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2008年5月の56件の記事

2008年5月31日 (土)

柴田淳 DVD「しば漬け3」

シングル「ふたり」に続き、「しばじゅん」こと柴田淳のミュージックビデオとショートフィルム「HIROMI」を収めたDVD「しば漬け3」(ビクター・エンタテインメント)も紹介します。

柴田淳 DVD「しば漬け3」 収録されているのは、「花吹雪」、「紅蓮の月」、「HIROMI」、「カラフル」、「ふたり」のミュージックビデオ本編とメイキング映像、ショートフィルム(ショートムービー)「HIROMI」(和田聰宏主演。柴田淳も出演)のフルバージョン。

「しば漬け3」とあることからもわかるとおり、柴田淳のミュージックビデオを収めたDVD「しば漬け」の第3弾。「しば漬け3」はビクター・エンタテインメントから出ましたが、「しば漬け」と「しば漬け2」はドリーミュージックから出ています。柴田淳のミュージックビデオはCD「しば裏」(ドリーミュージック)の初回限定盤に入っているDVDでも観ることが出来ます。

確認しましたが、「しば裏」の初回限定盤は、2008年5月31日現在でも入手可能なようです。

柴田淳/しば漬け 3

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柴田淳 シングル「ふたり」

blogパーツでも紹介している柴田淳のニューシングル「ふたり」(ビクター・エンタテインメント)。

柴田淳 「ふたり」 私も購入したので(宣伝しておいて購入しないというのはなしですので)紹介します。

「ふたり」は、希望と不安、縮めたい距離と保ちたい関係、求める心と求めきれない心といったアンビバレントな揺らぎが感じられる歌詞と、シンプルなピアノ伴奏、柴田淳のしっとりとした歌声が三位一体(というほど大袈裟ではないかも知れませんが)となって、リスナーの心を優しく掻き乱します。

優しく掻き乱すとはどういうことか、実感したいなら曲を聴いてみることをお薦めします。実感出来るはずです。

柴田淳/ふたり

Jun Shibata - ふたり - Single

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これまでに観た映画より(23) 山中貞雄監督作品「丹下左膳余話 百萬両の壷」

DVDで1935年制作の日本映画「丹下左膳余話 百萬両の壷」を観る。天才と呼ばれながらわずか28歳(数え年で29歳)で夭逝した山中貞雄監督の満25歳時の作品。大河内傳次郎主演。出演は喜代三(きよぞう。またの名を新橋喜代三〈しんばし・きよみ〉。のちの中山晋平夫人である)、四代目沢村国太郎(長門裕之、津川雅彦の父親)、花井蘭子、深水藤子ほか。大映京都制作。右目と右腕のない剣豪・丹下左膳を主人公にしたコメディー時代劇。カットされた大立ち回りのシーン(ただし音声はなし)も含めた完全版。

「丹下左膳 百萬両の壷」は、津田豊滋監督、豊川悦司の主演でリメイクされているが、やはりオリジナルの方がずっと面白い。大河内傳次郎の丹下左膳は腕は立つが普段は駄目男という丹下左膳像が良く出ているが、トヨエツの場合は駄目男をやらせても格好良すぎて笑えないのである。

当時、当代一の芸者として鳴らし、歌手としても活躍していた喜代三の歌と演技も素晴らしく、江戸女の粋を見事に再現している。

山中演出はシーンの飛ばしや、セリフの間の置き方が絶妙で、観ていて大笑いしてしまうシーンも多数。25歳でこれだけの映画を取ることの出来た山中の早世が今更ながら惜しまれる。

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どうでもいいことかも知れませんが

映画「ロルカ、暗殺の丘」でロルカを演じたアンディ・ガルシアとリッカルド・ムーティは似ていると思いませんか?

アンディ・ガルシアとリッカルド・ムーティの両方を知っている人がどれぐらいいるのかわかりませんが。

アンディ・ガルシアといえば、何といってもケビン・コスナー主演の「アンタッチャブル」が良かったですね。

シカゴ駅での階段落ちの場面、

「狙いは?」
「完璧です」

うーん、格好いい。

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2008年5月30日 (金)

現代演劇の一つのテーマ

生きることに意味なんてないのさ。

草も獣も、山も大地も、海も空も、己の存在意義など感じもせずに存在している。

ただ人間だけが、生きる意味を求めなければ生きることさえ出来ない。

何て哀れな。

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2008年5月29日 (木)

リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト交響曲第39番&第25番

1941年、ナポリに生まれた指揮者リッカルド・ムーティ。現役の指揮者としては人気・実力ともにトップクラスであり、特にイタリアオペラを指揮させたら天下一品です。
しかし、コンサート指揮者としては評価こそ高いものの、「これぞムーティ」という演奏は案外少なく、クラシック好きでも思い浮かべられるのは、フィラデルフィア管弦楽団時代に録音したレスピーギの「ローマ三部作」やスクリャービンの「交響曲全集」などに限られてくると思います。

フィラデルフィアを離れてからのムーティの最高の成果というべきは、やはりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したモーツァルトの交響曲の数々ではないでしょうか。

今日はその中から、モーツァルトの交響曲第39番と第25番をカップリングしたCDを紹介します。フィリップス・レーベル。

リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト交響曲第39番&第25番 世評は交響曲第25番の演奏の方が高いようなのですが、第1楽章の単に速いだけのテンポが個人的には気に入っておらず、交響曲第39番の演奏の方が遙かに優秀であるように思います。

その交響曲第39番の演奏ですが、ウィーン・フィルのふっくらとした美音を生かした最高水準の出来で、これほど美しい第39番の演奏は滅多にありません。

ピリオド奏法を生かした等身大のモーツァルトも勿論面白いですが、ムーティとウィーン・フィルのような豊かな音色による天国的な美しさをたたえた演奏にも抗しがたい魅力があり、一度は耳にしておきたい演奏です。

モーツァルト/Sym. 25  39: Muti / Vpo

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リッカルド・ムーティ、シカゴ交響楽団音楽監督就任に関して

現在、最も精力的に活躍している指揮者の一人、リッカルド・ムーティ(リカルド・ムーティ)が2010年-11年のシーズンよりシカゴ交響楽団の音楽監督に就任するとのこと。アメリカ最高のアンサンブルという評価を確固たるものとしているシカゴ交響楽団だが、ダニエル・バレンボイムの音楽監督辞任後は、ベルナルド・ハイティンクが首席指揮者に就任したものの、音楽監督の座は空位であった。

ムーティは実力者だけに音楽監督としての能力に問題はないと思われるが、実は彼は以前に米・ベンシルバニア州のフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を12年にわたって務め、評価は高かったのだが、フィラデルフィア管の本拠地であったアカデミー・オブ・ミュージックの音響が気に入らないという理由で辞任をしている(他に「アメリカ人はイタリア人に比べるとクラシック音楽に対する情熱が」どうのこうのとも言っていたようだが。「イタリア人は『ナブッコ』のメロディーを誰でも口ずさめる」などと言っていたと記憶しているが、アメリカ人にそうしたことを求められてもねえ)。シカゴ交響楽団の本拠地であるオーケストラホールも音響は悪く、またヨーロッパ指向が強くウィーン・フィルの実質的な首席指揮者待遇であるムーティがシカゴで長く音楽監督を続ける気があるのかどうか、といったところが不安定要素として挙げられる。

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2008年5月28日 (水)

クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団 「ラヴェル管弦楽作品全集」

クラウディオ・アバドが、ロンドン交響楽団の首席指揮者を務めていた1980年代にデジタルで録音した「ラヴェル管弦楽作品全集」(ドイツ・グラモフォン)。ロンドン響時代のアバドを代表する録音です。現在ではドイツ・グラモフォンの「トリオCDs」シリーズの1つとして出ています。

クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団 「ラヴェル管弦楽作品全集」 ロンドン交響楽団の技術を生かし、アバドらしいノーブルな音楽性を前面に出した演奏。かといって上品なだけではない、高揚感ある音楽を生み出しています。

アバドの巧みな盛り上げ方に興奮したロンドン響メンバーが発した叫び声がそのまま録音されていることで有名な「ボレロ」、アバドのラテン気質がうかがえる「スペイン狂詩曲」、雅やかな「亡き王女のためのパヴァーヌ」、ロンドン響の音色が美しい「マ・メール・ロワ」、やや優等生的な表現が気になるものの音による大伽藍を築き上げている「ダフニスとクロエ」全曲、スマートな「高雅にして感傷的なワルツ」、エスプリの表出の見事な「ラ・ヴァルス」など、名演が盛りだくさんです。

ラヴェル/Orch.works: Abbado / Lso

Claudio Abbado & London Symphony Orchestra

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笠原英彦 『歴代天皇総覧』(中公新書)

『歴代アメリカ大統領総覧』を紹介したので、日本の歴代天皇について書かれた書物も紹介しておく方が良いだろうということで、笠原英彦の『歴代天皇総覧』(中公新書)をアップします。

笠原英彦 『歴代天皇総覧』(中公新書) 神話時代になる神武天皇に始まり、昭和天皇に至るまでの124代の天皇と、「正統ではないとされた」北朝の5人の天皇についての概略が書かれています。
新書であり、天皇の数も多いということで、本当に概略的なものですが、こうした種類の書物は意外に少ないので貴重です。

「万世一系」である(途中怪しいところもありますが)天皇家は、為政者が替わっても存続し続けるということと、天皇親政が行われた時代が極端に短いという二つの特異な面を持つ、世界史的にいっても珍しい存在であり、日本という国の性質を映す鏡でもあります。

『歴代アメリカ大統領総覧』と読み比べて、国家というものの成り立ちの差異について考えてみるのも良いかも知れません。

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ロシア歴史人物占い

ロシア歴史人物占いを紹介します。私の結果がアントン・チェーホフだったので嬉しかったのです。ただそれだけです。

http://bom-ba-ye.com/e.cgi?okunos=1

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2008年5月27日 (火)

佐野真 『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(講談社現代新書)

昨シーズン、利き腕である左腕の肘の靱帯の手術をし、今季の開幕には間に合わなかったものの、復帰後は5連勝と、さすがの活躍を見せている福岡ソフトバンクホークスの和田毅投手。速球はMAXでも140キロちょっとで、ほとんどが130キロ台。カーブ、スライダー、チェンジアップと、変化球の種類も多くはないのに、東京六大学の通算最多奪三振記録を持ち、プロ入り後も軟投派と見られながらも抜群の奪三振率を誇る和田の投球の秘密に迫ったのが、佐野真の書いた『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(講談社現代新書)。帯には、「こうすればあなたも速くなる?!」という文句が書かれていますが、結論からいうと速くはなるかもしれませんが、和田のようなストレートを投げるのは無理です。

佐野真 『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(講談社現代新書) 和田毅が注目されたのは、島根県の浜田高校時代。120キロ台のストレートを相手が打てず、地元のテレビの高校野球解説者も困惑。
和田を擁する浜田高校は、甲子園への切符も二度手にしますが、和田が三年の時の夏の甲子園大会で、強豪・帝京高校に勝ち、帝京の選手が「(和田のストレートは)150キロに見えた」とコメントしたことで、バッターボックスでの体感速度がかなり速いストレートを和田が投げていたことがわかります。

しかし、実際の速度は120キロ台。早稲田大学に進学後、最初の試合でのMAXも129キロであり、和田もチームメイトも落ち込んだそうですが、現在も和田のトレーナーを務める土橋恵秀(当時は早稲田大学1年生の学生トレーナー)のアドバイスにより、その年の夏にはストレートのスピードは142キロをマークするなど急速に伸びています。
和田のストレートが遅かったのは下半身が巧く使えていなかったというのが最大の原因でした。

と、いうことで、投球動作の際の体の使い方は参考になります。巻末には和田が書いた、投球モーションに関する卒業論文を全文掲載されており(文学部出身の私から見ると「こんな短い論文でいいんかいな?」という気にもなりますが、クレバーな論文であることは確かです)、和田本人の身体に関する探求心を窺い知ることが出来ます。

ただ、和田が130キロ台のストレートで次々と三振を奪うことの出来る理由は、和田の持って生まれた身体能力によるところが大きいのも事実です。和田の指は後ろに反らすと90°も曲がり、手首も柔らかく、そのためリリースの際に常識を超えた回転数をボールに与えることが出来、初速は遅くてもスピードが余り落ちないまま打者の手元まで来るので打てないのです。

和田のストレートが打ちにくい理由をここで明かしてしまいましたが、それを明かしたくらいでは面白さが全く減らないのがこの本の良さ。野球ファンは必読です。

佐野真 『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(講談社現代新書) 紀伊國屋書店BookWeb

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高崎通浩 『歴代アメリカ大統領総覧』(中公新書ラクレ)

現在、世界唯一の超大国としてあらゆる分野に絶大な影響力を持つアメリカ。そのアメリカの国家元首にして内政の統括者という、国王と首相を合わせ持ったような存在として君臨する大統領。
本書は、歴代のアメリカ大統領43代42人(グローバー・クリーヴランドが2度大統領に就任しているため、一人少なくなる)の肖像を追っていく書物です。新書ということもあって概説的な内容ですが、興味深いことも多いので紹介することにしました。

高崎通浩 『歴代アメリカ大統領総覧』(中公新書ラクレ) 超大国アメリカのトップに君臨するということで、たった一人で全世界に影響を与えることも出来るというアメリカ大統領。42人の大統領の中には、アメリカ国内のみならず全世界の尊敬を集める人物もいれば、単なるお飾り的人物、それ以下の人物もいます。

民主主義を金科玉条として掲げるアメリカですが、民衆は時代の空気に流されやすいというのを知ってか知らずか、大統領に相応しい資質(というものがあるのかどうか疑問ですが)を持ち合わせていない人物が大統領候補に立候補して当選するということも決して少なくはないようです。

この書物からは、ある意味、現行の民主主義の限界と同時に、民衆とは懸け離れた場所で、政治が進行している現状をも読み取ることが出来ます。

アメリカは技術大国であり、経済大国であり、軍事大国でありますが、そこに至るまでのフロンティアスピリッツが、「社会進化論」、「アメリカ国内の膨張主義」から「全世界レベルでの膨張主義」、「帝国主義」、「保守主義と新保守主義」、「新自由主義」、「独善主義」、「単純な善悪二元論」など、アメリカ政治と資本主義の病める部分を作り出し、超大国としてそうした病を全世界レベルで広げていることは看過出来ないことです。そうした政策を生み、推し進めた大統領達の歴史を知ることは今後の世界情勢を推し量る上で、重要な作業であることは間違いなく、そのための入門書としても本書は最適であると思われます。

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これまでに観た映画より(22) 「バベル」

2007年6月1日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、「バベル」を観る。メキシコ出身のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品。出演は、ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、菊池凛子、二階堂智、役所広司ほか。音楽は既成のものが使われ、ラストシーンでは坂本龍一の「美貌の青空」(ピアノ&ストリングス・バージョン)が流れる。

モロッコ、アメリカ南部とメキシコ、東京を舞台とした作品。3つの場所での出来事が微妙に関わっている。

モロッコで、少年が遊び半分でライフルを撃つ。その弾がアメリカからの旅行客・スーザン(ケイト・ブランシェット)の首に命中する。

アメリカ南部、アメリカ人の家で乳母をしているメキシコ出身のアメリアは、主である夫妻が外国旅行に出ている間、留守と主夫妻の2人の子供を預かっている。しかしメキシコでアメリアの息子の結婚式がある日、代わりに来るはずだった育児担当者が来られなくなってしまう。やむなく2人の子供とともに国境を越えるアメリア。

東京、耳と口の不自由な女子高生・チエコ(菊池凜子)は孤独の底にいた。

モロッコと、アメリカ南部およびメキシコ編は、砂漠という大自然の前に無力な人間の姿が描き出され、ベルトルッチ監督の「シェルタリング・スカイ」を思い起こさせる。ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが夫婦を演じるモロッコ編は特にそうだ。

東京では、最先端の都市(少なくとも映画の中では東京は世界最先端の街として登場する)に生き、裕福な家庭に育ち、夜景の素晴らしい高層マンションに住みながら、そうした恩恵から遠い少女の姿が描かれる。

別の人が言えないでいる言葉を別の場面にいる他の人間に語らせるなど、意欲的な演出が光る。

本質的には人間存在の不安定さに重点を置いた重い作品である。
やむにやまれぬ事情が重なったということもあるのだが、やらずもがなのことをしてしまう人間という生物の本質でもある「愚かしさ」に歯がゆさを覚え、同時に人間の弱さに胸を痛める。

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2008年5月26日 (月)

香港映画「花様年華」オリジナル・サウンドトラック

王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品「花様年華」のオリジナル・サウンドトラックを紹介します。台湾のロック・レコーズからの発売。

1960年代の香港を舞台にした映画「花様年華」。映画本編も大人の味わいを持つ佳編ですが、オリジナル・サウンドトラックも負けず劣らず充実しています。

「花様年華」オリジナル・サウンドトラック とはいえ、映画のために作られたオリジナル曲は少なく、他の映画のテーマや、ナット・キング・コールの歌うジャズナンバー、中国の民謡や往年のヒット曲などで構成されています。

メインテーマ的に用いられているのは、梅林茂が鈴木清順監督の「夢二」のために書いた「夢二のテーマ」。この曲の持つ夢幻性が映画中でもかなり重要な役割を果たしています。

主演のトニー・レオンとマギー・チャンのセリフも収録。

花様年華/花様年華 In The Mood For Love (特別限定盤) - Soundtrack

花様年華/花様年華 In The Mood For Love - Soundtrack

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すいかグミ

すいかグミ

カバヤから出ている「すいかグミ」を買ってみました。

私はスイカという食物が余り好きではないのですが(食べられないとこはないし、出されれば食べる)、グミだったらどんなものなのだろうという好奇心にかられたわけです。
で、食べた結果ですが、なかなか美味しい。そして味がどことなくメロン味のグミに似ています。スイカは英語ではウォーターメロン。スイカそのものを食べても、スイカを英語でウォーターメロンということに得心がいきませんでしが、グミで食べ比べると納得してしまいそうな。
私一人が納得しても大した意味はないわけですが。

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2008年5月25日 (日)

さよならアルバン・ベルク・カルテット フェアウェルツアー 大阪 ザ・シンフォニーホール公演

現代最高の弦楽四重奏団と呼ばれたアルバン・ベルク・カルテット(アルバン・ベルク四重奏団、アルバン・ベルク弦楽四重奏団、ウィーン・アルバン・ベルク弦楽四重奏団)。
そのアルバン・ベルク・カルテットが今年の世界ツアーをもって解散します。現在、アルベン・ベルク・カルテットは最後となる日本ツアーを行っており、今日(2008/05/25)、私も大阪のザ・シンフォニーホールでの公演を聴いてきました。

アルバン・ベルク・カルテット フェアウェルツアーコンサートパンフレット クラシックコンサートのパンフレットを買うことは滅多にない私ですが、今日はアルバン・ベルク・カルテットを生で聴くのも最後だと思い、購入しました。

曲目は、ハイドンの弦楽四重奏曲第81番、団体名にもなっているアルバン・ベルクの弦楽四重奏曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番。

思えば、私が初めて買った弦楽四重奏曲のCDが、アルベン・ベルク・カルテットの演奏するモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番と第15番(EMI)。
初めて行った弦楽四重奏団のコンサートも、東京・赤坂のサントリーホールで行われたアルバン・ベルク・カルテットの来日公演でした。1996年のことです。

アルバン・ベルク・カルテットの来日公演を聴くのは、それ以来12年ぶり2度目。そして今日で最後です。

1996年の公演でヴィオラを弾いていたトマス・カクシュカは2005年に亡くなり、現在のヴィオラは、カクシュカの弟子である女流のイザベル・カリシウス。
メンバーが替わっても、アルバン・ベルク・カルテットの精緻にして輝かしいアンサンブルは健在でした。

アンコールは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番より第5楽章“カヴァティーナ”。大阪での最後の演奏を締めくくるのに相応しい、優しさと哀しみに溢れた曲でした。

アルバン・ベルク・カルテット フェアウェルツアー 大阪公演アンコール曲目

今後、アルバン・ベルク・カルテットは、前橋、名古屋、横浜、東京で公演を行い、その後ヨーロッパでのツアーを行って、6月末のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で最後のコンサートを行います。今年1月のウィーンでの公演では、指揮者のサー・サイモン・ラトルがアンコールに特別参加。ピアノを弾いて、アルバン・ベルク・カルテットと共演したとのこと。もう後、1ヶ月ですが、今後も何か特別な出来事があるかも知れません。

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NAXOSヒストリカル アンドレス・セゴビア第3集 「1950年代アメリカ録音」Vol.1

かつて、イスラムの支配を受けたことから独特の文化が花開いたスペイン。
軍事的にも、トルデシリャス条約でポルトガルと(勝手に)世界を二分するなどの栄光を誇りましたが、アルマダの海戦で無敵艦隊が英国海軍に敗れて以降は衰退。その独自の文化もナポレオンに「ピレネーの向こうはアフリカである」などと半ば見下されるようになります。

音楽とて例外ではなく、クラシック音楽の後進国と見なされていました。

19世紀も後半になって、グラナドス、ファリア、タレガなどの有名作曲家が輩出し、ヴァイオリンのサラサーテ、チェロのカザルス、ギターのセゴビアやナルシソ・イェペスなど、世界的な演奏家も次々に登場しました。

中でもアンドレス・セゴビアは、クラシックギターを芸術の領域にまで高めた演奏家であり、スペイン音楽史の最重要人物の一人です。

アンドレス・セゴビア 「1950年代アメリカ録音第1集」 それまでは「民族楽器」程度にしか思われていなかったギターをヴァイオリンなどと同等のクラシック音楽の楽器と認めさせたアンドレス・セゴビア。世界で初めてコンサートホールで、ギターのリサイタルを開いた人物でもあります。

クラシックギターの芸術性の高さを知らしめるために、セゴビアは、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器用に書かれた曲のギター編曲を盛んに行いました。NAXOSヒストリカルから復刻されたこのCDでは、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のギター用編曲を中心に、ヘンデル、ハイドン、C・P・E・バッハ、グルックの作品のギター編曲版を収めています。1950年代のモノラル録音ですが、音質は比較的良好です。

いずれも格調の高い演奏で、クラシックギターに対するステレオタイプな思い込みを見事に打ち砕いてくれます。

*ギター・オムニバス*/Segovia 1950’s American Recordings Vol.1

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2008年5月24日 (土)

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

最もスペイン的なクラシック音楽として真っ先に思い浮かぶのが、ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)の「アランフェス協奏曲」。悲劇的なメロディーが印象的な第2楽章が特に有名ですが、全曲を通して名曲です。今日紹介するのは、カルロス・ボネルがギターを弾き、シャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団が伴奏を務めたCD。DECCAレーベル。「ある貴紳のための幻想曲」を併録。

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 カルロス・ボネルのギターは音が美しく、それも含めた技術が万全です。

シャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団は、極めて洗練されたスタイルで、特に澄んだ弦楽の響きは、どこまでも高く真っ青な空を想起させます。

スペイン的な土俗感からは遠い演奏ですが、誰が聴いても曲の素晴らしさを味わうことの出来る好演でもあります。

ロドリーゴ/Concierto De Aranjuez  Fantasia: Bonell  Dutoit / Montreal.so

カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 「アランフェス協奏曲」の現行版ジャケット

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『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売)

詩が好きにとってはおなじみの、土曜美術社出版販売から出ている『ロルカ詩集』を紹介します。世界現代詩文庫の第21巻として出ているもの。小海永二:訳。

『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売) 小海永二:訳 20世紀のスペイン詩壇を一人で代表しているといっても過言ではない、フェデリコ・ガルシア・ロルカ。
1898年にアンダルシア地方のグラナダ近郊に生まれ、グラナダ市、マドリッド、ニューヨーク、キューバなどで生活。
スペインに戻ってからは、素人劇団を立ち上げて、主に劇作家として活躍しています。

しかし、この素人劇団が左派であった共和政府からの援助を受けていたため、フランコが独裁政権を築くと同時に、ロルカは左派知識人として追われることになり、グラナダの友人宅に潜んでいるところを見つかって、すぐそばのオリーブ畑で銃殺されました。時に38歳。

フランコ政権下のスペインでは、ロルカ作品は発禁となり、長い間読むことが出来ませんでした。
沢木耕太郎の『深夜特急』にも、スペインを訪れた沢木が、「ロルカの詩を読むことは出来るのか?」と現地の人に訊いて否定される場面があります。

濃厚なスペイン情緒とダダイズムなどの影響も受けたロルカの詩。わかりやすい詩とイメージ連鎖が必要な難解な作品が混在していますが、難解なものでも声に出して読んでみると、案外すっと体と心に染み込んでくるところがあり、そこが魅力です。

『ロルカ詩集』(世界現代詩文庫 土曜美術社出版販売) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年5月23日 (金)

観劇感想精選(36) アトリエ・ダンカン・プロデュース「血の婚礼」

2007年5月17日 東京・新大久保の東京グローブ座にて観劇

東京・新大久保の東京グローブ座で、フェデリコ・ガルシア・ロルカ作、白井晃:台本・演出の舞台「血の婚礼」を観る。
スペインが生んだ悲劇の詩人、ロルカの代表的戯曲の上演。大阪での上演もあるが、紀尾井ホールでのコンサートを聴くついでに東京で観ておくことにしたのだ。


「血の婚礼」は午後7時開演。出演は、森山未來、ソニン、浅見れいな、岡田浩暉、尾上紫(おのえ・ゆかり)、陰山泰、根岸季衣、新納慎也、江波杏子。
ギター演奏を渡辺香津美が担当する。

「血の婚礼」は、詩人であるロルカらしく韻文が多用されるなど、上演の難しい作品である。
演出の白井晃はロルカが書いた歌詞をカットし、その代わりにダンスを多く取り入れる。森山未來、ソニンなど、ダンスの達人がキャスティングされているだけに、舞踏のシーンは迫力がある。

最初は、パーツパーツは優れているものの、それが上手く噛み合わないもどかしさがあったが、森山やソニンのダンスはセリフ以上に雄弁であり、詩人ロルカの戯曲上演への期待が良い意味で裏切られる。
「血の婚礼」の“血”には3つの意味があるが、血が持つ因縁を表現するには言葉よりも肉体の動きがより適している。言葉も肉体より発せられるが、肉体そのものの動きの方が、より血に直結しているのは明らかであり、言葉は情熱の血を沸き立たせる媒体でしかない。

婚礼から2人が逃げ去る場面以降は、役者の動きとセリフとが絶妙の止揚(という表現を敢えて用いる)を見せる。

情熱的で呪わしいという“血”の両面を描き出すことに成功した優れた舞台であった。

出演者では、森山未來、ソニン、尾上紫の3人が特に良かった。森山未來は期待通りであるが、ソニンは予想以上に優れた表現を見せ、尾上紫の可憐さと妖しさの両方を兼ね備えた演技にも魅せられた。

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たぎる血の惨劇 森山未來主演 「血の婚礼」

2007年5月に東京・新大久保の東京グローブ座で上演されたアトリエ・ダンカン・プロデュース「血の婚礼」を収録したDVDを紹介します。TBSの制作、ポニー・キャニオンの販売。

「血の婚礼」は、フランコ独裁政権下で殺害された、スペインを代表する詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカが書いた戯曲。韻文が多用されていたり、月の成りをした人物が登場するなど、そのままでは、少なくとも現代の日本で上演することは難しい作品です。

森山未來主演 「血の婚礼」DVD

台本と演出を手掛けた白井晃は、多くのセリフをカットし、ダンスの場面を数多く取り入れています。「血の婚礼」の“血”には少なくとも3つの意味が掛けられていると思いますが、そうした血を表すには言葉よりもダンスの方が説得力があります。たぎる血は言葉よりも肉体により近しく、ダンスを生かした情熱と因縁と愛の迸りが見事です。
音楽は渡辺香津美を起用。渡辺は舞台上でギターを奏で、その熱い演奏も極めて効果的です。

原作:フェデリコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出:白井晃、主演:森山未來、ソニン、出演:尾上紫(おのえ・ゆかり)、江波杏子、岡田浩暉、池谷のぶえ、陰山泰、浅見れいな、新納慎也、根岸季衣。

Original Cast/血の婚礼

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2008年5月22日 (木)

生誕100年 オリヴィエ・メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 ケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほか

今年(2008年)が生誕100年に当たる、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908-1992)。
詩人である母親が、まだお腹の中にあるメシアンについて「私は、まだ知らない音楽のために痛む」という詩を書いたという伝説に彩られた人物でもあります。

そんなメシアンの代表作が「トゥーランガリラ交響曲」。10楽章からなる大作であり、オンド・マルトノという鍵盤楽器が大活躍することでも有名です。

「トゥーランガリラ交響曲」は20世紀を代表する作品ですので、名盤にも事欠きませんが、私が気に入っているのは、ケント・ナガノがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したCD(TELDEC)。

ケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほか メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 現代ピアノ曲を得意とするピエール=ローラン・エマールがピアノを担当、ドミニク・キムがオンド・マルトノを奏でています。

ケント・ナガノ盤の特徴は何といってもベルリン・フィルの輝かしい音。それもいつものドイツ・ゲルマン的な重々しいものではなく、浮遊感を持った精妙な音宇宙をナガノは作り出しています。

ベルリン・フィルの合奏能力の高さは最高水準であり、エマールのピアノと、キムのオンド・マルトノも優れており、更に名盤でありながら廉価で手に入れることが出来るというのもポイントです。

メシアン、オリヴィエ(1908-1992)/Turangalila Symphonie: Nagano / Bpo

ケント・ナガノ

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2008年5月21日 (水)

NAXOS日本作曲家選輯 「日本管弦楽名曲集」

メジャー・マイナーレーベル(というと変ですが)NAXOSの「日本作曲家選輯」シリーズ。昨年までNAXOSの日本代理店だったアイヴィの持ちかけた企画によってスタートしたシリーズですので、アイヴィの撤退により、今後はどうなるのかはわかりませんが、今のところ発売、企画ともに続いています。今日紹介する「日本管弦楽名曲集」は日本作曲家選輯シリーズのパイロット・アルバムとして発売されたもの。沼尻竜典(ぬまじり・りゅうすけ)指揮東京都交響楽団(都響)の演奏。

NAXOS日本作曲家選輯 「日本管弦楽名曲集」 外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、近衛秀麿編曲の「越天楽」、伊福部昭の「日本狂詩曲」、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」、吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」の全6曲を収録。

指揮の沼尻竜典は1964年生まれの若手指揮者。桐朋学園大学、ベルリン国立芸術大学で指揮を学び、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝という経歴を持つ俊才です。
現在、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、大阪センチュリー交響楽団の首席客演指揮者を務めるほか、びわ湖ホールの芸術監督も務めています。

近畿圏にポストを持つ指揮者というと、大植英次(大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督)、広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)のように、四六時中音楽のことを考えていて、音楽家になること以外は考えられなかったという人が多いのですが、そういう中にあって沼尻は、雑誌インタビューの「音楽家になっていなかったら?」という質問に、「ビジネスマン」と即答してしまったという人。
だからというわけではないのでしょうが、適度な客観性とオーケストラ捌きの見事さを特徴とする指揮者です。

いくつかの作品について紹介しておくと、「管弦楽のためのラプソディ」は、1960年に行われたNHK交響楽団初の世界ツアーのアンコール用曲目として、NHK交響楽団のツアーに同行する指揮者でもあった外山雄三が作曲したもの。最初は20分ほどの曲だったのですが、N響の世界ツアーに同行するもう一人の指揮者であった岩城宏之に「ここはいらない、ここもカット」という要望があり、結局10分弱の作品になりました。「あんたがたどこさ」、「三池炭坑節」、「ソーラン節」、「八木節」など、日本の民謡を取り入れた曲で、初めて聴くと気恥ずかしさを覚えるかもしれませんが、慣れてしまうと楽しい曲です。

伊福部昭の「日本狂詩曲」は、日本人作曲家のために行われたチェレプニン賞で1位を獲得した作品ですが、演奏時間20分以内の作品であることという規定に合わせて、3曲からなる曲だったのに、最初の曲をカットして応募。現在も元々の第2曲と第3曲からなる曲として演奏されています。

吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」は、吉松が私淑し、憧れの存在であった武満徹へのリスペクトを込めた曲。「朱鷺のよせる哀歌」を英訳すると「Elegy for NipponiaNippon」になりそうなものですが、吉松自身が「Threnody to Toki」という英訳をつけたのは、武満徹のイニシャルである「T・T」を意識したものだからです。

沼尻指揮の都響もキリリと引き締まった演奏を繰り広げており、現代音楽研究家である片山杜秀による解説も充実。日本人作曲家の作品を知る上で最適のアルバムです。

Japanese Composers Classical/日本作曲家選輯: 沼尻竜典 / 東京都.so

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2008年5月20日 (火)

『求めない』 加島祥造

現代社会は、消費社会であり、消費のために人々は追い立てられています。曰く「~がないと時代に乗り遅れます」、曰く「~があると便利です」、曰く「~なしではもうこれからは通用しません」等々。

さりながら、そうした大きな流れに乗ることで我々は我々自身を見つめる目を曇らせてしまうことが往々にしてあります。加島祥造の詩集『求めない』(小学館)には、そうした大きな流れの中で、あらゆることを求めすぎている自分を見つめ直すのに最適な言葉が散りばめられています。