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2013年7月の19件の記事

2013年7月31日 (水)

コンサートの記(95) 飯森範親指揮山形交響楽団特別演奏会「アマデウスの旅」大阪公演“さくらんぼコンサート2013”

2013年6月28日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで山形交響楽団特別演奏会「アマデウスの旅」大阪公演“さくらんぼコンサート2013”を聴く。指揮は山形交響楽団音楽監督の飯森範親。

コンサートタイトルからもわかる通り、オール・アマデウス・プログラムである。山形交響楽団二度目のザ・シンフォニーホール登場。昨年の6月に初の大阪公演を行い、今年も6月に大阪公演を打った。更に来年もザ・シンフォニーホールでコンサートを行うことがすでに決定しており、平成26年6月27日と具体的な日にちも決まっていた。
桜桃忌からまだそれほど経ってはおらず、さくらんぼ(桜桃)が名物である山形のオーケストラを聴くのに良い季節だ。

演目は交響曲第16番K.128、ヴァイオリン協奏曲第1番K.207(ヴァイオリン独奏:松田理奈)、交響曲第23番K.181、交響曲第35番「ハフナー」K.385。「ハフナー」交響曲以外はコンサートで演奏される機会が少ない作品である。

飯森範親と山形交響楽団の関係については、『「マエストロ、それは無理ですよ…」~飯森範親と山形交響楽団の挑戦~』(著作:松井信幸。ヤマハミュージックメディア)に詳しく書かれている。
山形交響楽団は東北地方初のプロオーケストラでありながら、「山形=田舎」という固定観点に苦しんでおり、営業で他所の県を回っても、「オーケストラの名前に『山形』が入っていなければいいんですが」と難色を示されることが多かった。そこで山形交響楽団に客演したことがあり、著名で、スケジュールに比較的余裕がありそうな人を常任指揮者に招こうということになり、第一候補として挙がったのが飯森であった。ただ世界的に活躍している飯森が山形交響楽団の常任指揮者を引き受けてくれるだろうかと不安だったという。山形交響楽団の関係者が駄目元で飯森に連絡を入れ、直接会って申し込んだところ、飯森は「はい、喜んで」と即答。飯森は「そろそろ話がある頃なんじゃないかなとも思ってましたから」とも告げたが、山形交響楽団関係者は一発OKにびっくり。素直に驚きを伝えると飯森から「そんな消極的な気持ちで来られたんですか」と怒られたという。
2004年に飯森は山形交響楽団の常任指揮者に就任。それ以前に山形交響楽団と山形県について飯森はリサーチと多くの提案をしていた。コンサート会場を音響の良い「山形テルサ」という中規模ホールに変えようと提案。客席が少ないので、同一演目で二日の定期演奏会を行うことも決めた。更に飯森自身が「山形と山形交響楽団のセールスマン」を名乗り、全国に山形と山形交響楽団の良さを伝える活動を行う。飯森は「山形県は自然も美しく、観光名所も沢山あり、名物品や温泉など、恵まれた環境にあるのに、山形県の人はそれが当たり前だと思っているので自分達が住んでいる土地の良さに気付いていない」と感じ、国内のあらゆる場所に山形と山形交響楽団の長所を売り込んだ。キャッチフレーズは「食と温泉の国のオーケストラ」。さくらんぼ、米沢牛などの名産品と、上山温泉を始めとする全国的な温泉町をアピール。温泉&グルメツアーガイドを取り入れた山形交響楽団コンサートコースを提案している。また他の地方で山形交響楽団が演奏を行う時には「さくらんぼコンサート」という可愛らしく親しみやすいタイトルを着けることにし、2003年の6月に東京オペラシティにおける演奏会で「さくらんぼコンサート」というタイトルを用い、以後、毎年6月に東京で「さくらんぼコンサート」を行うことになる。
飯森の戦略はことごとくヒット。定期会員数は飛躍的に増えた。2006年には自主レーベルである「YSO live」を設立し、録音の世界でも売り込みをかけ、飯森と山形交響楽団のコンビは高い評価を受ける。飯森は功績を称えられ、ポストも音楽監督に昇進。2008年にはアメリカのアカデミー賞外国語映画部門賞を受賞した映画「おくりびと」に飯森と山形交響楽団は本木雅弘演じる主人公が所属しているオーケストラとして出演(映画の中では解散するオーケストラなので、勿論、山形交響楽団名義ではない)。知名度を更に上げることに成功した。
京都市交響楽団や大阪のオーケストラなどで行われている「プレトーク」も最初に行ったのは飯森であり、山形交響楽団の定期演奏会の開演前に毎回プレトークの時間を設けた。また、飯森は他のオーケストラに客演した時も山形交響楽団を売り込むことを忘れず、昨年3月に関西フィルハーモニー管弦楽団に客演した際も、6月にザ・シンフォニーホールで山形交響楽団が大阪初となる「さくらんぼコンサート」を行うという告知をしていた(残念ながら第1回の「さくらんぼコンサート」大阪公演を私は聴くことが出来なかった)。

そのプレトークは今回も勿論ある。開演の約20分前に飯森は山形県の法被を着てステージに登場。会場のホワイエで売られている山形の名産品や山形県と関係のある森下仁丹の商品をアピールする。その後、山形交響楽団のトランペット奏者とホルン奏者各二名と首席ヴィオラ奏者の成田寛をステージに招き、山形交響楽団が今日の演奏会で「ピリオド・アプローチ」という名をこそ挙げなかったものの、事実上それを行うことを告げる。トランペットもホルンもピストンのないナチュラルトランペットとナチュラルホルンを用いると発表され、実際に奏者に演奏させてみせる(モーツァルトが生きていた時代にはまだ今で言うナチュラルトランペットとナチュラルホルンしかなかった。楽器が改良されるのはベートーヴェンの死後間もなくのことである。ヴィオラの成田寛は「今日はガット弦を使っている」と言い、驚かせる。またビブラートについてモーツァルトの父親であるレオポルト・モーツァルトが、モーツァルトの生まれた1756年に『ヴァイオリン奏法』という教則本を上梓し、そこにビブラートのことが書かれていて、ピリオド・アプローチ=ノンビブラートではないことを伝える。ただ今のようにビブラートを多用することはなかったともいう。ここまで徹底しているともはやピリオド・アプローチではなく、ほぼ古楽器オーケストラの演奏会である。ヴァイオリン協奏曲第1番の独奏者である松田理奈も山形交響楽団の今日の演奏に理解を示し、オーケストラの奏法に合わせた独奏を行うという。それから飯森は自身が来年の4月より大阪を本拠地とする日本センチュリー交響楽団の首席指揮者を務めることを発表。誰のせいか明言はしなかったが、「音楽活動がしにくくなっている大阪で頑張っていきたい」と述べる。飯森と山形交響楽団は8年がかりの予定で、モーツァルトが書いた交響曲、番号もないものも含めて全47曲ほどを演奏し、全てを録音してCDとしてリリースする計画があることを公にし、今年が7年目であると教えてくれる。全ての録音を終えれば日本人指揮者および日本のオーケストラ初となる「モーツァルト交響曲全集」となるはずだ。最後に、終演後、お客さん全員に山形のサクランボがプレゼントされるということを告げる。大サービスである。

ヴァイオリン両翼、コントラバスが最後列に横に並ぶ(山形交響楽団は中編成のオーケストラなのでコントラバス奏者は3名のみである)古典配置。ティンパニは上手奥に配置され、古典配置の中でも最も古いスタイルの配置である。

 

交響曲第16番。第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンともに6名という編成。弦楽器はほぼノンビブラート奏法であり、小編成ということもあって、オーケストラが出す音は小さめ。だが、そこは世界屈指の音響と讃えられるザ・シンフォニーホール。音は小さくともちゃんと聞こえる。演奏時間約13分という小さな交響曲であるが、飯森と山形交響楽団は小さいながらも愛らしい曲として演奏する。山形交響楽団の弦の音はモダン楽器が普通に出す音よりも音色が濃い。

 

松田理奈をソリストに迎えてのヴァイオリン協奏曲第1番。
松田理奈は才色兼備の新進ヴァイオリニスト。1985年生まれと若く、ルックスも日本人ヴァイオリン奏者の中でトップレベルとあって、これから更に人気が出そうな逸材である。横浜生まれ。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースに進み、ドイツのニュルンベルク音楽大学に編入学。2007年に大学を首席で卒業後、同大学院に進学。ここも首席で卒業する。2001年に第10回日本モーツァルト音楽コンクールヴァイオリン部門で1位を獲得。同コンクールのヴァイオリン部門最年少での1位だった。2004年、第73回日本音楽コンクールでも1位に輝く。また今年度の新日鉄住金音楽賞を受賞している。国内外の多くのプロオーケストラと共演(ただし、海外の有名オーケストラとの共演はまだない)。ビクターエンタテインメントからCDも数点発売されているが、いずれも高い評価を受けている。超絶技巧が要求されるイザイの作品が十八番。

私が松田の実演に接するのは初めてであるが、とにかく動きの大きいヴァイオリニストである。ヴァイオリン(ジローラモ・アマティの名器を貸与されたと飯森がプレトークで告げていた)をあらゆる方角に向け、時には一歩踏み出し、屈んだかと思うと、一気に上半身を起こして海老ぞりになりながら弾いたりする。メカニックは極めて優秀である。演奏は情熱的。ピリオド・アプローチについてだが、ビブラートは用いることが多かった。ただビブラートの間にノンビブラートの音が挟まれ、その一音だけが光り輝いて聞こえるといったような独特の音楽性が発揮されていた。なお、ソリストは暗譜で演奏するのが一般的であるが、今日は通常とは違うスタイルでの演奏ということで、見開きの楽譜1枚のみを見ての演奏であった。「見て」といったが、譜面に書かれているのは要所要所だけのようで、譜面を見ずに演奏している時間の方が多い。「ブラーヴァ!」に値するほどではなかったが高水準の演奏であった。山形交響楽団も充実した伴奏を聴かせる(弦楽奏者がビブラートをかける回数は交響曲第16番よりも多かった)。

松田はアンコールとしてクライスラーの「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」より“アレグロ”を演奏。超絶技巧で聴く者を圧倒する。これは「ブラーヴァ!」に相応しい出来であった。

 

後半。
交響曲第23番。演奏時間約9分の小品。3つの楽章が切れ目なく演奏される交響曲であるが、快活な演奏が繰り広げられる。

 

本日唯一のポピュラー曲、交響曲第35番「ハフナー」。密度の高い演奏であった。ヴァイオリン奏者は第一第二ともに8人という編成での演奏。テンポは第1楽章から第3楽章までは「ハフナー」の平均的演奏と同程度。第4楽章のみ速めである(ピリオドは、その時代の演奏会場は今のように反響の長いものではなく、貴族の邸宅などの音楽向けではない場所が多かったという事実から、「パウゼがあると音の間に本当に穴が開いてしまうおそれがあるので今よりも速めのテンポで演奏された」という説を採ることが多い)。中編成のガット弦によるオーケストラであるが、スケールは大きい。繰り返し記号であるが、第3楽章の終結部のみ採用。効果的であった。

本来ならアンコール演奏があってもいいはずだが、飯森が「今日は演奏者が普段とは違うニュアンスで演奏しており、疲れているのでアンコールはなしということにして下さい」と述べ、アンコール演奏なしでコンサートは終わった。

ホールホワイエでは山形県の名産品が発売されており、私は「さくらんぼサイダー五缶セット」と、飯森範親がプロディースした飲料「ラララ・ラ・フランス」(久保田利伸 with ナオミ・キャンベルの「LA・
LA・LA・LOVE SONG」が元ネタであると思われる)の五缶セットを買う。一人で五缶は飲む量としては多いので、なじみの店に行き、それぞれ一缶ずつ飲んで、残りはその店に進呈した。
「さくらんぼサイダー」はその辺で売っているサクランボ味の飲料とは格が違うと感じた。味が上品で自然であり、人工的な部分が全くといっていいほど無い。

「ラララ・ラ・フランス」は果汁20%のジュースであるが、味は濃厚。果汁100%のジュースもあるが、飯森が「子供さんなどには味が濃すぎるかな」と思って果汁を20%に抑えたのが「ラララ・ラ・フランス」である。果汁20%でこれほど味が濃いとなると果汁100%のジュースは想像を絶するほど美味であると思われる。ちなみに果汁100%のジュースは飛行機内で発売されているが、初回生産分が1ヶ月で完売。これは最速記録であるという。

聴衆全員に無料配布されたサクランボも勿論美味しかった。

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神戸の海2013(12) ポートタワーから中央埠頭を臨む

神戸の海

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神戸の海2013(11) ポートタワーから見た神戸の海

神戸の海

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神戸の海2013(10) 船の航行

神戸の海

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神戸の海2013(9) ハーバーランドを臨む

神戸の海

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2013年7月23日 (火)

神戸の海2013(8) 海岸通り側を見る

神戸の海

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神戸の海2013(7) ポートアイランドの大学街、すれ違う船

神戸の海

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神戸の海2013(6) 遠くの船

神戸の海

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神戸の海2013(5) ポートアイランドを望む

神戸の海

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2013年7月20日 (土)

神戸の海2013(4) 神戸港中突堤と船と神戸メリケンパークオリエンタルホテル

神戸の海(4)

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2013年7月14日 (日)

神戸の海2013(3)  船出

神戸の海

先程の船がもう遠くへ。

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神戸の海2013(2)  船出の準備

神戸の海

メリケンパーク突端から。右の船が船出のために向きを変えている。

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神戸の海2013(1)

海の写真集神戸の海1

メリケンパークからの眺め。

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2013年7月10日 (水)

コンサートの記(94) 河村尚子ピアノ・リサイタル「河村尚子のバラード」西宮公演2013

2013年6月9日 兵庫県西宮市の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、河村尚子(かわむら・ひさこ)のピアノ・リサイタル「河村尚子のバラード」を聴く。

河村尚子は1981年、西宮市生まれの若手女性ピアニスト(ピアニストの場合、大体、40歳ぐらいまでは若手の部類に入る)。そのため、今回は凱旋公演ともなるのだが、5歳の時に家族と共にドイツに移住、今に到るまでドイツ在住であるため、西宮時代の記憶はほとんどないと思われる。ドイツでは日本人学校に通っていたようで、ヴァイオリンの庄司紗耶香のようにドイツ語よりも日本語が苦手ということはないようだ。子供の頃の愛読書は「ドラえもん」であったというから、親しみも持てる。ルックスも特別な美人というわけではないが、「チャコ」と呼びたくなるような愛嬌がある。ドイツ育ちということを感じさせるのは一般的な日本人に比べて歩幅が広いということくらいである。
ハノーファー国立演劇音楽芸術大学、同大学院ソリストコースを修了。大学在学中にミュンヘン国際コンクール2位、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝いている。現在ではソリスト活動の他に、ドイツの音楽大学の非常勤講師、そして日本でもこの春より東京音楽大学で特任講師を務めているようだ。

私が河村のピアノに初めて接したのは京都市交響楽団にソリストとして彼女が招かれた時。指揮は小林研一郎で、曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲だったと記憶している(後日、日記で詳細を調べる予定)。その際の河村の印象は、「とにかく楽しそうにピアノを弾く人」というものであった。

その後、京都市交響楽団の定期演奏会のソリスト(広上淳一の指揮で演奏したラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」はライブ録音が行われ、CD発売済みである)として、また京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」でのソロ・リサイタル、関西フィルハーモニー管弦楽団やオーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートでのソリストとしての演奏に接している。関西出身ということが関係あるのかどうかはわからないが、関西でも多くコンサートに出演してくれるのはありがたい。

ピアノソロによるCDはショパンを弾いたアルバムが国内盤で2点出ているがいずれも名盤である。輸入盤のみのCDも2点あったが、現在は1点は廃盤となり、代わりにその音源を日本のレーベルが買い取って、音に改良を重ねた国内盤として再発売された。協奏曲のCDは協奏曲と名の付くものは現時点ではなし。オーケストラとの共演は前述の広上淳一指揮京都市交響楽団との「パガニーニの主題による狂詩曲」が京都市交響楽団自主制作盤として出ている。

河村尚子の演奏はどちらかというと個性派の部類に入る。サンソン・フランソワやグレン・グールド、ファジル・サイほどではないが、個性を全面に出し、彼女でなければ思いつかないであろうパッセージの歌い方をしたり、普通の奏者が強く弾く箇所を敢えて弱音で奏でたりする。京都でのピアノリサイタルではそれが顕著であったが、今回は曲目のためかそれほど明らかではなかった。

地元出身の期待のピアニストということで、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは満員の盛況であった。演奏会終了後にはサイン会が行われることが決まっており(彼女の出演する演奏会は公演終了後にサイン会が行われることが比較的多い)、KOBELCO大ホール入り口の後方にある売店では特別にサイン色紙が売られていた。なお、サインを頂くには特に買い物をする必要はなく、無料で配られるパンフレットでもOKとのことだったが、ピアノ・リサイタルのパンフレットにありがちなことではあるが、安い紙を使ったペラペラのものであるため、サインを希望する多くの人は色紙やCDを購入していた。私も河村尚子のサインは京都と金沢で貰っているが、高音質化されたCDに興味があったので(彼女が21歳の頃に、初のレコーディングを行ったテイクが用いられている。なお同じ音源による輸入盤CDは京都でのソロ・リサイタルの時に購入しており、河村からサインも貰っている)購入し、サイン会に参加することに決める。

「河村尚子のバラード」というタイトル通り、後半のメインプログラムはショパンの「バラード」全4曲である。前半は、J・S・バッハの「平均律クラヴィーア曲集第2巻」より第12番、ベートーヴェンの「自作の主題による32の変奏曲」、ブラームスの「ピアノ小品集」作品118全6曲という、いかにも河村らしいというか、個性的な曲目が並ぶ。

今日の河村は鮮やかなグリーンのドレスで登場。女性演奏家の場合、前半と後半で衣装を変えるのはよくあることだが、河村は前後半ともに同じ衣装で通した。

J・S・バッハの「平均律クラヴィーア曲集第2巻」より第12番では、厳しく硬質の音色と、甘く柔らかな音色を同じに使い分けるという魔術的演奏を展開。メカニックは冴えに冴えており、おそらく技術面においては彼女に勝る日本人女性ピアニストは存在しないと思われる(表現面ではまた別である)。後半にはおなじみとなったノリノリの演奏となる。指の回転の速さはほとんどスピード違反級で人間業とは思えないところがある。

ベートーベンの「自作の主題による32の変奏曲」では変奏の数々を巧みな表現で描き分ける。

ブラームスの「ピアノ小品集」は6曲全て個性が異なるということもあって、河村の表現力の幅広さが、大バッハやベートーヴェンの作品よりもはっきりとわかる。

 

後半、ショパンのバラード4曲。いずれもスケールの大きな演奏であった。河村はフォルテは多くのピアニストと比べて強めに弾くが、他の多くのピアニストのようにエッジの立った音ではなく、どこか柔らかさが残る。弱音も他のピアニストより弱めに弾くが、広がりのある弱音であり、単に音を弱くしただけではない。

最も有名なバラード第4番では、ラスト付近で、鍵盤を強打した後、両手をピアノから素早く離して腰を左に捻り、体を斜め後ろに傾ける、つまりピアノにはじき飛ばされたように見えるという演劇的工夫を凝らしていた。

アンコール。河村は珍しい曲をアンコールで弾くことがあるが、第1曲目は誰もが一度は耳にしたことがあると思われるシューベルトの「楽興の時」第3曲であった。河村は体を揺らしながら楽しそうにピアノを弾く。

2曲目は美しいが聴いたことのない曲であった。コンサートスタッフも珍しい曲なので、曲目の確認に時間が掛かったようだが、J・S・バッハの「羊はやすらかに草をはみ」をペトリという人物がピアノ独奏用に編曲したものであることがわかった。

サイン会にはやはり地元出身のスターということもあって長蛇の列が出来たが、無事サインを貰うことが出来た。

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2013年7月 9日 (火)

河村尚子(ピアノ) アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番第1楽章 長崎ブリックホールにて

河村尚子公認による動画です。お楽しみ下さい。

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2013年7月 7日 (日)

コンサートの記(93) 「ザ・シンフォニーホール特選コンサート Vol.17 山田和樹&山本貴志&大阪フィル」

2012年3月20日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールで

午後3時から、ザ・シンフォニーホールで、「ザ・シンフォニーホール特選コンサート Vol.17 山田和樹&山本貴志&大阪フィル」を聴く。

指揮:山田和樹、ピアノ独奏:山本貴志。大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏。

曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、ベートーヴェンの交響曲第7番。

山田和樹は1979年生まれの若手指揮者。ブザンソン国際指揮者コンクールの覇者でもある。東京藝術大学在学中に、仲間たちとトマト・フィルハーモニー管弦楽団を結成。卒業後はそれを横浜シンフォニエッタとしてプロ化。その経歴から「リアル千秋真一」、また名前から「第二のヤマカズ」とも呼ばれている(初代ヤマカズは山田一雄。本名:山田和男であるが、二人に血縁関係はない)。

当初では山本貴志独奏のピアノ協奏曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の予定であったが変更になった。

歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。
若手指揮者らしい爽快な演奏。山田和樹のオーケストラを導く力は水準が高い。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。
デモーニッシュな魅力にあふれる曲だが、山田は徒に不気味さを強調せず、安定重視である。
山本のピアノは弱音が病的なまでに美しい。山本は鍵盤に顔を近づけての独特の演奏。あたかもグレン・グールドのようである。
第2楽章では明るさのなかに悲哀を込めた見事な表出力。山田の指揮も華やかさに秘められた憂愁を表していく。
疾走する悲しみの第3楽章。山本の技術の高さを山田のオーケストラ牽引力で見事な演奏になった。

メインンのベートーヴェン、交響曲第7番。素晴らしい演奏であった。
山田の指揮は立体感にたけており、バランス感覚も優れている。モーツァルトではピリオド風のアプローチも見せた山田であるが、第7は完全に巨匠風。
情熱的で若々しい第1楽章。悲しみを大げさでなく表現した第2楽章。推進力あふれる第3楽章。勢いの良い第4楽章。いずれも日本人指揮者としては大変優れた出来。山田和樹というと男の才能を十分に堪能できた。

 

終演後、山田和樹によるサイン会があり、CDとパンフレットにサインを入れて貰い、握手をする。

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2013年7月 6日 (土)

コンサートの記(92) ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第649回定期演奏会 「シベリウス・チクルスⅢ」

2013年4月26日 東京・溜池山王のサントリーホールにて

サントリーホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第649回定期演奏会い接する。指揮はピエタリ・インキネン。インキネンと日フィルによる「シベリウス交響曲チクルス」3回目にして最終回である。明日も同じ演目でマチネーがあるが、一応、これで今年のシベリウスファン最大の祭典は終わりを告げることになる。

今日演奏されるのは、交響曲第3番、第6番、第7番の3曲、第6番と第7番は続けて演奏される。

ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第649回定期演奏会 「シベリウス・チクルスⅢ」

交響曲第3楽章冒頭、インキネンは余り旋律を歌わせず、誰よりも素朴な表現をする。ただその後の盛り上げ方、音の立体感の作り方は見事だ。とても三十代前半の指揮者の業とは思えない。日フィルも絶好調。シベリウスを演奏している時の日フィルはまさにスーパーオーケストラだ。

交響曲第6番のしっとりとした抒情と詩情、弦の透明さ、木管のリリカルさ、金管の輝き、いずれも文句なし。

交響曲第7番も同傾向で、インキネンのオーケストラ捌きの巧みさにも舌を巻く。

チクルス最終回に相応しい、好演であった。

「シベリウス・チクルスⅡ」の感想は、右下にある「コンサートの記」ではなく、「シベリウス」のカテゴリーをクリックして御覧下さい。

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2013年7月 4日 (木)

希望・愛・喜びを伝える画家「マッケンジー・ソープ」絵画展

1956年、北イングランド生まれの画家、マッケンジー・ソープの絵画展を紹介します。
東京・渋谷の東急文化村1階ギャラリーに於いて、7月7日まで開催されています。

マッケンジー・ソープ絵画展

マッケンジー・ソープは生まれながらにしてLD(学習障害)の一つである読字障害に苦しめられてきました。更に実家は労働者階級で貧しく、テレビも買えないような家で、クラスメートとは話が合わず、孤独な少年時代を過ごしました。

今でこそ読字障害は認知度が高く、トム・クルーズやウーピー・ゴールドバーグ、最近ではスティーヴン・スピルバーグも読字障害であることを告白していますが、マッケンジー・ソープが少年だった頃には読字障害は知られておらず、ただの勉強の出来ない子として、マッケンジー少年は教師から「あなたは将来、何をやっても成功出来ません」と最後通牒を突きつけられました。それでもマッケンジー少年は自分に画の才能があることを発見し、得意な分野で成功を収めました。

少年時代の影響もあるのでしょう。マッケンジー・ソープの画は一見すると絵本に出てくるような愛らしいもので、原色も多く華やかで、それこそ希望、愛、喜びを伝えていますが、よく見ると孤独感や、生きることの困難さが滲み出ています(それでも同時に救いもあります)。

日本ではまだ知名度は低いですが、海外では評価の高い画家、マッケンジー・ソープ。見て損はしない画ばかりです。

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2013年7月 1日 (月)

観劇感想精選(96) 井上芳雄 朗読活劇レチタ・カルド「沖田総司」

2013年6月1日 京都市左京区の浄土宗大本山・金戒光明寺野外特設ステージにて観劇

午後6時より、浄土宗大本山金戒光明寺で、井上芳雄とスパニッシュ・コネクションによる朗読活劇レチタ・カルド「沖田総司(おきた・そうじ)」を観る。レチタ・カルドは普通の朗読劇に留まらず、音楽とのコラボレーションや今回の場合なら殺陣など、動きの要素も加えた新ジャンルの舞台とのこと。京都では先に大沢たかおが醍醐寺で行っている。結局、観には行けなかったが、新妻聖子も上野不忍池公演野外ステージで「ジャンヌ・ダルク」の公演を行っており、基本的に野外でのステージが多いようだ。今回も野外でのステージ。金戒光明寺御影堂(みえいどう)の階段下がステージになっている。
梅雨時の野外公演ということで、降雨の心配があったが、「俺は晴れ男だから少なくとも大降りにはならんだろう」と気楽に待つ。会場入り口ではプチレインコートが比較的良心的な価格で売られていたが、購入はしなかった。上演時間は15分の休憩を含んで二時間ほどだったが、最初の20分ほど雨具も不要なほどの小雨がぱらついただけで、公演は無事に終わった。

公演の行われた金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は幕末の京都守護職・松平容保公率いる会津藩が本陣を置いた場所として知られ、地元では「黒谷さん」の愛称で親しまれている(「黒谷」は法然上人が比叡山時代に住まわれた場所で、現在の金戒光明寺は法然上人が下山して最初に草庵を結ばれた場所として特別に「黒谷」を名乗ることを許されている)。浄土宗を信仰していた徳川家康の計略により、東海道を挟んで南にある同じ浄土宗の知恩院とともに城郭設計がなされており、戦時には籠城して迎え撃つことが可能な縄張りとなっている。ただ、会津藩の世話係をしていた一人に任侠の会津小鉄こと上坂仙吉がおり、小鉄の墓もこの寺にあるため、快く思わない人もいると聞く。

なお、松平容保公や会津の重臣が主に使っていた御影堂と大方丈、奥の間は昭和に入ってから火災で焼けてしまい、御影堂と大方丈は再建されるが、再建工事中に日本がアメリカとの戦争に突入してしまったため、物資不足で御影堂の屋根を支えるための強度が足りず、鉄柱を立てることで屋根を支えるという苦心の仕掛けになっている。奥の間であるが、松平容保公が過ごされた空間は資金不足のため再建されなかった。

今回の主人公、沖田総司が会津藩お預かりである新選組の副長助勤筆頭(新選組は何度か編成を変えているが、沖田は不動の一番隊組長)であることから、沖田総司の朗読劇を演じる場所として金戒光明寺は最適の場所であると言える。

アコースティックギター、ヴァイオリン、タブラ(打楽器)からなるスパニッシュ・コネクションの演奏によって上演開始。マイクを使っての上演である。金戒光明寺御影堂から井上芳雄が下りてきて殺陣を披露し、その後、倒れる。舞台は池田屋、沖田喀血の場面である(新選組二番隊組長だった永倉新八によると沖田が池田屋の二階で「持病により」倒れたことは事実であるが、喀血はどこの史料を探しても出てこないフィクションである。沖田の持病がなんであったのかは今もなお不明である。しかし喀血のフィクションによって沖田が一躍「悲劇の天才剣士」として新選組で一二を争う人気隊士になったのだからフィクションの力は侮れない)。
沖田は滝の幻想を見る。この世は峻厳な滝のようなものであると。ここから井上芳雄はテキストを手にして朗読を開始する。沖田総司は著名な人物であるにも関わらず、正体がよく分からない歴史上の人物の一人。一時期は美男剣士の代名詞のように扱われたこともあるが、沖田が美男であったということを記したものは存在しない。「色黒で、ヒラメ顔であった」とされるが、ヒラメ顔がどんな顔なのかもわかっていない。沖田総司の肖像画とされている画があるが、あれは沖田総司の親類の肖像で、沖田本人に似ていたのか定かでない。活躍したのも芹沢鴨暗殺、池田屋事件と山南敬助(今回は「やまなみ・けいすけ」と呼ばれる。ちなみに山南敬助のファンクラブ「山南会」は「さんなんかい」と読み、「さんなん・けいすけ」が正しいとしている)の介錯を務めたということぐらい。なお、山南脱走はフィクションの可能性が指摘されている。
と、いうことで、歴史的事実だけで物語を作ると「沖田総司」はとても短いものになってしまう。そのため、沖田の恋など、フィクションが存分に盛り込まれている。

白河藩士の子として生まれたが幼くして試衛館に預けられ、やがて19歳の若さで天然理心流免許皆伝となったいきさつが語られる。浪士組に参加し、芹沢鴨と近藤勇を繋ぐ縁を作ったのも沖田であるという風に設定にされ、また、芹沢殺害もとどめを刺したのは沖田という物語になっている。上洛してすぐに押し込みを行った不逞の浪士を斬り殺し、これが人生初の人斬りであり、同じく浪士を斬った土方歳三の袴が汚れているのを指摘し、土方が「返り血だ。当然ではないか」というと、「私は斬ってすぐよけたので袴は汚しませんでした」と答え、「お前はそこまで計算して斬ったのか」と土方を感心させる(最初の人斬りの話も勿論フィクションである)。

そして、舞台は再び池田屋へ。斎藤一が古道具に凝っているという話をし、河原町の古道具屋で沖田と共に買い物をした。そして壬生の屯所に帰ると近藤と土方が河原町にある古道具屋、枡屋(これは作者の勘違いで、枡屋があったのは四条小橋で、河原町側ではなく木屋町側である)の主の正体が古高俊太郎という長州寄りの人間であり、枡屋は長州の連絡場所になっているという。また長州が京都で大規模な陰謀を起こそうとしているという情報を手に入れる。そこで、新選組は古高を拉致し、壬生前川邸の土蔵で古高を逆さづりにして足の裏に五寸釘を刺し、その上に蝋燭を置いて蝋を垂らし拷問する。山南はむごすぎると思うが、沖田が「京で陰謀を企てているんでしょ。どんな手を使ってでも吐かせなきゃ」と平然としているのを見て、沖田が単なる明るい青年ではないことを知ることになる。

そして池田屋事件。沖田を含む近藤組5人は池田屋へ、土方組20余名は丹虎へと向かう(ここも作者の勘違い。池田屋と丹虎は目と鼻の先である。土方隊が向かったのは鴨川を挟んで東の縄手通にある勤王派の巣窟、小川亭であったと思われる。作者が誰かは書かれていないが、京都の地理に詳しくない人だということはわかる)沖田は真っ先に階段を駆け上がり、浪士を斬る。しかし戦っている間に喀血し、戦線離脱。

翌朝目覚めた沖田は土方に労咳であることを見抜かれる。労咳は当時不治の病であった。なぜ労咳になったのかと己の運命を呪う沖田。土方は沖田を慰めるためか、手に入れた名刀・菊一文字を沖田に与える(沖田の帯刀が菊一文字というのはよく知られているがフィクションとされる。菊一文字こと則宗は国宝級であり、新選組の隊士クラスが用いることは不可能と思われる。また鎌倉時代の太刀なので幕末の実戦に使えるとは思えない。実際に沖田が使った記録があるのは加州清光と大和守安定である)。

医者に向かう途中、沖田は「こりん」という少女に出会い、名医を紹介して貰う(こりんは架空の人物であるが、こりんと聞くと小倉優子を思い出してしまうので違う名前にして貰いたかった)。そしてその医者の娘である「たまき」とも親しくなる(たまきも架空の女性である)。

禁門の変が起こり、京都は焼け野原と化す。火は壬生までは届かなかったが西は堀川、南は四条までが焼けた(沖田総司は禁門の変に参加していたが戦功を挙げていないということもあって、詳細は不明である)。

新選組に伊東甲子太郎が入隊。北辰一刀流免許皆伝で古学を始めとしたあらゆる学問に通じた伊東を慕う隊士も増え始める。その中に試衛館時代から沖田と苦楽を共にした藤堂平助もいた。

そんな折り、山南敬助が隊を脱走する。局中法度には「隊を脱するを許さず」とあり、沖田は土方から山南を探し出すよう命令される。大津の宿に腰を落ち着けた沖田は、階段の上から「沖田君じゃないか」と呼ぶ声がするのを聞く。声の主は山南であった。炬燵を挟んで酒を飲み交わす沖田と山南。沖田は山南に逃げて貰い、取り逃した責めを自分が負うというが、山南は屯所に帰って切腹するので、沖田に介錯をしてくれるよう頼む。かくて山南は壬生の前川邸で切腹し、介錯を沖田が務める。

山南の介錯を終えた翌日、医者の庭先でぼんやりしていた沖田は、たまきに後ろから肩を叩かれる。「私が浪士だったら沖田様の命はなくってよ」言うたまき。二人は恋に落ちる予感を覚えた。

屯所に帰った沖田は、近藤や土方と共に島原に遊びに出かける。島原の座敷から出たところで、「あら、沖田様」という声を聞く。こりんであった。こりんは島原で遊女の見習いをしていたのだった。こりんは私が大きくなったら沖田様に水揚げして貰いたいといい、沖田もその気になる。しかし時局は二人の再会を許さなかった。

そして、幕府典医で新選組の主治医でもある松本良順を通して、たまきが嫁に行くという話も聞く。相手は医者だという。医者と医者の娘、釣り合いが取れている。沖田は恋に破れたのであった。

藤堂平助は伊東と行動を共にし、新選組を抜けて、丁度崩御されて間もない孝明天皇の御陵衛士となることに決める。沖田は藤堂を引き留めようとする(ここでも台本に変な部分がある。本当は沖田は藤堂と同い年か年上のはずなのに、台本では明らかに藤堂の方が年上になってしまっている。藤堂平助が斎藤一と共に新選組結成当時の最年少であったことは定説である)が、藤堂は沖田の話を聞き入れない。藤堂は七条油小路で伊東とともに死体となって発見された。

ここからはフィクションが続く。沖田は伏見の戦いに参加し、一番隊は沖田を除いて全滅する(実際は、沖田は伏見の戦いには参加せず、大坂城で療養生活を送っていた。労咳を病んだのはこの直前だと思われる)。江戸に帰った沖田は、植木屋で療養生活を送る。療養先には姉のおみつや洋装した土方が訪ねてきた(土方が訪ねたのは事実であるかどうか不明。近藤は訪ねたという言い伝えがある)部屋では鳥を飼っていたが、ある日、鳥が大騒ぎする。沖田が庭先に出てみると黒猫が鳥かごを狙っているのが分かる。沖田は菊一文字の刀を手にし、猫を斬ろうとするが果たせず、そのまま昏倒。目覚めた沖田は最後に「鳥かごから鳥を放って欲しい」と言い、鳥の羽音を聞いて息絶える。あの世に向かう沖田の前に滝がある。滝をくぐると、その先はあの世だった。

井上は「沖田総司房良(かねよし)、享年25歳」と言って御影堂の内部へと去り、朗読活劇は終わる。

井上は朗読途中にステージから歩み出て、石畳の上を歩きながら朗読したり、二幕の頭は観客の後ろから飛び出して見せたりと朗読劇に飽きないように工夫がなされていた。

 

演劇の中でも、朗読劇、一人芝居などはいわゆる「演劇」と区別して考えなければならない。基本的に朗読劇や一人芝居というのは対話がないため、筋を追いにくく、観客に集中力を強く求めることになる。それでいて、対話がないため単調で面白くなることはほとんどない。私自身、朗読劇の演出と執筆を行っているが、面白くしようというよりメッセージ性を強く込めることに意を注いだ。ちなみにこれまで朗読劇や一人芝居を多く観劇しているが、本当に面白いと感じたのは加藤健一の「審判」だけである。それも内容の異様さに惹かれた部分が大きい。別役実や三谷幸喜の作による一人芝居も「ああ、やっぱり一人芝居ね」という感想で終わってしまった。
そのため、普通の演劇と区別して感想を述べなければならないが、本は正直言って平凡、ただ井上芳雄は人を惹き付けるだけの力があり、井上芳雄の実力を知る上では良い朗読劇であったと思う。ちなみに井上芳雄はミュージカルの若手トップスターで女性に人気があり、沖田総司も女性に人気のある新選組隊士である。ということで、観客の99%以上が女性という異常に偏りのある客層の中での観劇となった。新選組好きの男も多いはずなのだが、もう少し男も劇に興味を持つようにしてくれるとありがたい。

終演後、井上は、「表に出た途端、客席がレインコートだらけで、今日は駄目か、と思いましたが、皆さんの日頃の行いが良いのか僕の行いが良いのか(笑)雨も止みました。僕は言っても、屋根がありますから、お客さんは濡れて申し訳ないと思いました。僕も出たときに少し濡れましたが。でも考えようによっては雨が降っていたことで印象に残る、普通の劇場で雨は降りませんから、降ったらそれは雨漏りなんで、印象に残る舞台になったのではないかと思います」とユーモアを交えながら公演を締めた。

実際、雨がやんだのは井上がステージから下りて石畳を歩き出した直後だったので、本当の晴れ男は私ではなく井上だったのかも知れない。

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