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2008年2月の29件の記事

2008年2月29日 (金)

4年に一度の日

閏年の2月29日。

4年に一度しかない日であり、一応、特別な日ということになる。

そこで過去の2月29日の記憶がないかと、頭の中を徹底してほうきで掃いてみたが、

「ない」

過去の2月29日の思い出は全くといっていいほど出てこないのだった。一番近い過去の2004年2月29日の記憶も定かでない。おそらく何も起こらない無表情な一日だったのだろう。
かろうじて、小学生の時に、物心ついてから初めての2月29日を迎えて気分が少し高揚した記憶が残っている。が、これも本物の記憶なのか曖昧なのだった。

ということで、私にとっては2月29日は単におまけの一日的な存在でしかないことが判明した。判明したからといってどうということもないのだが。

それにしても何の記憶もないというのは惜しいなあ。何か一つくらいあっても良さそうなものだが。

しばらく考えているうちに思い出した。計算上、100年に一度、閏年はなくなることになっていたのだが、2000年は特例が重なって閏年になったということがあった。でもやっと思い出してもそれぐらいか。

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2008年2月27日 (水)

mama!milk 「Gala de Caras」

アコーディオンの生駒祐子とウッドベースの清水恒輔によるインストゥルメンタル・デュオ、mama!milk。日本は勿論、海外でも数多くのツアーをこなしている二人のオリジナル・サード・アルバムが「Gala de Caras」です。RAFTMUSICレーベル。

mama!milk 「Gala de Caras」 音楽の乗って世界中を旅するような趣のあるmama!milkの音楽。このアルバムでも、スペイン風の楽曲、タンゴ、ワルツなど、様々な音楽が奏でられており、異国情緒溢れる、イメージ喚起力豊かな世界が拡がっています。

表はCD、裏面はDVD使用であり、DVDディスクには林海象監督によるイメージ映像が収録されています。

mama!milkはライブツアー活動が中心で、CDも他のミュージシャンとのコラボレーションアルバムが多く、この「Gala de Caras」は最新のオリジナルアルバムですが、2003年の発売であり、新作の発表も待たれるところです。

Mama Milk/Gala De Caras

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2008年2月25日 (月)

観劇公演パンフレット(25) ナイロン100℃ 「消失」

ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)主宰の劇団、ナイロン100℃の公演「消失」のパンフレットを紹介します。2005年1月7日、大阪・なんばのワッハ上方ワッハホールにて購入。

ナイロン100℃ 「消失」公演パンフレット 大型のパンフレットなので、全体が入りませんでした。左の写真は上部4分の3ほどです。

「消失」は歪んだ愛情が招く悲劇で、途轍もなく重たい芝居です。

終演後にKERAさんが登場して、「ワッハホールという劇場でやるのに、ワッハという感じではありませんでしたが」ということを語っていました。

パンフレットには、「消失」写真集、犬山イヌコと山寺宏一、みのすけと大槻ケンヂ、三宅弘城と秋山菜津子、八嶋智人と長塚圭史、松永玲子と友近、大倉孝二と日比野克彦、KERAと山下敦弘の対談などが収録されています。

「消失」の概要および感想

ワッハ上方ワッハホールでナイロン100℃の「消失」を観る。ケラリーノ・サンドロヴィッチ(ケラ)作・演出。出演は大倉孝二、八嶋智人、松永玲子、犬山イヌコほか。
劇 を観たなあという実感溢れる力作であった。ガッシリとした手応えや歯応えがある。上演時間2時間45分(途中休憩なし)の大作であったが長さを感じさせな い。劇にはその作品の長さにあった文体というものがある。それがしっかりして適度なものであるから客を引っ張ることが出来るのだろう。小説もそうだが長さ ではなく質だ。長いから観るのが大変、読むのが大変ということはない。面白ければ長さは関係ない。いくら短くても退屈なものは読み通せないし、見続けるの が辛く感じるものだ。

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これまでに観た映画より(18) 「接続」

ビデオで韓国映画「接続」を観る。ハン・ソッキュとチョン・ドヨンが送る恋愛ドラマ。インターネットのチャットやメールを使った現代的な恋愛の形。しかしインターネットでなく電話によるすれ違い劇なら1990年にフジテレビで放送された「素敵な片思い」というドラマがあった(中山美穂、柳葉敏郎:主演)。それに少し似ていなくもない。

97年の公開だが携帯電話が出てこないのが気になる。今や珍しくなったじれったくなるくらいのすれ違い劇なのだが、携帯が普及した現在ならどうだろう。すれ違いは起きないかも知れない。かっての恋人を忘れられない男と、友人に彼を奪われた女の恋模様。チョン・ドヨン演じるスヒョンのいじらしほどの乙女心が愛らしい。ラストのドンヒョン(ハン・ソッキュ)の静かな心の揺れも説得力がある。

ラストの音楽が「ラヴァーズ・コンチェルト」なのがベタだが、まずは愛らしい「大人の童話風」映画に仕上がっている。

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2008年2月24日 (日)

YMO 「BGM」

「Yellow Magic Orchestra」、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」で、ピコピコ電子音によるお気楽な音楽を発表してきたYMO(Yellow Magic Orchestra)が突如として路線変更した重厚なアルバム「BGM」。重い内容のアルバムに「BGM」というタイトルをつけてしまうのもアイロニカルというか、いかにもYMO的です。

YMO 「BGM」 「BGM」制作期には、メンバーの坂本龍一が精神的に苦しい状態で、よく意識的なサボタージュを行っていたそうで、スタジオに三人が揃うということも少なくなっていきます。

細野晴臣は、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」的なものを続けるのではなく、本気を出してラディカルなものを作ろうということで、「ファン切り離し」をコンセプトとし、シンセサイザーの音もチープなものではなく、本格的な電子音楽的なものを求めていきます。

高橋幸宏の力強いドラムが印象的な「U・T」(YMOの三人によるギャグ的コメント入り)、ミニマル・ミュージックの影響を受けた「ハッピー・エンド」(作曲:坂本龍一。タイトルは細野晴臣が所属していたバンド、“はっぴいえんど”に由来。「YMOはもう終わりでいいんじゃない」という隠れたメッセージと細野への嫌がらせの意味があったと坂本はのちに語っている)、細野晴臣による本格的インストゥルメンタル「マス」、細野晴臣と高橋幸宏の二人だけで作り、のちに坂本に「ぼく(坂本)は、このトラッキングに参加してないんですよ。悲哀っすねえ」(アルバム「UCYMO」ライブノーツより)といわれることになる「CUE」、耳の錯覚を利用した無限音階が面白い「来るべきもの」など、ポピュラリティーを意識しない作品が並びます。

ポピュラリティーを意識しないということで、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がミリオンセールスとなったYMOも、この「BGM」は30万枚の売り上げしか記録できませんでした。しかし完成度は高く、今もYMOの最高傑作に挙げる人の多いアルバムです。

YMO  Bgm

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好きな短歌(28)

君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 北原白秋

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2008年2月23日 (土)

「絶対」があれば楽ではある

もしこの世に「絶対」というものがあるのだとすれば、人間が生きるのは非常に楽になる。我々は「絶対」からあらゆるものを甘受するだけでいい。ある意味では、主体的に生きる必要もなくなる。楽である。

だが、人間が楽を求める生き物であるからなのか、人類は何度も「絶対」を生み出しては破壊してきた。「絶対」は破壊される。絶対を押しつけようとするが故に。

「絶対」の現れ方には法則がある。先触れは「不安」だ。人々に不安を募らせれば、その不安から逃れたい人々は「絶対」を求めたくなる。「絶対」の存在、「絶対」の存在による庇護、「絶対の安全」。

不安から逃れるために、不安が現れる前にその芽を摘もうという思いから、法律が生まれたりもした。「治安維持法」というのだが。

そしてこれまでも、また最近も、不安増加に伴う「絶対」が待望されている。「絶対」は楽だ。全て守ってくれる。物事を自身で検討する必要もない。小さな世界を絶対視も出来る。世界の向こうを想像する力が無くても良い。
そうした「絶対」に対抗するためには何が必要なのか。絶対に対して絶対を打ち出すのは良くない。アメリカとイスラムの戦争のようになる。

「相対」は時間が掛かる。そして「絶対」のような力強さも持てない。何千年も前からわかっていたことだ。だがやはりこれしかないのだろうか。「絶対」と「相対」の間は空漠としているのだろうか。

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2008年2月20日 (水)

大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 マーラー交響曲第6番「悲劇的」 サントリーホールライブ盤

2005年3月20日、サントリーホールで行われた大阪フィルハーモニー交響楽団東京公演のライブ録音CD、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」を紹介します。大阪フィルの音楽監督である大植英次の指揮。フォンテックからの発売。

大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 マーラー交響曲第6番「悲劇的」 直前に大阪のザ・シンフォニーホールで行われた同曲の演奏も素晴らしいものでしたが、東京公演における演奏も負けず劣らず優れたもの。
大植英次と大阪フィルのコンビによる初の東京公演ということもあって気合いは十分。速めのテンポによる快演であり、録音が優秀ということもあって響きの生々しさは特筆事項。日本のオーケストラによる第一級のマーラー演奏であることは間違いないでしょう。

マーラー/Sym.6: 大植英次 / 大阪po (Hyb)

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コンサートの記(7) 大阪フィルハーモニー交響楽団第386回定期演奏会 大植英次指揮 マーラー交響曲第6番「悲劇的」

2005年3月17日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪・福島のザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。指揮は音楽監督の大植英次。演目はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。3月20日には同じ曲で東京公演を打つ。大植と大阪フィルのコンビが東京で演奏会を開くのは初めてである。そのためのドキュメンタリーを作るのか、ABC(朝日放送)のテレビカメラがホール内のあちこちに置かれていた。客席は補助席を追加しても立ち見が出るほどの盛況。

マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は演奏時間約80分の大作である。しかも途轍もない大編成であり、フル編成の弦に、ホルンが8人、フルート4人、ピッコロ2人、トランペット4人、トロンボーン4人、ティンパニとハープが2台ずつ、さらにチェレスタ奏者もいて、ステージ上にオーケストラ団員がすし詰め状態になっている。そして楽器(?)としてカウ・ベルやハンマーなどが用いられる。今日の私の目から見ても異様なので、初演時の聴衆は「マーラーは気が触れたのか?」と思ったことだろう。
大植は背の低い指揮者であるが(女性団員ともさほど変わらない)、全身を叩きつけるようにする指揮姿は迫力がある。そんな大植の指揮姿に触発されてか、大フィルも熱の入った演奏を繰り広げる。ただホールのせいか、オケの力か、はたまた私が座った席が良くないのか、直接音があまり飛んで来ず、意外に音が小さく、また芯がない。残響が売りのザ・シンフォニーホールは、あるいはマーラーには不向きなのかも知れない。

大植は、20世紀最高のマーラー指揮者と呼ばれるレナード・バーンスタインの弟子であり、また「大地の歌」のCDも出していることからマーラーは得意なのだろう。第1楽章が特によかった。推進力があり、熱気に溢れている。マーラーはオケの機能をフルに使うようなオーケストレーションを施しており、ピッチカートやコルレーニョ奏法(弦楽器の弦を弓の木の部分で叩いて音を出すこと)を駆使し、コントラバスの木の部分を叩いて音を出すなど当時としては実験的なことをやっている。三味線のような音がすると思ったら、ハープの弦の一番下、つまり床に近い部分を弾いた音だった。
第2楽章の鋭さ、第3楽章の優しい表情などもいい。

最終楽章はオケ団員が体力、精神力ともに疲れたのか、あるいはマーラー独特のあまりにも変化の激しい曲想のせいか、多少雑然としたがそれでも優れた演奏だ。ちなみにハンマーの音は最終稿を採用して2回であった(初演時は3回でこれを採用する指揮者もいる)。

終演後、割れんばかりの拍手。大阪フィル史上に残る演奏となるだろう。前任者の朝比奈隆はドイツもののなかで唯一マーラーが苦手だった。大植とならこれからもマーラーの名演が期待できるはずだ。

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2008年2月19日 (火)

「未来世紀ブラジル」オリジナル・サウンドトラック

管理社会の怖ろしさを描くディストピア映画「未来世紀ブラジル」(テリー・ギリアム監督作品)のオリジナル・サウンドトラックを紹介します。

「未来世紀ブラジル」オリジナル・サウンドトラック マイケル・ケイメンが音楽を担当。名曲「ブラジル(ブラジルの水彩画)」がほぼ全編にわたってフィーチャーされています。

「未来世紀ブラジル」のラストは全く救いがないという暗いものなのですが(暗すぎるという理由でアメリカではハッピーエンド版が編集され、公開された)、暗いラストに明るい「ブラジル」の音楽が重なることで影の部分が強調され、絶望感がより一層深まるのが印象的でした。

「陽のあたる教室」、「ダイ・ハード」シリーズ、「リーサル・ウェポン」シリーズなどの音楽を手掛けたマイケル・ケイメン(1948-2003)のスコアは、甘さ、暗さ、華やかさなどの様々な要素が絡まった優れたものです。タイプライターの音にサンバのリズムを重ねた「ザ・オフィス」、ラストで流れる熱狂的な「ブラジルの水彩画・サンバ」などは秀逸。

未来世紀ブラジル/Brazil - Michael Kamen

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2008年2月18日 (月)

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 ワーグナー「ニーベルングの指輪」ハイライト

アメリカの一地方オーケストラに過ぎなかったクリーヴランド管弦楽団を全米トップ5の座にまで押し上げたジョージ・セル。
セルの持ち味は自らが鍛え上げたクリーヴランド管弦楽団の技術を生かした明晰な音楽作り。やや誇大妄想的で濃厚なワーグナーの音楽とセルの音楽性は水と油のようにも思えますが、セルの個性がワーグナーの毒を中和しており、聴きやすい演奏になっています。

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 ワーグナー「ニーベルングの指輪」ハイライト 「ニーベルングの指輪」ハイライト(ソニー・クラシカル)は、1968年、セルの死の2年前の録音。楽劇「ニーベルング指輪」の有名曲をオーケストラだけで演奏したCD。

アメリカ的なゴージャスで明るい音色と迫力を持つ、爽快なワーグナー。「爽快なワーグナー」というと妙な感じもしますが、ドイツ本流の演奏を「ドロドロとしていて苦手」、「ナチスとの関連を感じさせて嫌だ」と感じる人は、こうした演奏を聴いてみるのも良いと思います。

長大な楽劇「ニーベルングの指輪」入門用のCDとしてもお薦めです。

ワーグナー/Music From Ring: Szell / Cleveland.o

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2008年2月16日 (土)

簡単そうなこと

苦もなく出来ることを「赤子の手をひねるよう」という。しかし、実際、赤子の手をひねることは簡単だろうか? 物理的には簡単だろうけれど、人間には良心というものがある。良心というものがあるため、赤子の手をひねることは極めて難しいこととなる。

本当のことを言うというのも難しい。本当のことは「本当だ」と確信しているのだから口にしようと思うのは難しいことではない。だが人間には良心と想像力と世間体と他者との関係がある。それらが実際にある限り、本当のことを伝えるのは困難だ。

ある意味、簡単なことほど難しいのだ。そうでなかったら人類はどうして言葉による伝達をこれほど高度化させなければならなかったのだろう。簡単なことを簡単に捉えることも簡単に伝えることも簡単ではなかったからではないのか。

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2008年2月15日 (金)

日本史必修

神奈川県教育委員会が県立高校での日本史必修を決めたそうですが、私が高校生だった頃(1990年代前半)、私が生まれ育った千葉県の公立高校の多くは、日本史、世界史、地理、公民(現代社会)、政治経済の全てが必修でした。私の高校では1年が「地理」と「公民」必修、2年が「世界史」必修、3年が「日本史」と「政治経済」必修でした。当時はそれが普通だと思っていたのですが、他の都道府県ではそうでもなかったようで。

理想としては「日本史」、「世界史」、「地理」、「公民系科目(現代社会+政治経済)」は全て必修が良いと思うのですが、私立高校では大学受験に有利に働くよう一科目に集中させるということもありそうなので、対抗策として全科目必修には踏み切れないのか。しかし、「日本史」、「世界史」、「地理」、日本の社会や法律への知識が十分になくて大学生になっても良いものなのかどうか。問題は根深そうですね。

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ステロイド

運動選手のドーピング疑惑などで話題になるステロイド。

ステロイドにも色々な種類があって、筋肉増強に使われるのは最も強力な種類のステロイドのようです。

ただ、抗炎症剤として用いられるステロイドも効き目が強力な分、副作用も強く出ます。

抗炎症剤に使われるステロイドは「副腎皮質ホルモン」という日本名からもわかる通り、実は生薬だったりします。炎症を抑える成分は人間の体内にもあり、これがステロイドなのですが、アレルギーの症状が酷い場合は体内にあるものでは足りなくなるので、同じ構造のものを薬として用いるわけです。ステロイド剤を使いすぎると、副腎からステロイドが十分に出なくなってしまうこともあり、これも怖ろしい副作用の一つ。

ステロイドの副作用として最も有名なのは太りやすくなること。顔が丸くなるのも特徴で、ムーンフェイスと呼ばれています。
その他には、血管への異常が出やすかったり、皮膚が一層弱くなったりします。

なぜ、ステロイドについて書いているかというと、私自身、ステロイドを使うことが多いためです。アレルギー体質なので、湿疹、喘息、アレルギー性結膜炎などで、ステロイドのお世話になることになります。副作用が強いので、なるべくなら使いたくないのですが、現時点では、ステロイド以上に有効な治療薬はなく……。

医薬の進歩に期待します。

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2008年2月13日 (水)

ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 「ベートーヴェン交響曲全集」

NHK交響楽団の名誉指揮者(のちに名誉桂冠指揮者)としておなじみだったウォルフガング(ヴォルフガング)・サヴァリッシュ(1923- )。現在は指揮活動から引退してしまいましたが、日本人にとって最も馴染みの深いドイツ人指揮者でもありました。

そんなサヴァリッシュがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)と録音した「ベートーヴェン交響曲全集」。EMIによって録音・販売されてきましたが、オランダの廉価レーベルであるブリリアント・クラシックスからライセンス発売もされています。

ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 「ベートーヴェン交響曲全集」(ブリリアント・クラシックス盤) こちらがそのブリリアント・クラシックスから発売されている「ベートーヴェン交響曲全集」のBOXジャケット。

ドイツ正統派の指揮者として、バイエルン国立歌劇場の音楽総監督にまで上り詰めたサヴァリッシュ。若い頃にウィーン交響楽団の指揮者をしていたときには、その実力に、ウィーン国立歌劇場の音楽監督だったヘルベルト・フォン・カラヤンも恐れをなしたと言われていますが、その後のサヴァリッシュはドイツ音楽界のための地道な活動に徹し、音楽界の覇権争いに加わることはありませんでした。

そんなサヴァリッシュのベートーヴェンは正統派であるが故に、「個性がない」、「平凡」と称されたりもしますが、個性を競う指揮者達の中にあって、ベートーヴェンの音楽そのものの再現に最大の力を注ぐ指揮者達の存在も重要です。指揮者の個性を聴くのはオーケストラを聴く最大の楽しみの一つですが、個性派指揮者のベートーヴェンばかり聴いていると、指揮者を聴いているのかベートーヴェンを聴いているのか判然としなくなることがあります。

こういうときに聴くと良いのが正統派のベートーヴェン演奏。サヴァリッシュとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の「ベートーヴェン交響曲全集」はそうした正統派のベートーヴェン演奏の中でも最も安心して聴けるセットです。

目新しいところは特にありませんが、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の高貴な音色を生かしつつ、ベートーヴェンの交響曲そのものの素晴らしさを示す好演揃い。
フルプライスでは勧めにくいセットですが、ブリリアント・クラシックスから出ている激安盤であり、価格に比して内容が極めて良いということで大いに推薦します。

ベートーヴェン/Comp.symphonies: Sawallisch / Concertgebouw O

Royal Concertgebouw Orchestra & ウルフガング・サバリッシュ

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観劇感想精選(29) 兵庫県立ピッコロ劇団・秋浜悟史追悼公演

2006年6月13日 兵庫県尼崎市の兵庫県立ピッコロシアターにて観劇

尼崎へ。兵庫県立ピッコロシアターで行われる秋浜悟史追悼公演を観るためである。

秋浜悟史は、1934年、岩手県渋民村の生まれ。石川啄木と同郷である。早稲田大学在学中に演劇を始め、卒業後は岩波映画で助監督や脚本の仕事をしていたが8年後に退社。劇団三十人会を創設し、劇作・演出・劇団代表としての活動を開始し、第1回紀伊國屋演劇賞や岸田国士戯曲賞を受賞する。しかし、劇団三十人会は7年で解散、秋浜は京都に転居する。その後、更に奈良に移った秋浜は、大阪芸術大学、ピッコロ演劇学校、兵庫県立宝塚北高校などで教鞭を執るようになる。1994年に、今回、追悼公演を行う兵庫県立ピッコロ劇団を創設、劇団代表を長きに渡って務めた。2005年の7月に他界している。

今回上演されるのは、第1回紀伊國屋演劇賞を受賞した「喜劇 ほらんばか」と、秋浜の演出で連続上演を行った清水邦夫作品から「楽屋 ─流れ去るものはやがてなつかしき─」の2本。演出は文学座の鵜山仁。

「喜劇 ほらんばか」は東北弁を使った芝居である。
東北地方のとある寒村。かってはその村の指導者的立場にあった青年、工藤充年は、ある事件をきっかけに、毎年春になると「ほらんばか」(ほら吹き男)になってしまう。今日も牛舎の前で一人ぶつくさと語り続ける工藤、そこへ野間さち、野間なちの姉妹が工藤をからかいに来る。実は野間さちは工藤を愛しているのだが、彼がほらんばかであるために結婚できない。他の男との結婚を決めようと思うと、さちは工藤に打ち明けるのだった……。

小説を読んでいるような、あるいは小説で読んだ方が良いような物語である。もちろんラストの迫力は小説では絶対に出せないし、映画にすると大仰で、演劇として表現する意義はある。ただ工藤が場を外している間に、さちが妹のなちに工藤の来歴を語ったりと、演劇としてのスタイルの古さはどうしても否めない。上演時間40分の短編で、よくまとまってはいるのだが、それ以上のものを望みたくなる。
演技面では、心理表現が類型化されているのが気になった。心の変化が四角四面なのである。典型的な「喜・怒・哀・楽」がシステマチックに入れ替わるだけで、その間のグラデーションに乏しい。それだけに登場人物の心理状態はよくわかるが、人物としての奥行きに欠けるのである。とはいえ、この欠点は役者の演技力や鵜山の演出よりも秋山の脚本に因るところが大きいように思う。やはり当時はこれが正統的な演劇だったのだろう。悲劇的色彩が濃い劇なのに、「喜劇」と銘打っているのはチェーホフの影響だと思われる。

清水邦夫の「楽屋 ─流れ去るものはやがてなつかしき─」。
ある劇場の楽屋。亡霊となった二人の女優がメイクをしている。彼女たちが舞台に上がることは永遠にない。しかし、女優への思い入れが強いのか、ずっと楽屋に居続けているのである。太平洋戦争の空襲で顔に傷を負った女優Aと、男に騙されて自殺未遂をしたことのある(あるいは自殺してしまったのか)女優B。二人とも女優としてはうだつが上がらず、生涯プロンプターとして終わった。
劇場ではチェーホフの「かもめ」が上演されている。ニーナを演じている女優Cは不満を抱えつつも女優であることに誇りを持っているようだ。そこへ、精神病院を退院したばかりの女優Dが現れる。「病気が良くなったのでニーナ役を返して欲しい」と女優Cに迫る女優D。しかし女優Dはプロンプター専門であり、実はニーナを演じていたというのは彼女の妄想なのだった。しつこく迫る女優Dの頭を思わず殴りつけてしまう女優C。女優Dは楽屋を去るが、打ち所が悪かったのか、亡霊となって再び現る……。

あらすじだけ書くと悲劇かホラーのようであるが、実はコメディーである。「かもめ」のニーナ役や、「三人姉妹」のオーリガ、マーシャ、イリーナに女優の感情と苦悩と本質を重ねる手法は斬新ではないが巧い。4人の女優も好演。演出も舞台美術も良く、素敵な舞台になった。
「良いものを観たな」、と思う。帰りの電車の中でも幸せ気分は持続する。

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2008年2月12日 (火)

観劇感想精選(28) 串田和美演出 安部公房「幽霊はここにいる」

2006年2月15日 滋賀県大津市の「びわ湖ホール」中ホールにて観劇

大津へ。びわ湖ホール中ホールで、串田和美(くしだ・かずよし)演出の舞台「幽霊はここにいる」を観る。作:安部公房。出演は小澤征悦、毬谷友子、内田紳一郎、通山愛理ほか。当初は串田も出演する予定だったが、体調不良で降板した。

「幽霊はここにいる」は1958年、千田是也の演出により俳優座で初演。串田の演出による上演は1998年以来2度目である。

1958年に書かれたものだけにオールドファッションであることは否めない。しかし現代にも通ずるものはある。時代は変われど人間と人間が生み出す社会という現象はそれほど変わるわけではない。安部公房の本は人間と社会の本質を突いているだけに普遍性があるのだ。

終戦直後、北浜市という街。稀代の詐欺師・大庭三吉(内田紳一郎。当初は串田が演じる予定だった)がたき火に当たっていると、兵服姿の深川啓介(小澤征悦)という男がやって来る。深川は戦友の幽霊を連れて歩いていると言い、幽霊の身元探しのために死人の写真を集めたいと大庭に語る。これを聞いた大庭は幽霊で一儲けしようとたくらみ、「死人の写真買います」というチラシを街中に貼り、写真を持ってきた人に預かり証だけを渡す。そして、大庭を偵察していた新聞記者の箱山を見つけて脅し、「家なき幽霊に愛の手を」という記事を書かせることで、気味悪がって写真を返して貰いたいと言ってきた人から法外な引き取り領をせしめる。しかし幽霊の要求は次第にエスカレートしていき……。

幽霊という「虚」の存在が現実の社会をかき回すという物語。脚本は時代を感じるし洗練度も不足気味だが、「虚」が力を持って金を生み、その金がまた力を持って「虚」を「現実」化していくというシステムは、「ライブドア事件」などを想起させる。
虚業や株といった不明瞭なものに人々が惹かれ、空洞化した経済のシステムだけが「化け物」のように膨張していく。バブル経済の正体もまた同じものだったのだろう。世の仕組みは初演時からあまり変わっていないようだ。
話の展開や背景に古くささがあるのは仕方ない。しかし描かれていることは今もなおアクチュアリティを失っておらずホットである。興味深い舞台であった。

楽器の生演奏を取り入れて舞台を盛り上げるいつもの串田スタイルも健在。エンターテイメントとしてもかなり成功していたように思う。

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2008年2月11日 (月)

一片の骨から全体を想像する考古学者のように

一片の骨から全体を想像する考古学者のように、私は社会というものを捉えるしかない。

架空の全体に一片の骨を無理矢理合わせるようなことはしたくない。間違った結論に事実は決して合わない。

全能や絶対は人間の弱さから生まれるもの。そんな弱さを正義としていいものかどうか。

とにかく結論は永遠に出ない。永遠に出ないから人は生きるしかなく、人が生きる意味もある。

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2008年2月10日 (日)

原田知世 「music&me」

原田知世の芸能活動25周年を記念して作られたアルバム「music&me」(イン・ザ・ガーデン・レコーズ/ヒップランド・ミュージック・コーポレーション)を紹介します。

原田知世 「music&me」 プロデューサーに伊藤ゴローを迎え、作家陣に大貫妙子、鈴木慶一ら、演奏に高橋幸宏など豪華なメンバーが加わっています。

ビートルズナンバーのカバーである「I Will」、大貫妙子作品のカバーである「色彩都市」、最新曲である「くちなしの丘」、セルフカバー曲「シンシア」、「時をかける少女」の新バージョンなどを収録。

原田知世の若さを失わない、そよ風のような歌声に浸ることの出来る一枚です。

原田知世/Music & Me

原田知世

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2008年2月 8日 (金)

エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団 チャイコフスキー交響曲第5番、「スラブ行進曲」

長年に渡りロシア国立交響楽団(ソビエト国立交響楽団)の指揮者を務め、ロシア音楽界の顔の一人として、またたびたびの来日で知られたエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928-2002)。

晩年のスヴェトラーノフは、NHK交響楽団の指揮台にほぼ隔年で招かれ、数々の名演で日本の聴衆を魅了しました。

エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団 チャイコフスキー交響曲第5番、「スラブ行進曲」 今日紹介するのは、1997年9月5日にNHKホールで行われた、NHK交響楽団第1328回定期演奏会をライブ収録したCD。NHKの放送用音源をキング・レコードがCD化。曲目は、チャイコフスキーの交響曲第5番と「スラブ行進曲」。

実は私は、この演奏が収録された翌日、1997年9月6日の定期演奏会を聴いています(NHK交響楽団は同一プログラムの演奏を2回行う)。日本のオーケストラによるものとは思えないほど重厚感のあるパワフルな演奏が繰り広げられ、スヴェトラーノフとN響の相性の良さがわかる優れた演奏会でした。

チャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章を演奏する前にスヴェトラーノフは客席の方を向き、「アンダンテ・カンタービレ、イン・メモリー・オブ・プリンセス・オブ・ウェールズ,ダイアナ」と英語で語り、1週間前に亡くなったイギリスのダイアナ妃追悼のための演奏とすることを告げました。
NHK交響楽団首席ホルン奏者の松崎裕のソロが素晴らしかったこともあり、感動的な演奏であったことを憶えています。

この9月5日の演奏もやはり松崎裕のソロが素晴らしく感動的な仕上がり。この日も、第2楽章直前にスヴェトラーノフのスピーチがあったようですが、CDでは残念ながらカットされています。

第2楽章のみならず、交響曲第5番は全曲を通しての名演。

「スラブ行進曲」もスヴェトラーノフの演奏スタイルの決まり文句であった「重戦車のような」がピタリと嵌った好演です。

チャイコフスキー/Sym.5 Marche Slave: Svetlanov / Nhk.so

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2008年2月 7日 (木)

観劇公演パンフレット(24) 「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」

「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」の公演パンフレットを紹介します。2008年1月4日、大阪・茶屋町のシアター・ドラマシティにて購入。
マーティン・マクドナー作、長塚圭史演出の公演です。
出演、大竹しのぶ、白石加代子、田中哲司、長塚圭史。

「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」公演パンフレット

パンフレットには、舞台となったリナーン(現地の発音により近い表記は「リーナン」)についての説明、アイルランド系イギリス人である作者のマーティン・マクドナーとアイルランド演劇について、「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」をより深く理解するための用語集、写真家の藤原新也によるアイルランド旅行のエッセイなどが載っています。

 

「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」概要と感想

午後7時より、シアター・ドラマシティで、「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」を観る。「ウィー・トーマス」で知られるイギリスのアイルランド系劇作家、マーティン・マクドナーの戯曲を、やはり「ウィー・トーマス」の長塚圭史(阿佐ヶ谷スパイダース)が演出。テキスト日本語訳:目黒条。
出演者は、大竹しのぶ、白石加代子、田中哲司、長塚圭史の4人だが、モーリーンを演じる大竹しのぶとマグを演じる白石加代子の2人が大きな比重を占め、男優2人の役はそれほど大きくはない。

マクドナーの戯曲で、タイトルが「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」とあっては、どう考えても陰惨な芝居である。また実際そうなのだが、ラストは暗さや惨めさもさることながら、寂しさが勝っているようにも見えた。

ストーリーは比較的単純で、新鮮味にも欠けるが、それだけに役者の腕がものをいうタイプの芝居である。

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2008年2月 6日 (水)

コンサートの記(6) サー・ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団来日公演

2004年11月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールでサー・ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団のコンサートを聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラム。

最初は「エグモント」序曲。透明な弦の響きを生かし、音の強弱の付け方も独特でユニークな演奏だ。トランペットとトロンボーンは古楽器のものを使っている。

ピアノ協奏曲第1番。独奏は児玉姉妹の妹、児玉桃。演奏前に会場に驚きの声が上がる。ピアノがあたかも引き振りをするときのように鍵盤が客席側に向けられる。正面の客はピアニストの背中を見ることになる。さらに、ピアノを取り囲むように、弦楽奏者の椅子が車座に並べられる。コンサートマスター(今回は女性だったので正確にいうとコンサート・ミストレス)も客に背中を見せて座る。指揮者は車座の中央、ピアノの横に立つ。
児玉桃のピアノは煌びやかな音色を生かす。テクニックもいうことなし。女性的な演奏であり、優男のベートーヴェンという感じ。
ノリントン指揮のオーケストラは本当に済んだ響きを出す。弦などカルテットを聴いているときのように透明な音色だ。

メインは交響曲第5番。速めのテンポを取り、すっきりとしたベートーヴェン像を描き出す。第1楽章のラストでノリントンが観客の方を向いて大見得を切る。客席から笑いが起きる。ノリントンという指揮者、なかなかの役者だ。
ノリントン、決めるところでは格好良く、大袈裟に決める。普段より身振りが派手なようで、第2ヴァイオリンの女性奏者が横の奏者を見てそっと笑っている。
ティンパニの鳴りが凄い。ノリントンは「これからティンパニが凄いですよ」とジェスチャーで示す。
楽しい第5だ。凄みはまるでないが痛快だ。フルトヴェングラーの第5が完全に過去の演奏になった気がする。

アンコールはメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』より「スケルツォ」。ノリントンは完全に客席の方を向いて体を揺すったりしている。さすがにやりすぎの気もするが面白いおじいさんだ。

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2008年2月 5日 (火)

「沙粧妙子 最後の事件」オリジナル・サウンドトラック

浅野温子は数多くのテレビドラマに出演していますが、個人的に彼女の代表作だと思っているのは、1995年にフジテレビ系列で放送された「沙粧妙子 最後の事件」です。
今日は、そのオリジナル・サウンドトラックを紹介します。音楽を担当しているのは、その後、大河ドラマの音楽なども手掛けることになる岩代太郎。

「沙粧妙子 最後の事件」オリジナル・サウンドトラック 映画「羊たちの沈黙」やドラマ「ツイン・ピークス」などの影響を受けたシリアルキラードラマ「沙粧妙子 最後の事件」。美しい死体が登場するところなどは「ツイン・ピークス」そのままだったりします。

IQ160の天才犯罪者、梶浦圭吾(升毅)が精神病院から脱走。梶浦はかっては警視庁科学捜査研究所(科捜研)のプロファイリングチームの責任者だった。科捜研時代に梶浦の仕事仲間であり、恋仲でもあった沙粧妙子(浅野温子)は、現在では警視庁捜査一課に入り、梶浦の行方を追っている。梶浦に唆されたことが原因と思われる猟奇的な殺人事件が街では次々に起こっていた……。

出演:浅野温子、柳葉敏郎、佐野史郎、黒谷友香、飯島直子、蟹江敬三、升毅ほか。

関西演劇界を代表する舞台俳優だった升毅はこの作品で一躍メジャーになりますが、その後も何年かは梶浦のイメージから抜け出せずに苦労することにもなりました。

人間のダークサイドに切り込んでいく不気味なドラマですが、岩代太郎が書いた音楽もドラマの内容に負けずおどろおどろしいもの。この音楽を聴いて寝た日は悪い夢を見そうです。

CDは廃盤になっていますが、中古CDやネット検索すれば手にはいるかも知れません。

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プロ野球の日 プロ野球関連ユニーク占い集

2月5日は「プロ野球の日」。
ということで、プロ野球関係の占いを集めてみました。
簡単に占いを作ることのできる同一ツールで作成されたものが多いので、精度に関しては「?」ですが、お遊びなので気軽に楽しみましょう。

「12球団占い」 http://u-maker.com/218356.html
ちなみに私の結果は、「広島(カープ)」でした。

「阪神占い」 http://uranai.am/7873/
私の結果は、快速右腕「藤川(球児)選手」でした。

「スワローズ占い」 http://uranai.am/6152
私の結果は、甲子園最速男、ゴールデンルーキーの「佐藤由規投手」でした。

「北海道日本ハムファイターズ占い」 http://uranai.am/13358/
私の結果は、日本のエース「ダルビッシュ有タイプ」でした。

「巨人占い」(相性占い) http://u-maker.com/70486.html
私と相性が良いのは、史上最強の1番打者「高橋由伸選手」でした。

「横浜ベイスターズ占い」 http://uranai.am/5320/
私の結果は、メカゴジラ(って今でもいうのか?)「佐伯(貴弘)タイプ」でした。

「千葉ロッテマリーンズ占い」 http://u-maker.com/181474.html
私の結果は、WBCベストナインの「里崎(智也)選手」でした。

「ソフトバンクホークス占い」 http://uranai.am/6404/
私の結果は、左のエース「和田毅投手」でした。

なお、「阪神占い」と「ソフトバンクホークス占い」の性格分析は完全に同じ内容でした。ということは、藤川球児と和田毅は同じタイプってことか? 二人とも奪三振の多いピッチャーだけれど。

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2008年2月 4日 (月)

レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル モーツァルト「後期6大交響曲+交響曲第25番&第29番」

レナード・バーンスタインが1980年代にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してライブ収録したモーツァルトの後期6大交響曲(交響曲第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」、第38番「プラハ」、第39番、第40番、第41番「ジュピター」)+交響曲第25番&第29番のCDを紹介します。ドイツ・グラモフォンの3枚組廉価シリーズ「TRIO」から出ているセット(輸入盤)。

レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル モーツァルト「後期6大交響曲+交響曲第25番&第29番」 小編成による軽やかなモーツァルトが主流の昨今ですが、1980年代にはまだ大きな編成によるモーツァルトが一般的でした。
レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)とウィーン・フィルの演奏は、80年代に録音されたモーツァルトとしては最良のものの一つ。時に豪快、時に優美、時に爽快なモーツァルトです。

悲壮な美しさを追求した交響曲第25番、細かな表情と湧き上がるような生命力が印象的な交響曲第35番「ハフナー」、第2楽章の天国的な響きが素晴らしい交響曲第39番などは特に秀逸。

交響曲第40番が、嘆きの表情を意識したのか、レニーらしくない大人しい演奏になってしまっているのが残念ですが、それ以外の曲は全て名演です。

モーツァルト/Sym.25 29 35 36 38 39 40 41: Bernstein / Vpo

Leonard Bernstein & Wiener Philharmoniker

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2008年2月 3日 (日)

三谷幸喜・文 唐仁原教久・絵 『俺はその夜多くのことを学んだ』

売れっ子脚本家、劇作家の三谷幸喜。しかし、彼は自身の戯曲が世に出るのを好まない人なので、彼の作品を読みたいと思っても、いくつか出ているシナリオ、エッセイ、小説などしか選択肢がありません。

三谷幸喜・文 唐仁原教久・絵 『俺はその夜多くのことを学んだ』(幻冬舎文庫) 『俺はその夜多くのことを学んだ』(幻冬舎文庫)は、三谷幸喜が書いた短編小説。ページ数はそこそこありますが、文章は1ページにつき、1~10行ほどで、他のスペースは唐仁原教久(とうじんばら・のりひさ)の絵が占めています。

分量的には物足りないかも知れませんが、内容はいかにも三谷らしい、駄目な男の駄目な話で、笑えてちょっぴり切なくなります。唐仁原教久の絵も面白く、読んで損はしないと思います。

三谷が書いたドラマ「今夜、宇宙の片隅で」などが好きな人にはお薦めの一冊です。

三谷幸喜:文、唐仁原教久:絵 『俺はその夜多くのことを学んだ』(幻冬舎文庫) 紀伊國屋書店BookWeb

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「国盗りカウンター」

このブログの左側バー、一番下に9日前から設置されている「国盗りカウンター」。キャラクターは島津さんの家紋をつけているのに、島津さんのお膝元からは一向に訪問者がありませんなあ。

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「現実」そのものを生きることは出来ない

人間が知覚し、意識し、決定し、想像し、創造する存在である以上、「現実」そのものを生きることは出来ないし意味がない。

人間とは、絶えず、内的な意識の世界と外的な現実の世界を行き来する現象である。もし外的な現実のみを生きるとするなら、そこに想像が入ってはいけないことになる。決定一つ下すにも想像と記憶と意志が働いている。もしそれらが働いていないというなら人間は人間らしい営みを行うことが出来ないはずだ。

「現実」そのものは人間を屈服させない。「現実」はある意味、唯物的な現象でしかない。予定調和は存在しない。人間を服従させるのは内的な意識であることが多く、それを生み出す要素が「現実」にあるのかどうかは定かではない。定かではないものにしばしば人間は頭を垂れる。

定かでない「現実」そのものを生きているかのように錯覚することは歩みを止めることである。未来は決まっておらず、自身は未決定で、世界は拡がる余地がある。

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2008年2月 2日 (土)

あをによし

「あをによし」は「奈良」の枕詞です。

「あをによし」とは不思議な言葉ですが、「あをに」とは「青丹」で、「青い土」という説と、「青」と「丹」で、奈良の都の青い瓦と丹の色(赤っぽい色)の柱のこととする説があります。

ところで、予備校で教わった古文の先生は、若いときに「あをによし」=「奈良の枕詞」とだけ憶えていて、意味を知らなかったそうで、ある日の授業で生徒に質問を受けて、焦ったそうです。

彼はとっさに、「奈良といえば羅城門で、都に入るには、そこで門番をしている青鬼の調べを受け、『良し』と言って貰う必要があった」と、“何だかなー”の嘘をつきました。

家に帰って本当の意味を調べてきた古文の先生は、翌日、何食わぬ顔で、「青鬼が『良し』なんて本気にしたの? 冗談だよ」といって取り繕ったとか。
授業中の笑い話として喋っていたことなので、本当にあったことなのか作り話なのかはよくわかりません。しかし、もし本当だとして、「あをによし」=「青鬼良し」だと信じた生徒はいたのかな? いなかったんじゃないだろうか。

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