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2007年5月24日 (木)

観劇感想精選(11) 風間杜夫ひとり芝居三部作

2006年7月30日 京都・四条南座にて観劇

午後1時から四条南座で、「風間杜夫ひとり芝居三部作」を観る。水谷龍二が風間杜夫のために書き下ろした一人芝居、「カラオケマン」、「旅の空」、「一人」の連続上演。演出も水谷龍二が手がける。

三谷幸喜作のテレビドラマ「古畑任三郎」に間抜けな犯人役で出てからというもの、すっかりどこか抜けたイメージが定着してしまった風間杜夫だが、今日上演する一人芝居はいずれも、その「どこか抜けたイメージ」を生かしたものだ。
ちなみに余り知られていないが、水谷龍二は三谷幸喜の師である。

1997年にまず「旅の空」が書かれ、東京で初演。98年、99年に再演された。そして2000年に「カラオケマン」が書かれて、スペインのバルセロナで初演される。「カラオケマン」はこれまで中国の北京、杭州、上海、韓国のソウルでも上演されている。
2003年に「一人」が書かれ、「カラオケマン」、「旅の空」とセットで「風間杜夫ひとり芝居三部作」として上演されて、高い評価を受けた。

まずは「カラオケマン」。風間杜夫演じる牛山明は花道のせりからど派手な衣装を纏って登場。観客の喝采を浴びる。

「カラオケマン」は、カラオケのレパートリーの広さだけが取り柄ゆえにカラオケマンと呼ばれる男・牛山明のサラリーマンもの(ちなみに「風間杜夫ひとり芝居三部作」の主人公はいずれも牛山明で連作になっている)。タイトル通り、カラオケのシーンがたっぷり出てくる。
一人芝居には様々な形態があるが、今回は三作品とも風間杜夫は牛山明一人を演じる。他に登場人物はいる(それも沢山出てくる)が、観客にはそれら登場人物の姿は見えないし、セリフも聞こえないという設定である。一人芝居でなくても成立するが、その場合は主人公以外の役者の出番が極端に少なくなってしまうので一人芝居が適当だ、というスタイルだ。
「カラオケマン」は三作品の中では一番通俗的であり、またコメディーの要素が強い(タイトルからもそれはわかる)。風間が観客に向かって語りかける場面もあり、「風間杜夫ワンマンショー」という趣である。

風間は、三波春夫、石川さゆり、浜田省吾、サザンオールスターズの歌を披露。サザンの曲では桑田佳祐の歌真似をして観客の笑いを誘う。
ストーリーはありふれたものだが、この作品は風間の役者ぶりを見せるために書かれたのだろうからこれでいいのだ。

「旅の空」では、牛山明は浅草のサウナで記憶をなくし、自分が誰かわからなくなってしまっている。記憶を取り戻すための心の旅が描かれ、いわゆる演劇療法の場面もある。演劇療法の場面は、最初のうちは牛山が記憶を取り戻したかのように見せかけている(「記憶喪失を一度やっているからな」といったセリフもトラップとして仕掛けられている)が、実際は、演技(というより訓練)に過ぎなかったというもの。一人芝居の中で一人芝居が行われているという入れ子構造になっている。劇中劇の場面では風間はタキシードを着込み、ダンディーな(それでいてやはりどこか抜けた)男を演じてみせる。

牛山明は結局記憶を取り戻せず、芝居は「一人」へと移る。
「一人」では、記憶をなくした牛山明は旅芸人の一座に入り、第二の人生を歩み始めている。大人時代の記憶はなくしてしまったが、子供時代の記憶は微かにあり、自分が時代劇の大ファンであったことを思い出して役者を目指すことにしたのだ。
開演の数時間前、どうしてもセリフが憶えられない牛山明は、劇場近くの公園でセリフの練習をしている。そこへ、子供やおばあちゃん、同世代の男性らがやって来て(当然ながら我々観客には彼らの姿は見えない)、セリフの練習を手伝って貰ったり、それぞれの悩みを語り合ったりする。

「役者は巧けりゃいいってもんじゃない。下手でも売れてる役者は沢山いる。例えば…、おっといけねえ、ここをどこだと思ってんだ? 南座だぜ。京都だからって誰が観てるかわからねえ」

「滑舌が良ければいいってもんじゃねえ、滑舌が悪くて何言ってるかわからなくても売れてる役者はいくらでもいる。例えば、…危ねえ危ねえ、京都だからって誰が観てるかわからねえ。そのうち俺(風間杜夫)と共演しないとも限らない」

というセリフが笑いを誘う。

自分という存在の在り方を見つめる、ある意味哲学的(哲学書に書かれているような難解な哲学ではない)な作品。心温まる秀作である。

今は50を越えた駆け出しの役者だが、将来は主役を張るという夢を持つ牛山明。劇は牛山が「瞼の母」の主役を演じるという場面で終わる。大向こうから、「日本一!」という声がかかる。何だかんだ言っても風間杜夫は絵になる役者である。

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