セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第1番&第9番、バーバー「弦楽のためのアダージョ」
セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)は20世紀に活躍した指揮者の中でも最も異色の活動を行った人です。
ルーマニアに生まれたチェリビダッケは、若くしてベルリン・フィルに認められ、一時はベルリン・フィルの1シーズンをほとんど一人で振るほどでしたが、癇癪持ちで口の悪い彼は次第に楽団員の反感を買うようになり、フルトヴェングラーの後継者争いに敗れて、カラヤンにベルリン・フィルの常任の地位を奪われました。
カラヤンが録音活動を通して全世界に認められていくことに反発したのか、チェリビダッケは、レコード用の録音というものを一切認めず、コンサートの模様を収めた映像作品に関しても「あれは音楽ではなくてスペクタクルショーだ」と言い放ちました。
演奏活動においても、常識外れに長いリハーサル時間を要求し、どんなオーケストラでも自分自身の音色に染め抜くことに専心しました。
チェリビダッケは、通俗的な作品を嫌いましたが、彼が多く仕事をしたのは、通俗的な曲の演奏も多く行う放送局のオーケストラ。これは放送局のオーケストラは資金が潤沢で、リハーサルに多くの時間を割けるという理由も大きかったようです。ということで、レコード用の録音には否定的だったチェリビダッケも、放送用のライブ録音は多く残しています。
そんなチェリビダッケも晩年になると、自分が死んだら放送用の録音の発売を許可することを仄めかすようになり、実際、チェリビダッケの死後、遺族が「海賊盤が多く出ることを懸念する」という理由でメジャーレーベルからのCD発売を許可し、チェリビダッケの正規録音が世に出ることになります。
今日紹介するCDも放送用音源からCD化されたもの。
ショスタコーヴィチの交響曲第1番と第9番、サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が収録されています。EMIからの発売。
チェリビダッケの演奏の特徴は、低音をしっかりと築き、その上を磨き抜かれた高音が駆け巡るというもので、重厚な味わいがありますが、音はクリアです。
ショスタコーヴィチの交響曲第1番は、ショスタコーヴィチ17歳時の作品ですが、チェリビダッケのどっしりとしたアプローチゆえか、若い作曲家の作品ではなく、成熟した音楽として聞こえてきます。
ショスタコーヴィチの交響曲第9番は、歪んだユーモアを特徴とする曲ですが、チェリビダッケはしなやかさと迫力を合わせ持つ独特のアプローチを示しています。
バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は、ミュンヘン・フィルのストリングスの壮絶なまでに美しくも優しい、慈愛に満ちた音が聴く者の胸を揺さぶります。
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ナチス時代のドイツを舞台にベルリン・フィル首席指揮者の座を巡って巻き起こる様々な欲望と陰謀。その二人の主人公、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーとヘルベルト・カラヤン、そして第三の男ともいうべきセルジュ・チェリビダッケの活躍を時系列的に配した、中川右介の『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎文庫)。カラヤンとフルトヴェングラーによるベルリン・フィル首席を巡るドラマはクラシックファンの間ではよく知られたものであり、この書物に書かれていること自体にはさほど新鮮味はないが、三人の心の葛藤を描くという「人間ドラマ」的切り口が巧みであり、権力や陰謀を描いたサスペンス小説のような面白さがある。
アルバムタイトルからして『ひとり』ですが、「未成年」や「今夜、君の声が聞きたい」など壮絶なまでの孤独感が伝わってくる曲があり、“あなたの信じてるもの、それで私は壊されてしまったの”“こんな私責められない日が来るから”いった歌詞の出てくる「虹」、幸せな時代の思い出からの急転直下と偽りの幸せの告白が痛々しい「あなたとの日々」、元カレへの決別を歌う「コンビニ」、“私がひとりぼっちになって引退を余儀なくされそうになった時があった”というしばじゅんさんの告白を裏付けるような「ひとり歩き」など、人間の内面を突く曲が、これでもかとばかりに並んでいます。
アルヴォ・ペルトは、1935年エストニア生まれ。初期は当時の流行にならって前衛的な作品を書いていましたが、次第に独自の路線を歩むようになり、ロシア正教に改宗してからは宗教的崇高さを目指したとも思える美しい作品を作っていきます。癒しのムードに満ちた作品の数々は1990年代に一世を風靡しました。
1975年の録音ですが、旧ソ連は軍事や宇宙開発競争に力を入れすぎたためか、音楽大国でもありながら、録音技術は貧弱で当盤も録音に関しては満足のいくものではありません。
「はじまりは中之島」は、新たに開通した京阪中之島線の4つの駅とその周辺の紹介も含めた歌です。
停止したエレベーターに乗り合わせた、富永、槙原、小川、カオルの4人。そこで繰り広げられるブラックにしてコミカルな出来事の数々。
「帝王」としてクラシック音楽界の頂点に君臨したヘルベルト・フォン・カラヤン。カラヤンの指揮の特徴は目を閉じて指揮するということでしたが、「アイコンタクトが取れず演奏しにくい」という声がオーケストラ奏者からもありました。指揮するときに目を閉じた指揮者は世界広しといえどもカラヤンだけです。
現代音楽の解釈者として定評のあったルネ・レイボヴィッツが何故かリーダーズ・ダイジェストに録音した「ベートーヴェン交響曲全集」。初心者向けということもあってか、普通はベートーヴェンの交響曲全集などには入っていない「アテネの廃墟より“トルコ行進曲”」なども収録されています。


「白野 ─シラノ─」はエドモンド・ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」を、幕末の日本を舞台に置き換えて作られた「白野弁十郎」を、緒形拳独自の一人芝居として作り替えたものです。
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