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2009年12月 8日 (火)

コンサートの記(51) アジア・オーケストラウィーク2005 余隆指揮広州交響楽団

2005年10月5日 ザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールで広州交響楽団の演奏を聴く。広州は言わずと知れた中国・広東省にある食の都である。
指揮は1964年生まれの余隆。ソリストは現代最高のヴァイオリニストの一人、オーギュスタン・デュメイ。中国最高のソプラノ歌手といわれるイン・ファンも登場する。
中国のオーケストラは、昨年、上海交響楽団を聴いているが、レベルとしてはお粗末だった。ということで今回もあまり期待はしていなかったのだが、あにはからんや、広州響は優れたオーケストラだった。

オール中国ものというプログラムであり、客入りは当然良くない。といってもタスマニア響と同程度の観客は集めたから健闘している方なのか。

そもそも日本人はドイツブランドに弱いので、ドイツ語圏のオーケストラなら例え一流でなくても客は結構入る。ドイツ語圏でなくてもロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダ)やロンドン交響楽団(イギリス)、アメリカのビッグファイブ(シカゴ響、ニューヨーク・フィル、クリーヴランド管、ボストン響、フィラデルフィア管)など超有名オーケストラなら入る。
フランス語圏のオケはフランスものをやると人気がある。ただ、以前、マーラーの交響曲第1番「巨人」をメインにした、シャルル・デュトワ指揮のフランス国立管弦楽団のコンサート(於・サントリーホール)に行ったことがあるが、フランスの曲が1曲もプラグラミングされていなかったせいか会場はガラガラであった。また「あの」サー・サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団を率いて来日した時も(於・東京オペラシティコンサートホール・タケミツ・メモリアル)、前半が現代音楽だったためか、驚くほど客入りは悪かった。後半のベートーヴェンの交響曲第5番は聴いていて笑みがこぼれるほど痛快な演奏だったのに。日本人は本当は音楽を愛していないのかな、とその時思った。

それはともかくとして広州交響楽団だ。全作お国ものであるということもあってか、自信に溢れた演奏。アンサンブルの精度も高く、表情も豊かで、上海交響楽団とは比べものにならないほど良いオーケストラだ。

1曲目は華彦均作曲の「二泉映月」のオーケストラ編曲版。「二泉映月」は「良宵」などと並ぶ二胡のための名曲中の名曲である。オーケストラで聴くと多少冗長にも思えるが、雰囲気はいい。落ち着いた味わいのある曲で、旋律はいかにも中国的だが軽々しくも騒々しくもない。

2曲目は何占豪と陳鋼の共作によるヴァイオリン協奏曲「梁山泊と祝英台」。おそらく中国の作曲家によるものとしては初の世界的作品だと思われる。
あまりにもベタベタしたところがあり、私などは苦手なのだが、ロマンティックな旋律を好む人も多いと思う。中国人にとっては自国の誇りともいうべき作品のようだ。
ヴァイオリン・ソロのオーギュスタン・デュメイは技術的には文句ない。また音楽性も高いが、東洋的な旋律の歌わせ方には慣れていないのだろう。音程が正確すぎてファジーな味わいには欠けていた。また、歌ももっともっと酔っていた方がこういう曲の場合は良い。

続いてアンコール。ラヴェルの「ツィガーヌ」。今度はデュメイのお国ものである。
これが凄まじい演奏であった。デュメイのソロで始まるのだが、音の強さ、輝き、迫力全てが違う。歌も構築力も堂に入っていて、「流石、一流が本気を出すとものが違うのだな」と感心する。迸るような情熱と曲への共感。スケールの大きさ。驚異的テクニック。対する広州響は音がふやけたようになってしまっていた。フランスの響きが出ていないのである。デュメイの猛烈なアッチェレランドにオケが置いてきぼりを喰いそうになる場面もあり、やはり曲に対する適応力の高さでは日本のオーケストラの方が上である。
演奏終了後、広州交響楽団のコンサートマスターが、「こんなヴァイオリニストを聴くのは初めてだ」とばかりに呆然とした表情で首を振っていたのが印象的であった。

メインは陳其鋼の、組曲「蝶恋花(ヴェールを取られたイリス)」。2001年に初演されたものである。陳其鋼は上海生まれの中国人作曲家であるが、現在はフランスに帰化している。オリヴィエ・メシアンに師事したということだが、いかにもそれらしい響きの美しさを重視した作風である。
三人のソプラノ(うち一人は京劇の歌手である)、二胡、琵琶、古箏という三種の中国楽器のソリストを加えた大作。
響きが実に美しい。時には寄せては返すさざ波のように、風にはためく真っ白のようなカーテンのように爽快な響きが生まれ、それがすぐに攻撃的で大掛かりに流れに変化する。重力に逆らった浮遊するような音がしたかと思うと、大地を抉るような重厚な旋律が奏でられる。
三人のソプラノのヴォカリーズ(京劇のソプラノだけは歌詞があったようだ)が幽玄な雰囲気をつくり出し、三種の民族楽器が哀切な歌を歌う。
作風としては現代のフランス音楽に限りなく近いが、突如として現れる中国的なペンタトニックの歌がノスタルジアを掻き立てる。
譚盾よりも陳其鋼の方が才能は上かも知れない。
とにかく面白い曲だった。CDでも聴いてみたくなる。

日本がアジアで最高のオーケストラ大国であることは間違いないが、今日の広州響の演奏を聴くと、日本のオーケストラもうかうかしていられないな、と思う。欧米に追いつく前にアジアの他国に並ばれてしまうかも知れない。50年後も日本がアジア一のクラシック大国でいられるという保証はどこにもない。

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