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2008年1月 8日 (火)

観劇感想精選(25) 劇団青い鳥 「もろびとこぞりて ver.2,3」

2006年4月3日 兵庫県伊丹市のAI・HALLにて観劇

伊丹へ。AI・HALLで劇団青い鳥の公演「もろびとこぞりて ver.2,3」を観るためである。

演劇に詳しくない方のために記しておくと、劇団青い鳥はメンバーが全員女性であることと、集団創作を取り入れた劇作で、主に80年代に注目を浴びた劇団である。中心人物は今や舞台のみならずテレビなどでもお馴染みの木野花。しかし、木野花が劇作や演出を一手に引き受けたことはなく、エチュードを中心とした手法で、メンバー全員が劇作と演出に関わっていた。当時の作・演出名義は市堂令であるが、これは「一同、礼!」をもじった劇団員全員のペンネームであり、市堂令なる人物がいたわけでない。その後、木野花の退団や、集団創作の行き詰まりなどで往時の勢いは失われたが、現在まで30年以上も活動を続けている人気劇団である。

今回の「もろびとこぞりて ver.2,3」は、名古屋演劇界の雄である北村想の戯曲を、芹川藍が演出した。北村想は今回の公演のために戯曲をリライトしており、おそらく当て書きの部分が相当あると思われる。芹川藍、天光眞弓、葛西左紀のによる三人芝居。

ラヴェルの「ボレロ」が流れる中、二人の女が、誰かを長い時間待っていることが、ライトの明滅で示される。女は劇団の女優である。舞台は喫茶店のテラス。長い間待っているのだが、誰かは来ないようだ。午後5時を回り、喫茶店のウエイトレスも何故か二人の会話に割り込む。ウエイトレスも舞台女優だという……。

演出家の到着を待つ女優達の話なのだが、今回は演出家の芹川藍が役者として舞台上にいるということで、劇の台本の続きを待つ女優達の話に見える。もちろん、北村想の戯曲は完成していて、俳優達を出来上がったセリフを口にしているのだが、それらが例えば「もろびとこぞりて」というタイトルを巡るやり取りが延々と続いたり(ラヴェルの「ボレロ」は明らかにその象徴として用いられている)、場を繋ぐための一人芝居が入ったりと、完成形のない芝居である。どうやら彼女たちは自分が口にするためのセリフ=言葉を待ちわびているようだ。また今回の戯曲は、北村想が劇団青い鳥の三人の女優のためにリライトしたということで、どこまでが北村のセリフでどこまでが芹川を中心とした役者本人の思いなのか境界が曖昧になっている。これが実に心地良い。10年ほど前に流行った「ファジー」の快感である。

このファジーさは、今、舞台上で起こっていることが、いわゆる演劇なのか、演劇を客体化したメタ演劇なのか、その境界においても発揮されている。どこまでが本当でどこからが嘘なのか。もちろん嘘の部分が圧倒的の多いことはわかるのだが、一瞬、彼女たちがこの場にいることが演劇、脚本や演出によって組み立てられた演劇とは異なる、「存在の演劇」ともいうべきものを観ているような錯覚に陥る。「存在」するのは、女優達なのか、一個の個人なのか。

ラストシーンをどうするか、という相談もどこまで本気なのか「曖昧」で、観ていて頬が緩む。

知的にも感覚的にも楽しい舞台であった。いいものを観たと思う。

なお、劇団青い鳥の三人は、伊丹に来る前の名古屋公演終了後に交通事故に遭い、全員が骨折するなど負傷したが、それを押しての熱演であった。

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