« 新川和江詩集 『わたしを束ねないで』 | トップページ | 知り合う前よりもっと他人 »

2007年6月18日 (月)

観劇感想精選(13) 「ウィー・トーマス」(再演)

2006年6月24日 大阪・茶屋町のシアター・ドラマシティにて観劇

大阪のシアター・ドラマシティで、長塚圭史演出の舞台「ウィー・トーマス」を観る。作:マーティン・マクドナー、翻訳:目黒条。出演は、木村祐一、高岡蒼甫、岡本綾、少路勇介、堀部圭亮ほか。

アイルランド西部の小島・イニシュモア島が舞台である。

かって島一番のならず者であり、現在はIRA(アイルランド共和国軍)から分離独立したINLA(アイルランド独立解放軍)に所属し、北アイルランドにいるパドレイク(高岡蒼甫)の愛猫「ウィー・トーマス」が死んでしまう。デイヴィー(少路勇介)はウィー・トーマスの死体を、パドレイクの父親であるダニー(木村祐一)のところまで持ってくる。「道を歩いていたらウィー・トーマスが死んでいるのを見つけた」とデイヴィーは言うが、ダニーは「お前が自転車で轢き殺したんだろう」と言いがかりをつける。
とにかくパドレイクは異常なほどウィー・トーマスを可愛がっており、ウィー・トーマスが死んだことを知ったら、デイヴィーも、そしてパドレイクからウィー・トーマスの世話を頼まれていたダニーもただでは済まない。しかし、もうパドレイクにはウィー・トーマスに異常があったことを電話で知らせてしまっている。
そこで二人は、デイヴィーの妹で、祖国のために戦うことを夢見ているマレード(岡本綾)の飼い猫「サー・ロジャー」を連れてきて、何とかウィー・トーマスに見せかけようとする。一方、INLAのメンバーであるクリスティ(堀部圭亮)らはパドレイクの命を狙っていた。パドレイクが島に帰ることを知ったクリスティはパドレイクを殺る絶好のチャンスだと思い…。

映画のジャンル風に言うと、「ハードゴア・ブラックコメディー」となるのだろうか(ハードゴアとは血が飛び散るような残酷映画のこと)。人を殺すことを何とも思わないパドレイクが猫の死に心を痛めるという設定は可笑しく、一方で不気味でもある。
舞台上で4人が殺され、そのうち2人の死体がバラバラにされるなど過激な芝居。だが、実は彼らが殺される必要は全くなかったことがラストでわかる。猫死にならぬ犬死にである。

背景として北アイルランド紛争があり、そこでの殺し合いもウィー・トーマスを巡る一連の騒動同様、無意味な死が繰り返されているだけだという強烈なメッセージと皮肉が込められているようだが、視覚的過激さ(血が飛び散り、リアルな死体人形が切り刻まれる)ゆえに、またアイルランドから遠い日本での上演であるゆえに、その深刻なアイロニーは後退を余儀なくされている。ただ、シニカルな痛切さに迫真性がないのは致し方ないだろう。アイルランドの問題は当事者以外には真の実感など持てないのだから。

祖国愛だ何だと言って殺し合いをしても、結局それは自己満足でしかなく、どこへも行けないし、繋がらない。それどころか無意味な殺戮が循環的に永遠に繰り返されるだけで馬鹿げている。
劇の設定は「非現実」的で奇妙であるが、それゆえに「現実」世界の人間の愚かしさが強調されていた。

戯曲『ウィー・トーマス』表紙
戯曲『ウィー・トーマス』表紙

|

« 新川和江詩集 『わたしを束ねないで』 | トップページ | 知り合う前よりもっと他人 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 観劇感想精選(13) 「ウィー・トーマス」(再演):

« 新川和江詩集 『わたしを束ねないで』 | トップページ | 知り合う前よりもっと他人 »