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2008年5月18日 - 2008年5月24日の13件の記事

2008年5月24日 (土)

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

最もスペイン的なクラシック音楽として真っ先に思い浮かぶのが、ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)の「アランフェス協奏曲」。悲劇的なメロディーが印象的な第2楽章が特に有名ですが、全曲を通して名曲です。今日紹介するのは、カルロス・ボネルがギターを弾き、シャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団が伴奏を務めたCD。DECCAレーベル。「ある貴紳のための幻想曲」を併録。

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 カルロス・ボネルのギターは音が美しく、それも含めた技術が万全です。

シャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団は、極めて洗練されたスタイルで、特に澄んだ弦楽の響きは、どこまでも高く真っ青な空を想起させます。

スペイン的な土俗感からは遠い演奏ですが、誰が聴いても曲の素晴らしさを味わうことの出来る好演でもあります。

ロドリーゴ/Concierto De Aranjuez  Fantasia: Bonell  Dutoit / Montreal.so

カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 「アランフェス協奏曲」の現行版ジャケット

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『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売)

詩が好きにとってはおなじみの、土曜美術社出版販売から出ている『ロルカ詩集』を紹介します。世界現代詩文庫の第21巻として出ているもの。小海永二:訳。

『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売) 小海永二:訳 20世紀のスペイン詩壇を一人で代表しているといっても過言ではない、フェデリコ・ガルシア・ロルカ。
1898年にアンダルシア地方のグラナダ近郊に生まれ、グラナダ市、マドリッド、ニューヨーク、キューバなどで生活。
スペインに戻ってからは、素人劇団を立ち上げて、主に劇作家として活躍しています。

しかし、この素人劇団が左派であった共和政府からの援助を受けていたため、フランコが独裁政権を築くと同時に、ロルカは左派知識人として追われることになり、グラナダの友人宅に潜んでいるところを見つかって、すぐそばのオリーブ畑で銃殺されました。時に38歳。

フランコ政権下のスペインでは、ロルカ作品は発禁となり、長い間読むことが出来ませんでした。
沢木耕太郎の『深夜特急』にも、スペインを訪れた沢木が、「ロルカの詩を読むことは出来るのか?」と現地の人に訊いて否定される場面があります。

濃厚なスペイン情緒とダダイズムなどの影響も受けたロルカの詩。わかりやすい詩とイメージ連鎖が必要な難解な作品が混在していますが、難解なものでも声に出して読んでみると、案外すっと体と心に染み込んでくるところがあり、そこが魅力です。

『ロルカ詩集』(世界現代詩文庫 土曜美術社出版販売) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年5月23日 (金)

観劇感想精選(36) アトリエ・ダンカン・プロデュース「血の婚礼」

2007年5月17日 東京・新大久保の東京グローブ座にて観劇

東京・新大久保の東京グローブ座で、フェデリコ・ガルシア・ロルカ作、白井晃:台本・演出の舞台「血の婚礼」を観る。
スペインが生んだ悲劇の詩人、ロルカの代表的戯曲の上演。大阪での上演もあるが、紀尾井ホールでのコンサートを聴くついでに東京で観ておくことにしたのだ。


「血の婚礼」は午後7時開演。出演は、森山未來、ソニン、浅見れいな、岡田浩暉、尾上紫(おのえ・ゆかり)、陰山泰、根岸季衣、新納慎也、江波杏子。
ギター演奏を渡辺香津美が担当する。

「血の婚礼」は、詩人であるロルカらしく韻文が多用されるなど、上演の難しい作品である。
演出の白井晃はロルカが書いた歌詞をカットし、その代わりにダンスを多く取り入れる。森山未來、ソニンなど、ダンスの達人がキャスティングされているだけに、舞踏のシーンは迫力がある。

最初は、パーツパーツは優れているものの、それが上手く噛み合わないもどかしさがあったが、森山やソニンのダンスはセリフ以上に雄弁であり、詩人ロルカの戯曲上演への期待が良い意味で裏切られる。
「血の婚礼」の“血”には3つの意味があるが、血が持つ因縁を表現するには言葉よりも肉体の動きがより適している。言葉も肉体より発せられるが、肉体そのものの動きの方が、より血に直結しているのは明らかであり、言葉は情熱の血を沸き立たせる媒体でしかない。

婚礼から2人が逃げ去る場面以降は、役者の動きとセリフとが絶妙の止揚(という表現を敢えて用いる)を見せる。

情熱的で呪わしいという“血”の両面を描き出すことに成功した優れた舞台であった。

出演者では、森山未來、ソニン、尾上紫の3人が特に良かった。森山未來は期待通りであるが、ソニンは予想以上に優れた表現を見せ、尾上紫の可憐さと妖しさの両方を兼ね備えた演技にも魅せられた。

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たぎる血の惨劇 森山未來主演 「血の婚礼」

2007年5月に東京・新大久保の東京グローブ座で上演されたアトリエ・ダンカン・プロデュース「血の婚礼」を収録したDVDを紹介します。TBSの制作、ポニー・キャニオンの販売。

「血の婚礼」は、フランコ独裁政権下で殺害された、スペインを代表する詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカが書いた戯曲。韻文が多用されていたり、月の成りをした人物が登場するなど、そのままでは、少なくとも現代の日本で上演することは難しい作品です。

森山未來主演 「血の婚礼」DVD

台本と演出を手掛けた白井晃は、多くのセリフをカットし、ダンスの場面を数多く取り入れています。「血の婚礼」の“血”には少なくとも3つの意味が掛けられていると思いますが、そうした血を表すには言葉よりもダンスの方が説得力があります。たぎる血は言葉よりも肉体により近しく、ダンスを生かした情熱と因縁と愛の迸りが見事です。
音楽は渡辺香津美を起用。渡辺は舞台上でギターを奏で、その熱い演奏も極めて効果的です。

原作:フェデリコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出:白井晃、主演:森山未來、ソニン、出演:尾上紫(おのえ・ゆかり)、江波杏子、岡田浩暉、池谷のぶえ、陰山泰、浅見れいな、新納慎也、根岸季衣。

Original Cast/血の婚礼

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2008年5月22日 (木)

生誕100年 オリヴィエ・メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 ケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほか

今年(2008年)が生誕100年に当たる、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908-1992)。
詩人である母親が、まだお腹の中にあるメシアンについて「私は、まだ知らない音楽のために痛む」という詩を書いたという伝説に彩られた人物でもあります。

そんなメシアンの代表作が「トゥーランガリラ交響曲」。10楽章からなる大作であり、オンド・マルトノという鍵盤楽器が大活躍することでも有名です。

「トゥーランガリラ交響曲」は20世紀を代表する作品ですので、名盤にも事欠きませんが、私が気に入っているのは、ケント・ナガノがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したCD(TELDEC)。

ケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほか メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 現代ピアノ曲を得意とするピエール=ローラン・エマールがピアノを担当、ドミニク・キムがオンド・マルトノを奏でています。

ケント・ナガノ盤の特徴は何といってもベルリン・フィルの輝かしい音。それもいつものドイツ・ゲルマン的な重々しいものではなく、浮遊感を持った精妙な音宇宙をナガノは作り出しています。

ベルリン・フィルの合奏能力の高さは最高水準であり、エマールのピアノと、キムのオンド・マルトノも優れており、更に名盤でありながら廉価で手に入れることが出来るというのもポイントです。

メシアン、オリヴィエ(1908-1992)/Turangalila Symphonie: Nagano / Bpo

ケント・ナガノ

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2008年5月21日 (水)

NAXOS日本作曲家選輯 「日本管弦楽名曲集」

メジャー・マイナーレーベル(というと変ですが)NAXOSの「日本作曲家選輯」シリーズ。昨年までNAXOSの日本代理店だったアイヴィの持ちかけた企画によってスタートしたシリーズですので、アイヴィの撤退により、今後はどうなるのかはわかりませんが、今のところ発売、企画ともに続いています。今日紹介する「日本管弦楽名曲集」は日本作曲家選輯シリーズのパイロット・アルバムとして発売されたもの。沼尻竜典(ぬまじり・りゅうすけ)指揮東京都交響楽団(都響)の演奏。

NAXOS日本作曲家選輯 「日本管弦楽名曲集」 外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、近衛秀麿編曲の「越天楽」、伊福部昭の「日本狂詩曲」、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」、吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」の全6曲を収録。

指揮の沼尻竜典は1964年生まれの若手指揮者。桐朋学園大学、ベルリン国立芸術大学で指揮を学び、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝という経歴を持つ俊才です。
現在、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、大阪センチュリー交響楽団の首席客演指揮者を務めるほか、びわ湖ホールの芸術監督も務めています。

近畿圏にポストを持つ指揮者というと、大植英次(大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督)、広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)のように、四六時中音楽のことを考えていて、音楽家になること以外は考えられなかったという人が多いのですが、そういう中にあって沼尻は、雑誌インタビューの「音楽家になっていなかったら?」という質問に、「ビジネスマン」と即答してしまったという人。
だからというわけではないのでしょうが、適度な客観性とオーケストラ捌きの見事さを特徴とする指揮者です。

いくつかの作品について紹介しておくと、「管弦楽のためのラプソディ」は、1960年に行われたNHK交響楽団初の世界ツアーのアンコール用曲目として、NHK交響楽団のツアーに同行する指揮者でもあった外山雄三が作曲したもの。最初は20分ほどの曲だったのですが、N響の世界ツアーに同行するもう一人の指揮者であった岩城宏之に「ここはいらない、ここもカット」という要望があり、結局10分弱の作品になりました。「あんたがたどこさ」、「三池炭坑節」、「ソーラン節」、「八木節」など、日本の民謡を取り入れた曲で、初めて聴くと気恥ずかしさを覚えるかもしれませんが、慣れてしまうと楽しい曲です。

伊福部昭の「日本狂詩曲」は、日本人作曲家のために行われたチェレプニン賞で1位を獲得した作品ですが、演奏時間20分以内の作品であることという規定に合わせて、3曲からなる曲だったのに、最初の曲をカットして応募。現在も元々の第2曲と第3曲からなる曲として演奏されています。

吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」は、吉松が私淑し、憧れの存在であった武満徹へのリスペクトを込めた曲。「朱鷺のよせる哀歌」を英訳すると「Elegy for NipponiaNippon」になりそうなものですが、吉松自身が「Threnody to Toki」という英訳をつけたのは、武満徹のイニシャルである「T・T」を意識したものだからです。

沼尻指揮の都響もキリリと引き締まった演奏を繰り広げており、現代音楽研究家である片山杜秀による解説も充実。日本人作曲家の作品を知る上で最適のアルバムです。

Japanese Composers Classical/日本作曲家選輯: 沼尻竜典 / 東京都.so

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2008年5月20日 (火)

『求めない』 加島祥造

現代社会は、消費社会であり、消費のために人々は追い立てられています。曰く「~がないと時代に乗り遅れます」、曰く「~があると便利です」、曰く「~なしではもうこれからは通用しません」等々。

さりながら、そうした大きな流れに乗ることで我々は我々自身を見つめる目を曇らせてしまうことが往々にしてあります。加島祥造の詩集『求めない』(小学館)には、そうした大きな流れの中で、あらゆることを求めすぎている自分を見つめ直すのに最適な言葉が散りばめられています。

加島祥造 『求めない』 とてもシンプルな言葉がならんでいます。難しいことは一切書かれていません。しかし、その言葉を読んでいく内に、これまで見聞きしたこと、読んだこと考えたこと、そうしたあらゆる記憶が繋がっていく心地よさがあります。人間なら誰でもこうした繋がりを見つけられるはずです。

求めるという行為には求めて当然という思いがあり、求められるのは求めたことの代償という考えがあり、しかし、それらは極めて産業構造的な考えです。

求めると見えない、それは求めるときは求めるものだけに目を配るからで、ある種の豊饒さから目を背けたことの結果でもあるわけです。

ここにあるものだけでなく、「外のもの」に引きずり回される。あるいはありもしないものに追い立てられる。それは現代人、いや現代に限らず人間の宿命なのかも知れず、それが故に宗教や思想(『求めない』には仏教や老荘思想に通ずるものが多くあります)を生んだのでしょう。
「外のもの」に消費されることだけが人生の在り方なのか。求め、求められという循環の中で生きていることで、本当に大切なことから目を背け、その周囲で延々とデッドヒートを繰り広げる羽目になっていはしないか。

そういう思いに駆られたことのある方に読んで貰いたい本です。

加島祥造/「求めない」加島祥造

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秘すること

演劇好きの若者が、自分の歌舞伎観について述べている文章を読んだことがある。歌舞伎に関する解釈が色々と書かれているのだが、多くは、「そんなこというまでもないこと」であったりする。多くの人はわかっているのだ。そしてわかっていても言わないのだ。何でも語ってしまうのは恥ずべきことだと心得ているから。

自身の演出と解釈について延々と語っていたりもするが、そういうことを堂々と書いてしまうのはよろしくないのではないか。

秘することなく、表に出すことが何故か良いことと語られることが多いのだが、そんなものは私に言わせれば嘘だ。
観客の知と能力を信じていないからそう思ってしまうのか。

人間存在はいつだって薄明の中にあるのだ。秘されたところで真実はそっと語られるのだ。まばゆい光の下で起こることなど、実は大したことではない。

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2008年5月19日 (月)

当たっていそうな四柱推命

占いというのは、基本的にカウンセリングなどと同様で、自信回復や精神のバランスを保つためにあるのだと個人的には思っています。ヨーロッパなどでは占い師迫害の歴史もあるようですが、やはりカウンセリング効果の重要性が認められて、今も占いは盛んです。そういえば、日本でも豊臣秀吉の時代には、陰陽師が「世を惑わす」として迫害されたことがありました。陰陽師はその後、身分を回復することが出来なかったのですが。

Webで当たっていそうな四柱推命占いのページを見つけました。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~masamasa/sityuu/suimei.htm

サンプルは少ないのですが、誕生日を知っている知人を占った結果、多くが当てはまるような。たまたまかな。

占いも、信じ込んでしまうと自己や他者に対する考察や分析の余地がなくなってしまって良くないかも知れませんが、「疑似科学」だと知った上で「面白い」と思う分にはいいですね。当たっていそうな占いを見つけるのも楽しいです。

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駄作でも私が振れば ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 チャイコフスキー「1812年」ほか

ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、チャイコフスキーの序曲「1812年」と「スラヴ行進曲」、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利(戦争交響曲)」をレコーディングしたCD。3曲とも祝祭的な曲ですが、駄作という評価が定着していることでも有名。
ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」は、イギリスのウェリントン公がナポレオンに勝ったことを記念し、メトロノームを作ったことでも知られる知人のメルツェルの依頼で書かれたものですが、ベートーヴェンは余り気乗りがしなかったのか、メルツェルにも作曲を手伝わせて、のちに著作権問題の訴訟にまで発展しています。
チャイコフスキーの2曲も祝典用に書かれたためか、かなり媚びた感じを受けます。

そんな3曲を、実は傑作であるとして取り上げたのがマゼール。どこまで本気で傑作と考えているのかはわかりませんが、ウィーン・フィルを使ってこれらの曲を演奏するという贅沢な試みに出ました。ソニー・クラシカルからの発売。

ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル 「1812年」、「ウェリントンの勝利」 「1812年」では大砲の実音を、「ウェリントンの勝利」ではライフルの音を使用。「1812年」では更に合唱まで加えて華を添えます。
「スラヴ行進曲」は速めのテンポを採用し、攻撃的な演奏を聴かせています。

しかし、そういったことをわざわざしているということは、普通の演奏では聴かせられないような作品であるとマゼールが考えていることを実は暴露してしまっているような……。

ともかく、これらの曲の演奏としてはトップクラスのものが揃っているのは間違いなく、マゼールという指揮者の資質(良いものも悪いものも)を知る上でも重要な録音です。

チャイコフスキー/1812  Marche Slave: Maazel / Vpo

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観劇感想精選(35) 劇団四季 「ウェストサイド物語」

2008年3月22日 京都劇場にて観劇

午後5時30分から京都劇場で劇団四季の公演「ウェストサイド物語」を観る。アーサー・ロレンツ台本、スティーヴン・ソンドハイム作詞、テキスト日本語訳:倉橋健、日本語作詞:岩谷時子、レナード・バーンスタイン音楽、浅利慶太:演出。

これまで劇団四季の「ウェストサイド物語」では、ブロードウェイ初演の振付を担当したジェローム・ロビンスの弟子であるボブ・アーディティの振付による公演を行ってきたが、今回のプロジェクトからはジェローム・ロビンスのオリジナルの振付を再現して公演を行っている。ジェローム・ロビンスの振付再現を行ったのはジョーイ・マクニーリー。
日本人の体格、体力ともに良くなり、オリジナルの振付が可能な時期に入ったと判断があったのかも知れない。

体格は確かに良くなっているだろうが、日本人がジェローム・ロビンスの振付で踊ると、それでもまだ体操のお兄さん的ダンスになってしまう。だが、出演者達が振りに慣れれば更に良くなるだろう。そもそもオリジナルの振付に挑もうという気概がいい。

あらゆる要素の中で、歌の水準が一番高い。英語の歌の日本語訳詞が妙になるのは避けられないが、出演者達は高音も良く伸びていたし、平均的水準も高かった。

ちなみに今日の主な出演者は、トニーに阿久津陽一郎、マリアに花田えりか、ベルナルドに加藤敬二、アニタに団こと葉、リフに松島勇気、チノに玉城任、シュランク警部に志村要、クラプキ巡査に石原義文。

マリアの花田えりかのセリフ回しが多少気になったが、傷というほどではない。

演技も納得のいく水準。私は白人の若手キャストによる公演も観たことがあるが、キャリアがものをいうのか、劇団四季の方が非言語的なものも含めて演技表現の水準は高いと思う。

ダンスについていうと、例えば体育館のマンボの場で白人キャストの公演の時に感じられた「殺気」のようなものは四季の俳優からは感じられない。これはやはり人種の差だろう。ジェット団とシャーク団は敵同士だが、日本人がやるとどうしても互いに協力してその場をつつがないよう進行させているように見える。だが、それはある意味、日常生活で殺気を感じることのほとんどない日本という国の良さの表れなのかも知れない。

ラストのトニーが撃たれるシーンには問題を感じた。互いを見つけたトニーとマリアが走り寄るのだが、その距離が短いため、チノが飛び出してきてトニーを撃つ場面がコントのように見えてしまう。
京都劇場のスペースの問題もあると思うけれど、トニーとマリアにもう少し長い距離を走らせないと、観客に「ひょっとしてうまくいくか」という希望を抱かせる間を取ることが出来ない(「ウェストサイド物語」を観に来る人は結末がどうなるかを知っているとは思うが)。希望を抱かせる間がないままトニーが撃たれしまうと、トニーがおっちょこちょいの間抜けに見えてしまうのだ。

とはいえ、なかなか感動的な舞台になっていた。レナード・バーンスタインの書いた「トゥナイト」の五重唱は日本語詞で聴いてもゾクゾクする。やはりミュージカルの名場面中の名場面といえるだろう。

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2008年5月18日 (日)

讃歌としてのレクイエム サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン放送合唱団ほか ブラームス 「ドイツ・レクイエム」

サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン放送合唱団、ドロテア・レシュマン(ソプラノ)、トーマス・クヴァストホフ(バリトン)によって演奏された「ドイツ・レクイエム」のCDを紹介します。EMIクラシックス。

サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほか ブラームス「ドイツ・レクイエム」 マルティン・ルターがドイツ語に訳した「旧約聖書」と「新約聖書」をテクストに、ヨハネス・ブラームスが作曲した「ドイツ・レクイエム(ドイツ語によるレクイエム)」。
ブラームスらしい堅固な構造を誇る曲ですが、ラトルはベルリン・フィルから温かくも柔らかな音色を引き出し、異色ともいえる天国的な演奏を繰り広げています。

ライナーノーツでラトルは、「ドイツ・レクイエム」について「『人間のレクイエム』だ」と述べており、神による人間救済との解釈の一端を示していますが、演奏はラトルの意図をも超えたものであり、神と人間の讃歌ともいうべき崇高な音楽に仕上がっています。

他の「ドイツ・レクイエム」の演奏に比べると軟派に聞こえるためでしょうか、評論家筋からの評価は必ずしも高くない演奏ですが、これを秀演かどうかを決めるのは個々の問題であり、新時代の「ドイツ・レクイエム」として多くの人に聴いて貰いたいCDです。

ブラームス/Ein Deutsches Requiem: Rattle / Bpo Roschmann Quasthoff (国内盤)

ブラームス/Ein Deutsches Requiem: Rattle / Bpo Roschmann Quasthoff (輸入盤)

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21世紀のマエストロ ニコラス・ケニヨン著『サイモン・ラトル ベルリン・フィルへの軌跡』(音楽之友社)

世界最高のオーケストラといわれるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の現在の音楽監督、サー・サイモン・ラトル。
1955年、イギリス・リヴァプール生まれの指揮者です。
1980年に、わずか25歳でバーミンガム市交響楽団(CBSO)の音楽監督に就任。以後、CBSOのレベルを飛躍的にアップさせ、世界的な脚光を浴びます。
そして1999年、ラトルはベルリン・フィルの第5代音楽監督への就任を決めました。

ニコラス・ケニヨン著・山田真一訳 『サイモン・ラトル ベルリン・フィルへの軌跡』(音楽之友社)

順風満帆に見えるラトルの音楽人生。しかし、ラトルにもラトルなりの苦労があります。ニコラス・ケニヨンが書いた『サイモン・ラトル ベルリン・フィルへの軌跡』(山田真一訳。音楽之友社)は、生い立ちからベルリン・フィルの音楽監督になるまでのラトルの人生に迫った評伝。

音楽好きの両親のもとに生まれたサイモン・ラトル。特に父親のデニス・ラトルはジャズ・ピアノやギターが得意で、息子のサイモンが成長したらジャズ・ドラムを教えて一緒にバンドを組もうと考えていたようです。しかし、サイモンは4歳の頃からクラシック音楽に興味を示し、ピアノやパーカッションなどを習い始めるとすぐに上達。母親の影響で読書が好きになったサイモンは音楽書や楽譜を貪り読みます。7歳の時の愛読書は何とベルリオーズの『管弦楽法』。「音楽に取り憑かれていた」とサイモン自身も語っています。

出身地のオーケストラであるロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴いたラトル少年は、演奏家になることを決め、15歳で学生オーケストラを指揮する機会を得、それ以降は、指揮者以外の職業に就くという選択肢は彼の中から消えました。

しかし、神童ラトルといえども、指揮者になるには苦難の道が待っています。20世紀前半を代表する指揮者の一人であるブルーノ・ワルターは、「ピアニストやヴァイオリニストは楽器を相手に練習できます。しかし哀れな指揮者はというと、大勢の演奏家達、それも自分より遙かに年上で音楽のキャリアも長い演奏家達の前に立たないと指揮を練習することも出来ないのです。最初は何をしていいかもわからないということになります」とテレビインタビューで語っていましたが、ラトルにとってもそれは同じで、初めてプロのオーケストラの立ったときに彼は、「いったい何をすればいいのかまるで見当がつきませんでした」と本書の中で語っています。
その初めて振ったプロのオーケストラであるボーンマス交響楽団のメンバーの若きラトルへの評価は決して高いものではなく、ラトルはその後もレパートリーの問題も含めて多くの壁にぶつかります。
指揮者として功成り名を遂げた後も、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やクリーヴランド管弦楽団など、ラトルと上手くいかなかった楽団は存在します。

現代音楽を得意とし、ベルリン・フィルでも積極的に現代音楽を取り入れるラトル。しかし、現代音楽はオーケストラメンバーも含め、音楽愛好家に必ずしも好意的には受け止められていません。
ベルリン・フィルとの新しい時代を築きつつあるラトル。ラトルの音楽性と音楽人生知り、そしてベルリン・フィルとの今後を占う上でも、『サイモン・ラトル ベルリン・フィルへの軌跡』は重要な書籍であるといえます。

Book/サイモン ラトル ベルリン フィル

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