« 京都の底 | トップページ | 全国学力テスト 結果は公表されたけれど »

2008年8月29日 (金)

歌舞伎と能 映像で観た二つの「隅田川」

いずれもDVDでの鑑賞。

まず歌舞伎舞踊版の「隅田川」を観てみる。能の「隅田川」を基に明治になってから作られたもの。班女(狂女)に六世中村歌右衛門。舟人に十七世(先代)中村勘三郎。昭和56年1月、東京の歌舞伎座での収録。「隅田川」の班女は歌右衛門の当たり役であり、海外でも高い評価を受けたという。

武蔵と下総の国境、隅田川。班女が花道から出て来て身の上を語る。班女は京都の北白川に住む公家、吉田某の妻だったのだが、ある日、一人息子の梅若丸が、奥州から来た商人にかどわかされてしまう。それを追い、東国までやって来たのだ。

舟人が現れたので、班女は向こう岸(下総・葛飾)に渡して欲しいという。すると念仏が聞こえるので舟人が、「昨年の丁度今日、十歳ほどの稚児がその先で亡くなった。命日なので皆で念仏を唱えているのだ」という。班女はその稚児のことを訪ねる。「京の白川からやってきた梅若丸という稚児」であり、この地で病に倒れたが、商人は薄情なことにあっさり見捨てて一人奥州へと旅立ってしまった。梅若丸は「母が来たなら、梅若はこの地で亡くなったと伝えて欲しい」と村人に頼み、息絶えたという。

梅若丸の塚の前にやってくる班女と舟人。班女は墓を掘り返して姿を見たいと言うがそれは叶わない。その時、班女は梅若丸の声を聴き、姿を見る。しかしそれは都鳥(ゆりかもめ)の声であり、ポツンと立つ柳の姿であった。

中村歌右衛門の表情が絶妙である。先代の勘三郎も惻隠の情を自然に表出していて上手い。

隅田川の場が有名な「伊勢物語」の主人公のモデル・在原業平にかけて、「かくなることと業平の」といった掛詞を使ったり、「いざこととはむ、都鳥」の歌をアレンジしたりと本も洗練されている。上演時間は約30分。

今度は能の「隅田川」を観てみる。登場人物は舟人、商人(梅若丸を誘拐した商人ではない)、梅若丸の母、梅若丸の霊。

歌舞伎に比べると洗練度は不足しており、時間も長い。歌舞伎舞踊「隅田川」がラストに至るのと同じ時間を費やしてもまだ、梅若丸の母は船に乗ってすらいない。

商人は念仏を聴いて、昨年の今日、何があったのかを舟人と語らうだけの役で余り重要ではないが、能版「隅田川」では梅若丸の母は最初から狂女と決めつけられ、最初は船に乗ることも拒否されており、意気消沈していて話せる状態ではないということで、説明係として商人が必要なのだろう。

在原業平の歌を何度も何度も繰り返すなど無駄が多いが、その無駄を楽しめるかどうかが鍵となる。

梅若丸の塚の場で謡いが「南無阿弥陀仏」と何度も唱える。すると突然、その「南無阿弥陀仏」の声の中に子供の声が混じる。この場面はハッとさせられる。梅若丸の霊が現れる。母は梅若丸の手を取ろうとするが、梅若丸は姿を消してしまう。それが幻影であり、幻聴であったことを知った母の嘆き。そのまま、何の救いもないまま物語は終わる。無駄に耐えた分だけ、こちらの悲しみは深くなる。

上演時間は約80分。歌舞伎舞踊版「隅田川」の方が見やすいし、セリフや謡いも上だと思うが、感銘は能の「隅田川」の方がずっと強い。

狂女の面は角度や見るものの気持ちによって見え方が変わる。悲しみ、喜び、そしてラストの打ちひしがれた表情など、無表情な能面のはずなのに表情豊かだ。興味深い。

|

« 京都の底 | トップページ | 全国学力テスト 結果は公表されたけれど »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 歌舞伎と能 映像で観た二つの「隅田川」:

« 京都の底 | トップページ | 全国学力テスト 結果は公表されたけれど »