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2008年2月 3日 (日)

「現実」そのものを生きることは出来ない

人間が知覚し、意識し、決定し、想像し、創造する存在である以上、「現実」そのものを生きることは出来ないし意味がない。

人間とは、絶えず、内的な意識の世界と外的な現実の世界を行き来する現象である。もし外的な現実のみを生きるとするなら、そこに想像が入ってはいけないことになる。決定一つ下すにも想像と記憶と意志が働いている。もしそれらが働いていないというなら人間は人間らしい営みを行うことが出来ないはずだ。

「現実」そのものは人間を屈服させない。「現実」はある意味、唯物的な現象でしかない。予定調和は存在しない。人間を服従させるのは内的な意識であることが多く、それを生み出す要素が「現実」にあるのかどうかは定かではない。定かではないものにしばしば人間は頭を垂れる。

定かでない「現実」そのものを生きているかのように錯覚することは歩みを止めることである。未来は決まっておらず、自身は未決定で、世界は拡がる余地がある。

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