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2013年6月14日 (金)

低成長時代の消費者努力 AKB選抜総選挙というビジネスモデル

結果が全ての社会になりつつある。ある程度努力すれば何とかなるという時代は終わった。また結果が出なくても努力の過程が認められるということも少ない。これは今に始まったことではない。だから昔から力はあっても、結果が全てという社会に嫌気がさして進んで降りてしまう人(明治時代の小説家にはこのタイプが多い)、努力の嘘に気づいてグレてしまう人、結果が出せなくて鬱になってしまう人は昔からいた。だが、これまでは「頑張っているから」ということで認められることも多く、昨今ほど殺伐とした社会ではなかったように思う。

努力が結果に結びつくまでには時間が掛かる。簡単に成し遂げられることを人は努力とは呼ばない。だが、努力した結果が成功に結びつくとは限らない。残酷な話だが、努力と結果が常にリンクするような人は100人に1人か2人である。

「これだけ努力したのに」「あの努力は何だったの」と思う人は実は多数派なのだ。

これに反して、ちょっと努力をすれば結果に結びつき易いものというのが社会には存在する。
AKB選抜総選挙はその最も代表的な例だ。AKBグループのメンバーが自身の魅力をアピールし、ファンは直前に発売されるシングルCDに1枚挿入されている選挙用紙を投票するとことで好きなメンバーの順位を上げることが出来る。ただ、CDを何枚買っても、何枚投票しても有効というところに、巨額の金を生むシステムが機能している。
例えば、好きなメンバーにお金を渡してもそれを努力だと思う人はいない。逆に意地汚い奴だと軽蔑されるだけである。しかし、投票券というものが介在することにより、あたかも「たくさん投票した」「たくさんお金を使った」ことを「努力した」と勘違いしやすい土壌が出来上がる。そして、たとえばお気に入りのメンバーの順位が上がればメンバーの努力もさることながら、投票した人自身の努力も認められたような気になる。そして同じ推しメンを持つ仲間同士で、応援を努力として分かち合うことも出来るのだ。実際はお金を使っただけなのだが、投票券が間に入ることで、「お金を使った」というやましさも中和される。

AKBグループのメンバーは総選挙で上位に入るために常に努力を怠らない。もちろん、例外はいる。しかし、ファンの人が認めてくれれば、それは努力が認められたということになるのだ。AKBグループのメンバーも得票は努力の結果だと思う。お金を大量に消費させたという罪悪感を持つほど知恵のまわるメンバーは余りいないだろう。つまり、ファンもメンバーも「努力が認められた」という点において一体感を得ることが出来るのであり、単にお金儲けの道具にされたとは考えないだろう。

低成長で努力が認められにくい時代にあって、努力という名の消費が結果に反映される。スピードと効率化をキーワードに、本来ならなかなか努力が実らない分野であっても早急に結果を出すことが求められる社会である。そんな社会にあって、AKB選抜総選挙は消費が努力と名を変えて認められやすいという、搾取する側とされる側がどちらも偽りの幸福に浸れるというビジネスモデルなのである。

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