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2011年12月 8日 (木)

コンサートの記(75) 大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第453回定期演奏会

2011年11月9日 大阪のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の第453回定期演奏会に接する。

曲目は、シューベルトの交響曲第5番と、マーラーの交響曲「大地の歌」である。「大地の歌」の独唱者はメゾ・ソプラノがナタリー・シュトゥッツマンの予定であったが、体調不良のため降板、小川明子が代わりに歌う。テノールがジョン・ヴィラーズである。大植英次はミネソタ管弦楽団と「大地の歌」を録音しているが、その時のテノールもジョン・ヴィラーズであった。

シューベルトの交響曲第5番。室内管弦楽団編成での演奏である。大植なので古典配置かなと思ったが、ドイツ式の現代配置であった。

大植は指揮棒を持たずに登場。もちろん、ノンタクトで振る。

演奏開始から、「あっ!」と驚く。大阪フィルの音色が軽やかなのだ。まるで音符に翼が生えて飛んでいく姿が見えるかのようである。あの大フィルの演奏とは信じられない。朗らかなシューベルトであるが、第3楽章ではシューベルト特有の毒もちゃんと出ていた。大植英次はやはり凄い男なのである。
大植英次は、演奏終了後にガッツポーズ。大植が前半でガッツポーズをすることはまずない。余程自信があったのだろう。


後半、マーラーの交響曲「大地の歌」。この曲には番号が振られていないが、マーラーの9番目の交響曲である。マーラーは極度に神経質であり、ベートーヴェンやシューベルトが交響曲を9曲書いて亡くなっているのを気にしていたので(シューベルトが交響曲を9番まで書いたというのは最近では覆りつつある)、9番目の交響曲に番号を付けずに発表。次の交響曲を第10番にしようとしたが、結局、次の曲は交響曲第9番と出版社により番号が振られ、やはりマーラーも交響曲第9番を完成して亡くなるのである。本物の交響曲第10番は1楽章のみしか完成させることが出来なかった。

さて、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、メゾ・ソプラノ独唱:小川明子、テノール独唱:ジョン・ヴィラーズによる「大地の歌」であるが、これがとんでもなく凄かった。もう第1楽章からオーケストラの音色は煌びやか。金管は澄んだ音色を響かせ、フルートは孤独につぶやき、弦の弱音がゾッとするくらい美しい。実は私の席からは独唱者の声はそれほどはっきりとは聞こえないのだが、名唱らしいことはわかる。
その後も、低弦は戦きを表すし、ハープは不吉な音を出すしで、ここまで来ると日本人指揮者(大植英次は日本生まれの日本育ちであるが、海外での生活が長いので、「日本人であるが、中身は欧米人」といわれることもある)と日本のオーケストラによる演奏とは信じられないほどである。仮に録音して、演奏者を明かさずに聴かせたとして、日本人指揮者と日本のオーケストラの演奏だと当てられる人はまずいないだろう。
「大地の歌」は李白をはじめとする唐代の詩人の作品のドイツ語訳がテキストになるのだが、1曲を除いて後ろ向きの歌詞である。残る1曲も本当に明るい内容なのかわからない。というわけで不吉な作品なのである。マーラー本人が「この曲を聴いて自殺する人が出るのではないか」と発言したほどである。
そうした曲でこれだけの超名演を聴かされると、感動を通り越して怖くなる。ただでさえ、日本人指揮者と日本のオーケストラの組み合わせではあり得ないほどの高水準である。「聴いてはいけないものを聴いてしまった」気分になるのだ。

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