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2007年3月31日 (土)

観劇感想精選(7) 長塚京三&キムラ緑子 「偶然の男」

2004年8月28日 大阪・福島のABCホールにて観劇

大阪・福島(実際は福島区ではなくて北区だが)のABCホールで観劇。長塚京三、キムラ緑子の二人芝居、「偶然の男」を観る。脚本はフランス出身の世界的劇作家ヤスミナ・レザ。演出:鈴木勝秀。
ABCホールは残念ながら演劇向きの会場ではない。小さな声のセリフや軽い口笛などが聞き取れる一方で普通の大きさのセリフは残響が付いてモヤモヤした感じに聞こえる。セリフを聞き取れないところが何カ所かあった。

話は、売れっ子の作家とそのファンが列車のコンパートメントに乗り合わせて言葉を交わす過程を描いた可愛らしいものだが、そこに至るまでの心理過程がそれぞれモノローグによって長々と語られる。さて、考えというのはこうも秩序だったものなのか? 欧米人の場合はそうだろう。彼らは言語的思考が強いから。しかし日本人の場合は視覚的なこだわりが強く(漫画がよく読まれるのは日本人が視覚的民族であることと関係があるとされる。欧米は勿論、アジアのどの民族よりも視覚的である。もちろん日本の漫画は子供騙しでしかない他の国それとは格が違うが、これも日本人が視覚的な語りに意味を見出し、内容を深めたためと思われる)、イメージ的な思考方をすることも多い。また考えとはそれほど整然としたものではないような気がする。日本人の私がこの作品に違和感を覚えるのはそういうところだ。
郭になる部分は非常に短く、そこに至るまでの過程が長い。バルザックの小説みたいだ。
マネキンを使い、肉体と精神をわけ、精神のみを俳優が演じる場面が続くが、無駄が多いようにも思う。またこれは欧米の演劇に共通したことだが語りすぎる。誰も興味を持たないような私的なことまで延々と語る。日本人は、とりわけ男はだが、こうも一人で長々語ることはないのでつきありきれないという気もする。俳優二人が魅力的だから最後まで見続けることが出来たが、俳優が駄目だと目も当てられないだろう。

世界的な劇作家の作品だから世界のどこでも受け入れられるというわけではない。またそれを差し引いて単純に作品としてみてもそれほど優れたものではない気がする。

だがラストの男女のダイアローグはまさに大人の会話だ。日本には大人の会話が出てくる劇が少ない。何故かというと中年の、とくに男性は残業があったり劇に興味がなかったりで劇場に来ない。つまり中年の劇の需要がないのである。だから若者の劇が必要以上に多く、若者を過ぎると中年を飛び越えて、老人の劇になってしまったりする。劇を観るのは若者か主婦か定年でリタイアした人が圧倒的に多いから、中年の男女が主人公の劇は作りにくいのだ。だが中年をきちんと描く劇がないというのは文化的にいっても寂しい。若者も老人も葛藤は少ない世代だからどうしても会話は浅くなる。会話が浅いと豊かな表現は得にくい。一時隆盛を誇った若い男女の恋愛だけを表面的に描いたトレンディードラマというのがそのあだ花である。
こうした中年のための可愛らしいロマンスがあるヨーロッパというのはやはり羨ましい。

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