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2013年12月の22件の記事

2013年12月31日 (火)

コンサートの記(119) 川瀬賢太郎指揮大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」2013

2013年12月27日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」を聴く。タクトを託されたのは、今年29歳という若手、川瀬賢太郎。
川瀬家太郎は、1984年、東京生まれ。私立八王子高校芸術コースを経て、憧れの存在だった広上淳一が指揮専攻の教授を務める東京音楽大学に進学。指揮を広上の他に、汐澤安彦、チョン・ミョンフンらに師事。2006年の東京国際音楽コンクール指揮者部門(通称:東京国際指揮者コンクール)で1位なしの2位に輝き、注目を集めるようになる。2014年4月からは神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任する予定である。

広上の弟子だけに、広上が常任指揮者を務める京都市交響楽団にも何度も客演しており、私は2010年の京響ニューイヤーコンサートで聴いているが、川瀬の指揮に接するのはおそらくそれ以来で、思った以上に長い月日が流れた。

川瀬は、山田和樹、三ツ橋敬子と共に、誰言うともなく「日本人若手指揮者三羽烏」の一人ということになっている。この世代では他に、川瀬と同じ東京音大出身の船橋洋介などもいるが前記三人に比べると活動が目立っているとは言えない。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」は、欧米では難曲中の難曲とされ、滅多に演奏されることはない。「何十年もオーケストラの定期会員になっているんだけど、ベートーヴェンの第九だけは聴いたことがなくってね」という人は欧米には相当数いるといわれる。というわけで、欧米では二十代の指揮者がプロオーケストラで第九を振るなどということはまず考えられないのだが、第九が年末の風物詩のようになっている日本ではそれが実現するのである。とはいえ、私も二十代の指揮者がプロオーケストラを振った第九というものを聴くのは初めてである。

第九の前にラヴェルのピアノ協奏曲が演奏される。ソリストは、大渕雅子。大渕は東京藝術大学附属音楽高等学校を卒業したが、大学は京都市立芸術大学音楽学部に進み、同大学院を修了している。シュトゥットガルト音楽大学に留学し、卒業後は同大学の講師も務める。日本での活動の拠点はやはり関西に置いているようだが、主に室内楽や歌曲のピアノ奏者として活動しており、ピアノ協奏曲のソリストになることは余り多くないようである。
立体感のあるピアノを奏でる人で、癖のない、ストレートな音楽を作る。ジャジーな第1楽章、伊福部昭が「ゴジラ」テーマの元ネタとしたともいわれる快活な第3楽章の演奏はいずれも見事。エスプリ・クルトワの粋を集めたような第2楽章はもう少しロマンティックに弾いた方が映えるかも知れない。

在阪プロオーケストラの中で、台所事情が最も苦しいといわれる大阪交響楽団。ベテランでも年収200万円台の人がいるそうで、弦楽器なら100%実家がお金持ちだからまだいいが、管楽器は中学校の吹奏楽部に入り、そこで嵌まってという人が多いので、音楽教室の講師や家庭教師などを兼任しないとやっていけない人もいると思われる。

歴史が浅いということもあり、薄味の演奏も多い大阪交響楽団であるが、川瀬はやはり実力者。非常に洗練された響きを引き出す。

本編であるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。ソプラノ:老田裕子、メゾ・ソプラノ:谷田奈央(たにだ・なお)、テノール:二塚直紀(にづか・なおき)、バリトン:黒田まさき。全員、関西にある音楽大学や芸術大学、音楽学部で学んだ人達である。合唱は大阪交響楽団感動の第九特別合唱団2013(合唱指揮:中村貴志)。

川瀬の指揮は、以前、京響の演奏で聴いた時も統率力が若干弱い感じを受けたのだが、今日も第1楽章ではオーケストラドライブが軌道に乗らず、丁寧ではあるがスケールが余り拡がらない。
ピリオドであるが、弦楽のビブラートを控えめにし、ティンパニも硬い音を出すものを採用している、の二点だけ。大阪交響楽団はもともとパワー不足なので、ピリオドを徹底させると力感に欠ける演奏になってしまう。

第2楽章に入ると、川瀬の指揮の良さが十全に発揮される。緻密な音作りは、師である広上淳一指揮する第九同様、神秘的で奥行きのある宇宙的な響きを生み出す。神秘感の表出に関しては、今年の広上淳一指揮岡山フィルハーモニック管弦楽団の演奏をも上回る。
ちなみに第2楽章のラストは力強く終わるのが慣例、というより、そうした演奏しか聴いたことがないのだが、川瀬は柔らかめの音でフワッとした浮遊感を持って終わらせる。当然、このような演奏を聴くのは初めてであり、独自の楽譜を使っているのかどうか気になる(第4楽章でピッコロがかなり聞こえることから、ベーレンライター版がベースだと思われるが)。

川瀬の指揮姿であるが、広上の弟子だけあって(つまりレナード・バーンスタインの孫弟子となる)動きはかなり大きい。顔の表情は豊かすぎるほどである。川瀬の顔を見ていて「誰かに似てるなあ」と思ったが、すぐにテンダラーの浜本広晃に似ているのだと気付く。浜本も表情豊かな漫才やコントをする人である。

第3楽章も歌心満点で、美しい。ただ、ホルンが良いところで音を外しまくったのが惜しかった(ホルンは、「キークス(音外し)」という言葉が代名詞になるほど演奏の難しい楽器である)。

第4楽章は川瀬の若さが裏目に出て、オーケストラと合唱が二度ほど微妙にずれるなど万全とはいかなかったが、それでも立派な音楽となる。看板に偽りなしの感動の第九であった。

ラストに「蛍の光」の演奏と合唱が行われる。歌詞は第1番のみが歌われ、続きはヴォカリーズ(スキャット)となる。照明もそれに合わせて暗くなり、しみじみとした雰囲気を演出した。

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2013年12月29日 (日)

観劇感想精選(108) 當る午歳「吉例顔見世興業東西合同大歌舞伎」

2013年12月11日 京都四條南座にて観劇(昼の部)

午前10時30分から京都四條南座で、當る午歳「吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎」、二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露公演昼の部を観る。

現存する劇場では日本最古となる京都四條南座で行われる「顔見世」と呼ばれる公演は「歌舞伎の正月」とも呼ばれており、江戸と上方の歌舞伎俳優が一堂に会する華やかなものである。

昼の部の演目は、「厳島招檜扇」、『仮名手本忠臣蔵』より「道行旅路の嫁入」、「ぢいさんばあさん」、「二人椀久」、『義経千本桜』より「川連法眼館の場(通称:四ノ切)」。

「厳島招檜扇」は、タイトル通り、厳島神社が舞台であり、ここを厚く信仰した平清盛(演じるのは片岡我當)が檜の扇で仰ぐと、夕日が上り始めたという逸話を基にしたものである。

厳島神社遷座が行われることになり、そのために宮島にやって来た清盛ら平氏一門が一族の繁栄を喜び、祇王(中村壱太郎。いちたろう」ではなく「かずたろう」と読む)と仏御前(市川笑三郎)という二人の舞の名手に奉納舞を行わせる。見事な舞であったが、仏御前が突然、短刀で清盛に斬りかかる。清盛は檜扇で短刀をたたき落とし、仏御前は捕縛される。仏御前を斬ろうとする者もいるが、神聖な厳島神社を血で汚すわけにはいかない。仏御前が正体を語る。彼女の正体は平治の乱で清盛に敗れ、敗走中に殺害された源義朝(源頼朝の父親)の娘、九重姫であった。義朝と清盛は敵味方に分かれて戦ったが知り合いでもあり、友であったこともあるとして九重姫の命を救う。
厳島神社の本社は完成したはずなのに、いつまでも遷座の儀が行われないのを不思議に思った平氏一門であるが、(平家納経で知られる)大経堂が完成しないので遷座の儀を行うことが出来ないと知る。だが、もう夕暮れ。今日中に工事が完了し、遷座の儀を行わないと縁起が悪い。そこで、清盛が檜扇を扇ぐと沈みかけていた夕日が逆に昇り始めた。これで工事を続けることが出来る。平氏一門は清盛の偉大さを知るのであった。

ちなみに、祇王も仏御前も実在の白拍子であると思われ、共に清盛から寵愛を受けたとされる(色々な記録があり、矛盾も存在するため断言は出来ないのである)。晩年は共に出家し、今の祇王寺で余生を過ごした。仏御前が源義朝の娘というのはこの芝居だけのフィクションである。

『仮名手本忠臣蔵』より「道行旅路の嫁入り」。塩冶判官(モデルは浅野内匠頭長矩)が刃傷に及び、塩冶家(モデルは播磨赤穂浅野家。安芸広島浅野家の分家である)がお取り潰しとなったため、塩冶家の家老であった大星由良之助(モデルは大石内蔵助良雄)の息子・力弥(モデルは大石主税良金)に嫁ぐはずだった加古川本蔵の娘・小波(演じるのは中村梅枝)は祝言も出来ぬまま時が過ぎた。本蔵の妻で小波の母である戸無瀬(中村時蔵)は、京・山科に閑居している大星由良之助に会うために東海道を急いでいる。背景には富士山が見える。途中で奴の河内(「かわち」ではなく「べくない」と読む。演じるのは中村翫雀)と出会う。河内は滑稽な踊りを見せ、二人は心和む。背景が近江八景の一つとして知られる浮見堂に代わり、山一つ越えれば山科であることがわかる。

舞踊がメインであり、セリフはかなり少ない。浄瑠璃(義太夫節)と三味線が状況を説明する。

「ぢいさんばあさん」。九代目市川中車を襲名した香川照之の襲名披露演目である。「ぢいさんばあさん」は森鴎外の短編小説を宇野信夫が台本化し、戦後である昭和26年に初演されたという新歌舞伎である。狂言(コメディ)として上演されるものだ。

舞台は江戸中期、江戸で暮らす美濃部伊織(市川中車)と妻の「るん」(中村扇雀)はおしどり夫婦であったが、るんの弟である宮重久右衛門(市川遠弥)が喧嘩をして手傷を負い、春から務めるはずの二条在番役を務めることが出来なくなってしまった。そこで、代わりに伊織が京に向かうことになり、夫婦は一年間、離れて暮らすことになってしまった。伊織とるんの間には生まれたばかりの赤子がおり、二人とも別れるのは辛い。

伊織には下嶋甚右衛門(市川右近)という友人がいる。甚右衛門は短気で酒癖が悪い。

舞台は移り、京都・鴨川沿いの料亭の二階。伊織が名刀を手に入れたので、戸口主税(坂東薪車)らを招いて、刀披露の宴を開いている。妻のるんからは文が届いており、そこには江戸で咲いた桜の花びらも添えられていた。伊織は「江戸で咲いた桜が京で散る」と花びらを縁で撒く。絵になる光景である。

しかし、名刀は130両。伊織は100両しか持っていなかったため、30両は借りたのであった。貸したのは甚右衛門。甚右衛門もまた京に来ている。

そこへ酩酊した甚右衛門が入って来る。金を貸した相手を宴に呼ばぬとはどういうことかと伊織をなじる甚右衛門。主税等が怒るのを抑えていた伊織であったが、甚右衛門が名刀を「なまくら」などと言うのに怒り、甚右衛門が名刀を抜いた斬りかかるのをよけたとき、刃がたまたま甚右衛門の首に当たったので引き抜いてしまう。動脈を切られた甚右衛門は縁のから下へと転げ落ち、伊織は甚右衛門を斬った刀を持つ手の震えが止まらない。

殺人により越前・有馬家にお預かりの身となった伊織。一年の辛抱のはずが、三十七年の時が過ぎた。事件後、るんは筑前藩主・黒田家に身を寄せ、奥女中となった。伊織の家は弟の久右衛門が預かり、久右衛門亡き後は、久右衛門の息子である久弥(月乃助)と妻の「きく」(市川春猿)が屋敷を守っている。三十七年が経って罪を許された伊織が家へと帰ってくる。待ち合わせの時間にはまだ早いが気がせいて、早めに着いてしまったのだ。一方、妻のるんもやはりいてもたってもいられないという心境で早めに伊織の家に着いてしまう。三十七年が経っているので、互いに、夫婦であるとは気付かず、伊織はるんを老女中、るんは伊織を老いた番人と勘違いして、お辞儀を繰り返す。しかし、伊織には鼻をつまむという癖があったため、るんは老人が伊織であると気付くのであった。

香川照之は二代目市川猿翁の子であるが、猿翁と浜木綿子が離婚し、香川は浜木綿子に引き取られたため、歌舞伎俳優にはならなかった。開成高校から、東京大学文学部へと進むが、両親共に芸能人であるため、大学在学中に自身も芸能界に入ることに決める。ゼミでは、就職先を皆が言っていく習慣があったそうで、他の人が超大手企業の名前を挙げる中で、香川が「芸能界に入りまーす」とおどけて言ったところ、シーンとなってしまったと香川が語っているのを聞いたことがある。

名優として名を上げ、九代目市川中車として歌舞伎でも活躍することになった香川照之。舞台経験も豊富であるが、他の歌舞伎俳優に比べると呼吸が浅いのがわかる。中車も複式呼吸でセリフを言っているのであるが、他の歌舞伎俳優は更に深いところから声を出しているので、ちょっと浮いてしまうのである。ただ、感情表現には流石に長けている。

きくを演じる春猿は女性そのものの声で話す。同じように女性の声を出すことの出来る市川笑也は、私が京都造形芸術大学の学生だった時に歌舞伎の夏期集中クラスを受講した学生向けの特別講義を行っており、「出しているのは女性の、声楽でいえばアルトの声で、喉を引き絞って出す」と話していた。澤瀉屋は歌舞伎の家の出ではなく、国立劇場付属の歌舞伎俳優養成所を経て歌舞伎役者になった人が多く、笑也も春猿もそうであるが、「歌舞伎の世界に入りたいと思っている人。悪いことは言わない、止めなさい」と笑也は断言している。やはり歌舞伎の家に生まれるとすぐ良い役が貰えるが、そうではなく一般家庭からだと這い上がるのは難しく、また一般家庭から歌舞伎に世界に入ろうとする人はやはり元不良など一発逆転を狙ったまともでない人が多く、そうした人としのぎを削るにはかなりの苦労を要し、その苦労が報われるとは限らないからだという。

歌舞伎の家に生まれたとしても、父親が亡くなるなど、後ろ盾を失うと出世が厳しくなる。歌舞伎は複雑な世界である。二代目猿翁、三代目猿之助は、父と祖父の両方をほぼ同時期に亡くしたため、孤立無援で、「劇界の孤児」とまで言われた。そこでアクロバティックな外連を多用した独特の歌舞伎の創設に力を入れ、自らの手で道を開いていくことになる。澤瀉屋は屋号も変わっているが苗字も喜熨斗という変わったものであるため、そのアクロバティックな歌舞伎は「喜熨斗大サーカス(木下大サーカスに掛けたもの)」と揶揄されたが、次第に実力が認められるようになり、「歌舞伎について詳しくなくても楽しめる歌舞伎を作りたい(歌舞伎というのはある程度の教養がないと何をやっているのかわからないのである。当代の猿之助も「何も勉強もしないで歌舞伎を楽しもうなんて無理です」と断言している)」ということでスーパー歌舞伎というものを始め、歌舞伎に興味がなかった人にも劇場に足を運んで貰えるようになった。

澤瀉屋の名跡は、子供の頃は段子、次いで猿之助、止め名は段四郎である。ただ、宗家は猿之助と段四郎が交互に来るという独特の系譜があり、三代目猿之助は段四郎にはならず、代わりに弟を四代目市川段四郎にした、四代目市川猿之助は四代目段四郎の息子である。段四郎も顔見世には出演していたが体調不良のために千穐楽までの全公演を降板している。
宗家が猿之助と段四郎の交互に来るならば、四代目猿之助は将来事実上の止め名である段四郎になる可能性もある。

「二人椀久」。片岡孝太郎、片岡愛之助という松嶋屋の二人による舞踊である。大坂の豪商・椀屋久兵衛(わんや・きゅうべえ。片岡孝太郎)は新町(今のオリックス劇場付近にあった遊廓)の傾城(絶世の美女のことで、ここでは美しい遊女を指す)松山太夫に惚れ込み、商売そっちのけで新町に通い詰めたため、座敷牢に幽閉され、松山太夫恋しさに物狂いとなってしまった。当時は、精神医学なるものも存在していないため、物狂いは恥であるとして久兵衛は家から出され、松の浜辺へとたどり着く。久兵衛は狂った舞を行う(オペラでいう「狂乱の場」のようなもの)。そこへ松山太夫(片岡愛之助)が現れる(紗幕が多用される)。久兵衛と松山太夫は共に舞うが、実は松山太夫は九兵衛が見た幻であり、松山太夫は消え(紗幕と照明が効果的に使われる)、久兵衛は倒れ伏すのだった。

二人とも有名だけにやはり踊りは上手い。

『義経千本桜』より「川連法眼館の場」。澤瀉屋の得意演目である。「川連法眼館の場」は、『義経千本桜』四段目の終わりにあるため「四ノ切」という別名でも知られ、また内容から「狐忠信」、「源九郎狐」という名でも知られている。「四ノ切」上演は音羽屋形式(尾上家)と澤瀉屋形式(市川家)があるが、今回は当然ながら澤瀉屋形式で行われる。

源九郎判官義経(坂田藤十郎)は、壇ノ浦で平家を滅ぼしたが、実兄である源頼朝に疎まれるようになり、摂津大物浦から西国に落ち延びようとするが平氏一門の呪いにより海が荒れて遭難。何とか岸にはたどり着き、多くの家臣とはぐれてしまったが、大和国吉野にたどり着いて、今は川連法眼(市川段四郎が演じていたが体調不良のために降板、市川寿猿が代役を務める。四代目段四郎と四代目猿之助の親子共演は見られなかった)の屋敷に匿われている。
佐藤忠信(二代目市川亀治郎改め四代目市川猿之助。佐藤忠信は実在の歴史上の人物であるが、俳優・浅野忠信の本名でもある。浅野忠信の親が狙って名前を付けたのかどうかは不明)が義経の下へと駆けつける。都を落ち延びる際に忠信は静御前を助けたという功績があり、義経は忠信に静御前の安否を尋ねるのだが、忠信は生国である出羽国に戻って、病身の母の面倒を見、母が亡くなったので吉野に駆けつけたのであって、静御前については知らないと話し、義経に怪しまれる。
そこへ静御前(片岡秀太郎)がやって来る。静御前は忠信と同道していたのだが、忠信が姿を消すことがあり、その際、持ち歩いている初音の鼓を打つと再び忠信が現れたことを語る。そして、今、目の前にいる忠信は、姿形こそ行動を共にした忠信に似ているが、よく見ると別人であると気付く。訝しんだ義経は忠信を詮議することに決め、静御前を除いた全員が退場する。

静御前が初音の鼓を鳴らすと、同道していた忠信(四代目市川猿之助。二役)が現れる(花道から現れると見せかけて、川連法眼館の階段下から登場する)。もう一人の忠信の正体は狐であり、初音の鼓は、狐忠信の両親の皮で作られたものだったのだ。狐忠信が正体を明かす場面では、外連が行われ、早替えで、紋付き袴であった忠信が狐を表した独特の装束に着替えて床下から出てくる。早替えは3秒を切るという早さである。

その後も、早替え(狐忠信が消えたと思ったら、窓から本物の佐藤忠信として猿之助が顔を覗かせる)や、長押潜り、欄干渡りなど外連味たっぷりである。

親族である兄・頼朝から疎まれている義経は、狐忠信が、両親恋しさに忠信に化けて初音の鼓を追い掛けている様に心打たれる。そして初音の鼓を狐忠信に与えることに決める。狐忠信は喜びの舞をした後で、鼓を愛でつつ宙乗りで去って行く。

四代目猿之助であるが、せりふ回しはユーモラスでチャーミング。動きにもキレがあり、猿之助の名跡を継ぐのに十二分な実力の持ち主であることを改めて示していた。

2013年12月17日 京都四條南座にて観劇(夜の部)

今年の顔見世夜の部の演目は、『元禄忠臣蔵』より「御浜御殿綱豊卿」、「二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露口上」、猿翁十種の内「黒塚」、「道行雪故郷」、「児雷也」。

 

『元禄忠臣蔵』は昭和15年に初演された新歌舞伎。江戸時代の歌舞伎は設定年代や登場人物の名前を変えて演じていたが、明治になると政府から「今後、新作は史実通りの実名でやるように」とのお達しがあり、わかりやすくなった一方で、仄めかしの手法は取りづらくなった。

『元禄忠臣蔵』も昭和に入ってから書かれたので、『仮名手本忠臣蔵』とは違い、吉良上野介は高師直ではなく吉良上野介、浅野内匠頭も塩冶判官ではなく浅野内匠頭とそのまま実名で登場する。

「御浜御殿綱豊卿」は、甲斐甲府藩主徳川綱豊公を主人公にした演目である。徳川綱豊を演じるのは中村梅玉。

第一幕。お喜世(片岡孝太郎)は兄で赤穂浪士である富森助右衛門(市川中車)から文を受け取った。文を書いたのは助右衛門ではない、浅野内匠頭の正室であった阿久里にお仕えする老女の手によるもので、「(浅野内匠頭の弟である)浅野大学頭様によるお家再興を綱豊公にお願いするように」という内容であった。

時の将軍、徳川綱吉にはまだ実子がなく、甲府宰相こと徳川綱豊も次代将軍の有力候補であるが、綱豊は将軍職に野心ありと見られるのを怖れて、放蕩に耽る馬鹿殿を演じている。綱豊は、新井勘解由(新井白石のこと。片岡我當)を呼ぶ。

第二幕第一場。第二場は綱豊と新井勘解由の対話が主である。新井勘解由は綱豊の口添えがあれば、赤穂浅野家は浅野大学頭を藩主として再興可能であろうと考えており、綱豊も赤穂浅野家再興を自身が将軍に願い出れば、以前の石高は無理であっても2万石か3万石の小大名にはなれるだろうという。ただ、浅野家再興が叶うと、今度は赤穂浪士が吉良上野介を討つ大義名分がなくなってしまうだろうとも考えている。綱豊は赤穂浅野家再興よりも浪士達に吉良を討たせる方が良いだろうと考えていることを新井勘解由に告げる。新井勘解由も「お家大事ではあるが、武士の道の方が大事」と応えるのであった。そして、山科に移った大石内蔵助が急に伏見や嶋原で女遊びに現を抜かすようになったというので、やっていることが綱豊と一緒だと共に笑う。

第二幕第二場。富森助右衛門(中車)が綱豊の御浜御殿にやって来る。今日、この屋敷に敵である吉良上野介がやって来るというので、偵察を兼ねて訪れたのであるが、綱豊が助右衛門を呼べと言っていると江島(中村時蔵)から伝えられ、驚いてしまう。

第二幕第三場。助右衛門、綱豊お目見えの場である。綱豊と対面した助右衛門であるが、敷居を跨ごうとはせず、次室に控えたままである。綱豊は、吉良は嫡子のなかった米沢藩主上杉家に実子を送り込んでおり、名実共に出羽国の国父である。早くしないと吉良は米沢藩に逃げてしまう。そうなってからではもう、赤穂浪士が50人だろうが、100人だろうが、米沢城を落とすことは無理だと断言し、大石内蔵助はやることなすこと遅いと罵る。助右衛門はそれを綱豊の策略だと見抜き、桶は箍がないと桶にはならない。バラバラの板きれであり、大石が箍であったのに今はそれが無い状態だと、大石昼行灯説に乗る。

しかし、綱豊は、大石が江戸に来たことがあるのを知っており、大石の放蕩も吉良側の目をくらます策であろうと今度は逆に討ち入りの計が進みつつあると詰め寄る。

しかし、助右衛門は綱豊公こそ将軍職を狙っているとみられるのが嫌で、遊び人を演じるているのだろうと返す。「これまで、遊興で潰された大名はござりません。潰されたのは、みな有能と見なされた大名」と駄目を押す。見抜かれた綱豊は言葉もない。代わりにお喜世が兄は無礼であるとして討とうとする。綱豊はお喜世を止め、関白である近衛家から、赤穂浅野家再興を頼まれていることを打ち明ける。しかし、赤穂浅野家が再興なれば吉良を討つことは出来なくなる。綱豊は吉良を討てと暗に命じたのである。

お喜世は今宵の宴で吉良を討つ機会を作ろうと助右衛門に告げる。

第二幕第四場。槍を手にした助右衛門が現れる。そこに現れた綱豊。宴のために能の衣装を身に纏っている。助右衛門は綱豊を吉良と勘違いし、討とうとする。綱豊は助右衛門の攻撃をかわし、自身が綱豊であることを明かす。綱豊は今は吉良を討つなと助右衛門の短慮を責める。一人では吉良を討ったとしても意味がないばかりか、他の赤穂浪士の顔が立たないのである。

 

助右衛門を演じたのは九代目市川中車を襲名した香川照之。香川照之は舞台経験も豊富であるが、中車として歌舞伎に出た場合、他の歌舞伎俳優に比べるとやや息が浅い。逆に歌舞伎俳優はどれだけ奥から声を出しているのかと不思議になる。

ただ、歌舞伎は現代劇とは違い、台詞に独特の節が付いているのだが、中車はこの節回しでは大健闘していたし、所作も見事であった。歌舞伎の世界に入ってから日が浅いことを考えると花丸級である。

 

 

「二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露口上」。

猿翁は休場である。司会に当たる役を坂田藤十郎が務める。

猿之助は、坂田藤十郎を屋号である「山城屋さん」と呼び、中車は「坂田藤十郎さん」と名前で呼ぶ。

南座の名物として「まねき」があるが、猿之助によると自身の名前がまねきに上がるのは二代目市川亀治郎であった時以来で、9年ぶりだという。更に、「市川猿之助 」という名がまねきに書かれたのは、実に18年ぶりになるという。猿之助は母親が京都人であるため、「京都は第二の故郷」であると語る。

中車は、実父である二代目市川猿翁がこの場にいないのを謝した。そして、市川中車という名がまねきに上がるのは、昭和40年以来であり、48年ぶりだと告げる。その48年前である昭和40年というのが中車の生まれた年であり、因縁を感じるとも述べた。

 

 

「黒塚」。能の「黒塚」を基に、昭和14年に初演された演目であり、成田屋の十八番に対抗した形になる猿翁十種の一つに入っている(澤瀉屋は成田屋に弟子入りして興した家である)。

奥州安達ヶ原。鬼女が住むとされる場所である。

熊野の阿闍梨祐慶(中村梅玉)の一行が安達ヶ原に入り、今晩の宿を探している。一軒の小さな家が見つかった。そこに住むのは岩手という老女(市川猿之助)。しかし、その正体は人を取って食らう鬼女であった…

猿翁十種の一つであるだけに、やはり外連に富んだ作風である。四代目猿之助は舞も上手く、貫禄十分であり、鬼女に姿を変えたときの迫力の出し方も素晴らしい。

 

襲名披露の顔ぶれは今回はこの演目で最後となるので、「黒塚」が終わると同時に帰る人もちらほらいる。

 

 

「道行雪故郷」。坂田藤十郎と中村翫雀による清元である。基になっているのは近松門左衛門の「冥途の飛脚」。

大坂新町の傾城(美しい女郎のこと。「一顧傾城」にちなむ)梅川(坂田藤十郎)と、恋人の亀屋忠兵衛(中村翫雀)。有名な「封印切り」で罪人となった忠兵衛は梅川を伴い、生まれ故郷である大和国新口村に逃げてくる。故郷を再び見ることが叶った喜びもあるが、ただ見るだけで、もうここに帰ることは出来ないという悲しみも吐露する。

梅川もまた故郷である京都を見たいと思い、二人は涙に暮れる。

 

繊細な味わいの舞踊が繰り広げられる。

上方を代表する名跡ということもあり、坂田藤十郎の屋号である「山城屋」の掛け声は多かった。一方、中村翫雀の「成駒屋」は少なめ。私は冒頭で、「山城屋! 成駒屋!」、ラストで、「ご両人!」と声を掛ける。

 

坂田藤十郎もこれで今日は終わりということで、ここで帰ってしまう人もいる。

 

 

「児雷也」。子供向けの特撮ドラマのタイトルになったこともある有名な演目である。

尾上松緑が脇役ではあるが登場する。平成の三之のと一人であった尾上松緑(当時は尾上辰之助)であるが、実父も祖父もすでに他界。後ろ盾がないため、出世が難しいという状態にある。松緑は男前ではないため、大河ドラマ「葵 徳川三代」に徳川家光役で出演した(当時はまだ尾上辰之助)ことを批難した人がいた。すでに父も祖父もいない尾上松緑は、可哀想ではあるが出世が厳しいという状態。なのに何も知らずに批判するのである。三谷幸喜は古畑任三郎の口を借りて本音を吐露したことがある。「何にも知らない人間は勝手なことをいうものなんです」。

児雷也(中村梅玉)は越後国妙香山の山家を訪ねる。そこには越路という女性(市川笑也)が一人。越路を一目見て、児雷也は「美しい」と言うが、「いや山桜が」ととぼける。

市川笑也はやはり女性としか思えないような声を出す。

児雷也はいきなり越路を口説く(今でいうナンパである)が、越後の答えは「散る桜」で「NO」。更に越路の振る舞いが妙だというので刀を抜く。越路は児雷也の刀を身の回りのものや桜の枝などで交わす。やはり妖術使いのようだ。

児雷也の二の腕に牡丹の形の痣があり、越路の二の腕には梅の痣がある。牡丹と梅、これこそは許嫁の明かしであった(余談であるが、牡丹は中国を象徴する花である。国民党が逃げ込んで別の政治・経済体制を取っている台湾はそれに対抗し、梅を象徴とする。いずれも日本の桜に当たる花である)。

児雷也であるが、気分が悪くなり、気絶する。暗転。

舞台はある岩山に変わっている。「尾形弘行」と呼ぶ声がする。尾形弘行は児雷也の本名だ。児雷也は「本名を知っているのは誰ぞ」と聞く。現れたのは仙素道人(市川猿也)。仙素道人は児雷也の行いを誉め、児雷也の父親である尾形弘澄の最期を語る。そして児雷也に蝦蟇の妖術を教える。九字を切るのである(普通の九字の切り方とは異なる)。蝦蟇の妖怪が現れる(蝦蟇の着ぐるみを着ている)。

最期は、だんまりの場。児雷也の他に高砂勇美乃助(片岡愛之助。屋号は松嶋屋である。ただややこしいことになっているのだが、児雷也を演じる中村梅玉の屋号は高砂屋なのである。おそらく高砂勇美乃助は高砂屋の役者が本来は演じるものなのであろう。弁天小僧菊之助が尾上菊之助が演じるために書かれたのと同様である)、山賊夜叉五郎(尾上松緑)、そして越路こと綱手(市川笑也)が台詞を発することなく立ち回りを行う。蝦蟇の妖怪が再び登場。定式幕が降りるが、蝦蟇の妖怪だけは幕の外にいる。蝦蟇の妖怪が花道のセリに消えると、今度は児雷也がいなせな格好でセリから現れ、蝶と戯れながら花道を通って退場し、幕となる。

愛之助や松緑をだんまりで使うとは贅沢である。

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2013年12月28日 (土)

コンサートの記(118) 日越国交樹立40周年記念演奏会 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団2013

2013年9月24日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、日越国交樹立40周年記念演奏会、本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団2013を聴く。

日本とベトナムの国交が始まったのが1973年。私の生まれる1年前である。アメリカ史上初にして唯一の負け戦として有名なベトナム戦争の真っ最中に国交樹立したことになる。日本と同盟関係にあったアメリカは南ベトナムを支持していたが、日本は北ベトナムと国交を結んだ。結果として北ベトナムが勝ち、ベトナムは南北統一を果たしている。

ベトナムでは、日本はフランスの支配からベトナムを解放してくれた国として捉えられており、親日の国である。

ベトナムは今では違うが、元々は漢字文化圏にあり、ベトナムというのも「越南」のベトナム語読みである。「なん」と「ナム」が似ていることからもそれはお分かり頂けると思う。中国の越の国(「呉越同舟」の「越」である)の南にあるので、越南となった。ちなみに首都のハノイは漢字では河内と書き、何とも大阪っぽい地名である。

ベトナム国立交響楽団は、1959年の創設。第1回演奏会の指揮台に最初に上がったのは、実はホー・チ・ミン(胡志明)であり、ベトナム国歌1曲のみを指揮した。
2004年のアジア・オーケストラウィークで、ザ・シンフォニーホールでも公演を行ったことがあり、その演奏会も私は聴いている。やはり本名徹次の指揮で、アンコールでは阪神タイガースの応援歌である「六甲おろし」を演奏していた。

本名徹次は、1957年、福島県郡山市生まれの指揮者。東京藝術大学音楽学部トロンボーン専攻を中退後(音楽之友社が本名に対して行ったインタビューによると、本名は「大学中退」という学歴に憧れており、敢えて中退したという。ここからは推測になるが、最初から指揮者志望であったのに、トロンボーン専攻に行ったのは、トロンボーンが得意だったというのも勿論あるが、指揮専攻は定員も少なく難しいので難度の比較的低いトロンボーン専攻に進み、そこで人脈を作って、本職の指揮者のプライベートレッスンが受けられる環境に身を置くためだったのではないかと思われる。トロンボーンを極めるつもりはなかったので、人脈作りに成功した後に、望み通り中退したのであろう)、山田一雄と井上道義に指揮を師事。1995年の東京国際音楽コンクール指揮者部門(東京国際指揮者コンクール。アジア唯一の指揮者コンクールであるが、運営は創価学会。自民党が文化を大切にしてこなかったため、創価学会は芸術部門で力を持っている。ただし、審査員は創価とは無関係であるため、学会員だと有利ということはまずない)では最高位を獲得(1位なしの2位。ちなみに飯森範親と二人で最高位を分け合っている)。1995年から2001年まで大阪シンフォニカー(現在の大阪交響楽団)の常任指揮者、2001年からベトナム国立交響楽団の音楽顧問を務めていたが、2009年からはベトナム国立響の音楽監督兼首席指揮者に昇進した。
日本人作曲家の作品を演奏するために結成されたアマチュアオーケストラ、オーケストラ・ニッポニカの初代音楽監督でもあり、日本人作曲家の作品のみによるプログラムの演奏会と、そのライヴ録音CD発売も行っているが、これは日本音盤史上に残る仕事といえるだろう。

曲目は、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:児玉桃)、ベートーヴェンの交響曲第5番。

ベトナム交響楽団を聴くのも、本名徹次の指揮に接するのも9年ぶりとなる。9年前のイメージでいたので、本名徹次が太って、前髪が白髪になっているのに少し驚く。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。舞台上手寄りにヴィオラ、その後ろにトランペット奏者二人、更に後ろにティンパニ奏者が座る。現代配置ではティンパニが来る指揮者の真正面、舞台奥の位置には大太鼓が置かれている。ただ、プログラムに大太鼓を使う曲は存在しないので、アンコール用だとわかる。ステージの奥には日本とベトナムの国旗が立てられている。

国交樹立40周年を記念する演奏会ということで、まず両国の国歌が演奏される。聴衆は全員起立、オーケストラメンバーも座らないと演奏できないチェロ以外は立ったままで演奏する。世界で唯一の、西洋の音楽様式から外れた国歌としても知られる「君が代」は、オーケストラで聴いてもやはり良い曲である。ベトナム国歌も雄壮で良い。

武満徹の「弦楽のためのレクイエム」。本名はノンタクトで指揮する。歴史が比較的浅い上に、経済発展著しいとはいえ、日本に比べるとまだ裕福とはいえない国のオーケストラなので、楽器も安いのか、弦楽器は潤いに乏しい上に音も細い。だが、奏でる和音がフランスのオーケストラのそれに近いのは面白い。仏領インドシナだったころの影響が今もなお残っているのかも知れない。

児玉桃をソリストに迎えての、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。児玉桃は、先週、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、ピアノのソリストを務めたばかりだが、その後すぐにベトナム国立交響楽団の来日ツアーに参加。横浜、福島県郡山市(本名徹次の故郷である)と回って、再び大阪での演奏となった。

日本のクラシックファンはブランド好きの傾向があるので、ベトナム国立交響楽団の演奏会では集客は期待出来ない。今日も聴衆は多く見ても300人いるかいないか。というわけで、ザ・シンフォニーホールもいつも以上に良く響く。満員時残響約2秒のザ・シンフォニーホールであるが、今日は測ったところ、4秒弱と倍近い。

その音響効果もあってか、児玉桃はダイヤモンドのように硬質で煌びやかなピアノを奏でる。響くホールだとピアノはここまで美しい音色を奏でるのかと感心する。

音色だけでなく、技術も抜群の児玉桃。ちょっと怪しいところも1箇所だけあったが、それ以外は完璧な演奏を繰り広げた。表現も多彩で、ベートーヴェンがこの曲に込めた情熱や憧れを解き明かしていく。

この曲でもノンタクトの本名指揮するベトナム国立響は、編成が小さめということもあってか、音が弱かったが、こちらの耳が補正したのか、次第に気にならなくなる。明るい音による演奏であるが、やはり技術面でも表現面でも今一つなのは否めない。

メインのベートーヴェン交響曲第5番。この曲では本名は譜面台上に置かれた指揮棒を取って指揮したが、譜面台に総譜は置かれておらず、暗譜での指揮であった。

先日、ベートーヴェンの交響曲第5番を指揮した藤岡幸夫同様、小さく二つ振ってから、本格的に指揮し始めた本名。運命主題を強調せず、フェルマータも短い。最近流行りのスタイルである。
ベトナム国立交響楽団はオーケストラとしての総合力は高いとはいえず、溜を作ることが出来ずに流れてしまう場面がたびたびあったのが気になった。演技でもそうだが、どこかで溜を作らないと全体的に弛んだ印象になってしまう。
音色は明るめであり、これは最終楽章では大いにプラスに作用する。弦が薄いのも難点であるが、そのために普段は伴奏に回っている管楽器の音を良く聴き取ることが出来たりする。「ベトナム国立交響楽団の演奏会に行くだなんて物好きな」と思われる方もいらっしゃると思うが、ウィーン・フィルやベルリン・フィルといったブランドオーケストラだけ聴いていたのではわからないこともあったりするのである。

ただ、正直に言うと、チケットはベトナム国立交響楽団の演奏会にしては高いと思う。.最低料金が3000円であり、私はそれを買ったが、実際、コンサートに行ってみると、聴きに来ているのは3000円のチケットを買った人ばかり。3000円の席は可動式の臨時席であったが、その前列にある通常の席に座っているのはホール内トータルで3人だけ。私の前の列には一人も座っていない。そこが4000円の席なのであろう。というわけで3000円の席に限っては、ほぼ満員になったので、料金をもう少し下げれば聴衆も増えるだろう。2004年のアジア・オーケストラウィークでは、ベトナム国立交響楽団の演奏会チケット最低料金は1000円だったと記憶している。そのためかお客も結構入っていた。

アンコール。まずは、原発に苦しむ、本名の故郷・福島のために「会津磐梯山」のオーケストラバージョンが演奏される。余談であるがザ・シンフォニーホールの最寄り駅もまた「福島」である。ベトナム国立響の管楽器奏者が、「はーよいやさ」と声を上げ、クライマックスでは歌詞の書かれた紙を手にして立ち上がり、「小原庄助さん、なんで身上潰した、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上潰した、あー、もっともだー、もっともだー」と歌う。聴衆も曲は知っているので、手拍子を入れていた。

2曲目はベトナムの民謡が演奏される。美しい曲である。終演後にアンコール曲の書かれたボードを見たが、「ベトナム民謡歌」とあるだけで、正式な曲名はわからなかったが、会場で購入した本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団のCDを聴いて、「南懐曲」という作品であるとわかった。

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コンサートの記(117) 高関健指揮大阪交響楽団第181回定期演奏会「フィンランドの森の妖精たち」オール・シベリウス・プログラム

2013年11月28日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第181回定期演奏会「フィンランドの森の妖精たち」を聴く。今日の指揮者は高関健(たかせき・けん)。オール・シベリウス・プログラム。

前半だけシベリウス・プログラムという場合や、後半のメインとしてシベリウスの交響曲が演奏されることはよくあるが、全曲シベリウスというプログラムの演奏会が行われるのは珍しい。

曲目は、舞踏間奏曲「パンとエコー」、交響曲第4番、休憩を挟んで交響曲第7番、交響詩「タピオラ」。交響曲第4番が演奏される、これは実に稀なことだ。

来年4月から京都市交響楽団の首席常任客演指揮者という不思議な名前のポストに就くことが決定している高関健。長い間、群馬県高崎市を本拠地とする群馬交響楽団の音楽監督を務めていた(「高崎」と「高関」の発音が似ているからというわけでもないだろうが)ことで知られ、その他、関西でも大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)の常任指揮者を務めていたことがある。今年、読みを「うちの・まさあき」から「うちの・せいよう」に変えることが発表された内野聖陽主演の大河ドラマ「風林火山」のテーマ音楽の指揮をしていたのも高関だ。
ちょっと地味な印象があるが、「実力は日本人指揮者の中でもトップを争う」と目されている。

ヴァイオリン両翼、チェロとコントラバスが共に舞台下手側に来る古典配置での演奏である。

舞踏間奏曲「パンとエコー」は演奏されることがほとんどない珍しい曲である。抒情的であり、ラストで激しくなる。

大阪交響楽団は楽団の歴史が浅いということもあって、パワフルな演奏は難しいのだが、シベリウスの作曲した作品は、オーケストラが例え非力であったとしても、上手く聴かせることが出来るものである。マーラーの交響曲だとこうはいかない。モーリス・アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団のマーラーとシベリウスを聴いたことがあるが、マーラーは明らかにユタ交響楽団の力不足。ただそのユタ響がシベリウスでは優れた演奏を繰り広げていた。

交響曲第4番。シベリウスの交響曲の中で、最も演奏される機会が少ないと思われる作品である。初演時には、「客席に楽曲を理解出来る人が一人もいなかった」という話が伝わってる。ただ、これはある種の症状を持った人に取っては、とても解りやすい音楽である。その症状そのものを音で描いているからだ。

コントラバスが単純な音型を繰り返してスタート。この音型は強迫観念のように繰り返される。様々な楽器がソロを取るが、旋律が最後まで歌われずに途切れてしまう。ある症状はこれに似た状況に陥る。そのため、ある種の人にはシベリウスが何を言っているのか解りやすいのである。

交響曲第4番は色に例えるとグレーという音楽が続くことになる。高関と大阪交響楽団は曲調を的確に把握した演奏を展開する。

第2楽章は軽快にスタートするが、やはり絵画に例えると点描のような音楽が展開され、心身共に健康な人にはシベリウスの見た光景が見えないと思われる。

第3楽章は、シベリウスの葬儀の際にも使われたという哀切な音楽。抑制された嘆きが、大袈裟でないが故により痛切に響く。

最終楽章では、気力が横溢したように展開されるが、旋律がことごとくブロックされ、最後は宿命の前にうなだれて終わる。

チャイコフスキーの「悲愴」なども暗い曲として有名だが、チャイコフスキーはメロディーが美しく、曲の表情が、悪く言うと大袈裟であるため逆に救いがある。シベリウスの交響曲第4番には純粋な絶望と諦観しかない。その他の要素は削ぎ落とされている。そして全編に死の香りが漂う。

大阪交響楽団は、トロンボーンが音を外したが、それ以外は優れた演奏を繰り広げた。大阪響の響きはあっさりしており、個性には欠けるが、その分、指揮者が思い描く色に染めやすいという利点がある。

 

後半の交響曲第7番。単一楽章による交響曲である。響きが実に美しい曲だ、始まってからすぐに高関と大阪響はオーロラのような響きを現出させることに成功する。その後も弦のキレ、管の輝きともに十分であり、「秀演」という言葉が一番ピッタリくる演奏になる。ラストで再びオーロラの響きを出した高関と大阪響。高関は早めに曲を終える。シベリウスの交響曲第7番のラストを一番長く延ばしているのは、おそらくサイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の演奏であろう。ラトルの指揮するシベリウスは大変解りやすく、初心者にはお薦めである。

交響詩「タピオラ」。霊感に満ちた作品である。高関と大阪交響楽団も繊細な演奏で、この曲を堪能させてくれる。一箇所だけ、「金管が強すぎるのでは」と思うところがあったが、他は音のバランスも万全だ。これもまた秀逸な演奏であった。

シベリウスの中でも難解とされる曲が多いということもあり、客入りはそれほど良くはなかったが、シベリウスファンを満足させるのに十分な出来を高関と大阪交響楽団は示していたように思う。

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2013年12月27日 (金)

ロケみつDVD第36巻「桜 稲垣早希の目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅」ドイツ編その3&オランダ編その1

現在、関西では年末恒例となった「ロケみつ」冬休みスペシャルとして、「ヨーロッパ横断ブログ旅」の2013年度1年分が再放送されています。25日、26日の深夜に長時間の再放送があり、小休憩を挟んで、2014年1月1日、2日、3日、5日と放送があります。今回は、早希ちゃんが「フランダースの犬」のネロとパトラッシュ昇天の場として知られるアントワープ大聖堂を訪れたということもあり、アニメ「フランダースの犬」にちなんだ特別映像が放送中。
先程、26日分の再放送が終わりましたが、丁度、25日に発売になった「桜 稲垣早希の目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅」ドイツ編その3&オランダ編その1の手前まで放送され、2014年の元日深夜に、ここで紹介するDVDのほぼ同内容のものが放送される予定です。

ロケみつDVD第36巻「桜 稲垣早希の目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅」ドイツ編その3&オランダ編その1

ドイツのケルン大聖堂、ヨーロッパ1の日本人街のあるデュッセルドルフ、オランダの首都アムステルダムなどを訪ねる早希ちゃん。オランダの首都がベルギーだと勘違いしていたり、デュッセルドルフの発音を間違えたり、日本の人口を2億人と言ったり、相変わらずのボケっぷりですが、英語でのコミュニケーションをスムーズに行うなど、著しい成長も窺えます。アムステルダムでは運河に浮かぶ個室ホテルを確保してウキウキの早希ちゃんですが、その夜、国民に優しい国として知られるオランダの裏の顔を見てしまいます。

いつでも頑張る早希ちゃんに励まされること請け合いのDVDです。
セル版のみの特典として、早希ちゃんと親玉プロデューサー(ディレクターからプロデューサーに昇進)、シャンプーハットてつじによるオーディオコメンタリーが入っています。

ロケみつDVD第36巻「桜 稲垣早希の目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅」ドイツ編その3&オランダ編その1(タワーレコード)

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2013年12月26日 (木)

コンサートの記(116) 山下達郎 Performance2013 in FESTIVALHALL

2013年12月18日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、山下達郎のライヴを聴く。タイトルらしいタイトルはなく、「Performance 2013」とあるだけである。

山下達郎は旧フェスティバルホールの取り壊しに反対しており、「ここを取り壊すのはカーネギーホールやウィーン楽友協会を取り壊すのと一緒」とまで述べた。ただ、旧フェスティバルホールは経年劣化に加えて、耐震性の問題、また、客席によっては、オーケストラコンサートで指揮者の姿すら見えないなど問題点も山積しており、結局、取り壊された後で、同じ位置に再建された。新しいフェスティバルホールはエントランスのレッドカーペットの大階段など、「ハレ」の演出がされており、音響もよりクリアになった。

新しくなってからのフェスティバルホールに来るのは今日で4回目。エレキギターなど、電子楽器を使い、歌手がマイクで歌うという公演になると初めてである。開始5分前を告げるのは鳥の囀り音ではなく、ブザー音。確かに、鳥の囀り音を聞いた後で山下達郎が出てくるというのは変である。ポピュラーはブザー音、クラシックは鳥の囀り音と使い分けているのだろう。

異性の友人2人(共に私よりも年上である)も今日、山下達郎のライヴに来ることはわかっており、1階で落ち合う。2人とも新しくなってからのフェスティバルホールは初めてだそうで、自販機の位置を教えたり、3階にある1972年から1978年まで旧フェスティバルホールで使用されたピアノの展示、3階壁面にある旧フェスティバルホールの歴史パネルなどを共に見たりする。

2人は山下達郎のファンクラブに入っているので、ファンクラブ先行予約があり、1階席の前から10列目だそうだが、私は電子チケットぴあの先行予約に申し込んで当選して行ったものの、今日も3階席であった。山下達郎のファンは多いだろうからこれは仕方ない。

私が山下達郎の音楽を聴き始めたのは中学生の頃。山下達郎のアルバムでいうと『僕の中の少年』あたりからである。このアルバムは買っているはずである。だが、それ以前に、初めて買った8cmシングル(今は直径12cmのマキシシングルが当たり前であるが、以前は、シングルは直径8cmで出ていたのである)は、久保田利伸の「You were mine」と山下達郎の「クリスマス・イブ」であった。「クリスマス・イブ」は私がそれを買った翌年か翌々年にヒットチャート1位を獲得する。当時、JR東海が「クリスマス・イブ」をBGMとしたテレビコマーシャルを毎年冬に流しており、牧瀬里穂や深津絵里などはこのCMをきっかけに芸能界へと進出していくことになるのだが、評判を呼んだこのCMの影響はかなり大きかったであろう。また「クリスマス・イブ」は、発売からチャート1位に昇り詰まるまで最も時間が掛かったシングルとなった(6年6ヶ月。当時最長。それまでは「ラブ・イズ・オーバー」が最長記録であったという)。

山下達郎は明治大学法学部中退であるが、私が「明治大学以外の大学には行かない」と思った理由の一つに「山下達郎も明大だから」というのはあった。ただ、山下達郎のCDは買っていてもライヴを聴くのは今日が初めてである。私も男なので、やはり男性シンガーよりは女性シンガーを優先させたいという思いがあり、また歌声も女声の方が好きである。今回、山下達郎のライヴに参加しようと思ったのは、音楽好きとして、また明大の後輩として、山下達郎のライヴも1回は聴いておかなければと思ったのも事実であるが、フェスティバルホールの音響を確かめたかったという別の理由もある。フェスティバルホールの響きであるが、エレキの音も非常にクリアに客席まで届く。山下は「地霊の影響といいますか、同じ地に建つと、やはり同じような空気、同じようなライヴ感がある」と語っていた。

山下達郎の三原則は、1.テレビに出ない、2.武道館でやらない、3.本を書かないであるが、音響設計のきちんとされたところでないとやりたくないようであり、旧フェスティバルホールを「大きなライヴハウスのよう」と愛でていた。

山下達郎のライヴは「3時間ライヴ」と呼ばれており、上演時間が長いことでも有名であり、これについて山下本人はMCで、「まだ余り売れていない頃は、地方に行くと、『もうここに来ることはないかも知れない。なら思う存分やろう』」と思ったことに由来するのだが、山下達郎も還暦を迎え、今度は「またここに来られるかどうかわからないから思う存分やろう」に変わったそうで、結局、長いまま今日まで来てしまった。また、山下達郎は芸歴38年であり(私が1歳の時にデビューしたことになる)、その間、270曲を超える作品を作曲したため、ライヴでどの曲を採用してどの曲を落とすかに悩み、結局、長くなってしまうのだとも語る。

アルバム『僕の中の少年』に入っている「新・東京ラプソディー」でスタート。「僕は東京が好き」という歌詞を山下は「僕は大阪が好き」に変えて、拍手を受ける。ちなみに今日のギタリストは佐橋佳幸。松たか子の旦那さんである。

山下達郎は、これまではMCの内容を文章に書いて、それを一字一句間違えることなく頭に叩き込んで喋っていたのだが、今年のツアーからフリートークに変えたそうである。話しを聞いていて、かなり頭の回転の速い人だなという印象を受ける。

「スプリンクラー」など私の好きな歌も唄ってくれるが、「ゲット・バック・イン・ラブ」や「エンドレス・ゲーム」、「さよなら夏の日」などは歌われなかった。これついて山下は、「昔から(ライヴ)来ている方は、この曲はもう聞き飽きた、『OPUS』というベスト・アルバムを聴いて僕を知った一見さんは、この曲は知らないと、こちらが立てば向こうが立たぬということになるので、選曲には迷った」と語っている。私が挙げた曲目はいずれもセンチメンタルだったり、痛切だったりと、いずれも「アトムの子」のようなポジティブソングの真逆にあるものである。ちなみに「アトムの子」は歌ってくれており、中間に今年亡くなった、やなせたかし作詞の「アンパンマンマーチ」が挿入されていた。また、「ホワイト・クリスマス」「ラスト・クリスマス」「恋人がサンタクロース」「クリスマスがやってくる」などを旋律を微妙に変えてではあるが、メドレーで歌ってくれる。

山下達郎は、「最近、カバーアルバムが売れているが、どのアルバムを見ても歌っているのは有名曲ばかりでカラオケ状態」ということで、「山下達郎ならではのカバー」として、ビーチ・ボーイズの「God Only Knows」や、The Young Rascalsの「Groovin'」などを歌う。カバーは他に、アレクサンダー・オニールの「My Gift To You」、「Berra Notte」(山下達郎が生まれて初めて観た映画「わんわん物語」の挿入歌)、ジュディ・ガーランドの「Have Yourself A Merry Little Chiristmas」などが歌われた。「My Gift To You」は英語の歌詞が覚えにくいのであるが、iPodに入れて散歩しながら歌詞を覚えたそうである。

映画の主題歌「風と君へのレクイエム」であるが、ツアーで初めて弾き語りしたとき、その時はギターによる弾き語りだったのだが、大コケをしてしまったそうで、「ギター一本で弾けるような曲じゃなかった」と、今日はキーボードで弾き語りを行う。

山下が「ボーナス・トラック」と言って歌う。Kinki Kidsに提供した「硝子の少年」である。ベスト・アルバム『OPUS』では初回限定盤にのみ「硝子の少年」がボーナス・トラックとして収録されていた。ただ、この曲はいくら自身の作曲だからといって、還暦を迎えた人が歌うとやはり変な感じになるのは否めない。歌自体は山下の方が上手いのだが、松本隆が書いた歌詞の内容を考えると、やはり若い人が歌った方が説得力がある。

今のシーズンにピッタリの「クリスマス・イブ」はアンコールの第1曲として歌われる。最もポピュラーな山下達郎の曲だけに、歌声を聴くと、「ああ、山下達郎も年か」とすぐ気付くほど声も老いていることがわかる。

山下達郎は、12月24日にフェスティバルホールでコンサートを行おうかと思っていたのだが、スターダストレビューに先に取られてしまったと語り、笑いを取る。更に、公演パンフレットの内容が充実していることを語り、「パンフレットというより冊子です。他のアーティストの場合、パンフレットを買っても写真ばかりで、『なんだ、この内容でこんなに高いのかよ』と思われるでしょうが、僕の場合、写真を載せますと誰も買いませんので」と自虐ネタをやり、大受けの聴衆を見て、「みんな大笑いしすぎ」などと語って更に笑いを取った。

大阪の聴衆はノリノリであり、今日もクラッカーが一斉に鳴らされるなど、山下達郎をして「流石、大阪」と言わしめるほどに盛り上がる。上演時間は3時間どころか、3時間半近くに及んだが、「また、フェスで山下達郎のライヴが聴きたい」。そう思わせてくれるコンサートであった。

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コンサートの記(115) 大阪フィルハーモニー交響楽団スペシャルライブ「吹奏楽meetsオーケストラ」2013

2013年11月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団スペシャルライブ「吹奏楽meetsオーケストラ」を聴く。吹奏楽のために書かれた曲を管弦楽用に編曲したものや、吹奏楽でも良く演奏される曲をフィーチャーしたコンサート。指揮は下野竜也。司会・監修:丸谷明夫(大阪府立淀川工科高等学校名誉教師・吹奏楽部顧問。全日本吹奏楽連盟理事長)。「淀工」の略称で知られる淀川工科高等学校の吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールで何度も優勝している名門である。以前、テレビで、大植英次が淀川工科高等学校を訪ねた時の様子を流していた。その時、大植が風邪を引いていて声が余り出なかったのだが、淀工は憧れの学校であったということを述べていた。淀川工科高等学校の吹奏楽部を日本一と呼ばれるまでに鍛え上げたのが丸谷明夫である。

曲目は、保科洋の「風紋」(吹奏楽のための作品を作曲者自身がオーケストラ用に編曲)、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第2幕より“エルザの大聖堂への行列”、リードの「『オセロ』-シェイクスピアに基づく5つ場面による交響的描写」(管弦楽曲版)、イベールのフルート協奏曲(フルート独奏:瀬尾和紀)、J・S・バッハの管弦楽曲第3番より“アリア”(ストコフスキー編曲)、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ:より“7つのベールの踊り”。

吹奏楽の作品をプロのオーケストラが演奏するということで、ザ・シンフォニーホールには高校の吹奏部員が大挙して押しかけている。高校生の演奏会鑑賞となるとマナーが問題になるのだが、高校生でも吹奏楽部員なら、全国大会やその予選で他の学校の演奏を聴いているので、マナーは心得ているだろうと推察する。実際、マナーに問題はなかった。京都の…、いや何でもない。

今日はステージ下手側の3階席。オーケストラと指揮者を見下ろす位置にある席である。残念ながら、ステージ上の役半分は見えない。ソリストは指揮者が指揮棒を右手に持つため、指揮棒を見やすく、且つ、指揮棒が自身に当たったり、下手すると刺さったりすることを避けるために指揮台横の下手側に経つので、イベールのフルート協奏曲を聴いているときにソリストの瀬尾和紀の姿はほとんど見えない。

下野竜也。頭頂部の髪が薄くなっていて驚く。「ああ、下野も、もうそんな年か」としみじみ思う。下野竜也というと日本の若手指揮者の代表格的存在であったが、今はもう山田和樹など、下野よりもずっと若い指揮者も台頭してきている。

保科洋の「風紋」。和のテイストから始まり、映画音楽風の曲調を経て、西洋のクラシックのイディオムへと近づいてくという格好いい曲である。下野竜也と丸谷明夫がマイクを手に話し、丸谷が作曲者である保科洋が会場に来ていることを告げる。保科がステージ上に呼ばれる。保科洋は「私は年寄りで、話すのは苦手なのだが」と前置きした後で、「曲が生まれ変わったような気がした。作曲した曲というのは自分の子供のようなもので、子供というのは親の言うことを聞かないものだが、この曲は良い方に親の言うことを聞かずに行ったように思えた」という風なことを語った。なお、丸谷によると、保科を演奏会に招こうと、色々試したが、電話も繋がらないし、なかなか保科がつかまらない。昨日になってようやく電話が繋がったので演奏会のことを話すと、保科は「ああ、行きますよ」と言ったそうである。保科は自身でネットを使って今日のチケットを自費で購入していたのだった。

丸谷は続いて、下野に今日のコンサートの趣旨について聞く。下野は、「自身も吹奏楽出身で、オーケストラの管楽器もほとんどが吹奏楽学部の出身だが、学校を卒業するとほとんどが音楽から離れてしまう。それが寂しいので、吹奏楽をオーケストラでやって、かつて吹奏楽部だった人にも聴きに来て貰いたい」と、今回の企画について話す。

オーケストラの団員というと、「お金持ちの子」というイメージがあるが、それが当てはまるのは弦楽器の奏者だけである。ヴァイオリンなどは、楽器もレッスン料も高額であり、幼い頃から訓練を始める必要があるため、裕福で音楽に理解のある家の子でないと、プロになるのは難しいという。一方、管楽器奏者は中学校の吹奏楽部からスタートする人が多い。楽器も学校持ちであり、お金はほとんどかからない。その中から本格的に管楽器をやりたいという人だけが音大に行ってプロになるというケースが多い。NHK交響楽団の首席オーボエ奏者である茂木大輔もエッセイでそのことに触れており、「弦楽器奏者と管楽器奏者とでは同じ楽団員ではあるが、やはりちょっと違う」そうである。管楽器でも最初からソリストになりたい場合や、サックスなど、吹奏楽部ではそれほど活躍出来ない楽器の場合は、吹奏楽部に入部するのではなく、プライベートレッスンを受けるのが普通である。

ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第2幕より“エルザの大聖堂への行列”は、オペラにおいてオーケストラが演奏する曲であるが、オーケストラコンサートのプログラムにこの曲が載るのは珍しい。だが、吹奏楽では良く取り上げられる曲なのだそうである。

ワーグナーの曲をワーグナーにあった音とスタイルで演奏する下野と大阪フィル。その作品に合った音を出すというのは難しいことだが、やはり下野はそうした描き分けが上手い。

下野の指揮はオーソドックスなもので、きちんと拍を振り、欲しい音量や各楽器の表情などは腕の振る早さや動かし方で示す。

リードの「『オセロ』-シェイクスピアに基づく5つの場面による交響的描写」。5つの曲からなるが、吹奏楽では4つを演奏するのが慣例だそうで、丸谷明夫は「4曲目が終わっても拍手はしないで下さい。静かな曲(第5曲のこと)になって、それが終わってから拍手して下さい」と事前に伝える。

「『オセロ』-シェイクスピアに基づく5つの場面による交響的素描」であるが、「ジャジャジャジャン」というベートーヴェンの俗にいう「運命動機(運命主題)」が多用されている。意味があるのかないのかはわからないが、「オセロ」をテーマにしたのなら、運命動機が鳴ったとしても別に変ではない。

後半、イベールのフルート協奏曲。最終楽章では変拍子が出てくるのだが、その場面での下野の棒捌きは鮮やかである。フルート独奏の瀬尾和紀は1974年生まれ。私と同い年である。
第1楽章は華やかな曲であり、瀬尾和紀の吹くフルートがくるくる回るメリーゴーランドのように洒脱で楽しげな世界を生み出す。
第2楽章は弦楽器が奏でる音のさざ波の上を、フルートの船が帆走している風景が見えるかのようである。穏やかで詩情に溢れている。
変拍子が印象的な第3楽章はあたかもサーカスのよう。指揮者を含めたステージ上にいる全員が曲芸のような演奏を繰り広げた。

喝采を浴びた瀬尾は、丸谷から生い立ちを聞かれる。指揮者の下野竜也は鹿児島県出身であるが、瀬尾和紀は福岡県出身であり、共に九州人である。瀬尾は父親もフルート演奏家であったそうで、10歳ぐらいからフルートの練習を始めたが、吹奏楽部に入ったことはなく、高校の途中でパリに留学してフルートを専攻、現在もパリ在住である。丸谷は「じゃ、高校中退なのね」と身も蓋もないことを言ってしまい。瀬尾も「はっきりいうとそういうことになります」と苦笑いしながら答える。高校1年の頃からフランス語のレッスンを始めていたそうで、丸谷は「フランス語を覚えるのは大変でしょう? うちのところなんか日本語を伝えるのも大変」などという。丸谷が更に「パリには世界中からフルートの上手い人が集まってくるんでしょう。その中で勝ち上がるのも大変でしょう」と聞くと、瀬尾はやはり大変なことは多かったと振り返った。
吹奏楽部は文化部の中の体育部と呼ばれ、腹筋などの身体訓練(肉体練習)を行うことで知られるが、瀬尾はパリでレッスンを受ける中で「腹筋が強いと強い音が出るという話も聞いたことがない」と、中学で吹奏楽部に入らなかったのは、練習のあり方に疑問を抱いたからだと仄めかしたように取れる発言をした(部活動が行われる最大の理由は、有り余る若いエネルギーが暴力や犯罪に向かうのを防ぐため、スポーツなどに打ち込ませるためである)。
瀬尾が「自宅はパリにあるが、向こうと日本とで一年の半分ずつを過ごす」と話すと、丸谷は「羨ましい。そういう話をしてみたい」と言って笑いを取る。

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番より“アリア”。レオポルド・ストコフスキーによる編曲版での演奏である。ヴァイオリン独奏用編曲では、ヴァイオリンの一番低い音を出すG線のみを使って弾くものが有名であり、これに由来する「G線上のアリア」という名でも有名である。

下野は、客席の高校生達に、ディズニーの「ファンタジア」という映画を御覧になったことがありますか? と問いかけ。あの映画の演奏をしているのがストコフスキーですと言う。レオポルド・ストコフスキーはスラヴ系ではあるがイギリス人である。ノンタクトの美しい指揮姿やオーケストラの現代配置の発案、また映画「オーケストラの少女」への出演などで知られ、バッハのオルガン曲などを始めとする多くの作品を編曲した名アレンジャーとしても有名である。

吹奏楽器をフィーチャーしたコンサートなので管楽器のない弦楽器のみの演奏を聴いて貰いたいというのが下野の意図である。

ストコフスキーの編曲は、通常は伴奏に徹するチェロに主旋律を受け持たせていること。通常の楽譜による演奏は崇高な印象を受けるが、ストコフスキー版はそれよりも優しさが勝っているように感じた。

最後の曲である、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」より“7つのベールの踊り”。これも吹奏楽では有名なそうで、下野も内容については知らなかったが、よく聴いてきたという。その内容についてであるが、下野は「教育上よろしくないので」と言い、会場からは爆笑が起こる。下野は高校生達に、「興味があったらネットで検索してみて下さい」と語りかける。ちなみに、リヒャルト・シュトラウスは自身の楽曲を演奏するために特注で楽器を作ったそうで、それはヘッケルフォーンという名前だという。オーボエの仲間で、かなり低い音を出すため、大きくて長い楽器である。下野は「iPhoneじゃありませんよ」といって客席を笑わせ、「アイという会社が作ったら、アイフォンという名前になったと思いますが、ヘッケルという会社が作ったのでヘッケルフォーンになったんです」と語る。
下野と大フィルの演奏は扇情的で迫力十分。妖しさの表出も巧みである。

演奏を終えた下野は丸山から「迫力がありますね」などと語りかけられ、「はい、長い前座が終わりました。いよいよ本番です。丸山明夫先生の指揮。曲目はヴォーン・ウィリアムズの『イギリス民謡組曲マーチ』です」と言って退場してしまう。

ということで、丸山明夫指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で、ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲マーチ」。
丸山は非常にわかりやすい指揮をする。プロのオーケストラ団員も指揮はわかりやすい方がいいと考えるのは当然だが、丸山が普段相手にしているのは高校生である。プロの指揮者より更にわかりやすい指揮をしないと吹奏楽部のメンバーがついて来られないのだ。わかりやすく無駄のない動きを長い間試行錯誤しながら追求した結果出来上がったのが今の指揮スタイルなのであろう。

下野は「吹奏楽meetsオーケストラ」について、「来年もやりたいけれど、まだ出来るかわからない」と述べる。下野竜也は来年4月から、京都市交響楽団の常任客演指揮者という不可思議な名前のポストに就任するのである。下野竜也は広上淳一の一番弟子と言っても良い存在であり、京響も広上も下野にいつでも禅譲出来るよう不思議な名称の称号を作って布石を打ったのだと思われる。
ただ、指揮者の世界では、あるオーケストラのトップはその街もしくは近隣の街にある他のオーケストラの指揮台には立たないという暗黙の了解がある。東京なら東京のあるオーケストラのトップに君臨する指揮者は他の東京のオーケストラには客演しない。NHK交響楽団の名誉音楽監督であるシャルル・デュトワが東京都交響楽団の演奏会の指揮台に立つことは考えられない。関西も同様で、広上淳一も以前は、大阪フィルハーモニー交響楽団や関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)にも客演していたが、京都市交響楽団の常任指揮者に就任してからは、京都市交響楽団と京都市ジュニアオーケストラ以外の関西のオーケストラは指揮していない。以前は毎年のように京都市交響楽団に客演していた京都市出身の佐渡裕も兵庫芸術文化センター管弦楽団の音楽監督に就任してからは、一度も京都市交響楽団を指揮していない。大植英次に至っては関西どころか大阪フィル以外の日本のオーケストラは指揮しなくなったほどである(桂冠指揮者となってからは東京のオーケストラなども積極的に指揮している)。
ただ、沼尻竜典などは、日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者であっても、京都市交響楽団を指揮している。日本センチュリー交響楽団は沼尻の上に音楽監督として小泉和裕がいた(今シーズン一杯で退任予定。後任は飯森範親に決定している)ため、トップではないのでOKとなったのであろう。
常任客演指揮者というのがどういうポストなのかは前例がないので、客演はOKなのか、定期演奏会以外ならOKなのか、それすらわからないのである。

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2013年12月24日 (火)

ベルリン・フィルからのクリスマスプレゼント サー・サイモン・ラトル指揮 モーツァルト 交響曲第39番、第40番&第41番「ジュピター」ハイライト

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2013年12月20日 (金)

観劇感想精選(107) こまつ座音楽劇 「イーハトーボの劇列車」

2013年11月24日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後1時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、こまつ座の音楽劇「イーハトーボの劇列車」を観る。こまつ座は音楽劇の劇団なので、こまつ座の音楽劇というと少し変なのだが、それ以外に書きようがない。こまつ座が音楽劇の楽団ということを知る人以外、というより演劇はそもそも「観たことがあるかどうか」から話が始まるので、大抵の人はこまつ座が音楽劇の劇団だということを知らない通り越してこまつ座を知らないため、説明するため、「こまつ座の音楽劇」という言葉を使わざるを得ないのである。作はこまつ座の座付き作家であった井上ひさし。演出は鵜山仁。音楽:宇野誠一郎&荻野清子。出演:井上芳雄、辻萬長(つじ・かずなが。有職読みの「」つじ・ばんちょう」でも知られる。)、木野花、大和田美帆、石橋徹郎、松永玲子、小椋毅(おぐら・たけし)、土屋良太、田中勝彦、鹿野真央(しかの・まお)、大久保祥太郎、みのすけ。ナイロン100℃の関係者が二人も出ている。ピアノ&スネアドラム演奏:荻野清子。荻野清子は三谷幸喜の作品で良く音楽や演奏を手掛けている人である。三谷幸喜の映画最新作「清洲会議」の音楽担当もこの人。

題から分かるとおり宮沢賢治を主人公とした作品である。「イーハトーヴ」という表記がよく知られているが、これは岩手をエスペラント語風に発音したもので、エスペラントでは名詞は「o」で終わるようなので(作中に出てくる)、「イーハトーボ」が採用したものと思われる(賢治自身は「イーハトーヴ」、「イーハトーヴォ」、「イーハトーブ」など様々な表記を用いている。名詞と形容詞が一致する場合は、エスペラントの形容詞が「a」で終わるため、そちらを優先させるようである)。

途中、15分間の休憩を挟み、約3時間という大作である。二幕四場という形を取っている。

第一幕第一場は、序章(代表作の一つである「注文の多い料理店」の序文、これも賢治が書いているのだが、これに想を得たセリフを舞台上に出演者全員が揃って、一人一人読み上げたり、全員で言ったりする。この時は皆、農民の格好をしている)に続き、宮沢賢治(井上芳雄)の妹で、日本女子大学校(現・日本女子大学。「大学」と名前は入るが、この時代の日本女子大学校はまだ専門学校である。ただ、今の専門学校とこの時代の専門学校はまた別物である)に通う、とし子(賢治の詩「永訣の朝」で知られる人である。「アメユジュトテチテケンジャ」は勿論、劇中に使われる。演じるのは大和田美帆)が肺結核で倒れたため、母のイチ(木野花)と共に上京するシーンから始まる。花巻駅から上野駅までの旅である。

列車には西根山の山男(小椋毅)という屈強な体の人間が乗り合わせている。山男は背中に岩手県の県章の入った法被を着ており、上野精養軒で開催されている民俗文化学会に出席してスピーチを行うのだという。山男は南部弁研究の第一人者なのだそうだ(矛盾した表現になるが、岩手県の中部・北部から青森県の東部に跨がる地域の名前が「南部」である。南部というのはこの地域を治めていた大名の苗字から取られたもの。アクセントは「な」ではなく「ん」を強く言う。南部鉄器などで知られる。岩手県の南の方を指す南部は仙台・伊達藩の領地であった)。

そして、とし子が入院している永楽病院(現・東京大学医学部付属病院小石川分院)の病室へと舞台は移る。

第一幕第二場は、賢治が家族に無断で上京し、本郷にある出版社でガリ版刷りの仕事(真面目な東大生が書いた授業ノートを製本して、不真面目な東大生のために売るという仕事をアシストするというもの)をしながら、鶯谷にあった国柱会館(国柱会は日蓮宗系の在家団体である。宮沢賢治は熱心な日蓮宗の信者として知られるが、より正確に書くと国柱会のメンバーである)に通っては、図書室にある本を読み、すでに作家を目指していたので童話を書くという生活を送っていた1921年が舞台である。

賢治が下宿しているのは東大本郷キャンパスに近い本郷・菊坂にある稲垣未亡人(木野花。二役)の住まい。ここに賢治の父親である宮沢政次郎(読みは「みやざわ・まさじろう」。演じるのは辻萬長)が訪ねてくるところから始まる。

宮沢政次郎は裕福な商家を営む、地元・花巻の名士であるが、熱心な浄土真宗の信者である。そのため、日蓮聖人の考えに共感し、日蓮宗に入れ込む賢治と対立することになる。

ここでは宗教談話が展開される。

休憩後の第二幕第一場は、農学校の教師を辞めて、上京し、エスペラントやチェロ、オルガン、タイプライターなどを学びながら、築地小劇場や歌舞伎座に通うという日々を送っている賢治の物語である。

花巻から上野まで行く電車で、賢治は伊藤儀一郎という男(辻萬長。二役)と出会った賢治。伊藤が「宮沢さんじゃないですか」と語りかけ、「あなた様はどちら様ですか?」聞くと、「あなたは私のことは知らないだろうが、私はあなたのことをよく知っている。そういう男です」と述べる。伊藤は賢治のことを実によく知っている。

東京の賢治の住まいで、伊藤は、エスペラントを習う。この時、エスペラントの名詞は「o」で終わるということが説明される。花巻は「Hanamakio」になるという。仙台は「センダーノ」になるらしい。

ここで、賢治の思想が共産主義に近いのではないかという話が展開される。伊藤の正体はほぼ全員が登場した時から感づいている通りのものである。ちなみに、井上ひさしは共産党員であった。

第二幕第二場は、花巻にある東北砕石工場のセールスマンとなった賢治が、営業先の東京で倒れて、療養している旅館の一室が舞台である。

このあとにエピローグがある。

 

赤、黄、緑の三色が定式幕のように順番に並んでいる幕が上がり、序章がスタート。宮沢賢治の文章を基にした詩的で美しい言葉が用いられている。谷川俊太郎の詩集『はだか』の収められた「むかしむかし」に通じるものもある。

そして、舞台は移り(通常のステージの上に回り舞台が設置されている)花巻駅。背の高い、赤い帽子の車掌(これで役名である。演じるのは、みのずけ)が「はなまき、はなまき」とコールするが、岩手弁である。登場人物も岩手弁を喋る人が多い。ということで、岩手県を舞台にした朝の連続テレビ小説「あまちゃん」を思い出して懐かしくなった。石川啄木の「故郷の訛り懐かし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」という短歌を本歌に「『あまちゃん』の訛り懐かし宮沢の賢治の劇にそを聴きに行く」という短歌が瞬時に浮かぶ。「あまちゃん」に出ていた木野花が出ているのは偶然なのか、それとも、もう「あまちゃん」に出ることはわかっているので、岩手弁の方言指導を兼ねてキャスティングされたのかはわからない。木野花は青森県出身で、国立弘前大学を出るまではずっと青森で過ごしてきたので、津軽弁は達者である。津軽弁と南部弁は近いのかも知れない。

永楽病院の一室。賢治の妹である、とし子と、やはり同じ病気で入院し、同室となった福地ケイ子(松永玲子)、そしてケイ子の兄で、三菱の社員である福地第一郎(石橋徹郎)が見舞いに訪れている。第一郎は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)にも合格したほど音楽の才能がある。結局、東京音楽学校には進まず、同時に合格した東京工商(東京高等工商学校。現在の芝浦工業大学の前身)に入学。戦時なので、三菱は採用枠を増やしており、工業系学校の出身者は優先的に入社出来たのだという。「僕の読みは当たる」と胸を張る第一郎。この第一郎が狂言回しとなり、病室を訪れた賢治の紹介などを行う。いわゆる説明ゼリフが多用されるのだが、これは状況をわかりやすくするために井上が敢えて行う手段である。その後は、文学的に高度な作劇方が展開される。

第一郎には、「これは実に稀なことだ」、「これはよくあることだ」という二つの口癖があるのだが、賢治はそれをカウントしており、「これは実に稀なことだ」の方が、「これはよくあることだ」より多いので逆だと指摘したりする。

賢治はベジタリアンであるが(「ビジタリアン大祭」という作品を書いている)、とし子には精が付くようにと、牛肉を食べるようにと勧める。だが、とし子が牛肉を食べようとする度に、日蓮宗のお題目である「南妙法蓮華経」を唱える。

第一郎は、「人間は生物と、穀物を食べて生きているのであり、穀物しか食べないというのは、人類の半分を飢え死にさせろ言っているのだと一緒だ」と賢治をなじるが、賢治は、「牛、一頭が食べる草の料を知っていますか?」と聞く。第一郎は三菱の社員なので、小岩井農場(三人の設立者から一文字ずつ取って農場の名前としたもので、「岩」は「岩崎」の岩である)にも詳しいのである(小岩井農場にも来ており、「岩手山の宵の風景の美しさ、いや風景などという下劣なものではない、あれは詩だ。その詩を知っている君と僕とは親類のようなものだ」などといったりする)。牛一頭育てるための草を育てる面積で穀物を作れば、相当な量が取れる。世界中が牛を育てるのを止めて穀物を作れば、誰も喰うに困らなくなるという。

第一郎は、「君は白樺派の作家のような思想の持ち主だな」と言う。この後の賢治のセリフで仕掛けがある。賢治は「自分は人を生かす道はねえのす。自分を生かす。これしか出来ねえのっす」という言うのだが、これは白樺派の作家である武者小路実篤の言葉、「この道より我を生かす道なし、この道を行く」のパロディである。賢治は「新しい村のようなものを作りたい」というような意味のことを言うが、これも武者小路らが中心となって作られた「新しき村」から取られている。

第一郎は作詞作曲をするのだが、第一郎が農村を題材に作った歌に出てくる、「広場」というものは村には存在しないと賢治は指摘する。第一郎は東京生まれの東京育ちで農村のことを知らないのである。

第一郎は、賢治と、とし子の兄妹は変だと言うが、実際に変なのは福地兄妹の方で、ケイ子は変なところで大笑いするし、第一郎は近親相姦のことを言い当てられたのだと勘違いし、「知ってたのか!」、「一度だけなんだ。それも10年も前の話だ」などとつい口にしてしまう。賢治は鈍くて、「何が一度だけなんですか?」、「何が10年前なんですか?」と全く気付いていない(宮沢賢治は、「生涯、女を知らなかった」と言われる。同性愛者であったわけではない)。

第一場のラストに、「背の高い、赤い帽子の車掌」が登場する。花巻にいた時は岩手弁であったが、ここでは東京の言葉を話す。車掌は「思い残し切符」なるものを賢治に手渡す。

今日、この病院で亡くなった二人からの思い残し切符であるという。車掌は宙乗りで舞台上方へと消えていく。姿形こそ「背の高い、赤い帽子の車掌」と同じであるが、正体はどうやらこの世の人ではないようである。

第一幕第二場

賢治が家出するために花巻駅から東北本線の列車に乗るシーンから始まる。

賢治の下宿先である稲垣未亡人の家の居間。稲垣未亡人を演じる木野花が、賢治の作詞作曲である「星めぐりの歌」を歌い、踊る。

そこへ、賢治の父親である宮沢政一郎が訪ねてくる。法華経かぶれの賢治を論破して、家に連れ戻そうと政一郎は考えており、日蓮に関する知識もたっぷり入れてきたという。ちなみに政一郎は標準語も話すことが出来る。言葉遊びが行われて、「けんじ」といって、「賢治」のことかと思ったら、更に続いて「賢者は」だったりする。

賢治が帰ってきて、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。

政一郎と賢治の対面。宗教の話になる。政一郎は日蓮宗の方が優れた教えだと証明出来なかった時は家に戻るように言い、「日蓮は、法華経以外の教えを認めない。キリスト教もイスラム教も駄目だという。そして全ての経典を読み、その結果、法華経以外の経典は全て劣っている結論づけた。今ある、経典は全て釈迦の言葉を書き残したものだ。それに優劣を付けるなんてとんでもない」と言うが(稲垣未亡人はクリスチャンであり、「キリスト教は認めて下さいまし」という)、賢治は、「夏目漱石の『満韓ところどころ』と『こゝろ』を比べてみて下さい。『満韓ところどころ』はそれほど良い作品ではねえです。『こゝろ』は傑作です。同じ作者でも書いたものに優劣はあるのっす」と返す(実際は浄土真宗も優劣こそ付けないが、浄土三部経以外の経典は用いることはまずない。親鸞聖人の師である法然聖人が経典全てを読み、民衆を救うのに最も適した経典を探した結果、浄土三部経が良いとしたためである。般若心経を読むのは禁止ではないが、基本的に用いることはない。私は門徒である)。

政一郎は、「日蓮は『立正安国論』の中で、念仏宗(浄土系宗教のこと)が流行っているため、民衆は阿弥陀如来ばかりを信仰し、本来の釈迦を敬うことを忘れていると書いている。今の惨状は全て念仏宗のせいだと(実際に『立正安国論』の中で日蓮は、「法然」と実名を挙げて批難している。『立正安国論』は戯曲仕立て。対話で語られている。私は現代語訳で読んだが面白い本である)。そうやって自分こそが正義だという姿勢が気に入らない」というようなことを言う。そういう考えの人間はすぐに家長になろうとする。だから法華経は駄目なのだという。

また、「死が迫っていて、もう僅かしか力がない。そういう人が唱えるのに、『南無阿弥陀仏』は適している。『南無妙法蓮華経』は長い。全部唱える前に事切れてしまう」。

「『南無阿弥陀仏』は小声で唱えて内省的であるが、『南妙法蓮華経』はうるさい」

政一郎「『南無妙法蓮華経』は書物を敬う。『妙法蓮華経』という経典の名前を唱える。『南無阿弥陀仏』は阿弥陀如来だ。阿弥陀如来は悟りを開いた人だ。今まさに死が迫っているときに人は何という? 誰のことを思う?」

賢治「おかあさん」

政一郎「そうだ。人の名前だ。『おかあさん』、おかあさんがいないなら『おとうさん』。だが法華経は書物だ。『南無おとうさんの日記』、『南無おとうさんの日記』」などというか?」

と畳みかける。

部屋の中には蝿が飛んでおり、賢治が政一郎が話している時に、「そこです!」と言い、反論するのかと思いきや、「そこです!」は「そこに蝿が止まっています」という意味だったという言葉遊びが行われる。

政一郎は、「念仏経には、西方浄土というものがある。この世を穢土として西方の極楽浄土に行くことを望む。法華経の浄土はどこにあるのだ」と問うと賢治は「この世界を浄土にするのです。西方に行く必要はねえのです」というが、ここで気がつき、尻もちをつく。自分の出身地である花巻から、南西の方角にある東京に賢治はいるのである。出身地を浄土に出来ないのに、東京に来ているというのは日蓮宗の教え背いているのである。そして東京という恵まれた場所に行っているのは浄土教の西方浄土に行っているのと同じことなのである。

政一郎はあらゆる言葉で賢治をなじるが、とうとうなじる言葉が尽きてしまう。そこで賢治は「木偶の坊などはどうですか?」という。これが実は伏線である。「木偶の坊」は「雨ニモマケズ」に出てくる言葉であるが、更に深い意味が浮かび上がるのである。

賢治は頭を冷やしてくると行って、表へ出ようとする。去り際に「狸おやじ」と悪態をつくが、政一郎が「他には」というと、「以上です」と行って出て行ってしまう。政一郎は「高等農林学校(盛岡高等農林学校。現在の岩手大学農学部の前身)まで出ていながら情けない」という。

稲垣夫人は、「賢治さんを論破できなかった時はどうなさるおつもりだったのですか?」と聞くと、政一郎は「あれは妹と実に仲が良い。『とし子危篤』。この電報ですぐに戻ってくる」と言う。これが一幕のラストシーンである

劇の中に出てくるフィクションではあるが、これが言霊となったのか、本当に、とし子は結核で危篤状態となってしまい、賢治は帰郷。とし子は若くして亡くなるのである。そのことは劇中では後に思い出として語られる。

休憩後、第二幕第一場

出演者のうちの4人が舞台後方に座り、「ドッドドドドウドドドウドドドウ」と『風の又三郎』の冒頭の擬音を歌う。

若者(パンフレットには「風の又三郎らしき少年」とある。演じるのは18歳の若手、大久保祥太郎)が賢治が農学校の教師を辞めて、上京するので花巻駅まで見送りに来る。若者は賢治の教え子であり、教師辞任を撤回して欲しいと懇願するが、賢治はこれからは新しい教育が必要であり、羅須地人協会(らすちじんきょうかい)というものを作り、そこで教育を始め、音楽鑑賞会など色々なことをやるので来なさいと告げる。

この時には賢治はすでに訛りはほとんどなく、標準語を話す。「背の高い、赤い帽子の車掌」も少し訛るだけで標準語を話す。標準語化教育が浸透しているのがわかる(標準語は東京の山の手の言葉を基準にして作られた、人工言語である。江戸弁ではない。江戸弁は「てやんでえ! べらぼうめ!」といった風の乱暴な言葉である。ドラマなどで勝海舟が江戸弁を喋ることがあるが、「あっちはねえ!」という威勢の良い荒い言葉であることがわかる)。

花巻から乗った列車の中で、賢治は中年の男から、「あれ、宮沢さんじゃないですか」と話しかけられる。賢治はその男に見覚えがなく、「あなた様は、どちら様ですか?」と尋ねるが、返ってきたのは「あなたは私のことは知らないだろうが、私はあなたのことをよく知っている。そういう男です」という曖昧な返事。男の名前は伊藤儀一郎。伊藤は賢治についてよく知っている。賢治が、詩集『春と修羅』と童話『注文の多い料理店』を出版したことを知っており、「大したものだ」というが、賢治は「いや、どちらも自費出版で1000部刷ったがほとんど売れないので大したことないです」と答える。伊藤は、花巻駅前の書店で『注文の多い料理店』を買う客を見たという。しかし、買った客は後でカンカンになって戻って来て、「『注文の多い料理店』というから料理店経営のための本かと思ったら変な物語ではないか」と突き返したそうだ。買った男の後を着けてみると、確かにその男は料理店の経営者であったと告げる。

伊藤は賢治に「どちらまで行かれます?」と聞く。賢治が「上野までです」と答えると、伊藤は「では、私も上野まで」という。賢治が不審に思って「では?」と聞くと、伊藤は「いや」といって濁す。

賢治が上京したのは、花巻で音楽劇を上京するために東京で勉強するためである。エスペラントは花巻でも勉強していたが、東京の方が書物は多い(今のようにネットで日本中どこからでも欲しい本が手に入るという時代ではなく、花巻にいては今どんな本が出版されているのかもわからないのである。劇の序章で、「ちくま文庫から出ている『宮沢賢治全集』から」というセリフがあるが、私が千葉にいたころは、ちくま文庫から作家の全集が出ていることを知らなかった。千葉市の書店には置いていないのである。明治大学に入学して神田の書店街に足繁く通うようになってから、ちくま文庫が作家の全集を出していることを知ることになる)、チェロやオルガンなども習ってはいたが、東京の方が学べるところが沢山ある。また、この劇には出てこないが、賢治は劇場に通い詰めており、台本を書くためにタイプライターも習っている。高村光太郎とも親交を得たそうである。

舞台は賢治の東京の住まいに移る。伊藤は賢治の話を聞いているうちにエスペラント語に興味を持ったので、エスペラントを習いたいという申し出て、賢治の家で、エスペラントを学習している。冒頭で、賢治役の井上芳雄と伊藤役の辻萬長が賢治の作詞作曲による「エスペラントの歌」を歌う。

エスペラントは簡単であり、すぐに習得出来るという(実際、トルストイが学んで30分で簡単な会話が出来るようになったという話が伝わっている)。エスペラントはユダヤ人のザメンホフが作ったものだという。ザメンホフはユダヤ系ポーランド人であり、ポーランド人といわれることが多いのだが、この劇では敢えてユダヤ人としている。

エスペラントは単語の終わりの音が決まっており、名詞は「o」の音で終わり、形容詞は「a」で終わるという。ちなみに「イーハトーブ」と書いた場合の「u」は何かと思って見てみると、命令形で「u」が使われるようである。

賢治は、「あなたは誰なのですか?」というエスペラントを書いて読み、伊藤に復唱させる。「そして私は○○です」という言葉を使うのだが、「ポリティシオ」という言葉を予め用意し、伊藤にそれを言わせる。「ポリティシオ」とは警官のことである。ほぼ全ての観客が気付いていたと思うが、伊藤の正体は警官である。花巻署の刑事だ。

賢治は伊藤が自分を尾行していることに気付いたという。一人で上野の図書館に行き、それから御茶ノ水に向かってYMCAに行ったのだが、その途中で何度も伊藤の姿を目撃している。そして、今度は逆に伊藤を尾行してしまうのである。伊藤が警察署に入ったので、署の受付で、「今入っていった人は、知り合いの人によく似ているのですが、○○○太郎さん(名前は漢字に直すと5文字のものであったが、二度しか出てこないので最後の「太郎」しか覚えていない)ではありませんか? 久しぶりに見かけたので、懐かしくて会いたいのですが」というと、受付の署員は「馬鹿なことを言っちゃいいけない。今、入っていったのは花巻署の刑事で伊藤儀一郎さんという人だ」と口を滑らせたという。

賢治は身に覚えがないので、何故、自分が刑事に尾行されなくてはならないのか訝しむ。伊藤は、賢治が上野の図書館で共産主義のことが書かれた本を手にしたのを目にしたとい。賢治は巻末にエスペラントの良い例文が載っていたからだというが、それも共産主義に繋がるものではある。伊藤は、「エスペラント語はユダヤ人の作ったものだったね。ユダヤ人の作るものは実に危険なものが多い。共産主義とか」という。賢治が、「それはカール・マルクスのことですか」と聞くと、伊藤は「そうだ」と答える。

また賢治が農民のための活動をしているが、それも共産主義に繋がるという。更に賢治が岩手労働党という左翼の政党に資金援助していることも突き止めている。賢治は「岩手労働党は農民のための政党です。知り合いも沢山入党しています。資金援助するのは当たり前です」というが、伊藤は、「君ね、『農民』なんてご大層な言葉を使うが、彼らは『百姓』だ。農民なんていう良い身分のような言葉を使われても彼らはポカンとするだけだ」といい、裕福な商家を営み今は政治家である宮沢政次郎の長男である賢治に農民の気持ちなど解るはずがないという。賢治が「ひょっとして、お生まれは農民ですか?」と聞くと伊藤は不承不承ではあるが肯く。

賢治は農民達のための活動として、劇を行いたいと言う。それも音楽劇が良いのだと。それが花巻の農民には一番適していると。伊藤は「それでチェロだのオルガンだのを習っているわけか」と腑に落ちる(「腑に落ちる」は明治以降に使われ始めた比較的新しい言葉である。「腑に落ちない」が古くから使われている言葉で、その肯定形として明治以降に考案された言葉である。辞書には載っていない場合もあるため、今でも「誤用」と考える向きもある。もし「腑に落ちる」を昔からある言葉に言い換えるなら「得心する」が一番であろう。次いで「納得する」だろう)。

賢治は更に、エスペラントでセリフを書きたい、そうすれば世界に発信出来るという壮大な構想を語るが、そうした高等遊民的思想は更なる怒りを買うのである(伊藤は激昂すると岩手弁で話す)。

伊藤が去った後で、車掌が出てきて思い残し切符を賢治に手渡す。賢治が「あなたは一体誰なのですか? いつもの背の高い、赤い帽子の車掌さんの格好をしているが、あなたはあの車掌さんではない」と聞く。車掌はエスペラント語で、「私はコンダクトーラ」だと言って、宙乗りで猿、じゃなかった去る。宙乗りをするのは猿之助(先代も当代も)であるが、猿ではない。

急いで「コンダクトーラ」という単語をエスペラントの辞書で探す賢治。「コンダクトーラ。あった! 『車掌』。いや、車掌なのはわかっている!」と賢治はいう。車掌は英語で「コンダクター」。指揮者と一緒である。「導きを行う」という意味の形容詞の名詞化として語尾は「o」でなく「a」が適用されるのであろう。

第二幕第二場

賢治が舞台の中央で寝ている。「背の高い、赤い帽子の車掌」が、次は「岩沼、岩沼(宮城県岩沼市)」とコールする。

賢治はゆっくりと起き上がり、「誰にも必要とされない木偶の坊と呼ばれ」という「雨ニモマケズ」の一節を述べた後で、再び眠ってしまう。賢治の周りには農民達がいる。賢治が眠り込んで、セリフを「言わぬ間」に農民達が賢治について色々話す。

賢治は体が弱いのにセールスマンとしてあちこち飛び回るようになり、野菜しか食べない上に過労がたたって、肺病で倒れてしまったことが告られる。

舞台は、賢治が療養している東京にある旅館の一室に移る。先程から登場していた松永玲子は仲居さんであることがわかる。人が訪ねてくる。変装をしているが、正体は福地第一郎である。賢治に会い、声音を変えて「宮沢さん、お久しぶりですね。12年ぶりでしょうか」といい、第一郎は変装用のかつらを取る。「第一郎さん!」と賢治は気付く。第一郎が変装しているのは、賢治が寝ている客室の隣の部屋に泊まっている前田という男に恨みがあるためである。前田は三流小説家であるが、女にだらしなく、第一郎の妹であるケイ子と恋仲になったが遊んで捨て、ケイ子はショックの余り睡眠薬を飲んで自殺を図り、命は取り留めたものの昏睡状態だという。第一郎は前田を射殺するための拳銃を持っている。

第一郎が、賢治に「妹さんは元気か」と聞くと、賢治はこう答える「妹はあれから一年持たないうちに亡くなりました」と答える。「冬の日に、妹はなくなりました。霙の降る日でした。妹は『アメユジュトテチテケンジャ』と言いました。『アメユジュ』は花巻の言葉で『霙や霜』、『トテチテケンジャ』は『取ってきて下さい』です。それが最後の言葉でした」

第一郎は三菱で出世しており、満州に渡って、石原莞爾(いしはら・かんじ)と組み(ここでピンとくる人はピンとくる)、新たな事業を展開する計画がある。

口癖である「実に稀なことだ」と「これはよくあることだ」は変わっておらず、賢治に指摘される(第一幕第一場で賢治が第一郎の口癖をカウントするのが伏線になっている)。

第一郎は、「世の中には『実に稀なことだ』と『これはよくあることだ』の二つしかない」と主張する。

第一郎は、自身も国柱会に入会したということを告げる。石原莞爾が国柱会のメンバーだからだという。それゆえ、「同じ国柱会に入っているのだから、君と僕とはもう親戚のようなものだ」と語る。親戚になるのが好きな人のようである。

「井上日召(血盟団の首領)先生や、北一輝(二・二六事件の思想的主導者とされる人物である)先生も国柱会だ(実際は二人とも日蓮宗の信仰者であるが国柱会には入っていない)。今、日本は国柱会によって動かされようとしているのだ」と主張する第一郎。

「今の日本は腐りきっている。私利私欲を貪る奴らばかりだ。そうした連中を我々の中の一人が一人殺す。それで多くの者が幸せになる。そう、『一人一殺』、『一殺多生(いっさつたしょう)』(共に血盟団のスローガンとして知られる)だ」と第一郎は唱える。それで前田を殺そうというのである。

しかし、賢治はそれはおかしいという。第一郎は三菱の社員である。財閥というのは私利私欲に走らねば成り立たないものであり、三菱財閥に務める第一郎が私利私欲に走るのはけしからんというのは矛盾している。そういうことをいうなら三菱を辞めるべきですという。

舞台の一部が跳ね上がり、床下から車掌が現れ、「思い残し切符」を第一郎に渡す。思い残し切符は第一郎の妹のために渡したものであり、車掌は賢治に「あなたのはありません」と言い、賢治は「それはわかっています」と答える。更に車掌は第一郎にも「あなたのもです」と言って、奈落へと駆け下りていく。

思い残し切符は賢治によると「受け取った者は、最低でも今後3年間は死ぬことはない」という縁起の良いもので、いわば幸福の切符である(ということで、自分の分は貰えなかった第一郎も近く、命を落とす運命にあるということである)。

賢治は第一郎に妹さんに渡せば命は助かる、意識も戻るかも知れないという。

起き上がった賢治は「山男のような強いからだに生まれたかった。岩手には色々な踊りがある」と足を上げるだけの舞をする。

そして賢治は、「日蓮聖人は自分のことを『木偶の坊』だと言いました。『駄目な人間』、『賢しい痴れ者』、私は自分のことをそう言う日蓮聖人が好きなのです。今の日蓮宗系の新宗教は日蓮聖人の強い部分ばかりを強調します(共産党の政敵でもあるあそこなど)。でも日蓮聖人は弱い人です。日蓮聖人は釈迦の生まれ変わりでも神でも仏でもない、日蓮聖人は人間です。そういう弱い日蓮聖人を好きな人が一人くらいいてもいいではないですか」と唱える。

「自分は木偶の坊だ、駄目だと思う。そういう人間が増えることがこの修羅を浄土に変える方法なのではないでしょうか」というのである。

エピローグ

キャスト陣が舞台後方に並び、演奏家である荻野清子を除いた、舞台上にいる全員が「あなた方の行く先は決して幸せなものではないでしょう」から始まるセリフを語る。彼らは死者である。「この舞台は、あなた方を乗せたこの劇列車はこれでもうお終いです」これが終幕であることが告げられる。

グスコーブドリ号(東日本大震災の福島第一原発事故で有名になった「グスコーブドリの伝記」から取られている)の女車掌であるネリ(大和田美帆。二役)が現れ、グスコーブドリ号の出発を告げる。死者達は全員、農民である。一人一人が、思い残す言葉を告げる。

賢治が現れ、死因を「肺病をこじらせてしまいました」と言い、「広場が欲しかったな。町の真ん中に広場があれば、色々なことが出来る。岩手には踊りがあり、歌がある」と語る。ネリは「中心にそういうものがあれば様々な表現が出来ますものね(劇場も含まれる。偶然の一致であるが、今回の公演では西宮公演だけが兵庫県立芸術文化「センター」で行われている)。中心にないと目移りしてしまう。皆、ここが世界の中心だと思えばいいのです」という。こらはは賢治と親交があった高村光太郎の『智恵子抄』に収められたの最後の詩に出てくる。岩手県花巻市で書いた詩である。光太郎は「ここを世界のメトロポオルと一人思う」書いているのである。光太郎は戦災を逃れて花巻に疎開し、親交のあった宮沢賢治の実家である宮沢家が名門だというので世話になることにした。家は賢治の弟である清六が継いでいる。その後、光太郎は花巻市郊外に質素な家を建てて移り住む。ここは現在、「高村山荘」という記念館になっており、私も1994年に訪れたことがある。

中央の柱が赤く光る。それは国の柱ではなく村の柱である。しかしこの柱は世界のメトロポオルなのだ。

車掌が現れ、長い時間敬礼を行った後で、思い残し切符を数多く取り出し、客席に向かって「幸あれ」とばかりにバーッと撒く。撒いて幕である。

偶然であるが、メッセージは「あまちゃん」でGMT5が歌っていた「地元にかえろう」に非常によく似ている。勿論、宮藤官九郎も演劇人且つ東北人なので、「イーハトーボの劇列車」を知っていた可能性もあるのだが、「あまちゃん」で語られるメッセージは今は主流ともいえるものである。ただ、当然ながら、「イーハトーボの劇列車」の初演はかなり前であり、それが現代の潮流に合ってきたということになる(宮沢賢治もそうだが、建築家で実業家のウィリアム・メレル・ヴォーリズも近江八幡を「世界の中心だ」として永住した人である。近江八幡市の八幡堀周辺の街並みはとにかく美しく、私もあそこは世界の中心だろうと考える)。マザー・テレサは、「あなたが平和のために何が出来るかって。とにかく早く家に帰って家族を愛しなさい」と唱えたように、身近なところで自分に出来ることをする。その大切さが語られる。ただ自分の身内だけを考えているだけでは駄目なのである。中心で皆にメッセージを送る必要があるのだ。それは文化であり、思想であり、芸術であり、教育であり、とにかく皆のためにすることをしないといけないのだ。

皆のために、「幸あれ」と思い出し切符を撒くような、他者の幸福を願うことが必要なのである。

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観劇感想精選(106) 長澤まさみ主演舞台「ライクドロシー」

2013年12月1日 大阪・北新地のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後5時からサンケイホールブリーゼで、M&O play プロデュース「テイクドロシー」を観る。作・演出:倉持裕。出演は、長澤まさみ、高橋一生、片桐仁(かたぎり・じん)、塚地武雅(つかじ・むが)、川口覚(かわぐち・さとる)、竹口龍茶(たけぐち・ろんちゃ)、吉川純広、銀粉蝶。

長澤まさみ二度目の舞台出演であり、ドランクドラゴンの塚地武雅は意外にもこれが初舞台になるという。

どことも知れない国で、童話やマンガの中のようなストーリーが展開される。ただし寓話ではない。コメディである。

プロセニアムであるが、見た目は黄金で豪華であるが、近くで見ると板で出来ているのがわかり、結構いいかげんな作りである。敢えてそうしているのだと思われる。

幕が開くと、三人の俳優が足の裏をこちら側に向けて仰向けに寝ている。長澤まさみの影アナ(後に録音であることがわかる)で、「今、ここにある三人の溺死体は、刑務所から脱獄した囚人達のものです」と語られるが、その中の一人、バイス(片桐仁)が悪夢から目覚めたようにバッと起き上がり、長澤まさみの影アナも「チッ」と舌打ちした後で、「生きていやがったか」で終わる。

バイス、アクロ(高橋一生)、リオ(塚地武雅)の三人はいずれも軽犯罪で逮捕されたのだが、この国では刑罰が異様に厳しいようである。三人とも囚人服を着ており、バイスとリオは手首を、リオとアクロは足首を鎖で繋がれている。バイスは左腕以外、アクロは左足以外は自由であるが、リオは左腕と右足が手錠と鎖で不自由である。脱獄したはいいが溺れてしまったのはバイスが平泳ぎで、アクロがクロールで泳ぐので、リオは左手と左足は平泳ぎ、右手と右足はクロールで泳がねばならず、曲芸のようで無理だと話す。

囚人服では目立つので、服が欲しいと思っていたところ、すぐ近くで交通事故があり、3人の男が転がってくる。3人は轢死しており、バイス、アクロ、リオの3人は死体から服をはぎ取り着る。ただ、リオだけは手足ともに自由が利かないため変な格好になってしまう。バイス、アクロ、リオは、3つの遺体を海に捨てる(死体役の役者達は横にゴロゴロ転がっていって、袖の近くで立ち上がって退場した。もう一工夫欲しい。役者が見苦しくなく退場するのは実は難しいのである)。そこへ、この国の女大統領であるザポット(銀粉蝶)の小間使いをしているマッツ(長澤まさみ)が現れる。マッツは彼ら脱獄囚3人がこれから行われる芸術祭の参加者だと勘違いして、宮廷へ招こうとする。3人も今は、芸術家になりすますのが得策と考え、宮殿に向かうことにする。だが、実はマッツは勘違いをしていたのではなかった……

コメディであり、深いメッセージが隠れているわけでもないので、純粋にストーリーを楽しめばいいだけである。

ちょっと素人劇っぽく感じられるところもあるが、演劇というのは幅の広いものであり、素人劇っぽいから駄目ということはない。ちょっと疲れている時などは、頭をフル回転させる演劇よりも、こうした気楽に観られる劇を楽しむ方が良いかも知れない。

片桐仁が、スラーという男を演じる川口覚のセリフの発し方を真似るなど、役者も楽しんで演技している。

コメディであるが、実は今日はハプニングがあった。スラーを演じていた川口覚が、笑いを取るべきではない場所で滑って転んでしまったのである。長澤まさみは川口を咄嗟に助け起こしたものの、観客が全員、川口が滑ったことに気付いて笑い始めてしまったということもあり、その場にいた役者3人が全員笑いをこらえようとして変な間が出来てしまう。長澤まさみが笑いを噛み殺しつつ何とかセリフを発したものの、もう舞台上に変な空気が出来上がってしまっており、客席は爆笑の嵐である。銀粉蝶が笑いつつも何とか芝居を進めようとするが、長澤まさみはいったん退場した後で、すぐに登場し、今度は滑ってこけた川口に面と向かって話しかけねばならないのである。これは笑いを抑えるのは難しい。ということで、長澤まさみは二言目までは言えたものの、思い出し笑いがこみ上げてきて、肩で笑う状態となってしまい、「もう駄目」とばかりにしゃがみ込んで、スカートに顔を押しつけ、笑いを殺すのに必死の状態になってしまう。会場は笑いではち切れんばかりになる。全てのシーンの中でここが一番受けてしまった。役者やスタッフにとっては不名誉なことかも知れないが、ハプニングを楽しむというのも生ものである演劇を観る醍醐味である。

 

終演後、塚地武雅が初舞台、そして地元・大阪での公演ということで感慨深いということを話した後で、「ここで、川口君からお詫びがあります」と振り、川口は照れながら「すみません、スライディングしちゃいました」と詫びた。

 

長澤まさみであるが、スタイル抜群ということもあって立ち居振る舞いは良かった。今日はロングスカートの衣装であったが、最近の長澤は美脚を売りにしているということもあってか、スリットが入っており、長澤も良い場面で脚が綺麗に見えるよう計算して演技を行っていたようである。

ただ、気になったのは、長めのセリフを言うときに、目を細めたり閉じたりすること。終演後、これから公演行う街の名を言うときにも長澤は目を閉じて思い出しながら語っていたため、癖なのだと思われるのだが、「セリフを思い出しながら喋っています」ということが観る者に伝わってしまうのである。今日はたまたま前から2列目での鑑賞(特に長澤まさみが好きなわけではないのに、そんな席で観るのは気が引けて、長澤まさみファンの人に席を譲りたくなったほどだ)であったため、そういった細かい傷に気付いたのだった。

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2013年12月18日 (水)

これまでに観た映画より(60) ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」

Blu-rayで、イギリスのミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を観る。フランス・ロマン派の文豪であるヴィクトル・ユゴーの長編小説を原作に、アラン・ブーブリルの脚本、クロード=ミシェル・シェーンベルクの脚本と音楽で制作したミュージカルの映画化。トム・フーパー監督作品。ミュージカル初演時のプロデューサーであるキャメロン・マッキントッシュの製作。出演:ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、ヘレナ・ボナム=カーター、サシャ・バロン・コーエン、サマンサ・バークス、エディ・レッドメイン、アーロン・トヴェイト、イザベル・アレン、アマンダ・セイフライドほか。

ファンテーヌ役のアン・ハサウェイ(私よりもずっと若いが同じ11月12日生まれである)がアカデミー助演女優賞を受賞。その他にもメイクアップ&ヘアメイク賞と録音賞も獲得し、アカデミー賞の3部門で賞を受けている。

激動の19世紀のフランスを舞台に、パンを一つ盗んだ罪で19年間の懲役に服したジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)が、仮釈放後、身分を偽って社会のために生きる姿と、バルジャンが引き取ったコゼット(アマンダ・セイフライド)と学生で革命の希望に燃えるマリウス(エディ・レッドメイン)との恋を描く。

原作は岩波文庫の分厚い装丁で4冊分あり(途中で詩なども挿入された、正にロマン派に相応しい小説である)、全てを2時間半のミュージカルや映画に取り込むことは出来ないので、物語はジャン・バルジャンと彼を必要に追うジャベール警部(ラッセル・クロウ)の対立、コゼットとマリウスの恋、そして革命戦線の3つに集約されている。

監督のトム・フーバーの演出は、大掛かりなセットと、真上からのカメラアングルなど、贅沢で趣向を凝らしたものである。ミュージカル映画は、歌は先に録音して口パクか、アフレコが基本であるが、この映画では、演技と同時に歌が録られており、これは新しい試みだという。

原作小説の読み応えには到底及ばないが、ミュージカルや映画としてなら十分に楽しめる水準に達していると思う。クロード=ミシェル・シェーンベルクの音楽も素晴らしい。

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2013年12月17日 (火)

これまでに観た映画より(59) 「チーム・バチスタの栄光」

DVDで日本映画「チーム・バチスタの栄光」を観る。原作は作家にして現役の医師でもある海堂尊。脚本は、斉藤ひろしと、「トリック」の蒔田光治。中村義洋監督作品。出演、竹内結子、阿部寛、吉川晃司、佐野史郎、玉山鉄二、井川遥、田中直樹、池内博之、田口浩正、山口良一、野際陽子、平泉茂、國村準ほか。ドラマ化もされている作品だが、原作やドラマとは違い、主役の田口は女性になっていて、竹内結子が演じている。

東城大学付属病院が舞台。拡張心筋炎の手術を行うバチスタ手術。成功率は60%と低いが、東城大学付属病院の桐生(吉川晃司)を中心としたチームはこのバチスタ手術を立て続けに成功させ、世間の注目を浴びている。

しかし、ここ3回のバチスタ手術は連続して失敗。その原因がどこにあるのかを探るよう院長(國村準)から指示された心療内科医の田口(竹内結子)は、チーム・バチスタに聞き込みを行い、バチスタ手術にも立ち会うことに。国境なき医師団によって運ばれてきた黒人の難民の少年のバチスタ手術は成功し、これまでのバチスタ手術の失敗は単なる不可抗力によるものと考えた田口だが、そこに厚生労働省官僚の白鳥(阿部寛)が乗り込んできて、バチスタ手術は失敗したのではなく、誰かが人為的に患者を殺したのだという確信を述べる。

医療の現場という、一般人には余り馴染みのない場所での事件をわかりやすく解説してくれる手際の良さが目立つ。エンターテインメント作としてはまず成功作だろうが、純粋に映画として観た場合、特に傑出した出来というわけではないように思う。良くも悪くも明快な作品だ。

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コンサートの記(114) 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 コンサートオペラ バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」

2013年9月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、バルトーク作曲によるコンサートオペラ「青ひげ公の城」を聴く。演奏するのは井上道義指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団。歌劇「青ひげ公の城」に登場する歌手は二人だけ。今回はいずれもバルトークと同じハンガリー・出身のイシュトヴァーン・コヴァーチ(青ひげ公。バス)とアンドレア・メラース(ユーディト。メゾ・ソプラノ)が歌う。

井上は、東京と大阪の二都市でコンサートオペラ「青ひげ公の城」の上演を企画。先に東京芸術劇場で東京フィルハーモニー交響楽団を指揮した公演が行われた。歌手は二人とも大阪公演と同じ。吟遊詩人は東京では俳優の仲代達矢が演じたが、大阪ではバリトン歌手の晴雅彦(はれ・まさひこ)が務める。

昨日、9月26日が命日だったハンガリー出身のべーラ・バルトーク(ハンガリーはアジア系のフン族の末裔といわれており、姓名も東洋同様、苗字+名前の順で表記され、呼ばれる。ただ、ハンガリー人は他の国に行くときは、他のヨーロッパ諸国に倣って、ファースネーム+ファミリーネームの順に改める。バルトークもハンガリー国内ではバルトーク・べーラと呼ばれているが、晩年にアメリカに渡ったため、他の国ではアメリカ風にべーラ・バルトークと書かれるのが一般的である)。ソルターン・コダーイ(ハンガリーではコダーイ・ゾルターン)と共にハンガリーの国民楽派を代表する作曲家であり、管弦楽のための協奏曲、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、バレエ音楽「中国の不思議な役人」(全曲版と組曲版がある)などはコンサートで取り上げられることが多い。また子供のための易しくて面白いピアノ曲をいくつも書いている他、ハンガリーの民謡採集にも熱心に取り組んだ。
性格は残念ながら最悪の部類に入る人だったようで、自己中心的、傲岸不遜、無神経などと評される。ただ音楽的才能は誰もが認めるものだった。

歌劇「青ひげ公の城」はフランスの伝承を基にシャルル・ペローやグリム兄弟などが童話化したものを、バラージュ・べーラ(ハンガリー風表記。西洋風表記だとべーラ・バラージュ)が戯曲化して上梓したものにバルトークが曲を付けて完成させたもので、1幕のみの中編オペラである。残忍なことで知られる王様、青ひげ公に嫁いだユーディトという女性が青ひげ公の内面を解き明かしていくという心理劇である。ただ、出演者は二人のみで、場面転換があるわけでもなく、心理劇であって大きな事件が起こるわけでもないので、上演される回数は少ない。バルトークの代表作であり、20世紀に書かれたオペラとしては知名度も高い方であるが、現在、日本語字幕入りの映像作品は発売されておらず、国内盤歌詞対訳付きのCDも数枚しか発売されていない。

今回は、歌劇「青ひげ公の城」には場面転換がないので、セット転換もいらないが、ならばいっそのことセットもなしでやろうというステージ・オペラ形式での上演となる。オペラの上演も可能なフェスティバルホールの広い舞台を生かした演出による演奏がなされる。

歌劇「青ひげ公の城」は上演時間約1時間ほどの中編なので、これ1曲だけでは演奏時間が短い。ということで、前半はオッフェンバック作曲、ローゼンタール編曲によるバレエ音楽「パリの喜び」が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任することが発表され、今日の演奏が期せずして首席指揮者就任記念演奏会となった井上道義。もっとも、今日、井上道義が大阪フィルを振ることは事前にわかってたので、今日の演奏会に合わせて就任が発表された可能性の方が高い。

新しくなったフェスティバルホールでの演奏会を聴くのは私は今日で二度目。初コンサートは坂本龍一の「Playing the Orchestra 2013」であり、東京フィルハーモニー交響楽団が演奏していたが、PAを使っていたため、アンプを通さない、ホールそのものの響きを聴くのは今日が初めてとなる。

坂本龍一のコンサートを聴いたときには開演5分前を告げる音は無機質なブザー音であったが、今日は以前のフェスティバルホールと同じ「鳥のさえずり音」という風雅なものに戻っていた。大阪フィルの団員も「鳥のさえずり音」に変更されたことは今日、初めて知ったようで、オーボエ奏者二人が音の出るスピーカーのある上方を見た後で顔を見合わせていた。

井上道義登場。大阪フィルハーモニー交響楽団のシェフになることは会場にいるほとんどの聴衆が知っており、いつも以上に大きな拍手で迎えられる。

オッフェンバック作曲、ローゼンタール編曲によるバレエ音楽「パリの喜び」。
オッフェンバックはドイツ生まれでパリで活躍した作曲家。ドイツ名であるオッフェンバックと表記されることもある。歌劇「天国と地獄」(フレンチカンカンの音楽が有名である)、歌劇「ホフマン物語」(作曲者の死去により未完成となったが、エルンスト・ギローが補筆・完成させて初演。その後、初稿が火災により焼失してしまうという事件があったため、様々な人が再現を試みており、版が複数存在する。現在でも人気のあるオペラである。“ホフマンの舟歌”が特に有名)などが代表作。「青ひげ公」と同じ題材による「青ひげ」という作品も書いており、それも「パリの喜び」の中には入っている。
マニュエル・ローゼンタールはフランス人の指揮者だが、オッフェンバックが書いた音楽から有名どころをチョイスし、オーケストレーションを施してバレエ音楽「パリの喜び」として再編した。よく知られている「天国と地獄」よりフレンチカンカン、「ホフマンの舟歌」などは終わりの方になってやっと出てくるが、それに到るまでの音楽も面白いものである。

「パリの喜び」は、ローゼンタールが最晩年に自身の指揮者でNAXOSに録音しており、またシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による演奏がDECCAから出ていて、デュトワ盤は決定盤といっても差し支えないほどの出来を示している。

子供の頃からガキ大将で、桐朋学園大学時代には、尾高忠明と共に「悪ガキ・イノチュウ」と言われた井上道義。尾高さんはその後、大分丸くなったが、井上の方は依然として破天荒なイメージがある。ただ、一方で、指揮や作る音楽はオーソドックスなものが多く、時折、大見得を切ることもあるが、安心して聴ける指揮者である。広上淳一のように、「どんな音楽になるのか蓋を開けてみるまではわからない」ということは少ない。

意外にも器用である井上。ドイツものもフランス音楽も得意であり、ショスタコーヴィチの演奏に関しては日本における第一人者でありながら、シベリウスの交響曲も不得手とはしていない。

「パリの喜び」でも、井上は正攻法による演奏を展開。洒落っ気もあり、楽曲の描き分けも巧みである。フレンチカンカンの場面では、右足を二度上げて見せて、客席からの笑いを誘う(といってもクラシック音楽の演奏中なので爆笑とはならずに、「ふふふ」という忍び笑いが聞こえた程度だったが)。「ホフマンの舟歌」で抒情的な歌と雰囲気作りで聴衆を魅了した井上。演奏終了後、喝采を受ける。井上はサムアップしてそれに応えた。

フェスティバルホールであるが、素直でクリアな響きのするホールである。ザ・シンフォニーホールほどではないが残響も長い(ザ・シンフォニーホールは、残響がフェードアウトしていく感じだが、フェスティバルホールは京都コンサートホールと同じで、音が高いところに結構長いこと留まっている)。

 

後半、バルトークの歌劇「青ひげ公」。オーケストラがチューニングを終えたところで、突然、全ての照明が落ち、会場は真っ暗になる。笑い声が聞こえ、やがて、吟遊詩人(晴雅彦)の姿が浮かび上がる。吟遊詩人は「全部の照明を落とすことはないのに」と笑い、「これから繰り広げられるのは愛の物語」だと告げる(吟遊詩人による前口上はべーラ・バージュの戯曲にも書かれているが、今回はその翻訳とは違う、井上道義オリジナルのものである)。吟遊詩人が少し動いたところに青ひげ公の椅子があり、吟遊詩人は「これは地獄を表しているのかな」などと言う。吟遊詩人は自分の正体が「この物語の作者だ」と明かして、中央に作られた通路を歩いて去って行く。入れ替わるようにして井上が指揮台に上がり、演奏開始、青ひげ公(イシュトヴァーン・コヴァーチ)が、新妻となったユーディト(アンドレア・メラース)を城に招く場面から始まる。井上は前半もそうだったが、譜面台に総譜を置いて、指揮棒も場面によって使ったり使わなかったりする。ハンガリー語歌唱、日本語字幕スーパー付きでの上演である。
ユーディトは舞台奥から歩いて現れる。演奏会形式とも普通のオペラ形式とも違う、セットはなしだが、衣装・演技ありというステージ・オペラ形式での上演。青ひげ公は黒の、ユーディトは白い衣装を着ている。元々、観客の想像力に委ねる部分の多いオペラだが、今回はセットもないので、背景などは全て聴く者に任せることになる。7つある青ひげ公の部屋(7つというのはキリスト教の「7つの大罪」に由来するものであろう)。「拷問部屋」、「武器庫」、「宝石の間」、「庭園」、「国土」、「湖」と部屋を経る毎にユーディトの青ひげ公に対する疑惑は深まっていく。そして7つ目の部屋。そこに拡がるのは意外な光景であった…

ペローやグリム兄弟の童話では残忍さばかりが強調されている青ひげ公であるが、バージュの台本とバルトークの曲は、青ひげ公とユーディトの間にある愛情や葛藤などを描き出している。今回、台本、演出を手掛けた井上道義は、前口上などを変更することにより、これが愛の物語であることを強調する。井上指揮する大フィルは透明でパワフルな音を奏で、歌手二人も優れていて、特筆すべき完成度になっていたと思う。ただ、私自身はラストに関しては井上とは完全に異なる解釈をしているため(井上も断定はせずにぼかしている)、「この演出は違う」とも思った。

とはいえ、完成度は抜群の公演。大阪フィルの井上時代のプロローグともいうべき演奏会は大成功であった。

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2013年12月15日 (日)

観劇感想精選(105) TAKUMA FESTIVAL JAPAN 「晩餐」

2013年12月7日 森ノ宮ピロティホールにて観劇

森ノ宮ピロティホールで、TAKUMA FESTIVAI JAPANの「晩餐」を観る。午後6時開演。東京セレソンデラックス解散後、宅間孝行が新たに始めた演劇ユニットでの公演である。作・演出・出演はもちろん宅間孝行。出演は、宅間孝行の他に、中村梅雀、田畑智子、市川由衣、我善導(われ・ぜんどう。当然ながら芸名である)、一條俊、上野なつひ、ステファニー、稲葉友(いなば・ゆう。男優である)、宮本剛徳(みやもと・たけのり)、柴田理恵。

全員、全国的に有名な地名を役名の苗字や名前にしており、覚えやすいようになっている。広島出身の江田島安芸(演じるのは上野なつひ)など、駄洒落の名前を持つ人もいる。

舞台は2013年の12月7日、つまり今日であるが、全国ツアーを行っており、毎回、その日が舞台になるようになっている。東京都武蔵野市にある吉祥寺(日本全国の住みたい街ナンバーワンに何度も選ばれていることでも知られる。私も東京都に住むなら吉祥寺がいい)の井の頭公園横にあるシェアハウス「イノヘッド」で話が展開される。余談であるが寺院である吉祥寺(駒澤大学の前身でもある)は現在の東京都文京区本郷にあり、その付近の住人が開発した土地であるため街に吉祥寺という名が付いたのであって、吉祥寺という寺院が現在の吉祥寺という街に存在したことは今も昔もないという珍しい場所である。京都にも「~寺」という地名は多いが、いずれも実際にその名の寺があるか、現在は廃寺であるがかつてはあったというところがほぼ全てである。

イノヘッドの1階の居間と、2階のベランダという二重舞台の拵え。

俳優の多くは出身地の方言を話す。京都の老舗料亭・鳥居本のお嬢さんである田畑智子は、京都出身の山科舞子というこれまた分かりやすい役名と設定で、京言葉を話す。ステファニーはオランダ人女優であるが、日本に憧れ、京都に留学して日本語を学び、その後、女優として活動拠点を東京に移したという人なので関西弁を話す。宅間孝行演じる高槻純二は博多出身という設定で博多弁を話す場面もあるが、宅間孝行は東京の人なので、標準語を話す。

宅間孝行の舞台は東京セレソンデラックスの時代から会場のホワイエに至るまで凝っていたが、今回も京都四條南座の顔見世の時期ということもあり、提供企業や個人名などが「まねき」に似せた形でホワイエの壁沿いにずらりと並んでいる。

そして、なんと開演前にサイン会があり、宅間孝行らがグッズ購入者限定で買った物にサインをしてくれる。宅間孝行はサイン会参加者全員と握手。更にツーショット写真もOKである。また開演前はホール内も基本撮影可で、公演中も写メタイムというものが設けられている。その間、前説を若手の稲葉友と一條俊が続けている。二人はこのやり方を宅間が「AKB商法」と名付けているなどと説明したりもする。更に、大阪での公演中にケータイが7回も鳴ったということで、ケータイの電源の切り方講座をガラケー、iPhone、Androidの3種類で行う。更に、公演終了後に出演者がダンスを踊るのでその振付まで教えて一緒に踊ろうという、おまけありすぎの公演である。

出血大サービスというと関西のお家芸だと思われるのだが、今回は完全にお株を奪われた格好である。ちなみに、関西で一番ファンサービスが良いと思われるのは、他の地方の方は意外に思われるかも知れないが、吉本興業である。公演中の写真撮影の許可を出したところは、宅間さんのところと、江本純子の毛皮族といういずれも東京の団体と、吉本だけである。今日の公演で行われた、出演者全員のサインの入った色紙や公演中に撮られた写真を抽選でプレゼントということは、吉本もやっている。ちなみに、吉本新喜劇の辻本茂雄からはお花が届いており、今日も田畑智子演じる山科舞子が、宅間孝行演じる高槻純二の前で、「許してやったらどうや」というセリフを言って、「それは茂じいやろ」と突っ込まれる場面がある。東京セレソンデラックス時代から宅間孝行はファンサービスを積極的に行っており、オリジナル湯飲みを役者が直々に観客全員にプレゼント(湯飲みには袖の下作戦」などと書かれていた)したりしていたが、今回のようなケースは見られなかったため、宅間孝行が吉本のやり方を真似たとも考えられる。

吉本以外の関西の団体は、内容も、ファンサービスも今回のように徹底しておらず(松竹芸能は吉本を真似てファンサービスを積極的に行っていると、吉本の公演に特別出演した松竹芸能の芸人さんから聞いている)、お高くとまったところがある。これでは東京に勝てない。

まず導入部として映画が上映される。舞台上方からスクリーンが降りてくる。サイレント映画であるが、これは実は2061年に、たかつき耕太郞(本名は高槻耕太郞。中村梅雀)が書いたベストセラーエッセイだという。2061年には本は映像で読むものになっているらしい。耕太郞の父親である純二(宅間孝行)が末期の癌で入院している。耕太郞の母は、舞子(旧姓は山科ということで、田畑智子が演じている。純二と舞子は結婚したことがわかる)というが、耕太郞は写真でしか母を知らない。舞子は耕太郞を生んですぐに事故で他界したのだ。時代は変わり、昭和生まれの純二は、「過去の遺物」などと、金髪でチャラチャラした感じの看護婦(多部未華子。映像のみの出演)に言われている。純二は、「昔は看護婦といえば清楚なイメージだったのに」と嘆く。近未来に第三次世界大戦が起こり、人類の数は著しく減っている。純二はレストランのシェフとして生きてきた人間で、頑固おやじであった。

そして時は現在に戻り、2013年12月7日の井の頭公園の傍らにあるイノヘッド。居間では舞子が料理をしており、「純ちゃーん!、純ちゃーん!」と純二を呼んでいる。舞子は料理は苦手だ。2階ベランダにはナタリー(ステファニー)がいて、携帯電話に向かって一人で叫んでいる。それを新しくイノヘッドに住むことになった登別(一條俊)が玄関の外で見ている。ナタリーの電話の相手は大牟田(宮本剛徳)という男であることが後に分かる。
舞子と純二は恋仲。そして純二はレストランのシェフであるが作家志望であり、投稿した小説が最終選考まで残っていて、受賞できるか否か、今日電話で連絡があるという。シェアハウスの管理人は常滑(我善導)。常滑は登別にイノヘッドについて説明する。イノヘッドの住人は、純二と舞子の他に広島県出身の安芸という女性(上野なつひ)と、先程ベランダにいた関西弁を話す外国人OLのナタリーである。登別は自らの愛称がカルロスであると告げる。北海道の登別といえばカルルス温泉、それが訛ってカルロスになったのだという。

2階ベランダの洗濯機から、耕太郞と妻の氷見子(柴田理恵)、そして工学博士の中野たま(市川由衣)が出てくる。3人とも奇抜な格好をしている。三人は2075年から、2013年12月7日のイノヘッドの洗濯機の中へとタイムスリップしてきたのだ。タイムマシンを開発し、時間移動を成功させたのが中野たまである。未来では、若者はサ行を「しゃ、し、しゅ、しぇ、しょ」と発音するのが流行っているようで、中野たまはサ行をいつも拗音化して話す。第三次大戦後、世界の人口は半分になり(「エヴァンゲリオン」みたいである)、酒も煙草も禁止され、人類は食事をする代わりにサプリメントで栄養を取るようになっている。そのため、未来から来た三人には現代の食べ物は味が濃すぎて受け付けられない。

しかし、三人が洗濯機から出てくるところを見ていた男がいる。ナタリーの彼である大牟田だ。大牟田はナタリーの恋人というのが自分だと知られた瞬間に純二から「あり得ない。絶対にあり得ない」と断言されるほどオタクを絵に描いたような風貌をしているが、東京大学に通う学生でSF研究会の幹事長をしているという。「将来性を取ったかナタリー」と純二はいう。ちなみには大牟田は将来、東大の教授になることが未来人同士の会話からわかる。

大牟田は、ベランダから出てきた三人が「宇宙人だ」と勘違いしているのだが、強く言い張る。しかし他の人は、彼らは旅一座の家族で、今日が純二の受賞の日になるかも知れないので、サプライスのために変な格好でやって来たのだと、こちらも勘違いしている。

未来人は過去を変えることで未来も変わってしまうことを怖れている。そのため、未来人の可能性を指摘されそうになると、未来人よりも宇宙人も方がまだましだというので宇宙人の真似をしたりする。宅間孝行はアドリブをビシバシ飛ばすので、三人が宇宙人の真似をし始めると、「取り敢えず、見てようか」などと放置プレイで、どれだけやれるか試したりする。

田畑智子の入りがちょっと遅れた時も、優しい口調ではあるが、「グイグイやってるので怖くなっちゃった?」と聞いたりする。宅間孝行がやる演劇の最大の面白さがこのアドリブである。宅間孝行が作・演出に徹して出演しないという東京セレソンデラックスの舞台を四日市で観たが、やはり今一つであった。

安芸は三条弥彦(稲葉友。「三条」も「弥彦」も新潟県の地名である)という男と実はこっそり同棲している。それはイノヘッドの住人全員が感づいてはいることだった。

純二の小説が賞を取る。居間でお祝いが行われたのだが、未来から来た三人のうち耕太郞と氷見子の高槻夫妻は酒を初めて飲んだので一発で酔いつぶれてしまい、受賞記念パーティーでは活躍出来なかった。高槻夫妻は「あんなにきついものは禁止になって当然だ」と言う。

純二は酒が飲めない。そこで、人と飲むときはマミーを飲む。

安芸の部屋でこっそり情事に及んでいた三条が階段を降りてくる。三条は純二と出くわす。だが、純二は「皆、気付いている。薄々だけどな」と言い、三条に名前を聞く。三条は、「三条です」と答え、更に純二が「下の名前は?」と聞いたのだが、「三条弥彦です」と言ってしまい、純二に、「え? 三条三条弥彦? そりゃ変な名前だな。両親、やっちまったな。子供の頃いじめられなかった? 『三条三条弥彦? お前変な名前!』って」と突っ込まれる。それからのやり取りは宅間がアドリブをするのだが、稲葉は絶対に笑ってはいけないという設定のようで、宅間が稲葉が少しでも笑ったのを見ると、「お前笑ってない?」と言われ、必死で笑いを噛み殺そうとしていると、「爆笑じゃん!(実際は、爆笑は大勢でするものであり、一人では出来ないので誤用ではある。だが、いいだろう)」と突っ込まれる。純二は弥彦に「『やひこっち』って呼んでいい?」と聞いて、了承を得てから、やひこっちについて語って貰う。安芸と「やひこっち」こと弥彦は同じ施設で育った。孤児院だった。「今時そんな子いるの? っていわれるような忘れ去られた存在なんですけど」と弥彦。弥彦はキャバクラでホストをしているという。ちなみに2075年の日本にはキャバクラは存在しないようで、耕太郞も氷見子も中野たまもキャバクラを知らなかった。未来では拗音を使うのが流行っているので、たまは「1192作ろうキャバクラ幕府」と言って、流行りの駄洒落だと思った安芸に「鎌倉ね」と冷たくあしらわれている。

今日も宅間のアドリブは大いに笑いを取る。未来から来た三人はお金を1円も持っていないので(未来なので紙幣や硬貨が変わっている可能性がある。あるいは全て電子マネーなのかも知れない)、宅間演じる純二が、「どうして1円も持ってないの?」とアドリブで聞く。中村梅雀が「また始まった」とつぶやくと、「え?! また始まったって何が?」と拾って笑いに変える。氷見子を演じる柴田理恵がお金を持ってない理由を「会社が倒産したんです」というと、宅間は「え? 旅の一座じゃなかったの?」、柴田「旅の一座を始める前に、倒産して無一文になったんです」、宅間「え? じゃあ自営?」、柴田「自営です」、宅間「資本金は?」、柴田「資本金?」、宅間「会社始めるときお金いるじゃない」、柴田「ああ、一億です」、一同感心して、宅間「大手じゃない。上場は?」、柴田「じょうじょう? え? 情状酌量?(柴田、上場企業の意味を知らず)」、宅間「(苦笑しつつ)え、ちょっと、マジボケ?」(鴻上尚史が、著書の中で、「俳優の中には一部上場企業などというと頭を抱えてしまう人がいる」と書いていたが、柴田もその一人だったようである)、柴田は口を押さえて後ろを向いてしまう。会場大爆笑。

宅間「東証一部上場とか、二部上場とかあるじゃない? 上場してるの?」
柴田「してます」
宅間「一部、二部、どっち?」
柴田「どっちって、全部よ」
宅間「全部? どういう企業なの?」
柴田「ハイテク産業よ」
宅間「自分で自分の会社、ハイテク企業って言う? 普通は『旦那さんがお勤めになっているのはハイテク産業の企業ですね』と聞くことはあるけど、自分から『うちはハイテク産業です』って言わないでしょ。ハイテク産業の何?」
柴田「パソコン関係」
宅間「じゃ、パソコンとか詳しいんだ」
柴田「いや、うちは特別なんで」
宅間「特別って?」
柴田「パソコン全体じゃなくて、マイクロチップを作ってるんです」
宅間「マイクロチップ? (感心して)ハイテクじゃない。じゃ、マイクロチップをどうやって生産しているの?」
柴田「うちは生産はしていないんです」
宅間「え? どういうこと?」
柴田「うちはマイクロチップの数字を入れてるんです」
宅間「え? 数字?」
柴田「シリアルナンバーみたいのが入ってるじゃないですか。あれを入れてるんです」
宅間「それ、印刷企業じゃない。どこがハイテク産業なの?」
柴田「だからうちは特別なんです」
宅間「どこが?」
柴田「手書きなんです」

役者陣も含めて会場内大爆笑。

宅間「手書きでやってるの? それ零細企業じゃない?」
柴田「うちは、代々、あのー、中国の、専門の人にやって貰っているのでお金がいるんです」
宅間「専門の人にやって貰ってるんだ。何人?」
柴田「一人です」
宅間「一人?」
柴田「そうです」
宅間「一人って」
柴田「一人です。それ専門の名家の方に、代々やってもらってるんです」
宅間「その人、なんて名前?」
柴田「え?」
宅間「だから、いつもやって貰ってたんでしょ、中国のその人に。何て名前?」
柴田「それは、あのー、ジン・ハッカイです」
宅間「(大笑い)ジン・ハッカイって。(腹を抱えながら)俺会ってみたいその人、ジン・ハッカイさん」

会場、爆笑の嵐。

宅間「で、どうして倒産しちゃったの?」
柴田「え?」
宅間「おたくの会社、倒産しちゃったんでしょ?」
柴田「しました!」
宅間「なんで?」
柴田「それはー、不法就労だったんです!」

笑い声MAX。

中村梅雀「(すっと立ち上がり)うちは、マイクロちっぽけな会社だったので」
宅間「何綺麗にまとめようとしてるの。奥さん、ずっと頑張ってたのに、いいとこだけ取ろうとして。しかも駄洒落って」

宅間「で、お父さんも何かあるんでしょ。芸が」
梅雀「え?」
宅間「ほら、あるじゃない。座長なんだし、やってみてよ」

で梅雀がやろうとすると、

宅間「ああ、もう時間だ」

ということで、中村梅雀と柴田理恵を除く全員がはけてしまう。

柴田理恵「ああ、疲れた!」
中村梅雀「面倒くさい男だ」

でアドリブのシーンは終わる。

純二は舞子と結婚することを決めている。だが、舞子は生まれつき心臓が弱く、医師から「子供を産むことは出来ない」と宣告されていた。純二はそれでも舞子と結婚することを望んでいた。

耕太郞は父親である純二の小説を読んで驚く。素晴らしい才能である。だが、耕太郞の知っている純二は小説家ではなく、今のままのシェフである。これだけ文才がありながら、何故作家への道を諦めてしまったのだろうと耕太郞は訝しむ。

耕太郞は自身も作家であるため、作家は駆け出しの頃は収入が不安定であるということを知っている。そして耕太郞を男手一つで育て上げるために、安定したシェフのままでいたのだと気付く。

舞子が交通事故で死んだというのも嘘だった。舞子は体が弱いのに耕太郞を産み、産後の肥立ちが悪く、31歳で夭逝したのだ。耕太郞は舞子の幸せを願い、純二と舞子を別れさせようとする。二人が長生き出来るなら自分が生まれてこなくても構わないと強く誓う……

良い意味で、正統派のメロドラマが展開される。メロドラマの語源はメロディーが流れているドラマということだが、宅間孝行の演劇は基本的にずっと「いかにも」といった感じの音楽が流れている。宅間自身も「こういうものしか出来ないものですから」と以前、東京・新宿三丁目のシアター・サンモールでの「歌姫」終演後に語っている。

正統派のメロドラマとは書いたが昼メロ系のドロドロした常識外れの展開のものでは勿論なく、作劇法は実に巧みである。計算に計算を重ねて書かれたものである。ウェルメードだ。12月8日が全国公演楽日であったので書いても良いと思うが、ウェルメードらしくハッピーエンドである。高槻純二は、たかつき純二というペンネームの小説家となり、他の人も皆、幸せに暮らしていることが、冒頭とは異なった2061年の映像(たかつき純二が書いた映像ノンフィクションという設定)が流れ、確認することが出来る。

本編が終わった後に、中村梅雀が特技であるエレキギターを弾き、その他の出演者全員でダンスを踊る。流れるのはオリジナル曲「次は、最高!」(細野晴臣の言葉で、森高千里も真似したことで知られる「この次はモアベターよ」に似ていなくもない)。観客も一緒に踊ったり、タオルを回したりする。大阪はノリが良いというので、宅間も「流石は大阪というところを見せてくれ!」と煽り、結果として、ノリノリのラストとなった。

ダンスのアンコールがあり、少し短いバージョンを役者達は踊った。

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2013年12月14日 (土)

芥川也寸志作曲 大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ

今日、12月14日は赤穂浪士討ち入りの日です(旧暦だと別の日になりますが)。というわけで、大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲をお聴き下さい。赤穂浪士関連の音楽としては最も有名な曲ですので、一度は耳にされたことのある方が多いと思います。作曲は芥川也寸志。芥川龍之介の三男で、芥川音楽賞にもその名を留めています。

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コンサートの記(113) 広上淳一指揮岡山フィルハーモニック管弦楽団ほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」 「2000人の第九」2013

2013年12月8日 岡山シンフォニーホールにて

岡山シンフォニーホールで、広上淳一指揮岡山フィルハーモニック管弦楽団ほかによる「2000人の第九」を聴く。オーケストラ合唱団含めて2000名なのではなく、聴衆も含めて2000人である。本編も合唱は大編成であるが、オーケストラは中編成である。本編が終わった後、パンフレットの裏側に記された部分をオーケストラ、合唱、独唱者、聴衆の計2000名で歌おうという企画である。

クリムト 「ベートーヴェンフリース」“歓喜”より 広上淳一指揮岡山フィルハーモニック管弦楽団ほか ベートーヴェン第九2013

午後3時開演とあったが、午後3時からはプレトークがあり、本編が始まるのは午後3時15分頃からである。

岡山シンフォニーホールは響きが良いという評判を聞いている。ホール内に入ると、確かに壁は木目で美しい。ただ、座席はクッションの薄い跳ね上げ式のもので、少し安っぽい。

ホワイエもスマートではあるが、やはりハレの気分の演出にはもう一工夫欲しい。音響は優れている。

合唱は「第九を歌う市民の会」。アマチュアではあるが、オーディションに合格した人ばかりであり、レベルは一定の水準に達している。

プレトーク。アルトのパート指導で、合唱にも参加する吉井江里が司会者となり、指揮者の広上淳一、ゲスト・コンサートマスターの長原幸太、テノールで合唱指導もした羽山晃生、バリトンのベンノ・ショルムによるトークが行われる。吉井江里は太めの体型であるが、「こんな豪華な方々を前にして、私、痩せる思いでございます」と自虐ネタをやり、広上から「面白いね」と言われる。

長原幸太は、第九はバブルの頃には一つの楽団が1ヶ月に27回も演奏したという記録があり、その世代を経験しているオーケストラプレーヤーは第九を隅々まで記憶しているという。ただ、長原はバブルが弾けた後に大阪フィルハーモニー交響楽団に入団したため、第九をバブル期のように頻繁に演奏した経験は持っていないという。長原は今でこそ、何度も第九は演奏した経験があるが、大阪フィルに入って初めての第九演奏会では、指揮者が「君達はこの曲をよく知ってるよね」といって、練習を一切しなかったそうで、人生初の第九は一発本番であったとのこと。
長原は更に、第九の演奏会で、演奏中に指揮者のしていた指輪が飛んでいったことがあり、これがまた取りにくいところに飛んでいったのだと語る(私はその演奏会を聴いている。アレクサンダー・リープライヒ指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほかによる年末の第九である。当時、長原は大阪フィルのコンサートマスターであった)。

羽山晃生は、「岡山には何度も来ているが、その時は必ずままかりを食べることにしている」という話から入る。更に、学生時代に羽山は武蔵野音楽大学の学生で、東京音楽大学と合同で第九の合唱として演奏会に参加したことがあるのだが、東京音大の学生に広上淳一がいたという。その時、広上は酒を飲んでいて、もう出来上がっており、第2楽章ではいびきをかいて居眠りを始めたという。その時の指揮者は小林研一郎であったのだが、広上はコバケンさんから終演後に、「君、なんてことをしてくれたんだ。演奏会が台無しじゃないか」と言われたそうである。広上は「今、振り返ると最低の学生ですね」と語る。

ベンノ・ショルムはオーストリア人であるが、英語で話し、それを広上が通訳する(広上は語学の才能には余り恵まれておらず、流暢に操れるのは英語だけである。それも海外に拠点を置いていた時期に集中して覚えたもので、第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールに出場した際は、英語もほとんど喋ることが出来ず、小柄という外見も相まって、演奏するオーケストラメンバーからは失笑も漏れたそうだが、いざ、指揮棒を振ると鮮やかにオーケストラを導き、笑いは賞賛へと変わったという)。

簡単な英語であり、私の席は前から4列目だったので、ショルムが話す英語も聞き取れる。ショルムは最後に「これまで、多くの有名な指揮者、ロストロポーヴィチやメニューインなどの指揮で第九を歌ってきたが、You(広上のこと)がベストだ」と告げる。

吉井江里は、更に、広上とショルムに、客席と一緒に歌う第九のレクチャーをして貰おうとしたのだが、広上から「私、何も聞いてないんですけど」と言われる。皆に配られたパンフレットの裏側に「歓喜に寄す」の一番盛り上がるところのドイツ語歌詞と、下に片仮名でルビが振られており、それで客席の人にも歌って貰おうというのである。広上は、「じゃあ、本編が終わってから、もう一度やりまして、歌うところになると私が振り向きますから、そこで歌って下さい」ということになる。

プレトークとレクチャーが終わり、いよいよ第九本番である。

広上指揮の第九は、一昨年に京都市交響楽団を振って演奏したものが、宇宙を思わせるような壮大な出来映えで、印象に残っている。ただ、今回指揮する岡山フィルハーモニック管弦楽団は歴史も浅く、編成も大きくはないということで、徒にスケールを拡げることのない、スッキリとした見通しの良い演奏が行われる。

岡山フィルハーモニックは、出のホルン4人にズレがあったものの、その後は快調。編成は室内オーケストラよりちょっとだけ大きいという程度だが、力強さにも欠けていない。

第2楽章、。ティンパニの強打がある。広上は京響を指揮した時は、真正面にいるティンパニに、ストレートパンチをする仕草をして、力強い音を引き出していたが、今回は、ティンパニはステージ下手奥におり、オーケストラの編成も大きくないということで、左手をティンパニに向けるだけの指示であった。余り勢いよく指示すると、ティンパニの強打がバランスを崩すほど大きな音を生んでしまう可能性があるためであろう。岡山フィルはクリアな音を奏で、譜面に書かれた音が全て聞こえるかのようである。

第3楽章はとにかく美しく、第4楽章も燃焼度の高い演奏で、第九を聴く醍醐味を堪能させてくれる。流石は広上である。合唱も独唱者も良かった。

そして、聴衆も参加しての、「歓喜に寄す」の合唱。私はバリトンで歌おうとしたが、歌い始めて、バリトンでは低すぎるということに気付いたため、急遽、テノールにパートを変更して歌った。ただ、岡山の聴衆は余り乗り気ではないようで、客席からの歌声は余り聞こえなかった。大阪だと「我も我も」という感じになるのであろうが、大阪はノリが良すぎるのかも知れない。

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2013年12月 9日 (月)

コンサートの記(112) 「京都市交響楽団スプリング・コンサート」2013

2013年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団スプリング・コンサート」を聴く。京響のシーズン開幕を告げる公演であり、指揮は当然、常任指揮者である広上淳一が務める。

今回は、前半がシンガーソンガーライターのKANが自作を自身で編曲して京響と共演。後半はベートーヴェンの交響曲第5番である。

KANというと「愛は勝つ」(最近では前奏の部分が某金融会社のCMに使われている。発表後20年以上が経過しているので、若い人はその前奏でしか知らないかも知れない)の一発屋というイメージを持っている方がいるかも知れないが、この人は特定のファンに熱狂的に愛されるタイプなので固定客がおり、順調に音楽活動を続けている。ちなみにKANファンによるとKANの代表曲は「愛は勝つ」ではなく、CMソングとしても使われた「まゆみ」を挙げる人が多いとのことだ。ピアノ弾き語りが基本の人だが、フランス人になりたいという憧れを持っており、2002年から2004年までパリに住み、エコールノルマンでクラシックピアノを習っている。
また北京語とイタリア語の勉強が趣味であり、90年代に中国でコンサートを行った際には北京語でMCを行い、「日本人は我々を見下しているから中国語を話すわけ」がないと思い込んでいた当時の中国人に「まさか日本人が北京語を話すとは!」と驚かれ、歓待されたというエピソードがある。

今日は開演の前に二つのイベントがある。一つは京都コンサート来場400万人目の発表と、広上淳一とKANによるステージ上におけるプレトークである。
京都コンサートホール来場400万人目に選ばれたのは、何と愛知県豊橋市から来た親子連れ。それはそれでいいのだが、商品が京都コンサートホールで行われるピアノ・コンサートや京都市交響楽団の定期演奏会のチケットだったので、それを聴くためには、また豊橋から京都にやって来なければならない。新幹線を使えば、豊橋から京都までは思ったよりも短い時間で来られるが、新幹線代が掛かるし、もし仮にKANファンだったとしたら、余り嬉しくない商品かも知れない。ただ広上淳一と一緒に記念写真が撮れるというのはひょっとしたらいい思い出になるかも知れない。

さて、プレトーク。KANは燕尾服姿で、広上は京響のグリーンのTシャツの上に黒のジャケットという姿で現れる。KANの燕尾服はもうかなり長い間使用していて、結婚式に出席の際にも着回したりしているものらしい。
まずKANが本名だという話題から入る。木村和と書いて「きむら・かん」と読むのだが、なぜ「和」を「かん」と読むのかに関してはKANは、「推測ではありますが、父親がふざけていたか酔っ払っていたかのどっちかだろう」とのことである。
今回、自作を自身で編曲し、写譜の方に譜面を渡したところ、「KAN先生、KAN先生」と呼ばれるようになり、違和感を覚えたが、「もし今日のコンサートの出来が良かったら。先生と呼んで下さい」とアピールもした。
続いてポピュラー音楽の話になる。広上が中学生の頃に桜田淳子の追っかけをしていたという話から始まり、ラジオ番組で広上の特集が組まれたとき、生い立ちから伝えたいというので、桜田淳子の曲が流されたという。「これ聴いた人はチャンネル間違えたのかと思ったでしょうね」と広上。「桜田淳子の曲の後にベートーヴェンが流れてしっちゃかめっちゃか」とも語る。
また広上が、きゃりーぱみゅぱみゅが好きだというと、KANは「私も好きです」と答え、広上が「私は大好きです」と言うと、「心の底から惚れ抜いております」とKANが返すなど、どちらがより、きゃりーぱみゅぱみゅが好きかを競うという、クラシックホールのステージ上の会話とは思えない展開になる。
広上が「Berryz工房なんかはどうですか?」と聞くと、KANは「私とBerryz工房とは大きなグループでいうと同じ事務所という括りになるのですが私は℃-ute派です」とアイドル談義になる。
その後、広上が群馬交響楽団に客演した際、昼間、本番まで時間があるので散歩をしていると、高崎駅前にあるヤマダ電機本店4階のイベントスペースで(よく勘違いされるが、群馬交響楽団の本拠地は前橋市ではなく高崎市にある)Berryz工房のイベントと握手会があるというので、握手会に参加する時間はないけれどイベントは見ていこうと思ったのだが、ペンライトを振ってBerryz工房の応援しているファンの中に自分と同世代(広上は1958年生まれである)の人がいて、「日本は大丈夫なのかな?」と思ったという。「私は15歳で止めましたが、自分と同世代でまだアイドルの応援をしている人がいるのが不安になる」という。
最後は広上淳一という名前に読み方について、KANは「ひろかみ」なのが「ひろがみ」なのか分からなかったので、リハーサルの間、「ひどぅおかみ先生」と鼻濁音で呼んでいたという。戸籍上では「ひろかみ」が正確で、クラシックファンも「ひろかみ」であることを知っている人の方が多いのだが、広上本人は「ひろがみ」と読まれても訂正するのが面倒くさいのでどちらでもいいということにしているらしい。
珍しい苗字の人には良くあるパターンで、私も珍しい苗字なので、「ほんぼ(HOMBO)」が正確な読みのだが、「ほんぽ(HOMPO)」と読む人もいるし、訓読みで「もとやす」と読まれることもある。ちなみに体験から言って、3回「ほんぼ(HOMBO)です」と言ってもまだ読み間違える人は、ほぼ永久に間違えて読み続けるので(人の苗字や名前を憶えるのが苦手な人は存在する)、間違っていても適当に返事をすることにしている。訂正するのは時間の浪費だからである

開演。KANも広上も天使の翼が背中についた燕尾服で登場し、会場を笑わせる。今日の京響のコンサートマスターは泉原隆志。京響のコンサートマスターは二人性で一人がコンサートマスターを務めるときはもう一人がフォアシュピーラー(コンサートマスターの隣のヴァイオリン奏者。非常に重要な役目を持つ)を務めるという比較的珍しいスタイルを取っているのだが(フォアシュピーラー専属性のオーケストラの方が多い)、今日のフォアシュピーラーはもう一人のコンサートマスターである渡邊穣ではなく他の奏者が務めた。

「キリギリス」という、イソップ童話「アリとキリギリス」を題材にした曲でスタート。「人生は暇つぶし、死ぬまでどう楽しく生きるか」とキリギリス側に立った解釈。アリが正しい生き方という一般的解釈に反発した内容である。KANの編曲の特徴は金管を力強く鳴らすところにある。

続いて代表作「愛は勝つ」。KANは「1990年に発表した曲で、1991年に世間で知られるようになり、その後、修正を重ねつつ今まで歌い続けてきましたが、今日はこれまでで一番豪華な編曲でやる」と宣言。間奏にベートーヴェンの第九の「歓喜の歌」冒頭の旋律がオーケストラによって何度も奏でられるというユニークな編曲であった。

続いて、「オー・ルヴォワール・パリ」。KANは「盛り上がって曲が終わったように聞こえるところがありますが、そこから歌はまだ続きますので、拍手は私が会釈をしてからお願いします。それからいいなと思ったら、先生! と言って下さい」と語ってから演奏開始。2004年にパリから日本に帰ってすぐに作ったシャンソン(ちなみに三拍子であった)で、ピアノ演奏は難しいということで自身のツアーでキーボードを担当することもある矢代恒彦がピアノを弾いた。KANは「ベタなシャンソン」と言い、実際、そんな感じもしたがシャンソンと感じられる曲を作れるだけでも大したものである。

最後は、「世界でいちばん好きな人」。広上はこの曲を、「今の時代に最も求められているような曲」と評し、「この曲が発表されたときには、うちの京響のメンバーの中にはまだ幼稚園生だった人もいるそうです」と語る。それこそベタな表現になるがハートウォーミングな曲であった。

拍手に応えて、ステージに3度ほど呼ばれたKAN。最後は欽ちゃん走りで入退場し、客席を笑わせる。

 

後半のベートーヴェンの交響曲第5番。
広上淳一はベートーヴェンを得意としており、日本フィルハーモニー交響楽団自主制作盤に交響曲第5番と7番を録音している。
広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏によるベートーヴェンの交響曲第5番は、以前に西宮にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで聴いてたことがあるが、今日は通い慣れた京都コンサートホールでの演奏ということもあり、前回を大きく上回る出来に聞こえた。

流線型と称してもいいような、格好いい運命主題の提示から入ったが、運命主題以上にその後に続く弦の刻みが乗り越えられないような峻厳な壁を屹立させるように聞こえ、立ちはだかる運命の怖ろしさを伝える。こうした解釈の演奏を聴くのは初めてである。そして、ベートーヴェンの交響曲が日本のオーケストラによってこれほど温かい音で奏でられるのを聴いたのは朝比奈隆指揮のベートーヴェンを聴いて以来。つまり十数年ぶりになる。朝比奈と広上のベートーヴェンの違いは、朝比奈がまず骨格を作り上げてから細部を練り上げるような音作りをするのに対し、広上の場合は旋律の流れを重視しつつ音を組み立てる。スケールは朝比奈の方が大きいが、広上の方がドラマティックに聞こえる。

暗い音色で巨大な音の塊が動いていく第2楽章。聴いていて胸が苦しくなるような第3楽章経て、最終楽章に達した瞬間は、京都コンサートホールの天井から光が射し込んだかと見まがうほどに色彩豊かで爆発的でスケール壮大で開放的。ベートーヴェンを聴く醍醐味が集約されているかのようであった。

大野和士や上岡敏之指揮のベートーヴェンを聴いたことはないが、広上の指揮するベートーヴェンは同世代の指揮者である大植英次や佐渡裕よりも明らかに上。広上より上の世代である、尾高忠明、井上道義、秋山和慶、小林研一郎なども個性では広上に及ばない。小澤征爾はベートーヴェンを得意としていない。
ということで、現役日本人最高のベートーヴェン指揮者の演奏を堪能できたといっても過言ではないだろう。

また、今日は距離が近い割には音が聞こえにくいはずの1階席での鑑賞であったが、京都コンサートホールの鳴りが悪いとは一度も感じなかった。これまでにも経験しているが、しっかりとした指揮者とオーケストラなら京都コンサートホールは鳴るのである。

残念だったのは第1楽章と第2楽章の間で拍手をしてしまうお客さんがいたこと。あれでほんのちょっとであるがこちらの集中力が低下した。クラシックコンサートに通い慣れていない聴衆がいたということだが、ポピュラーシンガーとのコラボレーション演奏会ということもあり、拍手した客を咎めるのも筋違いと言えばそうなる。

ともあれ、大変満足のいくベートーヴェン演奏であった。

アンコールはルロイ・アンダーソンの「プリング・プレンク・プランク」。広上は時折指揮台を離れてフォアシュピーラーの横でただ立って見守ったり、譜面台の向こうに回って楽譜を見つめる真似をするなど風変わりな振る舞いをして笑いを取る。

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2013年12月 7日 (土)

第九あれこれ2013 クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」

クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかによる第九です。正攻法による演奏です。

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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団) ショスタコーヴィチ 交響曲第10番

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2013年12月 5日 (木)

コンサートの記(111) 春秋座オペラ2013 ミラマーレ・オペラ「ラ・ボエーム」

2013年9月3日および4日 京都芸術劇場春秋座にて

9月3日

午後5時から京都芸術劇場春秋座でプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。「ラ・ボエーム」を室内オペラに改編し、若手のキャストを使った新演出での上演。構成・演出は第三舞台出身のオペラ演出家:岩田達宗(いわた・たつじ)。指揮は牧村邦彦。NPO法人ミラマーレ・オペラの企画・制作で、ミラマーレ室内アンサンブルという臨時編成の室内管弦楽団での演奏である。弦楽器、管楽器ともに5人という編成。これにピアノが加わる。編曲は倉橋日出夫。ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラスというこれまた臨時編成の声楽陣が起用されている。イタリア語の歌唱、日本語字幕付きの上演である。2階席であったが、春秋座は結構プロセニアムが高く、字幕はその上に出るので、2階席だと字幕が真正面になり、却って良かった。

今日、明日と公演があるが、キャストはアパートの管理人であるベノアと金持ちのアルチンドロの二役を演じる松山いくお以外は全て異なる。今日、ミミを歌うのは川越塔子。東大法学部を卒業後に武蔵野音楽大学大学院を修了したという変わり種である。ロドルフォは村上敏明、マルチェロは井上敏典、ムゼッタは柴山愛、ショナールは萩原次己、コッリーネは片桐直樹が演じる。

春秋座は歌舞伎上演を想定して作られた劇場ということで花道がある。今日は花道を使っての演出であった。舞台は中仕切り幕を取っ払ってしまい、奥まで見えている。舞台上には机一つに箱が二つだけ。花道では現代人の格好をした若者達(ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラスのメンバー)がだべっている。若い男が「さて始めるか」と言って、みなが舞台袖からベッドやらドラム缶(ストーブに見立てられる)やらを引っ張り出してくる。4幕構成であるが、それぞれの幕の前に、ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラスのメンバーによる朗読が入り、説明などを施す。

上から、屋根裏部屋の絵が描かれた幕が下りてきて、本編開始。臨時編成の室内オーケストラだが、牧村の統率力は高く、なかなかの演奏である。絵を描いた幕を下ろして背景を変える演出も面白い。歌手陣は歌唱はなかなかだが、若手揃いということもあって、演技は正直、合格点とは言えなかった。それでも魅せられるのはプッチーニの音楽の力ゆえだろう。

9月4日

午後2時より、京都芸術劇場春秋座で、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。昨日と同じ、岩田達宗の構成:演出、牧村邦彦指揮ミラマーレ室内アンサンブルとミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラスによる公演だが、キャストはベノアとアルチンドロの二役を演じる松山いくおの他は異なり、ミミに稲森慈恵(いなもり・よしえ)、ロドルフォに清原邦仁、マルチェロに東平聞、ムゼッタに古瀬まきを、ショナールに楠木稔、コッリーネに雁木悟が配される。

昨日、ミミを歌った川越塔子は東京大学法学部卒という異色の経歴を持つソプラノだったが(音楽家志望だったが、家族に反対されたので東大法学部に合格して黙らせたのかも知れない)、今日ミミを歌う稲森慈恵も院は京都市立芸術大学大学院を修了しているが、学部は京都教育大学の音楽科で、元々は教師志望だったのかも知れない。

演奏はほとんど昨日と変わらないが、キャストが異なるため印象は違う。演技力は今日のキャストの方が上のように感じた。

ミミ役の稲森慈恵は安定感があり、昨日の川越塔子は薄幸さが出ていて、共に違った良さがある。

ロドルフォの清原邦仁は長髪でジゴロ風情。歌声も若々しい。

コッリーネの雁木悟は、風貌が哲学者というよりも浮浪者のようだが、若く貧乏な哲学者なので、見た目が浮浪者のようであってもおかしくないだろう。

第4幕にあるおふざけの舞踏のシーンで、ショナール役の楠木稔は「ファンダンゴ」と歌いながら、歌舞伎の六方を踏んでみせ、客席の笑いを誘っていた。

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2013年12月 4日 (水)

スネークマンショー 「警察だ!」

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2013年12月 1日 (日)

笑いの林(13) 「小泉エリのマジカルおもちゃ箱~大阪場所~」

2013年9月21日 大阪・なんばの5upよしもとにて

なんばの、5upよしもとで、「小泉エリのマジカルおもちゃ箱~大阪場所~」を観る。午後7時開演。吉本所属のマジシャン、小泉エリによる単独ライヴ。マジック、漫談、コントからなる。「~大阪場所~」とあるのは、彼女が好角家であることにちなみ、名古屋でも公演が行われるが、そちらは「~名古屋場所~」となる。

まず5人の女性ダンサーが舞った後で、中に何も入っていない銀枠の小さな檻が登場する。後ろには赤い布が張られているが、檻を横に向けても厚みはない。だが、赤い布を伸ばして檻を多い、赤い布を今度は取り去ると檻の中に小泉エリがおり、檻から出てくる。赤い布は剥がされることは結局なかったし、注意を惹きつけない場所にいたことは間違いないのだが、どうなっているのかまではわからない。

続いてパイプ椅子2台を用意される。エリさんは、椅子の間を通って、何もないということを表現してみせる。椅子の上に戸板が乗せられ、その上にダンサーの一人が横になる。エリさんが椅子の一つを取りのけても、戸板が落ちることはない。更に戸板を下げてもダンサーの体は宙に浮いたままである。
エリさんはなにも手にしていないはずなのに、突然、バトンが右手から現れる。バトンを回してポーズを決めるエリさん。やはりマジックをやっている時の小泉エリは格好いい。

続いて、ボードを使っての「疑問と法律」という漫談であるが、服を買ったときに店員さんが「出口までお持ち致します」と言うことがあるが、あれはいらないので、それを断った場合は「サービス割り引きになる」。「男のメールはなぜそっけないのか?」、絵文字を使って欲しいので、「絵文字十一制度」を作りたいという。絵文字を使わなかったら、「十一(十日で一割のこと闇金融でよく使われる言葉である)」で資産が少なくなる。といった調子で、聞いていても早希ちゃんのような斬新な発想や論理の飛躍があるわけでもなく、常識的で普通の人という印象である。エリさんは吉本所属なので、お笑いもやるが、本職はマジシャンなので、特に笑いを取る必要もないといえばない。公演全体を通して見ても、客を引かせて笑いに変えようという計算が見えたが、そうした笑いで満足するのかどうかも疑問である。

エリさんは客席に向かって、年齢を聞き始める。「二十代の人」と声を掛けると手を挙げる人がちらほら、「三十代の人」は結構多い。十代もいる。ただ一番ボリュームがあるのは四十代の人であった。それ以上の年代の人もいる(ちなみに公演時間が延びたため、終電を気にしてその方達は途中で帰られてしまった)。早希ちゃんのファンも同様で、三十代後半から四十代前半の人が最多である。これには私もそうであるが第二次ベビーブーマーの人が含まれるため、まず絶対数が多いというのも大きい。二十代の人はアラサーの吉本芸人よりも同世代のアイドルに行くだろう。また第二次ベビーブーマーというのは人生常に逆風(空前絶後の大学受験戦争、歴史に残るほどの就職難。企業に入れても、より下の世代は採用そのものを控えてしまったため、いい歳になっても一番下っ端扱いの人も珍しくない)であるため、エリさんや早希ちゃんのような勉強も運動もいまいちだけれど一生懸命というタイプには癒されるし、励まされるのだと思う(実際は早希ちゃんは天才なので私は畏れも感じるし、エリさんも才女である)。

ゲストであるモンスターエンジンの、まずは大林が登場しての「乳輪診断」。大林にフリップに書かれた質問に答えてもらい、それによって大林の乳輪の形を当てるというコーナー。フリップに書かれていることは、いずれもその人の性格に直結したもので、いわゆるコールドリーディングを行うだけである。乳輪の絵を描いている間、エリさんは無言で、大林が仕方なくトークで繋いだ。乳輪の絵を描いた後で、エリさんはスタッフにキーボードを運んできて貰い、ギターの弾けるダンサーと二人で弾き語りを行う。作詞・作曲はエリさんであるが、特に書くべき美点も見つからない歌をエリさんは延々と歌う。これも敢えて客を引かせようというネタであるが、それにしても歌が長すぎた。

次のコーナーでは小泉エリの両親である、小泉純一郞元内閣総理大臣によく似たマジシャンの横木ショージと妻でアシスタントのレミ夫妻が登場。マジシャンの家の日常をコミカルに描く。

小泉エリが牛乳を欲すると、父親の横木ショージは、小さな器に入った牛乳を差し出す。それでは足りないというとより大きな器に移す。すると牛乳の量も増えている.更に大きい器に移すとまた牛乳は増え、という風に、どんどん牛乳の量が増えていく。

小泉エリが「ご飯が食べたい」というと、横木ショージは新聞紙の間や、雑誌のページの間から、米粒を出す。

玄関のチャイムが鳴り(ここでの芝居は明らかに素人演技。みんなあちこちに視線を飛ばすが、玄関のチャイムだとわかっていて玄関の位置を知らないはずはないのに、キョロキョロするのはおかしい)、NHKの集金が来る。横木ショージはバケツを手に、空気に手をやると、自然にコインがそこから出てくる。季節に合わない長袖のシャツを着ていたので、裾にコインを隠しているのだと思われるが、見ていても自然な感じなので、どうやってコインを取り出しているのかまではわからない。

モンスターエンジンの西森を迎えての「乳輪診断」。西森は、「始まってから30分ぐらい地獄のような空気だったぞ」と、漫談のひねりのなさを指摘する。

そして、診断が終わると、例によってキーボードを運び出して貰って、弾き語りを始める。芸人としては対応に苦慮するパターンである。この時に前述した上の世代の方が終電を気にして帰られてしまったので、西森は(勿論、なぜ席を立ったのかはわかっているが)「帰った! 曲聴いて、帰る人いる!」と叫ぶ。

 

エリさんの父親である横木ショージによるマジックショーを経て、最後はマジックコント。モンスターエンジンの二人も出演するが、十分な稽古をしてないことを突っ込むようなセリフを入れたり、「段取り悪い、押してる、早くせえ」などとアドリブを行ったりする。5upよしもとを午後9時までの予定で借りているようなのだが、もう9時を10分ほどオーバーしている。
コントの内容は「半沢直樹」をモチーフにしたもので、エリさん演じるOLが上司の二人(モンスターエンジンが演じている)にマジックで「倍返し」の復讐をするというもの。
西森は、小型のギロチンを使い、「野菜は切れるが人間の腕は切れない」というマジックを行い、大林には、「箱の中に入って貰って剣で刺しても無事」というマジックを行う予定だったと思われるのだが、大林が箱の中に入っている時に、下手袖からカンペが出されるのが見え(私は上手端の席に座っていたので見えたのである)、おそらく「時間がないのでここまで」という内容のものだったので、大林は箱の蓋は開けたまま、ただ剣で刺されるだけというオチのない内容で終わってしまう。全ての演目が終わったのは9時20分頃であり、20分押しであった。

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