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2008年1月19日 (土)

観劇感想精選(27) 哀川翔座長公演「座頭市」

2007年12月21日 大阪の梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時30分より、梅田芸術劇場で哀川翔初座長公演「座頭市」を観る。B級テイストの作品を次々に生み出し、カルト的な人気を誇る映画監督、三池崇史の演出。主演:哀川翔。出演は、阿部サダヲ、麻路さき、遠藤憲一、長門裕之ほか。

三階の後ろの方の席で、女子高生二人組が、「(今度梅田芸術劇場の舞台に出演する)中村獅童って格好いいよね」と話し合っている。ずいぶん渋好みである。もっとも、哀川翔座長公演を観に来ているという時点でかなりの渋好みなのだが。

東京では新宿コマ劇場で行われた公演。新宿コマで舞台にかかる作品は、だいたいの上演時間があらかじめ決められている場合が多い。「座頭市」も第1幕が1時間20分、第2幕も同じく1時間20分なので、持ち時間は決まっていた可能性が高い。

持ち時間を消化しなければならない(その時間だけ俳優に良い場面を用意しなければならない)という商業演劇の習慣と、慎重にことを運ぼうとしたためか、第1幕の1時間20分はかなり長く感じられた。暗転も多いし、本と役者と演出と商業演劇というスタイルが噛み合っていないところもある。

ただその分、第2幕は楽しめた。
まずは何といっても「座頭市」の一番の見所の殺陣である。映画の殺陣はカットも割るし、長時間といってもそれほど長いことやるわけにはいかない。だが、舞台の殺陣は誤魔化しが利かない一方で、役者の腕の見せ所でもある。それに生の舞台だけに映像とは迫力が違う。

そして、アウトローを生きる人々の描き方、個と社会の関わり、そして人間の愚かしさをあぶり出すことに重点を置いたストーリー設定も深い味わいがある。

座頭・市(哀川翔)の「お前ら本当に目明きなのかい」、「ありもしねえものを見てしまう。それが目明きってことなのかい」というセリフが端的に物語っているように、心が生み出してしまう虚像にとらわれて、やらずもがなのことをしてしまう人間の愚かしさと悲しさが観る者の胸を打つ。
実は客の入りは余り良くなかったのだが、終演後の客席は、1階席はほぼ総立ち。私のいた3階席でも多くの人が立っていた。

市を演じた哀川翔は、これが初座長公演(舞台作品への出演自体もこれが2度目である)とは思えないほど舞台に馴染んでる。もちろん舞台経験が豊富な脇役陣がいたからこそ、哀川翔も安心して舞台を踏むことが出来るのだろうが、それにしても舞台上にいる誰よりも舞台慣れしているように見えるのだから大したものだ。
飄飄としている普段の市と、殺陣の場面での阿修羅の如き剣さばきを見せる市との切り替えと対比が鮮やかである。

映像ならくさくなってしまうであろう長ゼリフや劇中劇の場面(旅芸人一座の女座長・朱〈麻路まき〉の最後のシーン)も舞台でやるなら効果的。三池監督の狙いが上手くはまっていた。

本来ならもっと自由の利く公演スタイルで2時間ぐらいにまとめたものをやれるといいのだろうが、「座頭市」は商業演劇の形を借りた方が舞台にかけやすいので、まあ、仕方ないだろう。
哀川翔を見せるというスタイルの芝居でそれが成功しているのだから、これで十分という気もする。

照明効果の格好良さも印象的だったし、哀川翔の格好良さはそれ以上。終演後の熱烈なスタンディングオベーションもおそらく哀川翔一人に向けられたもの(例の女子高生二人組は哀川翔に向かって「かっこいい!」を連発していた)であるが、座長公演なのだし、それはある程度予想出来るのだから大成功と言っても良いだろう。

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