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2013年2月24日 (日)

観劇感想精選(96) 「想い出のカルテット ~もう一度唄わせて~」

2011年11月4日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

梅田芸術劇場シアタードラマシティで、「想い出のカルテット ~もう一度唄わせて~」を観る。「黒柳徹子主演 海外コメディ・シリーズ第25弾」である。ロナルド・ハーウッド作、丹野郁弓:テキスト日本語訳、高橋昌也:演出。

出演、黒柳徹子、阿知波悟美、団時朗、鶴田忍。

 

舞台はイギリスの片田舎。引退した元オペラ歌手達が音楽家専用老人ホームのようなところで暮らしている。舞台セットの上の方には数多く人物画や人物写真が横一列に並んでいる。確認出来ただけでも、イングリッド・バーグマン、ケーリー・グラント(二人ともアルフレッド・ヒッチコック監督作品の常連であった)、モーツァルト、ロッシーニ、マリア・カラス、真ん真ん中に若き日のベルリオーズ(だろうか? 髪型に特徴があるので多分そうだと思われる)、マルセル・プルーストらしき人、一番目立つ場所にジュゼッペ・ヴェルディ、上手端にプッチーニなどがある。上手奥はよく見えないが、ドビュッシーらしき人物の肖像画が見える。このうち、ヴェルディ、モーツァルト、ロッシーニ、マリア・カラス、プルーストは登場人物達の会話の中に出てくる。ワーグナーの話も出てくるが、なぜかワーグナーの肖像画はない。

 

老いた、元スター(黒柳徹子演じるジーン・ホートンが「真夜中に輝くもの」としてスターのことを指すセリフを語っている)オペラ歌手達の悲哀と友情をコメディタッチで描いた作品。ではあるが、それにしてはちょっと引っかかるところがある。なぜか辻褄の合わない部分があるのである。シシー(阿知波悟美)は認知症の症状が酷くなりつつあるということだが、ある場面では認知症ではなくあっち系の症状を示すし、ウィルフ(鶴田忍)は発言に矛盾したところがある(認知症だと考えることも可能である)。知的な人物に見えるレジー(団時朗)もどうも普通の人ではないようである。黒柳徹子演じるジーンも本当のことを話しているのかどうか。ちなみに同じ老人ホームにあっち系の人はいるようである。

 

プルーストの「失われた時を求めて」のマドレーヌのセリフは出てくるし、「舞台恐怖症」というヒッチコック映画のタイトルも出てくる(映画「舞台恐怖症」の主演はマレーネ・ディートリッヒである。ディートリッヒの肖像画はないが、代わりにヒッチコック映画の常連であるイングリッド・バーグマンとケーリー・グラントの写真がなぜかある。ちなみに三人とも人生はどちらかといえば不幸であった。ジーンのモデルであると思われるマリア・カラスも不遇のうちに若くして人生を終えている)。そして「舞台恐怖症」というのが映画のタイトルであるということは明言されておらず誤魔化されている。そしてディートリッヒと恋仲であった、フランスの名優、ジャン・ギャバンもなぜかセリフの中に登場する。ジャン・ギャバンが軍服を着ているということを示すセリフがあるので、おそらく「大いなる幻影」の話をしているのだと思われるが、実は「大いなる幻影」はちょっと一癖ある映画である。

 

なお、話の中心になっているのはヴェルディの歌劇「リゴレット」である。

ということで、今回は舞台上で行われていることがリアリズムなのかどうか判然としないところがある。本当に彼らは元オペラ歌手なのだろうか? 元オペラ歌手でないという証拠はないが、元オペラ歌手であるという確証もないようである。なんといっても一番重要なことを彼らは一切しないのである。ちなみにゲネラルプローベ(ゲネ、ゲネプロ)の場面はあるが、本番のシーンはない。「リゴレット」の四重唱という、普通は選ばないであろう場面が選ばれてもいる。

 

実は別の話が浮かぶ可能性がある。ちなみにどちらだとしても出来は良い。どっちを取っても人間讃歌になっている。
作者のロナルド・ハーウッドは「ドレッサー」の人であるという。仕掛けてきたとしてもおかしくない。

 

「想い出のカルテット ~もう一度唄わせて~」(再演)

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