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2009年8月 4日 (火)

これまでに観た映画より(45) 「TAKESHIS'」

DVDで北野武監督作品「TAKSHIS’」を観る。
まず始めに言っておくが、これは実験映画である。それをわからずに観て酷評する人がいるけれど、実験映画であることはすぐにわかるはずであり、それがわからないで北野監督を責めるのは間違いである。

実は、1993年に刊行され、1996年に文庫化された『シネマでヒーロー監督編』(武藤起一・編。ちくま文庫)という本がある。北野武、竹中直人、周防正行ら5人の映画監督へのインタビューをまとめたもので(1993年刊行されたものは『映画愛』というタイトルで、10人にインタビューを行っていた。『シネマでヒーロー』はその中から5人を選び、1996年に行った再インタビューも交えて構成されている)、読み応えのある本なのだが、96年6月25日に行われた北野武監督へのインタビューで、すでにのちに「TAKESHI’」となる作品の構想が語られている(このインタビューでは「座頭市」の構想についても語られており、興味深い。映画ファンは必読である)。数学のフラクタル幾何学なるものを取り入れた入れ子構造の映画構想であり、それを知っていた私は、「TAKESHI’」が発表された時に、「遂に撮ったか」と思った。しかし観劇にお金を回していたため、映画館に行く余裕がなく、「TAKESHI’」をロードショーで観ることは出来なかった。DVDも予約が一杯で、今日になってようやくTSUTAYADISCASからDVDが届き、視聴することが叶った。

難解といわれる作品だが、あるシーン(ここが鍵となっている)を見逃さなければこの映画が入れ子構造を持った実験映画であることがわかり、内容も比較的簡単に理解できる。

映画監督・北野武の前に、ある日、北野監督そっくりの男で売れない役者のキタノが現れる。北野監督の頭の中でキタノを題材にした妄想が始まる。そして北野監督の妄想の中のキタノの妄想が連想ゲームのように展開されていく。

映画も妄想の産物と言ってしまっていいと思うが、いわゆる普通の映画を一次的妄想とすると、この映画では一次的妄想の下に二次的妄想、三次的妄想があるということになる。北野武が妄想した北野武監督が妄想したキタノは北野映画のマニアなので、これまで発表された北野映画の断片が次々に出てくる。これはかなり笑える。だが、当然ながらいい加減に作っているのではなく、ちゃんと筋は通っているし、説明しようと思えば説明できるようになっている。

京野ことみと寺島進が夫婦漫才のようなことをするという妄想は、現実の北野武監督の経験からの発想であろう。

松村邦洋と内山信二がいつもわけのわからない役で出てくるのは映画の中の北野監督の妄想であり、キタノが演じる格好良いキタノは勿論キタノの妄想である。しかし、売れない役者であるキタノの妄想レベルが低いというのは現実の北野監督の発想であろう。

妄想レベルのメタレベルが深化を続け、最後はメタレベルが一段ずつ現実に近づいて終わるという構造も常套的ではあるが良くできている。
問題は北野武という男の妄想にどれだけ付き合えるか、ということでそれが好悪を分けることになるだろう。

ストーリーは余り面白くないが、映画を観ながら知的操作を楽しむには良い作品だ。ちなみに頭を使わないとわからない映画なので、ボケーッと眺めていては駄目である。

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