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2009年1月の24件の記事

2009年1月31日 (土)

観劇感想精選(61) 「私生活 プライベート・ライブズ」

2008年11月5日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

午後7時から、大阪・京橋のシアターBRAVA!で「私生活 プライベート・ライブズ」を観る。ノエル・カワードの代表作の上演。松岡和子の日本語訳テキストを使用。ジョン・ケアード潤色・演出。出演は、内野聖陽、寺島しのぶ、中嶋朋子、橋本じゅん、中澤聖子。

ノエル・カワードの「私生活 プライベート・ライブズ」は、2年ほど前に、山田和也の演出、葛山信吾、久世星佳、ともさと衣(劇団東京乾電池)、西川浩幸(演劇集団キャラメルボックス)、詩梨の出演によるものを観ているが、この公演は台本を手掛けた飯島早苗によって笑いが増幅されており、ルイーズ(詩梨)のとぼけたセリフや、ビクター(西川浩幸)の滑稽な味わいは、飯島が付け加えたものだったようだ。

今回、ルイーズを演じた中澤聖子にはフランス語のセリフしか当てられていない。おそらくこちらの方がノエル・カワードの本により忠実なのだろう。

ビクターを演じるのは橋本じゅん。橋本じゅんは変わった男の役が多く、ごくごく一般的な人物を演じるのは今回が初めてとのことである。

フランスの海辺の避暑地。エリオット(内野聖陽)とシヴィル(中嶋朋子)が、ハネムーンでこの地にやってきた。エリオットはバツイチである。

ところが、エリオットらの隣の部屋に、エリオットの前妻であるアマンダ(寺島しのぶ)がビクターという男と泊まっていた。実はアマンダもビクターとのハネムーンに来ていたのである。

そのことに気付いたエリオットとアマンダ。別れてから5年経っているが、焼けぼっくいに何とやらで、たちまち心は燃え上がり、互いの再婚相手を残して、パリへと駆け落ちしてしまう……。

コミカルな味わいが勝った山田和也演出版とは違い、今回のジョン・ケアードは「私生活」からよりお洒落なムードを引きだしており、同じ本でも演出やキャストによって趣がガラリと変わることが確認できた。山田版もケアード版もそれぞれに良さがあり、どちらが上かと比較する意味は余りない。

ケアードの演出では、エリオットとアマンダがベランダで全く同じ格好をすることで、二人がよく似た人物であることを示したり、シヴィルとビクターが言動などからやはり相似形のキャラクターであることがよくわかるように工夫されていた。

エリオットとアマンダが、二重唱を歌う場面がある(作詞・作曲はノエル・カワード。内野聖陽はピアノ弾き語り)が、大人のムードに溢れていて実に素敵だった。

大阪初日ということで緊張していたのか、内野聖陽は何度もセリフを噛んだが、コメディー作品であり、それで笑いを取れていたので結果オーライということだろう。

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2009年1月29日 (木)

コンサートの記(34) 大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第407回定期演奏会

2007年4月20日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールで

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第407回定期演奏会を聴く。指揮は音楽監督の大植英次。曲目は前半がオレグ・マイセンベルク独奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。後半がショスタコーヴィチの交響曲第5番というロシアものである。

今日も満員。補助席が出るほどの盛況である。

ウクライナに生まれ、現在はウィーン国立音楽大学のピアノ科の教授でもあるというオレグ・マイセンベルクは、時々うなり声を上げながら、難曲中の難曲とされるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番に立ち向かう。スケールは大きく、技術も高い。良いピアニストだ。
一方の大植英次は、伴奏に徹し、オーケストラの音量もマイセンベルクが弾きやすいように時折落としたりする。また譜面台にスコアを置いていたが、それに目をやることはなく、ほとんどマイセンベルクの手元を見ながらの指揮であった。ピアノに合わせているという印象が強く、大植ならではの味わいは薄い。
大阪フィルは音色の華やかさは今一つ。ただ、抒情的な部分の表現力はなかなかである。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番。大植指揮のショスタコーヴィチは交響曲第7番「レニングラード」をCDで聴いており、好感の持てる演奏だった。またマーラー指揮者はショスタコーヴィチも得意としている場合が多く、期待が高まる。

「最初から情熱全開でいくだろう」、と思いきや、冒頭は音量を抑え、ショスタコーヴィチの苦悩を丁寧に描写していく。そして、クライマックスに至るや急激なギアチェンジを行い、派手な演出をしてみせる。その対比が鮮やかだ。

大阪フィルは、木管が健闘。金管もまずまずだが、揃わないところがいくつかあった。

丁寧さと派手さの対比は、第4楽章で多いに発揮される。第4楽章は冒頭のテンポは中庸。しかしすぐに極端なまでの加速を見せる。そして皮相な音の爆発。一方で、静かな部分は第3楽章の続きを思わせるような苦み走った表情を徹底して追求する。結果、凱歌と見なされる第4楽章が凱歌には聞こえず、悲しみの洪水のように感じられた。大植はこの曲が持つ別の一面を示した。優れた演奏だ。ただ、大植が感極まって演奏終了後に泣くような仕草を見せたのは、いかにもレナード・バーンスタインの弟子らしくて嫌だったが。

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2009年1月28日 (水)

観劇感想精選(60) 「エレンディラ」

2007年9月14日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

大阪・京橋のシアターBRAVA!で、蜷川幸雄演出の公演「エレンディラ」を観る。
『百年の孤独』、『予告された殺人の記録』のガブリエル・ガルシア=マルケスの小説「エレンディラ(無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語)」を坂手洋二が戯曲化。出演は、中川晃教、美波、嵯川哲朗、國村隼、品川徹、あがた森魚、石井愃一、山本道子、立石涼子ほか。音楽:マイケル・ナイマン。
全3幕。2度の休憩を含んで上演時間約4時間の大作である。

南米コロンビア。森の奥の豪邸で祖母とともに暮らすエレンディラ(美波)は、ある風の強い日に、蝋燭をつけたまま眠ってしまい、家を全焼させてしまう。祖母(嵯川哲朗)は、エレンディラを娼婦にし、失った財産の分だけ稼ぐように命じる。ある日、エレンディラはウリセスという名の青年(中川晃教)と恋に落ちる。ウリセスとの駆け落ちを図るエレンディラ。しかし逃亡はしたものの祖母に見つかってしまい、引き離される二人。
やがて再会したエレンディラとウリセスは祖母の殺害を企てるのだった……。

マイケル・ナイマンのミニマル・ミュージックは、繰り返される音型が呪術的でもあり、印象に残るが、他の映画音楽からの使い回しがあるのが気になる。

エレンディアとウリセスの恋を描く第1幕と第2幕は、物語も面白いし、テントやジープなどを全て人力で動かし、舞台下手(向かって左側)で、紙芝居をやったりする蜷川の意欲的な演出も興味深い。しかし何といっても圧巻だったのは第3幕。ガルシア=マルケスの分身ともいうべき作家(國村隼が演じた)が現れ、エレンディアの物語の真実が明かされていく。ミステリー仕立ての面白さだ。
そしてラストシーンの絵のような美しさ。ラストシーンを観るだけでも十分に価値のある公演であった。

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人は城

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」

平成の大将達よ、武田信玄のこの言葉をどう思うか。

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2009年1月27日 (火)

簡単に見えることほどあぶない

簡単に見えることほどあぶない。特別な注意を払わない上に、油断するから。

そして、そうした人間の特性を利用しようとする人は利用するから。

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2009年1月25日 (日)

権力と観察眼

権力のある者は得てして人を見る目がなく

人を見る目がある者は得てして権力から遠い

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2009年1月24日 (土)

ヴィルムヘルム・バックハウス(ピアノ) ベートーヴェン三大ピアノソナタ

最高のベートーヴェン弾きと呼ばれたヴィルムヘルム・バックハウスによる、ベートーヴェンの三大ピアノソナタ(ピアノソナタ第14番「月光」、ピアノソナタ第8番「悲愴」、ピアノソナタ第23番「熱情」)の演奏を紹介します。DECCAレーベル。

ヴィルムヘルム・バックハウス(ピアノ) ベートーヴェン 「月光」、「悲愴」、「熱情」 若い頃は「鍵盤の獅子王」と呼ばれ、超絶的なテクニックを畏れられたバックハウスですが、この録音が行われた晩年にはさすがにテクニックは衰え、しかし代わりに深みと奥行きのある演奏を示すようになっていました。一聴すると地味ですが、一音一音をかみしめるように弾くバックハウスのピアノに耳を澄ますとベートーヴェンが曲に託した思想や感情が染み込むように伝わってきます。

多くの人を魅了してやまないバックハウスの至芸を聴くことの出来るCDです。

バックハウス ベートーヴェン4大ソナタ (SHMCD)icon

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ホームラン競争のブログパーツ設定しました

ファミスタ3のホームラン競争のブログパーツを設定しました。左側サイドバー下を御覧下さい。キーボードの「D」を押すとスウィングします。

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コンサートの記(33) ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団来日演奏会2008京都

2008年11月28日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会を聴く。

演奏曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アレクセイ・ヴォロディン)と、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」第1組曲と第2組曲より。

現役の指揮者としては最もカリスマ性があると言われるゲルギエフと、ゲルギエフが首席指揮者を務め、イギリス最高のオーケストラと自他共に認めるロンドン交響楽団の公演。曲目もポピュラー、なのだが、意外にも満席にならず。1階席右側ステージ寄り、1階席後方、3階席正面にはまとまった空席が目立つ。これが京都のクラシック音楽を巡る現状のようだ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番もプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」も20世紀の作品だが、ゲルギエフとロンドン交響楽団は完全な古典的配置で演奏に臨む。いずれの曲も古典配置で演奏されるのを見るのは私も今日が初めてである。

ゲルギエフは今日は全曲タクトなしで振る。指をヒラヒラと動かすお馴染みの指揮だ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ソリストのヴォロディンは、力強いタッチで旋律を奏でる。甘いメロディーに溺れることのない、剛毅な演奏である。

ゲルギエフの指揮するロンドン響は「美しい」と形容するより、「熟した」と表現した方がより近い音を出す。かなり速めのテンポによる演奏だったが、薄味にはならない。金管が強力で、オーケストラ全体としてのパワーも強烈だが、時に「鳴らし過ぎ」では、と思えるような、音が飽和状態に達してモワモワとしてしまう瞬間があった。古典配置が影響しているのか、ロンドン響がバービカンホールという世界有数の悪音響で知られる会場を本拠地にしていることが原因なのか、あるいは他に理由があるのか。

とはいえ、ゲルギエフは盛り上げ上手。3つある楽章を繋げて演奏し、第3楽章のクライマックスの築き方などは、見事という他ない。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」より。ゲルギエフはプロコフィエフを得意としていて、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団と、バレエ音楽「ロメオとジュリエット」全曲などを、ロンドン交響楽団とは「プロコフィエフ交響曲全集」を録音している。

大編成での演奏だが、音が立体的。これはオーケストラプレーヤー個々のハーモニーに対する感覚の鋭さに由来するものだろう。残念ながら日本のオーケストラは大編成ではここまで立体的な音は出せない。金管は相変わらず強力で、弦も厚みがあり、京都コンサートホール全体が楽器と化して鳴り響く。アバド、ポリーニ、内田光子ら有名演奏家が口を揃えて音響をけなすバービカンホールでもそれなりに鳴らすであろうロンドン交響楽団だけに、京都コンサートホール自体を楽器として響かせるのはたやすいということなのだろうか。

技術的なミスもほとんどなく、文句の付けようのない演奏。アンコールとして演奏された、やはりプロコフィエフの歌劇「3つのオレンジへの恋」より“行進曲”も見事な演奏だった。

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2009年1月22日 (木)

小道を行けば

小道を行けば長い影

華やぎからは遠く

足音の木霊する寒さ

しかしこれが通じる道

己の信ずるところへと繋がる

ただ一つの道のり

ここかしこに咲く躑躅を頼りに

誘われるままに歩むだけ

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人物と怪物

“不運は人物をつくり、幸運は怪物をつくる”(ビクトル・ユゴー)

幸運に恵まれた人の中には信じがたいほど我が儘で独善的な人がいますよね。

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2009年1月21日 (水)

言葉の祭壇

確固としたものなのかわからないのに

祭り上げられた言葉の数々

それらを前に思考の歩みを止めれば

抗うことの出来ない流れに呑まれる

全ては確定していない

未来は不可知なものとして近づく

新たなる鎧を纏え

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2009年1月20日 (火)

天気の顔

晴れた日には晴れの顔。曇りの日には曇りの顔。雨の日にはそれらしく。

人間も自然の一部なら、無理はせずにあるがままに。

偽りで作る均衡ほど、心に負担をかけることはないのだから。

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のたうちまわる心臓

心臓がのたうちまわる

あらゆる血管を絡ませ

全世界のルサンチマンを両肩に抱えて

遠い歴史の先に抜け出るどこかを探しながら

全ての人が見る悪夢を先んじて見続ける

血を飲み大地に伏し

失われた声の行方を尋ねる

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2009年1月19日 (月)

青の時間

サファイア色の眠りの汀

誰もいない塑像の街

どこでもない場所の誰でもない僕らは

この時間に君臨する英雄だ

動き出さない時間を内側から支配する

原初の世界の祭司なのだ

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影絵のような日々

実態があるかなきかの影絵のような日々。

私が私を離れて成立しているような。

光あるところは私から遠く、影として演じきれぬことのもどかしさ。

だが私はなぞっていく。それが本当でなくても、なぞられた実体は確実に時間に刻まれていく。

時をなでる。それが生きるという実態。

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2009年1月18日 (日)

アンドリュー・ワイエスの死

アメリカの世界的な画家、アンドリュー・ワイエス氏が死去。91歳。少年時代に神経衰弱を患い、幼い頃に医師から「10歳まで保たない」と短命を宣告されたワイエス。

それゆえか彼の画風は、緻密な描写の裏に孤独と悲しみ、死の予感を宿していました。

好きな画家の絵の中には、愛好する見手その人が存在するといわれます。ワイエスの絵の中にも、おそらく私はいるのでしょう。

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2009年1月13日 (火)

1998年1月の雪

1998年の1月、東京に大雪が降りました。

当時私は大学の4年生だったのですが、午後3時頃に大雪警報の発表があったことを放送で知りました。とはいえ、東京のこと、「大雪といっても大したことあるまい」と高をくくっておりました。

しかし、帰り道に難儀することに。東京は街自体が雪に対応していないのですが、JRの列車のパンタグラフが積雪によって下がってしまい、電車に電気が十分に送られないという状況が発生したのです。

当時の私の帰路は、JR御茶ノ水から総武線に乗り、錦糸町駅で総武線快速に乗り換えて、JR千葉駅まで向かうのが普通だったので、その日もそうしたのですが、JR千葉駅の一つ手前の駅である、JR稲毛駅で電車がとうとうストップしてしまいました。

ホームでしばらく待っていると、総武線普通列車が間もなく動くというアナウンスがあったので、そちらに乗り換えましたが、どうも先の駅のホームが列車で一杯になっているようで、一向に動き出しません。JR稲毛駅からJR千葉駅までは2駅ですので、天候が良ければ歩いていけないこともないのですが、雪ということで足元が非常に悪いことが予想されます。

長いこと電車の中で待っていたのですが、一向に動く気配がないので、少し遠いですが、京成電鉄の稲毛駅まで歩いてみることにしました。京成電鉄が動いていることはJRの駅員さんから確かだという情報を頂き、雪の中を15分か20分ほどでしょうか、ハーハーと息をしながら歩いたのを憶えています。道路上を雪が我が物顔に占拠していて、雪に慣れていない千葉の人間である私は歩くのに難儀しました。

幸い、京成電鉄は動いていました、ただし、私と同じようにJRから乗り換えようと思った人が京成稲毛駅で大量に乗り込んだので、京成千葉駅まで車内は押し合いへし合いの状態でしたが。

で、千葉駅に着いてみると、雪がさほど積もっていません。稲毛と千葉なんてすぐそばという感覚ですが、積雪量がかなり異なるのが不思議でした。千葉駅からはバスで、千葉駅に着く前は、「バスは動いているか」と心配だったのですが、積雪量が違い、杞憂に終わりました。

それにしても、もう一本遅い電車に乗っていたら私は稲毛までたどり着けず、電車内で一晩過ごすことになっていたかも知れません。その日はとうとうJRの列車は終日動かなかったのですから。

1998年1月といえば、丁度私は卒業論文を書いていた時期で、その日も帰ってからずっと清書を続けていた記憶があります。当時は今と違ってパソコンを持っていなかったので、原稿用紙に万年筆で清書する必要があったのです。卒論本編を書くより、清書を仕上げるのが大変でした。

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2009年1月11日 (日)

アンドリュー・ワイエスのような冬 1991年のこと

おそらく1991年の2月3日前後だったと思いますが、当時私が住んでいた千葉市に大雪が降りました。

千葉という所は、東京からほど近いものの、雪は東京に比べても余り降りません。東京都心で10センチを超える積雪があっても千葉は3センチ程度というのが良くあるパターンです。

しかし、1991年の冬には千葉にも雪が降りました。私はちょうど今と同じように風邪を引いていて、寝ていました。学校は休みました。

比較的重い風邪で、余り起き上がれなかったのですが、治りかけた頃にようやく起き上がって、私の寝室のあった2階の窓から外を覗くと、200mほど先にある野球場のフェンス代わりとして、土地を10m近く掘り下げた斜面があり、そこに普段は芝生が植えられていたのですが、雪に交じり、芝生のか細い指が空しく天を指しているように見えました。

「アンドリュー・ワイエスの絵に似たような景色があったなあ」と当時思ったのを憶えています。ただ、後で調べてみたところ、ワイエスの絵で雪と芝をモチーフにしたものはいくつもありましたが、ずばりこれに似ているというものはなかったのですが。

しかし、今でも私は、雪をモチーフにしたワイエスの絵を見ると、なぜか1991年2月の雪の日のことを思い出してしまいます。
ワイエスは、子供の頃、医者に「早世する」と宣告され、その後、ワイエスの絵には死のモチーフが紛れ込むようになります。死に結びついたワイエスの冬。1991年に引いた風邪が、高校時代の風邪の中で最も重かったからでしょうか。意識が朦朧としたこともあったので。しかし、死に至ることもあるとはいえ、風邪は風邪という気もします。
あるいは、その当時の私が感じていた年齢相応の生きにくさが、ワイエスの絵とどこかしらで結びついていたからなのでしょうか。

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2009年1月 6日 (火)

ほっこり

「ほっこり」という言葉があります。京言葉で「疲れた」という意味です。しかし、京都以外でも用いられることがあるようで、その場合は、「ほっとした」という意味になります。「ほっとした」の方の「ほっこり」の出典を見ると江戸時代に書かれたもの(十返舎一九などが使っている)なので、相当な歴史を持つ言葉のよう。

一方で、京言葉の「ほっこり」の使い方も、最近は語感からか、「ほっとした」という意味に転化して用いられることが多いよう。言葉は変化するものなので、いずれ、京言葉の「ほっこり」も「疲れた」という意味で用いられなくなるのかも知れません。若い人で、疲れて「あー、ほっこり、ほっこり」という人がそう沢山いるとも思えないので。

私自身は……、そもそも「ほっこり」という言葉は使わないなあ。

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2009年1月 2日 (金)

京都のお正月は楽しい

京都のお正月は楽しい 下鴨神社の甘酒

正月なのに実家に帰らず京都で過ごしている。京都のお正月は楽しいのである。

神社が多く、それぞれの神社が工夫を凝らしている。上の写真は下鴨神社の甘酒。ちなみにアルコールは入っていない。ノンアルコールのものを酒といっていいのかどうかは疑問であるが、こうしたものが味わえるのである。

それだけなら京都に限らないが、下鴨神社は糺の森の中にあり、境内は広い。ということで、たき火をやっていて、みんなで暖まることが出来る。周りはみな、たまたまその場に居合わせた人だけれど、皆で一緒にいると心が一つになったようで火だけでなく人間の温かみを感じることが出来る。

神楽をやっていて、それを見聞きするのも楽しい。

上賀茂神社に行くと、白馬がいて、餌をやる楽しみがあるし、ここの大根煮は美味しい。

豊臣秀吉を祀る豊国神社(とよくにじんじゃ)は、正月の三が日だけ、国宝の唐門をくぐることが出来る。

これだけ色々な正月行事をやっているのは、日本広しといえど京都だけではないだろうか。

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永遠も半ばを過ぎたかも

ふと思った。ただそれだけ。

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2009年1月 1日 (木)

ケータイ「『明鏡クイズ! 問題な日本語』12月末全国テスト」

ケータイ「『明鏡クイズ! 問題な日本語』12月末全国テスト」で、50点満点であった。毎月末にテストがあり、常に満点者は複数名いたので、今回も同点首位の人が何人もいるだろうと思っていたが、年末で参加人数が少なかったのか、満点は私一人だけで、単独首位であった。取り敢えずご報告。

本当はもっと喜んでもいいのだろうけれど、漢字が読めない人が一国の首相になっている一方で、力のある人でも職に就けないという社会にあって、点が良くったってどうってことないとも思える。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

京都市中京区、新京極通に面したところにある錦天満宮の牛です。

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