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2008年8月の46件の記事

2008年8月31日 (日)

羊の数を数えてみた

眠れない時になぜ羊の数を数えるのかというと、これは英語圏での習慣で、羊(sheep)と眠る(sleep)の掛詞だからだという。

ということは、日本人が「羊」で数えても大して意味はないということになる。

だが、全く効果がないのかどうか、昨日眠りに就けなかったので試してみた。550匹まで数えてみた。眠れなかった。

ところで、羊を数える単位は、「匹」ではなく「頭」がより正確なのではないかと思われるのだが(「頭」は西洋での数え方からきたもの。東洋では「匹」が量詞なので間違いというわけではないが、眠れない時に羊を数えるのは西洋の習慣である)、なぜ「匹」で数えることになっているのだろう。「頭」より「匹」の方が眠りに誘い込みやすいという理由でもあるのだろうか(「羊が一頭、羊が二頭」では確かに眠りにくい気はする)。

そして、日本語を憶えたての外人さんが、羊を匹で数えようとすると混乱しそうだ。「匹」は読み方が変わるからである(いっぴき、にひき、さんびき(さんひき)、よんびき(よんひき)、ごひき、ろっぴき、ななひき、はっぴき、きゅうひき、じっぴき)。

“いっぴき、にぴき、あれ? 2は「ぴき」で良かったんだっけ?”という風に。

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2008年8月30日 (土)

コンサートの記(18) 広上淳一指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 いずみホール演奏会

2008年6月4日 大阪・京橋、いずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋にある、いずみホールで、広上淳一指揮関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。

曲目は、プッチーニの「交響的前奏曲」、田村響をソリストに迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェンの交響曲第4番。

午後6時40分過ぎに、例によって関西フィル理事の西濱さんが登場し、広上淳一を迎えてのトークがある。広上は普段着に眼鏡という格好で登場、ベートーヴェンの交響曲第4番の魅力について、「一言でいうと渋い」「噛めば噛むほど味が出るスルメのような曲」だと語る。

広上は人生の節目節目でベートーヴェンの交響曲第4番を振っているそうで、1984年の第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクール(広上は優勝を飾った)で最初に割り当てられた曲がベートーヴェンの交響曲第4番。5月に小澤征爾が体調不良で倒れ、水戸室内管弦楽団を振れなくなった時に、小澤本人から頼まれて水戸室内管相手に振ることになったのもベートーヴェンの交響曲第4番だという。今日の演奏会の曲目も、関西フィルの側からベートーヴェンの交響曲第4番を振って欲しいと頼まれたとのことだ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストを務める田村響は、高校を出て、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院に留学するためにオーストリアに旅立つ前日に、広上淳一指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団と共演しており、今回、関西フィルと共演するにあたり、広上の指揮を希望したのは田村であるとのことである。

プッチーニの「交響的前奏曲」。ありきたりだけれど、「夢見るような」と形容するしかない美しい響きがホール一杯に拡がる。弦も管も関西フィルとは思えないほど滑らかにして煌びやか。流石は広上と思わせる美演であった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリスト、田村響は1986年生まれ。「日本のデンマーク」こと愛知県安城市の出身である。1993年以降、日本国内の数多くのコンクールに参加。2001年に全日本学生音楽コンクール名古屋大会中学生部門で第1位。翌年には園田高弘賞ピアノコンクールで第1位に輝き、昨年はついにロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門での優勝を成し遂げた。

コンクールでの成績は当てにならないということが、クラシック音楽の世界では常識化している。しかしこの田村響というピアニスト、聴くのは初めてだがかなりの大物と見た。

田村響のピアノは打鍵が強いが、音が濁ることも乱暴になることもない。むしろ和音などは極めて美しく、ヴィルトゥオーゾ的テクニックから細やかな味までの幅広い技術も素晴らしい。前の方の席に座っていたのでペダリングにも注目してみたがかなり巧い。今年で22歳という若手だが、実演で聴いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストとしては最高クラスである。

顔も体も大きく、プロレスラーのような体型の田村だが、見かけとは正反対の繊細な味わいも持っている。

アンコールで弾いた、メンデルスゾーンの「甘い思い出」では、繊細さとロマンティシズムが発揮されたこれまた見事な演奏であった。

広上の伴奏は、プッチーニと打って変わってロシア的な仄暗い響きを関西フィルから引き出す。フルートの冴え冴えとした響き、濃厚な弦のうねりなど、ラフマニノフを聴く醍醐味を堪能させてくれる。

メインであるベートーヴェンの交響曲第4番。広上は時として大胆なデフォルメを行うが不自然な感じはしない。ティンパニの思い切った強打、アクセントの強調などが効果的で、熱い演奏を繰り広げる。

ただ、第1楽章では、関西フィルの弦楽群が、広上の棒に応え切れていないように聞こえた。広上はもっとバネを効かせた力強い響きを引き出したかったようだが、関西フィルの弦楽奏者は思ったよりも指の回りが悪く、音も柔らか過ぎて張りがなかった

オーケストラの実力は、こうした比較的シンプルな音型の部分でわかってしまうもののようだ。

第2楽章以降はハイレベルな演奏が繰り広げられただけに、第1楽章が不完全燃焼気味だったのが惜しまれる。

アンコールは、グリーグの『2つの悲しい旋律』より「過ぎた春」。弦楽のための音楽である。澄み切った音色で奏でられる旋律上に、哀感と優しさが花のようにポツリポツリと交互に咲いていく。
この手の曲を指揮させると広上は本当に上手い。

肝心のベートーヴェンの第1楽章の出来が惜しまれるが、充実した演奏会であった。

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全国学力テスト 結果は公表されたけれど

結果が公表された全国学力テスト。出身地や住んでいる都道府県の成績に一喜一憂される方もあるかと思いますが、テスト結果を基に、何をどうするのかということが問題であるように思われます。

テストの結果をもって、他都道府県に負けじと競争するための材料にするのでしょうか。しかし、それにしても各都道府県ごとの成績と教育との因果関係をどう見つけ、どう対処するのかという問題の答えを探るのは難しそうです(成績上位に北陸地方の県が多い。北陸地方は邸宅が大きいことでも知られる、ということは子供達の多くが個室を持っていてそこで勉強するので成績が上がるという単純な図式は見えそうですが)。

ある県の成績が良かったとして、それは教師の質が良かったのか、生徒が優秀だったのか。平均点は出たけれどもバラツキはどうだったのか。平均点は低くても上位層が厚い(つまり学力が二分化している)のと、平均点は高くてもバラツキがない(優秀とされる層が薄い)のではどちらが良いのか。

とにかく、テスト漬けにして毎年のように全国学力テストを行い、学校同士を競争させているイギリスの教育成果が上がっていないということもあり(福田誠治 『競争しても学力行き止まり』朝日選書)、今、他のことでも話題になっているサッチャーさんの政策追随に疑問を持つ人がもっといても良く、そうした疑問を持つ力は、学力以上に重要だと思われるのですが。

私が生まれ育った千葉県は自慢じゃないですが教育政策がヤクザなところで、私が子供の頃は教師一人当たりの生徒数が全国一位(マスプロ教育であり、つまり教師の目が生徒一人一人に行き届かない。それ以前に教師の数自体が足りない)になるなど、教育に問題のある県でしたが、一方で県立千葉高校のような、公立校としては全国屈指の進学校を擁するなど、公立校の凋落が明らかだった東京都などに比べると、進学に関しては良い成果を上げていました。今回の全国学力テストでも千葉県の成績は下位ではなく中位で、全国平均よりも上です。普通に考えて、教師の力ではなく、生徒の質が高かった(千葉県の東京湾沿いに家を構えた人達というのはインテリ層が多く、結果、その子供も勉強が出来たということだけなのかも知れない)ということでしょう。こうしたことは、教育において重要である、教師側の問題が見えにくくなっているようにも思われるのです。

となると、全国学力テストで計ることが出来るのは何かが問われてしかるべきなのに、それについては問われることなく、今後も漫然とテストが行われるということが続いてしまうのではないかという危惧の念も起こってくるのです。

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2008年8月29日 (金)

歌舞伎と能 映像で観た二つの「隅田川」

いずれもDVDでの鑑賞。

まず歌舞伎舞踊版の「隅田川」を観てみる。能の「隅田川」を基に明治になってから作られたもの。班女(狂女)に六世中村歌右衛門。舟人に十七世(先代)中村勘三郎。昭和56年1月、東京の歌舞伎座での収録。「隅田川」の班女は歌右衛門の当たり役であり、海外でも高い評価を受けたという。

武蔵と下総の国境、隅田川。班女が花道から出て来て身の上を語る。班女は京都の北白川に住む公家、吉田某の妻だったのだが、ある日、一人息子の梅若丸が、奥州から来た商人にかどわかされてしまう。それを追い、東国までやって来たのだ。

舟人が現れたので、班女は向こう岸(下総・葛飾)に渡して欲しいという。すると念仏が聞こえるので舟人が、「昨年の丁度今日、十歳ほどの稚児がその先で亡くなった。命日なので皆で念仏を唱えているのだ」という。班女はその稚児のことを訪ねる。「京の白川からやってきた梅若丸という稚児」であり、この地で病に倒れたが、商人は薄情なことにあっさり見捨てて一人奥州へと旅立ってしまった。梅若丸は「母が来たなら、梅若はこの地で亡くなったと伝えて欲しい」と村人に頼み、息絶えたという。

梅若丸の塚の前にやってくる班女と舟人。班女は墓を掘り返して姿を見たいと言うがそれは叶わない。その時、班女は梅若丸の声を聴き、姿を見る。しかしそれは都鳥(ゆりかもめ)の声であり、ポツンと立つ柳の姿であった。

中村歌右衛門の表情が絶妙である。先代の勘三郎も惻隠の情を自然に表出していて上手い。

隅田川の場が有名な「伊勢物語」の主人公のモデル・在原業平にかけて、「かくなることと業平の」といった掛詞を使ったり、「いざこととはむ、都鳥」の歌をアレンジしたりと本も洗練されている。上演時間は約30分。

今度は能の「隅田川」を観てみる。登場人物は舟人、商人(梅若丸を誘拐した商人ではない)、梅若丸の母、梅若丸の霊。

歌舞伎に比べると洗練度は不足しており、時間も長い。歌舞伎舞踊「隅田川」がラストに至るのと同じ時間を費やしてもまだ、梅若丸の母は船に乗ってすらいない。

商人は念仏を聴いて、昨年の今日、何があったのかを舟人と語らうだけの役で余り重要ではないが、能版「隅田川」では梅若丸の母は最初から狂女と決めつけられ、最初は船に乗ることも拒否されており、意気消沈していて話せる状態ではないということで、説明係として商人が必要なのだろう。

在原業平の歌を何度も何度も繰り返すなど無駄が多いが、その無駄を楽しめるかどうかが鍵となる。

梅若丸の塚の場で謡いが「南無阿弥陀仏」と何度も唱える。すると突然、その「南無阿弥陀仏」の声の中に子供の声が混じる。この場面はハッとさせられる。梅若丸の霊が現れる。母は梅若丸の手を取ろうとするが、梅若丸は姿を消してしまう。それが幻影であり、幻聴であったことを知った母の嘆き。そのまま、何の救いもないまま物語は終わる。無駄に耐えた分だけ、こちらの悲しみは深くなる。

上演時間は約80分。歌舞伎舞踊版「隅田川」の方が見やすいし、セリフや謡いも上だと思うが、感銘は能の「隅田川」の方がずっと強い。

狂女の面は角度や見るものの気持ちによって見え方が変わる。悲しみ、喜び、そしてラストの打ちひしがれた表情など、無表情な能面のはずなのに表情豊かだ。興味深い。

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京都の底

永世に よしや飽きたか恥知らず 追われるべきを許されたのに

名は体を表すという彼もまた精神年齢まさに高一

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これまでに観た映画より(34) 「リンダ リンダ リンダ」

DVDで日本映画「リンダ リンダ リンダ」を観る。タイトルはザ・ブルーハーツの名曲「リンダ リンダ」から取られている。

何故か、「子猫をお願い」の韓国人女優、ペ・ドゥナ主演の学園ドラマ。主演は他に、香椎由宇、前田亜季ほか。元ザ・ブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトの実弟で、俳優の甲本雅裕(元・東京サンシャインボーイズ)も教師役として出演している。山下敦弘監督作品。
前橋や高崎といった群馬県でロケが行われた映画である。

田舎にある芝崎高校の学園祭。出演予定だった女の子バンドだが、トラブルがあり、崩壊寸前の状態にある。響子(前田亜季)は恵(けい。香椎由宇)や望(関根史織)らとバンド再結成を目論む。曲目はザ・ブルーハーツに決定。しかしボーカルがいない。そこで、たまたま通りかかった、韓国からの留学生、ソン(ペ・ドゥナ)をボーカルの起用するのだった…。

ジャズを題材にした「スウィング・ガールズ」に少し似たところがあるが、「スウィング・ガールズ」がずぶの素人が成長していく過程を描いたのに対し、「リンダ リンダ リンダ」は基礎は出来ている女の子達の話であり、それだけに音楽的上達よりも女の子同士の友情に重点が置かれている(とはいえ、例によって、テクニカルタームでいう「妨害」はあり、ここだけは「スウィング・ガールズ」にそっくりである)。

俳優陣はしっかりした演技を見せる。ペ・ドゥナのポニーテールが似合っていないのと、前田亜季がしばらく見ない間に佐藤仁美のようになっていたのが気になるが、物語には影響していない。

ラストのステージのシーンはノリノリでここだけでも見る価値はある。だが、夢のシーンは本当に必要だったのかどうか。

ちなみに同級生を演じてはいるが、最年長のペ・ドゥナ(撮影当時25歳)と最年少の香椎由宇(撮影当時17歳)の年の差は8歳もある。

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2008年8月27日 (水)

ところで、徳永英明が初主演した

徳永英明が初主演したドラマ「悲しいほど好き」(2時間ドラマだったかな? とにかく単発ドラマでした。1989年放送)を憶えている方はどのくらいいるのでしょう。

私は見ています。数シーンの記憶、そして相手役が森山祐子(森山ゆうこ)だったということしか憶えていないのですが、徳永英明が演技をしているというのが新鮮でした。

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徳永英明 『SINGLES BEST』

徳永英明のシングル曲を集めたアルバム『徳永英明 SINGLES BEST』(ユニバーサル・シグマ)。デビュー曲「レイニーブルー」から最新シングル「愛が哀しいから」まで、全28曲を収録した2枚組CD。

徳永英明 『SINGLES BEST』徳永英明のオリジナルシングルだけを集めたTypeA(左のジャケット写真がそれです)、「VOCALIT」からの3曲も収録したTypeB、オリジナルシングルにビデオクリップの入ったDVDがついたTypeCの3種類での発売です。ジャケットも別々のものが用いられているので、それも含めてお好みのものをチョイス出来ます。

作詞は徳永を含めて複数の人物が、作曲は大半を徳永英明が手掛けていますが、徳永の年齢と時代の移り変わりがよく出ており、ラヴソングばかりの最初期(「レイニーブルー」、「輝きながら…」、「風のエオリア」、「最後の言い訳」、「恋人」など)、社会的なメッセージも含む次の時代(「壊れかけのRadio」、「Wednesday Moon」、「Love Is All」など)、よりナチュラルな歌詞とメロディーが奥行きと立体感を増した最近と、徳永の成熟を知る上でも興味深いアルバムです。

徳永英明/Singles Best: Type A (Ltd)

徳永英明/Singles Best: Type B (Ltd)

徳永英明/Singles Best: Type C (+dvd)(Ltd)

SINGLES BEST<通常価格盤>

?永英明 - SINGLES BEST (29 TRACKS VERSION)

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2008年8月26日 (火)

ブログ分析ブログパーツemo[エモ]を付けてみました

ブロガーの性格が分析できるというブログパーツemo[エモ]を付けてみました。左側サイドバーの一番下にあります。お遊びだと考えているので、重要な場所は与えませんでした。

結果は、うーん、かなりお堅い奴というイメージのようですね。実際、お堅いのかも知れませんが。

しかし、口癖分析の能力はやはり低いようで、技術発展途上のブログパーツという感は否めず。

ということでやはりお遊びと捉えた方が無難なようです。

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コンサートの記(17) パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団来日公演2008・大阪

2008年5月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

大阪へ。フェスティバールホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の来日公演を聴く。午後7時開演。

曲目は、エレーヌ・グリモーをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と、ブラームスの交響曲第2番。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮の演奏会は、昨年、一昨年と聴いているが、昨年は横浜で、一昨年は名古屋で聴いている。関西で聴くのはこれが初めて。また、昨年、一昨年ともにドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの率いての来日であり、フランクフルト放送交響楽団とのコンビを聴くのはこれが初めてである。

エリアフ・インバルとの「マーラー交響曲全集」と「ブルックナー交響曲全集」で有名になったフランクフルト放送交響楽団は、その名の通り、ドイツの経済の中心であり、文豪ゲーテの故郷としても知られるフランクフルト・アム・マインに本拠地を置くオーケストラ。現在の正式名称はHR交響楽団(HRとはヘッセン放送のこと)。まるで三谷幸喜脚本・演出のドラマ用のオーケストラのようだ。最近では、パーヴォの前任者であるヒュー・ウルフの指揮で脳天気なほどに明るいベートーヴェンのCDをリリースしている。

ピアノソロのエレーヌ・グリモーは、フランスの美貌の天才女性ピアニストとして知られる。ラヴェルのピアノ協奏曲(ヘスス・ロペス・コボス指揮盤とデイヴィッド・ジンマン指揮盤の2種類がある)や、ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲のCDで史上屈指の名演を繰り広げている。

ただ、この人、結構な変人でもある。子供の頃は自傷行為を繰り返す問題児で、現在は何故か狼の研究者としても活躍していたりする。ディスコグラフィーを見る限り、レパートリーも余り広くないようだ。

で、そのグリモーとパーヴォ指揮フランクフルト放送交響楽団による「皇帝」であるが、予想を遙かに超えて良かった。

グリモーのピアノは「アイボリー・トーン」と名付けたらよいのか、独特の気品と温かさを兼ね備えた独特の音色を持ち、テクニックも冴えている。ピアニッシモも単に弱いだけでなく、湖の水面を揺らす風の調べのような詩的なイメージを喚起させる。余談だが、パーヴォ・ヤルヴィの「ヤルヴィ」とはエストニア語で(そしてフィンランド語でも)「湖」という意味である。本当に余談でした。

パーヴォ・ヤルヴィの指揮は、ちょっとした動きでさえもオーケストラに音楽として伝わっている。パーヴォの体の動きの通りに音楽が生まれるのだ。これは凄い。カルロス・クライバー亡き後、最高のバトンテクニックの持ち主はパーヴォかも知れない。

「皇帝」の第2楽章。パーヴォは極端に弱く、しかし多彩な音色を塗り重ねて拡がりのある音空間を作り上げる。そして続くグリモーのピアノもパーヴォに負けじとピアニッシモで豊かな音楽を紡いでいく。力のある音楽家同士の共演により、より高い次元の音楽が生まれていく。これがライブの良さだ。

後半、ブラームスの交響曲第2番。フランクフルト放送交響楽団の爽やかな音色が印象的。しかもただ爽やかなだけでなく濃密である。初夏の森の香りのようだ。
オーボエがリード作りに失敗したのか、たまに音が抜けていたが、さほどの傷ではない。

パーヴォの指揮はリズム感が抜群。リズム感に関しては、録音を含めた過去の演奏の中でもトップクラスだろう。

フランクフルト放送交響楽団の奏者達は集中力が凄い。2階席の上の方で聴いていたけど、そこまでも気合いがバンバン伝わってくる。

アンコールは3曲。まずはブラームスの「ハンガリー舞曲集」より第5番と第6番。これも音こそ軽めであったが、パーヴォのリズム感がものをいって、個性溢れる演奏になっていた。

そしてパーヴォのアンコール曲といえば、待ってましたの「悲しきワルツ」(シベリウス)。今日もあの、遙か彼方から響いてくるような超絶のピアニシモを聴くことが出来た。良かった。

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2008年8月25日 (月)

シャープペンシルより鉛筆が好きである

理由は極めてシンプルで、「筆圧が高い」からである。筆圧が高いことに、心理学的意味を見出そうとする人もいるようだが、多分、筆圧が高いことに深い意味はないと思われる。

学生時代も筆圧が高いため、シャープペンシルだとすぐに芯を折ってしまうので、専ら鉛筆を使っていた。鉛筆にはこだわりがあって、三菱鉛筆のuni(ユニ)しか使わなかった。uniは滑りが良く、比較的筆圧の高い人に向いていると思われる(ちなみに消しゴムはなぜかトンボ鉛筆のMONOの方が好きだった)。

「筆圧が高い人は、ワープロやパソコンのキーボードも思いっ切り叩く」傾向があると何かで読んだことがあるが、確かに私の場合も、パソコンのキーボードは強めに叩いている。

そういえば、キャッチボールなどでも緩い球だとコントロールが付けにくく、自然と速い球やスナップを利かせたボールを投げてしまう方である。子供の頃はスピードボールにこだわっていたので、ゆっくり投げるということはほとんどなかったのだが、高校時代の体育の時間にソフトボールをやったときにゆったりと投げたら却って変な方向にボールが行ってしまうことに気がついたのだった。

様々な事情から見るに、良くも悪くも手抜きが下手だということはいえるのかも知れない。

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これまでに観た映画より(33) 「危険な関係」

DVDでアメリカ映画「危険な関係」を観る。ラクロの小説の映画化。スティーヴン・フリアーズ監督作品。出演、グレン・クローズ、ジョン・マルコヴィチ、ミシェル・ファイファー、キアヌ・リーブス、ユマ・サーマンほか。

パリとその周辺が舞台。フランス革命前夜の貴族達の堕落した生活が描かれる。貴族達はとにかくすることがないので、愛欲のゲームに励んでいる。こんなことをしていたのでは、そりゃ革命も起こされるよな。

メルトイユ侯爵夫人(グレン・クローズ)は、恋人のバスティード伯爵が結婚すると知り、かつて彼女の恋人であり、パリ一のドン・ファンであるバルモン子爵(ジョン・マルコヴィチ)に密かな陰謀を打ち明ける。バスティード伯爵の結婚相手と噂されるセシル(ユマ・サーマン)と関係を持って、バスティード伯爵に恥をかかせようというのだ……。

メルトイユ侯爵夫人とバルモン子爵の、それぞれの寝起きの場面から映画は始まり、二人が運命共同体であることが象徴される。そして映画は、メルトイユ伯爵夫人が泣きながら化粧を落とすという、これまた象徴的な場面で終わる。

心理小説を原作としているだけあって、登場人物の心理攻防戦の描き方が巧みである。バルモンは、相手が相手自身の美質だと思い込んでいるところにつけ込み、また、相手が言葉では拒絶しながら受けいれる姿勢を見せているのがわかっているのに、相手の言葉通りに拒絶を受けいれて相手を焦らせてみせる。

メルトイユ伯爵夫人とバルモン子爵が相似形を成しているように、トゥルベール夫人(ミシェル・ファイファー)とセシルも相似形を成している。トゥルベール夫人は熱心なキリスト教信者であり、セシルは最近まで修道院にいた。
ただ、セシルが経験と共に知性も少々足りない(壷に鍵を落としたセシルは、壷をひっくり返すという発想が出来ず、入るはずのない壷の口に手を突っ込んでいる。バルモンはセシルの知性を最初から見抜いているようで、彼女には早口でまくし立てて考える余裕を与えなかったりする)のに対し、トゥルベール夫人はバルモンの手練手管に翻弄されながら、敬虔さを保とうとする知性の持ち主であり、これが愛欲をゲームとしか考えていないバルモンの感情を狂わせることになる。

俳優達の表情の演技の細かさが特筆事項。それも単なる表情の演技に留まらない。最初に人をあざ笑いながら、当人と会った瞬間に聖女のような顔をしてみるメルトイユ伯爵夫人のあざとさに、見る者は笑ってしまうのだが、二度目に同じ表情をメルトイユ伯爵夫人がした時に人々が見るのはメルトイユ伯爵夫人の悲しさなのである。

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2008年8月23日 (土)

白虎隊の日

本日、8月23日は白虎隊の日。燃え上がる会津若松の街を目にして、会津若松城も落ちたと勘違いした白虎隊士が飯盛山で集団自決した日であります。集団自決したのは白虎隊士の一部であり、更に傷が浅くて助かった隊士もいて、飯盛山で何が起こったのかがわかり、白虎隊の悲劇が語り継がれることになりました。

私も、随分前ですが、会津若松に旅行した時に、会津若松城と飯盛山を訪れています。

薩長軍の攻撃にも耐え抜いた会津若松城ですが、市民に危害が及んだため(これについてはここでは詳しく触れません)、松平容保公は開城、降伏を決めました。

飯盛山から会津若松城までは比較的遠く、肉眼で城が落ちたかどうかは確認できないだろうと思われました。若者だけで結成された白虎隊、若さが出てしまいました。

白虎隊ばかりが有名ですが、他の四神に由来した隊もありました。年齢の若い順に、白虎隊、朱雀隊、青龍隊、玄武隊。個別に戦っていたわけではなく、互いに協力し合っていたのですが、白虎隊士中二番隊は敗走中に主力部隊からはぐれてしまい、白虎隊の一部が布陣していた飯盛山に避難した後に悲劇が起こりました。

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2008年8月22日 (金)

柴田淳 「愛をする人」blogパーツを設置しました

「しばじゅん」こと柴田淳さんのニューシングルで、映画「おろち」の主題歌である「愛をする人 Orochi's Theme」のブログパーツを設置しました。「柴田淳オフィシャルサイト」の提供で、2008年11月末までの限定公開です。当ブログの右側サイドバーを御覧下さい。

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懐かしの歌2 小泉今日子 「夜明けのMEW」

段々秋めいてきましたが、まだまだ暑さの残る夏の夜。夏の夜というと私は毎年、小泉今日子が歌った「夜明けのMEW」を思い出します。

“眠れない夏”というフレーズがあるのが、寝苦しい夏の夜になるとこの歌を思い出す理由ですが、秋元康と筒美京平のコンビによる切ない歌詞とメロディーも印象的。

“君をすべて知っていると思っていた”“君がすべて知っていると思っていた”
これらのフレーズも若い日の痛みを思い出します(私にもそれなりにあります。え? 訊いてないって?)。

秋元康の歌詞というと当たり外れが多いというイメージがありますが、これは当たり。

それにしても、この歌を唄っていた当時のキョンキョンはアイドル路線のど真ん中ですね。凄いです。

小泉今日子 - Ballad Classics - 夜明けのMEW

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2008年8月21日 (木)

ところでソフトボールといえば

ソフトボールの起源は、アメリカのとある大学で、ある学生がボクシングのグローブを投げつけ、相手がそれを箒で打ち返すという、ふざけあいが始めで、それが広まったものとされているようです(最初からインドア用ベースボールとして考案されたものとの異説もあり)。子供の頃にスポーツの起源を書いた本で読みました。

そうしてボクシンググローブを箒で打ち返しているのを見たジョージ・ハンコックなる人物が、「それで室内用のベースボールをやってみれば」ということで、現在の形のソフトボールへと進化しました。ボールもバットも専用のものになりましたが、一度、オリジナルのボクシンググローブと箒によるプレーも見てみたい気がします。多分、見ていてもやっていても、さほど面白いもののはならないとも思いますが。

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ソフトボール日本代表、金メダル!

ソフトボール日本代表がアメリカ代表チームを3対1で下し、初の金メダルに輝く。オリンピック競技から外れることが決まっているソフトボールだが、これまで銀メダルが最高だった日本代表が、最後の最後で栄冠を手にした。

ロンドン・オリンピックの競技からは外れることが決まっているソフトボールだが、今後永久に外れることが決まっているわけではない。今後もソフトボール競技の面白さを伝えて、オリンピック競技への復帰を果たして貰いたいところだ。

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観劇感想精選(47) 「道元の冒険」

2008年8月3日、大阪・京橋のイオン化粧品シアターBRAVA!にて観劇

午後3時より、大阪・京橋のシアターBRAVA!にて、「道元の冒険」を観劇。作:井上ひさし、演出:蜷川幸雄、音楽:伊藤ヨタロウ、出演:阿部寛、栗山千明、北村有起哉、横山めぐみ、高橋洋、大石継太、片岡サチ、池谷のぶえ、茂手木桜子、金子文、手塚秀彰、神保共子、木場勝己。

曹洞宗の開祖、道元の生涯を俳優達が入れ替わり立ち替わり演じてみせる。道元その人は阿部寛が一貫して演じる(サブストーリーとして、婦女暴行、重婚などの罪で精神鑑定を受けている男が出てくるが、これも阿部寛が演じる)が、少年期の道元を栗山千明が、青年期の道元を北村有起哉がそれぞれ劇中劇の形で演じてみせる。

井上ひさし一流の笑いの要素がふんだんに盛り込まれ、伊藤ヨタロウの音楽も、仏教の話なのに讃美歌風の曲があったり、カノンが用いられたりと楽しい。
早稲田大学の校歌と明治大学の校歌、慶應義塾大学の学生歌「若き血」のパロディーが歌われたのも(明大出身であるため)個人的には嬉しかった。

ラストに、現在流されている番組がそのまま映っているテレビモニターが出てくる手法は、蜷川幸雄がよく用いるものだが、「道元の冒険」と合っているのかどうかは疑問であった。内容よりも手法に拘ったような感じも受ける。

「道元の冒険」における、道元の仏教観は、演劇のみならず「表現」に対する我々の在り方という点でも哲学という点でも興味深く、「民衆こそが主役」という井上ひさし的な世界観もよく伝わってきた。

道元の冒険

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2008年8月20日 (水)

観劇感想精選(46) 少年王者舘KUDAN Project 「真夜中の弥次さん喜多さん」

2005年3月11日 大阪・なんばの精華小劇場にて観劇

大阪・なんばへ。精華小劇場で少年王者舘KUDAN Projectの二人芝居「真夜中の弥次さん喜多さん」を観る。原作は、しりあがり寿。脚本・演出は演劇界の魔術師、天野天街。しりあがり寿の原作は宮藤官九郎の脚本と監督で映画化もされる。

とにかく面白い劇だ。これまで禁忌とされてきた演劇表現を平気で行う。現実と虚構の壁を自由自在に通り抜け、メタ演劇やメタ漫画の手法を駆使する。
例によって、同じシーンも執拗に何度も何度も繰り返す。しつこいが、それが次第に快感に変わっていくのは不思議だ。

役者が本当に携帯電話をかけて実際にうどんの出前を取ってしまうという、舞台に現実を紛れ込ませるやりかたなど笑える。これは画でも小説でも漫画でも出来ない、舞台だからこそ可能な手法だ。
あまりに楽しいので、見ているこちらも最初から最後までずっと笑顔である。
装置の使い方も楽しいし、映像や文字や音楽の挿入など本当に巧い。
二人の役者(小熊ヒデジ、寺十吾)も達者である。超現実的な作品の登場人物に血を通わせることに成功している。

従来のリアリズムの演劇が古く感じる。本当に魔術を見ているような芝居で、このようなものを作れる天野天街の才能には脱帽せざるを得ない。

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2008年8月19日 (火)

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第8番

交響曲第7番「レニングラード」でレニングラード包囲戦を描いたショスタコーヴィチは、続く交響曲第8番でも戦争を題材として取り上げました。レニングラード包囲戦と同様、独ソの激しい攻防のあったスターリングラード(現在のボルゴグラード)包囲戦になぞらえて、「スターリングラード」ともかつては呼ばれたこの曲は、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮によって初演されました。

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第8番 その初演者にして、のちに曲を献呈されたムラヴィンスキーによる交響曲第8番。ソ連で録音されたものが、のちに西側ではオランダのフィリップス・レーベルから出ましたが、フィリップス盤は長らく廃盤となっています。そこでタワーレコードが独自に出したのが上のCD。

原盤のピッチに問題があるそうで、やや高めの明るい音になっていますが(最近、他のレーベルからピッチを修正した盤も出ました)、演奏は凄絶であり、ショスタコーヴィチの交響曲第8番の演奏としては、まず第一に挙げられる録音でしょう。

ムラヴィンスキーの抉りのきいた厳しい音楽作りに、レニングラード・フィルの鋼の如く強力な音が加わった、辛口の好演です。

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番/ムラヴィンスキー

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2008年8月18日 (月)

ジャズ史上の一里塚 マイルス・デイビス(マイルス・デイヴィス) 「マイルストーンズ」

常にジャズ界の先頭を走り、「帝王」の名を手にしたマイルス・デイビス(マイルス・デイヴィス)。
そのマイルス・デイビスの代表作の一つ、「マイルストーンズ」(ソニー)。

マイルス・デイビス(デイヴィス) 「マイルストーンズ」 マイルスのトランペット、ジョン・コルトレーンのテナーサックス、キャノンボール・アダレーのアルトサックスの三人が特に強力ですが、レッド・ガーランドのピアノ、ポール・チェンバースのベース、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムスの妙技も相まって、鉄壁のマイルス・デイビス・セクステットを形成しています。

ジャズ史上の一里塚(マイルストーン)を築くべく発表された本作ですが、その意気込みに負けないだけの仕上がりになっているのが流石。

マイルスのトランペットはテクニックに問題があるといわれてきましたが、技術方面はコルトレーンやキャノンボール・アダレーに任せて、プロデューサー的な視点から要所要所を締めるマイルスの演奏はやはり貫禄があります。

Miles Davis/Milestones (Hyb)

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今の「おけいはん」こと

神農幸さんは、おけいはん以外のCMでの方がよく見かけますね。

大正製薬の「アルフェネオ」NTTコミュニケーションズのプラチナラインと0033モバイル。

公式ブログ「切りすぎた前髪」を読むと映画に出るなど、どんどん活躍している模様。

「おけいはん」の名を全国区にしてくれるかも知れません。

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2008年8月17日 (日)

広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団 レスピーギ「ローマ三部作」

1991年、当時33歳だった広上淳一が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して録音したデビュー盤、レスピーギの「ローマ三部作」(「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭」)を紹介します。キャニオン・クラシックス。

広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団 レスピーギ「ローマ三部作」 1984年に第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールに優勝し、そのダイナミックな指揮姿と、強烈なエネルギーを放射する音楽作りで世界的な注目を浴びつつあった広上淳一がデビュー録音に選んだのはレスピーギの「ローマ三部作」。音楽史上屈指の華麗なオーケストレーションを誇る曲ですが、それだけに過去の名盤も多い三部作を、それも東京でも上位とは目されていない日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル)を指揮して録音するというのはかなりの勇気がいることだと思われますが、そこはさすが広上というべきか、30代前半の指揮者が日本のオーケストラを指揮して録音したとは思えない、華麗な音絵巻を広げていきます。

特に優れているのは、「ローマの噴水」。印象派風とされるこの作品の、光の変化までも音で描いてみせる技術は卓越しています。日フィルの音の美しさも特筆事項。

その日フィルは、低音を支える楽器群がやや弱く、高音が比較的目立ちます。それが「ローマの松」や「ローマの祭」ではオーケストラとしての力の弱さを感じさせる一因になっていますが、それでも1990年代初頭に日本人の若い指揮者と日本のオーケストラがこれだけのレスピーギを演奏していたということを伝える貴重な証言となっていることは間違いないでしょう。

レスピーギ:ローマの噴水/広上淳一&日本フィル

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2008年8月16日 (土)

よくわからない歌詞(4) 「肩たたき」

西条八十作詞の「肩たたき」

“母さん お肩をたたきましょ タントンタントンタントントン”

何故最後だけ同じ方を2回叩くのだ?

「タン」が右、「トン」が左だとすると、「右左右左右左左」となってしまうではないか。

まあ、これは次の「タントンタントンタントントン」で、「タン」を左、「トン」を右にすると回数は合うのでそれでもいいということにしよう。

“母さん白髪がありますね タントンタントンタントントン”

余計なお世話じゃないか。せめて、“母さん白髪がありますね 抜いてあげましょタントントン”ぐらいじゃないと親孝行な感じがしないではないか。

ちなみに、“真っ赤な罌粟(けし)が笑ってる”のところを題材に、村上春樹が短編小説(というより掌編小説かな?)を書いている。結構面白い。

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