伝わらない領域
戯曲を予め読んで舞台に接すると、予想していたものと全く違う展開がそこで行われていることに驚かされるケースがある。
セリフに変更があったわけではない。役者の動きも想像と大きく異なってはいない。しかし、本と上演の懸隔は、ある時は埋めようにも埋められず、ある時は私個人の認識力を大きく揺さぶる。
文字や言葉だけ、あるいは視角やイメージをともなっても伝わらない領域に演劇の本質がある。当たり前のことだが「本=演劇」ではない。「舞台上での動作=演劇」でもない。しかしこの事実を私は不用意に忘れてしまうことが多い。言葉と文字と視角とで形成された日常に慣らされているためなのか。
視角や想像、文字や言葉だけでは伝わらない領域に本質があるということは、あるいは演劇は物語や小説よりも、詩や音楽に近い性質を持つともいえる(演劇が詩と音楽の発展形であることを考えればそれは当然なのかも知れないが)。意味以外でしつらえられた豊饒さに心が感応するのである。
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コメント
こんにちは。
私事で恐縮ですが、先日、ロシアのオーケストラの演奏を聴きに行きました。曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」でした。勇壮な感じの第3楽章が終わって、4楽章冒頭の旋律を耳にしたとき、自分の目から涙があふれていることに気づきました。しかも、なかなか止まらない。タイトルは「悲愴」だし、旋律はいかにも哀切なものでしたが、映像でも文字でもない「音」の集まりだけを聞いて、涙が出たのは生まれて初めての経験でした。しかも、「自分はなぜ泣いているのか」がよくわからない。もちろん、原因はわかっていますが、その根本にある答えがうまく言葉で表現できませんでした。
「意味以外でしつらえられた豊饒さに心が感応する」
この言葉を見て、探していた答えが見つかったような気がしました。ありがとうございました。
投稿: neve | 2008年11月 8日 (土) 11時36分