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2008年3月の29件の記事

2008年3月31日 (月)

ロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団 プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」全曲

20世紀が生んだ最高のバレエ作品といわれる、セルゲイ・プロコフィエフ作曲の「ロメオとジュリエット」(シェイクスピアの原作は「ロミオとジュリエット」ですが、シェイクスピアが活躍した英国がクラシック音楽大国ではなかったためか、クラシック作品のタイトルとしてはイタリア語の読みの「ロメオとジュリエット」が普及しています)。
バレエ作品の初演というと、チャイコフスキーの「白鳥の湖」やストラヴィンスキーの「春の祭典」のように、大失敗に終わったり、大混乱に陥ったりというが多いのですが、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」だけは例外で、1940年に行われた初演は大成功。「ソヴィエト文化史上に残る記念碑的作品」とまで賞賛されました(その代わり、初演に漕ぎ着けるまでの道のりが大変だったのですが)。

プロコフィエフらしい刺激的な響きとロマンティックで甘美なメロディーを併せ持つ「ロメオとジュリエット」。初演を行ったのはキーロフ劇場(マリインスキー劇場)で、マリインスキー歌劇場管弦楽団を指揮したゲルギエフ盤も良い出来ですが、まずは、ロマンティシズムと刺激的な響きのバランスの良いマゼール盤(DECCA)を推薦しておきます。

ロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団 プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」全曲 1973年の録音。1970年に亡くなったジョージ・セルの後任としてクリーヴランド管弦楽団のシェフの座に就いたロリン・マゼールのクリーヴランド時代を代表する音盤。

クリーヴランド管弦楽団の技術力と卓越した音色を生かし、且ついかにもマゼールらしい才気とリズム感の良さを加えた演奏で、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」という作品に人々が求めるであろう要素が全て入っています。DECCAの録音も最近のものと比べても遜色がないほど優秀で、膨大なディスコグラフィーを誇るロリン・マゼールの代表盤といっても差し支えないほどの仕上がりです。

プロコフィエフ/Romeo & Juliet: Maazel / Cleveland.o

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観劇感想精選(31) 燐光群 「チェックポイント黒点島」

2006年12月13日 大阪・なんばの精華小劇場にて観劇

大阪へ。なんばにある精華小劇場で、燐光群の「チェックポイント黒点島(こくてんじま)」を観る。作・演出:坂手洋二。竹下景子、渡辺美佐子という二大女優を迎えての公演である。特に竹下景子は小劇場の舞台に立つのは初めて。竹下本人が燐光群の舞台を観て感動し、出演を申し込んだという。ミーハーな見方だが、竹下景子を間近で見ることが出来るというだけでも価値のある公演だ。
かってベルリンを東西に分けていたベルリンの壁。その西側の検問所である「チェックポイント・チャーリー」。舞台にはチェックポイント・チャーリーのセットが置かれている。

検問所のある「境界」を舞台にした作品であり、非常に面白い。
「受け入れ」と「拒絶」という二面性を持つ「境界」。ベルリンの壁、竹島や尖閣諸島などそれら巡る各国の思惑がぶつかる「境界」。自己と他との「境界」。いくつもの物語を生む「境界」上で、世田谷一家惨殺事件、よど号ハイジャック事件と日本人妻事件、大学でのビラまき事件など実際の事件を題材としたドラマが次々浮かぶ。そして新作が書けないでいる漫画家のヒロコ(竹下景子)の家族を巡るストーリーや、ヒロコの現時点で最後の漫画「チェックポイント黒点島」の中での話(東シナ海に突然現れた島、黒点島で太陽の黒点観測を行う科学者夫婦〔竹下景子と猪熊恒和。役者は複数の役を演じる〕と黒点島を自国の領土にしようという、日本、中国、韓国、台湾らの攻防)などが入り乱れる。

黒点の話からは、日本の国旗「日の丸」の太陽には黒点がないことから、日本人が見た日本が絶対ではなく、黒点は太陽の表面に複数現れるということから、複数の外国から見た日本が示され、それもまた絶対ではないことがわかる。希望を感じさせながらもその希望も絶対なのかどうか微妙なラストも印象的。

余談だが、竹下景子演じる女性科学者の夫(猪熊恒和)の正体は科学者ではなく実は写真家というのには思わず笑ってしまった。

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2008年3月29日 (土)

「親切なクムジャさん」オリジナル・サウンドトラック

テレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」でおなじみのイ・ヨンエが悪女役に挑戦した韓国映画「親切なクムジャさん」のオリジナル・サウンドトラックを紹介します。韓国盤。

「親切なクムジャさん」オリジナル・サウンドトラック 「親切なクムジャさん」は幼児誘拐をテーマにした復讐劇。無実の罪で13年服役したイ・クムジャという女性が真犯人に復讐するまでを描いたもので、強烈な残虐シーンがあるなど、万人にはお薦め出来ませんが、オリジナル・サウンドトラックは、バロック音楽をモチーフにしたチョ・ヨンウクの哀切にして美しいオリジナル曲と、ヴィヴァルディの協奏曲やパガニーニの「24のカプリース」より第24番などのクラシック音楽が入っており、クオリティも高く、映画ファンのみならず音楽ファンも楽しめる出来で、万人にお薦め出来ます。

デジパック仕様で、ライナーノーツにはクムジャさんを演じるイ・ヨンエのミニ写真集とチョ・ヨンウク作品のオーケストラスコアが付いています。韓国盤なのでハングルしか書かれていないのが難点ですが、音楽を楽しむ上では何の問題もありません。

Soundtrack/親切なクムジャさん

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2008年3月28日 (金)

私選 プロ野球・記憶に残る名勝負(4) 桑田真澄 対広島カープ戦 プロ入り初完封

現役引退を表明した桑田真澄投手。

桑田が演じた名場面で記憶に残るものは多く、PL学園時代に池田高校の水野雄仁から放ったホームランや、ルーキーイヤーに初勝利を挙げた対阪神戦、1994年のペナントレース最終戦、巨人対中日の勝った方が優勝という試合(10・8決戦)で胴上げ投手になった場面などがありますが、私の記憶に残っているのは、1987年、札幌円山球場でプロ初完封を達成した試合。この試合で桑田はバッターとしてもホームランを放つなど全打点を一人で叩きだし、まさにワンマンショーを演じてみせました。

札幌円山球場での北海道シリーズは平日のデイゲームでしたが、丁度この日は中学の期末試験の期間であり、家に早く帰っていたので、テレビ中継を見ることが出来ました。最後のバッターを外野フライに打ち取り、頭の上でグラブをポンと叩いた桑田の姿は今でもよく憶えています。

桑田真澄のプロ入り初完封試合を含むドキュメンタリー映像(YouTube)

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2008年3月25日 (火)

コンサートの記(8) シプリアン・カツァリス ピアノ・リサイタル2006

2006年10月15日 兵庫県立芸術文化センター大ホールにて

午後2時より、兵庫県立芸術文化センター大ホールで、シプリアン・カツァリスのピアノ・リサイタルを聴く。
カツァリスはキプロス人の両親のもと、フランスのマルセイユに生まれ、パリで音楽教育を受けたピアニスト。ファーストネームの「シプリアン」とは「キプロス人」という意味である。
卓越したセンスを持つピアニストであり、人気は高い。兵庫県立芸術文化センター大ホールはチケット完売の盛況であった。

カツァリスは、前半をオール・ショパン・プログラム、後半をオール・リスト・プログラムで固めた。
「やあ」という風に右手を挙げてカツァリス登場。
ショパン・プログラムでは、映画「戦場のピアニスト」で有名になった夜想曲第20番(遺作)、夜想曲第2番、ピアノ・ソナタ第2番より「葬送行進曲」、幻想即興曲、子守歌などポピュラーな曲を中心に全10曲を間断なく引き続ける。この10曲で組曲1つという趣向のようだ。
夜想曲第2番演奏終了後、客席から拍手が起こったが、カツァリスは両手を合わせて、「ありがとうございます。でも拍手は入れないで下さい」という風に一礼。拍手もすぐに止んだ。また幻想即興曲演奏終了後も拍手が起こったが、すでに次の子守歌の左手伴奏を弾き始めていたカツァリスは右手の人差し指を挙げてそれを制した。

定評あるカツァリスのショパンであるが、音色にまず魅せられる。雪が溶けたばかりの冷たい清水のように、凛として透明感あるピアノの響き。
そしていくつかの曲では装飾音を着けて、より自由なショパンを演奏してみせる(ショパン自身も自作を楽譜通りに弾くことはほとんどなく、即興を交えるのが常だったようである)。

兵庫県立芸術文化センター大ホールはステージが広く、天井も高いのでピアノ・リサイタルに向いているのかどうか最初は心配だったが、音はクッキリしていて聴きやすい。カツァリスのピアノはダイナミックレンジが広く、ピアニッシモは本当に微かな音でも音型が良くわかる。
カツァリスのショパンはいずれも完成度の高いものであったが、音型を微妙に崩してみせる幻想即興曲や葬送行進曲、煌めくような音色が印象的な子守歌などが特に印象に残った。

後半のリスト・プログラムでは、カツァリスの超絶技巧が冴え渡る。有名曲は余りないが、カツァリスの語り口の上手さもあって、名曲に聞こえる。ラストの「忘れられたチャールダーシュ」は元々難しいリストの原曲にカツァリス自身が更に装飾音を加えたウルトラC級の難度の曲であったが、やはり本家だけに文句のない演奏を繰り広げ、喝采を浴びる。

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2008年3月24日 (月)

デスバレエ(Death Ballet)

彼はいつもこちらを窺っている。だから上手く踊らなければならない。ステップを風に乗せて、音楽を体に敷きつめて。

見えない人には彼は見えない。与えられた幸せの中で眠り続ける人々。与えることなく奪い合う不公正な綱引き。

夜中に目覚めたら、上手く踊らなければならない。目覚められない人々の夢を背負い、空中へと高く飛ぶ。着地のことは考えずに。

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「ミッキーのサッカーフィーバー」

Yahoo!きっずのゲーム「ミッキーのサッカーフィーバー」。ミッキーマウスをキャラクターに用いたPKゲームです。
Yahoo!きっずにあることからわかるように子供用のゲームですが、大人でも楽しめます。

反射神経を養うのにもいいかも知れません。

http://games.kids.yahoo.co.jp/single/021/index.html

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2008年3月23日 (日)

観劇公演パンフレット(26) 文学座 「殿様と私」

文学座の公演「殿様と私」(作:マキノノゾミ、演出:西川信廣)のパンフレットを紹介します。2007年11月17日、兵庫県西宮市の兵庫県立芸術文化センター中ホールにて購入。
パンフレットには、作家、演出家、出演者へのインタビューのほか、演劇評論家・扇田昭彦によるマキノノゾミ讃、演劇評論家・衛紀生による西川信廣讃、舞台となる時代と鹿鳴館の説明、「殿様と私」用語集などが載っています。

文学座「殿様と私」公演パンフレット


「殿様と私」概要と感想

午後2時より兵庫県立芸術文化センター中ホールで文学座の公演「殿様と私」を観る。マキノノゾミ作、西川信廣演出。
出演は、たかお鷹、加藤武、城全能成、松山愛佳、寺田路恵、浅野雅博、星智也、宮沢亜古。

明治19年、東京・麻布に居を構える旧大名、白河義晃子爵(たかお鷹)。明治になってから久しいというのに、白河義晃は西洋化する日本に馴染めないでいた。妻を亡くしてからは酒浸りの日々を送っている白河子爵。白河家の元家老である雛田源右衛門(加藤武)も同様に時代から取り残されている。白河子爵は雛田に髷を切らぬよう命じ、断髪令から17年経った今も雛田は髷を結っている。それを井上馨外務卿の書生達にからかわれた雛田は、書生達に殴りかかるが、返り討ちに遭い、髻を切られてしまう。怒った白河子爵と雛田は鎧兜に身を固めて井上邸に押し入ろうと計画するが、子爵の長男・白河義知に止められる。「時代遅れなことはやめて欲しい」という義知は、井上外務卿が催す鹿鳴館での舞踏会で子爵が誰よりも上手に踊れば井上卿の鼻をあかせると提案。白河子爵もそれに乗り、早速、お雇い外国人で鉄道技師のカートライトの妻、アンナをダンスの教師として招く。しかし、ダンスを軽蔑している白河子爵はレッスンに乗り気でなく、和装をして仏頂面で踊るものだからアンナも頭に来てしまい……。

文学座の公演は、夏に若手による自主公演(ユニット公演)を観ているが、本公演は江守徹主演の「シラノ・ド・ベルジュラック」以来。今回の舞台美術はMONOの奥村泰彦で、なかなかお洒落なセットを組んでいる。MONOの土田英生作・演出の舞台「錦鯉」に出演した、たかお鷹が奥村泰彦を舞台美術に指名したのだろうか。

良い話である。まずマキノノゾミの本が優れている。タイトルからもわかる通り、「王様と私」をモチーフにした作品だが、明治の日本によく合った話と主題を示している。

若手の俳優は開演直後はセリフが流れてしまい、「あれ?」と思わせるところがあったが、すぐに持ち直す。後半、特にジョン・ラング(星智也)というイギリス人の正体を語る下りでの真に迫った演技は感動を与えるに十分であった。

白河子爵が英語ができず、アンナ・カーライルは日本語を理解しない。それ故、役者は日本語でセリフを話すのだが、白河子爵役のたかお鷹と、アンナ役の宮沢亜古は、相手のセリフがわからないという演技をしなければならない。パンフレットでマキノノゾミは、言葉の通じない相手同士を書くのに大変苦労したと述べているが、演じる方も相手につられないよう演技しなければならないので、大変そうである。

明治時代の話で、日本人に対する欧米人の差別意識などの話も出てくるが、それを明治の人種差別に留まらせず、現代人の心の問題にも通じるものとして発展させている。ストーリーも面白いが、この辺の差配も巧みである。

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2008年3月20日 (木)

ワレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団 「春の祭典」&「法悦の詩」

1953年モスクワ生まれ、ロシア連邦のオセチア共和国に育ったワレリー(ヴァレリー)・ゲルギエフ。現役の指揮者としては最もカリスマ性があり、人気と実力においても現代最高の一人と目されている逸材です。

ゲルギエフは長きに渡ってサンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団(旧キーロフ歌劇場管弦楽団)の芸術総監督を務めており、このコンビがリリースした数多くのCDのほぼ全てが世界各国で絶賛をもって迎えられています。

そんな、ワレリー・ゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団ですが、彼らの最高の一枚を挙げるなら、私はストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」とスクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」を収めたCDを選びます。

ワレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団 「春の祭典」&「法悦の詩」 初演時のスキャンダルで知られる通り、パリで初演されたバレエ「春の祭典」ですが、題材は原始ロシアのバーバリズム(初演時の騒動はストラヴィンスキーの音楽そのものよりも、生け贄の風習などの題材に原因があるという説もあり、バレエ初演の翌年にやはりパリで行われた、オーケストラのみによる初演の際は好評を博したというのがその根拠とされています)。

そうした「春の祭典」ですので、威力のあることで知られるロシアのオーケストラで聴いてみたいものですが、これまで、ロシアのオーケストラによる「春の祭典」の決定盤とでもいうべきものはなかなか出てきませんでした。そんな中、世界中のクラシックファンが鶴首して待っていた(というと大袈裟でしょうが)ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団による録音が1999年に行われ、リリースされると同時に、全世界で高い評価を得ました。

外見からして野性味に溢れるゲルギエフ(実際は数学の才能にも恵まれたインテリ)ですが、オーケストラからパワーのある響きを引き出す力は世界でも最高レベル。それも他のロシアの指揮者のように低音と高音を強調した押しの強いものではなく、適度に洗練されたパワフルさが魅力です。

「春の祭典」は、各楽器の出す音の密度が濃く、鋭く、力強く、また他の演奏では聞こえない内声部が強調されていたり、逆に多くの演奏で強奏される部分を軽くしたり、内容、個性ともに充実した演奏です。「春の祭典」の録音は数あれど、最高峰に位置するCDであることは間違いないでしょう。

モスクワ生まれのアレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)は、神秘思想などに共鳴し、「神秘和音」という独特の和声を生み出した異色の作曲家。西欧の作曲家とは明らかに異なる個性を持った作曲家で、やはりロシアの指揮者とオーケストラで聴いておきたい作曲家ですが、ゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団はそうした期待に十二分に応えています。

ストラヴィンスキー/スクリャービン/Le Sacre Du Printemps / Sym.4: Gergiev / Kirov.o

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2008年3月19日 (水)

怖ろしく単純にして自明であり、宣言らしくもない宣言

私が住んでいるのは「演劇界」ではなく「世界」だ。

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2008年3月18日 (火)

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」

スメタナの連作交響詩「わが祖国」。わが祖国=チェコの風景と歴史を音楽で描いた傑作です。第2曲である「モルダウ(ヴァルタヴァ)」は単独でも演奏される有名曲。

チェコの音楽ということで、チェコ音楽界の最高峰であるチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の名演には事欠きません。カレル・アンチェル指揮の録音、ヴァーツラフ・ノイマン指揮の数種の録音、「チェコのカラヤン」ことヴァーツラフ・スメターチェクの録音、ラファエル・クーベリックがチェコ動乱以後初めて母国に帰ってチェコ・フィルを振った「プラハの春音楽祭」での歴史的録音、更に日本人指揮者として初めて「プラハの春音楽祭」のオープニングで「わが祖国」を振った小林研一郎の録音など。

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 スメタナ 「連作交響詩「わが祖国」(NAXOSヒストリカル盤) ただ、そうした多くの録音を抑え、私が最も気に入っているのはヴァーツラフ・ターリヒが指揮した1954年の録音。モノラル録音であり、経年劣化もあって音の彩りや豊かさはその後の録音に一歩譲りますが、ターリヒの指揮のスケールの大きさと、チェコ・フィルの渋い輝きを感じさせる名盤。

今なお「チェコ・フィルはターリヒの時代が最高だった」と語る人は多いようですが(昨年までチェコ・フィルの首席指揮者を務めていたズデニェク・マーツァルもその一人)、そのターリヒの時代のチェコ・フィルの素晴らしさを知るのに最適の記録です。

NAXOSヒストリカルからマーク・オバート=ソーン復刻のCDが出ており、廉価、優れた復刻により楽しむことが出来ます。

スメタナ/Ma Vlast: Talich / Czech Po (1954)

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2008年3月17日 (月)

クラシック音楽情報専門フリー月刊誌 「ぶらあぼ」

クラシック音楽のコンサートというと、ポピュラー音楽のそれに比べて遙かに情報流通量が乏しいという状態が今に至るまで続いています。「ぴあ」などの情報誌はクラシック音楽部門は弱く、クラシック音楽専門月刊誌である「音楽の友」などは値段が高く、情報も東京寄りのものが圧倒的でした。そんな中、1990年代半ばに創刊されたクラシック音楽情報専門無料誌が「ぶらあぼ」です。

クラシック音楽情報専門フリー月刊誌「ぶらあぼ」 左の写真は、2008年3月号の「ぶらあぼ」。247ページあります。
アーティストへのインタビュー、「コンサートぴっくあっぷ」や「コンサートギャラリー」というコンサート案内、チケット発売情報、日本全国各地別のコンサート情報、来日アーティスト案内、クラシックCD&DVD新譜情報、クラシック音楽関連テレビ番組&ラジオ番組欄など、フリーペーパーとしては充実した内容を誇っています。東京MDEの制作。協賛は電子チケットぴあ他。

情報がもう少し整理されて見易いとより良いのでしょうが、無料誌にしては上出来です。

私は創刊当時の「ぶらあぼ」を知っていますが、ページ数は今の半分もなく、CD情報もジャケットの写真などはなくて文字情報だけ。あれから10年以上が経ち、立派な雑誌に成長しました。

「ぶらあぼ」に問題があるとすれば、手に入れられる場所の少なさ。

「ぶらあぼ」創刊当時は私は東京にいて、私が通っていた明治大学駿河台校舎の向かいにあるカザルスホール(現・日本大学カザルスホール)で「ぶらあぼ」を手に入れて、明大の図書館や自習室などで勉強の合間に読んでいました。
その頃も、クラシックホールや大手レコード店、チケットぴあのお店などにしか「ぶらあぼ」は置かれていなかったのですが、その状況は今もそれほど変わらず。
クラシックのコンサートゴーアー自体が日本では(実は西洋においてもなのですが)マイナーな存在なので、仕方ないのかも知れませんが、せっかくこうしたフリー雑誌があるのに置かれている場所が限られているというのはもったいない気もします。

Web「ぶらあぼ」というサイトもあり、検索などではインターネット版の方が便利ですし情報の更新も早いのですが、情報量自体は雑誌版の方が上ですし、知りたい情報に至るまでの過程は案外ペーパーメディアの方が楽で済みますし、Webのように上書き更新されて、過去の情報が手に入りにくくなるということもありません。

フリー雑誌版「ぶらあぼ」の存在はもっともっと人々に知られて欲しいものの一つです。

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2008年3月16日 (日)

頑張れ京都サンガF.C.

京都サンガF.C. Tシャツ

というわけで、京都サンガF.C.のTシャツを着て、2008年度J1ホーム開幕戦、対大宮アルディージャ戦を見に、西京極まで行ってきました。
京都サンガF.C.のグッズは、レプリカユニフォームなど色々ありますが、値段も手頃なのはやはりTシャツだと思います。紫色ということで少し派手であり、サンガ戦観戦時以外は着にくい代物ではありますが。

サンガのTシャツにも様々な種類がありますが、私が持っているのはサポーター用の背番号「12」の入ったもの。

西京極では、レプリカユニフォームや、選手の背番号とネーム入りのTシャツに人気があるようで、背番号12のTシャツを着ている人は少数派でしたが。

それはともかくとして、本日の対大宮アルディージャ戦では、渡邉大剛選手の鮮やかなミドルシュートが決まり、2-1でサンガが勝利しました。柳沢敦選手も京都移籍後初ゴールを決めましたし(ゴール前での混戦の中でのゴールだったので肉眼で誰が決めたのかわからなかったのは残念でしたが)、第1節で勝ち点3を上げている大宮相手に嬉しい勝ち星を挙げてくれました。

ホームグラウンドである京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(西京極スタジアム)にかなりガタが来ているのが残念ですが、自分の街にあるプロスポーツチームを応援できるというのは幸せなことだと思います。

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2008年3月14日 (金)

街の想い出(22) 銀座その3 銀座山野楽器本店

銀座通りにある山野楽器本店。銀座のみならず日本を代表する老舗音楽ショップです。CD売り場や楽器販売も充実していますが、私はCDや楽器よりもピアノスコアを買うためにこの店に良く通いました。ここと銀座通りの南にあるヤマハ銀座店に行けば、欲しいピアノスコアは大体手に入れることが出来ました。

1999年のある日、山野楽器銀座本店の楽譜売り場に行くと、子供向けの曲が延々とかかっていました。モニターにアニメの映像が流れ、スピーカーからは同じ曲がエンドレスで流れていたわけです。その時は何で子供向けの曲をずっと流しているのかわからなかったのですが、程なく、その子供向けの曲の正体がわかりました。大ブレークすることになる「だんご三兄弟」だったのです。「だんご三兄弟」は話題にはなっていたもののCDはまだ発売になっておらず、楽譜が先行発売されていたので、楽譜売り場でここぞとばかりに「だんご三兄弟」が流れていたわけです。
それにしても瞬く間に盛り上がって、あっという間に終わった、あの「だんご三兄弟」フィーバーは何だったんでしょうね。

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2008年3月13日 (木)

物語性豊かな歌詞と意欲的なメロディーの世界 柴田淳 『月夜の雨』

柴田淳通算5枚目のアルバム『月夜の雨』。ビクター・エンタテインメント移籍後のアルバム第1弾です。

柴田淳 『月夜の雨』 しばじゅんさんこと柴田淳の魅力は物語性豊かな歌詞と、予想を適度に裏切るメロディー進行。普通なら「もう下げるかな」というパターンのところで逆に音を上げたりします。しばじゅんさんはモーツァルトが嫌いだそうですが、モーツァルトの時代のように、音楽の冒険がしにくかった時代の音楽(古典派)が嫌いというのは彼女の作風からいって肯けます。

スキャットによる「プロローグ」に始まり、それを受ける第1曲「青の時間」の怖ろしく後ろ向きな歌詞、振られる女を歌った「HIROMI」の繊細さ、「涙ごはん」の愛らしさと不安の同居、卒業シーズンにピッタリの「花吹雪」、大人のムードに溢れる「真夜中のチョコレート」、ブラックコメディー(?)王子様シリーズ第3弾「つまおうじ」、愛を求める女心とそれをわからない男へのもどかしさを歌う「人魚の声」、文学的といってもいい歌詞を持つ「紅蓮の月」、切なさ一杯の「君が思えば…」、しばじゅんさんの私小説的世界(?)「私の物語」など、全曲がシングル作品としても通用するクオリティの高い一枚です。

柴田淳/月夜の雨

柴田 淳

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サンドイッチ・デー

3月13日は「サンドイッチ・デー」。

サンドイッチは中国語で書くと「三明治(sanmingzhi)」。うーん。何なんだこの妙な音訳漢字の選択は。

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2008年3月12日 (水)

追悼・上田現 元ちとせ 『ハイヌミカゼ』&『ノマド・ソウル』

シンガーソングライター、音楽プロデューサーの上田現氏が肺がんのため47歳で死去。
ということで、上田現が手掛けた最も有名なアーティストである元ちとせのアルバムを2枚紹介します。

元ちとせ 『ハイヌミカゼ』 まずは、上田現、元ちとせを共にメジャーにした「ワダツミの木」を収めた『ハイヌミカゼ』(エピック)。上田が作詞・作曲。編曲を手掛けた「ワダツミの木」は、元ちとせが奄美大島出身ということもあり、南国の伝説風のストーリーを持った作品です。

『ハイヌミカゼ』には他にも「君ヲ想フ」、タイトル曲でもある「ハイヌミカゼ」(作詞作曲編曲:上田現)なども収録。日本レコード大賞ベストアルバム賞受賞作。

元ちとせ/ハイヌミカゼ

元ちとせ 『ノマド・ソウル』 『ノマド・ソウル』(エピック)には上田現の作詞・作曲・編曲による「千の夜と千の昼」が収められています。この曲はCM曲としてブレイクしています。

このアルバムでは他に、「トライアングル」の作詞・作曲・編曲、「月齢17.4」の作詞・作曲・編曲、「ウルガの丘」の編曲も上田が手掛けています(「ウルガの丘」の作詞・作曲は松任谷由実)。

元ちとせ/ノマド ソウル(Hyb)

上田現のことばかり語っているのも何なので、元ちとせについても書いておきます。
鹿児島県の奄美大島に生まれ育った、ご存じ元ちとせは、島唄ともいわれる奄美民謡を子供の頃から歌って育ったということもあり、独特の発声によるスケールの大きな表現が特徴。彼女の歌い方には、人々だけに向かってというよりも、自然を含めた全世界に対して発信しているような印象を受けることがあります。独特の空気の振るわせ方がそういうイメージを生み出しているのでしょうか。

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2008年3月11日 (火)

細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏ロングインタビュー 『YMO イエロー・マジック・オーケストラ』(第2版)

ソニー・ミュージックから発売されているYMOの各アルバムのライナーノーツに記されている、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏へのYMO時代にまつわるインタビュー。それを再構成し、一冊にまとめているのが、アスペクトから発売されている『YMO イエロー・マジック・オーケストラ』(第2版)です。

細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏ロングインタビュー『YMO イエロー・マジック・オーケストラ』(アスペクト)

全292ページに渡る詳細なインタビューと、YMOの年譜、楽曲解説などYMOのみならず、日本のポップミュージックシーンを知る上で貴重な一冊です。

ソニー、ホンダなどとリンクし、「技術大国ニッポン」を象徴するようなバンドとなったYMO。

実験的精神にも富んだ団体でしたが、実体は、メンバー自身がYMOを醒めた目で見ていたり、責任を三等分にしたために、逆に反対する人がいなくなり、「とりあえずやっちゃおうか」ということになりやすかったことなども明かされています。面白いと思ったらとりあえずやるという精神だったようです。

そういうこともあって音楽の実験場ともなっていたYMO。彼らに影響を与えた様々な海外アーティストの音盤も紹介されており、YMOの背景、1980年前後の国内外の音楽シーンを知ることの出来る史料ともなっています。

YMO/Yellow Magic Orchestra: 第2版

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夏川りみ 「沖縄の風」

石垣島出身の夏川りみ。そんな夏川りみが、沖縄の歌を沖縄の言葉(ウチナーグチ)で歌ったアルバム「沖縄の風」(ビクター・エンタテインメント)。ウチナーグチとはいえ、本土の言葉(ヤマトグチ)とは少し異なるだけのものが多いのでそのまま聴いて楽しめます。ライナーノーツにはヤマトグチ対訳付き。

夏川りみ 「沖縄の風」 コンサートでおなじみの「童神」(ヤマトグチバージョン)や「島々清しゃ(しまじまかいしゃ)」、「ファムレウタ(子守唄)」、「芭蕉布」、そして夏川りみの出世作である「涙そうそう」も収録。

南の島々の風と空気と潮の匂いを運んでくるような、夏川の表情豊かな声と、サウンドが印象的です。

夏川りみ/沖縄の風 (Ltd)

夏川りみ

夏川りみ

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2008年3月10日 (月)

電話ボックスに入る

携帯電話のバッテリーが寿命になったので、交換に行った時のこと。

最初に行った携帯電話のお店にはバッテリーパックの在庫がなかったので、同じキャリアの別の場所にある店まで行くことになった。最初のお店でバッテリーパックを交換してもらえるものだと思っていたので、電池式の簡易充電器は持ってきていない。手持ちの携帯電話のバッテリーはすぐ切れてしまうのだが、自宅に電話する用があったので、携帯電話をかけた。

案の定、会話の最中に電話のバッテリーが切れてしまう。こうなると電話ボックスを見つけて入るしかない。幸い、大通りを歩いていたので電話ボックスは比較的簡単にみつかって、用件を話すことは出来たのだが、考えてみれば最後に電話ボックスに入ったのはいつのことだっただろう。

公衆電話をかけたのさえ久しぶりなのだった。記憶に残っているところでは、2001年の秋に京都パストラルというホテルから千葉の実家に電話したのが、いわゆる公衆電話を使った最近(最近では全くないのだが)の記憶である。ちなみに京都パストラルはその後廃業して建物も取り壊され、現在では金閣寺の駐車場とマンションの敷地になっている。

携帯電話が普及したので当然ながら電話ボックスは減る。「あそこには確実に電話ボックスがある」と把握しているのは私の場合、3カ所だけである。それでも多い方だろうか。

村上春樹の小説『ノルウェイの森』は主人公が電話ボックスから彼女に電話をかけ、彼女に「あなた今どこにいるの?」と訊かれてどこにいるのかわからなくなるというシーンで終わる。

「スーパーマン」のクラーク・ケントは電話ボックスの中でスーパーマンに変身する。

そうしたことも未来の人々には伝わらなくなるのだろうか。「電話ボックス」に注釈がいるようになるのかも知れない。そしてそのころには最後まで生き残り続けた電話ボックスがレトロな遺産として一部で注目を浴びるようになっていたりして。

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2008年3月 9日 (日)

無は無意識裏に発見されるのか

無意味であることが無意義であるとは思えない。

無意義なことは無意味なことと断定も出来ない。

無とは何か?

そもそも「無である」と誰が決めるのか?

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2008年3月 8日 (土)

観劇感想精選(30) 桃唄309 「おやすみ、おじさん」

2006年8月4日 京都・下鴨のアトリエ劇研にて観劇

アトリエ劇研で、東京の劇団である桃唄309の公演、「おやすみ、おじさん」を観る。長谷基弘:作・演出。

東京の某商店街を舞台とした(基本的には)コメディー。
主人公である男子中学生の友貴(演じるのは女性である)の住む商店街には、道路を通すために地元の神社を移転させる計画がある。
友貴の夢と、現実とが入り乱れていく中で、商店街の神社を移しても祟りが起きないよう産土神を消そうとする陰陽道の使い手と、商店街出身者で、街の産土神を何とか守りたいと願う行者との戦いが繰り広げられてゆく。

芝居のテンポが速い。展開も速いしセリフも速い。田舎の、自動車が滅多に通らない道路を自転車で飛ばしているような快感を、観ていて覚える。

役者がベニヤ板で出来た壁だのドアだのを両手でもって移動することで、背景が変わっていく仕掛けが面白い。発想が面白いし、ギャグとしても面白い。人物が歩く場面でも役者が進むのではなく、背景が動いていく。これによって更にテンポが上がる。

序盤は謎が多く、芝居が進むに連れてそれがほどけていくという構造を持つ(例えば友貴の叔父さんの職業が行者らしいことがわかったり、友貴の周りに現れる謎の少年の正体が街の産土神〔劇中では「鎮守」という言葉が使われていた〕らしいことがわかったりする)。

古くからある商店街が寂れたため、大通りを造ることで再生を図ろうとする側と、商店街を守ろうとする側の攻防があるらしいことがさりげなく示される。ただ、結末はヒーロー物によくあるようなウルトラポジティブなものではなく、「結局はなるようにしかならない」というほろ苦い味わいを持つ。

劇研の壁際四方上部にしめ縄と御幣を渡して結界を作ったり、劇場全体に柑橘系の匂いを充満されたりという演出も雰囲気を盛り上げる。

この劇で取り上げられた「陰陽道」だの「修験道」だの「御霊」だのは京都が本場であるが、京都の劇団はこうした題材を余り取り上げない。東京の劇団がこうしたテーマで面白い舞台を作っているというのは興味深い。

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2008年3月 6日 (木)

「ひかりのまち」オリジナル・サウンドトラック

マイケル・ナイマンが音楽を手掛けたイギリス映画「ひかりのまち」のオリジナル・サウンドトラックを紹介します。

映画「ひかりのまち」オリジナル・サウンドトラック 映画の方も何年か前にDVDで観ているのですが、記憶はあやふや。しかしナイマンの音楽は大変魅力的で、旋律はいつまでも頭の中に残り続けます。

マイケル・ナイマン・バンドによる光に溢れるような明るい曲、ナイマンのソロ・ピアノによる、心に水のように優しく染み込んでくる抒情的な旋律など、収録されている曲全てが映像以上に雄弁で色合い豊かです。

映画「ひかりのまち」の原題は“wonderland”ですが、ナイマンの音楽は音によるワンダーランドを築き上げています。

ひかりのまち/Wonderland - Music By Michaelnyman

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2008年3月 5日 (水)

いくらどんなに切ない夜も、 「ホームラン軒」復刻版

いくらどんなに切ない夜も、「ホームラン軒」復刻版

「いくらどんなに切ない夜も、ホームラン軒は美味かった」のCMが懐かしい、カップラーメン「ホームラン軒」。カネボウフーズから出ていましたが、ご存じの通り、カネボウブランドは消滅。カネボウフーズの商品は加ト吉に引き継がれました。「ホームラン軒」は加ト吉独自のパッケージで出ていたのですが、このたび復刻版としてカネボウフーズ時代のパッケージで発売されました。

パッケージも味も懐かしい。

カップラーメンの味は時代を追うごとに改良されていますが、「ホームラン軒」のいかにもカップラーメン的な独特の味は今でも良い線を行っています。

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好きな短歌(29)

しら鳥は哀しからずや空の青 海のあをにもそまずただよふ 若山牧水

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2008年3月 4日 (火)

裏通りの人々 池内紀 『モーツァルトの息子』

池内紀(いけうち・おさむ)のエッセイ『モーツァルトの息子』(光文社知恵の森文庫)を紹介します。『モーツァルトの息子』というタイトルですが、モーツァルトの息子のみならず、歴史の裏通りともいうべき場所にヒョイッと顔を出しては消えていった30人の文章による肖像が描かれています。『姿の消し方』というタイトルで10年前に出た書籍の文庫化。

池内紀 『モーツァルトの息子』(光文社知恵の森文庫) 登場人物はタイトルにもなっているモーツァルトの息子(天才作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの二人の息子、カール・トーマス・モーツァルトとフランツ・クサヴァー・ヴォルフガング・モーツァルト)を始め、悪戯好きの官吏、一時代を築いたスポーツ選手、現代に繋がる財政再建策を発明した人物、素性を偽った映画監督、文豪に愛された小役人、死後に高い評価を受けた大作家が愛した女性、ゆすりたかりの小悪党、冷徹な殺人鬼、名声を浴びつつも時代に翻弄されて行方知れずとなった名優、天才詐欺師、変わった題材に一生を捧げた画家、名前も知れない古代の歴史家など、いずれも大人物でも英雄でもなかっために歴史のメインストーリーには現れないものの、裏通りにサッと現れては魅力的な表情を見せて消えていく人々。池内紀はそんな人々の姿を愛情を込めて、かつ的確に描写していきます。

英雄史観でも唯物史観でも語られることのない魅力的な歴史的人物を知ることの出来る面白い書物です。

池内紀 『モーツァルトの息子 ─史実に埋もれた愛すべき人たち』(光文社) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年3月 3日 (月)

バーバラ・ボニー 「春への憧れ モーツァルト歌曲集」

アメリカ生まれのソプラノ、バーバラ・ボニーの歌う「春への憧れ モーツァルト歌曲集」(テルデック)を紹介します。ピアノ伴奏はジェフリー・パーキンズ。

バーバラ・ボニー 「春への憧れ モーツァルト歌曲集」 歌から発生した音楽。しかしクラシックの中でも歌曲は特に地味な分野になっています。同じ声楽でもオペラは華やかであり、合唱はアマチュア音楽家が好んで行うということもあって盛んですが、歌曲となるとファンはグッと減ります。シューベルトのように歌曲が代表作になっている作曲家もいますが、他の多くの作曲家の場合は、交響曲や管弦楽曲や器楽曲やオペラは有名でも歌曲はあまり知られていないというケースはままあります。

モーツァルトも例外ではなく、「すみれ」などのようによく知られている歌もありますが、「よく知られている」の次元が、モーツァルトの書いた交響曲やオペラやピアノ協奏曲や独奏曲と大きくかけ離れています。

国内盤アルバムのタイトルになっている「春への憧れ」は、モーツァルトが同時期に書いたピアノ協奏曲第27番第3楽章とほぼ同じ主題によるもので、零れるような愛らしいメロディーを持っています。

バーバラ・ボニーは、澄んだ明るい声の持ち主で、晴れた春の午後の日だまりで過ごすような幸福な時間を聴く者に約束してくれます。

モーツァルト/Lieder: Bonney(S)parsons(P)

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2008年3月 2日 (日)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮バーミンガム市交響楽団 「レナード・バーンスタイン管弦楽曲集」

パーヴォ・ヤルヴィが、録音当時に首席客演指揮者を務めていたバーミンガム市交響楽団を振った「レナード・バーンスタイン管弦楽曲集」(ヴァージン・クラシックス)を紹介します。
丁度10年前、レナード・バーンスタインの生誕80年に当たる1998年の録音。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮バーミンガム市交響楽団 「レナード・バーンスタイン管弦楽曲集」 ということで、今年が生誕90年に当たるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)。指揮者は長生きが多いので、生きていても不思議ではないのですが、レニーの場合は生来病弱だった上に、ヘビースモーカーでアルコール中毒、不摂生で不眠症に悩まされていた、というわけで長生きは出来ず、1990年に亡くなっています。

「ウエストサイド・ストーリー」を始めとするミュージカル、3曲の交響曲、ロックを取り入れたミサ曲など、作曲家としても大活躍したレニー。本人はどちらかというと、指揮もする作曲家のつもりであったようです。

それでも生前は、指揮者としても名声が作曲家としてのそれを大きく上回っており、特にシリアスな作品は十分には理解されない傾向にありました。しかし、没後、レニーが作曲した作品の再評価が進んでいます。レニーが教育熱心であり、弟子達が師であるレニーの作品を現在も演奏し続けているということもレニー作品再評価を後押し、20世紀後半のアメリカを代表する作曲家の座まであと一歩と迫っています。

このCDの指揮者、パーヴォ・ヤルヴィもレナード・バーンスタインの弟子の一人。指揮者としてはパーヴォとレニーの間に共通項は少ないものの、パーヴォも師の音楽を共感を持って奏でています。
バーミンガム市交響楽団は、いかにもイギリスのオーケストラ的な落ち着いた(悪くいうと地味な)音色を持っていて、レニーの作風には合っていないかも知れませんが、パーヴォのドライブにより健闘しています。

「プレリュード、フーガとリフ」、「ファクシミル」、「ウエストサイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス、「オーケストラのためのディベルティメント」を収録。

「プレリュード、フーガとリフ」は、旋律の一部が「妖怪人間ベム」の主題歌冒頭(♪ 闇に隠れて生きる~)に偶然にも似ていて笑ってしまいそうになります。
「オーケストラのためのディベルティメント」で、オーボエがベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章のソロを奏でますが、これは偶然ではなく明らかなパロディです。

バーンスタイン (1918-90)/West Side Story Etc: P.jarvi / Ciry Of Birmingham So

City of Birmingham Symphony Orchestra & Paavo Jarvi

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2008年3月 1日 (土)

ある時期を過ぎると

人は自然には成長しなくなる。身体的にはもちろんだが、精神的にもそうである。だが、進歩思想の影響か、はたまた右肩上がりを基準とする経済的発想が人間の思考回路に深く染み込んでしまったためか、こうした当たり前のことに気付きにくい状態がいつの間にか出来上がってしまっているように見える。

成熟はする。しかし「熟す」という言葉は成長を意味するわけではない。肉体的にいえば、むしろ「衰え」に親和性のある言葉である。

肉体も精神も、子供時代から青春期にかけてはドラスティックに進化する。それに比べれば20代前半以降の成長は緩やかなものだ。ある意味、青年期以降は「成長したいと思わなければ成長しない」期間へと移行するのだ。
移行は誰にでも起こる。年を取れば誰でも過去の自分とは変わる。しかしそれは成長ではない。年を取れば取るほど精神的に成長するという疑似進歩認識はあるいはこの移行を取り違えたものともいえる。

成長の疑似認識を取り違えたまま社会が進むことは決して歓迎すべきことではない。一つの認識のミスはまた別のミスを生む。そしてそのミスがパターン化されれば、停滞よりは衰退に近い状態が世界を覆うということにもなりかねない。

「これでいい」と思ったら、人間とはそれより先には進もうとしないものであり、そこから先に進むには勇気がいるからである。

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