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2012年3月 9日 (金)

観劇感想精選(91) 「新・幕末純情伝」2011

2011年10月1日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、つかこうへい追悼公演「新・幕末純情伝」を観る。作:つかこうへい、演出:杉田成道。主演の沖田総司に鈴木杏(沖田総司本人が書いた手紙に一通だけ「総二」と署名されたものがあり、幼名が惣次郎(宗次郎とするものもある)であるため、読みが「そうじ」であったことは間違いないのだが、20世紀に入ってから、司と書いて「し」と読む名前を持つ俳優(島田順司である)が、「せっかくだから、おきた・そうし、で出てみたら」とのアドバイスを受け、映画に「おきた・そうし」で出演、以後、おきた・そうしの読み方が広まってしまう。2004年の大河ドラマ「新選組!」では「おきた・そうじ」という本来の読み方で出たが〈沖田を演じたのは藤原竜也〉、今日の舞台では読みは「おきた・そうし」であった)。土方歳三に、「三年B組金八先生」の理科教師役でおなじみであり、つか演劇の常連であった山崎銀之丞。その他に、加藤雅也、馬場徹、和田正人、吉田智則、小澤雄太、武田義晴、富岡晃一郎、逸見輝羊、川畑博稔、南野真一郎、伊澤玲、相良長仁、藤榮史哉、佐藤義夫、小野哲平、蟹田光国が出演。

 

つか演劇の特徴は口立てにあった。台本はあり、稽古までに役者達は覚えてくるのだが、稽古に入ると、つかこうへいが、セリフを口で言い、役者は、つかが言ったとおりに返す。つかは即興でセリフを変えてしまうので、役者はそれについていかねばばらない。セリフを一発で覚えられないと、セリフが短くなり、それでも覚えられないと更に短くとどんどん短くなってしまうという(内田有紀の証言による)。そのため、元の台本と上演されるものは別物になってしまうのが普通である。また役者に隙があるとみると本番でセリフを変えることもあるという。「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」に主役の木村伝兵衛役で出演した阿部寛は、著書『あべちゃんの悲劇』(のちに加筆して文庫化されタイトルは『あべちゃんの喜劇』に変わった)の中で、「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」上演中に相手がいきなりセリフを変えてきたということを書いている。つかに指示によるものだった。そこから30分以上、即興によるやり取りが続いたという。
阿部寛主演の「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」の再演を私はシアター・ドラマシティで観ている(共演は内田有紀と春田純一など)が、演出が毎回違ったようで、私が観た日は、阿部寛がステーキを食べきるという課題が課されていた。阿部寛が「今日はこれか」と言ってたのを覚えてる。犯人役の俳優が阿部寛がステーキを食べきるまで踊り続けなければいけないのだが、ステーキは大きめのもので、阿部寛は苦戦。「すまん、もうちょっと待って」という風なことを言っていた。

というわけで、つかこうへいが亡くなった今、本当のつか演劇を観ることはもう出来ない。

 

「幕末純情伝」は映画化もされており(牧瀬里穂の沖田)、つかの作・演出による舞台(京都四条南座での公演。石原さとみの沖田)も観ているが、「新・幕末純情伝」は、沖田総司が実は女であり、坂本龍馬と恋に落ちるという設定以外は大きく異なる。

 

幕が開く前に、大砲の砲声が轟き、不吉な音楽が流れる。幕が上がる。中央に階段状の台があるだけのシンプルな舞台装置。舞台は箱館(現在の函館)である。桂小五郎(吉田智則。史実ではこの時、桂小五郎は苗字を木戸と改めており、また箱館戦争にも参加していない)が、蝦夷共和国総裁の榎本武揚と、陸軍奉行の大鳥圭介を追うよう部下達に命じている。そこに斬りかかる一人の男、新選組副長・土方歳三(山崎銀之丞)である(史実ではこの時、土方は新選組を離れ、蝦夷共和国ナンバー3の陸軍奉行並であった)。土方は桂が坂本龍馬を見殺しにしたことを責める。桂は百姓上がりの土方に何がわかるかと言うが、自身も身分の低い家からの成り上がりであることを打ち明ける(史実ではない)。

一変して舞台は江戸へ。岡田十郎と岡田以蔵(和田正人)の兄弟が河原で女の赤ん坊を拾う。赤ん坊の側には名刀・菊一文字が輝く。そこに海軍奉行・勝安房守海舟(加藤雅也)がやってきて、赤ん坊は自分が育ているといい、岡田兄弟から赤ん坊を奪う。赤ん坊は男として育てられ、沖田総司(鈴木杏)となる。

海舟の弟として育てられた沖田は、海舟から騒乱の続く京に向かうよう命じられる。そこに気が狂った海舟の父親が現れ、海舟のことを「片金玉野郎」となじり、「こいつは子供の頃、片っぽ犬に食いちぎられたんだよ。本物の男ではないんだ」と告げる(勝海舟が子供の頃に睾丸を片方、犬に食いちぎられたというのは史実である)。海舟に追い立てられる父親。男として育てられたことに不満を持ち、女として普通に育んで貰いたかったと独白する沖田。この頃、沖田はすでに労咳(肺結核)を病んでいた。

京に着いた沖田は、土方に女だと見抜かれ、新選組に入隊し、自分の妻となるよう勧められる。自分は労咳であると沖田はいうが、土方は百姓は労咳には罹らないと言う。土方の女として新選組一番組長となる沖田(沖田の新選組における地位については、史料によって、一番隊組長、一番組組長、一番組長と記述がバラバラである。しかも編成は土方の案によるものだが、戦時のための編制であり、平時も組ごとに見回りを行っていたのかどうかわかっていない)。

史実と違い、新選組は桂小五郎と懇意で、桂から資金を受けてキャバレーで遊んでいる。桂はこれから新しい世を作るのに坂本龍馬(馬場徹)の存在は邪魔だと考えており、新選組に坂本暗殺を頼んでいるのだが、新選組は動こうとしない。

その坂本龍馬であるが、freedomを「自由」と訳し(実際に、freedomを「自由」と訳したのは福沢諭吉である)、高い志を持つのだが、大の女好き。沖田を見るなり、自分とやって欲しいと頼む。沖田は断るが、坂本は以蔵を引き連れ、魚屋と名乗って新選組の屯所に入り、按摩であると嘘をついて沖田に接近しようとする。

坂本を暗殺するために条件交換をしようと、三条小橋の池田屋で長州が謀議を行っていることを明かす桂。沖田は一人で池田屋に斬り込むが、そこに坂本が助太刀に入る。池田屋事件に勝利した沖田と坂本。坂本は沖田に、桂浜で二人で大きな月が見たいなどと沖田に告白する。沖田の心は次第に坂本に傾き始める。それに感づいた土方は沖田を平手打ちにし、誰のおかげで新選組に入ることが出来たのかとなじる。沖田は土方が百姓上がりで読み書きも出来ない無教養者であり、そんなあなたになにがわかるのかと反抗(読み書きが出来ないのは史実ではない。土方は文才はなかったが俳句好きで豊玉という俳号も持っていた)。

そこに客席から、坂本がやって来て、沖田に堂々とプロポーズする。桂がやって来て坂本と口論になるが、物別れに終わり、坂本は去ってしまう。新選組隊士の二宮(富岡晃太郎)は、自分は教師になりたいと夢を語ったあとで、桂に向かって、坂本さんは立派な方で斬られるべきはあなたの方だと、将来書きたいという歴史の教科書の内容をいいながら、桂と斬り合いになる。沖田は割って入って二宮を斬る。桂は二宮に、ちゃんとした歴史を書き残せ、死ぬなと言うが二宮は絶命。沖田は桂に「なぜ(二宮を)斬ったかわかりますか? 坂本さんがあなたを守れと言ったからですよ」と告げる。

一方、江戸では、京から赤ふんどしに着物一枚という姿でやってきた岩倉具視(武田義晴)が、海舟に大政奉還について聞いている。岩倉は同性愛者であり、海舟に尻を見せろなどという。岩倉は大政奉還して、京に政権が返っても、自分達には外国が攻めてきた時に対処する方法もないといい、徳川のやり方に不満を持っている。

上洛した海舟は新選組に、江戸に戻るか、かつては海舟の弟子であった坂本を斬るかどちらかを選べと告げる。ただ江戸に帰れば新選組はなくなるので、坂本を斬れ、それが将軍・徳川慶喜公のご意志だという。もし命令に従わなければ、新選組の全員を斬ると告げる。
新選組の隊士達は、隊士50名のうち半分が沖田の労咳が移って死んだのだと告げる。責任を感じた沖田は坂本を斬ることを決意する。

その坂本は元の師である海舟と会っていた。「革命と政を行う者は違う」と確認する二人。海舟は沖田が坂本を斬りに来ることを告げる。面白いと口にする坂本。実はこの時、すでに坂本は沖田から労咳を移されていた。

沖田がやって来る。向かい合う沖田と坂本。女と男のバトルが始まる……。

 

素晴らしい舞台であった。おそらく今年観た舞台の中では一番の出来である。コメディーの要素が多く、役者達もアドリブで笑わせる(坂本龍馬役の馬場徹は、桂小五郎役の吉田智則に「新幹線の乗り遅れたのは仕方ない。だが堂島ロールを買って、みんなを待たせるのはやめろ」などと言って吉田が取った行動をばらしていた)。実は、つかこうへいはコメディーが嫌いで「私はコメディーなどという下司なものは書いたことがないし、書く気もありません」と発言している。そのため、つか演出の舞台には笑いのシーンは多くて三カ所ぐらいしかない。まったくないこともある。そのため、つかの意志には背くことになるのだが、やはり舞台は面白いものの勝ちである。つかの意志よりも面白さは尊重されるべきだろう。

 

鈴木杏の演じる沖田は凛々しい。熱海殺人事件の番外編である「売春捜査官 女子アナ残酷物語」(チケット発売時のタイトルは「熱海殺人事件 売春捜査官」。上演当日になってタイトルが変わったことを告げられた。このことからも、つかこうへいが即興姓を重んじ、変化を怖れない人であったことがわかる)で木村伝兵衛を演じた黒谷友香といい勝負である。

鈴木杏は殺陣も見事で、他の出演者が安全性を考慮して遠慮がちに殺陣を行う中、怪我を怖れず巧みな剣捌きを見せていた。殺陣の筋もいいのだろうが、やはり沖田の殺陣が一番でないとおかしいという考えから必死になって殺陣を稽古したのではないかと思われる。鈴木の殺陣は出演者の誰よりも見事であった。

 

桂や海舟らが地位の高さを争う中で、国とは男と女の関係で出来上がるものだという坂本のメッセージの力強さと、それに応えようとする沖田の懸命な姿が印象的であった。

 

結末は残酷で美しいもの。三十代に入ってから涙腺が弱くなった私は涙が出そうになったが、何とかこらえた。

 

カーテンコール。万雷の拍手である。私は後ろの方の席だったが、真っ先に立ち上がる。最後は客席が総立ちになる。

 

鈴木杏は、カーテンコールがこれほど盛り上がるとは思っていなかったようで(東京の観客は大阪よりも大人しい)、スピーチの用意をしていなかったようだが、「私のような経験の浅い未熟な者が、つか先生の作品で主役を演じて良いのかと思いましたが、こうして、つか先生の作品の上演を続けていくことは大切なことだと思います。これからも、つか先生の作品をやりたいですし、私も、つか先生の作品を観たいです」と締めた。

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