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2009年12月の15件の記事

2009年12月31日 (木)

第九あれこれ 2009 その2 ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団ほか ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団ほかによる第九を紹介します。ヴァイトブリック・レーベル。

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団ほか ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」 1924年生まれのフランスの名匠、ジョルジュ・プレートル。

若い頃にはマリア・カラスのオペラで指揮者を務め、またフランシス・プーランクのスペシャリストとして知られていましたが、2008年のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートの指揮台に立って、躍動感溢れる音楽性を披露し、その知名度は一躍世界的なものにアップしました(2010年のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートに再登場の予定)。

その後に発売されたマーラーやこのベートーヴェンのCDでも好演を示し、ドイツものに強いことを証明して見せました。

我々はついフランス人の指揮者だからフランスものに強いという先入観を持ってしまいがちですが、プレートルはむしろドイツものに適性があるようで、これまで彼のドイツものが顧みられなかったことが残念でなりません。

プレートルの第九は音に熱が籠もっており、スケールも雄大で迫力満点です。「灼熱のベートーヴェン」と称したらよいでしょうか。とにかくその情熱に圧倒されること請け合いの名演です。

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団ほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」(weitblick)タワーレコード

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2009年12月29日 (火)

コンサートの記(53) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「第9シンフォニーの夕べ」2008 フェスティバルホールラストコンサート

2008年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時より、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほかによる演奏会「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。

フェスティバルホールで公演が行われるのは、今日のこの演奏会で最後。今後、フェスティバルホールの入った新朝日ビルは取り壊され、2013年に新たなビルディングが完成して、その中に新しいフェスティバルホールが建てられることになっている。

1958年にオープン。日本で最初の本格的なクラシック音楽対応ホールであり、クラシックとポピュラー両方の聴衆から愛されてきたフェスティバルホール。カラヤンがここで演奏して気に入り、自身が設計にまで関与したザルツブルク祝祭劇場のモデルとして採用したことでも知られている。

そのフェスティバルホールも今日で半世紀の歴史に幕を下ろす。

大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー合唱団ほかによる、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。

今日は最前列で聴くことになった。新しいホールだと、最前列といってもステージとの間に空間があるが、フェスティバルホールの場合は最前列というと、本当に膝がステージに着くほど前である。

左側のサイド、袖よりの席であり、第1ヴァイオリンの最後列の奏者の背中を見ながら聴くことになった。そのため、演奏中は指揮する大植の姿が、ヴァイオリン奏者達の陰に隠れて見えなかった。

フェスティバルホールの最前列は音響的にも苦しいということで、演奏自体を的確に把握することは困難でもある。

大植は、ベートーヴェンなどの古典派は比較的不得手としている。それでも北ドイツ放送ハノーファー・フィルとの来日公演でベートーヴェンの「英雄」を取り上げたときは、まずまずの演奏をしていた(これはDVDで観た)。

ハノーファー・フィルで聴いた大植のベートーヴェンは機能性重視で、音の構造を透かし彫りにするような演奏であった。しかし、朝比奈隆とともに、世界でも稀なほど重厚なベートーヴェンを長年に渡って演奏してきた大阪フィルのスタイルには、大植のベートーヴェンは合わない。以前接した、ベートーヴェンの交響曲第7番の演奏も成功とは言い難かった。

ただ、今日の第九は、弦楽の演奏にしなやかさが増しており、大植のスタイルに大フィルが近づきつつあるのを確認出来た。一方で、管、特に金管はフライングがあったり、気の抜けた音を出したりと、まだまだ問題ありである。

第4楽章で大植は、急激なリタルダンドにアッチェレランド、極端に長いパウゼなど、芝居がかった演奏を展開。これはさすがに芝居のしすぎ。不自然な演奏になってしまっていた。

今日の独唱者は、全員西洋人だったが、毎年第九を演奏する日本とは違い、西洋では第九は難曲ということもあって滅多に演奏されない。ということで、独唱者は全員、楽譜を手にしての歌唱であった(日本人独唱者は毎年のように歌っているため、暗譜で歌うのが普通である)。そのことも影響したのか、合唱と独唱、オーケストラが三者ともずれてしまう場面もあった。

それでも、ラストの過激なほどのアッチェレランドは効果的で帳尻を合わせた格好になる。「終わりよければ全てよし」とは今日の演奏のためにあるような言葉だ。

アンコールとして、フェイスティバールホールオープニング時に、朝比奈隆指揮関西交響楽団(大阪フィルの前身)によって演奏されたという、エルガーの「威風堂々」第1番が取り上げられる。大植は、客席に向かって拍手を要求。更に目の前の聴衆の手を取って立ち上がらせることで聴衆全員の起立を促し、プロムスのような熱狂を引き出す。派手なジャンプで演奏を終わらせ、引き上げる時には、フェスティバルホールの壁にキスして見せた大植。こうしたパフォーマンスを嫌う人もいると思うが、個人的には、大植のようなパフォーマンスが出来る男がフェスティバルホールのトリで良かったと思う。

大阪フィルハーモニー交響楽団のメンバーが引き上げた後で、大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーが客席に出てきて「蛍の光」を歌う。聴衆達もみな「蛍の光」を口にする。勿論、私も歌った。映画「ビルマの竪琴」の登場人物になったような気分になった。そこにあるのは西洋的な「悲しみ」ではなく、日本的な「もののあわれ」に近い感情。私が日本人であることを再確認した。

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2009年12月28日 (月)

第九あれこれ 2009 パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンほか ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンほかによるベートーヴェンの第九を紹介します。RCA。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」 ベートーヴェンが現代に生きていたらロックミュージシャンになっていただろうという人がいますが、パーヴォ・ヤルヴィの第九からはその言葉が想起されます。

室内編成のドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの特性を生かした見通しの良い演奏であり、時折見られる強奏や快速テンポ、ノリの良さなどは大変現代的であり、ロックの響きが感じられます。

合唱を担当するドイツ・カンマーコーアも優秀で鮮烈な第九演奏となっています。

21世紀初頭を飾るに相応しい第九です。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」(HMV) icon

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2009年12月27日 (日)

昨日、夢を見なくなったと書きましたが

ドラマの夢を見ました。「3年B組金八先生」の夢で、自分も金八先生の生徒になっているという夢でした。

果たしてどういう意味があるのでしょう。無意識がドラマを求めているのでしょうか。

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2009年12月26日 (土)

枕を変えて

久しぶりに枕を変えてみた。

今度の枕は洗濯機で洗えることが売りの、柔らかな枕だ。

さわり心地がとても良いので、手で触れているとひとりでに頬が弛んでしまう。

その枕で寝てみたのだが、よく眠れる。驚くほど寝心地が良い。やはり枕は大切なのだと改めて思う。

その一方で、枕を変えてからあれほど頻繁に見ていた夢を見なくなった。そのうち夢を見ることになると思うが、あるいはこれまで見続けてた映画のような鮮明な夢は、それほど寝心地が良いとはいえなかった前の枕の影響で見ていたものなのかも知れない。

寝心地の良い枕は夢をも変えるのだろうか。

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2009年12月24日 (木)

コンサートの記(52) 広上淳一指揮 京都市交響楽団第527回定期演奏会

2009年8月9日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第527回定期演奏会に接する。今日タクトを執るのは常任指揮者の広上淳一。

曲目はオールロシアもので、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:黒川侑)、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ独奏:河村尚子)、チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」。

午後2時10分からのプレトークに広上は坊主頭に青いTシャツという姿で現れ、これからの演奏会プログラムと今日のソリストについて紹介する。広上は今日のソリストである黒川侑について、「新しい新星」と、長嶋茂雄並みの迷(?)調子で紹介していた。

「スラブ行進曲」は細部まで丁寧に整えた広上の指揮が印象的。両手を高く上げて左右に振るという窓ガラス掃除のような広上の動きもユニークだ。

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番のソリストの黒川侑はやや型にはまった堅苦しさはあるが技術は確かであり、いいヴァイオリニストだ。

ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。ソリストである河村尚子の実演には何度も接しているが、いつものヒンヤリとしたタッチに今日は力強さも加わり、見事な演奏を聴かせる。

「スペイン奇想曲」。クレッシェンドの作り方やラストのアッチェレランドなど広上の演出は巧みである。京響のパワフルな金管も印象的であった。

曲はNHKの「オーケストラの森」の収録のためのカメラが入っており、そのためか(広上さんは「NHKに唆されたわけではないですが」と語っていたが)、アンコールとして大河ドラマ「天地人」のテーマ曲が演奏される。15秒ほどあるピアノ・ソロの部分は広上がキーボードで演奏した(「スペイン奇想曲」演奏の前から指揮台横にキーボードがセットされていた)。

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2009年12月23日 (水)

ジョン・タイターという存在を知る

深夜に音楽番組を見ていて、ジョン・タイターなる人物の存在を知る。

いきものがかりが紹介していたのだが、何でもジョン・タイターなる人物、2036年から2000年にタイムトラベルしてきたのだという。

2000年の11月にインターネット上に姿を現したジョン・タイターは、イラク戦争、米国内での狂牛病の発生など、2000年当時には発生していなかったことの予告をし、2001年中に「予定の任務を終了した」として未来へ帰還したとのこと。

うーん、あやしい。

ちなみに、ジョン・タイターが残した予告は2000年に近いものほど的確に当たり、その後は外れることが多くなったようだ。

ジョン・タイターは2015年に核戦争が起こり、30億もの人が死亡したと予告している。それまでの間に、アメリカで内乱が起こり、国内が5つに分裂しているとのことで、その端緒は2008年に起こるとしている。

ご存じのようにこの予言は外れ、アメリカで内乱の兆しは今もない。

タイターは、その直後の2008年にアメリカ初の女性大統領が誕生すると予告したが、アメリカの大統領に就任したのは、女性初ではなく、黒人初の大統領であった。

タイターが書き残したことによると、自分が2000年の世界に現れて、インターネット上に書き込みをしたことにより、パラレルワールドが発生すかも知れないということで、タイター氏の世界と現実の世界がパラレルワールド化した可能性もあるのだが、そうなると、何が本当なのかもわからなくなってくる。

ジョン・タイターが出現した2000年の前年である1999年はノストラダムスにより「恐怖の大王」が現れると予言された年であり、最近は、マヤ文明による2012年に世界が滅びるとの予告が話題になる。

こうしたことを見ると、人間というのは終末論が本当に好きなんだなあと感心してしまう。

あるいはそれは誰もがこの世界に肯定できないものを抱えていることの現れなのかも知れない。今の日常が終わることの期待と怖れとが交錯し、こうした終末論に興味を抱かせるのだろう。

日常に不満を覚えない人はいない。そうである限り、終末論は今後も新たに生まれては消えるということになるのかも知れない。

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2009年12月18日 (金)

Don't worry

Be Happy.

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2009年12月15日 (火)

観劇公演パンフレット(37) 東京セレソンデラックス 「流れ星」2009

東京セレソンデラックスの「流れ星」の公演パンフレットを紹介します。2009年9月30日、大阪・京橋のシアターBRAVA!にて購入。

東京セレソンデラックス 「流れ星」2009 公演パンフレット 作品の舞台となっている1970年前後の生活様式、重要なキーとなる大阪万博の図解、登場人物の紹介と、セレソン劇団員・越村友一の筆による舞台となる下宿屋・徳秀館の詳細な間取り絵など、内容が充実していて、価格は1000円という良心的なものです。

「流れ星」の感想

午後7時から、大阪・京橋のシアターBRAVA!で、東京セレソンデラックスの公演「流れ星」を観る。作・演出・主演:宅間孝行。出演:うつみ宮土理、山田まりや、小野了、永田恵悟、越村友一、須加尾由二、牟田圭吾、万田祐介、中島弘臣、小谷早弥花、池田沙耶香、尾畑美依奈。

3年連続となる東京セレソンDXの大阪公演。前2回は心斎橋そごう劇場で公演を行い、今回もそごう劇場での公演を予定していたが、そごう劇場自体が心斎橋そごうの閉店と共に閉鎖されてしまったため、シアターBRAVA!での公演となった。東京セレソンデラックスの公演をやるのにはシアターBRAVA!はキャパが大きすぎるのではないかという懸念があったが、その通り、台詞が小さくて聞こえにくいところはあった。東京ではキャパの小さいシアターサンモールでやったので、その演技スタイルのままシアターBRAVA!でやるとそういうことにどうしてもなってしまう。

ただし、内容自体は素晴らしかった。ベタな台詞や展開も多いのだが、それがちっとも嫌ではない。全てにおいてしっかりとした作りで、楽しめた上に感心までしてしまった。目新しさはないけれど、こういう演劇をやってくれるところがまだあるというのは大変心強い。

終演後は、出演者が出口のところに立ってお見送り。携帯のストラップを配っていた。私も勿論貰った。去年はマグカップを配っていて、私は永井大氏から受け取った。今年は池田沙耶香嬢から受け取る。

変な女を演じていた小谷早弥花も近くで見るととっても美人で、東京の演劇層の厚さが感じられる。

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2009年12月11日 (金)

こうして宛先のない記事を書くことに

意味が見いだせなくなりつつある。世に溢れるブログの無内容なこと、つまらないこと。私のブログもその中の一つに過ぎない。もっとも、見て不快になる内容のブログの書き手が多いのも事実で、そうした記事は書かないように努めているつもりではある。

しかし、毒にも薬にもならない記事を書くのも、これまた無意味という陥穽に嵌りやすく、良い記事はと考えると答えは巡り巡った末に出てこない。

日常を切り売りするように書くのは上品とはいえないし、何ら発見のない言葉を連ねてもどこにもたどり着けないように思う。

全ては無駄なのか。

しかし、そうした無駄を重ねた後でこそ何かが残るような気もする。最初から完成されたものに奥行きなど出すことは出来ない。

そんなことを思いながら今日も私は宛先のない記事を紡いでいる。どこにたどり着くのか、果たしてたどり着く岸などあるのかと疑問に思いながら。

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2009年12月 8日 (火)

コンサートの記(51) アジア・オーケストラウィーク2005 余隆指揮広州交響楽団

2005年10月5日 ザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールで広州交響楽団の演奏を聴く。広州は言わずと知れた中国・広東省にある食の都である。
指揮は1964年生まれの余隆。ソリストは現代最高のヴァイオリニストの一人、オーギュスタン・デュメイ。中国最高のソプラノ歌手といわれるイン・ファンも登場する。
中国のオーケストラは、昨年、上海交響楽団を聴いているが、レベルとしてはお粗末だった。ということで今回もあまり期待はしていなかったのだが、あにはからんや、広州響は優れたオーケストラだった。

オール中国ものというプログラムであり、客入りは当然良くない。といってもタスマニア響と同程度の観客は集めたから健闘している方なのか。

そもそも日本人はドイツブランドに弱いので、ドイツ語圏のオーケストラなら例え一流でなくても客は結構入る。ドイツ語圏でなくてもロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(オランダ)やロンドン交響楽団(イギリス)、アメリカのビッグファイブ(シカゴ響、ニューヨーク・フィル、クリーヴランド管、ボストン響、フィラデルフィア管)など超有名オーケストラなら入る。
フランス語圏のオケはフランスものをやると人気がある。ただ、以前、マーラーの交響曲第1番「巨人」をメインにした、シャルル・デュトワ指揮のフランス国立管弦楽団のコンサート(於・サントリーホール)に行ったことがあるが、フランスの曲が1曲もプラグラミングされていなかったせいか会場はガラガラであった。また「あの」サー・サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団を率いて来日した時も(於・東京オペラシティコンサートホール・タケミツ・メモリアル)、前半が現代音楽だったためか、驚くほど客入りは悪かった。後半のベートーヴェンの交響曲第5番は聴いていて笑みがこぼれるほど痛快な演奏だったのに。日本人は本当は音楽を愛していないのかな、とその時思った。

それはともかくとして広州交響楽団だ。全作お国ものであるということもあってか、自信に溢れた演奏。アンサンブルの精度も高く、表情も豊かで、上海交響楽団とは比べものにならないほど良いオーケストラだ。

1曲目は華彦均作曲の「二泉映月」のオーケストラ編曲版。「二泉映月」は「良宵」などと並ぶ二胡のための名曲中の名曲である。オーケストラで聴くと多少冗長にも思えるが、雰囲気はいい。落ち着いた味わいのある曲で、旋律はいかにも中国的だが軽々しくも騒々しくもない。

2曲目は何占豪と陳鋼の共作によるヴァイオリン協奏曲「梁山泊と祝英台」。おそらく中国の作曲家によるものとしては初の世界的作品だと思われる。
あまりにもベタベタしたところがあり、私などは苦手なのだが、ロマンティックな旋律を好む人も多いと思う。中国人にとっては自国の誇りともいうべき作品のようだ。
ヴァイオリン・ソロのオーギュスタン・デュメイは技術的には文句ない。また音楽性も高いが、東洋的な旋律の歌わせ方には慣れていないのだろう。音程が正確すぎてファジーな味わいには欠けていた。また、歌ももっともっと酔っていた方がこういう曲の場合は良い。

続いてアンコール。ラヴェルの「ツィガーヌ」。今度はデュメイのお国ものである。
これが凄まじい演奏であった。デュメイのソロで始まるのだが、音の強さ、輝き、迫力全てが違う。歌も構築力も堂に入っていて、「流石、一流が本気を出すとものが違うのだな」と感心する。迸るような情熱と曲への共感。スケールの大きさ。驚異的テクニック。対する広州響は音がふやけたようになってしまっていた。フランスの響きが出ていないのである。デュメイの猛烈なアッチェレランドにオケが置いてきぼりを喰いそうになる場面もあり、やはり曲に対する適応力の高さでは日本のオーケストラの方が上である。
演奏終了後、広州交響楽団のコンサートマスターが、「こんなヴァイオリニストを聴くのは初めてだ」とばかりに呆然とした表情で首を振っていたのが印象的であった。

メインは陳其鋼の、組曲「蝶恋花(ヴェールを取られたイリス)」。2001年に初演されたものである。陳其鋼は上海生まれの中国人作曲家であるが、現在はフランスに帰化している。オリヴィエ・メシアンに師事したということだが、いかにもそれらしい響きの美しさを重視した作風である。
三人のソプラノ(うち一人は京劇の歌手である)、二胡、琵琶、古箏という三種の中国楽器のソリストを加えた大作。
響きが実に美しい。時には寄せては返すさざ波のように、風にはためく真っ白のようなカーテンのように爽快な響きが生まれ、それがすぐに攻撃的で大掛かりに流れに変化する。重力に逆らった浮遊するような音がしたかと思うと、大地を抉るような重厚な旋律が奏でられる。
三人のソプラノのヴォカリーズ(京劇のソプラノだけは歌詞があったようだ)が幽玄な雰囲気をつくり出し、三種の民族楽器が哀切な歌を歌う。
作風としては現代のフランス音楽に限りなく近いが、突如として現れる中国的なペンタトニックの歌がノスタルジアを掻き立てる。
譚盾よりも陳其鋼の方が才能は上かも知れない。
とにかく面白い曲だった。CDでも聴いてみたくなる。

日本がアジアで最高のオーケストラ大国であることは間違いないが、今日の広州響の演奏を聴くと、日本のオーケストラもうかうかしていられないな、と思う。欧米に追いつく前にアジアの他国に並ばれてしまうかも知れない。50年後も日本がアジア一のクラシック大国でいられるという保証はどこにもない。

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2009年12月 6日 (日)

歴史上の人物のIQ

リンク: 歴史上で最もIQが高い人物はゲーテで推定210説 - 速報:@niftyニュース.

世界の偉人のIQを推定するとトップはゲーテでIQ210だそうです。

正直、これは疑わしいですね。IQを出す方法は色々ありますが、最新のWAISⅢではIQ200以上を示すことは絶対にないそうなので、ゲーテのIQ210というのも何を根拠にしたものなのか怪しくなってきます。

ちなみに子供の頃にほとんどの人は知能検査を受けていると思いますが、その結果を知っている人は少ないようです。私も子供の頃の知能は知りませんでした。

ところが、最近、機会がありまして、成人用の知能テストである、WAISⅢを受けました。

結果はIQ110。平凡ですね。しかし、私の場合は知能の高さを測るのが目的ではなく、得手不得手を知るために知能検査を受けたのです。結果は、高い数値と低い数値でおよそ100違うというもの。我ながら凄いですね。これは異常な数値です。でもその異常さを抱えながら生きていかねばなりません。大変ですけれど、これが私の人生です。

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2009年12月 5日 (土)

かわいい子には旅をさせよというけれど

内閣府の調査で、「結婚しても必ずしも子供を持つ必要がない」と答えた男女が全体の4割強にのぼるということがわかったという(二十代、三十代では更に上がって、約6割が「必要がない」と答えたとのこと)。

子供を持つ必要がないと考える人の背景は様々だろうけれど、やはり子供を持つ必要はないと考える私の場合は、生まれてきても自分と同じような人生なら苦労するだけで可哀想との思いがある。

私は1974年の生まれで団塊ジュニアである。人数が多いだけに競争は激しかった。受験戦争では敗北し、就職難にも見舞われた。

それだけではない、校内暴力が問題になった世代は私より一世代前だが、その名残はあったし、陰湿ないじめもあった。高校の時は教師からもいじめにあった(いじめというよりは合法的拷問といった方がいいか。とにかく思い出したくもない記憶である)。

とにかく大人になるだけで精一杯だった。よく35歳になる今まで生きてこられたものだと思う。もう一度人生をやり直せといわれても、忍耐力は保たないだろう。

こういう思いを我が子の味わわせたくはない。余りにも辛すぎるのだ。

かわいい子には旅をさせよという諺がある。だが、かわいい子に流浪の思いはさせたくない。育つには今の時代は余りにも苛酷に過ぎる。

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2009年12月 3日 (木)

コンサートの記(50) パーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響楽団来日公演2009西宮

2009年10月31日 兵庫県西宮市の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで

パーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響楽団来日演奏会2009公演パンフレット 午後2時から、西宮の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響楽団の来日公演を耳にする。

曲目は、レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲と「ディヴェルティメント」、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」(ピアノ独奏:クリスチャン・ツィメルマン)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。

アメリカものでまとめた前半と、ドヴォルザークのアメリカ時代の作品で代表作の新世界交響曲という、「アメリカ」というワードを軸にしたプログラムである。

開場した時にはすでに楽団員がステージ上に何人かいて、さらっている。そのうちに三々五々団員が出てきて思い思いに楽器の練習をし、最後にコンサートマスターが出てきて会場から拍手。そしてパーヴォが出てきて拍手の後、演奏が始まる。

レナード・バーンスタインの2曲では、パーヴォのリズム感の良さとオケ捌きの見事さに魅せられる。二本の腕で、よくここまで縦横無尽にオケが操れるものだ。他の演奏では聞こえない音もクッキリ聞こえるところも目新しい。

なお、パーヴォもまたレナード・バーンスタインの弟子である。レナード・バーンスタインは一時期タングルウッドを離れてロサンゼルスで指揮の指導を行っていたが、パーヴォはその時の弟子だ。

クリスチャン・ツィメルマンがソリストを務める「ラプソディー・イン・ブルー」。ツィメルマンのピアノはスケールが大きく、パーヴォ指揮のシンシナティ響ともども、シンフォニックな「ラプソディー・イン・ブルー」となった。

シンシナティ響はさすがにアメリカのオケだけあって、ジャジーな部分の処理は慣れたものである。

ツィメルマンのピアノはスウィングこそしないが、技術は極めて高い。

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。シンシナティ響はブラスも屈強だが、それ以上に弦の音色が印象的。滑らかで柔らかく、練れた感じがする。パーヴォはキビキビとした指揮でオケを導き、美しくもキレのある好演となった。

アンコールは2曲、ブラームスのハンガリー舞曲第5番と、パーヴォのアンコール曲としてはおなじみとなったシベリウスの「悲しきワルツ」。

ハンガリー舞曲はオーソドックスな演奏であったが、「悲しきワルツ」は例によって聞き取れないほどのピアニッシモを駆使した個性的な演奏であった。

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2009年12月 1日 (火)

これまでに観た映画より(49) 「いけちゃんとぼく」

2009年7月1日 京都シネマにて鑑賞

日本映画「いけちゃんとぼく」を観る。京都シネマにて午後5時5分の回。女流無頼派漫画家、西原理恵子の絵本を原作とする映画。監督:大岡俊彦。出演、蒼井優(声の出演)、深澤嵐、ともさかりえ、萩原聖人、蓮佛美沙子、モト冬樹、岡村隆史、柄本時生、吉行和子ほか。

ヨシオ(深澤嵐)とヨシオにだけ見えるいけちゃん(声:蒼井優)の交流を描いた作品。ヨシオの成長を描いた作品であることは予想できたが、実は裏に隠れたロマンスが存在しており、思わず感動してしまう。まさか感動するとは思っていなかったので不意打ちを食らったような気分である。

ロケ地は西原理恵子の故郷である高知県。海も緑も美しく、どこか郷愁を誘うようで印象的であった。

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