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2008年11月 2日 (日)

観劇感想精選(53) 下鴨車窓 「農夫」

2008年6月29日 京都・下鴨のアトリエ劇研にて観劇

アトリエ劇研で下鴨車窓の『農夫』を観劇。作・演出:田辺剛。出演:豊島由香、岩田由紀、鈴木正悟、柳原良平、清水陽子、辻井直幸、立木吉多、藤本隆志。

寓意に富んだ芝居である。

いつの時代、どこの国とも知れない場所にある、とある農村。人々は文字を知らず、農耕で自給自足の生活をしている。その村に「街」から三人の姉弟と長姉の夫、合わせて四人がやって来て、ある若い農民(鈴木正悟)が倉庫として使っている穴蔵に勝手に潜り込み、隠れていた。農民はそれを知って姉弟達を追い出そうとするが、長姉の夫が病気で動けないことを理由に、姉弟達は穴蔵に居続ける。

村は閉鎖的な場所であり、姉弟達がすんなり受けいれられるはずはない。ある日、末弟が井戸端で農民と諍いを起こす。

長姉の夫(舞台上に登場することはない)は詩のような文章を書くのが好きだった。彼は亡くなってしまうのだが、長姉(豊島由香)は夫が生前に語っていた言葉を綴り、その後も思いつくままに詩のような言葉を紙に、紙が無くなると布きれに書き付けるようになる。

次姉と末弟は「街」で「革命」を起こした張本人達であったのだが、立場が悪くなったので、長姉とその夫を連れて村に逃げてきたのであった。

穴蔵の主である、ある若い農民の兄(藤本隆志)が村に帰ってくる。彼は「街」に行っていたのだ。そこで色々な情報を得ており、姉弟達が街でしたことも当然知っていた。しかし彼は姉弟達に関わり合うことよりも農民達に産業を興して、商売を始めるよう勧める。

そして歳月が流れる。穴蔵の主であった若い農民もその兄も、「街」からやって来た次姉も末弟も、末弟と諍いを起こした農民も、みな忘却の彼方へと去り、長姉と彼女が書き続ける言葉だけが残った……。

敢えて舞台向きではなく、小説の中に出てくるような、または詩のようなセリフとモノローグを多用する。モノローグの多用と自己の内面だけを語るセリフによって、会話が成り立っているようで成り立っていない状況が作られ、コミュニケーションの不在が現れもする。

だが、この劇中においてもっと重要なのは言葉の大切さであり、伝え続けることの重要さである。原始的な自給自足の農耕産業にしろ、大衆を相手にした「産業社会」にしろ、あらゆる産業は人間のためにあるのであり、産業だけが化け物のように肥え太り、人間存在を圧迫している現実は異様であるともいえる。

語り継ぐことは人間存在の根本の一つである。生命存在の根本が子孫を残すことであるのと同様に、人間も子孫を残し、そして人間は言葉を持つが故に、その子孫に、そして身内以外の多くの人に対しても語り継ぐべきものを残していく。

語り、書き、それを伝える作業は、何も生み出さないように見えるけれども、それらは産業を興すことよりももっと人間存在にとって重要なことなのだ。

特殊なセリフを使っており、特に倒置法が連続する場面では、そうしたセリフに馴れていない役者の語りが急に停滞したりもしたが、京都の演劇として、堂々と他の街に出せるだけの演技水準には達していたように思う。

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