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2007年3月29日 (木)

観劇感想精選(6) M_Produce 「十一人の少年」

2005年1月31日 京都・三条御幸町のアートコンプレックス1928にて観劇

アートコンプレックス1928でM_Produceの「十一人の少年」を観る。北村想の岸田戯曲賞受賞作。演出は劇団飛び道具の山口吉右衛門(山口浩章)。
M_Produceとは、演劇プロデューサーで劇団ベトナムからの笑い声代表の丸井重樹氏の企画した3年がかりの若手育成のためのプロジェクトで今年はラストの3年目。80年代の戯曲を取り上がるを取り上げており、1年目は鴻上尚史の「ビー・ヒア・ナウ」と「トランス」、2年目はシェークスピア作品を野田秀樹が潤色した「から騒ぎ」。そして3年目が北村想である。私は鴻上尚史は2本とも観たが、野田秀樹は造形大公演の「ロスト・バビロン」の稽古と重なったため見に行くことが出来なかった。

飾り気のないセットがまず良い。若手の俳優達も生き生きとしている。

この戯曲はドイツの哲学的童話作家ミヒャエル・エンデの代表作「モモ」を下敷きにしている。「モモ」では大人を時間泥棒として描いていたが、これを北村想は想像力と未来を奪う泥棒に置き換えている。
「十一人の少年」が書かれた1984年はこれからバブルへと突入しようという時。「ジャパン・アズ・ナンバー1」という言葉が叫ばれ、人々は経済大国日本を謳歌していた。その一方で中高生の校内暴力が問題視され始めた時代である。行き場のない若者の叫びを歌った尾崎豊が教祖として仰がれていた。
拝金主義の超資本主義国家がその姿を現し始めていた。

この戯曲で特徴的なのは「モモ」をもじった「すもも」という盲目の少女が訛りのひどい言葉を話すことである。すももはそれを気にしているが、青木という青年は「標準なんて所詮標準だ」と言ってみせる。こうあるべき、つまりコレクトであることに流されないのだ。
金儲けがコレクトならそこから外れたものは全て切り捨てられてしまう。想像力で未来を描いたり、夢見ることは、「金になる」という視点から外れば「子供じみたこと」と笑われる。劇中に出てくる「ヘタムラ・ゾウ」はもちろん作者である北村想のもじりである(北村は別の著書でも下手村象という名前の自らの分身を登場させている)。ヘタムラは金のために想像力を譲り渡してしまった。物語の喪失。その喪失を救う人間として青木を指名するのである。

物語るということは自らの人生を見つめ直して語ると言うことであり、そうして未来を形成していく。しかし80年代には一流企業から一流会社そして幸福へという大きな物語が押しつけられ、物事を全て金銭に置き換えようとする発想の前に、個々のささやかではあるが大切な物語が押し流されつつあった。個々の喪失は格差社会を目指す小泉政権によって今も着々と進められているのだが。

成功者は成功に浮かれて未来永劫この状態が続くと勘違いをし、成功できなかった人は金万能主義の世の中で未来が描けずにいた。ある意味、刹那的に生きざるを得なかった未来喪失の時代であった80年代の雰囲気が感じられる。

金に目がくらむという言葉がある。80年代、人々は目がくらみつつあった。その中で目に見えない何かを追い求める人々もいた。その象徴が劇中では「すもも」という女性となって現れている。

バブルが崩壊し、狂気じみた愉悦の時を謳歌したかってのエピキュリアン達はこの作品をどういう思いで見つめるのだろうか。今この劇を観ると金銭第一主義が一場の夢に過ぎないことを作者は予見していたのではないかとすら思えてくる。

日本でただ一つバブルに浮かされなかった街がある。北村想が本拠地としている名古屋である。御三家筆頭の尾張徳川家の城下町として発展、現在では日本第4の大都市であり、織田信長、豊臣秀吉という二人の天下人を生んだ場所でありながら、一貫して政治にノンタッチであったこの街の市民は世の中を第三者的に見る傾向があり、着実、堅実であることを旨とし、財布の紐が堅いそうだ。今、名古屋の経済が好調なのはバブルに踊らされなかったことが大きいとも言われている。「十一人の少年」は狂奔する東京という街を名古屋からの醒めた視点で描いた作品という見方も出来るだろう。

北村想は滋賀県大津市の出身で、名古屋的な作家ではないとされているが、世の中への冷静な視線を持つところは真に名古屋的である。

役者で特に光っていたのは保険外交員のトモズミを演じた朝平陽子と青木を演じた小松史郎。昨年11月のSugarLakesの公演では達者なダンスを披露していた朝平陽子は丸井さんのサイトで「『ヒロイン』的素養のある女優」と紹介されていたが確かに華がある。小松史郎もこれから確実に伸びそうだ。

別保さん役で出ていたハラダリャンも色物的ではあるが面白い。実は役者が力余ってプラスチックの水差しを割ってしまい、床が水浸しになるというハプニングがあったのだが、ハラダリャンは巧みなアドリブでそれを笑いに変えていた。

若手中心にしてはレベルの高い公演だったと思う。1年目の鴻上尚史よりは確実に面白い。若い俳優陣を上手くまとめた演出の力も大きいだろう。

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