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2007年11月22日 (木)

実相観入

眺める人生は高校で終えようと思ったのが、東京に出た最初の年のこと。一浪して大学に入った年のことだ。具体的に書くと1994年の春。

煙草や酒といった苦痛を和らげるものに手を染めないことに決めた。幸い、煙草は嫌いだったし、酒も飲めなかった。

作家の吉行淳之介は、自分の皮膚感覚しか信じなかったというが、そこまでいかなくても、自身の痛みと真っ向から向き合わねば、何もつかめないだろうという確信が私にもあった。

「実相観入」などという言葉を用いると格好良すぎるし、そんな大したものでもないのだが、私はあらゆる事柄を自分の内側を通して「感じる」ことに決めた。五感、もしくはそれ以上の何かを用いて、見、分け入り、多くの事柄に触れた。いうまでもなくそれは危険な行為で、私も多くの青年が陥ったのと同じ罠にはまることにもなった。自意識の相克、目に見えぬものを追う不確かさと湧き起こる不安、あらゆる欺瞞、陰、見えなくていいもの知らなくても良かったもの。

でもいいさ。なるようにしかならないんだもの。
眺める生き方は楽だ。自分についてだけ、あるいは他人についてだけ語っていればいい。でもそんなことに「私が私であること」、「私でしかあり得ないこと」の意義を見出すことは絶対にない。それは「絶対」を何度繰り返しても恥じないほど私にはわかっていたのだった。

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