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2014年1月の13件の記事

2014年1月26日 (日)

The Eagles 「Hotel California」

YouTubeに対訳付きの映像を多く配信されているKeiさんの訳による、The Eaglesの「ホテル・カリフォルニア」です。

カリフォルニアにはハリウッドがあり、アメリカンドリームの生まれる場所であるところから、その夢が破れてもまだ振り切ることが出来ない思い、また1969年以降、急速に商業化していく西海岸のロックへの憂い、あるいはカリフォルニアがヒッピームーブメントの中心地であったことから麻薬の禁断症状を歌っているなど複数の解釈があり、いずれも正解だと思われます。

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2014年1月22日 (水)

観劇感想精選(110) 「ロスト・イン・ヨンカーズ」

2013年11月20日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後7時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、ニール・サイモン作の舞台「ロスト・イン・ヨンカーズ」を観る。上演用台本と演出はニール・サイモンをこよなく愛する三谷幸喜。三谷は自らが主宰していた劇団に東京サンシャインボーイズと、ニール・サイモンの代表作である「サンシャイン・ボーイズ」から頂戴した名前を付けるほどのニール・サイモン好きである。

出演は、中谷美紀、松岡昌宏、小林隆、浅利陽介、入江甚儀(いりえ・じんぎ)、長野里美、草笛光子。

2011年に「猟銃」で初舞台を踏み、同じ人物が同じ舞台で演じ分けているとは思えないほどの圧倒的な演技力で三人の女性を演じ、観る者をKOした中谷美紀の二度目となる舞台出演ということでも注目される。

1942年、ニューヨーク郊外のヨンカーズ地区にある半地下の一室(居間)が舞台である。ここにはミセス・カーニッツ(草笛光子)という厳格な性格の老婆が、娘でおつむの弱いベラ(中谷美紀)という女性と暮らしている。
物語は、ここにジェイ(愛称で、本名はジェイコブ。浅利陽介)とアーティー(やはり愛称で、本名はアーサー。入江甚儀)というミセス・カーニッツの二人の孫が、父親のエディ(小林隆)に連れられてやって来ているところから始まる。エディは奥の部屋でミセス・カーニッツと話しており、居間にはジェイとアーティーしかいない。二人は、祖母であるミセス・カーニッツの怖ろしさや、ベラが頭の働きが弱く、高校を1年で中退したこと、叔父のルイ(松岡昌宏)はワイルドな性格で今は裏社会で生きており、ギャングの手下(金の運び屋)をしていること、叔母のガート(愛称で、本名はハムレットの母親と同じガートルード。長野里美)は上手く呼吸が出来ないことなどを話す。いずれもお祖母さんであるミセス・カーニッツの躾が厳しすぎたためだとジェイは語る。ベラの頭が弱いのはお祖母さんに杖で頭を叩かれまくったからだとも言う(ミセス・カーニッツが杖で人の頭を叩く癖があるのは事実だが、実際は、ベラは5歳の時に猩紅熱に罹り、後遺症で俗にいう「知恵遅れ」になってしまったのである)。

エディはどうやらニューヨークのブロンクス地区に住んでいるらしいのだが、エディの妻が癌で亡くなり、その間にかかった治療費と入院費が莫大なものになってしまったため、巨額の負債を追い、高利貸し(劇中でエディは、「シャイロック」という言葉を使う。演劇人には当たり前の言葉のためか、パンフレットの用語集にも「シャイロック」は載っていないが、「シャイロック」とはシェイクスピアの『ベニスの商人』に出てくる悪徳高利貸しの名前である。ユダヤ人であるという設定で、ナチスのユダヤ人に対するネガティブキャンペーンにも用いられた)からも借りたため、普通に働いていたのでは返せる当てもない。そこで自宅を売り払い、戦時中(第二次世界大戦で、ドイツ、日本と交戦中である)であるため、高額の仕事がある南部に行くことに決めた。そこで、息子のジェイとアーティーを母親であるミセス・カーニッツの家に預けることにしたのだ。ミセス・カーニッツは店を経営しており、店舗は居間の上にある一階にあるようだ。そこでミセス・カーニッツとベラが働いている。
エディが選んだ高額の仕事とは、鉄くず拾い。戦時中であるため、砲弾に使う鉄が不足している。アメリカ南部ではそのために鉄くずを集める高額の仕事があるのだ。エディは、ジョージア州、ケンタッキー州、テキサス州(ヒューストンという具体的な地名が出てくる)などを回ることになる。

ベラが帰ってくる。映画を観てきたのだが、想像を絶する記憶力の悪さ。なんと自宅の場所も良く覚えていない。「ベラ叔母さんには方位磁石が必要だね」とジェイはアーティーに語る。

結局、ジェイとアーティーの二人はミセス・カーニッツの家で暮らすことになるのだが……

まずは何といっても中谷美紀の演技である。クールな性格の役を振られることの多い中谷美紀だが、今回はそれとは正反対のおつむが弱くキャピキャピした女性の役。これが怖ろしいほどに嵌まっている。何の予備知識もなしにこの「ロスト・イン・ヨンカーズ」を観た人はベラを演じているのが中谷美紀だと気付かないのではないかと思えるほどである。いくらプロの女優とはいえ、ここまで高い演技力を持つ人はそうそういるものではない。この人は本当に別格級の女優である(演技力が優れているだけでなく、実際にヨンカーズ地区を訪れるなど、入念な準備も怠らないようである)。

ワイルドな性格のルイを演じた松岡昌宏。ワイルドな性格の役は彼の十八番であるため、今回も上手い。また高い身体能力を生かし、しゃがんだ状態から足だけで立ち上がってみせたり(尻もちをつく人を録画して、逆回転で再生したように見える。普通の人にはまず無理な動きである。TOKIOはバンドであるが、もともとはバックダンサーであり、松岡はTOKIOの中でもダンスは上手い方である)と、動きにも尋常でないキレがある。

女帝のような性格のミセス・カーニッツ(実はカーニッツ一家はユダヤ系ドイツ移民であり、ドイツで迫害されてアメリカに渡り、アメリカでも差別対象で、エディ、ガートルード、ルイ、ベラ以外にも二人子供がいたが一人は幼くして、一人は12歳で早世したため、「強くなくては生きていけない」との思いから敢えて子ども達に厳しく接したのである)を演じた草笛光子も流石の貫禄である(草笛光子は1992年に「ヨンカーズ物語」というタイトルで「ロスト・イン・ヨンカーズ」が上演された時もミセス・カーニッツを演じているという)。

東京サンシャインボーイズのメンバーで、今も三谷作品の常連である小林隆も安定した演技で楽しめる(ちなみに、2024年に上演されるとされる、東京サンシャインボーイズの次回作「リア玉」の主演は小林隆になる予定である)。

若手二人の演技も良い(浅利陽介は身長が低いため、兄役なのにどうしても弟に見えてしまったが)。

三谷幸喜の演出であるが、キャリアのある人は各々に任せて、性格を掘り下げる作業だけを共に行う感じであるが、若手には細かく指示を出しているという印象を受ける。ただ、指示が細かすぎるようで、「いかにもアメリカ人に見えるように日本人が演技しています」という裏が見えてしまい、そこだけが気になった。だが、ニール・サイモンの筆の冴えもあって、上演自体は素晴らしい。中谷美紀の超人的とも思える情感表出力も相まって、感動的な舞台となった。

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2014年1月21日 (火)

観劇感想精選(109) 「猟銃」

2011年11月27日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、舞台「猟銃」を観る。井上靖の小説の舞台化。翻案:セルジュ・ラモット、日本語監修:鴨下信一、演出:フランソワ・ジラール。

傑作映画「レッド・バイオリン」、「グレン・グールドをめぐる32章」、「シルク」の監督であるフランソワ・ジラールが演出を手掛ける舞台。主演は初舞台となる中谷美紀。中谷美紀はフランソワ・ジラールの直々の指名による出演である。出演は他にロドリーグ・プロトー。中谷美紀がこれまで舞台に立たなかったのにはある理由がある。明言は避けるが、坂東玉三郎と同じハンディキャップを持っているのである。

まずモントリオールでの上演が行われ、その後、日本各地での上演。今日が千秋楽である。

雷鳴の轟く中、幕開け。伊豆の天城である。一人の男の手記が録音によって読み上げられる(ナレーターは何と池田成志である)。舞台上にいるのはカナダ人俳優で、シルク・ド・ソレイユの演技コーチも務めているロドリーグ・プロトー。日本語は正確にはわからないはずだが、ちゃんと日本語に合わせた演技をする。多分、かなり勉強したのだと思う。男は猟銃を手にしている。そして彼が「猟銃」という詩を発表したこと、その詩が世間から理解を得られなかったことが明かされる。ただ、一人の男が文をくれたという。「猟銃」に描かれたのは自分のことではないのかと書いていたという。男の名は三杉穣助。そして三人の女性による手紙が同封されていた。
そして、三人の女性による手紙が読み上げられる。約2時間に渡り、この三人の女性を演じながら、中谷美紀はほぼノンストップでセリフ、というよりここまで来ると語りであるが、を発し続けるのである。しかも、中谷美紀はセリフを一切流さない。全ての言葉に感情が宿っている。「神業」という言葉があるが、その言葉通りのものを今日は目にすることになるのである。
長い時間、一人の俳優が語り続ける舞台は他にも観たことがある。加藤健一事務所による一人芝居「審判」や、白井晃の一人芝居「アンデルセン・プロジェクト」である。加藤健一も白井晃も約2時間半、語りを続ける。ただカトケンさんの場合、セリフの流すべきところは流していたし、最後は息も絶え絶えになって、加藤健一という一人の人間の姿を敢えて晒しているのであるが、中谷美紀は長時間演じ続けて、中谷美紀個人の表情を出すことはないのである。白井晃の場合は、動きがあるので大変ではあるが、セリフ量は今回ほど多くはないはずである。

中谷美紀が演じるのは、ちょっと気弱なところのある薔子(しょうこ。「薔」という字は人名に使う漢字としては認められていないはずである。中川翔子は、出生時、薔子と名付けられるはずだった。母親は体が危険だというので伯母が役所で手続きをすることになった。中川翔子の父親は中川勝彦であるが、出産には立ち会っていなかったようである。ところが役所では「薔」は人名用漢字でないとして受理されず、怒った伯母は、「しょうこ」と殴り書きして役所を後にしたのだが、殴り書きしたため「しょうこ」ではなく、「しようこ」と読まれて登録されてしまったという)。修羅のような一面を持つ、みどり。凛としたところのある、薔子の母親の彩子である。

中谷美紀は憑依型の俳優である。プログラムを読んだのだが、映画の場合、セリフは台本を2、3回読めば入ってしまうそうで、演じるために生まれてきたような人だ。ただ、今回の長文の暗記には手を焼いたことも記されている。
同じ憑依型の女優として、白石加代子や大竹しのぶという大物がいるが、中谷美紀の演技は彼女達よりも上なのではないか。というよりこれほどの水準に達した舞台俳優は今まで見たことがない。中谷美紀には映画「BeRLiN」の頃から注目していて(共演は永瀬正敏。監督は利重剛。ちなみに、永瀬正敏と中谷美紀が別れる場面が撮られたのは、この間訪れたNHKホールに向かう、渋谷の公園坂である)、凄い女優だというのはわかっていたが、舞台での演技はこちらの予想を遥かに超えていた。フランソワ・ジラールに中谷美紀なら、もう傑作なのは間違いないとわかっていたが、ここまでの水準のものを見せられると、言葉をなくしてしまう。

「猟銃」は心理劇である。内容自体は目新しいものではないが、人間の心の暗部に常に銃口が向けられているような危うさを持っている。
三人の女性の手紙が読まれるのだが、薔子と、みどりは実は思い違いをしている。最後に彩子の手紙が読み上げられて、ことの真相が明らかになるという仕掛けである。読み上げられてと書いたが、すでに記したように中谷美紀は膨大な量の文章を全て暗記している。

舞台音楽としてアンビエント系のミニマルミュージックが用いられていて効果的なのであるが、もし音楽を使わなかったら中谷美紀という女優の才能が更に剥き出しになるはずで、逆にそれを抑えているのではないかという気すらしてくる。

これは終演後、オールスタンディングであろうと思ったが、満員の客席の中でスタンディングオベーションを送ったのは、私を含んで4名ほどだけであった。モントリオールではオールスタンディングであったことがわかっている。同じ京都でも四条南座でやればオールスタンディングだったと思われるのだが……

なお、関西の多くの場所が舞台となっており、三宮、宝塚、明石、京都、山崎の天王山と妙喜庵などという地名がセリフに出てくる。「阪神間」という言葉も用いられている。

今日が千穐楽である。ということで、上演終了後、舞台袖から、花束(正確にいうと一本の薔薇をラッピングしたもの)が数多、舞台に放り投げられる。中谷美紀とロドリーグ・プロトーはそれらを客席に投げてプレゼントする。プロ中のプロとはここまで出来るものなのである。

ちなみに「猟銃」のプログラムは1500円であるが、良質の紙を使っている上、中谷美紀による長文の手記、作家や演出家は勿論、井上靖の娘である黒田佳子のメッセージなどまで収められており、通常なら最低でも倍の値段を取ってもおかしくない仕様である。やはり出来る人ほど良心的であるらしい。
また、ある理由により、「猟銃」の公演がDVD化されることはまずない。劇場に通った者だけが凄さを目の当たりに出来るのである。

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2014年1月20日 (月)

アバド死す

現役最高峰の指揮者であったクラウディオ・アバドが逝去。80歳。

イタリア人として初めてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した人物でもある。

1933年、ミラノの名門一族に生まれる。父親はヴェルディ音楽院の校長を務めたほどの音楽教師。この父親とクラウディオとの間には不仲説もあるが真相は不明。

ミラノ音楽院とウィーン音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)で指揮法と作曲を学び、指揮者としてデビュー後は知的で端正な音楽作りで、パワフルな演奏を売りにしたズービン・メータと並んで次世代を担う逸材と目された。

1979年にロンドン交響楽団の首席指揮者に就任。1983年には同楽団の音楽監督となる。

ロンドン交響楽団時代のアバドの大仕事は、「ラヴェル管弦楽曲全集」のドイツ・グラモフォンへのレコーディング。特に「ボレロ」はアバドの盛り上げ方の上手さに興奮したロンドン響の楽団員が声を挙げたテイクがそのまま採用されるなど話題になった。
だが、アバドはロンドン響の新本拠地となったバービカンセンターの音響が気に入らないという理由でロンドンから去る。

1986年にはウィーン国立歌劇場の総監督となり、ウィーン国立歌劇場のメンバーからなるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して「ベートーヴェン交響曲全集」を録音。この頃がアバドの最盛期であったかも知れない。

1989年に亡くなったヘルベルト・フォン・カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第5代芸術監督に就任。
しかし、前任者であるカラヤンや、その前のベルリン・フィルの音楽監督であるヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどと比較され、「ベルリン・フィルのシェフをしては物足りない」という声もあった。
そんな中でアバドは進取の気質を発揮し、ベーレンライター版によるベートーヴェンの交響曲を録音していく。まずソニー・クラシカルに第九を録音後、ドイツ・グラモフォンに交響曲全集をレコーディング。ピリオド・アプローチを取り入れた演奏は画期的であったが、それまでのアバド支持者の中には演奏スタイルの変更に不満を感じる人もいたようだ。

そして2000年に癌で入院。2002年にはベルリン・フィルの芸術監督を退くことになる。

アバドは、カラヤンのようなカリスマ性のあるタイプでも、第6代ベルリン・フィル芸術監督となったサー・サイモン・ラトルのような才子肌でもなく、音楽を丁寧に彫刻していく名匠タイプの指揮者であった。ある意味、イタリア芸術の正統的な血を受け継ぐアルチザンであったように思う。

癌を克服して再びステージに現れたアバドであったが、やせ衰えた風貌で周囲を心配させた。その後は、見た目も比較的健康そうになり、ルツェルン祝祭管弦楽団を指揮するなどして活動。グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ(ユースオーケストラ)と、そのOBからなるマーラー・チェンバー・オーケストラをマーラー・形で組織し、また最近では自ら立ち上げたモーツァルト管弦楽団を指揮しての活動が目立った。

祖国であるイタリアものも得意としたが、ロシアものに優れた手腕を発揮しており、チャイコフスキーやムソルグスキーなどでは史上一二を争うほどの名盤を残している。ベートーヴェンやモーツァルトの評価は人によって割れるが、マーラーは得手としており、力強い演奏は多くの人から支持された。

癌で倒れた後も勢力的な活動を行い、中央楽壇からは退いて過去の人的存在になった後でも人気投票で好きな指揮者1位になるなど、これまでに築いたキャリアは多くの人の記憶に刻み込まれていた。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の次期芸術監督がサー・サイモン・ラトルに決定したとき、「星の王子、遂にベルリンへ!」という記事が新聞に出た。その記事では「アバドにはもっと早くベルリンを去って貰おうではないか」との記述があり、これはアバドの耳にも入ったであろう。ベルリン・フィルを退任する理由として「もっと読書をする時間が欲しい」とアバドが語ったことは「彼は音楽家ではないのか」という批判を招くことになる。
そんな屈辱と癌を乗り越えて再登場したアバドが奏でる音楽には凛と張り詰めたものがあり、特にワーグナーなどは現役最高峰の名に恥じぬ出来を示していた。

私がクラシック音楽を聴き始めた頃にはすでにトップ指揮者の一人であり、チケット料金の関係から「実演に接する機会はないだろう」と諦めてはいたが、こうしてその予感が現実のものとなってしまった今では残念と思う他ない。

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2014年1月17日 (金)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団) マーラー 交響曲第1番「巨人」

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2014年1月16日 (木)

これまでに観た映画より(61) 「真実ゲーム」

DVDで韓国映画「真実ゲーム」を観る。1995年に韓国のヒップホップデュオ“deux(デュース。フランス語のdeuxを英語読みに変えたもの)”のメンバーで知日家でもあったキム・ソンジェが急死し、恋人を名乗る女性が殺人罪で逮捕されたという事件をモチーフにした映画である。キム・ソンジェ事件の他にやはり同時期に韓国音楽界で問題になった盗作騒動(当時、韓国においては日本の音楽を放送で流したり、日本の歌手のCDを売ったりすることは禁じられていた。しかし音楽業界人の間ではジャパニーズポップは比較的熱心に聴かれていた。そして一般人が日本の歌を聴くことが出来ないことを悪用して日本の楽曲を自作として発表するミュージシャンが相次いで登場。しかし悪事は露見するもので、社会問題になっていた)も取り入れ、一人の女子高生がなぜ人気歌手を殺害したのか、その謎に検事が迫るというミステリー映画である。
ある雨の日、一人の女子高生が「人気歌手のチョ・ハロを殺害した」と警察に自白の電話をかけてくる。その女子高生ハン・タヘ(ハ・ジウォン)はチョ・ハロにレイプされたため、かってなって殺したと供述。しかし検事のチョ・ジェヒョン(アン・ソンギ)は、事件の起こった8時間後にタヘが警察による身体検査を受けた際、彼女の体内からチョ・ハロの精液は検出されなかったことから、タヘの供述は嘘なのではないかという疑いを強めていく。

ハ・ジウォン、アン・ソンギという韓国を代表する俳優のぶつかり合いが見物である。観る前はそれほど期待していなかったのだが面白かった。筋書き自体は目新しいものではないし、ラストも人によっては無理を感じるかも知れない(それゆえにチョ検事が真実を見抜けなかったということでもあるのだが)。だが俳優の演技も良く、演出も飽きさせない。

    1979年生まれのハ・ジウォンは、一時、イ・ウンジュ(1980-2005)のライバルと目されていた女優。ともに黒髪が印象的な美女であり、デビューも同時期。そして同じ大学の同じ学科(檀国大学芸術造形学部映画・演劇学科)の先輩後輩でもあった。ハ・ジウォンはデビュー以降、出演作にも恵まれ、現在では韓国を代表する女優の一人である。一方、イ・ウンジュは出演作に恵まれていたとはいえず、若くして不幸な最期を遂げている。
ハ・ジウォンが19歳だった頃に撮られた作品だが、この時期すでにハ・ジウォンは確かな才能を発揮している。相手役のアン・ソンギは韓国を代表する映画スターだが、ハ・ジウォンは一歩も引けを取っていない。なお、ハ・ジウォンはこの映画で韓国の権威ある新人女優賞を受賞しているが、実はその年の新人女優賞受賞の最有力候補といわれていたのが「虹鱒」に出演したイ・ウンジュであった。イ・ウンジュ本人も周囲もウンジュの受賞を確信していたのだが、発表式で呼ばれたのはハ・ジウォンという名前。
      悔しくて一晩中泣き明かしたと、イ・ウンジュはのちに告白している(ちなみにイ・ウンジュは翌年も同じ新人女優賞候補に挙げられ、この時は見事栄冠を手にしている)。

ミスター韓国映画とも呼ばれるアン・ソンギの迫力ある演技も素晴らしい。ところでこのアン・ソンギ、目元が役所広司そっくりに見える時がある。そういえばアン・ソンギと役所広司は映画で共演していたんだっけ。

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2014年1月 9日 (木)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団) ドビュッシー 管弦楽のための三つの交響的素描「海」

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2014年1月 8日 (水)

コンサートの記(121) 広上淳一指揮新日本フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2014 in 三重

2014年1月4日 三重県津市の三重県文化会館大ホールにて

三重県文化会館大ホールで午後4時から広上淳一指揮新日本フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2014を聴く。
曲目は、前半が、ヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」序曲、同「こうもり」より“田舎娘の役ならば”(ソプラノ独唱:安井陽子)、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「オーストリアの村つばめ」、ヨハン・シュトラウス2世のポルカ・シュネル「雷鳴と電光」、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より“森の小鳥は憧れを歌う”(ソプラノ独唱:安井陽子)、ヨハン・シュトラウス2世の「皇帝円舞曲」。後半が、エドゥアルト・シュトラウスのポルカ「速達郵便で」、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「春の声」(ソプラノ独唱:安井陽子)、リムスキー=コルサコフの「スペイン狂詩曲」より“変奏曲”、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より“ダッタン人の踊り”。

司会は東北放送アナウンサーを経て、現在はホリプロ所属のフリーアナウンサーである田添菜穂子(たぞえ・なほこ。「なほこ」は「なおこ」ではなくそのまま「なほこ」と発音する)。田添は新春らしく着物姿で登場する。

京都市交響楽団のニューイヤーコンサートでは女性奏者はドレスアップするのが恒例であるが、新日フィルの場合はそういったことは一切なし、全員、黒を基調とした衣装であった。

喜歌劇「こうもり」序曲。軽快な演奏を聴き慣れているだけに、フルオーケストラによる重厚な出だしに、「重すぎるのではないか?」とも思ったが、軽やかな旋律などでは典雅な表情を見せて一安心である。新日フィルの音であるが、やや渋め。いぶし銀のような渋さである。京都市交響楽団のクリアな音色とはまた別の良さがある。

ソプラノ独唱の安井陽子であるが、安定した歌声。コロラトゥーラはまずまずで抜群に上手いというわけではないが、声質も表情付けも良かった。オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」では、機械仕掛けの人形オランピアのアリア“森の小鳥は憧れを歌う”では、ASIMOのようなギクシャクとした動きをしながら歌う。途中でねじが切れて動きが止まり、打楽器奏者がねじを巻いて歌い出すというオッフェンバック一流のギャグもある。「春の歌」では、モーツァルトの歌劇「魔笛」でパパゲーノが吹く魔笛の音色を模す場面で広上とタイミングを計りながらユーモラスな歌唱を展開した。

広上指揮の新日フィルは、いずれの曲でも高水準の演奏を聴かせたが、激しさと軽快さの同居する「雷鳴と電光」、爆発力がものをいう「イーゴリ公」より“ダッタン人の踊り”が特筆すべき出来映え。前者での打楽器の思い切った強奏、後者の盛り上げ方の巧みさなどは広上ならではの演奏だ。“ダッタン人の踊り”では豪快であると同時に詩心の表出に長けており、澄み切った音楽が泉のように湧き出るのが見えるかのようだった。

アンコール。田添菜穂子の紹介で広上淳一が登場。広上は、「年を取ると物忘れが激しくなるので、このまま帰ろうとしてしまった」と語り、「でもこれをやらないとニューイヤーコンサートでは駄目でしょう」ということで、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」と、ヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」が演奏される。「美しく青きドナウ」なチャーミングな佳演。オーケストラに演奏を任せて、広上は主に拍手係をした「ラデツキー行進曲」も楽しい演奏であった。

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2014年1月 6日 (月)

コンサートの記(120) ポール・マッカートニー「OUT THERE」大阪公演at京セラドーム大阪

2013年11月12日 京セラドーム大阪にて

午後7時から、京セラドーム大阪で、ポール・マッカートニーの来日ツアー公演「OUT THERE」を聴く。今回が最後の来日になるのではないかと噂されているポール・マッカートニー。ビートルズナンバーもたっぷりということがそれを示唆しているともいわれる。

ポール!

東京・田安門の武道館でコンサートを聴いたことはあるが、ドーム球場での音楽公演に接するのは初めてである。東京ドームには1回しか行ったことがないが(そこはスワローズファンなので。もっとも神宮球場に行ったことも数えるほどだが)、何度も通っている京セラドーム大阪(大阪ドーム)で初のドームコンサート体験というのはやはり嬉しい。

3万人以上の聴衆が押し寄せるということもあってか、京セラドーム大阪は午後5時開場。野球の時とほぼ一緒なので、対応には全く問題はないだろう。

本当は今日が日本ツアー初日だったのだが、満員御礼につき追加公演が組まれ、昨日が追加公演で初日となった。昨日のコンサートの様子は各紙が取り上げているが、今日は昨日のは違ったラフな格好でポールは現れた。

私の席は野球開催時にはバックネット裏の特等席となる場所だが、残念ながら、今回はバックスクリーンのある場所にステージが組まれている。ということで、ステージからかなり遠い。京セラドーム大阪はホームプレートからバックスクリーンまで122mだが、ホームプレートから、後部フェンスまで十数メートル。更に後部フェンスから私の席までの距離が十数メートル。ということで、約150mほど先にポールがいることになる。「いるな」「動いてるな」ということぐらいしかわからない。ステージの両袖に巨大スクリーンがあり、そこにはポールがアップで映っている。

セットリストであるが、ビートルズナンバーを想像以上に多く、「あのビートルズナンバーが好きなのに歌ってくれなかった」と思う人はごく僅かではないかと思うほどである。

ポールが「まいど、オーサカ、ただいまー」と言ってコンサートスタート。新聞にも出ていたが、ポールは、「コンバンハ、ニホンゴ、ガンバリマス。デモ、エイゴノホウガ、トクイデス」と言ったり、「オーサカ、めっちゃスキヤネン」と叫んだりする。「ワタシノ、ニホンゴ、ドウデスカ?」と聞いたりもしていた。

いきなり、ビートルズナンバーである「エイト・デイ・ア・ウィーク」でスタート。大いに盛り上がる。新作アルバム『NEW』から「セーブ・アス」を挟んで再びビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」、ウイングス時代の「あの娘のおせっかい」と「レット・ミー・ロール・イット」、再びビートルズの「ペイパーバックライター」、ポールのソロ曲である「マイ・ヴァレンタイン」、「1985年」(ウイングス)、そしてビートルズの代表作の一つ「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が歌われる。その後、「恋することのもどかしさ」(故リンダ夫人に捧ぐということで、スクリーンには在りし日のリンダの映像が映し出される)、「夢の人」(ビートルズ)、「恋を抱きしめよう」(ビートルズ)、「アナザー・デイ」、ビートルズの初期の代表作の一つ「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、「ブラックバード」(テレビでアメリカの公民権運動を知って作ったというポールの説明あり)、ジョン・レノンに捧げた曲である「ヒア・トゥデイ」、『NEW』より「NEW」(演奏前にポールから、『NEW』を日本の海外アルバムチャート1位にしてくれてありがとうとのコメントあり)、「クイーニー・アイ」(『NEW』)、「レディ・マドンナ」(ビートルズ)、「オール・トゥギャザー・ナウ」(ビートルズ)、「ラヴリー・リタ」(ビートルズ)、コンサートのタイトルにもなった「エヴリバディ・アウト・ゼア」(『NEW』)、「エリナー・リグビー」(ビートルズ。まさかこの曲を歌ってくれるとは思っていなかった)、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」(ビートルズ)

ポールは、「次はジョージに捧げる曲です」と言って、ウクレレを弾きながらジョージのナンバーである「サムシング」を歌う。ウクレレを弾きながらというところに捻りが利いている。

ポールは今度は、「この曲はみんなで歌いましょう」と言って、「オブラ・ディ・オブラ・ダ」が演奏される。

ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」を経て、再びビートルズナンバーが続く。「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」、「レット・イット・ビー」、ウイングスの「007死ぬのは奴らだ」

そして今回のコンサートの山場ともいうべき、「ヘイ・ジュード」の演奏に入る。ポールは「Na Na Na Na Na Na Na」のところを聴衆全員に歌わせ、続いて、「男性」といって男性客のみに歌わせる。そして「女性、ガールズ&レディース」といって女性客の歌声を響かせる。そして「エブリバディ!」と言って、全員での大合唱となる。

アンコール。ポールが日章旗を持ち、もう一人がユニオンジャックを持って現れる。「デイ・トリッパー」(ビートルズ。この曲も歌ってくれるとは思っていなかった)、「ハイ・ハイ・ハイ」(ウイングス)、ラストはビートルズナンバーである「ゲット・バック」で締めた。

ポールは、再度のアンコールに応えて、登場。「イエスタデイ」をギター一本で弾き語りする。歌詞とメロディーが惻惻と胸に染み込んでくる名曲中の名曲である。

ポールは、下手袖にはけようとするがそこにメンバーが待ち構えており(という演出)エレキギターを渡してアンコール続行となる。「ヘルター・スケルター」、「ゴールデン・スランバー」、「キャリー・ザット・ウェイト」そして、最後は「ジ・エンド」でジ・エンドとなる。

約2時間の演目を終えた後で、更に5曲のアンコール。計約2時間半のライブである。

ポールは、年齢を全く感じさせない熱唱。ギター、ベース、ピアノ、シンセサイザー(オルガン風外観)、ウクレレを演奏する。ギターは何種類も取り出し、そのうちの一つはジミ・ヘンドリックスが愛用していたものだという。

チケット料金の割りにはステージから遠いというのが不満であったが(パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏会は、チケットを買うのが遅れたため、今回は高めの席で聴いたが、それでも今日のコンサート料金よりは安かったし、パーヴォは目の前にいた。確かにポールは歴史に名を残すことが確実な偉人であるが、パーヴォも歴史に名を残す可能性の高い人物である)、それ以外は満足のいくコンサートであった。ポールがどう思うか、またポールの年齢にもよるが、また来日して貰って、今度は近い席で聴いてみたい。ただ、近くの席はファンクラブ優先などがあるかも知れない。

私はビートルズは好きで、19歳で大学に入ったとき、真っ先に買ったのが、版権の遅れのためCD化されたばかりの赤盤、青盤であった。オリジナルアルバムもほとんど持っていて、カラオケでビートルズナンバーを歌うこともある(ジョンの作品である「ノルウェイの森」が一番多いと思う)。

ただ、ビートルズ解散後は、私はもともとジョン・レノン派であったということもあって、ジョン・レノンのアルバムは折に触れて聴くことはあっても、ポールのアルバムはほとんど聴いてこなかった。ジョンがビートルズ解散後に賛否両論はあっても独自の道を見つけたのに対し、ポールの方はビートルズ時代の実験精神が嘘のように売れ線のシンガーソングライターになってしまい、物足りなくもあった。メロディーメーカーとしての才能はポールがビートルズの中でナンバーワンだったと思うし、ジョンもジョージも他界した今ではそれはもう揺るがないだろう。しかし、ビートルズの時の時代を切り取ったようなシンクロナイズなパワーが消えてしまったように思うのはなぜなのか。変わったのはポールなのか時代なのか、あるいは両方なのか。それはわからないが、今日もポール・マッカートニーやウイングス名義の曲よりもビートルズナンバーの方に力強さを感じた。技巧的にはビートルズ解散以降の方が上であり、メロディー的にもビートルズ時代の方がシンプルなのだが、ビートルズという稀有な四人が集まって(晩年は不仲であったが)作り上げた作品群は、ポール・マッカートニーという個人が個人のみによる作業で作り上げた音楽を上回る何かを持っていたのかも知れない。

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2014年1月 3日 (金)

エレーヌ・グリモー(ピアノ) モーツァルト ピアノ協奏曲第23番第2楽章アダージョ

フランスの変人系天才美女ピアニスト、エレーヌ・グリモーの弾く、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章アダージョです。モーツァルトが書いた音楽の中でも最も哀切なものの一つです。

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2014年1月 2日 (木)

カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団 ヨハン・シュトラウスⅡ世 喜歌劇「こうもり」序曲at昭和女子大学人見記念講堂1986

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2014年1月 1日 (水)

初詣

初詣に行ってきました。

年は明け、ただ夜は明ける前に、豊国神社と下鴨神社に詣でました。両社ともにライトアップされており、ライトアップされた形での参拝は正月三が日しか出来ませんので、貴重な体験でしたが。

夜が明けてからの初詣は、南禅寺の塔頭・金地院にある金地院東照宮です。豊臣秀吉公と徳川家康公は京都に住むなら両方立てなければなりません。織田信長公を祀る建勲神社にも行きたいところですが、行けるかどうかはまだわかりません。

金地院では、現在、特別拝観を行っており、八窓室という小堀遠州設計の茶室や、海北友松、長谷川等伯らの水墨画を見ることが出来ます。

その後、岡崎まで歩いて、平安神宮までお参りに行きましたが、やはり初詣の定番でもある神社ですので、長い時間並ばないと参拝できないという状態でしたので諦め、東山丸太町にある熊野神社、そして田中神社に参拝してきました。

熊野神社は、紀伊半島にある熊野神社の分社ですが、本殿はかつての下鴨神社の本殿を移築したもの、ということで下鴨神社を造営した鴨氏の祖先である八咫烏を紋として使用しており、八咫烏をトレードマークとする日本サッカー協会のお守りなども売られていました。田中神社は賀茂神社の分社です。徳川家康公の出た松平氏は賀茂神社の氏子であり、三つ葉葵の家紋も賀茂神社の紋から頂戴したものです。ということで、今日は家康公巡りの参拝となりました。

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新年の挨拶

あけましておめでとうございます

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