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2008年8月12日 (火)

コンサートの記(16) 下野竜也指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪フィルいずみホール特別演奏会Ⅰ

2008年6月26日 大阪・京橋、いずみホールで

大阪の京橋へ。いずみホールで、下野竜也指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴くためである。

「魂への『祈り』」という副題のついた今日のコンサートのプログラムは全曲弦楽のための作品で、ペンデレツキの「広島の犠牲者への哀歌」、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番より第2曲「エール(エア)」(ストコフスキー編曲)、ハルトマンの葬送協奏曲「反ファシズム」、シェーンベルクの「浄夜」という凄まじいもの。客が入ることなど始めから想定していない、挑戦的なものである。

バッハ以外は全て「前衛」の括りに入る作品だが、その割りには客の入りはまずまず。1階席も後方は空席が目立つが、前の方は埋まっている。バルコニー席の入りもなかなか。

だが、そう見えるのは、実は1階席の前方を同じ制服を着た女子高生達が占めているためである。女子高生達が、安くはないチケット代を払って、とんがったプログラムのコンサートに大挙して押しかけるとは思えないから、クラス単位もしくはクラブ単位(オーケストラ部か吹奏楽部か)での招待だと思われる。
彼女達がいなかったら、前の方の席はガラガラになっていたはずだ。
そもそも客が入らないことを想定してのプログラムだからこそ、多くの女子高生を招待できたということもあるのだろうが。

ハルトマンの葬送協奏曲「反ファシズム」のヴァイオリン独奏を大阪フィルの首席コンサートマスターである長原幸太が務めるため、今日は客演コンサートマスター(コンサートミストレス)として、兵庫芸術文化センター管弦楽団の客演コンサートマスターとしてもおなじみの四方恭子(しかた・きょうこ)が呼ばれている。

「薩摩隼人の時代から先祖代々鹿児島です」といった風貌の下野竜也が登場し、コンサートが始まる。

クシシュトフ・ペンデレツキの「広島の犠牲者への哀歌」は、もともとは広島の原爆犠牲者のために作られた曲ではなかったが、日本初演後、作曲者により、この曲は広島原爆の犠牲者に捧げるのに相応しいとされてタイトルがつけられた。痛切な響きと、「トーン・クラスター」と呼ばれる音階という概念を越えて音の固まりとして音楽を捉えるという手法が多用されていることで知られる作品。第二次大戦後に作曲された作品の中では人気が高い曲でもある。

指揮者は、腕で拍を刻むのではなく、指で「1、2、3、4」と最大8まで数を示す。現代音楽に用いられる手法としては特別珍しくないものだが、生で見るのは私は今日が初めて。テレビでは井上道義が同じ指揮をしたのを見たことがある。

大フィルの弦にもっとキレがあると最高だったのだが、瞬間瞬間の響きは鋭く、シリアスなこの作品に相応しい好演であった。

それにしても、「広島の犠牲者への哀歌」は凄い曲である。人類とは一瞬にして数十万もの同類の命を奪うことの出来る残酷さを持った存在だと知ってしまった時代の音楽として、本物の凄みがある。

下野の意向で、「広島の犠牲者への哀歌」が終わってすぐに、J・S・バッハの「エア」が奏でられる(ホールホワイエ各所に立てられたボードに、下野の意向を知らせる紙が貼ってあった)。「広島の犠牲者への哀歌」の後に奏でられる「エア」は下野の繊細なアプローチもあって美しくも悲しい音楽として響いた。

ハルトマンの葬送協奏曲「反ファシズム」。1939年に「哀しみの音楽」というタイトルで作曲され、翌1940年に初演。1959年に改訂された際に「反ファシズム」というタイトルに変わっている。

冒頭にヴァイオリンが弾く旋律は、チェコのフス教徒に伝わる旋律を用いているとのことだが、ハーディ・ガーディを思わせるような鄙びた音が奏でられる。

大フィルのコンサートマスターである長原幸太は、何よりもまず技術が目立ってしまうところがあるが、20世紀の音楽作品演奏においてはすっきりしたスタイルがプラスに働き、優れた演奏となった。

アンコールとして長原は、J・S・バッハの「無伴奏パルティータ」第2番より“サラバンド”を弾く。これが実にウエットな演奏で、1981年生まれの若者である長原が、こうした日本的ともいって良いほどウエットな演奏をするというのが興味深かった。

シェーンベルクの「浄夜」では、下野の特徴である渋い音色が聴かれる。渋いといっても「地味」では全くなく、つや消し仕上げをした漆器のような独特の輝きと美しさがある。こうした音をオーケストラから引き出せる日本人指揮者は私の知る限りでは下野だけである。ということで、「下野サウンド」や「下野トーン」といった名称を付けたくなるのだが、「しものサウンド」にしろ「しものトーン」にしろ語感が悪すぎ、耳で聞いて変なことを連想する人がいるかも知れないので、この言葉は使わないでおく。

いずれの曲も名演であり、下野と大フィルの力が十分に発揮された演奏会であった。こうした難解とされる曲目を嬉々として聴いている聴衆が多いということも心強い。

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