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2009年2月16日 (月)

コンサートの記(35) 広上淳一指揮 京都市交響楽団第520回定期演奏会

2009年1月23日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第520回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

オール20世紀アメリカもののプログラムである。

開演20分前に、広上がステージに出てきてプレトーク。広上は坊主頭にしているので僧侶のようだった。

内容は、2009年度の定期演奏会の紹介。2008年12月の定期演奏会をキャンセルしたジョン・アクセルロッドが6月定期に登場して、2008年12月に予定されていたのと同じプログラムを振る。ちなみに広上さんは、アクセルロッドのことを2008年4月の演奏会のプレトークの時同様、「外国人の指揮者」と紹介していた。アクセルロッドという名の日本人がいたら見てみたいものだ。もっとも、ダルビッシュのように二世の人はいるかも知れないが。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:清水和音)、レナード・バーンスタインの「管弦楽のためのディヴェルティメント」と「ウェスト・サイド・ストーリー」より“シンフォニック・ダンス”というプログラム。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。速めのテンポで粛々と進む。旋律を大袈裟に歌うことはないが、音色に哀感がたっぷり乗っており、一途に悲しくなる演奏である。広上さんは陽気な人だけれど、どういうわけか演奏ではペシミスティックな解釈をすることが多い。「弦楽のためのアダージョ」も、作曲者自身は望まなかったという葬送の雰囲気が強く出た演奏であった。

「ラプソディ・イン・ブルー」は、シンフォニックな部分を前面に出した豪快な演奏。だからといって野放図ではなく、きめ細やかさも兼ね備えている。

清水和音のピアノも広上と京響の意図に沿った力強いものだったが、時に打鍵が乱暴になるのが気になった。

清水のピアノソロの部分でも広上は首を振りつつノリノリで聴いており、正直言って、ピアノよりも指揮者の姿を見ている方が楽しかった。

20世紀最高の指揮者の一人であり、現在は作曲家としての再評価が進むレナード・バーンスタイン(1918-1990)。広上もバーンスタインの弟子の一人である。

「管弦楽のためのディヴェルティメント」は、ボストン交響楽団の創立100周年を記念して作曲された作品である。1980年初演。レナード・バーンスタインの個性が最大限に発揮された作品であり、最終曲の「ボストン交響楽団よ、永遠なれ」ではピッコロ奏者が立ち上がって演奏したり、ブラス奏者がこれまた一斉に立ち上がって、あっちこっちを向きながら吹きまくるという、視覚面での演出がある。ちなみにこの「ボストン交響楽団よ、永遠なれ」、チャールズ・アイヴズの影響が濃厚であるように思えるのだが、そういう指摘をした人はいるのかな?

「ウェスト・サイド・ストーリー」より“シンフォニック・ダンス”はおなじみのミュージカル「ウェストサイド物語」の音楽より抜粋したもの。

両曲とも、広上は指揮台で珍妙と評するしかないダンスを繰り広げ、魅せてくれる。京響の音の勢いも抜群であり、時にエネルギッシュに、時にチャーミングに、時にセクシーに、多彩な音の祭典をステージ上で展開した。なお、「ウェスト・サイド・ストーリー」の「マンボ」では、広上は客席の方を向いて掛け声を要求。盛り上がった。

レナード・バーンスタインの作曲家としての評価は生前は今一つであったが、今後どんどん評価が上がっていきそうな気がする。

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