ある時期を過ぎると
人は自然には成長しなくなる。身体的にはもちろんだが、精神的にもそうである。だが、進歩思想の影響か、はたまた右肩上がりを基準とする経済的発想が人間の思考回路に深く染み込んでしまったためか、こうした当たり前のことに気付きにくい状態がいつの間にか出来上がってしまっているように見える。
成熟はする。しかし「熟す」という言葉は成長を意味するわけではない。肉体的にいえば、むしろ「衰え」に親和性のある言葉である。
肉体も精神も、子供時代から青春期にかけてはドラスティックに進化する。それに比べれば20代前半以降の成長は緩やかなものだ。ある意味、青年期以降は「成長したいと思わなければ成長しない」期間へと移行するのだ。
移行は誰にでも起こる。年を取れば誰でも過去の自分とは変わる。しかしそれは成長ではない。年を取れば取るほど精神的に成長するという疑似進歩認識はあるいはこの移行を取り違えたものともいえる。
成長の疑似認識を取り違えたまま社会が進むことは決して歓迎すべきことではない。一つの認識のミスはまた別のミスを生む。そしてそのミスがパターン化されれば、停滞よりは衰退に近い状態が世界を覆うということにもなりかねない。
「これでいい」と思ったら、人間とはそれより先には進もうとしないものであり、そこから先に進むには勇気がいるからである。
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