« コンサートの記(118) 日越国交樹立40周年記念演奏会 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団2013 | トップページ | コンサートの記(119) 川瀬賢太郎指揮大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」2013 »

2013年12月29日 (日)

観劇感想精選(108) 當る午歳「吉例顔見世興業東西合同大歌舞伎」

2013年12月11日 京都四條南座にて観劇(昼の部)

午前10時30分から京都四條南座で、當る午歳「吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎」、二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露公演昼の部を観る。

現存する劇場では日本最古となる京都四條南座で行われる「顔見世」と呼ばれる公演は「歌舞伎の正月」とも呼ばれており、江戸と上方の歌舞伎俳優が一堂に会する華やかなものである。

昼の部の演目は、「厳島招檜扇」、『仮名手本忠臣蔵』より「道行旅路の嫁入」、「ぢいさんばあさん」、「二人椀久」、『義経千本桜』より「川連法眼館の場(通称:四ノ切)」。

「厳島招檜扇」は、タイトル通り、厳島神社が舞台であり、ここを厚く信仰した平清盛(演じるのは片岡我當)が檜の扇で仰ぐと、夕日が上り始めたという逸話を基にしたものである。

厳島神社遷座が行われることになり、そのために宮島にやって来た清盛ら平氏一門が一族の繁栄を喜び、祇王(中村壱太郎。いちたろう」ではなく「かずたろう」と読む)と仏御前(市川笑三郎)という二人の舞の名手に奉納舞を行わせる。見事な舞であったが、仏御前が突然、短刀で清盛に斬りかかる。清盛は檜扇で短刀をたたき落とし、仏御前は捕縛される。仏御前を斬ろうとする者もいるが、神聖な厳島神社を血で汚すわけにはいかない。仏御前が正体を語る。彼女の正体は平治の乱で清盛に敗れ、敗走中に殺害された源義朝(源頼朝の父親)の娘、九重姫であった。義朝と清盛は敵味方に分かれて戦ったが知り合いでもあり、友であったこともあるとして九重姫の命を救う。
厳島神社の本社は完成したはずなのに、いつまでも遷座の儀が行われないのを不思議に思った平氏一門であるが、(平家納経で知られる)大経堂が完成しないので遷座の儀を行うことが出来ないと知る。だが、もう夕暮れ。今日中に工事が完了し、遷座の儀を行わないと縁起が悪い。そこで、清盛が檜扇を扇ぐと沈みかけていた夕日が逆に昇り始めた。これで工事を続けることが出来る。平氏一門は清盛の偉大さを知るのであった。

ちなみに、祇王も仏御前も実在の白拍子であると思われ、共に清盛から寵愛を受けたとされる(色々な記録があり、矛盾も存在するため断言は出来ないのである)。晩年は共に出家し、今の祇王寺で余生を過ごした。仏御前が源義朝の娘というのはこの芝居だけのフィクションである。

『仮名手本忠臣蔵』より「道行旅路の嫁入り」。塩冶判官(モデルは浅野内匠頭長矩)が刃傷に及び、塩冶家(モデルは播磨赤穂浅野家。安芸広島浅野家の分家である)がお取り潰しとなったため、塩冶家の家老であった大星由良之助(モデルは大石内蔵助良雄)の息子・力弥(モデルは大石主税良金)に嫁ぐはずだった加古川本蔵の娘・小波(演じるのは中村梅枝)は祝言も出来ぬまま時が過ぎた。本蔵の妻で小波の母である戸無瀬(中村時蔵)は、京・山科に閑居している大星由良之助に会うために東海道を急いでいる。背景には富士山が見える。途中で奴の河内(「かわち」ではなく「べくない」と読む。演じるのは中村翫雀)と出会う。河内は滑稽な踊りを見せ、二人は心和む。背景が近江八景の一つとして知られる浮見堂に代わり、山一つ越えれば山科であることがわかる。

舞踊がメインであり、セリフはかなり少ない。浄瑠璃(義太夫節)と三味線が状況を説明する。

「ぢいさんばあさん」。九代目市川中車を襲名した香川照之の襲名披露演目である。「ぢいさんばあさん」は森鴎外の短編小説を宇野信夫が台本化し、戦後である昭和26年に初演されたという新歌舞伎である。狂言(コメディ)として上演されるものだ。

舞台は江戸中期、江戸で暮らす美濃部伊織(市川中車)と妻の「るん」(中村扇雀)はおしどり夫婦であったが、るんの弟である宮重久右衛門(市川遠弥)が喧嘩をして手傷を負い、春から務めるはずの二条在番役を務めることが出来なくなってしまった。そこで、代わりに伊織が京に向かうことになり、夫婦は一年間、離れて暮らすことになってしまった。伊織とるんの間には生まれたばかりの赤子がおり、二人とも別れるのは辛い。

伊織には下嶋甚右衛門(市川右近)という友人がいる。甚右衛門は短気で酒癖が悪い。

舞台は移り、京都・鴨川沿いの料亭の二階。伊織が名刀を手に入れたので、戸口主税(坂東薪車)らを招いて、刀披露の宴を開いている。妻のるんからは文が届いており、そこには江戸で咲いた桜の花びらも添えられていた。伊織は「江戸で咲いた桜が京で散る」と花びらを縁で撒く。絵になる光景である。

しかし、名刀は130両。伊織は100両しか持っていなかったため、30両は借りたのであった。貸したのは甚右衛門。甚右衛門もまた京に来ている。

そこへ酩酊した甚右衛門が入って来る。金を貸した相手を宴に呼ばぬとはどういうことかと伊織をなじる甚右衛門。主税等が怒るのを抑えていた伊織であったが、甚右衛門が名刀を「なまくら」などと言うのに怒り、甚右衛門が名刀を抜いた斬りかかるのをよけたとき、刃がたまたま甚右衛門の首に当たったので引き抜いてしまう。動脈を切られた甚右衛門は縁のから下へと転げ落ち、伊織は甚右衛門を斬った刀を持つ手の震えが止まらない。

殺人により越前・有馬家にお預かりの身となった伊織。一年の辛抱のはずが、三十七年の時が過ぎた。事件後、るんは筑前藩主・黒田家に身を寄せ、奥女中となった。伊織の家は弟の久右衛門が預かり、久右衛門亡き後は、久右衛門の息子である久弥(月乃助)と妻の「きく」(市川春猿)が屋敷を守っている。三十七年が経って罪を許された伊織が家へと帰ってくる。待ち合わせの時間にはまだ早いが気がせいて、早めに着いてしまったのだ。一方、妻のるんもやはりいてもたってもいられないという心境で早めに伊織の家に着いてしまう。三十七年が経っているので、互いに、夫婦であるとは気付かず、伊織はるんを老女中、るんは伊織を老いた番人と勘違いして、お辞儀を繰り返す。しかし、伊織には鼻をつまむという癖があったため、るんは老人が伊織であると気付くのであった。

香川照之は二代目市川猿翁の子であるが、猿翁と浜木綿子が離婚し、香川は浜木綿子に引き取られたため、歌舞伎俳優にはならなかった。開成高校から、東京大学文学部へと進むが、両親共に芸能人であるため、大学在学中に自身も芸能界に入ることに決める。ゼミでは、就職先を皆が言っていく習慣があったそうで、他の人が超大手企業の名前を挙げる中で、香川が「芸能界に入りまーす」とおどけて言ったところ、シーンとなってしまったと香川が語っているのを聞いたことがある。

名優として名を上げ、九代目市川中車として歌舞伎でも活躍することになった香川照之。舞台経験も豊富であるが、他の歌舞伎俳優に比べると呼吸が浅いのがわかる。中車も複式呼吸でセリフを言っているのであるが、他の歌舞伎俳優は更に深いところから声を出しているので、ちょっと浮いてしまうのである。ただ、感情表現には流石に長けている。

きくを演じる春猿は女性そのものの声で話す。同じように女性の声を出すことの出来る市川笑也は、私が京都造形芸術大学の学生だった時に歌舞伎の夏期集中クラスを受講した学生向けの特別講義を行っており、「出しているのは女性の、声楽でいえばアルトの声で、喉を引き絞って出す」と話していた。澤瀉屋は歌舞伎の家の出ではなく、国立劇場付属の歌舞伎俳優養成所を経て歌舞伎役者になった人が多く、笑也も春猿もそうであるが、「歌舞伎の世界に入りたいと思っている人。悪いことは言わない、止めなさい」と笑也は断言している。やはり歌舞伎の家に生まれるとすぐ良い役が貰えるが、そうではなく一般家庭からだと這い上がるのは難しく、また一般家庭から歌舞伎に世界に入ろうとする人はやはり元不良など一発逆転を狙ったまともでない人が多く、そうした人としのぎを削るにはかなりの苦労を要し、その苦労が報われるとは限らないからだという。

歌舞伎の家に生まれたとしても、父親が亡くなるなど、後ろ盾を失うと出世が厳しくなる。歌舞伎は複雑な世界である。二代目猿翁、三代目猿之助は、父と祖父の両方をほぼ同時期に亡くしたため、孤立無援で、「劇界の孤児」とまで言われた。そこでアクロバティックな外連を多用した独特の歌舞伎の創設に力を入れ、自らの手で道を開いていくことになる。澤瀉屋は屋号も変わっているが苗字も喜熨斗という変わったものであるため、そのアクロバティックな歌舞伎は「喜熨斗大サーカス(木下大サーカスに掛けたもの)」と揶揄されたが、次第に実力が認められるようになり、「歌舞伎について詳しくなくても楽しめる歌舞伎を作りたい(歌舞伎というのはある程度の教養がないと何をやっているのかわからないのである。当代の猿之助も「何も勉強もしないで歌舞伎を楽しもうなんて無理です」と断言している)」ということでスーパー歌舞伎というものを始め、歌舞伎に興味がなかった人にも劇場に足を運んで貰えるようになった。

澤瀉屋の名跡は、子供の頃は段子、次いで猿之助、止め名は段四郎である。ただ、宗家は猿之助と段四郎が交互に来るという独特の系譜があり、三代目猿之助は段四郎にはならず、代わりに弟を四代目市川段四郎にした、四代目市川猿之助は四代目段四郎の息子である。段四郎も顔見世には出演していたが体調不良のために千穐楽までの全公演を降板している。
宗家が猿之助と段四郎の交互に来るならば、四代目猿之助は将来事実上の止め名である段四郎になる可能性もある。

「二人椀久」。片岡孝太郎、片岡愛之助という松嶋屋の二人による舞踊である。大坂の豪商・椀屋久兵衛(わんや・きゅうべえ。片岡孝太郎)は新町(今のオリックス劇場付近にあった遊廓)の傾城(絶世の美女のことで、ここでは美しい遊女を指す)松山太夫に惚れ込み、商売そっちのけで新町に通い詰めたため、座敷牢に幽閉され、松山太夫恋しさに物狂いとなってしまった。当時は、精神医学なるものも存在していないため、物狂いは恥であるとして久兵衛は家から出され、松の浜辺へとたどり着く。久兵衛は狂った舞を行う(オペラでいう「狂乱の場」のようなもの)。そこへ松山太夫(片岡愛之助)が現れる(紗幕が多用される)。久兵衛と松山太夫は共に舞うが、実は松山太夫は九兵衛が見た幻であり、松山太夫は消え(紗幕と照明が効果的に使われる)、久兵衛は倒れ伏すのだった。

二人とも有名だけにやはり踊りは上手い。

『義経千本桜』より「川連法眼館の場」。澤瀉屋の得意演目である。「川連法眼館の場」は、『義経千本桜』四段目の終わりにあるため「四ノ切」という別名でも知られ、また内容から「狐忠信」、「源九郎狐」という名でも知られている。「四ノ切」上演は音羽屋形式(尾上家)と澤瀉屋形式(市川家)があるが、今回は当然ながら澤瀉屋形式で行われる。

源九郎判官義経(坂田藤十郎)は、壇ノ浦で平家を滅ぼしたが、実兄である源頼朝に疎まれるようになり、摂津大物浦から西国に落ち延びようとするが平氏一門の呪いにより海が荒れて遭難。何とか岸にはたどり着き、多くの家臣とはぐれてしまったが、大和国吉野にたどり着いて、今は川連法眼(市川段四郎が演じていたが体調不良のために降板、市川寿猿が代役を務める。四代目段四郎と四代目猿之助の親子共演は見られなかった)の屋敷に匿われている。
佐藤忠信(二代目市川亀治郎改め四代目市川猿之助。佐藤忠信は実在の歴史上の人物であるが、俳優・浅野忠信の本名でもある。浅野忠信の親が狙って名前を付けたのかどうかは不明)が義経の下へと駆けつける。都を落ち延びる際に忠信は静御前を助けたという功績があり、義経は忠信に静御前の安否を尋ねるのだが、忠信は生国である出羽国に戻って、病身の母の面倒を見、母が亡くなったので吉野に駆けつけたのであって、静御前については知らないと話し、義経に怪しまれる。
そこへ静御前(片岡秀太郎)がやって来る。静御前は忠信と同道していたのだが、忠信が姿を消すことがあり、その際、持ち歩いている初音の鼓を打つと再び忠信が現れたことを語る。そして、今、目の前にいる忠信は、姿形こそ行動を共にした忠信に似ているが、よく見ると別人であると気付く。訝しんだ義経は忠信を詮議することに決め、静御前を除いた全員が退場する。

静御前が初音の鼓を鳴らすと、同道していた忠信(四代目市川猿之助。二役)が現れる(花道から現れると見せかけて、川連法眼館の階段下から登場する)。もう一人の忠信の正体は狐であり、初音の鼓は、狐忠信の両親の皮で作られたものだったのだ。狐忠信が正体を明かす場面では、外連が行われ、早替えで、紋付き袴であった忠信が狐を表した独特の装束に着替えて床下から出てくる。早替えは3秒を切るという早さである。

その後も、早替え(狐忠信が消えたと思ったら、窓から本物の佐藤忠信として猿之助が顔を覗かせる)や、長押潜り、欄干渡りなど外連味たっぷりである。

親族である兄・頼朝から疎まれている義経は、狐忠信が、両親恋しさに忠信に化けて初音の鼓を追い掛けている様に心打たれる。そして初音の鼓を狐忠信に与えることに決める。狐忠信は喜びの舞をした後で、鼓を愛でつつ宙乗りで去って行く。

四代目猿之助であるが、せりふ回しはユーモラスでチャーミング。動きにもキレがあり、猿之助の名跡を継ぐのに十二分な実力の持ち主であることを改めて示していた。

2013年12月17日 京都四條南座にて観劇(夜の部)

今年の顔見世夜の部の演目は、『元禄忠臣蔵』より「御浜御殿綱豊卿」、「二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露口上」、猿翁十種の内「黒塚」、「道行雪故郷」、「児雷也」。

 

『元禄忠臣蔵』は昭和15年に初演された新歌舞伎。江戸時代の歌舞伎は設定年代や登場人物の名前を変えて演じていたが、明治になると政府から「今後、新作は史実通りの実名でやるように」とのお達しがあり、わかりやすくなった一方で、仄めかしの手法は取りづらくなった。

『元禄忠臣蔵』も昭和に入ってから書かれたので、『仮名手本忠臣蔵』とは違い、吉良上野介は高師直ではなく吉良上野介、浅野内匠頭も塩冶判官ではなく浅野内匠頭とそのまま実名で登場する。

「御浜御殿綱豊卿」は、甲斐甲府藩主徳川綱豊公を主人公にした演目である。徳川綱豊を演じるのは中村梅玉。

第一幕。お喜世(片岡孝太郎)は兄で赤穂浪士である富森助右衛門(市川中車)から文を受け取った。文を書いたのは助右衛門ではない、浅野内匠頭の正室であった阿久里にお仕えする老女の手によるもので、「(浅野内匠頭の弟である)浅野大学頭様によるお家再興を綱豊公にお願いするように」という内容であった。

時の将軍、徳川綱吉にはまだ実子がなく、甲府宰相こと徳川綱豊も次代将軍の有力候補であるが、綱豊は将軍職に野心ありと見られるのを怖れて、放蕩に耽る馬鹿殿を演じている。綱豊は、新井勘解由(新井白石のこと。片岡我當)を呼ぶ。

第二幕第一場。第二場は綱豊と新井勘解由の対話が主である。新井勘解由は綱豊の口添えがあれば、赤穂浅野家は浅野大学頭を藩主として再興可能であろうと考えており、綱豊も赤穂浅野家再興を自身が将軍に願い出れば、以前の石高は無理であっても2万石か3万石の小大名にはなれるだろうという。ただ、浅野家再興が叶うと、今度は赤穂浪士が吉良上野介を討つ大義名分がなくなってしまうだろうとも考えている。綱豊は赤穂浅野家再興よりも浪士達に吉良を討たせる方が良いだろうと考えていることを新井勘解由に告げる。新井勘解由も「お家大事ではあるが、武士の道の方が大事」と応えるのであった。そして、山科に移った大石内蔵助が急に伏見や嶋原で女遊びに現を抜かすようになったというので、やっていることが綱豊と一緒だと共に笑う。

第二幕第二場。富森助右衛門(中車)が綱豊の御浜御殿にやって来る。今日、この屋敷に敵である吉良上野介がやって来るというので、偵察を兼ねて訪れたのであるが、綱豊が助右衛門を呼べと言っていると江島(中村時蔵)から伝えられ、驚いてしまう。

第二幕第三場。助右衛門、綱豊お目見えの場である。綱豊と対面した助右衛門であるが、敷居を跨ごうとはせず、次室に控えたままである。綱豊は、吉良は嫡子のなかった米沢藩主上杉家に実子を送り込んでおり、名実共に出羽国の国父である。早くしないと吉良は米沢藩に逃げてしまう。そうなってからではもう、赤穂浪士が50人だろうが、100人だろうが、米沢城を落とすことは無理だと断言し、大石内蔵助はやることなすこと遅いと罵る。助右衛門はそれを綱豊の策略だと見抜き、桶は箍がないと桶にはならない。バラバラの板きれであり、大石が箍であったのに今はそれが無い状態だと、大石昼行灯説に乗る。

しかし、綱豊は、大石が江戸に来たことがあるのを知っており、大石の放蕩も吉良側の目をくらます策であろうと今度は逆に討ち入りの計が進みつつあると詰め寄る。

しかし、助右衛門は綱豊公こそ将軍職を狙っているとみられるのが嫌で、遊び人を演じるているのだろうと返す。「これまで、遊興で潰された大名はござりません。潰されたのは、みな有能と見なされた大名」と駄目を押す。見抜かれた綱豊は言葉もない。代わりにお喜世が兄は無礼であるとして討とうとする。綱豊はお喜世を止め、関白である近衛家から、赤穂浅野家再興を頼まれていることを打ち明ける。しかし、赤穂浅野家が再興なれば吉良を討つことは出来なくなる。綱豊は吉良を討てと暗に命じたのである。

お喜世は今宵の宴で吉良を討つ機会を作ろうと助右衛門に告げる。

第二幕第四場。槍を手にした助右衛門が現れる。そこに現れた綱豊。宴のために能の衣装を身に纏っている。助右衛門は綱豊を吉良と勘違いし、討とうとする。綱豊は助右衛門の攻撃をかわし、自身が綱豊であることを明かす。綱豊は今は吉良を討つなと助右衛門の短慮を責める。一人では吉良を討ったとしても意味がないばかりか、他の赤穂浪士の顔が立たないのである。

 

助右衛門を演じたのは九代目市川中車を襲名した香川照之。香川照之は舞台経験も豊富であるが、中車として歌舞伎に出た場合、他の歌舞伎俳優に比べるとやや息が浅い。逆に歌舞伎俳優はどれだけ奥から声を出しているのかと不思議になる。

ただ、歌舞伎は現代劇とは違い、台詞に独特の節が付いているのだが、中車はこの節回しでは大健闘していたし、所作も見事であった。歌舞伎の世界に入ってから日が浅いことを考えると花丸級である。

 

 

「二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露口上」。

猿翁は休場である。司会に当たる役を坂田藤十郎が務める。

猿之助は、坂田藤十郎を屋号である「山城屋さん」と呼び、中車は「坂田藤十郎さん」と名前で呼ぶ。

南座の名物として「まねき」があるが、猿之助によると自身の名前がまねきに上がるのは二代目市川亀治郎であった時以来で、9年ぶりだという。更に、「市川猿之助 」という名がまねきに書かれたのは、実に18年ぶりになるという。猿之助は母親が京都人であるため、「京都は第二の故郷」であると語る。

中車は、実父である二代目市川猿翁がこの場にいないのを謝した。そして、市川中車という名がまねきに上がるのは、昭和40年以来であり、48年ぶりだと告げる。その48年前である昭和40年というのが中車の生まれた年であり、因縁を感じるとも述べた。

 

 

「黒塚」。能の「黒塚」を基に、昭和14年に初演された演目であり、成田屋の十八番に対抗した形になる猿翁十種の一つに入っている(澤瀉屋は成田屋に弟子入りして興した家である)。

奥州安達ヶ原。鬼女が住むとされる場所である。

熊野の阿闍梨祐慶(中村梅玉)の一行が安達ヶ原に入り、今晩の宿を探している。一軒の小さな家が見つかった。そこに住むのは岩手という老女(市川猿之助)。しかし、その正体は人を取って食らう鬼女であった…

猿翁十種の一つであるだけに、やはり外連に富んだ作風である。四代目猿之助は舞も上手く、貫禄十分であり、鬼女に姿を変えたときの迫力の出し方も素晴らしい。

 

襲名披露の顔ぶれは今回はこの演目で最後となるので、「黒塚」が終わると同時に帰る人もちらほらいる。

 

 

「道行雪故郷」。坂田藤十郎と中村翫雀による清元である。基になっているのは近松門左衛門の「冥途の飛脚」。

大坂新町の傾城(美しい女郎のこと。「一顧傾城」にちなむ)梅川(坂田藤十郎)と、恋人の亀屋忠兵衛(中村翫雀)。有名な「封印切り」で罪人となった忠兵衛は梅川を伴い、生まれ故郷である大和国新口村に逃げてくる。故郷を再び見ることが叶った喜びもあるが、ただ見るだけで、もうここに帰ることは出来ないという悲しみも吐露する。

梅川もまた故郷である京都を見たいと思い、二人は涙に暮れる。

 

繊細な味わいの舞踊が繰り広げられる。

上方を代表する名跡ということもあり、坂田藤十郎の屋号である「山城屋」の掛け声は多かった。一方、中村翫雀の「成駒屋」は少なめ。私は冒頭で、「山城屋! 成駒屋!」、ラストで、「ご両人!」と声を掛ける。

 

坂田藤十郎もこれで今日は終わりということで、ここで帰ってしまう人もいる。

 

 

「児雷也」。子供向けの特撮ドラマのタイトルになったこともある有名な演目である。

尾上松緑が脇役ではあるが登場する。平成の三之のと一人であった尾上松緑(当時は尾上辰之助)であるが、実父も祖父もすでに他界。後ろ盾がないため、出世が難しいという状態にある。松緑は男前ではないため、大河ドラマ「葵 徳川三代」に徳川家光役で出演した(当時はまだ尾上辰之助)ことを批難した人がいた。すでに父も祖父もいない尾上松緑は、可哀想ではあるが出世が厳しいという状態。なのに何も知らずに批判するのである。三谷幸喜は古畑任三郎の口を借りて本音を吐露したことがある。「何にも知らない人間は勝手なことをいうものなんです」。

児雷也(中村梅玉)は越後国妙香山の山家を訪ねる。そこには越路という女性(市川笑也)が一人。越路を一目見て、児雷也は「美しい」と言うが、「いや山桜が」ととぼける。

市川笑也はやはり女性としか思えないような声を出す。

児雷也はいきなり越路を口説く(今でいうナンパである)が、越後の答えは「散る桜」で「NO」。更に越路の振る舞いが妙だというので刀を抜く。越路は児雷也の刀を身の回りのものや桜の枝などで交わす。やはり妖術使いのようだ。

児雷也の二の腕に牡丹の形の痣があり、越路の二の腕には梅の痣がある。牡丹と梅、これこそは許嫁の明かしであった(余談であるが、牡丹は中国を象徴する花である。国民党が逃げ込んで別の政治・経済体制を取っている台湾はそれに対抗し、梅を象徴とする。いずれも日本の桜に当たる花である)。

児雷也であるが、気分が悪くなり、気絶する。暗転。

舞台はある岩山に変わっている。「尾形弘行」と呼ぶ声がする。尾形弘行は児雷也の本名だ。児雷也は「本名を知っているのは誰ぞ」と聞く。現れたのは仙素道人(市川猿也)。仙素道人は児雷也の行いを誉め、児雷也の父親である尾形弘澄の最期を語る。そして児雷也に蝦蟇の妖術を教える。九字を切るのである(普通の九字の切り方とは異なる)。蝦蟇の妖怪が現れる(蝦蟇の着ぐるみを着ている)。

最期は、だんまりの場。児雷也の他に高砂勇美乃助(片岡愛之助。屋号は松嶋屋である。ただややこしいことになっているのだが、児雷也を演じる中村梅玉の屋号は高砂屋なのである。おそらく高砂勇美乃助は高砂屋の役者が本来は演じるものなのであろう。弁天小僧菊之助が尾上菊之助が演じるために書かれたのと同様である)、山賊夜叉五郎(尾上松緑)、そして越路こと綱手(市川笑也)が台詞を発することなく立ち回りを行う。蝦蟇の妖怪が再び登場。定式幕が降りるが、蝦蟇の妖怪だけは幕の外にいる。蝦蟇の妖怪が花道のセリに消えると、今度は児雷也がいなせな格好でセリから現れ、蝶と戯れながら花道を通って退場し、幕となる。

愛之助や松緑をだんまりで使うとは贅沢である。

|

« コンサートの記(118) 日越国交樹立40周年記念演奏会 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団2013 | トップページ | コンサートの記(119) 川瀬賢太郎指揮大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」2013 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40048/58839189

この記事へのトラックバック一覧です: 観劇感想精選(108) 當る午歳「吉例顔見世興業東西合同大歌舞伎」:

« コンサートの記(118) 日越国交樹立40周年記念演奏会 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団2013 | トップページ | コンサートの記(119) 川瀬賢太郎指揮大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」2013 »