« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月の23件の記事

2008年11月30日 (日)

穏健派? 誰が? ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン ドヴォルザーク交響曲第8番

1927年、アメリカでスウェーデン人の牧師夫妻のもとに生まれ、両親の祖国であるスウェーデンで音楽教育を受けた指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテット。NHK交響楽団の名誉指揮者として日本でもおなじみの存在です。
スウェーデン人ということで、北欧ものにも適性を見せるブロムシュテットですが、ドイツ正統派の曲目も得意としています。
ところで、日本人音楽評論家の間では、「ブロムシュテットは穏健派、無個性」という意見が幅を利かせています。N響の定期演奏会などで、情熱的で力強い音楽を聴かせるブロムシュテットなのですが、なぜか実演でのブロムシュテットは考慮に入れられていないようです。

そんなブロムシュテットのデビュー盤、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した、ドヴォルザークの交響曲第8番。1974年の録音。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン ドヴォルザーク交響曲第8番ほか 1548年創設という途轍もなく長い歴史を誇るオーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデン。ブロムシュテットは1975年から1985年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務めていますが、シェフをちょくちょく変える傾向のあるシュターツカペレ・ドレスデンのトップに君臨した指揮者としては10年は長い方です。

ブロムシュテットは、音の美しさで知られるシュターツカペレ・ドレスデンから、単に美しいだけではない熱気と若さに溢れた音楽を引きだしています。デビュー盤からしてブロムシュテットは穏健派でも無個性でもありません。ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンが残した録音を「輸入盤で聴くと」、いずれも美音と情熱と造形美との均衡の取れた優れた音楽を楽しむことが出来ます。

「輸入盤で聴くと」と、条件を入れたのは、実はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンの国内盤CDからは、ブロムシュテットの美質はほとんど聞き取れないからです。
ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンの録音のプロデューサーは実は日本人なのですが、彼は当初はブロムシュテットの名も知らず、シュターツカペレ・ドレスデンの美音を録りたいという理由で録音していました。その結果、ブロムシュテットの美質に全く気付かず、情熱的な部分を排除した単に美しいだけの音が国内盤には入ってしまうこととなりました。聞き比べてみれば違いは歴然。そして、国内盤CDだけを聴いた音楽評論家がブロムシュテットの音楽を「穏健派、無個性」と見なすようになったのだと思われます。

Dvorak / Schubert/Sym.8 / 6: Blomstedt / Skd

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あらゆること

あらゆること全てを良く取るのは不可能だが、あらゆること全てを悪く取るのは簡単である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月28日 (金)

観劇感想精選(54) 「狂言ござる乃座 in 京都」2008

2008年9月15日 京都市上京区の金剛能楽堂にて観劇

野村萬斎は雨男として知られる。

午後2時から、烏丸通一条下がるにある金剛能楽堂で、「狂言ござる乃座 in 京都」を観る。野村萬斎が続けている狂言のシリーズ。京都では今回で3回目の上演である。

午後1時30分の開場時間直前から雨が降り始める。やはり野村萬斎は雨男のようだ。

演目は、「舟渡聟(ふなわたしむこ)」と「弓矢太郎」。

「舟渡聟」は、京の男(野村萬斎)が、琵琶湖の向こうにある妻の実家に初めて挨拶に行く時の話である。
男が大津松本から舟に乗る。手土産に京酒を持っているのだが、船頭が大の酒好きで、「一口で良いから飲ませて欲しい」という。男は断るが、船頭はならばと、舟を揺らし、飲ませるように迫る。男は仕方なく一杯だけならと譲るが、船頭は一献酒は普通は飲まないということで、二口目を飲む。飲んだら飲んだで、「二回というのは回数が悪い」と言い始める。男はそれは断るのだが、船頭は梶を漕ぐのをやめてしまう。ということで三口目にありつくことになった。

さて、妻の実家に着いた男。姑(野村万之介)に「舅どのはいらっしゃるか?」と訊くと、「今、寄り合いに行っている」とのこと。そこで男は待つことにする。やがて舅(野村万作)が帰ってくる。が、実は先ほどの船頭の正体が舅で……。

「弓矢太郎」は、京都・北野の天満宮の森付近を舞台とした作品。天神講の集まり。太郎(野村萬斎)がやって来ない。太郎は常日頃から弓と矢を持ち歩いていて、「弓矢太郎」とあだ名されている。しかし、弓矢で獣を射たという話も、盗賊を捕らえたという話も聞かない。天神講の皆々は「太郎は実は臆病者で、それで弓と矢を持って空威張りをしているのでは」と話し合う。ならば怖い話をして太郎をからかってやろうと相談しているところへ、太郎が遅れてやって来る。
怖い話を始めると、果たして太郎は臆病者。鬼の話を間近でされると気絶してしまった。太郎のことをあざ笑う天神講の皆々。しかし、太郎は話がつまらないので「眠くなった」だけと言い訳をする。そこで皆は「丑の刻に、天神の森に行って、松の木に扇子を掛けてきてみろ」と提案する。天神の森は真っ暗。しかも鬼が出るという……。

私は、狂言を観るのはこれが5回目か6回目。野村萬斎の狂言を観るのは初めてである(そもそも人気者である野村萬斎の狂言はチケットを取るのが難しい)。

二作品とも、大笑いするというよりは、終始頬がゆるむという笑いを楽しむことが出来た。野村萬斎のキリリとした存在感はやはり際立っていて、公演を見終わったばかりだというのに、またすぐに萬斎の狂言を観たくなってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(38) 「アマンドラ!希望の歌」

DVDでドキュメンタリー映画「アマンドラ!希望の歌」を観る。2002年の映画、南アフリカ・アメリカ合作。リー・ハーシュ監督作品。
南アフリカのアパルトヘイトを題材にした作品である。

主題になっているのは、「人種差別」そして「音楽」と「革命」。

アパルトヘイトにより隔離された黒人達は、陽気なメロディーを持つ過激な歌詞で白人への対抗心を高めていく。

そして、世界史上初の「音楽による革命」が起こるのである。

深刻なテーマであるが、陽気な旋律を持つ歌が次々に出てくるためか陰気な感じはない。かつての悲劇を乗り越えたパワーが感じられ、観ている方も勇気づけられる。

そしてここに描かれていることは、決して他人事ではないため、私の心に切実に訴えてくるものがある。現状を覆すには暴力や権力よりも効果的な方法があるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月25日 (火)

コンサートの記(28) 柴田淳コンサートツアー2008「月夜PARTY Vol.1 しばじゅん、アイスクリームからサニーへ」大阪公演

柴田淳コンサートツアー2008「月夜PARTY Vol.1 しばじゅん、アイスクリームからサニーへ」ツアーパンフレット

2008年11月9日 大阪・新町の大阪厚生年金会館大ホールにて

大阪・新町の大阪厚生年金会館大ホールにおいて午後6時開演の、柴田淳コンサートツアー2008「月夜party vol.1 しばじゅん、アイスクリームからサニーへ」大阪公演を聴きに行く。

柴田淳の誕生日である11月19日をまたいで行われるツアーであり、ツアータイトルは、しばじゅんさんの年齢に由来する。

ツアータイトルにしている割には、しばじゅんさんはトークで、「もう年齢不詳で行きたい」「プロフィールから(生まれた)西暦を削除しようかな」と言っていたけれど。

会場に詰めかけた大多数が、見るからに善男善女という人達。しばじゅんさんは、「大阪なのに(ツアー初日の)仙台より静かですね」「本当に大阪ですか?」と客席に問いかけていたが、大阪人と一口に言っても色々なタイプが当然ながらいるわけで、テレビで作り上げられたようなイメージの大阪人ばかりでもないわけである。

シングル曲でもある「カラフル」でスタート。最初のうちは、しばじゅんさんも緊張のためかうまく乗れなかったようだが、最初の衣装替えのために一度引っ込んで、ふたたび現れてからは好調。ライブで歌い慣れているためか、アルバム「ため息」に収録された曲の数々が一番安定した歌唱になっていたと思う。

歌われた曲は、全て憶えているわけではないが、「カラフル」、「夢」、「涙ごはん」、「メロディ」、「椿」、「愛をする人」、「月光浴」、「片想い」、「隣の部屋」、「それでも来た道」、「君へ」、「少女」、「ため息」、「泣いていい日まで」は歌われた。

アンコールの前にトークの時間があり、しばじゅんさんのdiaryを読んだ人は何のことかわかると思うが、先月生まれた甥っ子の名前がとうとうしばじゅんさんが嫌がっていたようなものに決まってしまったそうである。
それから、客席からのリクエストに答えて、「幻」「今夜、君の声が聞きたい」「缶ビール」を部分的にアカペラで歌ってくれる。しばじゅんさんが他の人のコンサートに行った時の話もしてくれたけれど、これは書かないでおきます。

トークの時間にではなかったが、しばじゅんさんが今、大阪弁にはまっているということで、プチ(?)大阪弁の披露もあり(「ボチボチでっか?」と言ってはったけど、そら違うで、しばじゅんさん)。

ちなみに、しばじゅんさんはボブカットのウィッグを付けていて、最初がゴシック風の白のドレス、次いで黒の大人っぽいドレス。最後が薄紫のワンピースにロングブーツという衣装でした(アンコール時は、お約束のツアーTシャツにジーンズ)。

アンコールは2曲。「夜の海に立ち…」と「ぼくの味方」という、いずれもファーストアルバム「オールトの雲」からの歌。

「ぼくの味方」は私も声は出さずに口だけ開けて一緒に歌ったが、私の意識と会場の空間とが溶けて、一体となるような感覚を味わった。「忘我の境地」や「無我の境地」などというと大袈裟だが、それに似た体験だと思う。

音楽を楽しむだけならCDを聴けば十分だ。だが、こうした特殊な感覚を味わうために私はコンサート会場に足を運び続けている。それにしても良い夜だった。体が内側から浄化されたような気分だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

これまでに観た映画より(37) 北野武監督「座頭市」

DVDで北野武監督の「座頭市」を観る。出演は、ビートたけし、浅野忠信、柄本明、岸部一徳、夏川結衣、大楠道代、ガダルカナル・タカほか。
音楽的リズムを随所に取り入れ、最後はタップダンスで終わるという異色の時代劇。これまで地上波でも2回ほど放送されている。

「口縄の親分」の正体が早くにわかってしまうが、それはサスペンスを盛り上げるためにあえてそうしているのだろう。顔は出ないが、声と雰囲気ですぐにわかる。
血が飛び散る残酷時代劇のため、R15指定となっている。

病身の妻(夏川結衣)のためにやむを得ずヤクザの用心棒となる服部源之助(浅野忠信)の悲哀が出ているが、例えば「SF サムライ・フィクション」に出てくる風祭蘭之介(布袋寅泰)などに比べると人物造形が浅いかな、とも思う。夏川結衣にももっと見せ場を与えて欲しかった。
とはいえ、エンターテイメントと割り切るなら十分にハイレベル。物語も面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(27) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2008「大植英次スペシャル」

2008年11月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会「大植英次スペシャル」を聴く。何がどうスペシャルなのかはよくわからなかったが。

曲目は、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、マーラーの「亡き子を偲ぶ歌」(独唱:ナタリー・シュトゥッツマン)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。

メインの交響詩「英雄の生涯」は大植の十八番で、CDも二種出ている。そのうちの一つ、大阪フィルハーモニー交響楽団とのザ・シンフォニーホールにおけるライブ録音は、私が接したコンサートで収録されたものだ。ということで、ザ・シンフォニーホールと京都コンサートホールでの印象の違いの聞き比べも出来る。

大植は減量したようで、顔つきが前回見たときより精悍になっている。髪も短くしていて、遠目に見るとトニー・レオンのようだ。あくまで遠目に見るとですよ。

ステージ左手サイド、やや後ろ側の席で聴く。

「弦楽のためのレクイエム」はこの曲をやるには京都コンサートホールは響きのプレゼンスが足りず音が小さく且つリアルに過ぎ、「亡き子を偲ぶ歌」も管楽器の音の輪郭がクッキリ聞こえたが、その分、ちょっとしたミスでもはっきりわかってしまう。

「亡き子を偲ぶ歌」の独唱、ナタリー・シュトゥッツマンは、フランス出身の世界的なメゾ・ソプラノ。芯のしっかりした良く通る声で、心理の表出は絶妙。名唱であった(「名唱」は一般的に使われるが、辞書には載っていないので俗語なのかな。伝わるから用いても良いか)。

メインの交響詩「英雄の生涯」。客演奏者を多く招き、ステージ上にびっしりと人が並ぶ巨大な編成である。大植の振る大阪フィルは透明感溢れる音を出し、あらゆる楽器の音が聞き取れる。過度な残響のない京都コンサートホールの特徴を最大限に生かした演奏が展開された。こうしたことが出来るのは、大フィルの演奏の精度が高いからで、大植のトレーニングの成果が現れている。

精度が高いといっても、ライブ故の傷はいくつかあり、京都コンサートホールは音の動きがはっきりわかるだけに、ちょっとしたずれでもわかってしまう。演奏する側からしてみれば怖い会場だろう。

以前聴いた、ザ・シンフォニーホールの響きを生かした厚みのある演奏も良かったが、音の全てが把握できる今日の演奏の方が好印象であった。どうも大植は京都コンサートホールの音響を計算に入れた上で適宜演奏を変えているようであり、相当な賢さと能力を持った音楽家であることがわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月23日 (日)

結局のところ

本当のことなんて誰もどうでも良いのかも知れない。

本当のことなんて誰も求めていないのかも知れない。

人はみな嘘が上手だ。

中でも自分自身を騙すのが一番得意だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月22日 (土)

太宰治 『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版)

「おうとうき」というタイトルのブログなのに、太宰治について触れた記事が少ないというのは我ながら不当な気もします。ということで紹介します。集英社新書ヴィジュアル版から出たばかりの『直筆で読む「人間失格」』。

美知子夫人により保存され、その後、日本近代文学館に寄贈された、「人間失格」の太宰治の直筆原稿を撮影し、本としてまとめたものです。

太宰治 『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版) 太宰治の「人間失格」。生涯に一度は読んでおくべき本の筆頭に来るほどの傑作ですが、その傑作を太宰本人の筆跡によって味わうことの出来る日が来ようとは。そして、その『直筆で読む「人間失格」』の出版されるまさにその時代に生きることが出来たというのは、私にとってのささやかな幸せです。

さて、この「人間失格」。陰惨なストーリーを持つものと評価が定まっていますが、今回、久しぶりに読み返してみて、通説とは違った解釈が出来るようにも思えました。小説の冒頭で示される有名な三葉の写真の描写。これは大庭葉蔵の手記を手にした、ある小説家が書いたものですが、この「醜い」「不思議」「奇怪」と称された写真が、実は、大庭葉蔵が描いたとされる「お化けの絵」に通じているのではないかということです。「お化けの絵」は葉蔵のお道化を見抜いた竹一なる少年が、ゴッホやモディリアーニの絵を評して言った言葉です。ゴッホもモディリアーニも真実を見抜く目を持った天才画家であり、その絵は、一瞥しただけではわからない真実を描写しています。ということは、葉蔵の写真を見た作家は、それを「醜い」「奇怪」だと思ったけれども、それは作家がそう見ただけで、あるいはこの作家は本当のことを見抜く目のない人物だった可能性も指摘できます。

この三葉の写真のエピソードが冒頭置かれているために、カモフラージュされた格好になっていますが、大庭葉蔵なる人物は極めて頭の切れる男です。特にその観察眼、人間の本質を見抜く目は尋常ではありません。葉蔵の人間批評の一つ一つが的を射ており、その批評される人間に読者も含まれますので、あるいはカモフラージュが行われているのかも知れませんが、葉蔵が見た「人間」こそが実は奇妙な存在であり、実際に堀木正雄やヒラメと称される渋田などはあまりにも俗な「人間」として描かれています。一方、堀木やヒラメは処世術に長けた人物でもあります。しかし葉蔵は堀木やヒラメなどに本心からの愛情を抱くことはなく、彼が愛したのは、どこか浮き世を超越したところのある女達でした。

「人間失格」は確かに重い話です。「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました」という言葉も痛烈です。実際、葉蔵はアルコールに溺れ、モルヒネ中毒になり、廃人となりますが、葉蔵の手記の最後の部分に感じられる彼岸の境地ともいえる不思議な明るさは何なのでしょうか。そして太宰が、「所謂「人間」」という言葉を敢えて用いている意味深さ。

所謂「人間」は、「世間」や「社会」の、音楽でいうコードの中で生きています。そのコードの中では「欲望」や「処世術」が幅を利かせています。俗なものです。コードから外れたメロディが時として効果を上げることがあるように、俗な「人間」から外れることに意味があるとしたのなら。もちろん、葉蔵は上手にそれを成し遂げることは出来ませんでした、彼は「人間」に合わせようとして墜落したのです。しかし、そのことで訪れるユーモアと平安に満ちた悟りのような心持ち(「Let it be」のようです)。これは小説の最後に出てくる「神様」「天使」という言葉に繋がってはいないでしょうか。

人間を失格すべきではないでしょう。しかし「所謂人間」からはあるいは失格もまた尊い、尊いというのは行きすぎにしても、一つの手であるというコード(これは音楽のコードではありません)が透けて見えてはこないでしょうか。
合わせるのではなく、あるがままに生きる。

太宰治 『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版) 紀伊國屋書店BookWebト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

楽譜「柴田淳 親愛なる君へ ピアノ弾き語り」(ドレミ楽譜出版社)

11月1日に、ドレミ楽譜出版より発売された「柴田淳 親愛なる君へ ピアノ弾き語り」を紹介します。

「柴田淳 親愛なる君へ ピアノ弾き語り」(ドレミ楽譜出版社) A4サイズ全67ページ。しばじゅんさんの6thアルバム「親愛なる君へ」に収録された全曲のピアノ弾き語り譜が入っています。
また、「親愛なる君へ」のライナーノーツに収められたものと同じ写真のA4サイズ版、しばじゅんさんへのインタビュー、柴田淳本人による楽曲解説と演奏アドバイスが特典として収められており、演奏アドバイスには技術的なアドバイスだけでなく、その曲がどうやって出来上がったか、どういうイメージを持つかといったことも語られています。

全体的に弾きやすいアレンジになっていますので、ピアノが弾ける方は是非チャレンジして貰いたい作品集です。

柴田淳/親愛なる君へ: ピアノ弾き語り

「柴田淳 親愛なる君へ ピアノ弾き語り」(ドレミ楽譜出版社) 紀伊國屋書店BookWeb

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月18日 (火)

コンサートの記(26) 大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第419回定期演奏会

2008年6月12日 ザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第419回定期演奏会を聴く。音楽監督である大植英次の指揮。

曲目は、ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による変奏曲」、ダニエル・ホープをソリストに迎えてのブリテンのヴァイオリン協奏曲、エルガーの「エニグマ変奏曲」という、オール・イギリス・プログラム。かなり地味である。

今日も客席は良く埋まっていたが、プログラムが地味であるということもあってか、さすがに満員にはならなかった。というより、そもそも大植の指揮でなかったら、このプログラムでは客は入らなかっただろう。大植だから組めたプログラムであるともいえる。

地味なプログラムではあるが、曲の内容は充実しており、大植指揮の大阪フィル(大フィル)も優れた演奏を聴かせる。

弦楽による、「タリスの主題による変奏曲」。ヴォーン=ウィリアムズの指示通り、本体の弦楽パートとは別に、小編成の弦楽オーケストラを舞台端に配しての演奏である。

大植は指揮棒を持たずに登場。一曲まるごとノンタクトで振る大植を見るのは初めてである。

大フィルの弦楽パートは、キレがもっとあると最高なのだが、ハーモニーは美しく、舞台端の別働隊への音の切り替えも的確に効果的に行われていた。


ブリテンのヴァイオリン協奏曲。クラシックの作曲家としては英国史上唯一の天才ともいうべき、ベンジャミン・ブリテンのヴァイオリン協奏曲は、高度な作曲能力が現れている変幻自在の名曲。

ダニエル・ホープは、私と同じ1974年生まれの、イギリスのヴァイオリニスト。

ダニエル・ホープのヴァイオリンは、曲の性格のためかも知れないが線は細めなものの滑らかな音を出す。

大植指揮の大フィルの響きも充実していた。

アンコール曲(ホープ自身が英語と日本語で曲名を言ったが聞き取れなかった)でホープは超絶技巧を披露。聴衆を沸かす。

エルガーの「エニグマ変奏曲」。大植の師であるレナード・バーンスタインがBBC交響楽団を振った時のエニグマのように、超スローテンポで開始。だが弛むことはなく、演奏の密度は濃い。ノーブルというには情熱が勝った感じだが、表現としては大変優れている。

大フィルのアンサンブルも小さなミスが2つ3つあった程度で、後は盤石の出来。音自体も輝かしく、瞬発力がある。ピアニシモが本当に美しいのも印象的。

この曲での大植の指揮は、指揮棒の振り幅を最小限にとどめたり、いつも細かな表情をつける時に使う左手を多用したりと動き自体が多様である。

曲目こそ地味目であったが、大植と大フィルの演奏会としても最上の部類に入るコンサートであった。

大植もさぞかし満足なのではないかと思っていたが、果たして大植は指揮台の上で何度もガッツポーズを見せるなど、自信満々であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月17日 (月)

藤原智美 『検索バカ』(朝日新書)

養老孟司の『バカの壁』がベストセラーになってからというもの、「バカ」をタイトルにした書物が溢れているような感があり、中には著者自身が最も馬鹿であることを露呈してしまっている書物もありますが、本書『検索バカ』(朝日選書)は、タイトルとは裏腹に誠実に内容を持った本です。世の中の「バカ」本の中にもこうした書物がきちんとあるということです。

藤原智美 『検索バカ』(朝日新書) メッセージ自体に目新しいものはありません。情報化社会の中にあって、簡単に手に入れられる外的な情報ではなく、内的な思考を見直そうという趣旨の本です。

ネット社会の到来により、情報や知識は簡単に手に入れられるようになりましたが、そのことで却って情報や知識に振り回されて、己を空しくするという結果を招来していることは間違いありません。右から左へと情報は抜けていき、言葉や対話を深めることもない。地域社会は崩壊し、それを埋めるものとしてマニュアル化された情報が生まれましたが、それは所詮、意味を去勢された仕草のようなものでしかない。

これは藤原でなく、私の意見ですが、もし情報や知識を最上のものとしておくなら、最高の存在は、人間ではなく、知識が集められた「百科事典」ということになるだろうと思ってしまいます。書物が人間より尊い存在、それも何の思索も通さず知識だけを集めた「百科事典」を最上と尊ぶのは誰が考えても愚かしいことですが、困ったことに現代社会はそうなりつつあります。身体を経ていない言葉が、矢継ぎ早に繰り出されてあらゆるものを傷つけている。

藤原智美の『検索バカ』は考えることの尊さを説きます。多くの人がその重要さを当たり前のように認識してながら、現代社会に於いては失われつつある沈思黙考。『検索バカ』はそのタイトルや帯の文句の過激さとは真逆の温かみのある語り口で考え抜くことの重要さを我々に問いかけています。

藤原智美 『検索バカ』(朝日新書) 紀伊國屋書店BookWeb

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月16日 (日)

イ・ヨンエ 『ヨンエの誓い』(NHK出版)

韓国の連続テレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」(原題:「大長今」)に主演したイ・ヨンエ。そのイ・ヨンエに日本側からのオファーがあり、出来上がったのがフォト&エッセイ集『ヨンエの誓い』(NHK出版)です。

イ・ヨンエ 『ヨンエの誓い』(NHK出版) 日本側で用意した300近い質問に、イ・ヨンエが答え、それを本にまとめるという形で作られた一冊。

「宮廷女官チャングムの誓い」への出演を決めたいきさつ。魅力的な監督や脚本、そして共演者達のこと。撮影の裏話や苦労話。
更にイ・ヨンエが芸能界に入るきっかけと、女優として本格的に歩むことの決意、女優として、人間としての生き方と理想などが語られています。

「チャングム」のあのシーンの裏側にこういうことがあったのか、こんな秘密があったのかということが解き明かされる一方で、演技をするということの深さとイ・ヨンエの演技に対する真摯な姿勢と「生きる」ということに対する誠実さなどが窺える興味深いエッセイ集です。

イ・ヨンエ 『ヨンエの誓い』(NHK出版) 紀伊國屋書店BookWeb

| | コメント (0) | トラックバック (1)

これまでに観た映画より(36) 「ロボコン」

DVDで映画「ロボコン」を観る。長澤まさみの映画初主演作。ロードショー当時かなり話題になった映画である。「さよならみどりちゃん」の古厩智之脚本・監督作品。出演は長澤まさみのほか、鈴木一真、小栗旬、伊藤淳史、塚本高史、荒川良々、須藤理彩、うじきつよし等。水野真紀も写真のみで出演している。
残念ながら、その後、他の事件でも有名になってしまう国立徳山工業高等専門学校が舞台。

ロボコンはロボットコンテストのことで、ロボットを使ってボックスを積む陣取りゲームのようなもの。高専生のロボット甲子園とでもいうべきもので、毎年NHKが深夜にその模様を録画中継している。「トリック」でブレークしたばかりの仲間由紀恵が司会を務めていたこともあった。

機械好きの父親(うじきつよし)の影響で高専に入ったはいいものの、入った途端にやる気をなくしてしまい、赤点続きで居残り補習を受けることになった里美(長澤まさみ)。しかし、居残り補習の代わりにロボコンに出場すれば単位を上げるという図師先生(鈴木一真)の提案で、徳山高専第二ロボット部に参加、操縦士(リモートコントロール)役でロボコンに出場する。

第二ロボット部は第一ロボット部に馴染めない人達が作ったいわば落ちこぼれ組。中国地方予選で第二ロボット部は初戦で敗退。しかし多くのボックスを一度に積むロボット構造が評価され、特別推薦で全国大会に出場することになる。第二ロボット部のメンバーは、天才的な理系の頭脳を持ちながら他人の感情に余りにも疎い航一(小栗旬)、部長でありながら使いっ走り根性が抜けない四谷(伊藤淳史)、能力は高いのに根気が続かずサボってばかりの竹内(塚本高史)など、一癖ある人ばかり。ロボットに対する情熱はあるのだが、勝ちたいという気力に欠けており、里美は歯がゆい気持ちでいっぱいになる…。

周防正行監督の「シコふんじゃった。」、矢口史靖監督の一連の作品などに通ずるところのある映画。

落ちこぼれの学生が、学業以外の活動で単位を貰おうとするところなどは「シコふんじゃった。」そっくりである。
ただ、勝ちたいという気持ちが大切なのは当然として、勝つばかりが人生の喜びではないというところも教えてくれる。ブラスバンドが自分のチームをコンバットマーチで応援し、敗れると相手(里美のいる徳山高専)を「蘇州夜曲」で讃えるシーンなどは爽やかな感動を呼ぶ。

ロボコンを通じて高専生達が人間的に成長していく様が爽快である。
長澤まさみの可愛いだけではない飄々としたところのある演技も印象的であり、ストーリー展開がオリジナリティに欠けるところや地味さはあるものの、優れた青春映画として多くの人に薦めたくなる一本であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月14日 (金)

懐かしの歌3 岩崎宏美 「聖母(マドンナ)たちのララバイ」

岩崎宏美が歌う名曲「聖母たちのララバイ」。

異国の戦場を歌った曲のようでありながら、「企業戦士」と呼ばれ、疲れ切った日本の男達を癒す、女性の「母性」的なものを歌い上げた歌でもあります。

しかし、時代は流れ、女性の社会進出が進んだ結果、今では男ばかりでなく、“女もみんな傷を負った戦士”になってしまいました。さて、傷ついた彼女たちを誰が癒せばいいのか。

「芸術」がもっと世の中に浸透して、彼女たちを癒せるような環境が整えばいいとも思うのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月13日 (木)

蠍座の立場は微妙である

私もそうなのだが、蠍座生まれの人というのは人生において比較的割を食いやすいのではないだろうか。子供の頃は4月~6月生まれの子に比べると約半年リードされているために能力で劣るが、早生まれの子達のように、特別扱いされるわけでもない。

私が子供の頃は「お受験」などという言葉もなかったし、子供の頃から私立の学校を受ける人もそう多くはなかったけれど、最近のお受験では、早生まれの人のために早生まれ枠というのがあり、4月~6月生まれの人とは別の試験で結果が決まるそうで、「秋生まれの子供がお受験では一番不利」なのだそうな。

日本の星座占いでは「蠍座の人は内省的」ということになっているが(海外ではどうやら違うようである)、これは星座が影響しているのではなく、子供の頃から内省的にならざるを得ないような環境に置かれるからではないかと思うのだが。子供の頃はやはり4月~6月生まれの子供がやはり発育的にリードしているので秋生まれの子は劣等感を覚えやすいし、かといって早生まれの子供達とは「やはり違う」という意識になってしまう。
立場が微妙なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月10日 (月)

中川右介 『カラヤン帝国興亡史』(幻冬舎新書)

中川右介には、先に『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書)という著書があり、この『カラヤン帝国興亡史』はその続編になります。

中川右介 『カラヤン帝国興亡史』(幻冬舎新書) 1954年11月にフルトヴェングラーが死去し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の後任の首席指揮者(音楽監督・芸術監督)としてヘルベルト・フォン・カラヤンが就任します。『カラヤン帝国興亡史』は、カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者となったところから始まり、その後、立て続けにウィーン国立歌劇場とザルツブルク音楽祭の主となり、更にベルリン・フィルの首席指揮者就任前から手にしていた、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団、ミラノのスカラ座を含めた広大な音楽帝国を形成し、その帝国が徐々に縮小、最後には瓦解するまでを描いていきます。カラヤンの芸術面に関しては敢えて触れず、カラヤン帝国の勢力拡大と衰退を時代を追って書いたこの本は、あるいは音楽書ではないのかも知れません。

あとがきで、著者の中川右介氏は、カラヤンの敗北には「悲愴感はない」と記しています。

これは私の読後感とは異なりますので、そのことについて書いておきます。
このところカラヤンに関する書籍を立て続けに紹介したわけですが、それを通して読んだ結果、浮かび上がったのはカラヤンという男の寂しさでした。カラヤンは本当に自ら望んだ人生を生きることが出来なかったのではないかということです。

この『カラヤン帝国興亡史』において、中川氏は、カラヤンがウィーン国立歌劇場とザルツブルク音楽祭のポストを次々に得たのは、生前のフルトヴェングラーから妨害を受けたからではないかと指摘しています。もしフルトヴェングラーから妨害を受けなければウィーン国立歌劇場やザルツブルク音楽祭のポストにそれほど執着することはなかったのではないかとも。

これはおそらくその通りでしょう。カラヤンの前に立ちはだかったフルトヴェングラーという壁。フルトヴェングラーはカラヤンを敵視していましたが、カラヤンはフルトヴェングラーを音楽家として尊敬していました。そのフルトヴェングラーから受けいれられなかったということが、逆に怖れとなって、カラヤンを権力へと向かわせたという可能性も見て取れます。

考えれば、カラヤンは最初に就任したウルムの歌劇場を2年ほどであっさりクビになっています。そして次にアーヘン歌劇場にポストを得るまで失業者として過ごしました。ウィーン国立歌劇場の練習指揮者の誘いを蹴って、ウルムの歌劇場のトップに就任するほどの自信家であったカラヤンとしては屈辱であり、自信を喪失したとしてもおかしくありません。

ここで『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書)のルドルフ・ヴァッツェル(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コントラバス奏者)の「カラヤンは(中略)自分に自信がない」という発言が思い出されます。ヴァッツェルによると、カラヤンはウルムで失業したことがトラウマになっているというのです。

そして、『カラヤンはなぜ目を閉じるのか』(新潮社)で繰り広げられた、カラヤンは自分の理想の音を追うために、オーケストラを遮断したとの分析。更にこれを裏付けるかのような、「晩年のマエストロ(カラヤン)は音を聴いていなかった」というウィーン・フィル奏者の有名な証言などをから総合して考えるに、若き日のカラヤンは失業で自信をなくし、フルトヴェングラーからも受けいれられなかったことが心の痛手となり、それがゆえに、フルトヴェングラーの死後、フルトヴェングラーが手にしていたポストを次々に手に入れるという行動に出たのではないかという仮説が成り立ちます。失うのが怖い、失わないためには手に入れ続ける必要がある。カラヤンがベルリン・フィルの終身首席指揮者の待遇に拘り、欧州の主要ポストを次々に手に入れていったのは、受けいれられず失うという怖さが原動力になっていた可能性があります。そして絶対の自信を得るために実際のオーケストラの音ではなく、自分の頭の中にある理想の音を追求し、カラヤン自身の言う「別世界」へと入っていったのではないでしょうか。

20世紀音楽界に「帝王」として君臨したカラヤン。しかし実際はカラヤンは20世紀という時代によって「帝王」に君臨させられてしまったのかも知れません。失わないためには常に自分が先頭にいる必要がある。そして20世紀の交通機関の発達により、長距離移動が可能となって複数の重要なポストを兼任できる。20世紀のメディアの発達により、録音や映像を通して世界中にアピールすることができる。しかし、それは同時に、自分の領域内に他の有力者が簡単に移動して来られることをも意味する。ならば徹底して仕事をして常に先頭を行き、ライバルを排除せねばならない。そして自分の弱さをメディアに晒してはならない。

「攻撃は最大の防御」という言葉がありますが、カラヤンは自分の立場を守るために、つねに攻撃的体制で時代の先端を歩まなければ不安だったとも考えられます。そしてそれが本当だとしたのなら、彼の人生はある意味、とても哀れだったといえるでしょう。

中川右介 『カラヤン帝国興亡史』(幻冬舎新書) 紀伊國屋書店BookWeb

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 7日 (金)

伝わらない領域

戯曲を予め読んで舞台に接すると、予想していたものと全く違う展開がそこで行われていることに驚かされるケースがある。

セリフに変更があったわけではない。役者の動きも想像と大きく異なってはいない。しかし、本と上演の懸隔は、ある時は埋めようにも埋められず、ある時は私個人の認識力を大きく揺さぶる。

文字や言葉だけ、あるいは視角やイメージをともなっても伝わらない領域に演劇の本質がある。当たり前のことだが「本=演劇」ではない。「舞台上での動作=演劇」でもない。しかしこの事実を私は不用意に忘れてしまうことが多い。言葉と文字と視角とで形成された日常に慣らされているためなのか。

視角や想像、文字や言葉だけでは伝わらない領域に本質があるということは、あるいは演劇は物語や小説よりも、詩や音楽に近い性質を持つともいえる(演劇が詩と音楽の発展形であることを考えればそれは当然なのかも知れないが)。意味以外でしつらえられた豊饒さに心が感応するのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年11月 5日 (水)

川口マーン惠美 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書)

20世紀前半を代表する指揮者ヴィルムヘルム・フルトヴェングラーと、20世紀後半に音楽界の頂点に君臨した指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(音楽監督・芸術監督)の座を巡って時に醜いほどの確執を持った二人。

そんな二人の大指揮者が活躍したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の元楽団員11名による14回のインタビューを収めたのが川口マーン惠美の『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮社選書)。タイトルは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の元首席ティンパニ奏者であるヴェルナー・テーリヒェンの著書『フルトヴェングラーかカラヤンか』(原題:『ティンパニの響き』)を意識したものだと思われます。ちなみにテーリヒェンの『フルトヴェングラーかカラヤンか』(音楽之友社)を、私は高校生の時に、高校の図書室で読んでいますが、今思うと、あの書物は高校生が読むには全く適していなかったと思います。

川口マーン惠美 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書) 登場するのは、ヴェルナー・テーリヒェン(元首席ティンパニ)、ハンス・バスティアーン(元第一ヴァイオリン)、エーリッヒ・ハルトマン(元コントラバス)、ギュンター・ピークス(元首席ファゴット)、ディートリッヒ・ゲアハルト(元首席ヴィオラ)、カール・ライスター(元首席クラリネット)、ルドルフ・ヴァッツェル(インタビュー当時は現役のコントラバス奏者、2008年夏に定年退職)、ルドルフ・ヴァインスハイマー(元首席チェロ)、ライナー・ツェッペリッツ(元コントラバス)、エーバーハルト・フィンケ(元首席チェロ)、オズヴァルト・フォーグラー(元首席ティンパニ)。

フルトヴェングラーとカラヤンの二人の首席指揮者のもとで演奏したのは6人。あとの5人はカラヤンの指揮でのみ演奏経験のある人です。

フルトヴェングラーとの演奏経験のある人は、フルトヴェングラーを信奉しており、特にアンチ・カラヤンで知られるテーリヒェンは、フルトヴェングラーを絶賛する一方で、カラヤンの才能を全く認めないとの発言までしています。

一方で、カラヤンはフルトヴェングラーの後任として最適だったと認める人もいるなど、オーケストラプレーヤー個々の二人の指揮者への思いには大きな隔たりがあることもわかります。

カラヤンについての評価はフルトヴェングラーと違い、崇拝する人と特に何も感じていない人にわかれており、指揮者としても人間としても賛否両論の評価を受けたカラヤンらしい結果になっています。

クラシック音楽界の世界最高峰に位置するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏家達、その貴重な証言と魅力的な生き方に魅せられる一冊です。

川口マーン惠美 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書) 紀伊國屋書店BookWeb

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幸せ症候群

「幸せでありたい」若しくは「幸せになりたい」と願うことは人間として至極当然のことである。

しかしこれが、「幸せであらねばならない」という強迫的傾向を帯びるとき、人は崩壊への第一歩を踏み出すことになる。「自分にとっての幸せ」の定義を逆に狭めることになり、不幸の領域を勝手に押し広げ、大切な何かを見失う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 3日 (月)

観劇公演パンフレット(34) 「幕末純情伝」2008

つかこへいの代表作、「幕末純情伝」の2008年公演(石原さとみ、真琴つばさ主演)のパンフレットを紹介します。
2008年8月30日、京都四条南座にて購入。

「幕末純情伝」2008公演パンフレット パンフレットには、つかこうへいからのメッセージ、出演者へのインタビュー、マキノノゾミや横内謙介、羽原大介、秦建日子ら演劇人による寄稿、蓮見正幸や木俣冬によるつかこうへい作品の解説、京都の新選組ゆかりの名所紹介などが載っています。

「幕末純情伝」2008概要と感想

午後5時から、四条南座で「幕末純情伝」を観る。作・演出:つかこうへい。1989年に初演された、つかの代表作の一つ。タイトル通り、幕末の京都を舞台とした作品で、新選組の沖田総司は女だったという奇抜な発想からなる芝居である。

つかの代表作だけに、有名俳優陣によって何度も上演されている「幕末純情伝」であるが、今回の上演は、つか自身が18年ぶりに演出も手掛けるというのが見所。更に、沖田総司だけでなく、坂本龍馬も女であったという設定に変わり、奇抜さを増している。

キャストは、沖田総司に石原さとみ、坂本龍馬に真琴つばさ、近藤勇に山崎銀之丞、土方歳三役に何故か矢部太郎、高杉晋作役は吉沢悠、その他に舘形比呂一、橘大五郎、宇都宮雅代、早坂実、清家利一、若林ケンなどが出演。

実際の新選組も観劇に訪れたことがわかっている四条南座(「仮名手本忠臣蔵」が上演された時には、下っ端の隊士数名が舞台上に駆け上がって芝居を中断させるという事件も起こしている)で、新選組の芝居を観るというのは実にいいものだ。

幕末が舞台ではあるが、憲法第九条や、女性も参加できる普通選挙、アジア・太平洋戦争時の沖縄戦などの話を盛り込んでいる。

幕末。どうしようもなく駄目な人達を救うために隊士として向かい入れ、新選組を作った近藤勇(山崎銀之丞)は、将来の妻にするために女の赤子を貰い受ける。その女の赤子こそが後の沖田総司(石原さとみ)であった。沖田は赤子の頃から労咳(結核)を煩っている。

史実では新選組が京にいたのは僅かに5年であるが、芝居なので、それよりずっと長く京都にいた結果、沖田は成人して人を斬る女になった。新選組の他の隊士達は、みな刀を売ってしまったり人にあげたりしているので、新選組の隊士の中で刀を持っているのは近藤と沖田だけ。人を斬るのは専ら沖田の役目であった。

そんな沖田が、祇園祭の日に出会った坂本龍馬(真琴つばさ)に一目惚れ。坂本は憲法第九条死守や普通選挙の実施のために奔走しており、来るべき次の時代の年号を「自由」にしようと決めていた……。

卑語、差別語などを飛ばしながら、沖縄戦に散った人々、女性、病人、第三世界の人々など、弱い立場にある人達の視点にも立っているという、いかにもつからしい演出である。

慈しみ、育てるのは女。だから今回の坂本龍馬は女である真琴つばさが演じたのだろう。来るべき時代に必要なのは包み込むような優しさ。真琴つばさ演じる坂本龍馬はだからこそ女性も参政権を持つ時代を作ろうとするのであろう。

沖田総司を演じる石原さとみが何だかんだで実に可憐なのが良い。近藤勇役の山崎銀之丞、土方歳三役の矢部太郎も良い味を出しており、坂本龍馬を演じる真琴つばさも格好いい。

セリフが、叫びにも似た鋭い声により猛烈な早口で語られるので、何を言っているのかわからないところも多く、いかにもつかこうへいの芝居といった趣。それでも感動するし、悲劇的なラストの感銘は圧倒的であった(ドラクロアの絵画が元になった絵が垂れ幕に描かれ、絶大な効果を上げている。ドラクロアの何という絵がモチーフになったのかは、いわずともわかるはずなので敢えて書かない)。

カーテンコールで披露されたダンスも豪華でクールで、エンターテインメントの精神に溢れていた。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月 2日 (日)

観劇感想精選(53) 下鴨車窓 「農夫」

2008年6月29日 京都・下鴨のアトリエ劇研にて観劇

アトリエ劇研で下鴨車窓の『農夫』を観劇。作・演出:田辺剛。出演:豊島由香、岩田由紀、鈴木正悟、柳原良平、清水陽子、辻井直幸、立木吉多、藤本隆志。

寓意に富んだ芝居である。

いつの時代、どこの国とも知れない場所にある、とある農村。人々は文字を知らず、農耕で自給自足の生活をしている。その村に「街」から三人の姉弟と長姉の夫、合わせて四人がやって来て、ある若い農民(鈴木正悟)が倉庫として使っている穴蔵に勝手に潜り込み、隠れていた。農民はそれを知って姉弟達を追い出そうとするが、長姉の夫が病気で動けないことを理由に、姉弟達は穴蔵に居続ける。

村は閉鎖的な場所であり、姉弟達がすんなり受けいれられるはずはない。ある日、末弟が井戸端で農民と諍いを起こす。

長姉の夫(舞台上に登場することはない)は詩のような文章を書くのが好きだった。彼は亡くなってしまうのだが、長姉(豊島由香)は夫が生前に語っていた言葉を綴り、その後も思いつくままに詩のような言葉を紙に、紙が無くなると布きれに書き付けるようになる。

次姉と末弟は「街」で「革命」を起こした張本人達であったのだが、立場が悪くなったので、長姉とその夫を連れて村に逃げてきたのであった。

穴蔵の主である、ある若い農民の兄(藤本隆志)が村に帰ってくる。彼は「街」に行っていたのだ。そこで色々な情報を得ており、姉弟達が街でしたことも当然知っていた。しかし彼は姉弟達に関わり合うことよりも農民達に産業を興して、商売を始めるよう勧める。

そして歳月が流れる。穴蔵の主であった若い農民もその兄も、「街」からやって来た次姉も末弟も、末弟と諍いを起こした農民も、みな忘却の彼方へと去り、長姉と彼女が書き続ける言葉だけが残った……。

敢えて舞台向きではなく、小説の中に出てくるような、または詩のようなセリフとモノローグを多用する。モノローグの多用と自己の内面だけを語るセリフによって、会話が成り立っているようで成り立っていない状況が作られ、コミュニケーションの不在が現れもする。

だが、この劇中においてもっと重要なのは言葉の大切さであり、伝え続けることの重要さである。原始的な自給自足の農耕産業にしろ、大衆を相手にした「産業社会」にしろ、あらゆる産業は人間のためにあるのであり、産業だけが化け物のように肥え太り、人間存在を圧迫している現実は異様であるともいえる。

語り継ぐことは人間存在の根本の一つである。生命存在の根本が子孫を残すことであるのと同様に、人間も子孫を残し、そして人間は言葉を持つが故に、その子孫に、そして身内以外の多くの人に対しても語り継ぐべきものを残していく。

語り、書き、それを伝える作業は、何も生み出さないように見えるけれども、それらは産業を興すことよりももっと人間存在にとって重要なことなのだ。

特殊なセリフを使っており、特に倒置法が連続する場面では、そうしたセリフに馴れていない役者の語りが急に停滞したりもしたが、京都の演劇として、堂々と他の街に出せるだけの演技水準には達していたように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

映画「レッドクリフ」 5人の男診断

映画「レッドクリフ」のYahoo!映画サイトに性格診断ページが登場しました。

現在公開中なのは、5人の英雄の誰に性格が近いかを診断する「5人の男」

http://event.movies.yahoo.co.jp/theater/redcliff/gonin/

私の結果は、「孔明」(演じるのは金城武)。予想通りだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »