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2011年11月11日 (金)

稀代の天才詩人、文学者の尾崎豊様江 一文学青年より 「文藝春秋」2011年12月号 尾崎豊の「遺書」全文

1992年4月25日、文学青年にしてインテリ、子供のように無邪気にして哲学者、孤独で繊細で寂しがりやでそれを隠して強気な振りをして生きていたシンガーソングライターの尾崎豊が逝去した。享年26。その死の真相が、「文藝春秋」2011年12月号にて明らかになった。

「文藝春秋」2011年12月号 尾崎豊の「遺書」全文

当時、尾崎豊の体はすでにボロボロで悲鳴を上げていた。彼の書き残した作品を聴けばわかる。あれらは命を削って書かれたものだった。あんな作品を立て続けに生み出せるほど人間の体は強く出来てはいない。

尾崎は覚悟していた。「自分の死が近い」ということを。ある医師の見立てによると「持って二、三ヶ月だろう」とのことだった。彼はその事実から目を逸らしたかったのだろうか。自ら死を選んだ。いやそうなのだろうか。死でもって人生を彩りたかったのかも知れない。

尾崎は書いている「生とは死を知り、生を葬ることである」と。人間は生きている限り死は避けられない。それを承知で生きる。そして過ぎ去った過去は葬り去られていく。我々は過去と未来と二つの死の中で宙づりになっている。

実は尾崎豊が文学青年であることは明白であった。「卒業」の冒頭、「校舎の影 芝生の上 吸い込まれる空」は石川啄木の短歌「不来方(こずかた)のお城の草に寝転びて空に吸われし十五の心」の本歌取りであろう。

15といえば「15の夜」である。実は盗んだバイクで走り出した人物にはモデルがいる。尾崎豊は青山学院高等部中退である。出席日数が足りず、留年が決まっていたので中退し、卒業式の日にデビューコンサートを行った。おそらく尾崎は決まり切ったレールの上を何の疑いもせずに歩いて行く人が好きではなかった。そこでドロップアウトした不良とも付き合っていた。盗んだバイクで走ったのはそんな不良グループの一人であり、まだ生きている。不良とは付き合ったが、尾崎は根はインテリである。不良グループとも積極的には絡もうとせず、一匹狼であったという。どこにも本当の理解者はいなかったのかも知れない。「女神」一人を除いては。

尾崎は自由を求めた。でも自由になんてなれないことも知っていた。「15の夜」の歌詞の締めくくりはこうである「自由になれた『気がした』15の夜」

尾崎豊は、実は、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治と繋がる日本文学史の思想上の直系の子孫である。芥川も太宰も麻薬をやっていたが、尾崎もニューヨークでクスリにはまってしまい、そこから這い上がろうと地獄の日々を送ったが、結局、クスリを絶つことは出来ず、逮捕されている。しかし、ファンは尾崎を見捨てなかった。だが、それも尾崎にはプレッシャーになったのだろうか。尾崎は余りに繊細すぎた。

残された二つの遺書はいずれも「世紀の名文」と呼ぶに相応しいものである。頭が良く、文学に通暁した者でなければ書けない文章である。

稀代の天才詩人にして文学者であった尾崎豊氏に心から敬意を表する。

そして自分が尾崎豊氏とその家族を追い込んだ「人間」なるものの一人であることを憾む。

平成二十三年十一月十一日 文学青年・本保弘人

尾崎豊 「汚れた絆」

「文藝春秋」2011年12月号 尾崎豊の「遺書」全文(bk1)

文藝春秋 2011年 12月号 [雑誌]

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