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2009年5月16日 (土)

無明の日々(4) 「大いなる存在」

「人々は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」(リルケ 『マルテの手記』より)

 10年近く前のある朝こと、目覚めた私は、自分がどこにも属していない存在であることに恐れおののいた。それは天地が砕け散るのにも似た衝撃だった。私は何者でもないし、何者にもなれないと。

 それまでの私は漠然とした不安の中を生きてきた。しかしその漠然とした不安はボンヤリとした霧のようなものでしかなく、私の周りをフワフワ漂っているだけだった。しかしある朝、その霧が確固とした壁となり、私の鼻先に突きつけられたのである。

 私は私の弱さと私の空白を知った。あるいは発見した、いやもっと冷静であったならそれは再確認しただけだと気付いたかも知れない。しかしその時の私はもやは平静ではいられなかった。

 それから時を経て、今も私はここにいる。進んだかと問われても、本当のところはわからない。私は今、何かに寄りかかっているだけなのかも知れない。均衡を保つために、冷たい壁に、そっと。

 現実に近い状態を見定めるなら、誰もが何かに寄りかかっている。心を「それ」に押しつけ、目は「それ」から逸らし、曲芸のように細い綱の上でバランスを取っている。それでいながら、多くの人はそれに気付かない。人々は「大いなる存在」によって安心を得ている。その正体に気がつかないまま、あるいは「大いなる存在」の懐に潜って。

 無意識の「大いなる存在」。しかし、私は今、それが大きく傾いているのを感じる。
 私は叫ぶ。
「なぜ見えないんだ! 倒壊寸前だぞ! 今すぐそこから離れるんだ!」
だが、私の言葉に人々は耳を貸さないだろう。なぜなら人々は大いなる存在に自分自身が含まれているということに気付いていないから。

 「大いなる存在」。それは人々を虚ろにする。脳細胞をなめ回し、ベトベトした眠りへと誘う。私にそれが止められるだろうか。

 いや、それ以前に、それ以前に私は「大いなる存在」に人々を気付かせることが出来るだろうか。安眠を貪る者を揺り動かして、不興を買うだけなのではないか?

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