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2008年5月 7日 (水)

誰も決めてはいない

誰も決めてはいない
自分が生まれてくる国も
自分自身の性別も
自分自身の名前も
「それらしさ」の衣装を纏う前に
気がつけば
そこにあったもの

となれば
存在は認識に先行し
状況に存在は先行する
存在こそが価値である

「実存」と
専門用語を使ってもいいが
日常語で語れるものにわざわざ特別な言葉を持ち込む必然性はない
日常のなかに我々は存在し
我々が味わいうるのは日常だけなのだから

人類は狡猾で
あらゆるものを
ある時は自分さえも
支配下に置こうとする
でも思い出して欲しい
誰も世の中の在り方を決めてはいない
生き方を定めてもいない
送られてくるありとあらゆるシグナルが
我々を惑わし、誘導しようと謀っているけれど
それに従う自由と従わない自由がある
そして「自由」の正体でさえ誰も決めてはいない
(「自由の刑」? いやいやそんな特別な言葉を使う必要だってない。「それ」は言葉にしなくても実感しうるのだから)

超越者のような「誰か」を決めたのは誰か
あるいは誰もその「誰か」さえ決めてはいないのか

「私」は今ここに存在する
しかしここに存在する私は実は私が決めたものではない
それでも存在をするということが
誰からも決められてはいない
人間という存在の本当の価値なのだろうか

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