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2013年8月の10件の記事

2013年8月30日 (金)

観劇感想精選(98) 加藤健一事務所 音楽劇「詩人の恋」2011京都公演

2011年11月5日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、加藤健一事務所の音楽劇「詩人の恋」を観る。加藤健一と畠中洋による二人芝居である。作:ジョン・マランス、テキスト日本語訳:小田島恒志、歌詞日本語訳:岩谷時子、演出:久世龍之介。
「詩人の恋」は加藤健一事務所の代表作の一つで、数々の賞に輝いている。NHK教育テレビ(Eテレ)で放送されたこともあり、私も観ているが、まがう事なき傑作であった。「詩人の恋」は何度も上演されているが、京都では京都会館での京都労演のための上演しか行われていないはずである。それが今回は京都公演があると知り、欣喜雀躍した。欣喜雀躍とはこういうことをいうのかと思った。

舞台はオーストリアの首都で音楽の都ことウィーンである。かつて神童と謳われたアメリカ人ピアニスト、スティーブン(ドイツ語読みだとステファン。畠中洋)は深刻な芸術的危機状態にある。もう1年以上もの間、満足のいくピアノが弾けず、リサイタルを開いていないのだ。そこで、スティーブンはドイツのミュンヘンにいるシラー教授に教えを乞おうとしたのだが、シラー教授はウィーンのマシュカン教授(加藤健一)に教わるようスティーブンに告げたようで、スティーブンはマシュカン教授のもとを訪れる。マシュカン教授は優れたボイストレーナーだが、盛りは過ぎており、ピアノもミスタッチが多い。

ピアノを教わるものだと思っていたスティーブンだが、マシュカン教授はスティーブンにロベルト・シューマンの連作歌曲「詩人の恋」を歌うようにいう。なぜ歌わなければならないのかと反発するスティーブン。マシュカン教授のピアノが上手くないので自分でスラスラ弾いて見せたりする。スティーブンは、「ウラディミール・ホロヴィッツ」、「アルフレッド・ブレンデル」、「グレン・グールド」といった名ピアニストの真似まで披露。グレン・グールドに関してはノンペダルで、鼻歌までコピーするという念の入れようである。しかし、肝心のスティーブンの本人のピアノは…、というのが鍵である。

スティーブンは実はユダヤ人であるが、他の人には自分はWASPだと言うことにしているらしい。しかし、マシュカン教授には事実を打ち明ける。「ユダヤ人が悲劇的な歴史を持っているからといってそれがどうした。ドイツもオーストリアも歴史上、何度も侵略されている。だから本当の痛みや悲しみがわかる。イギリスはそうではない。侵略された歴史がないから。だからイギリスからは優れた作曲家は生まれない。日本という国も同様だそうだ(日本に関しては明らかに加藤健一事務所の上演のために付け加えられたものである)」というマシュカン教授。「アメリカには侵略の歴史はありませんね」というスティーブンだが、「アメリカには人種差別がある」というマシュカン教授の言葉にハッとして、自分が差別されるユダヤ人であることを告げたのだ。ユダヤ人は経済ではアメリカを牛耳っているが、政治の世界では今なお閉め出されている。アメリカの歴代大統領でWASPでないのはジョン・フィッツジェラルド・ケネディとバラク・フセイン・オバマの二人だけである。ハリウッドでもかつては差別があり、ユダヤ人俳優はWASP風の芸名を用いるのが普通であった。ユダヤ人にも優れた音楽家はいるというスティーブン。ウラディミール・ホロヴィッツやレナード・バーンスタインの名前を挙げるが、マシュカン教授は彼らは偉大ではないと否定する。それでも「マーラーはどうですか」とスティーブンは食い下がる。

マシュカン教授にウィーン国立歌劇場で「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」のオペラ二本立てをやっているので観に行くように薦められるスティーブン。最初は観に行ったと嘘をついたのだが、本当に観に行くとすっかりとりこになってしまったようで、「道化師」の有名ナンバー“衣装を纏え”を歌いながらマシュカン教授の部屋を訪れ、ピアノで“衣装を纏え”を弾くなど上機嫌である(作者は“衣装を纏え”を敢えて選んでいると思われる)。ウィーン国立歌劇場が昔ながらのままの姿を留めていることに感心するスティーブンであったが、マシュカン教授はウィーン国立歌劇場は戦災で焼け落ちており、現在のものは1955年に往年の形そのままに再現されたものだと告げる。ウィーンの人間にはそうしたところがあるのだという。

最初は「詩人の恋」を歌うことに抵抗を示したスティーブンだが、「詩人の恋」の詩と曲に含まれたメッセージ(詩はユダヤ人のハインリヒ・ハイネによるもの)にマシュカン教授の助言を得て徐々に開眼していく。

だが、シラー教授のもとを訪ねるために、ミュンヘンに行った際、近くにあるダッハウ強制収容所跡を訪ねたスティーブンはこれまでドイツ語圏の美点だと思ってたことが実はそうではないことに気付く。ダッハウ強制収容所跡はミュンヘンから電車で約20分の距離にあった。スティーブンはまさか大都会であるミュンヘンのすぐ近くに強制収容所あるとは想像しておらず、しかも、ダッハウ強制収容所跡が綺麗に整備され、案内もドイツ語のみで、外国人には読めないようになっており、本当に悲惨なことが行われていた場所には入ることが出来ず、おまけにダッハウ強制収容所跡から出るときに「バイエルン地方の自然をお楽しみ下さい」というパンフレットを受け取って、それにはドイツ語だけでなく英語なども記されていたことを告げる。あなた方ドイツ語圏の人間は表面を取り繕っているだけだとマシュカン教授を批難するスティーブン。しかし、マシュカン教授は自分の左手をスティーブンに見せた。そこにはアウシュビッツ強制収容所に送られたものだけが刻まれた入れ墨があった。マシュカン教授もまたユダヤ人であり、ユダヤ人が悲劇的に振る舞うのをよしとせずに、誰かがユダヤ人の悲劇を語ろうとすると、それを敢えて否定していたのだ。ユダヤ人の悲劇は刺激が強すぎるからである…

音楽論として、芸術論として、歴史論として、あらゆる角度から見ても完成度が高いという傑作中の傑作である。加藤健一も畠中洋も子供の頃からピアノを習っていたわけではないが、この劇のために特訓してピアノが弾けるようになっている。実は私もピアノを独学でやっており、プロになるなら話は別だが、ピアノを弾くこと自体はそれほど難しいわけではないということはわかっている。それでもステージ上で披露して恥ずかしくないだけのものに腕を上げた俳優にはまず敬意を表するべきである。そして演技はもう達者を通り越して、演技を演技と感じさせない領域にまで達している。更に声楽も専門家の指導を受けて、10年以上も訓練しているということで、我々はプロ中のプロの技に出会うことになる。

スコアや詩の隠された意味を説き明かす過程はスリリングであり、ラストの歌の途方もなく大きなメッセージ、そしてそれに続くピアノ独奏の意味などが明かされていく場面には心から感心してしまう。ちゃんとした音楽と文学の両方の素養がないと書けない類の本であり、役者も演出もきちんとわかっていないと上演不可能な作品である。

これほど偉大な劇作品にはそうそう出会えるものではない。

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2013年8月27日 (火)

コンサートの記(99) ロベルト・ベンツィ指揮 京都市交響楽団第553回定期演奏会

2012年1月20日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第553回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランス人のロベルト・ベンツィ。

ロベルトというファーストネームからわかる通り、イタリア系であるが、1937年、フランスのマルセイユの生まれ。10歳の時にベルギー人でパリを拠点に活動していた名指揮者のアンドレ・クリュイタンスに指揮を学び、11歳で指揮者デビュー。神童として騒がれ、自身が主演した『栄光への序曲』という映画が制作、上映されたこともある指揮者である。その後は、「二十歳過ぎればなんとやら」で平凡な指揮者になったと言われているが、私が持っているロベルト・ベンツィ指揮の2枚のCDはいずれも優れた出来で、なかなかの名指揮者であることは確認済みである。

なお、ベンツィより1歳年上で、ヴィオラを専攻していたスイス人の少年が、映画『栄光への序曲』を観て、「僕も指揮者になる」と決意。実際に指揮者になっている。シャルル・デュトワという人である。こういう繋がりを知ると結構面白い。

オール・フランスもののプログラム。

ラロの歌劇「イスの王様」序曲、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:リーズ・ドゥ・ラ・サール)、ドビュッシー作曲でビュッセルのオーケストレーションによる「小組曲」、ドビュッシーの交響詩「海」。

今日のコンサートマスターは泉原隆志(いずはら・たかし)である。

プレトークで、ベンツィは、「広上淳一氏の招きで京都市交響楽団を指揮することが出来て、大変光栄に思う」、「昼間、葛飾北斎展を観てきたのだがとても感動した」、「ドイツのオーケストラはフランスものをやると上手くいかない場合があるが、京都市交響楽団の楽団員は日本人の美点であると思うがフランスものをとてもよく理解してくれて嬉しい」といったようなことを語る。

そのベンツィの指揮。長く、太めの指揮棒を用いて、拍を刻むのではなく音型を示すというタイプのものである。見ていて意図がわかりやすい。

歌劇「イスの王様」序曲。ベンツィは思ったよりも渋い音色で開始したが、その後、音は明るさを増す。繊細なクラリネットソロ、煌びやかな金管、音の組み立て方の巧みさなどが印象的である。
京都コンサートホールは、一部の席を除いて音響は今一つであるが、その故、指揮者のオーケストラを鳴らす術の巧拙が明らかになりやすい。ベンツィは京響を鳴らし、京都コンサートホールそのものを楽器とすることに成功していた。やはり優れた指揮者である。

サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。ソリストのリーズ・ドゥ・ラ・サールは、ロシア系フランス人の若手女性ピアニスト。まだ23歳である。「シェルブールの雨傘」で知られるシェルブールの生まれ。9歳でコンサートデビューしたという神童系ピアニスト。スペルから、リーズがファーストネーム。ドゥ・ラがミドルネーム、サールがファミリーネームだと思われるのだが、ラサール石井の芸名の由来となったラ・サール学園の語源は、フランス人の宗教家、ジャン=バティスト・ドゥ・ラ・サールであり、同姓の可能性もある。

どこまでがファミリーネームなのかわからないので、ファーストネームのリーズで書くが、リーズはいかにもフランスの美少女という容姿の持ち主であるが、ピアノは愛らしいというよりも「厳格」と言った方が相応しい。第1楽章では、放たれる音の一つ一つが峻険な崖となってそそり立つ絵が浮かぶかのようである。エスプリ・クルトワの感じられる第2楽章は、パリの街を闊歩するサン=サーンスの浮き浮きした気分が感じられるような洒落た演奏。第3楽章の演奏は、例えるなら、女優でモナコ王妃となったグレース・ケリーの演技をアルフレッド・ヒッチコックが称した「雪を頂く活火山」といった趣。情熱的でありながらクールという独特のピアノである。
ベンツィ指揮の京響も見事な伴奏を披露する。

リーズはアンコールで、ドビュッシーの前奏曲より「雪の上の足跡(雪の上の歩み)」を演奏。この曲は技巧的には比較的簡単で、私も弾いたことのある曲であるが、そのため却って味わい深さを出すのは難しい。リーズは冒頭は孤独感を鮮明にし、音色は独特の輝きに彩られていたが、途中で、活火山的性格が出て、「これでは雪が溶けてしまう」と思われる部分があり、そこは残念であった。

後半の「小組曲」。チャーミングな演奏である。弦も管も洗練されていて、楽しい時間が過ぎていく。

メインの交響詩「海」。
優れた演奏であったが、ベンツィの指揮は部分的にスケール不足のところがあり、京響の音色も、もっと輝きが欲しいと思われる場面があった。
デュトワやミッシェル・プラッソンの指揮、また実演で接したケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団などと比べると詰めが甘いところはある。ただ、それらと比較しなければ十分な水準に達しているとも言える。

フランスものしか聴いていないが、この分野に関するなら、ベンツィはもっと評価されてもいい指揮者の一人だと感じた。

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2013年8月21日 (水)

ベット・ミドラー 「The Rose」

YouTubeにあった、ベット・ミドラーの歌う「The Rose」の英語歌詞と日本語訳詞の映像です。「The Rose」は不吉な年齢といわれる27歳で早世したジャニス・ジョプリンの人生をモデルにした同名映画(主演はベット・ミドラー)の主題歌です。

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2013年8月15日 (木)

1945年(昭和20)8月15日正午 玉音放送(大東亜戦争終結ノ詔書)

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

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2013年8月13日 (火)

これまでに観た映画より(54) 「俺はまだ本気出してないだけ」

2013年6月30日 MOVIX京都にて鑑賞

新京極にあるMOVIX京都で映画を観ていくことにする。時間と内容から選んだのは日本映画「俺はまだ本気出してないだけ」。堤真一主演によるコメディーである。青野春秋の漫画が原作。脚本&監督は劇作家&演出家でもある「コドモ警察」の福田雄一。出演:堤真一、橋本愛、生瀬勝久、山田孝之、濱田岳、水野美紀、賀来賢人、指原莉乃(HKT48)、ムロツヨシ、池田成志、村松利史、蛭子能収、佐藤二朗、石橋蓮司ほか。音楽:ゴンチチ。主題歌はSCANDALの「会わないつもりの、元気でね」。なかなか豪華な顔ぶれである。

42歳、バツイチの冴えない中年男、大黒シズオ(堤真一)。父親の志郎(石橋蓮司)、娘の鈴子(橋本愛)と団地で三人暮らしだが、突然、サラリーマンを辞めてしまう。だからといって特に他にやりたいことがあるわけではなく、1月以上も朝からサッカーのテレビゲームで遊ぶというような自堕落な生活を送っている。だが、ある日、書店で立ち読みをしている時に自分が本当になりたいものが見つかった。それは漫画家であった。シズオは昼はファーストフード店で働き、夜には漫画を書くという生活を始める。

漫画が原作ということもあるが、極端なクローズアップを使ったり、登場人物の上に年齢を示す数字を入れたりと、漫画のコマを意識しているようなカット作りが印象的。敢えてやっているのだろうし、それは成功していると思う。

山田孝之や橋本愛といった若手は抑えた演技で勝負する。
喧嘩は強いが、ニヒルで日々をただボンヤリ過ごしている市野沢修一(いちのさわ・しゅういち)を演じた山田孝之は、「鴨川ホルモー」の時のような好青年から「闇金ウシジマくん」の時のような悪役まで幅広く演じられる器用な俳優であるが、この映画でも見るからに気怠そうな雰囲気を作ることに成功しており、演技力の高さがわかる。

映画「告白」で有名になり、現在、朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で準ヒロインを演じて好評の橋本愛は、余り表情の変化のない内気で真面目な少女を適度に抑制した演技で表現する。

二人の人気若手俳優が抑えた演技をしているだけに、シズオの突飛な性格がよりクッキリと浮かび上がる仕掛けになっている。

シズオの幼なじみであるサラリーマン・宮田を演じた生瀬勝久らも自然体の演技で、物語は比較的淡々と進んで行き、そこもまた漫画を読んでいるような気分に観客を誘う。

「あまちゃん」の能年玲奈と並び、今、最も旬な芸能人ともいうべき指原莉乃は、ちょい役ではあるものの、強烈な印象を残す。指原が飛び抜けた美人でないからこそ出来る演出法である。

最も旬な芸能人ということもあり、上映終了後、女性の観客陣が皆、「指原、指原」と口にしているのが印象的だった。

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2013年8月12日 (月)

観劇感想精選(97) ヴィレッジ・プロデュース2013「断色~danjiki~」

2013年6月26日 東京・青山の青山円形劇場にて観劇

午後6時30分から、青山円形劇場で、ヴィレッジ・プロデュース2013「断色~danjiki~」を観る。作:青木豪、演出:いのうえひでのり。堤真一、麻生久美子、田中哲司という実力派俳優3人による芝居である。

演出の、いのうえひでのりは、劇団☆新感線の演出家として、激しいアクションや殺陣、外連味などを発揮し、「いのうえ歌舞伎」とも呼ばれる独自の演劇世界を築いていることで知られる。ただ、青山円形劇場は小規模なホールである。名前の通り、ホールもステージも円形であり、花道というか通路というか、とにかく役者が通る道がある他は、ステージの周りを360°近く客席が囲むというコロシアムスタイル。しかも小規模なのでどの席からも役者が間近に見える。

小さなステージで、いのうえがどういう演出を仕掛けてくるのか興味を覚える。


近未来が舞台。登場人物の名前はみな日本人であるが、この国は南北で分断されており、北は壊滅状態にあるという。小杉保(堤真一)は北で生まれたが、大学で科学を学び、製薬会社に就職するも疑問を抱いて退職。今は南でビニールハウスの苺農園を経営している。すでに遺伝子組み換え農産物は当たり前のものとなっている。保は色盲であり、色を正確に見分けることが出来ない。自分で育てた苺も赤いのかわからないため、保険会社に勤める刈谷基(田中哲司)に苺が赤いか聞いている。白くなってしまった苺もあるが、グラデーションぐらいは保も識別出来、駄目になってしまった苺もあることを嘆いている。刈谷が保の下を訪れたのは、保の母親である朝子(麻生久美子)が亡くなったので、生前に彼女が入っていたクローン保険をどうするかを聞くためである。クローン保険とは自らのクローンを作ることで、病気になった部分の移植手術を健康なクローンのものと入れ替えることが出来るというものである。朝子は32歳の時にクローン保険に入り、これまでに乳がんで右胸を、そして腎臓炎で腎臓の片方をクローンと入れ替えていた。朝子は享年77歳。クローン保険に入ってから35年が経ったことになる。離れて暮らしていたため、朝子が死んだと聞いても特に悲しまない保。刈谷は朝子のクローンを処分してもいいかと保に聞く。刈谷によるとクローンはクローン保険に入った時の年齢のまま保存されているが、保険適応者が死ぬと外に出して活動させるか処分するかを選ぶことになるという。外に出して活動させれば年は取り、平均寿命は50歳。言葉は喋れて、食事と便の処理は出来るが、表情はなく、掃除、洗濯、片付け、炊事などという家事は一切出来ない。クローンをクリーンとして生かし続けることも出来るが、それには生きていくための教育を施さなくてはならない。保は処分することに決める。

ここで、一気に35年前にタイムスリップし、生前の朝子が舞台に現れる。保に優しく話しかける朝子。保も「母ちゃん」と親しげに呼ぶ。しかし、朝子は癌を患っていた。抗がん剤の影響で髪が抜け、悲鳴を上げる朝子。ショックの余り舞台袖にはけてグレーの幕から顔だけ覗かせて嘆く朝子。保は「抗がん剤の影響だから仕方ない」と冷たい返事。それを不満に思った朝子は、保に詰め寄るが、今度は左手がもげてしまう(顔だけ覗かせている間に義手と入れ替えたのである)。悲鳴を上げ、もうこんな状態では生きていけないので、自分を殺して欲しいと保に迫る朝子。保は嫌がって逃げ出すが、朝子は「殺せ! 殺せ!」と追い掛ける(ここでの朝子を演じる麻生久美子の演技には鬼気迫るものがある)。暗転。場所は保険会社の一室。保は刈谷にクローンを処分するのはやめたと伝える。35年前にタイムスリップしたと思っていたものは実は保の夢の中で起こったことだったのだ。

保は「自分ははっきり言っていい男だ」とうぬぼれ発言をする。だが、いい男過ぎてもてないともいう。そして性格にも問題があるという。童貞を捨てたのは30年前だが、その相手が今どこで何をしているかを知っているとのことである。結婚の報告の葉書に書いてあった住所に行って、初体験の相手を監視し、郵便物をチェックし続けていたという。「それはもう犯罪ですよ」と呆れる刈谷。保は「ついに彼女の200m以内に立ち入るのを禁じるという判決を受けた。今度、それを侵せば立派な犯罪者だ」となぜか得意げに言う。

朝子のクローン(麻生久美子。二役)が現れる。無表情だが、訓練を受けて、表情や身の回りのことは全て出来るよう覚えたという。様々な表情をして見せる朝子のクローン。刈谷はクローンに名前をつけるよう保に言う。クローンの現在の名前はアルファベットと数字の組み合わせである。それでは呼ぶのに面倒くさいので名前をつけることにしたが、保は良い名前が思い浮かばない。刈谷は「お母さんの名前、朝子ですよね。なら夕子というのはどうでしょう。朝と夕」と提案する。保は単純すぎると思うが、他に名前も思い浮かばないので朝子のクローンは夕子と名付けられる。夕子と二人きりになった保であるが、母親そのままの夕子にどう接したらいいのかわからない。取り敢えず、赤いお酒を夕子に飲ませることにする。夕子は「アルコールを飲んだことはないのですがどうしますか」と聞くが保は呑ませる。夕子に味を聞くと「赤い味がします」と素っ気ない答え。保は色盲ということもあり、「赤い味か。俺にはわからないね」という。夕子の横に座り、酒を呑むが、夕子が突然、「セックスは好きですか?」と聞いてきたので噴き出してしまう。夕子はその後も少なくともテレビのゴールデンタイムでは放送出来ないような性行為の話を延々とする。その時の顔は最初の無表情が嘘のように生き生きとしている。保は「なんでそんなにセックスの話ばかりするの?」と聞くと、「施設では女の子みんなでセックスの話をするの」だという。ただクローンはセックスしても感じないという。ちなみに施設には男はいないとのことだ。

保は多額の借金を抱えていることを打ち明ける。借金取りが引っ切りなしに押しかけてきて督促するという。そこで、保や夕子に借金取りが来たら、セックスして帰らせるのはどうかと提案してみる。そうすれば借金取りも満足して帰るだろうと。何も感じないならいいじゃないかと。そして自分が製薬会社に勤めていたこと、林檎の交配のことなどを話す。おしべとめしべがくっついて、遺伝子結合が起こる。世の中のものは全て遺伝子がコピーする。ただその過程で劣化が起きることもある。それは兄弟でも性格が違うようなものだ。でもそうやってその中から強い遺伝子が生き残るようになっていると。

暗転。保険会社社内。保は刈谷に責められている。夕子が淋病に感染したのだ。淋病は二十日で治るからいいが、どうして淋病になったのかと保に詰め寄る刈谷。保は夕子が借金取りに対してあらゆる性行為を行ったことを打ち明ける。遠くで夕子の悲鳴が聞こえる。ほどなくして夕子が現れる。沢山の男が家に押しかけてきたという。借金取りが「なんでもやらせてくれる女がいる」とWeb上に書き込みをしたらしい。住所入りで。それを見て性欲に飢えた男達が大勢で押しかけたのだという。なんとか追い返しはしたが、いつまた襲ってくるかわからないとのこと。保は「逃げよう」と提案し、荷物をまとめるために一人で去る。

保が去るや、刈谷は夕子への態度を一変させる。「売女!」と呼び、部屋に盗聴器をしかけておいたので、夕子が保を思い浮かべながら自慰にふけっていることも知っているという。刈谷は夕子の首を絞めながら罵ったり、ズボンを下ろし、自分の一物の握らせることを要求する。刈谷は自分の過去を語る。自分は北の出身だが、北は今、悲惨な状態だという。人々には生殖する能力がなく、自分はラストチルドレンと呼ばれた世代だと。

保の声がしたので、刈谷は慌ててズボンを履く。保が帰ってくる。バスケットを抱えて。バスケットの中にはスケッチブックがあり、そこには夕子が書いた保の似顔絵が描かれていた(劇場の壁面に映像でスケッチブックに描かれたのと同じ画が浮かぶ)。非常に上手い絵だが、夕子は感情をよく覚えるために絵を描いてみたのだという。刈谷が去った後で、保は子供の頃に画いた絵の思い出話を夕子にする。保は絵は上手かったが、色盲だったため、唇を緑に塗ってしまい(先程と同様に、劇場の壁面に画が浮かぶ)、周りから、「わー、気持ち悪い。お前の母ちゃん、唇、緑」と囃し立てられたという辛い思い出だった。

保は去り、夕子は一人残されるが、物思いにふけっているうちに気を失ったように倒れてしまう。

暗転。

ステージ上には林檎が一つ。保は刈谷に林檎が赤いが聞いてみる。刈谷は「赤い」と答える。しかし、他の林檎は全部腐っているのに一つの林檎だけが赤い。その林檎はクローン林檎なのだ。夕子がやって来たので、林檎を食べてみるかどうか聞く保。刈谷は「クローン林檎なので危ない」というが、「取り敢えず、三人で分けてみようね。包丁取ってくる」と言って夕子は去る。保は刈谷に「昨日、夕子とやってたでしょう?」と聞く。驚く刈谷。

保は「昨夜(ゆうべ)、上でギシギシ言ってたし、刈谷さんが寝てるはずの車の中は空だったし」という。

刈谷は認めるが、保は「やっぱりそうなんだ。鎌かけてみただけなのに」と言う。刈谷は夕子のことをなじり始める。「あれは上手い、上手すぎるんだ。あれは風俗嬢だ。いや風俗嬢以上だ。もしくは以下だ」とけなす。

夕子が姿を現すが、二人のやり取りを聞いて、すぐ、脇の客席の後ろに姿を消す。刈谷が去ってから、夕子は何も知らないかのように「保」と笑顔で呼びかける。

保と二人になる夕子。夕子が、突然、「胸揉んでみる?」という。戸惑う保だが、「おいで」といって保が近づくと、夕子は逃げて、「ここまでおいで!」と無邪気な子供のように言い、追いかけっこになる。音楽はミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」から“マイ・フェイバレット・シングス”。最後に夕子と保はダンスまで踊ってしまい、客席の笑いを誘うが、保は「もう! なんなの!」と呆れてしまう。夕子はあたかも朝子の化身のような話をする。思い出話だ。二人で沼に行き、日が沈んだ直後の時間、世界は一色になる(いわゆるマジックアワーというものである)。色盲のお前とでも今の時間帯なら同じ景色が見えると。夢なのか記憶なのか保も観客もわからない中で、保は夕子に問う。「ねえ、母さん。あの時、飯島先生と森の奥に消えたよね。二人で何をしてたの?」。飯島先生。朝子の主治医だった人物だ。そして保は更に語る。「父さんが言ってたんだ。お前は俺の子じゃないって。そうして俺を殴った。どういうことかな、ねえ母さん」。夕子は飯島先生との関係を否定する。

暗転。

ステージ上に林檎が一個。保は刈谷と一緒にいる。刈谷はやはり夕子を処分した方がいいという。

そこに夕子がバスケットと包丁を持って現れる。夕子が包丁を持っていることに驚く保だったが、夕子は「さっき、みんなで食べようって言ったじゃない。だから包丁持ってきたんだ」という。保は戸惑う。やはり先程の出来事は夢だったのか、あるいは記憶だったのか。頭をかかえる保。

突然、夕子が刈谷を包丁で刺す。滅多刺しである。これまで受けてきた屈辱を何倍にもして返すかのように。だが刈谷は死んでいなかった。防護服を身につけていたのだ。刈谷は夕子の首を絞め、殺害する。だが刈谷は殺害ではなく処理だという。クローン保険は大して儲からない、処理したクローンの臓器を売って儲けを出すのだと。刈谷はバスケットを蹴飛ばす。その中からスケッチブックが飛び出す。そこに描かれていたのは子供が画いた絵だ。母親の朝子を子供の頃の保が画いた似顔絵。幼いタッチだが、「唇の色は?」と保は聞く。「赤い」と刈谷は答える。保が自分は本物の保の劣化クローンだと知る。結婚出来ないのは性格に問題があるからではなくクローンだからだったのだ。色盲なのは劣化したからだ。

保がクローンであることを刈谷は知っていた。「クローンのくせに」となじる刈谷。保は怒って包丁を取り上げ、刈谷に斬りかかる。ここからが、いのうえ歌舞伎の本領発揮。斬る、よける、斬る、よけるが繰り返される。その間、保は刈谷に「お前こそクローンみたいなものじゃないか! 北はもう子孫を残せないんだろう!」と吠える。保の持った包丁が刈谷の首に当たる。そのまま引き抜く。頸動脈を切られ、刈谷は血を流して絶命する。

保は、横たわったままだった夕子を抱きかかえる。「母ちゃん、起きてよ。あの時、父さんは僕がクローンだから殴ったんだ。クローンだから俺の子じゃないって。ねえ、母ちゃん、なんで俺のクローンを作ったの? ねえ答えてよ、母ちゃん」。しかし夕子が息を吹き返すことはない。保は「もうこの世にはクローンしかいないのか」という。何の救いもないまま劇は終わる。

結末に疑問を持ったが、劇自体は大変優れたものだった。結末だが、敢えて答えを用意しなかったとみて間違いない。だが、劇が終わってから後の世界の方がより書くに値するものなのではないかという気もする。あそこで止めるのはむしろ簡単で、その先が描くべき事柄なのではないかと。

俳優陣の演技であるが、「素晴らしい」とか「凄い」とか「圧倒された」などと言っている場合ではない。あれだけの俳優にあんな間近であれほどの演技をされたら、観客としてはKO負け以外の選択肢はほとんどない。「もし叶うなら毎日劇場に通い詰めてみたい」。そう思うほどの魔力を感じた。麻生久美子は俳優としてはかなり難しい役を振られた思うが、それだからこそ、彼女の持つ魅力が十二分に発揮されたとも言える。

堤真一の自然体の演技、田中哲司の計算された演技、共にこれ以上何も求める必要はない。

いのうえの演出であるが、やはり包丁を思いっきり振り回すシーンは間近で見ているだけに迫力があった。あの手のシーンはもはや彼の独擅場であると言ってもいいほどだ。JAC出身の堤真一と、日大芸術学部演劇学科出身の田中哲司という、演技力と高い運動能力を兼ね備えた俳優を起用し、また多くの稽古を重ねた賜物であろう。
また三人の俳優以外に防護服を着た複数の俳優にセットや小道具、時には担架で俳優を運ばせるという手法も良い。そしてユーモアのある演出も優れていた。

本も演出も優秀だったが、今回の劇は何よりもまず俳優陣の演技に心臓を握りつぶされたような感じを受けた。呆然としたまま雨の宮益坂を下った。

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2013年8月 9日 (金)

コンサートの記(98) ミラマーレ・オペラ プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」

2013年7月6日 京都芸術劇場春秋座(京都造形芸術大学内)にて

午後5時から、京都芸術劇場春秋座で、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。NPO法人ミラマーレ・オペラによる公演。指揮は関西を中心に主にオペラ指揮者として活動している牧村邦彦(ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団正指揮者)。演出は関西歌劇団の演出家である井原広樹。

ミラマーレ・オペラ プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」

二日間の上演だが、ダブルキャストで、今日と明日とでは出演者が異なる。今日の出演者は、川越塔子(蝶々夫人)、大澤一彰(ピンカートン)、藤山仁志(シャープレス)、相田麻純(スズキ)、浪川佳代(ケイト)、冨田裕貴(ゴロー)、安東玄人(あんどう・げんと。ボンゾ)、松山いくお(神官&ヤマドリ。二役。松山いくおは、NPO法人ミラマーレ・オペラの理事長であり、本公演の公演監督である。松山いくおのみは今日明日の両日共に出演する)。合唱はミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラス。演奏はミラマーレ室内管弦楽団。

ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラスの中で役を振られているのは、橘千香子(母親)、西村薫(従妹)、納谷知佐(叔母)、木幡淳平(ヤクシデ)の4人。他の7人は役なしの出演者である。

ミラマーレ室内管弦楽団は、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンともに三名ずつ(コンサートミストレスは赤松由夏)、ヴィオラ、チェロ、クラリネット、ホルンは二人編成。他のコントラバス、フルート、オーボエ、ファゴット、ハープは各一人ずつである。春秋座の仮設オーケストラピットが小さいため、これでもピットが一杯である。なお、足りない音を補うために、ピアノが加わっている(演奏は殿護弘美。編曲:倉橋日出夫)。

ミラマーレ室内管弦楽団は編成は小さいが、春秋座自体がそれほど大きな劇場ではないため、音量的な問題はない。

ミラマーレ・オペラの公演を聴くのは「ラ・ボエーム」以来、二度目。前回も京都芸術劇場春秋座での公演であった。

イタリア語歌唱、字幕付きでの上演である。

タイトルロールを歌うソプラノの川越塔子は「ラ・ボエーム」でも主役を演じていたが、繊細な演技と歌唱が持ち味。今日も細やかな演技と丁寧な歌唱を披露する。ちなみに川越は東京大学法学部を卒業後、武蔵野音楽大学大学院を修了したという変わり種。学生の頃はプロの歌手を目指していなかったのか、それとも親にソプラノ歌手になることを反対されたが東大法学部を出て黙らせたのか。それはどうでもいいが、歌も演技も良く、高学歴、おまけに美形という、神から何物も与えられたスーパーウーマンである。

ピンカートンを歌う大澤一彰(テノール)は、最近、デビューCDを発表した若手のホープ。安定感のある良く通る声の持ち主だ。

シャープレス役の藤山仁志(バリトン)は立ち振る舞いがダンディーであり、存在感がある。

舞台中央奥に大きめの木が一本。その下手前方にそれよりも小さな木が生えている。舞台上手には石灯籠。非常にシンプルな舞台だが、障子をイメージしたと思われる格子柄の可動式ガラス塀がマジックミラーのような役目を果たし、ある時は透明で、ある時は鏡となり、またある時は半分透明で半分鏡となる。鏡の効果は、第1幕のラストでピンカートンが左右に開いた鏡の後ろに向かい、左右の鏡が閉じて、蝶々夫人一人だけの後ろ姿が映し出される場面で孤独感を増すなど、上手に発揮されている。また、第2幕では半透明の鏡の部分に蝶々夫人が中央の木と向かい合っているように映り、木が蝶々夫人の前に立ちはだかる運命のメタファーのようにも感じられる。また春秋座は歌舞伎も上演する劇場だけに、鏡に劇場2階部分に並ぶ提灯が映り、「和」のテイストを強めていた。

歌舞伎も上演する劇場だけに花道があり(花道は可動式で取り払うことも出来る)、今日も花道を用いての演出。他のオペラ劇場では観られない演出だけに面白かった。

日本が舞台(長崎)である数少ない外国人作曲家によるオペラ「蝶々夫人」。外国人キャストによる上演では、演出家も外国人で、日本に関する知識がどうしても乏しいものになってしまう作品だが、日本人キャストと日本人演出家による演出なので違和感なく観ることが出来た。「さくらさくら」、「お江戸日本橋七つ立ち」、「君が代」、「宮さん、宮さん」などのメロディーを取り入れ、ピンカートンの祖国であるアメリカ合衆国の国歌「星条旗」の旋律も用いられた、悲劇ではあるが楽しいオペラである。

歌劇「蝶々夫人」の実演には、佐渡裕指揮による兵庫県立芸術文化センターでの上演に接しており、そちらはオーケストラもフル編成で、演出も豪華であったが、オペラとしては今日の上演の方により強い感銘を受けた。歌詞日本語訳が今日の上演の方が上手いということも大きいだろう。

終演後、ピンカートンを歌った大澤一彰のサイン入りデビューCD(今年2月のリリース。会場では数量限定発売)を購入。特典として、大澤氏との握手、更に「シチリアーナ」というイタリア製トマトパスタソースを頂いた。

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2013年8月 7日 (水)

コンサートの記(97) 佐村河内守 交響曲第1番《HIROSHIMA》世界初演

2010年8月14日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで佐村河内守(さむらごうち・まもる)の交響曲第1番《HIROSHIMA》の演奏会を聴く。京都市交響楽団の演奏。指揮は秋山和慶。

佐村河内守は被爆二世として生まれ、高校時代から偏頭痛に悩まされるようになり、35歳の時に全聾となった作曲家である。交響曲第1番は完全に耳が聞こえなくなってからの作品。全3楽章の作品で、第1楽章と第3楽章は広島と東京で演奏されているが、第2楽章も含めた全曲演奏は今日が初演である。

交響曲第1番は深い祈りと激しい怒りを湛えた作品であった。第1楽章で黛俊郎の「舞楽」に似た旋律が登場するなど、日本的な趣にも溢れている。

演奏終了後、作曲者の佐村河内守がステージ上に呼ばれ、喝采を浴びる。更に演奏会実現に協力した、広島市長の秋葉忠利氏、京都市長の門川大作氏、ノーベル賞受賞者の益川敏英氏が拍手を受けた。

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2013年8月 6日 (火)

クシシュトフ・ペンデレツキ 「広島の犠牲者に捧げる哀歌」

ポーランドの作曲家、クシシュトフ・ペンデレツキの代表作の一つ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」です。

アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団の演奏でお聴き下さい。

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2013年8月 5日 (月)

コンサートの記(96) 柴田淳「JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2013 月夜PARTY VOL.4」大阪公演

2013年7月15日 大阪のオリックス劇場にて

午後6時から、大阪・新町にあるオリックス劇場で、柴田淳の「CONCERT TOUR 2013 月夜 PARTY VOL.4」を聴く。

オリックス劇場は、旧・大阪厚生年金会館大ホールをオリックスが内部改装したもの。オリックスはかなりお金を使ったようで、内装はお洒落で豪華な感じ。席も座りやすいものに変えられていた。

最新アルバム「あなたと見た夢 君のいない朝」と、カバーアルバム「COVER 70's」を軸に、しばじゅんのスタンダードナンバーも歌われる。

柴田淳「JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2013 月夜PARTY VOL.4」

セットリスト

「HIROMI」

「雲海」

「ノマド」

「かなわない」

ハイ・ファイ・セット 「スカイレストラン」

「あなたの手」

Tulip 「青春の影」

カバーメドレー4曲

久保田早紀 「異邦人」

八神純子 「水色の雨」

庄野真代 「飛んでイスタンブール」

マイペース 「東京」

小坂明子 「あなた」

「紅蓮の月」

「月光浴」

「青の時間」

「恋人よ」

「雨」

「道」

アカペラ

「蝶」

「夢」

「飛行機雲」

テレサ・テン 「つぐない」

「終電」

C・C・キング 「ヒデキング」(インストゥルメンタル)

アンコール

「片想い」

「キャッチボール」

という内容であった。しばじゅんは長い髪を後ろで束ねて銀色のロングドレスで登場し、「青春の影」の後で衣装チェンジ。黒のロングドレスに着替えて来た。アカペラとアンコールはツアーオリジナルTシャツにジーンズという姿。

C・C・キングは、しばじゅんのバックバンドを務めた、松原秀樹(ベース)、田中義人(ギター)、玉田豊夢(ドラムス)がメンバーであるインストゥルメンタルバンド。翌日に梅田でライヴを行うそうだが、今日はしばじゅんの要求により、特別に演奏をした。

バンドマスターは、ピアノ&アコーディオンの坂本昌之が、キーボードは森俊之が担当した。

オリックス劇場の音響であるが、「シューン、シューン」という高音ノイズが絶えず続いており、結構、気になる。音響を語る以前の問題である。今日だけ調子が悪かったのかも知れないが、オリックス劇場の音響スタッフは要努力である。

柴田淳も今年で37歳。曲によっては声も以前より低めに抑えていたし、得意のファルセットも不調の場面が見られたが、全体としては良い内容のコンサートであった。

全ての曲が終わった後、1階席の聴衆はオールスタンディングで盛り上がる。客出しのアナウンスも柴田淳本人がユーモアたっぷりに行い、笑いを誘っていた。

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