機、掃除機、電気炬燵、電子レンジ、冷蔵庫など全て日立製品であった。日立製でなかったのは、扇風機(東芝)、ポット(象印)、パソコン(富士通。当時は日立はまだパソコン方面には弱かった)、DVDプレーヤー(ソニー。DVD関連商品も日立はまだ弱かった)ぐらいである。

実家の家電のほとんどが日立製なので日立製作所に興味を持ち、中学生の時に『日立大変貌』という本を読んだ。「日立はもともと重工業関連に強く、家電は弱かった」、「良いものを作れば消費者は買ってくれるだろうという思い込みがあった」、「しかしそれは幻想であることに気づき、マーケティングやコマーシャルに力を入れた」、「そして『静御前』という運動音の静かな洗濯機を売り出し、ネーミングが受けてヒットに繋がった」といったような内容は今も憶えている(しかし、そんな本を読んでいたとは変な中学生だったな)。

今使っている家電のメーカーはバラバラである。

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2006年11月11日 (土)

マイケル・ナイマン 「ピアノ・レッスン」オリジナル・サウンドトラック

マイケル・ナイマン 「ピアノ・レッスン」 マイケル・ナイマン作曲の映画音楽「ピアノ・レッスン」を紹介します。オーストラリアの女流映画監督であるジェーン・カンピオン監督の作品「ピアノ・レッスン」のために書かれた音楽で、それまでの「ミニマル・ミュージックの鬼」ともいうべき執拗な旋律の繰り返しとブラス中心の攻撃的でドライな響きを特徴としたマイケル・ナイマンの音楽がウエットでナイーブでしなやかなものへと変貌していくきっかけとなった作品です。

映画同様、専門家筋からは不評、一般からは絶讃されたナイマンの「ピアノ・レッスン」の音楽。ムードミュージック的ではありますが、美しくもユニークな映画音楽であり、聴いて損はしないでしょう。演奏は、当時セルジウ・チェリビダッケを音楽監督に戴いて世界的な評価を得ていたミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団ほか。
最近、「ピアノ・レッスン」のピアノスコアが再発になったことを記念して、このブログでも紹介してみました。

余談ですが、劇作家・演出家の宮沢章夫はこの映画でハーヴェイ・カイテルが長髪にしているのを見て、「俺も長髪にしよう」と思い立ち、7年ほど長髪にしていました(宮沢から直接聞いた話です)。

ピアノ レッスン/Piano - Michael Nyman

「ピアノ・レッスン」楽譜

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2006年11月10日 (金)

書割

下の者が更に下の者を叩き、下がどんどん弱体化していくのを上が笑って見ている。
社会の構図自体が江戸時代と全く変わらない。維新も改革も外枠を変えただけで中身は完全にそのまま。

まるで書割のようだ。書割の美は書割の美で良いが、それを誇るならそんな「美」は犬にでも喰われたほうが良い。

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2006年11月 8日 (水)

好きな短歌(6)

雪霜に色よく花の魁て散りてものちに匂ふ梅が香 芹沢鴨平光幹

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消しゴムを買った

消しゴムを買った。いつ以来だろうか?

最近は書き物といえばパソコンのワープロソフトか電子メール、ケータイのメール、手書きの際もボールペンや消しゴムつきのシャープペンシルを用いているので、いわゆる消しゴムを最後に買ったのがいつだったのか、ほとんど思い出せない。

京都造形大の講義ノートを取る時は私は鉛筆を使用していた。筆圧が高い方なので、シャープペンシルだとすぐに芯が折れてしまうためだ。その時はもちろん消しゴムを使用していたが、消しゴムというものは思ったよりも減らないものであり、千葉時代のものをそのまま使用していたような気もする。ということは、今日私は京都に来てから(4年半前から京都に住んでいる)初めて消しゴムを買ったことになるのではないか。

私が子供だった頃を思い返すと、筆記用具や筆記方法が劇的な変化を遂げているのがわかる。鉛筆からパソコン、ケータイメールへと。手書きオンリーからタイピング主流へと。消しゴムを買ったのが久しぶりであることに気づいて、それを実感することになる。

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2006年11月 7日 (火)

北山時雨

京都の晩秋の風物詩である北山時雨。北山の方からやって来る通り雨のことである。晩秋から冬にかけて日本海側に荒天をもたらす雪雲は日本列島の中心部を横断する山脈や山地によって遮られ、南側には影響しないことが多いのだが、京都の場合は北側の山が低いので雲を完全に抑えることが出来ずに時雨となるのである。

以前、「男心と秋の空」の「秋の空」とは京都の秋の空だという記事を載せたが、京都の変わりやすい秋の天気は、この北山時雨によるところが多いとされる。

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2006年11月 4日 (土)

観劇公演パンフレット(3) 「謎の変奏曲」

「謎の変奏曲」パンフレット イギリスの作曲家、エドワード・エルガーの管弦楽曲『エニグマ(謎の)変奏曲』からタイトルを取った、エリック=エマニュエル・シュミットの戯曲『謎の変奏曲』が2004年に翻訳上演された時の公演パンフレットを紹介します。京都・四条南座で購入したもの。

『謎の変奏曲』は、杉浦直樹と沢田研二による二人芝居。演出は宮田慶子。テキスト日本語訳は高橋啓。

エリック=エマニュエル・シュミットは、1960年、フランス第2の都市・リヨンに生まれた劇作家・小説家。
『謎の変奏曲』は1996年にパリで初演。アベル・ズノルコを演じたのは、アラン・ドロンであった。

「あらすじ」
ノルウェーの孤島。ノーベル賞作家であるアベル・ズノルコ(杉浦直樹)は、この孤島に家を構え、一人で暮らしている。ある日、ズノルコの家を一人の男が訪ねてくる。男の名はエリック・ラルセン(沢田研二)。新聞記者のラルセンはズノルコの最新作である『未完の愛』という小説について取材に来たのだという。交流書簡形式の小説である『未完の愛』には謎が多く、ラルセンの質問はその謎をつくものだった。
ズノルコはエルガーの『謎の変奏曲』のレコードをかけ、エルガーがこの曲について残した謎の言葉をラルセンに語る。「この曲には決して演奏されることのない隠された主題がある」と。そして、自らの小説『未完の愛』にも実は隠された主題があることを示唆するのだった…。

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2006年11月 3日 (金)

エースナンバー18

東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天イーグルス)に入団する田中将大(たなか・まさひろ)投手の背番号が18に決まり、「エースナンバー」と報道されていますが、果たして球団として歴史の浅い楽天イーグルスにエースナンバーというのがあるのかどうか。日本プロ野球ではどこの球団でも背番号18は名投手のナンバーになっているので間違いというわけではないのですが。

背番号18が明らかにエースナンバーなのは巨人軍で、同じ京都商業(現・京都学園高校)出身ゆえに沢村二世と呼ばれた中尾硯志(なかお・ひろし。改名する前は中尾輝三)、球界の紳士・藤田元司、V9のエース堀内恒夫が背番号18を受け継ぎ、エースナンバーとして確固たる地位を築きました。1986年に入団し、将来のエースと期待されて背番号18を継いだ桑田真澄もエースになり、巨人軍のエースナンバーは今後も18であり続けることは確実でしょう。

18以外のエースナンバーとして最も有名なのは中日ドラゴンズの背番号20で、日本で初めてフォークボールを投げ、「フォークの神様」と呼ばれた杉下茂、「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤(当時の中日の先発投手を表現したもの、つまり中日の投手陣は権藤一人で保っているということで、権藤が雨男だったということではない)」の権藤博、燃える男・星野仙一、スピードガンの申し子・小松辰雄が受け継いで、こちらもエースナンバーとしての座を揺るぎないものにしています。現在、背番号20をつけているのは昨年新人として6連勝を記録した中田賢一。

東京ヤクルトスワローズも、初めて日本一に輝いたときのエース松岡弘(まつおか・ひろむ)、最多勝を獲得した川崎憲次郎がつけていた背番号17がエースナンバーとなり、現在は2004年の新人王を獲得した川島亮がこの番号を受け継いでいます。

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2006年11月 2日 (木)

美国

本当に本当の雑学ですが、北京語ではアメリカのことを「美国」と表記します。別にアメリカのことを美しいと思ったわけではなく、単に音訳で、「美」は北京語で“mei(メイ)”と発音し、アメリカの「メ」にこの字を当てたわけです。「美国」は“Meiguo メイグオ”と発音します。

日本の外国語表記も北京語(漢語)を標準にしているわけですが、日本の場合はアメリカの「メ」に「美=mei メイ」ではなく、「米=mi ミー」という漢字を振ったわけです。

さて、美国ことアメリカは「美しい国」なのか? でもこれに答えはありません。何が美しいかなんて時と状況と対象によって異なるわけで、国家というある意味流動的で多面的な存在に、美という価値基準を……、今宵はここまでに致しとうござりまする。

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好きな短歌(5)

幾山河越え去りゆかばさびしさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく 若山牧水

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