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2013年12月17日 (火)

コンサートの記(114) 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 コンサートオペラ バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」

2013年9月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、バルトーク作曲によるコンサートオペラ「青ひげ公の城」を聴く。演奏するのは井上道義指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団。歌劇「青ひげ公の城」に登場する歌手は二人だけ。今回はいずれもバルトークと同じハンガリー・出身のイシュトヴァーン・コヴァーチ(青ひげ公。バス)とアンドレア・メラース(ユーディト。メゾ・ソプラノ)が歌う。

井上は、東京と大阪の二都市でコンサートオペラ「青ひげ公の城」の上演を企画。先に東京芸術劇場で東京フィルハーモニー交響楽団を指揮した公演が行われた。歌手は二人とも大阪公演と同じ。吟遊詩人は東京では俳優の仲代達矢が演じたが、大阪ではバリトン歌手の晴雅彦(はれ・まさひこ)が務める。

昨日、9月26日が命日だったハンガリー出身のべーラ・バルトーク(ハンガリーはアジア系のフン族の末裔といわれており、姓名も東洋同様、苗字+名前の順で表記され、呼ばれる。ただ、ハンガリー人は他の国に行くときは、他のヨーロッパ諸国に倣って、ファースネーム+ファミリーネームの順に改める。バルトークもハンガリー国内ではバルトーク・べーラと呼ばれているが、晩年にアメリカに渡ったため、他の国ではアメリカ風にべーラ・バルトークと書かれるのが一般的である)。ソルターン・コダーイ(ハンガリーではコダーイ・ゾルターン)と共にハンガリーの国民楽派を代表する作曲家であり、管弦楽のための協奏曲、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、バレエ音楽「中国の不思議な役人」(全曲版と組曲版がある)などはコンサートで取り上げられることが多い。また子供のための易しくて面白いピアノ曲をいくつも書いている他、ハンガリーの民謡採集にも熱心に取り組んだ。
性格は残念ながら最悪の部類に入る人だったようで、自己中心的、傲岸不遜、無神経などと評される。ただ音楽的才能は誰もが認めるものだった。

歌劇「青ひげ公の城」はフランスの伝承を基にシャルル・ペローやグリム兄弟などが童話化したものを、バラージュ・べーラ(ハンガリー風表記。西洋風表記だとべーラ・バラージュ)が戯曲化して上梓したものにバルトークが曲を付けて完成させたもので、1幕のみの中編オペラである。残忍なことで知られる王様、青ひげ公に嫁いだユーディトという女性が青ひげ公の内面を解き明かしていくという心理劇である。ただ、出演者は二人のみで、場面転換があるわけでもなく、心理劇であって大きな事件が起こるわけでもないので、上演される回数は少ない。バルトークの代表作であり、20世紀に書かれたオペラとしては知名度も高い方であるが、現在、日本語字幕入りの映像作品は発売されておらず、国内盤歌詞対訳付きのCDも数枚しか発売されていない。

今回は、歌劇「青ひげ公の城」には場面転換がないので、セット転換もいらないが、ならばいっそのことセットもなしでやろうというステージ・オペラ形式での上演となる。オペラの上演も可能なフェスティバルホールの広い舞台を生かした演出による演奏がなされる。

歌劇「青ひげ公の城」は上演時間約1時間ほどの中編なので、これ1曲だけでは演奏時間が短い。ということで、前半はオッフェンバック作曲、ローゼンタール編曲によるバレエ音楽「パリの喜び」が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任することが発表され、今日の演奏が期せずして首席指揮者就任記念演奏会となった井上道義。もっとも、今日、井上道義が大阪フィルを振ることは事前にわかってたので、今日の演奏会に合わせて就任が発表された可能性の方が高い。

新しくなったフェスティバルホールでの演奏会を聴くのは私は今日で二度目。初コンサートは坂本龍一の「Playing the Orchestra 2013」であり、東京フィルハーモニー交響楽団が演奏していたが、PAを使っていたため、アンプを通さない、ホールそのものの響きを聴くのは今日が初めてとなる。

坂本龍一のコンサートを聴いたときには開演5分前を告げる音は無機質なブザー音であったが、今日は以前のフェスティバルホールと同じ「鳥のさえずり音」という風雅なものに戻っていた。大阪フィルの団員も「鳥のさえずり音」に変更されたことは今日、初めて知ったようで、オーボエ奏者二人が音の出るスピーカーのある上方を見た後で顔を見合わせていた。

井上道義登場。大阪フィルハーモニー交響楽団のシェフになることは会場にいるほとんどの聴衆が知っており、いつも以上に大きな拍手で迎えられる。

オッフェンバック作曲、ローゼンタール編曲によるバレエ音楽「パリの喜び」。
オッフェンバックはドイツ生まれでパリで活躍した作曲家。ドイツ名であるオッフェンバックと表記されることもある。歌劇「天国と地獄」(フレンチカンカンの音楽が有名である)、歌劇「ホフマン物語」(作曲者の死去により未完成となったが、エルンスト・ギローが補筆・完成させて初演。その後、初稿が火災により焼失してしまうという事件があったため、様々な人が再現を試みており、版が複数存在する。現在でも人気のあるオペラである。“ホフマンの舟歌”が特に有名)などが代表作。「青ひげ公」と同じ題材による「青ひげ」という作品も書いており、それも「パリの喜び」の中には入っている。
マニュエル・ローゼンタールはフランス人の指揮者だが、オッフェンバックが書いた音楽から有名どころをチョイスし、オーケストレーションを施してバレエ音楽「パリの喜び」として再編した。よく知られている「天国と地獄」よりフレンチカンカン、「ホフマンの舟歌」などは終わりの方になってやっと出てくるが、それに到るまでの音楽も面白いものである。

「パリの喜び」は、ローゼンタールが最晩年に自身の指揮者でNAXOSに録音しており、またシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による演奏がDECCAから出ていて、デュトワ盤は決定盤といっても差し支えないほどの出来を示している。

子供の頃からガキ大将で、桐朋学園大学時代には、尾高忠明と共に「悪ガキ・イノチュウ」と言われた井上道義。尾高さんはその後、大分丸くなったが、井上の方は依然として破天荒なイメージがある。ただ、一方で、指揮や作る音楽はオーソドックスなものが多く、時折、大見得を切ることもあるが、安心して聴ける指揮者である。広上淳一のように、「どんな音楽になるのか蓋を開けてみるまではわからない」ということは少ない。

意外にも器用である井上。ドイツものもフランス音楽も得意であり、ショスタコーヴィチの演奏に関しては日本における第一人者でありながら、シベリウスの交響曲も不得手とはしていない。

「パリの喜び」でも、井上は正攻法による演奏を展開。洒落っ気もあり、楽曲の描き分けも巧みである。フレンチカンカンの場面では、右足を二度上げて見せて、客席からの笑いを誘う(といってもクラシック音楽の演奏中なので爆笑とはならずに、「ふふふ」という忍び笑いが聞こえた程度だったが)。「ホフマンの舟歌」で抒情的な歌と雰囲気作りで聴衆を魅了した井上。演奏終了後、喝采を受ける。井上はサムアップしてそれに応えた。

フェスティバルホールであるが、素直でクリアな響きのするホールである。ザ・シンフォニーホールほどではないが残響も長い(ザ・シンフォニーホールは、残響がフェードアウトしていく感じだが、フェスティバルホールは京都コンサートホールと同じで、音が高いところに結構長いこと留まっている)。

 

後半、バルトークの歌劇「青ひげ公」。オーケストラがチューニングを終えたところで、突然、全ての照明が落ち、会場は真っ暗になる。笑い声が聞こえ、やがて、吟遊詩人(晴雅彦)の姿が浮かび上がる。吟遊詩人は「全部の照明を落とすことはないのに」と笑い、「これから繰り広げられるのは愛の物語」だと告げる(吟遊詩人による前口上はべーラ・バージュの戯曲にも書かれているが、今回はその翻訳とは違う、井上道義オリジナルのものである)。吟遊詩人が少し動いたところに青ひげ公の椅子があり、吟遊詩人は「これは地獄を表しているのかな」などと言う。吟遊詩人は自分の正体が「この物語の作者だ」と明かして、中央に作られた通路を歩いて去って行く。入れ替わるようにして井上が指揮台に上がり、演奏開始、青ひげ公(イシュトヴァーン・コヴァーチ)が、新妻となったユーディト(アンドレア・メラース)を城に招く場面から始まる。井上は前半もそうだったが、譜面台に総譜を置いて、指揮棒も場面によって使ったり使わなかったりする。ハンガリー語歌唱、日本語字幕スーパー付きでの上演である。
ユーディトは舞台奥から歩いて現れる。演奏会形式とも普通のオペラ形式とも違う、セットはなしだが、衣装・演技ありというステージ・オペラ形式での上演。青ひげ公は黒の、ユーディトは白い衣装を着ている。元々、観客の想像力に委ねる部分の多いオペラだが、今回はセットもないので、背景などは全て聴く者に任せることになる。7つある青ひげ公の部屋(7つというのはキリスト教の「7つの大罪」に由来するものであろう)。「拷問部屋」、「武器庫」、「宝石の間」、「庭園」、「国土」、「湖」と部屋を経る毎にユーディトの青ひげ公に対する疑惑は深まっていく。そして7つ目の部屋。そこに拡がるのは意外な光景であった…

ペローやグリム兄弟の童話では残忍さばかりが強調されている青ひげ公であるが、バージュの台本とバルトークの曲は、青ひげ公とユーディトの間にある愛情や葛藤などを描き出している。今回、台本、演出を手掛けた井上道義は、前口上などを変更することにより、これが愛の物語であることを強調する。井上指揮する大フィルは透明でパワフルな音を奏で、歌手二人も優れていて、特筆すべき完成度になっていたと思う。ただ、私自身はラストに関しては井上とは完全に異なる解釈をしているため(井上も断定はせずにぼかしている)、「この演出は違う」とも思った。

とはいえ、完成度は抜群の公演。大阪フィルの井上時代のプロローグともいうべき演奏会は大成功であった。

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