« 自分で書いて占える手相 「運命鑑/手相占い」 | トップページ | 有限を嘆く人へ »

2007年10月28日 (日)

「外」の不在

ある演劇誌を読んでいて暗澹たる気持ちになる。「演劇」という「世界の片隅」に閉じこもり、答えのあらかじめ決まった質問を交わし合い確認し合うということ。そうした閉鎖的な認識を是として疑わない態度からは「外」への意識が無残なまでに欠けているのだった。
あたかも「外」など存在しないといわんばかりに。

「外」という言葉の選択はあるいは正確ではないのかも知れない。崩れることのない確固たる「内」があり、「外」はその周辺を取り巻くようにあるというイメージを与えるからだ。だが確固たる「内」など幻想でしかない。あるいは確固たる「内」はあり得てもその「内」には生命がない。

逆説的な言い方になるが、本当の「外」は内在しているとも言える。人が自分自身の体内を見ることが出来ないのと同様に。

「外」を「未知」と言い換えた方がいいのかも知れないが、当然ながら「外」=「未知」ではない。だから「外」を換言するのは難しいのであえて括弧付きの「外」とする。

「外」があるから内的なるものは絶対的な倨傲を免れ、「外」なるものへの畏敬を覚え、「外」への探求心を生む。
「内」から「外」は規定出来ない。規定した瞬間にそれは「外」ではなくなる。

「外」の存在を忘れ、「内」に固執し、それでいて「外」を規定できるものだと思いこんでの発言の多さ。
人間を問うことなく、あるいは人間を忘れ、身内だけを世界と規定し、自らが属する「内」を自ら奉る。これが演劇なのか?

演劇に再び「暗黒の中世」に似た現象を呼び起こそうとしていることに、羞恥は覚えないのだろうか。

|

« 自分で書いて占える手相 「運命鑑/手相占い」 | トップページ | 有限を嘆く人へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「外」の不在:

« 自分で書いて占える手相 「運命鑑/手相占い」 | トップページ | 有限を嘆く人へ »