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2008年8月の45件の記事

2008年8月31日 (日)

羊の数を数えてみた

眠れない時になぜ羊の数を数えるのかというと、これは英語圏での習慣で、羊(sheep)と眠る(sleep)の掛詞だからだという。

ということは、日本人が「羊」で数えても大して意味はないということになる。

だが、全く効果がないのかどうか、昨日眠りに就けなかったので試してみた。550匹まで数えてみた。眠れなかった。

ところで、羊を数える単位は、「匹」ではなく「頭」がより正確なのではないかと思われるのだが(「頭」は西洋での数え方からきたもの。東洋では「匹」が量詞なので間違いというわけではないが、眠れない時に羊を数えるのは西洋の習慣である)、なぜ「匹」で数えることになっているのだろう。「頭」より「匹」の方が眠りに誘い込みやすいという理由でもあるのだろうか(「羊が一頭、羊が二頭」では確かに眠りにくい気はする)。

そして、日本語を憶えたての外人さんが、羊を匹で数えようとすると混乱しそうだ。「匹」は読み方が変わるからである(いっぴき、にひき、さんびき(さんひき)、よんびき(よんひき)、ごひき、ろっぴき、ななひき、はっぴき、きゅうひき、じっぴき)。

“いっぴき、にぴき、あれ? 2は「ぴき」で良かったんだっけ?”という風に。

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2008年8月30日 (土)

コンサートの記(18) 広上淳一指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 いずみホール演奏会

2008年6月4日 大阪・京橋、いずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋にある、いずみホールで、広上淳一指揮関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。

曲目は、プッチーニの「交響的前奏曲」、田村響をソリストに迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェンの交響曲第4番。

午後6時40分過ぎに、例によって関西フィル理事の西濱さんが登場し、広上淳一を迎えてのトークがある。広上は普段着に眼鏡という格好で登場、ベートーヴェンの交響曲第4番の魅力について、「一言でいうと渋い」「噛めば噛むほど味が出るスルメのような曲」だと語る。

広上は人生の節目節目でベートーヴェンの交響曲第4番を振っているそうで、1984年の第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクール(広上は優勝を飾った)で最初に割り当てられた曲がベートーヴェンの交響曲第4番。5月に小澤征爾が体調不良で倒れ、水戸室内管弦楽団を振れなくなった時に、小澤本人から頼まれて水戸室内管相手に振ることになったのもベートーヴェンの交響曲第4番だという。今日の演奏会の曲目も、関西フィルの側からベートーヴェンの交響曲第4番を振って欲しいと頼まれたとのことだ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストを務める田村響は、高校を出て、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院に留学するためにオーストリアに旅立つ前日に、広上淳一指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団と共演しており、今回、関西フィルと共演するにあたり、広上の指揮を希望したのは田村であるとのことである。

プッチーニの「交響的前奏曲」。ありきたりだけれど、「夢見るような」と形容するしかない美しい響きがホール一杯に拡がる。弦も管も関西フィルとは思えないほど滑らかにして煌びやか。流石は広上と思わせる美演であった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリスト、田村響は1986年生まれ。「日本のデンマーク」こと愛知県安城市の出身である。1993年以降、日本国内の数多くのコンクールに参加。2001年に全日本学生音楽コンクール名古屋大会中学生部門で第1位。翌年には園田高弘賞ピアノコンクールで第1位に輝き、昨年はついにロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門での優勝を成し遂げた。

コンクールでの成績は当てにならないということが、クラシック音楽の世界では常識化している。しかしこの田村響というピアニスト、聴くのは初めてだがかなりの大物と見た。

田村響のピアノは打鍵が強いが、音が濁ることも乱暴になることもない。むしろ和音などは極めて美しく、ヴィルトゥオーゾ的テクニックから細やかな味までの幅広い技術も素晴らしい。前の方の席に座っていたのでペダリングにも注目してみたがかなり巧い。今年で22歳という若手だが、実演で聴いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストとしては最高クラスである。

顔も体も大きく、プロレスラーのような体型の田村だが、見かけとは正反対の繊細な味わいも持っている。

アンコールで弾いた、メンデルスゾーンの「甘い思い出」では、繊細さとロマンティシズムが発揮されたこれまた見事な演奏であった。

広上の伴奏は、プッチーニと打って変わってロシア的な仄暗い響きを関西フィルから引き出す。フルートの冴え冴えとした響き、濃厚な弦のうねりなど、ラフマニノフを聴く醍醐味を堪能させてくれる。

メインであるベートーヴェンの交響曲第4番。広上は時として大胆なデフォルメを行うが不自然な感じはしない。ティンパニの思い切った強打、アクセントの強調などが効果的で、熱い演奏を繰り広げる。

ただ、第1楽章では、関西フィルの弦楽群が、広上の棒に応え切れていないように聞こえた。広上はもっとバネを効かせた力強い響きを引き出したかったようだが、関西フィルの弦楽奏者は思ったよりも指の回りが悪く、音も柔らか過ぎて張りがなかった

オーケストラの実力は、こうした比較的シンプルな音型の部分でわかってしまうもののようだ。

第2楽章以降はハイレベルな演奏が繰り広げられただけに、第1楽章が不完全燃焼気味だったのが惜しまれる。

アンコールは、グリーグの『2つの悲しい旋律』より「過ぎた春」。弦楽のための音楽である。澄み切った音色で奏でられる旋律上に、哀感と優しさが花のようにポツリポツリと交互に咲いていく。
この手の曲を指揮させると広上は本当に上手い。

肝心のベートーヴェンの第1楽章の出来が惜しまれるが、充実した演奏会であった。

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全国学力テスト 結果は公表されたけれど

結果が公表された全国学力テスト。出身地や住んでいる都道府県の成績に一喜一憂される方もあるかと思いますが、テスト結果を基に、何をどうするのかということが問題であるように思われます。

テストの結果をもって、他都道府県に負けじと競争するための材料にするのでしょうか。しかし、それにしても各都道府県ごとの成績と教育との因果関係をどう見つけ、どう対処するのかという問題の答えを探るのは難しそうです(成績上位に北陸地方の県が多い。北陸地方は邸宅が大きいことでも知られる、ということは子供達の多くが個室を持っていてそこで勉強するので成績が上がるという単純な図式は見えそうですが)。

ある県の成績が良かったとして、それは教師の質が良かったのか、生徒が優秀だったのか。平均点は出たけれどもバラツキはどうだったのか。平均点は低くても上位層が厚い(つまり学力が二分化している)のと、平均点は高くてもバラツキがない(優秀とされる層が薄い)のではどちらが良いのか。

とにかく、テスト漬けにして毎年のように全国学力テストを行い、学校同士を競争させているイギリスの教育成果が上がっていないということもあり(福田誠治 『競争しても学力行き止まり』朝日選書)、今、他のことでも話題になっているサッチャーさんの政策追随に疑問を持つ人がもっといても良く、そうした疑問を持つ力は、学力以上に重要だと思われるのですが。

私が生まれ育った千葉県は自慢じゃないですが教育政策がヤクザなところで、私が子供の頃は教師一人当たりの生徒数が全国一位(マスプロ教育であり、つまり教師の目が生徒一人一人に行き届かない。それ以前に教師の数自体が足りない)になるなど、教育に問題のある県でしたが、一方で県立千葉高校のような、公立校としては全国屈指の進学校を擁するなど、公立校の凋落が明らかだった東京都などに比べると、進学に関しては良い成果を上げていました。今回の全国学力テストでも千葉県の成績は下位ではなく中位で、全国平均よりも上です。普通に考えて、教師の力ではなく、生徒の質が高かった(千葉県の東京湾沿いに家を構えた人達というのはインテリ層が多く、結果、その子供も勉強が出来たということだけなのかも知れない)ということでしょう。こうしたことは、教育において重要である、教師側の問題が見えにくくなっているようにも思われるのです。

となると、全国学力テストで計ることが出来るのは何かが問われてしかるべきなのに、それについては問われることなく、今後も漫然とテストが行われるということが続いてしまうのではないかという危惧の念も起こってくるのです。

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2008年8月29日 (金)

歌舞伎と能 映像で観た二つの「隅田川」

いずれもDVDでの鑑賞。

まず歌舞伎舞踊版の「隅田川」を観てみる。能の「隅田川」を基に明治になってから作られたもの。班女(狂女)に六世中村歌右衛門。舟人に十七世(先代)中村勘三郎。昭和56年1月、東京の歌舞伎座での収録。「隅田川」の班女は歌右衛門の当たり役であり、海外でも高い評価を受けたという。

武蔵と下総の国境、隅田川。班女が花道から出て来て身の上を語る。班女は京都の北白川に住む公家、吉田某の妻だったのだが、ある日、一人息子の梅若丸が、奥州から来た商人にかどわかされてしまう。それを追い、東国までやって来たのだ。

舟人が現れたので、班女は向こう岸(下総・葛飾)に渡して欲しいという。すると念仏が聞こえるので舟人が、「昨年の丁度今日、十歳ほどの稚児がその先で亡くなった。命日なので皆で念仏を唱えているのだ」という。班女はその稚児のことを訪ねる。「京の白川からやってきた梅若丸という稚児」であり、この地で病に倒れたが、商人は薄情なことにあっさり見捨てて一人奥州へと旅立ってしまった。梅若丸は「母が来たなら、梅若はこの地で亡くなったと伝えて欲しい」と村人に頼み、息絶えたという。

梅若丸の塚の前にやってくる班女と舟人。班女は墓を掘り返して姿を見たいと言うがそれは叶わない。その時、班女は梅若丸の声を聴き、姿を見る。しかしそれは都鳥(ゆりかもめ)の声であり、ポツンと立つ柳の姿であった。

中村歌右衛門の表情が絶妙である。先代の勘三郎も惻隠の情を自然に表出していて上手い。

隅田川の場が有名な「伊勢物語」の主人公のモデル・在原業平にかけて、「かくなることと業平の」といった掛詞を使ったり、「いざこととはむ、都鳥」の歌をアレンジしたりと本も洗練されている。上演時間は約30分。

今度は能の「隅田川」を観てみる。登場人物は舟人、商人(梅若丸を誘拐した商人ではない)、梅若丸の母、梅若丸の霊。

歌舞伎に比べると洗練度は不足しており、時間も長い。歌舞伎舞踊「隅田川」がラストに至るのと同じ時間を費やしてもまだ、梅若丸の母は船に乗ってすらいない。

商人は念仏を聴いて、昨年の今日、何があったのかを舟人と語らうだけの役で余り重要ではないが、能版「隅田川」では梅若丸の母は最初から狂女と決めつけられ、最初は船に乗ることも拒否されており、意気消沈していて話せる状態ではないということで、説明係として商人が必要なのだろう。

在原業平の歌を何度も何度も繰り返すなど無駄が多いが、その無駄を楽しめるかどうかが鍵となる。

梅若丸の塚の場で謡いが「南無阿弥陀仏」と何度も唱える。すると突然、その「南無阿弥陀仏」の声の中に子供の声が混じる。この場面はハッとさせられる。梅若丸の霊が現れる。母は梅若丸の手を取ろうとするが、梅若丸は姿を消してしまう。それが幻影であり、幻聴であったことを知った母の嘆き。そのまま、何の救いもないまま物語は終わる。無駄に耐えた分だけ、こちらの悲しみは深くなる。

上演時間は約80分。歌舞伎舞踊版「隅田川」の方が見やすいし、セリフや謡いも上だと思うが、感銘は能の「隅田川」の方がずっと強い。

狂女の面は角度や見るものの気持ちによって見え方が変わる。悲しみ、喜び、そしてラストの打ちひしがれた表情など、無表情な能面のはずなのに表情豊かだ。興味深い。

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京都の底

永世に よしや飽きたか恥知らず 追われるべきを許されたのに

名は体を表すという彼もまた精神年齢まさに高一

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これまでに観た映画より(34) 「リンダ リンダ リンダ」

DVDで日本映画「リンダ リンダ リンダ」を観る。タイトルはザ・ブルーハーツの名曲「リンダ リンダ」から取られている。

何故か、「子猫をお願い」の韓国人女優、ペ・ドゥナ主演の学園ドラマ。主演は他に、香椎由宇、前田亜季ほか。元ザ・ブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトの実弟で、俳優の甲本雅裕(元・東京サンシャインボーイズ)も教師役として出演している。山下敦弘監督作品。
前橋や高崎といった群馬県でロケが行われた映画である。

田舎にある芝崎高校の学園祭。出演予定だった女の子バンドだが、トラブルがあり、崩壊寸前の状態にある。響子(前田亜季)は恵(けい。香椎由宇)や望(関根史織)らとバンド再結成を目論む。曲目はザ・ブルーハーツに決定。しかしボーカルがいない。そこで、たまたま通りかかった、韓国からの留学生、ソン(ペ・ドゥナ)をボーカルの起用するのだった…。

ジャズを題材にした「スウィング・ガールズ」に少し似たところがあるが、「スウィング・ガールズ」がずぶの素人が成長していく過程を描いたのに対し、「リンダ リンダ リンダ」は基礎は出来ている女の子達の話であり、それだけに音楽的上達よりも女の子同士の友情に重点が置かれている(とはいえ、例によって、テクニカルタームでいう「妨害」はあり、ここだけは「スウィング・ガールズ」にそっくりである)。

俳優陣はしっかりした演技を見せる。ペ・ドゥナのポニーテールが似合っていないのと、前田亜季がしばらく見ない間に佐藤仁美のようになっていたのが気になるが、物語には影響していない。

ラストのステージのシーンはノリノリでここだけでも見る価値はある。だが、夢のシーンは本当に必要だったのかどうか。

ちなみに同級生を演じてはいるが、最年長のペ・ドゥナ(撮影当時25歳)と最年少の香椎由宇(撮影当時17歳)の年の差は8歳もある。

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2008年8月27日 (水)

ところで、徳永英明が初主演した

徳永英明が初主演したドラマ「悲しいほど好き」(2時間ドラマだったかな? とにかく単発ドラマでした。1989年放送)を憶えている方はどのくらいいるのでしょう。

私は見ています。数シーンの記憶、そして相手役が森山祐子(森山ゆうこ)だったということしか憶えていないのですが、徳永英明が演技をしているというのが新鮮でした。

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徳永英明 『SINGLES BEST』

徳永英明のシングル曲を集めたアルバム『徳永英明 SINGLES BEST』(ユニバーサル・シグマ)。デビュー曲「レイニーブルー」から最新シングル「愛が哀しいから」まで、全28曲を収録した2枚組CD。

徳永英明 『SINGLES BEST』徳永英明のオリジナルシングルだけを集めたTypeA(左のジャケット写真がそれです)、「VOCALIT」からの3曲も収録したTypeB、オリジナルシングルにビデオクリップの入ったDVDがついたTypeCの3種類での発売です。ジャケットも別々のものが用いられているので、それも含めてお好みのものをチョイス出来ます。

作詞は徳永を含めて複数の人物が、作曲は大半を徳永英明が手掛けていますが、徳永の年齢と時代の移り変わりがよく出ており、ラヴソングばかりの最初期(「レイニーブルー」、「輝きながら…」、「風のエオリア」、「最後の言い訳」、「恋人」など)、社会的なメッセージも含む次の時代(「壊れかけのRadio」、「Wednesday Moon」、「Love Is All」など)、よりナチュラルな歌詞とメロディーが奥行きと立体感を増した最近と、徳永の成熟を知る上でも興味深いアルバムです。

徳永英明/Singles Best: Type A (Ltd)

徳永英明/Singles Best: Type B (Ltd)

徳永英明/Singles Best: Type C (+dvd)(Ltd)

SINGLES BEST<通常価格盤>

?永英明 - SINGLES BEST (29 TRACKS VERSION)

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2008年8月26日 (火)

ブログ分析ブログパーツemo[エモ]を付けてみました

ブロガーの性格が分析できるというブログパーツemo[エモ]を付けてみました。左側サイドバーの一番下にあります。お遊びだと考えているので、重要な場所は与えませんでした。

結果は、うーん、かなりお堅い奴というイメージのようですね。実際、お堅いのかも知れませんが。

しかし、口癖分析の能力はやはり低いようで、技術発展途上のブログパーツという感は否めず。

ということでやはりお遊びと捉えた方が無難なようです。

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コンサートの記(17) パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団来日公演2008・大阪

2008年5月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

大阪へ。フェスティバールホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の来日公演を聴く。午後7時開演。

曲目は、エレーヌ・グリモーをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と、ブラームスの交響曲第2番。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮の演奏会は、昨年、一昨年と聴いているが、昨年は横浜で、一昨年は名古屋で聴いている。関西で聴くのはこれが初めて。また、昨年、一昨年ともにドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの率いての来日であり、フランクフルト放送交響楽団とのコンビを聴くのはこれが初めてである。

エリアフ・インバルとの「マーラー交響曲全集」と「ブルックナー交響曲全集」で有名になったフランクフルト放送交響楽団は、その名の通り、ドイツの経済の中心であり、文豪ゲーテの故郷としても知られるフランクフルト・アム・マインに本拠地を置くオーケストラ。現在の正式名称はHR交響楽団(HRとはヘッセン放送のこと)。まるで三谷幸喜脚本・演出のドラマ用のオーケストラのようだ。最近では、パーヴォの前任者であるヒュー・ウルフの指揮で脳天気なほどに明るいベートーヴェンのCDをリリースしている。

ピアノソロのエレーヌ・グリモーは、フランスの美貌の天才女性ピアニストとして知られる。ラヴェルのピアノ協奏曲(ヘスス・ロペス・コボス指揮盤とデイヴィッド・ジンマン指揮盤の2種類がある)や、ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲のCDで史上屈指の名演を繰り広げている。

ただ、この人、結構な変人でもある。子供の頃は自傷行為を繰り返す問題児で、現在は何故か狼の研究者としても活躍していたりする。ディスコグラフィーを見る限り、レパートリーも余り広くないようだ。

で、そのグリモーとパーヴォ指揮フランクフルト放送交響楽団による「皇帝」であるが、予想を遙かに超えて良かった。

グリモーのピアノは「アイボリー・トーン」と名付けたらよいのか、独特の気品と温かさを兼ね備えた独特の音色を持ち、テクニックも冴えている。ピアニッシモも単に弱いだけでなく、湖の水面を揺らす風の調べのような詩的なイメージを喚起させる。余談だが、パーヴォ・ヤルヴィの「ヤルヴィ」とはエストニア語で(そしてフィンランド語でも)「湖」という意味である。本当に余談でした。

パーヴォ・ヤルヴィの指揮は、ちょっとした動きでさえもオーケストラに音楽として伝わっている。パーヴォの体の動きの通りに音楽が生まれるのだ。これは凄い。カルロス・クライバー亡き後、最高のバトンテクニックの持ち主はパーヴォかも知れない。

「皇帝」の第2楽章。パーヴォは極端に弱く、しかし多彩な音色を塗り重ねて拡がりのある音空間を作り上げる。そして続くグリモーのピアノもパーヴォに負けじとピアニッシモで豊かな音楽を紡いでいく。力のある音楽家同士の共演により、より高い次元の音楽が生まれていく。これがライブの良さだ。

後半、ブラームスの交響曲第2番。フランクフルト放送交響楽団の爽やかな音色が印象的。しかもただ爽やかなだけでなく濃密である。初夏の森の香りのようだ。
オーボエがリード作りに失敗したのか、たまに音が抜けていたが、さほどの傷ではない。

パーヴォの指揮はリズム感が抜群。リズム感に関しては、録音を含めた過去の演奏の中でもトップクラスだろう。

フランクフルト放送交響楽団の奏者達は集中力が凄い。2階席の上の方で聴いていたけど、そこまでも気合いがバンバン伝わってくる。

アンコールは3曲。まずはブラームスの「ハンガリー舞曲集」より第5番と第6番。これも音こそ軽めであったが、パーヴォのリズム感がものをいって、個性溢れる演奏になっていた。

そしてパーヴォのアンコール曲といえば、待ってましたの「悲しきワルツ」(シベリウス)。今日もあの、遙か彼方から響いてくるような超絶のピアニシモを聴くことが出来た。良かった。

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2008年8月25日 (月)

シャープペンシルより鉛筆が好きである

理由は極めてシンプルで、「筆圧が高い」からである。筆圧が高いことに、心理学的意味を見出そうとする人もいるようだが、多分、筆圧が高いことに深い意味はないと思われる。

学生時代も筆圧が高いため、シャープペンシルだとすぐに芯を折ってしまうので、専ら鉛筆を使っていた。鉛筆にはこだわりがあって、三菱鉛筆のuni(ユニ)しか使わなかった。uniは滑りが良く、比較的筆圧の高い人に向いていると思われる(ちなみに消しゴムはなぜかトンボ鉛筆のMONOの方が好きだった)。

「筆圧が高い人は、ワープロやパソコンのキーボードも思いっ切り叩く」傾向があると何かで読んだことがあるが、確かに私の場合も、パソコンのキーボードは強めに叩いている。

そういえば、キャッチボールなどでも緩い球だとコントロールが付けにくく、自然と速い球やスナップを利かせたボールを投げてしまう方である。子供の頃はスピードボールにこだわっていたので、ゆっくり投げるということはほとんどなかったのだが、高校時代の体育の時間にソフトボールをやったときにゆったりと投げたら却って変な方向にボールが行ってしまうことに気がついたのだった。

様々な事情から見るに、良くも悪くも手抜きが下手だということはいえるのかも知れない。

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これまでに観た映画より(33) 「危険な関係」

DVDでアメリカ映画「危険な関係」を観る。ラクロの小説の映画化。スティーヴン・フリアーズ監督作品。出演、グレン・クローズ、ジョン・マルコヴィチ、ミシェル・ファイファー、キアヌ・リーブス、ユマ・サーマンほか。

パリとその周辺が舞台。フランス革命前夜の貴族達の堕落した生活が描かれる。貴族達はとにかくすることがないので、愛欲のゲームに励んでいる。こんなことをしていたのでは、そりゃ革命も起こされるよな。

メルトイユ侯爵夫人(グレン・クローズ)は、恋人のバスティード伯爵が結婚すると知り、かつて彼女の恋人であり、パリ一のドン・ファンであるバルモン子爵(ジョン・マルコヴィチ)に密かな陰謀を打ち明ける。バスティード伯爵の結婚相手と噂されるセシル(ユマ・サーマン)と関係を持って、バスティード伯爵に恥をかかせようというのだ……。

メルトイユ侯爵夫人とバルモン子爵の、それぞれの寝起きの場面から映画は始まり、二人が運命共同体であることが象徴される。そして映画は、メルトイユ伯爵夫人が泣きながら化粧を落とすという、これまた象徴的な場面で終わる。

心理小説を原作としているだけあって、登場人物の心理攻防戦の描き方が巧みである。バルモンは、相手が相手自身の美質だと思い込んでいるところにつけ込み、また、相手が言葉では拒絶しながら受けいれる姿勢を見せているのがわかっているのに、相手の言葉通りに拒絶を受けいれて相手を焦らせてみせる。

メルトイユ伯爵夫人とバルモン子爵が相似形を成しているように、トゥルベール夫人(ミシェル・ファイファー)とセシルも相似形を成している。トゥルベール夫人は熱心なキリスト教信者であり、セシルは最近まで修道院にいた。
ただ、セシルが経験と共に知性も少々足りない(壷に鍵を落としたセシルは、壷をひっくり返すという発想が出来ず、入るはずのない壷の口に手を突っ込んでいる。バルモンはセシルの知性を最初から見抜いているようで、彼女には早口でまくし立てて考える余裕を与えなかったりする)のに対し、トゥルベール夫人はバルモンの手練手管に翻弄されながら、敬虔さを保とうとする知性の持ち主であり、これが愛欲をゲームとしか考えていないバルモンの感情を狂わせることになる。

俳優達の表情の演技の細かさが特筆事項。それも単なる表情の演技に留まらない。最初に人をあざ笑いながら、当人と会った瞬間に聖女のような顔をしてみるメルトイユ伯爵夫人のあざとさに、見る者は笑ってしまうのだが、二度目に同じ表情をメルトイユ伯爵夫人がした時に人々が見るのはメルトイユ伯爵夫人の悲しさなのである。

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2008年8月23日 (土)

白虎隊の日

本日、8月23日は白虎隊の日。燃え上がる会津若松の街を目にして、会津若松城も落ちたと勘違いした白虎隊士が飯盛山で集団自決した日であります。集団自決したのは白虎隊士の一部であり、更に傷が浅くて助かった隊士もいて、飯盛山で何が起こったのかがわかり、白虎隊の悲劇が語り継がれることになりました。

私も、随分前ですが、会津若松に旅行した時に、会津若松城と飯盛山を訪れています。

薩長軍の攻撃にも耐え抜いた会津若松城ですが、市民に危害が及んだため(これについてはここでは詳しく触れません)、松平容保公は開城、降伏を決めました。

飯盛山から会津若松城までは比較的遠く、肉眼で城が落ちたかどうかは確認できないだろうと思われました。若者だけで結成された白虎隊、若さが出てしまいました。

白虎隊ばかりが有名ですが、他の四神に由来した隊もありました。年齢の若い順に、白虎隊、朱雀隊、青龍隊、玄武隊。個別に戦っていたわけではなく、互いに協力し合っていたのですが、白虎隊士中二番隊は敗走中に主力部隊からはぐれてしまい、白虎隊の一部が布陣していた飯盛山に避難した後に悲劇が起こりました。

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2008年8月22日 (金)

柴田淳 「愛をする人」blogパーツを設置しました

「しばじゅん」こと柴田淳さんのニューシングルで、映画「おろち」の主題歌である「愛をする人 Orochi's Theme」のブログパーツを設置しました。「柴田淳オフィシャルサイト」の提供で、2008年11月末までの限定公開です。当ブログの右側サイドバーを御覧下さい。

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2008年8月21日 (木)

ところでソフトボールといえば

ソフトボールの起源は、アメリカのとある大学で、ある学生がボクシングのグローブを投げつけ、相手がそれを箒で打ち返すという、ふざけあいが始めで、それが広まったものとされているようです(最初からインドア用ベースボールとして考案されたものとの異説もあり)。子供の頃にスポーツの起源を書いた本で読みました。

そうしてボクシンググローブを箒で打ち返しているのを見たジョージ・ハンコックなる人物が、「それで室内用のベースボールをやってみれば」ということで、現在の形のソフトボールへと進化しました。ボールもバットも専用のものになりましたが、一度、オリジナルのボクシンググローブと箒によるプレーも見てみたい気がします。多分、見ていてもやっていても、さほど面白いものにはならないとも思いますが。

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ソフトボール日本代表、金メダル!

ソフトボール日本代表がアメリカ代表チームを3対1で下し、初の金メダルに輝く。オリンピック競技から外れることが決まっているソフトボールだが、これまで銀メダルが最高だった日本代表が、最後の最後で栄冠を手にした。

ロンドン・オリンピックの競技からは外れることが決まっているソフトボールだが、今後永久に外れることが決まっているわけではない。今後もソフトボール競技の面白さを伝えて、オリンピック競技への復帰を果たして貰いたいところだ。

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観劇感想精選(47) 「道元の冒険」

2008年8月3日、大阪・京橋のイオン化粧品シアターBRAVA!にて観劇

午後3時より、大阪・京橋のシアターBRAVA!にて、「道元の冒険」を観劇。作:井上ひさし、演出:蜷川幸雄、音楽:伊藤ヨタロウ、出演:阿部寛、栗山千明、北村有起哉、横山めぐみ、高橋洋、大石継太、片岡サチ、池谷のぶえ、茂手木桜子、金子文、手塚秀彰、神保共子、木場勝己。

曹洞宗の開祖、道元の生涯を俳優達が入れ替わり立ち替わり演じてみせる。道元その人は阿部寛が一貫して演じる(サブストーリーとして、婦女暴行、重婚などの罪で精神鑑定を受けている男が出てくるが、これも阿部寛が演じる)が、少年期の道元を栗山千明が、青年期の道元を北村有起哉がそれぞれ劇中劇の形で演じてみせる。

井上ひさし一流の笑いの要素がふんだんに盛り込まれ、伊藤ヨタロウの音楽も、仏教の話なのに讃美歌風の曲があったり、カノンが用いられたりと楽しい。
早稲田大学の校歌と明治大学の校歌、慶應義塾大学の学生歌「若き血」のパロディーが歌われたのも(明大出身であるため)個人的には嬉しかった。

ラストに、現在流されている番組がそのまま映っているテレビモニターが出てくる手法は、蜷川幸雄がよく用いるものだが、「道元の冒険」と合っているのかどうかは疑問であった。内容よりも手法に拘ったような感じも受ける。

「道元の冒険」における、道元の仏教観は、演劇のみならず「表現」に対する我々の在り方という点でも哲学という点でも興味深く、「民衆こそが主役」という井上ひさし的な世界観もよく伝わってきた。

道元の冒険

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2008年8月20日 (水)

観劇感想精選(46) 少年王者舘KUDAN Project 「真夜中の弥次さん喜多さん」

2005年3月11日 大阪・なんばの精華小劇場にて観劇

大阪・なんばへ。精華小劇場で少年王者舘KUDAN Projectの二人芝居「真夜中の弥次さん喜多さん」を観る。原作は、しりあがり寿。脚本・演出は演劇界の魔術師、天野天街。しりあがり寿の原作は宮藤官九郎の脚本と監督で映画化もされる。

とにかく面白い劇だ。これまで禁忌とされてきた演劇表現を平気で行う。現実と虚構の壁を自由自在に通り抜け、メタ演劇やメタ漫画の手法を駆使する。
例によって、同じシーンも執拗に何度も何度も繰り返す。しつこいが、それが次第に快感に変わっていくのは不思議だ。

役者が本当に携帯電話をかけて実際にうどんの出前を取ってしまうという、舞台に現実を紛れ込ませるやりかたなど笑える。これは画でも小説でも漫画でも出来ない、舞台だからこそ可能な手法だ。
あまりに楽しいので、見ているこちらも最初から最後までずっと笑顔である。
装置の使い方も楽しいし、映像や文字や音楽の挿入など本当に巧い。
二人の役者(小熊ヒデジ、寺十吾)も達者である。超現実的な作品の登場人物に血を通わせることに成功している。

従来のリアリズムの演劇が古く感じる。本当に魔術を見ているような芝居で、このようなものを作れる天野天街の才能には脱帽せざるを得ない。

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2008年8月19日 (火)

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第8番

交響曲第7番「レニングラード」でレニングラード包囲戦を描いたショスタコーヴィチは、続く交響曲第8番でも戦争を題材として取り上げました。レニングラード包囲戦と同様、独ソの激しい攻防のあったスターリングラード(現在のボルゴグラード)包囲戦になぞらえて、「スターリングラード」ともかつては呼ばれたこの曲は、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮によって初演されました。

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第8番 その初演者にして、のちに曲を献呈されたムラヴィンスキーによる交響曲第8番。ソ連で録音されたものが、のちに西側ではオランダのフィリップス・レーベルから出ましたが、フィリップス盤は長らく廃盤となっています。そこでタワーレコードが独自に出したのが上のCD。

原盤のピッチに問題があるそうで、やや高めの明るい音になっていますが(最近、他のレーベルからピッチを修正した盤も出ました)、演奏は凄絶であり、ショスタコーヴィチの交響曲第8番の演奏としては、まず第一に挙げられる録音でしょう。

ムラヴィンスキーの抉りのきいた厳しい音楽作りに、レニングラード・フィルの鋼の如く強力な音が加わった、辛口の好演です。

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番/ムラヴィンスキー

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2008年8月18日 (月)

ジャズ史上の一里塚 マイルス・デイビス(マイルス・デイヴィス) 「マイルストーンズ」

常にジャズ界の先頭を走り、「帝王」の名を手にしたマイルス・デイビス(マイルス・デイヴィス)。
そのマイルス・デイビスの代表作の一つ、「マイルストーンズ」(ソニー)。

マイルス・デイビス(デイヴィス) 「マイルストーンズ」 マイルスのトランペット、ジョン・コルトレーンのテナーサックス、キャノンボール・アダレーのアルトサックスの三人が特に強力ですが、レッド・ガーランドのピアノ、ポール・チェンバースのベース、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムスの妙技も相まって、鉄壁のマイルス・デイビス・セクステットを形成しています。

ジャズ史上の一里塚(マイルストーン)を築くべく発表された本作ですが、その意気込みに負けないだけの仕上がりになっているのが流石。

マイルスのトランペットはテクニックに問題があるといわれてきましたが、技術方面はコルトレーンやキャノンボール・アダレーに任せて、プロデューサー的な視点から要所要所を締めるマイルスの演奏はやはり貫禄があります。

Miles Davis/Milestones (Hyb)

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今の「おけいはん」こと

神農幸さんは、おけいはん以外のCMでの方がよく見かけますね。

大正製薬の「アルフェネオ」NTTコミュニケーションズのプラチナラインと0033モバイル。

公式ブログ「切りすぎた前髪」を読むと映画に出るなど、どんどん活躍している模様。

「おけいはん」の名を全国区にしてくれるかも知れません。

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2008年8月17日 (日)

広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団 レスピーギ「ローマ三部作」

1991年、当時33歳だった広上淳一が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して録音したデビュー盤、レスピーギの「ローマ三部作」(「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭」)を紹介します。キャニオン・クラシックス。

広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団 レスピーギ「ローマ三部作」 1984年に第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールに優勝し、そのダイナミックな指揮姿と、強烈なエネルギーを放射する音楽作りで世界的な注目を浴びつつあった広上淳一がデビュー録音に選んだのはレスピーギの「ローマ三部作」。音楽史上屈指の華麗なオーケストレーションを誇る曲ですが、それだけに過去の名盤も多い三部作を、それも東京でも上位とは目されていない日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル)を指揮して録音するというのはかなりの勇気がいることだと思われますが、そこはさすが広上というべきか、30代前半の指揮者が日本のオーケストラを指揮して録音したとは思えない、華麗な音絵巻を広げていきます。

特に優れているのは、「ローマの噴水」。印象派風とされるこの作品の、光の変化までも音で描いてみせる技術は卓越しています。日フィルの音の美しさも特筆事項。

その日フィルは、低音を支える楽器群がやや弱く、高音が比較的目立ちます。それが「ローマの松」や「ローマの祭」ではオーケストラとしての力の弱さを感じさせる一因になっていますが、それでも1990年代初頭に日本人の若い指揮者と日本のオーケストラがこれだけのレスピーギを演奏していたということを伝える貴重な証言となっていることは間違いないでしょう。

レスピーギ:ローマの噴水/広上淳一&日本フィル

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2008年8月16日 (土)

よくわからない歌詞(4) 「肩たたき」

西条八十作詞の「肩たたき」

“母さん お肩をたたきましょ タントンタントンタントントン”

何故最後だけ同じ方を2回叩くのだ?

「タン」が右、「トン」が左だとすると、「右左右左右左左」となってしまうではないか。

まあ、これは次の「タントンタントンタントントン」で、「タン」を左、「トン」を右にすると回数は合うのでそれでもいいということにしよう。

“母さん白髪がありますね タントンタントンタントントン”

余計なお世話じゃないか。せめて、“母さん白髪がありますね 抜いてあげましょタントントン”ぐらいじゃないと親孝行な感じがしないではないか。

ちなみに、“真っ赤な罌粟(けし)が笑ってる”のところを題材に、村上春樹が短編小説(というより掌編小説かな?)を書いている。結構面白い。

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これまでに観た映画より(32) 「赤目四十八瀧心中未遂」

DVDで映画「赤目四十八瀧心中未遂」を観る。車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ)の小説の映画化。

現代では数少なくなった私小説の書き手、車谷長吉の作品を映画化するのは難しいと思うが、この作品は原作とは別の力で勝負している。

林海象プロデュース、荒戸源次郎監督作品。出演は、寺島しのぶ、大西滝次郎、大楠道代、内田裕也、大森南朋、新井浩文、麿赤児ほか。

袋小路のような尼崎、主人公の「この世界に受け入れられない疎外感」の映像による表現には限界はあるものの工夫は見られる。

それよりも、この映画では、あや(綾)ちゃん(寺島しのぶ)の「誘う女」、「死神」的色彩が原作よりも遙かに濃く出ている。

主人公の生島が綾の後をつける場面、生島が海岸から戻るときに隧道に入るのだがそこが黄泉への入り口に見える場面、赤目で生島が綾の先を歩いていて、綾が着いてきているのかと、ふと立ち止まる『オルフェウス』を思わせる場面、また、赤目四十八瀧が幻想的でありながら黄泉路をなぞっているところ、また、全てが幻覚であったかのようにも取れるラストなど、「死」的なイメージの連鎖がある。

その「死」的な毒を感じられるかどうかが、この映画に対する好悪を分かつように思う。
主人公・生島を演じる大西滝次郎は、これが映画初出演となる新人だが、モノローグやナレーションが弱い。ダイアローグでは決して上手くない演技も朴訥さとして生きるが、一人語りでは経験の乏しさが如実に出てしまっている。

寺島しのぶは何だかんだといわれるが良い。原作に惚れ込んで自ら綾役を申し出たというだけのことはある。

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2008年8月15日 (金)

サイモン・ラトル指揮フィルハーモニア管弦楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第10番&サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団 ブリテン鎮魂交響曲

若き日のラトルが録音したショスタコーヴィチの交響曲第10番と、ブリテンの鎮魂交響曲をカップリングしたCDを紹介します。現在、この組み合わせのCDは廃盤のようですが店頭にはまだあるかも知れませんし、個別なら手に入ります。

サイモン・ラトル指揮 ショスタコーヴィチ交響曲第10番&ブリテン鎮魂交響曲 ショスタコーヴィチの交響曲第10番は1985年の録音、ラトルが30歳を迎える年に行われました。この録音が行われた当時、「ショスタコーヴィチの交響曲第10番といえばカラヤン」といわれるほど、カラヤン盤のイメージが強力だったのですが、そこに若きラトルが登場したということで、カラヤンとラトルどちらが上なのかと雑誌上で話題になったりもしています。ショスタコーヴィチの交響曲が盛んに録音されるようになった現在では少し影が薄くなった印象は否めませんが、それでもラトルの若き日の記録として重要なCDです。

鎮魂交響曲は、ベンジャミン・ブリテンが日本の皇紀2600年(1940年)記念のための音楽として日本政府から依頼されて作曲した作品。記念の年のためにブリテンが作曲した作品が「鎮魂交響曲」であると知った日本政府が激怒したという話が残っていますが、実際は、ブリテンの「鎮魂交響曲」は完成は、皇紀2600年には間に合わなかったそうで、日本政府には「ブリテンの曲は祝典に相応しくないものらしい」との情報が伝わっていただけのようで、激怒したというのは後から作られたエピソードのようです(あるいは締め切りに間に合わない上に不穏当な内容らしいというので怒らせたという可能性もあります)。

ラトルとバーミンガム市交響楽団が鎮魂交響曲を録音したのは1984年、ラトルはまだ20代でしたが、バーミンガム市交響楽団から人間の声のような有機的な響きを引きだしており、こちらは今もなお同曲の代表的録音として評価したい名演です。

サイモンラトル指揮フィルハーモニア管弦楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 現行盤CD

サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団 ブリテン 鎮魂交響曲ほか 現行盤CD

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NAXOS「偉大なる映画音楽集」

カール・デイヴィス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による「偉大なる映画音楽集(GREAT MOVIE THEMES)」と題された音盤を紹介します。NAXOSの録音・発売。

カール・デイヴィスの本業は映画音楽の作曲家。彼が作曲した「チャンピオン」のテーマが当CDに収録されています。

ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団は、リヴァプール出身のサー・サイモン・ラトルの最初期のキャリアに大きく関与していたり、また広上淳一が首席客演指揮者を務めていたことやサー・チャールズ・マッケラスと名盤を録音していることでも知られるオーケストラ。カール・デイヴィスはロイヤル・リヴァプール・フィルのポップスシリーズの指揮者も務めています。

カール・デイヴィス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィル 「偉大なる映画音楽集」 収録曲は、ジョン・ウィリアムズ作曲「レイダース 失われたアーク」のメインテーマ、ダニー・エルフマンの「スパイダーマン」のテーマ、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」のテーマ、ヴァンゲリス作曲の「炎のランナー」、「007」より“ジェームズ・ボンドのテーマ”、ジェームズ・ホーナー作曲「タイタニック」のメインテーマ、アラン・シルヴェストリの「フォレスト・ガンプ」組曲、ジョン・バリーの「ダンス・ウィズ・ウルヴス」、ジョン・ウィリアムズ作曲「ハリー・ポッターと賢者の石」組曲など。

ロイヤル・リヴァプール・フィルはイギリスのオーケストラということもあり、思いっきりの良さには多少欠けるところがありますが、心地良いサウンドを奏でています。

例えば、「シンドラーのリスト」のオリジナル・サウンドトラックでヴァイオリンを弾いているのは世界的なヴァイオリニストのイツァーク・パールマンだったりするので、それらに比べる聴き劣りはするかも知れませんが、有名な映画音楽を立て続けに聴くことが出来るのは当盤の強みです。

コンピレーション/Great Movie Themes: Carl Davis / Royal Liverpool Po

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あの~、1位獲っちゃったんですけど

携帯のゲーム「クイズみんなの学園」の8月第1回試験で全国単独1位を獲る。といっても、今回は帰省の時期ということもあって参加者も少なかったのか、500点満点中460点(25問中23問)での1位であった。500点満点取っても4位だったこともあるので、今回は全体的なレベルがそう高くなかったということだろう。正直言って、今回1位を獲れるとは思っていなかった。

知識を問うゲームだが知識は所詮知識でしかない。あるに越したことはないけれど、知識が邪魔になってあるべきものが見えなかったり、ないはずのものが見えてしまうことが往々にしてある。

そして何より大切なことだが、知識を誇ることで私は裸の王様になりたくはないのだ。

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2008年8月14日 (木)

サカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団 グリーグ 「ペール・ギュント」組曲ほか

フィンランド出身の指揮者、サカリ・オラモが、当時音楽監督の地位にあったバーミンガム市交響楽団を指揮して録音したグリーグ・アルバムを紹介します。エラート・レーベル(ワーナー)。オラモとバーミンガム市響のコンビによる録音第1弾でした。

サカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団 グリーグ 「ペール・ギュント」組曲ほか 「ペール・ギュント」組曲第1番と第2番、演奏会用序曲「秋に」、「交響的舞曲集」を収録。2000年にバーミンガムのシンフォニー・ホールで録音されました。

バーミンガム市交響楽団(CBSO)を一躍メジャーオーケストラに押し上げたサー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市響のシェフとなったサカリ・オラモ。
オラモは1965年生まれですので、30代前半で新名門オーケストラのポストを得たことになります。

このグリーグ・アルバムでは、CBSOから瑞々しくも凛とした音を引き出したオラモ。現代音楽のアンサンブルのコンサートマスターを務めた経験もあるだけに、過度にロマンティックになるのを避け、適度な切れ味の良さを発揮しており、理想的なグリーグ演奏を繰り広げています。エラート(現在はワーナーに完全に吸収され、レーベル名のみ存続)のクリアな録音もプラスに作用しています。

オラモとCBSOはこの後、「シベリウス交響曲全集」を発表。しかし、いずれも初期の録音である、この「グリーグ・アルバム」と「シベリウス交響曲全集」以降は、これといった録音を生み出せないままコンビ解消となりました。少し残念です。

Grieg: Peer Gynt Suites nos 1 & 2, In Autumn etc / Sakari Oramo, CBSO

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白熱!オリンピック占い

北京オリンピック開催中ということで、「オリンピック占い」なるものがあるのかどうか探してみました。ネット上では占いは簡単に作れるので多いかと思いきやそうでもなし。それらしいのは、

白熱!オリンピック占い」 http://gtetsuya.net/sindan.html 

ぐらいでした。ちなみに私の結果は、「柔道で金メダル」。へえ。

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2008年8月12日 (火)

奥歯を抜く

虫歯になっていた奥歯を歯科で抜いて貰う。

最近の抜歯は、麻酔技術が向上したためか、痛みをともなうことはほとんどない。手術より麻酔の注射の方が痛いくらいだ。

口の奥の方で何やらガキガキとやって、ボキッと歯が抜ける瞬間は、痛みを感じないため、なかなか爽快ですらある。
「おー! 今この瞬間に虫歯が取れたぞ!」という軽い感動(??)も覚えたりする。

麻酔の強くて効く時間が長い分、抜歯後は色々と問題もあるのだが、結論としては現代の抜歯は怖がる必要は全くないということである。歯医者嫌いの方、ご安心を。

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YMO 『浮気なぼくら』

もう解散することを決めたYMOが「かわいいおじさん路線」を一度やってみようということで作ったポップなアルバム『浮気なぼくら』。オリコンのシングルチャート1位を目指して作られた「君に、胸キュン(浮気なバカンス)」(松田聖子の「ガラスの林檎」に阻まれて2位どまり。ちなみに「ガラスの林檎」の作曲はYMOの細野晴臣である)を含む歌アルバムです。

YMO 『浮気なぼくら』 「君に、胸キュン」以外の曲を集めたインストアルバムも作られましたが、最新盤は2枚組で、本編とインスト版の両方が収められています。

『浮気なぼくら』に収録された曲で私が好きなのは、「邂逅」と「音楽」。いずれも坂本龍一が作った曲です。
「音楽」は坂本が娘である坂本美雨のために作った曲。歌詞で現代音楽の様々な手法を紹介し、坂本美雨に向かって、一緒に歌える日を待っているという一種のメッセージソングでもあります。

「邂逅」は、“今までの僕さよなら”というタイトルとは正反対のフレーズが印象的な作品。今までの自分とさよならして新たなことや人と邂逅するという、YMOのラストに相応しい内容が盛り込まれていると見ることも出来ます。

本人達がお気楽指向で作ったアルバムなので、本格的なポップスが好きな人には向いていないかも知れませんが、楽しい一枚であることは間違いありません。

YMO/浮気なぼくら & インストゥルメンタル

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観劇感想精選(45) 白石加代子朗読公演「百物語」第二十四夜「怪談牡丹灯籠」

2008年6月15日 京都府立文化芸術会館にて観劇

午後6時より、京都府立文化芸術会館で、白石加代子の朗読公演「百物語」第二十四夜「怪談牡丹灯籠」を観る。

「百物語」は、白石加代子が怪談、恐怖小説などを朗読するシリーズ。これまで86の話を語り終えており、いよいよ佳境である。ところで百物語なるもの。昔から百語り終えた途端に怪事が起こるとされているのだが……。

何と最前列であった。包丁が飛んできたときのことを考えて注意せねば、というのは冗談がきついか。放送じゃこのジョークはいえないんじゃないかな。

鈴木忠志の早稲田小劇場時代に演じた「劇的なるものをめぐって Ⅱ」での包丁を振り回す演技(誤って、一度、自身の眉間を割ったこともある)で、「狂気女優」の異名を取った白石加代子。野田秀樹も、白石本人に会う前は、「包丁を振り回しているイメージ」しかなくて、怖いおばさんだと思い込んでいたという。

狂気女優と呼ばれたその白石加代子が怪談を語る。面白くないはずがない。第一部、第二部ともに白石は枕として作品の肝や自分自身のことなどを話し、それからすっと「牡丹灯籠」の世界に入っていく。上手い。

登場人物の演じ分け(語り分け)は実に巧みで文句なし。もう、BRAVA! と書くだけで十分である。

恐い話をしたので、最後にお浄めの塩を撒く。白石さんが、「わたしが、一、二、三と言ったら塩を撒きますから、皆さんは『ソーレ!』と声を掛けて下さい」というので実際にそうする。一、二、三で白石加代子が塩を高々と放り上げ、観客は「ソーレ!」の掛け声。この舞台と客席の一体感も良かった。

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コンサートの記(16) 下野竜也指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪フィルいずみホール特別演奏会Ⅰ

2008年6月26日 大阪・京橋、いずみホールで

大阪の京橋へ。いずみホールで、下野竜也指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴くためである。

「魂への『祈り』」という副題のついた今日のコンサートのプログラムは全曲弦楽のための作品で、ペンデレツキの「広島の犠牲者への哀歌」、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番より第2曲「エール(エア)」(ストコフスキー編曲)、ハルトマンの葬送協奏曲「反ファシズム」、シェーンベルクの「浄夜」という凄まじいもの。客が入ることなど始めから想定していない、挑戦的なものである。

バッハ以外は全て「前衛」の括りに入る作品だが、その割りには客の入りはまずまず。1階席も後方は空席が目立つが、前の方は埋まっている。バルコニー席の入りもなかなか。

だが、そう見えるのは、実は1階席の前方を同じ制服を着た女子高生達が占めているためである。女子高生達が、安くはないチケット代を払って、とんがったプログラムのコンサートに大挙して押しかけるとは思えないから、クラス単位もしくはクラブ単位(オーケストラ部か吹奏楽部か)での招待だと思われる。
彼女達がいなかったら、前の方の席はガラガラになっていたはずだ。
そもそも客が入らないことを想定してのプログラムだからこそ、多くの女子高生を招待できたということもあるのだろうが。

ハルトマンの葬送協奏曲「反ファシズム」のヴァイオリン独奏を大阪フィルの首席コンサートマスターである長原幸太が務めるため、今日は客演コンサートマスター(コンサートミストレス)として、兵庫芸術文化センター管弦楽団の客演コンサートマスターとしてもおなじみの四方恭子(しかた・きょうこ)が呼ばれている。

「薩摩隼人の時代から先祖代々鹿児島です」といった風貌の下野竜也が登場し、コンサートが始まる。

クシシュトフ・ペンデレツキの「広島の犠牲者への哀歌」は、もともとは広島の原爆犠牲者のために作られた曲ではなかったが、日本初演後、作曲者により、この曲は広島原爆の犠牲者に捧げるのに相応しいとされてタイトルがつけられた。痛切な響きと、「トーン・クラスター」と呼ばれる音階という概念を越えて音の固まりとして音楽を捉えるという手法が多用されていることで知られる作品。第二次大戦後に作曲された作品の中では人気が高い曲でもある。

指揮者は、腕で拍を刻むのではなく、指で「1、2、3、4」と最大8まで数を示す。現代音楽に用いられる手法としては特別珍しくないものだが、生で見るのは私は今日が初めて。テレビでは井上道義が同じ指揮をしたのを見たことがある。

大フィルの弦にもっとキレがあると最高だったのだが、瞬間瞬間の響きは鋭く、シリアスなこの作品に相応しい好演であった。

それにしても、「広島の犠牲者への哀歌」は凄い曲である。人類とは一瞬にして数十万もの同類の命を奪うことの出来る残酷さを持った存在だと知ってしまった時代の音楽として、本物の凄みがある。

下野の意向で、「広島の犠牲者への哀歌」が終わってすぐに、J・S・バッハの「エア」が奏でられる(ホールホワイエ各所に立てられたボードに、下野の意向を知らせる紙が貼ってあった)。「広島の犠牲者への哀歌」の後に奏でられる「エア」は下野の繊細なアプローチもあって美しくも悲しい音楽として響いた。

ハルトマンの葬送協奏曲「反ファシズム」。1939年に「哀しみの音楽」というタイトルで作曲され、翌1940年に初演。1959年に改訂された際に「反ファシズム」というタイトルに変わっている。

冒頭にヴァイオリンが弾く旋律は、チェコのフス教徒に伝わる旋律を用いているとのことだが、ハーディ・ガーディを思わせるような鄙びた音が奏でられる。

大フィルのコンサートマスターである長原幸太は、何よりもまず技術が目立ってしまうところがあるが、20世紀の音楽作品演奏においてはすっきりしたスタイルがプラスに働き、優れた演奏となった。

アンコールとして長原は、J・S・バッハの「無伴奏パルティータ」第2番より“サラバンド”を弾く。これが実にウエットな演奏で、1981年生まれの若者である長原が、こうした日本的ともいって良いほどウエットな演奏をするというのが興味深かった。

シェーンベルクの「浄夜」では、下野の特徴である渋い音色が聴かれる。渋いといっても「地味」では全くなく、つや消し仕上げをした漆器のような独特の輝きと美しさがある。こうした音をオーケストラから引き出せる日本人指揮者は私の知る限りでは下野だけである。ということで、「下野サウンド」や「下野トーン」といった名称を付けたくなるのだが、「しものサウンド」にしろ「しものトーン」にしろ語感が悪すぎ、耳で聞いて変なことを連想する人がいるかも知れないので、この言葉は使わないでおく。

いずれの曲も名演であり、下野と大フィルの力が十分に発揮された演奏会であった。こうした難解とされる曲目を嬉々として聴いている聴衆が多いということも心強い。

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2008年8月11日 (月)

マーティ・フリードマン 「music for speeding」

元メガデスのギタリストで、現在は日本に住んで音楽活動を行っているマーティ・フリードマンのCDを紹介します。

マーティ・フリードマン 「music for speeding」 2002年に発表された「music for speeding」(ユニバーサル)。

2002年というとマーティが日本に移住する年。レコーディングはアメリカで行われていますが、マーティの自筆による日本語メッセージ(漢字、ひらがな、片仮名を自在に使っています)がライナーノーツに記されています。

メタルスタイルによるインストゥルメンタルアルバムということで重厚で攻撃的ではありますが、メロディーラインは美しく、時にセクシーですらあり、マーティのロマンティックな資質が窺われます。日本盤のみマスネの「タイスの瞑想曲」のメタル版編曲入り。アメリカのミュージシャンはクラシック音楽もよく研究していますが、演奏にそれを直接生かすことは邪道とされているようで、「タイスの瞑想曲」が日本盤のみのボーナストラックとして入っているのはそのことと関係があるのかも知れません。アメリカ音楽界のそうした堅苦しさから逃れるためにマーティは日本に来たのでしょう。

Marty Friedman/Music For Speeding

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2008年8月10日 (日)

マーティ・フリードマン 『いーじゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』

メタルバンド、メガデスの元メンバーで、2002年からは日本に住み、日本を中心に音楽活動を行っているギタリストのマーティ・フリードマン。彼が日本にやって来たのはJ-POPに恋したからでした。

マーティ・フリードマン 『いいじゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』(日経BP社) そんなマーティの著書『いーじゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』(日経BP社)。

アメリカ、ワシントンD.Cに生まれ、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルスと、ずっとアメリカ国内に住んできたマーティですが、サンフランシスコのバンドであるカコフォニー時代の初来日時に日本と日本の音楽に本格的に興味を持ち、通信教育で日本語を学んで、今では流暢に日本語を操ります。この本も訳者は通さず、マーティ本人が日本語で書いたもの。

メタルというハードなジャンルで活躍していたマーティですが、新しいことをやろうと思ったときにアメリカは壁が高く、「様式美」が重視され、メタルだったらメタルの様式以外の音楽をやってはならないという不文律があるそうです。その点、日本は実に柔軟。そんなJ-POPの自由さに惹かれて日本に来たマーティは、ハワイ時代に知った演歌やサンフランシスコのカコフォニーというバンド時代に知ったJ-POPのアーティストと共演して、夢を実現していきます。

そんなマーティの半生記(というほど大袈裟ではありませんが)、マーティ本人がリスペクトするJ-POPのシンガー達の紹介から本書は成り立っています。

ちなみにマーティさんが好きな日本のアーティストは、ZARD、華原朋美、平原綾香、ハロープロジェクト系、X JAPAN、相川七瀬など。マーティさんも認めていますが、けっこうベタです。私とは趣味が合わないかも。
とはいえ、外からは(マーティは今では外の人ではありませんが)語られることの少ないJ-POPについての新たな視点を得られる面白い書籍です。

マーティ・フリードマン 『いいじゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』(日経BP社) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年8月 9日 (土)

観劇公演パンフレット(31) 東京セレソンデラックス 「夕(ゆう)」2008

東京セレソンデラックス(東京セレソンDX)の公演「夕(ゆう)」の公演パンフレットを紹介します。2008年7月19日、大阪・心斎橋そごう劇場にて購入。

東京セレソンデラックス 「夕」2008公演パンフレット

昨年、「あいあい傘」で初の関西公演を行った東京セレソンデラックスの二年連続二度目の関西公演となった「夕」。2003年に初演された劇で、今回は再々演。長崎の田舎町を舞台とした情感豊かな芝居です。

パンフレットには出演者紹介の他に、舞台となった長崎県と長崎市、長崎弁の紹介、背景となった1980年代のキーワード紹介などのコーナーがあります。


「夕」2008の概要と感想

大阪の心斎橋そごう劇場で、東京セレソンデラックス(東京セレソンDX)の公演「夕(ゆう)」を観る。午後6時開演。作・演出:サタケミキオ(宅間孝行のペンネーム)。出演:宅間孝行、永井大、木下智恵、いとうあいこ、杉田吉平、篠原あさみ、万田ユースケ、西村清孝、越村友一、水谷かおり、永田恵悟、武藤晃子、丸山麗、川又麻衣子、浜丘麻矢。

昨夏、東京・新宿御苑前のシアターサンモールで観た「歌姫」が連続テレビドラマになるなど、好調の東京セレソンデラックス。だが、その裏では内紛があり、主宰の宅間孝行がメンバー拡充のためのオーディションを行う際に、従来のメンバーにもオーディションを受けるようにいったところ、大多数のメンバーが劇団を去ることを選択した。主宰の宅間孝行一人が脚本家として売れてしまったことから生じた悲劇である。

「夕」は、長崎県の田舎町を舞台にした作品。セリフはほぼ全編、長崎弁が用いられている。2003年に初演された劇で、今回は再々演になるとのこと。基本的には悲恋物だが、じめっとした感じにはなっていない。

1980年代、長崎県にある海沿いのとある田舎町。欣弥(万田ユースケ)、元弥(宅間孝行)、雅弥(西村清孝)の相川三兄弟は、“長崎のキングギドラ”と呼ばれる有名な不良三兄弟である。

次男で高校生の元弥に、幼なじみの三上夕(木下智恵)は恋心を抱いているのだが、当の元弥は夕の女子高の同級生である薫(いとうあいこ)という女の子に気がある。だがその薫は元弥の弟分の塩屋憲太郎(永井大)のことが好きで、元弥の目の前で憲太郎に告白する。

数年後。東京の大学に進学した憲太郎の後を追うように薫も東京の大学へ。一方の元弥は牧場主に成りたいと言い、北海道の牧場に研修に出かける。ヤンキー上がりで日常生活のことはまるで駄目という元弥の面倒を見るために、夕は勤めている会社に「病気で入院することになった」と嘘をついて元弥に同行する。根性が無く、すぐに研修先の牧場から逃げ出してしまった元弥は、夕としばらく北海道旅行をする。夕はその旅行の間に、元弥に恋心を打ち明けようと決めていたのだが……。

物語の強靱さと推進力にまず魅せられる。心情吐露の長ゼリフが多用されるのだが、役者はみな適度に感情の乗った熱演を繰り広げた。今回の東京セレソンデラックスの公演も良い出来である。

東京セレソンデラックスには1年に1度などと贅沢はいわないから、これからも定期的に関西に来て欲しい。関西の演劇界にとって良い刺激となると思う。肝心の関西演劇人の顔は、今日は残念ながら客席にはなかったが。

東京セレソンデラックスの「夕」は今日が大阪初日で、全13回の上演が予定されている。チケットが完売ではないようなので、普段とは違った演劇を観たい関西の方は是非どうぞ。というより、東京セレソンデラックスの芝居は東京よりも大阪での方が受けいれられやすいのではないだろうか。

その東京セレソンデラックスの演劇なのだが、テレビや映画といった業界人には人気なのだが、演劇界での評価は必ずしも高くない。以前、とある演劇コンクールに参加したところ、客席からの受けは良かったのに、審査員からは「こういう劇はキャラメルボックスでやればいいんじゃないの」といった反応しかなかったと宅間孝行がある雑誌のインタビューで語ってた。

宅間孝行がサタケミキオの名で書くテキストは、先にも書いたように心情吐露の多い長ゼリフが中心なのだが、日本の主流である作劇法からいうと、これらは良くは思われていない。しかし、個人的には内容さえ良ければ劇作の手法なんてどうでもいいじゃないかと思われるのだが。

形式的に整った劇よりも、「夕」のように破綻はあってもリアリズムでなくても活気に溢れた劇の方が魅力的である。というより、ある程度の破天荒さとリアリズムからのズレがあった方が、演劇という装置には似付かわしいようにも思える。

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2008年8月 7日 (木)

関西の情報誌

日本各地にその地方独特の情報誌があると思いますが、関西のローカル情報誌として代表的な雑誌2種を紹介します。

まずは、京阪神地区の月刊情報誌「L magazine」(京阪神エルマガジン社)。

月刊「L magazine(エルマガジン)」 20代を中心とした若者向けの情報誌です。

「Weekly ぴあ」と同じ、映画、音楽、演劇、テレビ、展覧会情報を始め、グルメ、雑貨、その他独自情報などが載っています。

特に小演劇情報は他誌よりも大きなスペースを割いてくれるため、関西演劇界では、公演情報は「ぴあ」よりも「エルマガジン」に載せる方が有効であるとも言われています。

“今月の7人”というコーナーを始め、著名人へのインタビューも充実。

京阪神地区の繁華街MAPも巻末についています。


続いては京都・滋賀(京滋)地区の月刊情報誌「Leaf」(リーフ・パブリケーションズ)。

月刊「Leaf(リーフ)」 こちらは20代後半から30代を対象にした大人の雰囲気漂う雑誌。グルメやファッションが中心で、その他に音楽、映画、CD&DVD、書籍の紹介などがあります。

この雑誌もインタビュー記事が充実していますが、それよりも特に京都について深く知りたい人に向いている雑誌です。

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2008年8月 5日 (火)

街の想い出(24) 神田・御茶ノ水界隈その7 内山書店

街の想い出(24) 神田・御茶ノ水界隈その7 内山書店

東京都千代田区神田駿河台下の、すずらん通り。この通りに中国関係専門書店が2軒あります。1軒は以前に単独で紹介した東方書店。そしてもう1軒がここで紹介する内山書店です。
内山書店は3階建て。私が初めて訪れた頃(1994年)と最近とでは本の配置が多少異なっていますが、1階に日本語の中国語と中国関係書、中国語による経済書、文学書などが並べられ、2階には中国の古典書や音楽書、3階では民芸品などが売られていました。

2階には中国の音楽CDやカセットテープ、VCDなどが並ぶコーナーがあり、中国人作曲家によるオーケストラ曲のCDも売られていました。演奏を担当しているのが中国の団体ではなく、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団という、名前を聞いたこともない怪しげなオーケストラであったことが記憶に残っています。

さて、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団は、現在ではNAXOSというレーベルから出ている録音でおなじみのオーケストラとなっていますが、複雑な事情によりロシア・フィルハーモニー管弦楽団を名乗る団体は複数あるため、内山書店に並んでいたCDのロシア・フィルハーモニー管弦楽団と、NAXOSからCDを出しているロシア・フィルハーモニー管弦楽団が同一団体なのか、今でも判然としないのです。

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2008年8月 4日 (月)

DVD「カールハインツ・シュトックハウゼン  『ヘリコプター弦楽四重奏曲』」

ヘリコプター4機に弦楽四重奏団のメンバーが一人ずつ乗り込み、演奏を繰り広げるという「ヘリコプター弦楽四重奏曲(ヘリコプター四重奏曲)」。
その作曲者であるカールハインツ・シュトックハウゼンと、演奏するアルディッティ弦楽四重奏団によるリハーサルと本番の模様を、インタビューを交えながら紹介するDVDがメディチ・アーツから登場しました。

DVD「カールハインツ・シュトックハウゼン 『ヘリコプター弦楽四重奏曲』」 リハーサル時やアルディッティ弦楽四重奏団のメンバーへのインタビューでは主に英語が、シュトックハウゼン個人へのインタビューではドイツ語が用いられていますが、このDVDには日本語字幕も用意されているので、英語やドイツ語がわからなくても、内容を理解することが出来ます。

1995年5月5日からオランダでリハーサルと撮影が始まり、同年の6月26日のオランダ・フェスティバルで、「ヘリコプター弦楽四重奏曲」は初演されます。

初演の模様も収められていますが、残念ながら全曲ではなく、部分部分です。

ヘリコプター弦楽四重奏曲では、奏者達がドイツ語で、「アイン! ツヴァイ! ドライ!」と数字を数えますが、その数え方までもシュトックハウゼンが細かく指導しているのがわかります。更に、ヘリコプター四重奏曲は、飛ぶ夢を多く見るというシュトックハウゼンの夢想から生まれたものですが、最初に構想が浮かんだ直後は、「きちがいだと思われるのではないか」とシュトックハウゼン本人も考えたそうで、身近な人にも構想を語らなかったということがインタビューでもわかります。

音符が交錯するため、赤(ファーストヴァイオリン)、青(セカンドヴァイオリン)、緑(ヴィオラ)、オレンジ(チェロ)という4つの色で楽譜が書かれた「ヘリコプター弦楽四重奏曲」という特異な楽曲と現代音楽、そしてシュトックハウゼンを知る上で興味深い映像です。

シュトックハウゼン  カールハインツ (1928-2007)/Helicopter Quartet: Arditti Q

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西行法師に似せて

よをうれう

恥さえも恥とはさらに思わねば罪をも罪となどか思わん

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観劇感想精選(44) 燐光群 「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に改題されたか、あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか。」

2007年7月13日 大阪・なんばの精華小劇場にて観劇

午後7時から、大阪・なんばの精華小劇場で、燐光群の「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に改題されたか、あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか。」という長いタイトルの作品を観る。原作:沢野ひとし、作・演出:坂手洋二。

沢野ひとしの短編小説集『放埒の人』や、沢野ひとしの複数のエッセイをもとに坂手洋二が台本を書き上げた。坂手によると、「この劇の九十九パーセントは沢野さんのコトバを使っている」とのことである。

沢野ひとしの一代記、というと語弊があるが、沢野ひとしをモデルとした人物の人生を描いた「物語」。語り手をおいた、純粋な「物語」であり、主題らしきものも裏にメッセージを宿すということもないのだが、それも観ていて心地良い。

上演時間2時間30分強(途中休憩なし)の長尺であるが、テンポは非常に軽妙であり、また語り手や演じ手が複数おり(主人公の沢野ひとし一人をとっても、少年時代から老年に至るまで、7人の俳優によって演じられる)、また、役者の演じる役が次々に切り替わるため、飽きが来ないどころかグイグイ惹き付けられる。一代記だけに、一つの役を一人の俳優で演じるという普通のスタイルだったら、こちらの集中力は2時間30分保たなかったかも知れない。燐光群のスタイルの勝利といっていいだろう。

女にだらしないハチャメチャな人生が描かれるが、笑いがあり、渋みもあり、そして「他人様の人生」だということで大いに楽しむ。

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絵本『ヒロシマのピアノ』

実話を元に書かれた絵本『ヒロシマのピアノ』(文研出版)を紹介します。指田和子・文、坪谷令子・絵。

絵本『ヒロシマのピアノ』(文研出版) 昭和7年(1932)、浜松のヤマハ工場で作られたアップライトピアノ製造番号18209がヒロシマ(広島)、御幸橋に近い家に運ばれてきます。この家に住む、もうすぐ4歳のみさちゃんがこのピアノの主となりました。

ピアノの音に魅せられ、将来は東京の音楽大学に行って、ピアニストになりたいと夢見る、みさちゃん。

しかし、日本は戦争に突入、昭和20年(1945)8月6日、広島への原爆投下により、ピアノも被爆、家のコンクリートの壁に叩きつけられました。

幸い、大破することなく、音もわずかにくるっただけだった被爆ピアノ。みさちゃんもみさちゃんの華族も無事でした。
日本が降伏して戦争は終結。みさちゃんは再び鍵盤に指を触れますが、間もなくして、外から、「せんそうに まけて、日本が これから どうなるか わからんときに、ピアノなんぞ ひくとは いったい なにを かんがえているんじゃ!」と大声がしました。

みさちゃんは以後、ピアノの鍵盤に触れることはありませんでした。それか60年が経ち……。

戦争と原爆の悲惨さと奪われた少女の夢という実話に基づく物語が語られる絵本。矢川光則氏によって音を取り戻した被爆ピアノを演奏して収録されたCD付き。曲は、被爆ピアノのために書かれた「綿のぼうし」(作曲・演奏:山田紗耶香)です。

子供だけでなく、大人にも、そして親子でも読んで貰いたい絵本です。

絵本『ヒロシマのピアノ』(文研出版) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年8月 2日 (土)

リッカルド・ムーティ指揮ベルリン・フィル、スウェーデン放送合唱団、スウェーデン室内合唱団ほか モーツァルト 「レクイエム」「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

リッカルド・ムーティの指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、スウェーデン放送合唱団、スウェーデン室内合唱団ほかの演奏による、モーツァルトの「レクイエム」(ジュースマイヤー版)と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を収めたCDを紹介します。EMIクラシックス。

リッカルド・ムーティ指揮ベルリン・フィル、スウェーデン放送合唱団、スウェーデン室内合唱団ほか モーツァルト「レクイエム」「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 ムーティの指揮は極めてドラマティックですが、時に威圧的でもあり、好悪を分かちそうではありますが、世界最高レベルとされるスウェーデン放送合唱団とスウェーデン室内合唱団の晴朗なアンサンブルは抜群で、合唱に関しては数多いモーツァルトの「レクイエム」の録音の中でもトップを争うものと思われます。

時に威圧的とはいえ、ムーティの真摯にして入魂の指揮もモーツァルトに対する畏敬の念が感じられ、好印象です。

モーツァルト/Requiem  Etc: Muti / Bpo Pace W.meier Lopardo J.morris Etc

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観劇感想精選(43) WANDERING PARTY 「トータル・エクリプス」

2007年12月15日 京都市東山区役所内の東山青少年活動センター創造活動室にて観劇

午後7時より、東山区役所内にある東山青少年活動センター創造活動室で、WANDERING PARTY(通称:ワンパ)の「トータル・エクリプス」を観る。作・演出:あごうさとし。1985年に起こった豊田商事事件をモチーフにした作品である。

まず、ある架空の新聞社内で話はスタートし、照明が切り替わると同時に、話や舞台や時代が飛ぶ。
とある新聞社。トップシークレットであるのはずの豊川商事(モデルはもちろん豊田商事)事件のデータが紛失していることがわかる。そこに記された永田(モデルは永野一男)殺害当時の社員の証言に社を揺るがすほどの問題があるらしいのだが……。

興味深い作品だった。「正義の名の下に行われる私刑」は最近のワンパの作品に通底するテーマであったが、最も公正であることを求められる報道機関を舞台に選んだことに意欲が感じられる。
日露開戦時の主戦論の挿入もわかりにくくはあったが効果的であった。

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2008年8月 1日 (金)

湯川潮音 「灰色とわたし」

湯川潮音のセカンドアルバム「灰色とわたし」(EMI)を紹介します。

湯川潮音 「灰色とわたし」 湯川潮音は1983年生まれのシンガーソングライター。ペ・ドゥナ、香椎由宇らが主演した映画「リンダ リンダ リンダ」で、脇役でありながら途轍もなく歌の上手い女の子が登場しますが、その子を演じていたのが湯川潮音です。

東京少年少女合唱団出身の湯川潮音。メジャー第1弾で実質的なデビューアルバムである「湯川潮音」では高音をセーブしていましたが、本作「灰色とわたし」では、伸びやかで涼風のような美声を聴かせてくれます。

サウンドもギターを中心にアコースティックなものを追求。これも湯川の美声を一層引き立てています。

声自体の魅力だけでも勝負できる数少ない女性シンガー、湯川潮音の会心作です。

湯川潮音/灰色とわたし

湯川潮音 - 灰色とわたし

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