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2013年9月10日 (火)

コンサートの記(100) パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団来日公演2011京都

2011年11月23日 京都コンサートホールにて

午後3時より、京都コンサートホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の来日演奏会を聴く。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団2011京都

 

曲目は、メシアンの「忘れられた捧げもの」、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:ダヴィッド・フレイ)、ベルリオーズの幻想交響曲。

世界最高峰の指揮者の一人、パーヴォ・ヤルヴィの京都初見参である。ちなみに父親であるネーメ・ヤルヴィは京都市交響楽団に客演しており、京都コンサートホールで指揮している。ネーメ・ヤルヴィは親バカで、長男であるパーヴォをベタ誉めしているがそれは当たり前である。エーリヒ・クライバーよりずっと賢明なことである。

パリ管弦楽団の来日公演プログラムは1000円である。パーヴォなら1000円でも安いだろうと思い、見本も置いてあったが、見ずに購入する。後で内容を確認したが、これで1000円は正直言って格安である。この10分の1の内容で2000円以上するプログラムもある(それでも充実したものではあるが。その団体がパーヴォとパリ管のプラグラムと同等の内容量のものを作ったら価格を抑えても5000円相当のものになるだろう)。

今日は「幸運なことに」3階席であった。

パリ管弦楽団には敏腕マネージャーがいるようで、奏者達がステージに出ている間、ずっと下手袖で見張っている。何かあると出ていって、第1ヴァイオリンの一番後ろの奏者に告げ、第1ヴァイオリンの奏者達が伝言ゲームの要領で、前へ前へとコンサートマスターにまで告げていく。

パリ管弦楽団には日本人奏者が何人もいる。今日のフォアシュピーラー(コンサートマスターの隣の奏者)は千々石栄一である。何故、名前がわかるのかというと、プログラムに、楽団員全員の名前が書いてあるのである。日本のオーケストラだと、無料のプログラムに奏者全員の名前が書いてあるのが普通だが、来日オーケストラのプログラムには楽団員の名前が書かれていないものも多い。来日オーケストラの楽団員に興味を示さない人が多いからだ。楽団員名簿入りの来日公演プログラムは普通は1000円では買えない。パーヴォはわざわざ日本人向けの応援メッセージを寄せてくれている。パーヴォというのはそういう人なのである。
パーヴォは尊敬するブルックナー指揮者として、朝比奈隆を挙げている。朝比奈は海外でも活躍したが、拠点はずっと日本に置いていた人である。小澤征爾などとはスタンスが異なる(小澤の場合は、「ある理由」で海外に拠点を持たざるを得なかったということもある。多分、今日演奏されるメシアンは関係していると思われる)。CDも朝比奈の場合、海外向けは少ない。なぜパーヴォが朝比奈隆を知っているかというと、パーヴォはCDコレクターなのである。色んな国からCDを取り寄せて聴いている。だから、普通の欧米人なら知らないはずの日本の演奏家も知っているのである。来日した際も、他の演奏家のコンサートを聴きに出かけるそうで、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団のサントリーホールでの演奏会を聴いて感銘を受けたとインタビューで語っていたはずである。音楽大好き人間なのである。

ドイツ式の現代配置を基本とした編成での演奏である。

メシアンの「忘れられた捧げもの」。イエス・キリストと全人類のために書かれた音楽である。
予想よりも渋い音色でスタートするが、続く部分でアッチェレランドをかけて、激しさを増すと音にも開放感が出る。ラストは超ピアニシモの連続である。ピアニシモシモという音楽用語ではなく、単純に「超ピアニシモ」という俗語で書いた方が相応しい。ただ、これは文章では絶対にニュアンスは伝わらない。コンサートホールで聴かないと絶対にわからない類の演奏である。こうした演奏を聴くと、なぜフランスで武満徹が高く評価されるのかがよくわかる。

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。ソリストのダヴィッド・フレイは、1981年生まれの若手。スラリとしていて長髪なので中性的な印象を受ける人である。サラリと弾き始めるが、鍵盤を舐めるように弾くタイプではなく、一音ずつ丁寧に弾いていくが、クッキリとしているわけではなく、淡いトーンがかかるという独特の音色を奏でる人である。洒落た感覚もあり、ラヴェルを弾くのに相応しい。
パーヴォの指揮するパリ管弦楽団の演奏は情報量が豊かである。パリには行ったことがないが、パリの情景が目に浮かぶかのようである。パリは良い街なのだろうなと思う。ちなみに、パリ市と京都市は姉妹都市である。

フレイはアンコールとして、J・S・バッハの「パルティータ」第6番より“アルマンド”を弾く。

フレイがモーツァルトのピアノ協奏曲を弾いたCDが発売されていて、伴奏指揮が、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンだというので、休憩中に購入する。そうした情報もパンフレットには書かれている。

ベルリオーズの幻想交響曲。名演であろうことはもう予想がついている。

「さあ、怖ろしい音楽の時間です」

開始はかなりゆっくりしている。それが自然に速度を上げ、「恋人の主題」が現れる頃には平均的なテンポになっている。第1楽章から弦楽の音は何ともいえない色彩に満ちているが、それが徐々に光度を増し、ついには楽器の音に聞こえなくなる。かといって、ヘルベルト・ケーゲル指揮の演奏にように人間の声に聞こえるわけでもない。「妖しい輝きに満ちたもの」としか表現のしようがない。

第2楽章ではハープが大活躍する。ハープは2台あるが、うち1台は男性奏者である。欧州では男性のハープ奏者というのは珍しくはない。

視覚的にもパーヴォは不気味な演出を施す。第3楽章の冒頭でコールアングレ(コーラングレ)を吹く奏者はオーケストラの中にはいない。第3楽章に入る前に、奏者は舞台下手奥からあたかも黄泉の国から蘇ったかのように、ゆっくりと歩いて現れるのである。そしてオーボエ奏者もオーケストラの中にはいない。コールアングレ奏者とアイコンタクトを交わして演奏しているので、客席上手後方にいるようなのだが、私は上手側の席だったのでオーボエ奏者の姿は見えない。コールアングレ奏者は第3楽章を終えると、ゆっくりとした足取りで退場する。

第4楽章「断頭台への行進」では、ティンパニ奏者の一人が、先端に赤い糸の巻かれたバチを使い出す。不気味である。更に、役目を終えた奏者は、ゆっくり歩いて舞台下手後方から退場してしまうのである。

第5楽章になると、パーヴォがすり足で、指揮台の上を前の方に移動する。完全に狙ってやっている。演奏だけでも凄いのに、演出まで傑出している。パーヴォは怖い指揮者である。

アンコールは2曲。まず、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。俗に言う「爆演」になりやすい曲だが、パーヴォは音のバランスは取るのは天才的に上手いので、いや音のバランスの天才なので、いや指揮者として天才なので聴衆の興奮を誘いながら大味になるのは見事に防ぐ。

ここで帰ってしまう客数名。ああ、知らないのか。この後で、パーヴォはアンコールの定番となった怖い音楽を指揮するはずである。

勿論、指揮する。シベリウスの「悲しいワルツ(悲しきワルツ)」である。死神との舞踏を描いた劇音楽であるが、これをパーヴォはいつも超絶ピアニシモで演奏するのである。別世界の音楽にしか聞こえない。

これまで、私が接したコンサートの中でナンバー1だと思う。

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