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2012年3月30日 (金)

笑いの林(4) 「さよなら京橋花月 ファイナルイベント」

2011年11月30日 京橋花月にて

午後7時30分から、京橋花月のファイナルステージに接する。京橋花月の歴史がわずか3年で終わる。ステージには京橋花月ゆかりの芸人がずらりと並ぶ。司会はメッセンジャー。終演予定時間は午後11時であるとチケットに明記されており、終電に間に合わない人は大阪市内に泊まることになる。

 

京橋花月の杮落とし(こけらおとし)公演を行ったのは間寛平師匠である。ということで、間寛平が特別ゲストとして登場する。寛平師匠は仕事があるというので一発芸と挨拶だけで京橋花月を後にしたが、「仕事終わったらまた京橋花月に戻ってきてもいい」と発言した。

 

メッセンジャーが司会になって、巨大パネルに記された京橋花月の3年の歴史を振り返る。

 

京橋花月がオープンした直後に、アメリカでリーマンショックが起こるのだが、メッセンジャー黒田は、「リーマンショックが全部悪い」と言う。勿論、そうでないことは知っている。「リーマンショックのせいで『面白い恋人』(北海道土産としておなじみの「白い恋人」のパクリである)が告訴されんねん」と最新のネタも織り交ぜる。

 

京橋花月の目玉だったのは、夜芝居である。読んでそのまま夜に演劇の公演を打つのである。役者は専業の人をゲストを招いたこともあるが、ほぼ全員、芸人が担当した。芸人の本格的な演技が見られるということが売りで、当初は大入りだったのだが、その後、客の入りが悪くなり、打ち切りになっている。

 

夜芝居の第1回公演の作を手掛けたのはメッセンジャー黒田であるが、黒田は「これ刑務所の話やねん」と自虐ネタにする。

 

黒田は更に、「帰ってきてすぐは、自分が久しぶりに出るというので大入りになったが、2、3回出たら、もう入らなくなった」と語る。

 

 

 

二人目のゲストは、京橋花月をほぼ一人で支え続けた桜 稲垣早希である。メッセンジャー黒田は、「早希ちゃん、ありがとう。早希ちゃんがいなかったら京橋花月、とっくに潰れてるわ」という。大阪の芸人で京橋の看板公演がほぼ毎回満席になるのは早希ちゃんだけであった。

 

早希ちゃんはそのまま最後まで京橋花月にいた。

 

その後、笑い飯が三組目のゲストとして登場。笑い飯も最後までいる。楽屋にカメラが潜入するシーンが、ステージ上のスクリーンに映し出されたのだが(ここで吉本新喜劇の宇都宮まきが登場する)、笑い飯・哲夫はカメラとマイクを向けられて、「僕は哲夫ちゃいます。三井物産マニラ支店長の若王子です」とまた中指を折り曲げて出して、若王子さんネタをやっていた。なお、京橋花月の楽屋は喫煙者用と、非喫煙者用にわかれているのだが、非喫煙者用の楽屋にかなりの人数がいた。やはり煙草はやらないという芸人は少なくないようだ。

 

京橋花月の歴史の中で、「大阪でインフルエンザが流行」が出てくるのだが、メッセンジャー黒田は、「インフルエンザがあかんねん」と言う。

 

その後、仕事を終えて駆けつける芸人が増える。京橋花月の看板漫才コンビであったテンダラーも登場する。

 

京橋花月は、東京から芸人を呼ぶようになったのだが、黒田は「この辺からおかしくなり始めた」と言う。東京の芸人を「黒船」と称した。

 

今年の春に、祇園花月がオープン。黒田は「京橋が閉まるのではないかと報道されましたが、本当でした」と語る。

 

京橋花月も色々と手を打っていて、ワンコインライブを始めている。夕方からの公演で、ワンコインつまり500円で芸が見られるという企画である。出演もプラスマイナスなど、若手有望格である。が、入りが悪い。プラスマイナス岩橋などは、「お客さんが8人しかいないことがありました」と語る。出演者も4組、8人だったそうで、これではギャラも出ないという。私は実は早希ちゃん以外の公演にも行っているのだが、本当に最前列1列だけなどの入りで、流石にここには書けなかった。

 

今年の1月に京橋花月は最後のカードを切る。桜 稲垣早希に「桜 稲垣早希のセンパイと遊ぼう!!」という看板公演を持たせるのである。これは毎月開催され、アスカでない早希ちゃんが見られるというので、ほぼ毎回満員であったが、早希ちゃん一人が頑張ってもどうにもならない。

 

また、歌が上手い、矢野・兵動の矢野勝也と川畑泰史(吉本新喜劇座長)の二人で歌中心の公演を行い、大盛況であったが、矢野と川畑のスケジュールが合わず、結局、再演されないまま京橋花月は終わってしまったそうである。

 

矢野勝也には、「パイセンフレンドパーク」という看板公演も持たせていて、これも好評であった。矢野勝也はこれで、「パイセン」というニックネームを広めることに成功。今日の公演でも何度も、「パイセンやで! しかし!」と発言する。

 

後半は、京橋花月アカデミー賞。後藤秀樹が司会になり、京橋花月に貢献した芸人を表彰する。「集客に最も貢献したで賞」(桜 稲垣早希が受賞)、「最も出番が多かったで賞」(テンダラーが受賞。メッセンジャー黒田は、「俺の謹慎がなかったらメッセンジャーが1位やで」という。メッセンジャーは黒田がいないにも関わらず3位であった)、「ツイッターのフォローが最も多かったで賞」(ファミリーレストランの原田良也が受賞)などがあるが、「楽屋での無駄口が最も多かったで賞」(矢野勝也が受賞)、「京橋花月がなくなって、一番収入に響くで賞」(つばさ・きよしの、ぼんちきよしが受賞。きよしは、タイ古式マッサージの免許を持っており、京橋花月の楽屋で芸人相手に有料でマッサージを行っていたのだが、京橋の代替劇場である祇園花月には専属のマッサージ師がいて、無料でマッサージをしているという。しかも若くて綺麗な女性らしい。劇場では、もうきよしのマッサージ師としての出番はないのである。きよしは一般人にもマッサージを行っており、きよしのツィッターに行って、フォローして依頼すると、4000円ほどでマッサージを行ってくれるという)、「使った小道具が一番多かったで賞」(土肥ポン太が受賞)など余り良くない賞もある。京橋花月MVPは、毎回、前説を担当したヘッドライトが受賞した。

 

最後は、矢野勝也が「マイクを出して」と言って、漫才用のマイクをステージ下から出して貰って、「パイセンやで! しかし!」と言う。

 

芸人達がサインを書いたゴムボールを客席に投げ、閉幕。表に出ると、京橋花月の看板はすでに取り外し工事が始まっていた。

さらば京橋花月

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