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2011年11月 1日 (火)

コンサートの記(73) 広上淳一指揮京都市交響楽団ほか 京響オペラ 「フィガロの結婚」

2011年10月10日 京都会館第1ホールにて

午後5時から、京都会館第一ホールにて、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を鑑賞。京響オペラとして、京都の秋音楽祭の一つとして上演されるもの。指揮は京都市交響楽団の常任指揮者である広上淳一。広上の指揮するオペラはまだ聴いたことがないので是が非でも接しておきたかった。

原語(イタリア語)上演、日本語字幕付き上演である。オーケストラは勿論、京都市交響楽団。演出は中村敬一。出演は、伊藤正(フィガロ役)、三浦浩美(スザンナ)、上村智恵(ケルビーノ)、福嶋勲(アルマヴィーヴァ伯爵)、木澤佐江子(伯爵夫人)、服部英生(ドン・バルトロ)、八百川敏之(ドン・バジーリオ)、島袋羊太(ドン・クルツィオ)、東澤妙子(バルバリーナ)、山中雅博(アントニオ)ほか。民衆などの合唱は関西二期会合唱団の団員が務める。

京都会館第一ホールに来るのは2度目。前回は徳永英明のコンサートだったので、クラシックでは初めてである。京都会館第一ホールはすでに改築が決定している。音響の悪さで知られているが、今日は前の方の席だったので、音響に問題はなかった。26列とあったので、後ろの方かなと思っていたが、京都会館第一ホールは後ろの方が番号が若く、前の方に行くにつれて、番号が大きくなるという普通のホールとは逆の席番になっているため、前の方の席だった。左側で、丁度、レチタティーボ(節を付けたセリフの場面。チェンバロのみが伴奏する)を担当するチェンバロが、前にあるところで、シーンによっては、舞台上が見えにくくなる。京都会館第一ホールにはピット(ミュージカルでいうオケピにあたる。オーケストラピットのことである。クラシックでピットと言えばつまりオーケストラピットのことでオーケストラのものであるのは当たり前なので、オケピではなくピットと略す)もあるそうだが、広上の意向により、敢えてピットは使わないで、前の方の席をどけただけの、囲いも設けられていない場所で、京響が演奏する。

歌手の顔ぶれであるが、関西の音大、もしくは関西の大学の教育学部で音楽を学んだ人で占められている。島袋という姓は沖縄固有の苗字なので、島袋羊太は、生まれは沖縄なのかも知れないが、大阪音楽大学と、やはり大阪にある相愛大学で音楽を学んでいる。
キャストの年齢は記されていないが、顔写真、また実際に目にしたものから若手中心のキャストであることは確かである。
フィガロをやる伊藤正だけは、イタリアのミラノ・ヴェルディ音楽院の出身で、現在、神戸音楽家協会会員という情報のみで、どこの出身かは書かれていなかったが、帰ってから調べたところ、大阪音楽大学と同大学院オペラ専攻を修了しており、その後、ミラノ・ヴェルディ音楽院に留学していることがわかった。

広上淳一が指揮棒を手にして登場。まずは単独で演奏されることも多い歌劇「フィガロの結婚」序曲である。思ったよりもあっさりとしたスタートであったが、音楽の内容は濃く、また音が柔らかく、ふんわりしている。広上は指揮棒を手に振り始めたのだが、すぐに指揮棒を置いてしまい、以後は全てノンタクトでの指揮で通した。

ボーマルシェの「フィガロの結婚」は貴族社会を痛烈に皮肉ったものだが、歌劇「フィガロの結婚」の台本作者であるダ・ポンテは貴族批判の部分はカットしている。ただ後半にある女性批判の部分はカットしておらず、モーツァルトもそのまま音楽をつけている。男性批判もあるので、「フィガロの結婚」では相殺されているが、なぜかモーツァルトのオペラには女性批判の場面が多い。モーツァルトは、ソプラノ歌手のアロイジア・ウェーバーに恋をするのだが、見事に振られ、ウェーバー家の政略結婚により、アロイジアの妹であるコンスタンツェと結婚するという複雑な結婚事情があった。コンスタンツェは、音楽史上三大悪妻の一人であり、浪費癖があり、また、モーツァルトの次男は、フランツ・クサヴァー・モーツァルトといい、のちにアントニオ・サリエリに師事して作曲家になっているのだが、実は、フランツ・クサヴァーというのは、モーツァルトの弟子で、「レクイエム」を補筆完成させたことで知られる、フランツ・クサヴァー・ジュースマイヤーと全く同じであり、実はモーツァルトの子ではなく、ジュースマイヤーの子で、それを知ったモーツァルトが当てつけとして、弟子と同じ名前を付けたという説がある。そのため、女性不信であったという話があるのだが、本当のことはわからない。ちなみにモーツァルトが参加していたことがわかっている秘密結社のフリーメイソンは「男尊女卑」の教義を持つ。

歌手達の出来は総じて良い。ただ、「フィガロの結婚」はレチタティーボの時間が長く、はっきり言って、その時間は退屈で、広上の指揮する京響の音楽が入ると、途端に歌手達が生き生きし始めるということが続いたため、歌手達の演技力が高いわけではなく、モーツァルトの音楽と、それ以上に広上の力によって水準が引き上げられたことがわかった。

歌劇「フィガロの結婚」には、ケルビーノという、女声歌手が若い男性役で登場し、女装するという、実際の所、男なんだが女なんだかよくわからない役があることでも知られる。「フィガロの結婚」は女好きのアルマヴィーヴァ伯爵が、夫人がありながら、部下であるフィガロの許嫁・スザンナに懸想して、初夜権(部下の結婚相手の初夜を自分が奪うことが出来るという権利)を復活させようとしており、フィガロもそれを知って、応酬に出るというのが主な筋書きである。フィガロはケルビーノに女装させて、スザンヌに化けさせ、伯爵と密会させて、驚かせようとするのだが、ケルビーノが女装しているところに、伯爵がやってきてしまい、作戦が台無しになるので、ケルビーノはいったん、隣室に隠れるが、物音を立ててしまったため、伯爵に怪しまれ、伯爵が、隣室に鍵がかかっているので、ハンマーで打ち壊そうと、ハンマーを取りにいっている間に、ケルビーノは窓から飛び降りるという場面がある。どう処理するのかと思ったが、飛び降りた振りをして屈み、その後立ち上がって、上手に走って退場するという余り工夫の見られない演出であった。私だったら、黒い布か何かを予め用意しておいて、飛び降りるときに、布を拾ってかぶり、姿を見えなくして、頃合いを見計らって、オーケストラがいる場所まで降りて(ピットは使っていないので高さはなく、楽に降りられる)また舞台裏に戻るというような演出をすると思う。

モーツァルトの音楽はやはりケーキよりも美味しい。

なお、第3幕冒頭の字幕に脱字があったため、終演後、私は、今後のことを考えて、そのことをスタッフに伝えた。

私の席からは広上の指揮姿も良く見えて、正直、舞台上を見るよりも広上の指揮姿を見ている方が面白いし、勉強にもなると思ったのだが、舞台としての出来も満足のいくものだった。ただし、そのほとんどが広上一人の力によるものであることは間違いないであろうということも記しておく。

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