« コンサートの記(123) 金聖響指揮 京都フィルハーモニー室内合奏団第191回定期演奏会「ニューイヤーコンサート2014」 | トップページ | 観劇感想精選(111) 上川隆也主演「真田十勇士」 »

2014年2月 7日 (金)

いわゆる佐村河内守事件(偽ベートーベン事件)

作曲家の佐村河内守が、18年ほど前から、桐朋学園大学非常勤講師の新垣隆(にいがき・たかし)をゴーストライターとして雇っていたという「佐村河内守事件」。佐村河内守の交響曲第1番《HIROSHIMA》全曲の初演は、京都コンサートホールで行われており、京都市、広島市の両市長や、ノーベル賞受賞者である益川敏英氏なども臨席して行われた。私もその場にいた。

その後、交響曲第1番《HIROSHIMA》の全国ツアーが行われることになり、私は2013年の12月19日に、京都コンサートホールで、再度、交響曲第1番《HIROSHIMA》を聴いている。

その時の感想は以下の通りである。

午後7時から、京都コンサートホールで、佐村河内守の交響曲第1番《HIROSHIMA》を聴く。演奏は、アレクサンドル・アニシモフ指揮の京都市交響楽団。佐村河内守の交響曲第1番《HIROSHIMA》は全国ツアーを行っており、他の会場では金聖響が指揮をするのだが、京都だけはアレクサンドル・アニシモフが指揮をする。

佐村河内守の交響曲第1番《HIROSHIMA》は完成したのは、今から丁度10年前の2003年のことだったというが、初演は遅く、全曲初演となると更に遅い。全曲初演が行われたのは、ここ京都コンサートホールで、秋山和慶指揮京都市交響楽団によって演奏された。山田啓二京都府知事、門川大作京都市長も客席に招かれての初演であった。

初演時もそうであったが、今日も作曲者である佐村河内守は会場に来ており、開演前に拍手が起こったので、何かと思って見てみると、佐村河内が大ホール内に入ってきたところであった。

佐村河内守は、広島生まれの作曲家。被爆二世として生まれ、放射能の影響により中学生時代から頭痛などに悩まされることになる。高校卒業後はアカデミズムを嫌い、音大も大学にも進まず、肉体労働などをしながら独学で音楽を学んでいく。貧困に悩まされ、家賃滞納のためアパートを追い出されて、半年ほどホームレスをしていたこともある。バンドを組んでおり、ポピュラーシンガーにならないかとの誘いもあったが、時を同じくして実弟が亡くなったため、それは断っている。以後、ゲーム音楽で才能を認められるが、耳の病気は深刻化し、遂に全聾になる。

佐村河内はショックの余り、自殺未遂をしたことが二度あり、現在も1日に15種類の薬を服用する生活を続けている。病気は耳以外の場所でも起こっており、杖を突き、サングラスをしていないと眩しくて外出出来ないほどである。

佐村河内守の交響曲第1番《HIROSHIMA》は、大友直人指揮東京交響楽団の演奏によるCDがリリースされているが、最後の大物音楽評論家といわれる宇野功芳氏は、佐村河内の交響曲第1番《HIROSHIMA》に関して、「哀れで聴くことが出来ない」と批評を拒否している。ベートーヴェンのように故人ならいいのだろうか。あの世代の人にありがちなことだが、逆差別のように感じた。

今日の指揮者であるアレクサンドル・アニシモフはロシア出身。NAXOSに数点の録音を行っており、私も彼が指揮したグラズノフの管弦楽曲集のCDを持っている。

ロシア出身の指揮者による演奏ということで、秋山や大友といった日本人指揮者による演奏ではわからなかったことがわかるようになる。まず感じ取れるのは、ショスタコーヴィチやストラヴィンスキーといったロシアの作曲家からの影響だ。大音量や推進力はショスタコーヴィチを思わせるし、鋭さと鮮やかさを兼ね備えた響きはストラヴィンスキーを連想させる。その他にもメシアンのトゥーランガリラ交響曲を思わせる箇所もある。佐村河内はそれまで何曲も交響曲を書いていたが、それらを全て破棄し、交響曲第1番《HIROSHIMA》に知っている音楽イディオムの全てを注ぎ込んだ。そのため、極めて重厚な音楽になっている。
「タンタタタン」という、黛敏郎の「舞楽」でも使われた東洋的なリズムも特徴であり、汎世界的な音楽でもある。

指揮のアニシモフは比較的速めのテンポを採用。それでも交響曲第1番《HIROSHIMA》は長大であるため、演奏時間は70分ほどを要した。

アニシモフの指揮スタイルは端正なもので、拍を刻むことはなく、右手の上げ下げが主であるが、時折棒を左右に動かしたり、左手だけを前に出すなどしてオーケストラを導く。今日、私が聴いたのは、2階席の舞台下手側2列目の席であり、この席は音のバランスが悪い。ということもあってか、第1楽章の「タンタタタン」の主題が現れるときは、管楽器だけが大きく、弦楽器は弱く聞こえた。ただ、ロシアの指揮者はブラスを咆吼させるのが大好きな人が多く、そのため敢えてバランス無視で管楽器を表に出したのかも知れない。京響の金管群は総合力で関西ナンバーワンだと思うが、今日はその金管群が強すぎるという印象も受けた。

最終楽章ラストの大音量はCDで再生させることは出来ないものであり、佐村河内の真価を聴くためにもコンサートホールに足を運んでいただきたいと思う。現代音楽の演奏会は、世界中で避けられる傾向にあるが、交響曲第1番《HIROSHIMA》は、それほど難解ではない。

今から思えばであるが、私は交響曲第1番《HIROSHIMA》から、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー、メシアンなどの20世紀音楽の影響を聴き取っており、非常にアカデミックな作品であると感じているのがわかる。現代音楽を否定した佐村河内守のスタンスとは異なるものを聴いていたことになる。おそらく私よりも音楽に詳しい人(沢山いるだろうが)が聴くと、「これは音楽大学でアカデミックな教育を受けた人の作品だ」と気付いたかも知れない。だが、思い込みというのは怖ろしいもので、一部のオーケストラ奏者を除けば、これが佐村河内の作曲によるものではないのではないかという疑問すら持たなかった。ゴーストライターの存在など思い浮かぶはずもないといえばそういうものなのだろうが。「大きな嘘ほど騙されやすい」というが、記譜も出来ない人間が「悲運の大作曲家になりすまそう」などとは、少なくとも人並みの良識があるなら思いつきさえしないものであろう。

そしてこれもまた大きな一因であるが、佐村河内守が実際に作曲家として活躍していた時代があったということも、ゴーストライターの存在を隠す形になった。

※後記:新垣隆はゴーストライターをしていたことに責任を感じ、桐朋学園大学に辞表を出したが、新垣の人柄を慕う学生や教え子、才能を認める有志などのネット署名が1万を超えたたため、桐朋学園大学も新垣の辞表を白紙撤回とした(2014/02/18)。

|

« コンサートの記(123) 金聖響指揮 京都フィルハーモニー室内合奏団第191回定期演奏会「ニューイヤーコンサート2014」 | トップページ | 観劇感想精選(111) 上川隆也主演「真田十勇士」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40048/59084788

この記事へのトラックバック一覧です: いわゆる佐村河内守事件(偽ベートーベン事件):

« コンサートの記(123) 金聖響指揮 京都フィルハーモニー室内合奏団第191回定期演奏会「ニューイヤーコンサート2014」 | トップページ | 観劇感想精選(111) 上川隆也主演「真田十勇士」 »